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田畑参考人 それではお答えいたしますけれども、まず最初に、
オリンピツクは今度十六年ぶりで参加いたすのでありますけれども、それにつきまして、議会の
皆様方に、非常に御
熱意ある御
後援をいただいたことについて、
代表団一同を代表して、ありがたく御礼申し上げます。ま
あとにかく、今の
派遣費と申しますか、
補助金の問題でございますが、一番初めに私
たちは
アジア大会に千万円ということなれば、少くとも三千万円ぐらいは出していただけるのだろうというふうに思
つていましたし、まあ私が個人的に
大蔵大臣にお会いしたときにも、そのくらいのことはやむ得ないだろうという
気持を、
大蔵大臣は持
つていたと私は
はつきり解釈したのであります。しかし、
独立に伴い、
独立前後のいろいろな
事情でそれができなくな
つたということ、これは私はやむを得ないことであると思いまして、今の
日本の現状で、この
程度に
政府が出してくださるということも、
皆様方の
熱意のしからし
むるところであつたと思つて、この点についても、私はありがたく思
つております。
補助金とすれば、今の千五百万円でございますけれども、これは所管の
文部省が非常に一生懸命にな
つてくださ
つたことは、もちろんでありますが、
大蔵当局も、別の面において、たとえば
外貨の
わくというような点におきましては、
政府当初の千五百万言というものよりも、はるかに上まわる
外貨の
わくをいただいたので、
従つて私
たちが一生懸命で
寄付金を集めれば、とにかく今の
日本とすれば、決して少くない
代表団を送れるということにな
つたについては、
文部当局はもちろん、
大蔵当局に対しても、非常に感謝している次第であります。
もともとは、これは
陸上の
指導部の方もそうだ
つたと思いますが、一番專門家の
織田君とか、西田君とか、
理事長の東君とかいう方と私と
——これは
陸上関係でありますが、今度は団の
中心が
陸上と
水泳ですから、
ベルリンと
ロスアンゼルスの
水泳のヘッド・コーチで非常な赫々たる
成績をあげた松沢一鶴君と、水連の
専務理事の藤田君と六人で話し合
つたときには、これは前の話なんですけれども、とにかくまだ
公使館さえもできていないときに、たくさんのものを持
つて行くということは、なかなかむずかしいだろう、昔みたいな
代表団を持
つて行くことは、次のメルボルンにしまして、今度の場合は、とにかく
オリンピックにおいて
優勝した
歴史を持
つているものが行くということならば、それでとにかく
日本が、今度のヘルシンキの
オリンピックにおいて、
りつばな
オリンピックをやろうという
熱意だけは認められるのじやないか、そういうことに持
つて行こうということであ
つたのです。具体的に申し上げますと、
オリンピツクでは、三等までは
メイン・
マストに旗があがるのです。それから
一等が金、二等が銀、三等が銅というメタルと同時に、国旗が三本あがるのです。六等以下に対しては、賞状が出るわけなんです。しかも
メインマストに
一等の旗が
上つた場合には、
国歌が奏されるわけであります。
日本の
歴史は、一九二八年アムステルダムの
オリンピックのときに、壁上の
織田君が
三段跳びで
優勝して、
日本が
オリンピックに参加して初めて
国歌が奏されたのであります。その一週間
あとで行われた
水上競技——大体、
オリンピツクは一週間あ
つて、今度の場合は十九日が
開会会式で
閉会式が三日、前半が大体
陸上で、後半が
水泳なんです。その間にいろいろな
スポーツが入
つて来て
オリンピツクになるのですが
——まず、初めて
織田君が
三段跳びで
優勝し、
水泳の部門では鶴田君が平泳で
優勝したのです。
メイン・
マストに
日本の旗が二回あが
つて、二回
国歌が奏されたわけであります。それから
ロスアンゼルスにおきましては、男の
水泳が、四百メートルを除いて全部
優勝いたしました。それで、あのときは、
陸上では南部君が三段跳で
優勝をしたのです。
ベルリン大会では、
水泳の
成績は案外よくありませんで、百メートルと四百メートルを失いましたが、それでも、とにかく六
種目のうち四
種目を勝
つて優勝したわけであります。
ロスアンゼルスのときに一番問題になりましたのは、今は、なくなりましたけれども当時の
西中尉が、最後の
閉会式——この日は馬の大障害だけがあ
つて、これは
オリンピックでも非常にはなやかな
