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野原政府委員 開拓政策全般に対して非常に建設的な御
意見を伺いまして、私も非常に同感の点が多いのであります。
開拓に対しまして、いやしくも離脇者を出すということは、一部離脱される方はまことにお気の毒である、
開拓政策が徹底を欠いておつたということのこれが
原因になるわけであります。その点に対しまして、従来私どもも
開拓に先行いたしまして、
開拓者を入れるだけの諸
條件を整備する、すなわち道路を通すとか、あるいはまた電気までもとはすぐ期待できないにしましても、少くとも道路くらい通してやらなければならぬということは、非常に熱意を持
つておるわけであります。ところが
国家財政の現状からいたしまして、御
承知の通り
終戦後における国内の
食糧自給態勢の問題とあわせ
考えて、
開拓政策なるものは非常な熱意をも
つて行われたにもかかわらず、
入植とその建設とが非常にびつたりと行き得るだけの
予算的
措置がなされなかつたというところにも、問題があるわけであります。せつかく
入植者は入つたが道路はできない、あるいはまた建築の方も思うように行かない、同時にまた御
承知の通りインフレ時代でありまして、せつかく
資金は貸し付けたけれども、建てるころになると借りた金では追つつかなくなるというようなこともございまして、そこに経済の非常な不安と混乱の時代もあつたのであります。今後におきましては、やや安定をしておりまするので、先ほども御指摘のごとく、新しくとられる
開拓政策なるものは、
一つの転換をするべきではないかというお話でございますが、まことにごもつともでありまして、
国土総合開発
計画の進展に伴いまして、山林、耕地というふうなものの調整を十分
考え合せた
開拓が進めらるべきものであると思うのであります。特に奥地開発等と関連しての
開拓というものは、私ども実は理想はぜひそうありたいものだと
考えておる一人なのであります。もうすでによほど古い話でありますが、私、青森におりました当時、野岱という所がありまして、そこは海岸を離れること約八里の地点で、それは全部国有林でありますが、その国有林は非常に未開発の山林でありまして、その地帯に開発をいたさすべく、国といたしまして、進んでそこを
開拓適地として、
相当面積を不要存置林野に編入いたしまして
開拓させようとしたのであります。ところが当時は今から十七、八年前でありますから、たれも
開拓の希望者がないということで、たまたま希望して来る方があると思うと、実際調べてみますと、山が目当てであ
つて、立木だけもらえばあとはよいというようないわゆる利権をあさる
人たちが多い、それではどうも困るのでありまして、切
つてしまつたあと、そのまま行かれてしま
つては困るというふうなことで、せつかく野山林の約一万
町歩の山林開発を進めるためには、としてもそこに定着する
相当数の林業労働者、熟練したそま人その他がなければこの開発はうまく行かない。
従つて常時そこに
開拓民を置いて、そうして
営農もやらせる、山林の開発もやらせるという構想を立てまして、そこを不要存置に編入して
開拓を進めたわけであります。ところがだれもないということで、そこで私は
開拓研究のためにみずから進んで実は
開拓をいたしまして、いろいろとそこに農耕地をつく
つてやつたこともあります。今はようやく時代の脚光を浴びまして、そこが
開拓を始めるようになりました。山の
経営と
開拓がびつたり
行つている事例の
一つと思
つております。
全国にそういう箇所はたくさんあると思うのであります。そういう問題は現実の
ケースとしてとらえまして、私どもは、山の開発と
開拓というものは十分
考えなければならぬというふうに
考えております。
一つの例でありますが、今度岩手山麓の岩洞、ダムというのをつくるという
計画がいよいよ実現されますが、そこなどもかれこれ二万三千
町歩ばかりの未開発資源がございます。その地帯はやはり
開拓をすれば必ずできるところの、少くも四、五千
町歩の牧野と農耕地の適地があるのであります。これらもほとんど今まで何ら手をつけておりません。あの丹藤川の奥の岩洞を中心とする籔川一帯も、そういつた新しい時代の
考え方から開発が当然実現できろものであるというふうに
考えております。そういつた点で、今後の
開拓はあくまでも地についた大きな
国土の総合開発
計画、あるいはまたその
現地現地の立地的環境等を十分
考えあわせまして進めたいというふうに
考えております。
それからただいま今回の
資金融通法によるところの融資の
利子が五分五厘というふうなことは、どうもはなはだ徹底を欠いておるという御
意見であります。私も実は一面同感でございます。でき得べくんば三分六厘三毛という従来の低率にいたしたいのであります。ただ諸外国との比較等もなさいましたが、外国では、アメリカ等では年二分というような安い利息で、非常に長期の
資金を貸し付けておる。
日本でもそうしなければならぬという非常に高邁な理想と私は拝聴いたしました。
日本における
国家財政あるいはまた経済の
事情等からいたしまして、これは大蔵大臣の領域になりますが、何分にも利息が高過ぎることはお互いが非常に苦心をしておる点であります。その点は国際的な視野から見ましても、おそらく
日本ほど利息の高いところは今日はないのじやないかと私は
考えますが、それだけに最も低利でなければならないはずの
開拓者の
資金融通も、御指摘のごとく勉強しましてもせいぜい三分六厘五毛というふうな現状でありまして、はなはだその点は
国家財政の貧困を嘆かざちを得ないのでありますが、それにつけても五分五厘というのは高いじやないかという御
意見は、一応、ごもつともでありますが、何分にも
国家全体の財政との関係もありますし、あるいはまた現実の問題としまして、この
融通法では一応低利で
貸付をしたそのあとのまた
営農が十分でない、短期でもいいからその
資金を流してやることによ
つて、
営農が確立される、そのために
営農の
効果があるというものに対して、短期の五年
程度の
資金の
融通の道を開こうという、
一つの新しい局面展開の意味の
資金なんであります。
従つて利息等につきましても、他の
一般の利息から見れば五分五厘というのは
相当安くしてあるわけであります。他との比較対照の問題から言えば、
政府としましても、せいぜいできるだけ安くしようとして努力したわけであります。五分五厘というのは徹底を欠いていると言与ば御説の通りでありますが、今まで二十三年度前の利息に対しましては、
開拓者資金融通法による
貸付けを
終つたあとは道がない。その道がないような点に対しまして、
一つの新しい道を切り開くという点において、徹底は欠いているかもしれませんが、
資金融通法はやはり私は
営農上に
効果が期待されるのではないか、將来の問題といたしまして、これに対しましては極力金利を引下げるとか、あるいは
資金融通のわくを広げるとかいうような努力は、
政府といたしまして一生懸命やりたいと
考えております。