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横田(信)
政府委員 ただいまの御
質問にお答えいたします。今
お話がありましたように、純理論的な問題として
考えて行きますならば、
国営であ
つても、
国営の
事業のままこれを
経済的にやり得る
方法があるのじやないか、純理論的に言いますと、そういうことも言い得られるのじやないかと
考えます。しかしながら
わが国の
国家活動の
中心が、やはりいわゆる
監督行政に置かれておる。これは
わが国の現状としては、否定できない事実であろうと思います。そういう点から
一般監督行政に
中心が置かれる以上は、いろいろの
財政制度を
考える場合に、やはりこれを総合的にある
程度考えて行く。それがいろいろ
会計制度、
財政制度においても、そういうものの
影響がどうしても入
つて来る。これは同時に事実として避け得られないことだろうと思います。それでどの
程度努力したかという
お話もありましたが、われわれの
通信事業の過去の
歴史というものは、そういう
意味におきまして、この
通信事業の
経営態勢を
経営的にー
経営的にと申す
意味は、決して営利的という
意味ではありません。
公益的使命を持ちながら、この
事業を最も
経済的に、能率的にや
つて行きたい、こういう
努力をずつと続けて来た数十年の
歴史であろうと思います。御
承知のように最初ずつと
一般会計で、いわゆる
収入と
支出というものを全然切り離して
考えられてお
つた。これは
ほんとうに
公益事業ではないのですが、そういういわば家内工業的な、大幅帳的な
時代から、
特別会計をつく
つて行こうという機運にだんだんな
つて行きましたのもその
意味であります。
昭和九年に
通信事業特別会計が成立いたしました。ところが
通信事業特別会計は成立いたしましたけれ
ども、そういう過去のからを負
つておるために、やはり
事業的な色彩においては非常に欠けた
特別会計制度であ
つた。わけであります。もちろん
複式簿記もと
つておりません。そういうものを戦後になりまして、
昭和二十三年にもう一度
特別会計を改正いたしたわけであります。その改正におきましては、いわゆる
公益性はもちろんでありますが、
事業として
経営的にや
つて行くためには、
資本主義の
私企業において発達したあの
経営技術というものを、十分取入れて行く必要があるというので、それをだんだん取入れて、いわゆる
複式簿記もと
つて参りましたし、
事業会計としての
体系をもう一段進めて来たわけであります。それから
通信事業の中で、
郵政事業と
電気通信事業の持つ特性も幾分違う。これを
事業的に確立するという
意味において、
昭和二十四年に両方がわかれて、おのおのその
事業に適する
事業形態をとり、
事業会計制度もと
つて来る、こういうように
努力いたしましたすべての流れというものは、この
一つの大きな
努力の
歴史であ
つたわけであります。しかしながらこういうようにと
つて参りましたが、やはりこの
特別会計という
会計制度のあの法律の中では、幾分
一般会計と
違つたー一般会計においては御
承知のように收入
支出独立の
原則、あるいは
年度独立の
原則、あるいは
款項独立の
原則、こういう
原則がとられるわけでありますが、そういう点においてもある
程度の例外を認めて、
事業態勢らしくや
つて来たわけでありますが、なおかつやはり
一般的な
規定以外の問題につきましては、
一般会計法、
財政法の
規定による、こういうことにな
つております。それでその
影響が案外大きな
影響を持
つてこちらへ流れて来る、こういう
傾向を持
つておるわけであります。
ただいま
お話がありました
資金の点につきまして、この
公社にいたします
理由は、ただ
資金の一点だけではないのでありまして、
資金の問題もありますが、そのほか
事業の
経営の
やり方におきまして、あるいは
人事管理の面におきましても、
従業員の
民主化をはかりながら、しかも
経営能率を上げて行く。
従業員の
経営能率、いわゆる
作業能率を十分上げて行くという
意味において、今の
人事管理の
制度においては、相当の
欠陷があるのでございます。そのほかまたわれわれの
事業と申しますのは、これは
監督行政ではなくて、やはり
一般の公衆、
一般の
国民をお客様としてこれにできるだけ安い経費で、サービスを提供して行くというところが、本来の
使命であります。もちろん
一般行政におきましても、これはシヴイル・サービスという言葉もありますように、
一般行政ももちろん
国民のために奉仕するのが
行政でありますけれ
ども、しかしなおこの
一般行政の面におきましては、
国民全体のために、やはり
国家権力というものを持つということがもちろん必要なことであります。ところがわれわれの
事業は、そういう権力を持
つてやる
事業ではない。やはりむしろお客様に対して、われわれのサービスをできるだけ能率を上げて安くお客様に提供しよう、これがわれわれの