競技でありましたけれども、これに有名なユーリスという馬に乘りまして
優勝いたしました。それから
ベルリン大会では、今は国籍が違
つておりますけれども、
日本を代表した孫君が
マラソンで
優勝し、
三段跳びでは
田諸君が
優勝しておるのです。それから
ベルリンでは、
女子の二百メートル平泳ぎで、前畑さんが
日本の女で初めて
優勝したのです。これだけが
日本の
優勝の
歴史なんです。
従つて、これだけは何とかして連れて行きたい。しかし、今のいろいろな
事情なかなかむずかしいので、
女子でまだ三等に入る
程度のものならば、今度はブレストなどはやめて、
マラソンと
ジャンプと
競泳の
チームをつく
つて、
選手と
役員を入れて三十名になる
チームだ
つたら一番いいんじやないかというふうな
意見だ
つたのです。これは、
陸上の主君もそれでよかろうという話だ
つたのですけれども、その後になりまして、
外部から
——内部においては、もちろん
オリンピックには十六年間参加しておらず、また今度参加しないと、
あと四年ブランクができて、参加しない
種目は実際に非常なギャップができるから、
陸上も全部参加したいという
気持はありましたけれども、それ以上に、
外部から、なるたけ多くやれということが一般の輿論にな
つて来て、三十人というのは非公式の話だ
つたのですが、その線がくずれて、だんだん
選手団が多くな
つて来たのです。
ただ、そのことを申し上げる前に、
前提として申し上げたいのは、
オリンピックの
代表団というものをつくることは、これはあくまで
日本の
オリンピツク委員会たる
体育協会の
責任においてやるものでありまして、これは
政府その他の
干渉というものは一切排除されなければならないと思うのです。ということは、
オリンピックそのものは、
政治的な介入を非常に神経質に拒否しておるのであります。その近い、一番新しい例は、
日本で、紀元、二千六百年に
オリンピックを
日本に持
つて来ようという話があ
つた。そのときの最も有力な
対立候補は
ローマだ
つたのです。ところが、当時の
イタリアはムソリー二時代でして、当時は
日本と
イタリアは
政治的に非常にいい
関係にあ
つたので、そのときの大使の
杉村陽太郎さん
——これは柔道と
水泳の人で、有名な
運動家でありまして、私どもの大先輩でありますけれども、この方が、
ローマさえひつ込めば必ず
日本に来るのだというふうに追い詰められた結果、ムソリーニに
会つて、イタリヤの立候補をひつ込めさしたのです。それが、
日本の
オリンピック委員が
政治的に動いて、
ローマを押えつけたということで、非常に問題になりまして、形式的には、
杉村陽太郎さんは辞表を出してやめたのですけれども、実際は
国際委員会からやめさせられたという結果にな
つたわけであります。そういうような
事情がありまして、
オリンピックの
代表団というものを編成するのは、あくまで
日本の
オリンピック委員会である
体育協会が編成すべきであり、その
責任においてやるべきでありまして、ほかからの
干渉というものはあくまで排さないと、今度は
国際オリンピック委員会に対して、
日本の
オリンピック委員会の
資格云々の問題が起るかと思います。その点で、私
たちは、あくまでこれは体協の
責任においてや
つて行かなければならないと思
つております。それゆえにこそ、私
たちは慎重には愼重を重ねまして、
代表団を決定しておるわけであります。その点を
前提として申し上げておきたいと思いますけれども、今申し上げたような
事情によりまして、だんだんふえたのです。
今申し上げたように、
陸上の
ジャンプ、
マラソン、
水泳は、
はつきり
レコードがついておりますし、
マラソンも二時間三十分で走るのですから、これは
ほんとうに
くじに入るものだと思います。それでは、これは
ほんとうの
くじかと言うと、そうじやないのです。
くじを引き得る者というのは、
世界から何百人と出て来る申から、おそらく十何名という者が
くじを引き得る
資格を持
つた人間なんです。いろいろな現在までの
歴史からいいましても、実力からいいましても、
マラソンは
はつきり日本が
くじを引き得るだけの力を持
つていることは、だれも認めているところだと思います。そういう
意味で、
マラソンは勝つ勝つと
言つて、負けて何だということを言うことは、非常にかわいそうでありまして、とにかく二時間半の間を走るのですから、そのときの
調子なりに非常に左右されると思うのです。これはコースにおいても、ちつとも制限ありません、ただ長さの問題だけです。
日本から
