○長野
委員 実は元豊島師範学校附属小学校校地の一部貸與に関する問題につきまして、ただいままでのお話を聞きましても、
文部省のとられた事情を明らかにする必要があるようにも感じます。それからまた、当時処理したことについての誤解などがもとになりまして、ややもすると、そういう
意味における誤
つたる
考えもあ
つたかに聞きます。ただいま
質疑の中にも、
文部当局の処置に対する御批判もあ
つたかと思います。かたがた本問題の一審初めに、私が文部政務次官として關與したことがありますので、この際
委員長の内々の話もありましたし、きわめてこれはナチユラルなことであるから、私から一応その事情を申し上げておくということも、
委員として一面からいえば責任でもある、こういう
考え方から一応申し上げてみたいと思います。
昭和二十一年の五、大月ごろ、私は文部政務次官に任命されました。その際に、当時の豊島師範学校の附属小学校の敷地につきまして、紛議といいますか、学校
当局との間に少しもつれがありまして、
文部省へも大分押しかけて来ておるようであります。私には直接参りませんでしたが、事務
当局も、これにはほとほと弱
つておるようでありました。それから師範学校
そのものにおきましても、真相はわかりませんけれども、大体民間側から了解を得たということで、すでに戰災並びに引揚者で居住に困
つておる者、仕事のない者が協議をして、焼け野原でありましたから、ぜひあすこに建ててもらいたいという話があ
つて、学校側と大体約束をしたように民間側では言うし、学校
当局の方では、当時必ずしもそうでないように見えておりましたけれども、結局これは貸し與えて、この多数の者に仕事をさせなければならぬという方針を得たのであります。また先ほど事務
当局の言われたように、現在生徒は多くな
つても、いろいろ坪数について議論があるようでありますが、その当時は非常に少か
つた。そこですでに木材はどこかで用意をして来ている
関係もあるので、ぜひ社会
政策の
立場から見ても、これは建てるようにしてもらいたい、こういうことが事務
当局並びに学校
当局に持ち出されておるということでありました。それと直接
関係の有無はわかりませんが、その当時民間側の
業者といいますか、発起人といいますか、そういうような人々の周囲において殺人問題まであ
つた。この情勢をながめるときに、学校
当局の陳情及びその当時のあの界隈における実情からながめますと、これは何とか円満に解決をはからねばなるまい、こう私は感じました。しかるに、世間ではこういう問題は、今後においていろいろ悪い問題を生ずるもとになりますから、私は当時の池袋警察署長に向
つて、これはいいかどうかということを聞きました――現在は国家地方警察の警察隊長か何かや
つておるだろうと思いますが、当時の署長は私の政務次官の部屋に参りまして、非常に困
つている、これはひとつ政務次官が中で適当に調和をして、円満な解決をしてくれまいかという懇請がありました。また民間側におきましても、そういうことをや
つてもらえば今までの争いは解消してよろしいということであります。校長は、もちろんそれを希望しておりますし、事務
当局も、また私に向
つて詳細なる調査の数字を示し、そうすることが学校のためにもまことによろしい、このままに置いておいたならば、不測の問題を起すかもわからぬという情勢であるということであります。まことに当時荒涼としてほとんど人心の帰一いずくにありやというようなことさえ心配をする場合でもありますし、これはやはりや
つた方がよかろうと私も決心をいたしまして、民間側の者を呼んでよく説得いたしました。また一面学校
当局にもよく意のあるところをお示しいたしましたが、当時においては、教育上において、ある程度のものはよかろうということになりました。事務
当局もまたこれに賛成をいたしまして、当時大臣の了解のもとに、実は私も当時の忙しい場合に困りましたけれども、特にさようとりはからいまして、
昭和二十二年の二月ごろですか、私が政務次官を退く前に一応その問題を解決いたしたように記憶しております。
なお、私はその際に、かかる問題について、世間ではよく好ましからざる宣伝等が行われるおそれがあるから、あらゆる問題につきまして、警察署長の了解のもとに、
はつきりや
つたことでございます。またこれに
関係をしました事務
当局あるいは学校
当局に対しましては、当時の私の常識と、私の教育上の判断等から
考えてみましても、あえて事務
当局の
意見を排斥してまで、この争いを続けしめるゆえんのものではないというところに私着眼をいたしまして、私も相当力を入れて、民間側の力強い押しに対しても、これを押えつけまして、最後は和気あいあいのうちに解決をしたと言うて、私のところへ当時の会計課長かだれかが書類を持
つて来て安心をいたした次第であります。私の在任中における事情は以上であります。
同時に、一言申し上げておきますが、私の重要なるポイントポイントにおける解決は、池袋警察署長と並行して解決を進めたわけであります。最後に、署長は私の部屋に参り、衷心より感謝をいたします、ともかく国の治安
関係及び社会
政策的に民間の生活を確保するという点から
考えるならば、まずこれで上々である、私は警察署長として
考えても、これはどうしても解決をしなければならぬ社会
政策的な
意味も大いに持
つた問題である、こう申して行かれたのであります。なお私は、本問題の処理につきましては、必ず政務次官室において、私のいすに腰かけて解決をいたしたのであります。断じてその間世によくいうゆるやかな解決というようなことはさせないで、みずからの身をも
つてさようにいたした次第であります。
大体さような状態でありますから、本問題の最初の解衣
はつきましては、くどいようでありますが、学校
当局も、
文部省の事務
当局も、事務次官以下少しも誤
つた処置はない、こういうように私は確信しておる次第であります。
最後に、特につけ加えておきますが、従いまして、問題が解決して以来、私が退官する前に、政務次官としてもこれには関與しておりません。いわんやその後私が代議士としても、個人長野としても、その後の経過について
関係するところはありません。これもまた最近の調査等のときにおけるいろいろな事情を承りまして、以上申し上げておいた方が最も穏当であり、これがまた当然私の
義務であり、またこういうことを述べさせることが
委員長のある
意味における責任でもある、こういうことを思いましてここに以上二年にわたる問題を節用に申し上げまして一応今後の御
審議等に関する御参考に提供いたしたいと思います。