事業の形であります。そういう
意味におきまして、やはり官僚
制度という範疇にあるということは、いろいろな面において見えざる
意味におきまして、
従業員全体の気風、これがやはり事実においてはなかなか大きな力を持つ契機を持
つておるわけであります。そういう諸般の
情勢を
考えまして、こういう
公社形態にしたのがいいだろうという結論にな
つたわけでありまして、
資金の面だけでない。
資金の面におきましても、現在それなり
国家資金以外に
民間の
資金が非常に入るかとおつしやいますと、これは
お話のごとく、すぐ
民間資金から莫大なものをわれわれは調達できるとは思
つておりません。また外資導入につきましても、これは今後の長い工作に依存する問題でありまして、いずれにしろ外資というものは、どうせコマーシャル・ベースで入
つて来るものであります。従いましてこの
公社事業の、いわゆる
事業会計としての収支
計算というものが非常にはつきりし、いわゆる
政府の会計的なものでなくして、
事業会計的な
意味においての
見通しがつき、これにコマーシャル・べースとしての安心ができるという、これだけの実績を持
つて行かないと、なかなかすぐは入
つて来ないものだろうと思います。これも将来の問題と思います。そういう場合において、これを拒否するかといいますと、これは
国家資金以上に、こういうものにおたよりするということは、
事業の将来にやはり悪い結果でなく、いい結果がある、こういうように
考えております。
日本の
民間資金につきましては、さしあたりとしてはやはり
国家資金の足らない部面、昨日も
お話いたしましたように、一番われわれがお客様の御要望に応ぜられないのは、基礎設備の不足にあるわけであります。どうせ
国家資金にたよるといたしましても、これは
国家全体としての
資金運用部
資金等も当然限度があるわけでありますから、それだけで今の需要と供給は、こんなに開いておるものをどうせ満たし得ない。あるいは地方において、ある都市においては、自分のところだけ
考えればほしいという場合に、そういうときに自分のところの設備をふやしてくれるなら、
電信電話公債を引受けよう、こういうような要請があちらこちらに当然出て来るだろう。こういうように市外線との能力の範囲を
考えながら、一応できる場合においてはこの
公債を引受けていただいて、その場所における基礎設備をふやして行くということにおいて、相当やはり効果があるのではないか、こう
考えております。それも
一般公債というものの範囲においてや
つてもできるのではないかという
お話がありますが、これは先ほ
どもお話しましたように、
公債という面になりますと、やはり
国家全体の活動というものが、
一般行政に重点を置いておるということと、
公債は現在
特別会計におきましても、その
負担はもちろん
特別会計でありますが、あの
公債事務というものは、
国家活動としては、やはり一体的にや
つて行くということがある
程度必要だ、こういうので
特別会計の
負担にはな
つておりますけれ
ども、
公債の
発行の手続、あるいは償還というものは、
公債として一貫的に見て行く、こういう形をと
つております。それならそれを全部まわせばいいのではないか、こういう議論も出て来るのですが、これはなかなか事実上むずかしい。というのは、あるいはソ連のように、すべての
事業を国が
経営しておるということになると、非常に大きな例外をどんどんつくるということも
考えられるのでありますが、一体に
国家が直接こういう
事業を
経営しておるという部面は、
国家全体の活動からいえば、なお
わが国においては少いので、それに重点を置いてすべてや
つて行くということは、
努力いたしましてもなかなかむずかしい。それからもう
一つの問題は、いわゆる
国家の
企業として
国家企業経済法、あるいは
国家企業財政法という、別の
国家の名においてそういうものをつく
つたらいいのではないか、こういう議論も理論的に当然あると思います。
財政当局におきましても、そういう議論は相当あります。しかしこの場合においても、
事業になりますとある
程度の特性が出て来る。それなら專売も
一つの
事業じやないか、それと同じ
原則でこれもや
つて行こうということになると、共通の
経済法、
財政法によりますと、なおそれが十分実態に即しない部面も出て来ます。そういう点で、いわばその公共性を保持させながら、それを
一つの
企業体として独立させて行く。これは決して営利を
中心とするという
意味でなくして、
国家政策としての問題は、
政府なり国会できめていただき、それの
経営管理というものについて、十分責任を持
つてやらせて行く。それを今の
経営管理的に見まして、十分効果のない点を救
つて行くという
制度を
考える。ここにいわば
世界における
一つの
公共企業体というものの生れ出て来るところの理論があるのではないか、こういうように一応
考えるわけであります。