行つても、十八日に一番初めに行くのですけれども、
行つても、おそらく一ぺんだけしかフルコースは引けないだろうと思います。そういうような
事情でありますから、
マラソンは非常に有望でありますし、
マラソンというものは
オリンピックの発祥でありますだけに、
マラソンに勝てば、
オリンピック全部に勝
つたという気はしますけれども、あまりに
選手に
負担を負わせるということは、かえ
つていい
調子を出さぬことになるから、この点は、
激励の方法も、なるたけ
選手たちの
気持をゆるやかにして、とにかく力一ぱいやらせるのだという点に持
つて行かないと、ぐあいが悪いのではないかと思いまして、あまりに期待されるということが、
選手自身の
負担になることは非常に困るという
気持を、私は持
つておるのですけれども、
マラソンは
世界的にだれが見ても問題ない。
ジヤンブも
三段跳びも、
一等はとれぬにしても、とにかく旗はあがるだろう。これは、だれも認めているところだろうと思います。
しかし、その線から一歩出れば、実際問題としてどこで切るかということは、非常にむずかしくな
つて来るわけです。
陸上とか
水泳というものは
記録が出ますから、この
程度まで行くならば、
行つてみてはずかしくない。
日本の
陸上、
水泳では、なぜああいうものを打
つて来たのだというようなことのないような線が比較的
はつきり出ますけれども、ほかの
競技というものは
レコードではかれぬものがあるわけです。
行つても強いと思いますし、
陸上、
水泳かあそこでやるならば、これも
行つてしかるべきではないかということにな
つて来て、実際の問題で、今の
陸上の
マラソン、
ジヤンブ、
競泳という線を越せば、どこで切るかということは、なかなかむずかしいのです。結局は、今まで行
つたような
種目をやるということ、ないしは一番大きな人数を要するサッカーとか、バスケットとか、ホッケーとか、水球というものは除外せざるを得なくな
つて、結局大きな
チーム・ゲームを除外するという
意味、もう
一つは、今すぐということをせぬで、一応の線が出て来たわけなんです。しかし、これも全然行かないということになりますと、どういうことをや
つているのか現状が何もわからぬというようなこともありますので、参加しない樋口から見学をふやす、連れて行くということが、今度の
代表団の
一つの異例なことであります。そうして、実はレスリンク、シューティング、ヨツテイング、フェンシング、こういうものは、初めはやはり見学を連れて行くというつもりでいたのですけれども、サッカーなど
チーム・ゲームは、一人行
つたのでは
競技ができないけれども、個人
競技ならば一人
行つても
競技ができるから、
役員をやるよりは
選手をや
つた力がためになるということの
意見の一致を見まして、そういう
種目からは一人ずつ
選手を連れて行くということにな
つたのが、今度の
代表団の編成の大体の経過であります。
そうして
日本の今度の
役員が多いというお話、これは私
たちが会う人にもよく言われる話で、これは内容がわからなければ、そういう御非難があることはもつともかと思います。これは御
説明しなくてはなりませんけれども、
役員が多いという印象を與えるまず
一つの理由は、今言
つた見学員が
役員という範疇に入
つて来ているので、発表の仕方がまずか
つたので、
選手代表であ
つて違
つたものであるということを、頭に置いていたたきたいということが
一つです。実際問題で
言つてみますと、そういうものをひつくるめても今度の代表場団の
役員というものは、前から比べるとはるかに少いのです。一九三二年、これが
代表団らしい
代表団を
オリンピツクに送
つた初めであります。このときには
選手が百三十一人に対して
役員が六十九名、
ベルリン大会におきましては、
選手百九十七人に対して
役員が六十八名、今度は
選手三十名です。今の見学員を入れて三十名です。三十名という中には、医者はどうしても行かなければならぬので、医者が入りますし、
文部省のあれも入れての三十名ですから、実際は二十七名という勘定でありますけれども、今申し上げたように、
選手は少くても、
役員の中に
選手がいるわけです。
役員として問題になるのは、本部の
役員だと思うのです。これは
競技そのものに参加するものではありませんから、これが一番問題だろうと思うのです。これは
ロスアンゼルスのときに十八名、
ベルリンのときに十五名、今度は西田君もお医者も入れて八名なんです。本部の仕事というものは、向うの組織
委員会との折衝その他で、ある
程度の数はいりますけれども、この西田君を入れて、
チーム・ドクター入れての八名ということは、これは実際においては、少な過ぎるという批評は受けても、多いという批評は受けないだろうと思います。あそらくこの次の
オリンピツクには、この
程度のものでは当然まかない切れないと思いますし、今度は今い
つたような
日本のいろいろな
事情がありまして、
政府の
補助金さえも千五百万日くらいしかいただけないという現状ですから、とにかくすべてのことを切り詰め、ことに本部
役員というようなものは、なるべく少くしなければならないということで、ぎりぎり結着の八名ということにしたのですが、この点は私は多いとは思
つておりません。少な過ぎるという批評は受けても、多いという批評は受けないと思
つております。多いという批評があるとすれば、
水泳と
陸上の
役員だろうと思います。ほかは
選手だけで、
役員を連れて行かない
団体もあるのですから、
水泳と
陸上以外は皆一人なんです。
競技も、自転車でもレスリングでもボートでもボクシングでも、みな一人です。一人ということが多いといえば、絶対必要なんですから……。しかし実際問題としては、レスリングとかいうものは、
レコードに出るものではありませんから、審査員が必要なんですけれども、その審判員をさえ今度は連れて
行つてないわけです。これはぎりぎりの少いものだと思います。問題は、今の
陸上が、
選手十九名に対して五名というのが多いという印象はあるかもわかりませんけれども、これも私は、むしろ少い、これだけをも
つて行くのでは、
陸上は非常に手不足ではないかと思う。
ほんとうに
競技の勝ち負けを争うというものは、
水泳と
陸上だと思います。これも
織田君のヘッド・コーチで、アシスタントとして佐々木君
——、これはランニングです。そういう監督やマネージャーがつく。
マラソンの監督がつく。少な過ぎても多過ぎるということはないだろうと思います。一番の問題は
水泳の問題だろうと思います。これは
選手二十七名に対して
役員が七名。この
選手の内訳は、男の
競泳が十七名です。ダイビングが男女一人ずつなんです。これも
ロスアンゼルスないし
ベルリンのときには、五名ずつ行きまして、全部が四等から六等まで入
つております。これも、今のほかを少くするという
意味で、一人しか連れて行きません。
女子のリレーに予定されているものはブレストなんです。バツクやバタフライもだめなんです。それだけということで……。けれども、
女子に対する女のコーチというものはありますけれども、これも今度は連れて行かなくて、
種目ごとのコーチを連れて行く。ブレストとバツクと短距離と長距離、これにはか
つての
オリンピツク・チャンピオン、ないしは二等にな
つた、だれが見ても
世界的に最高の権威のあるコーチを連れて行くわけです。これが
女子も男子も一人残らず指導する。それに総督監が一人とマネージャー一人なんです。いつもは、体操をやる專門家を連れて行
つたわけです。今度はダイビングのコーチがこれも兼ねてやるということにな
つておりますので、この
程度のものは、
ほんとうに
オリンピツクに
行つて選手になるためには、やむを得ないものだと考えております。
大体
選手団の構成はそういうことで、私
たちとしては、やむを得ぬ数字だというふうに思
つておりますし、なるたけ
皆様方の御
協力を得るように、
役員が多過ぎるという印象を與えるというので、自粛し自粛した上に、こういう
選手が参加する以上はやむを得ぬというところに切り詰めたものがこの数字です。
それでは、各国はどうかということを申し上げると、一番最近の例ですが、ロンドン大会のときに、アメリカでは
選手が三百四十二名に対して、
役員が百三十四名です。イギリスが、
役員百十七名に対して
選手が三百六十八名、フインライドが割合に少くて、
選手が百三十名に対して
役員が五十六名、インドが
選手八十六名に対して
役員が五十二名、朝鮮が
選手五十二名に対して
役員二十三名、フィリピンが
選手二十四字に対して
役員十四名ということが、ロンドン大会のデータであります。英米を除いて一番大きな
代表団は、スイスだ
つたのですが、これが
選手二百名に対して
役員百七名です。各国の実情を見ても、
日本の
役員団が多いということはいえないだろう。ことに、いわゆる本部
役員というものがぎりぎり結着のものだというふうに、私は確信を持
つておりますから、その点御了解を願いたいと思います。
陸上のことについて御
質問があれは、一番権威の
大島君がおりますから……。