○
田中(角)
委員 ご
もつともな御発言でありまして、非常に意を強うしたわけであります。多
目的なダムを築いて、新しい方式によ
つて新しい地点が新しい
観点によ
つて選ばれるということであれば、私も
提案者の一人としてまつたくその
通りに
考えているわけであります。だから新しくつくられる
電源開発会社、また
審議会の
委員及び技術者もこの線だけは破らないように御注意申し上げておきます。
第二には、現在建設省、各府県でや
つております河川の利用には、
先ほど申しました
通り、洪水調節と水域の利用、灌漑という問題があるのでありますが、なかんずく北上川、胆沢川、猿ケ石等は百五十数億万円の
費用をかけて大きなダムを現在施工中であります。しかしこの施工にあたり、ダムは建設省、
電力は通産省というようなことで、
政府部内でありますから連絡ができないことはないのですが、事務官僚は俗にいうセクシヨナリズムと申しましようか、
委員会ではりつぱに、連絡はしております、次官
会議にもかけております、閣議は通
つておりますと言うのですが、実際ちぐはぐであることは枚挙にいとまがないのであります。その意味において私たちは国土省設置というようないろいろな
意見を長いこと出していたのですが、なかなかできないようであります。ここに建設大臣がおられますが、建設大臣は建設大臣をやられながら
行政機構をや
つているのではどうもまずかろうから、どつちかにしてもらいたいということを私たちも申し上げて来たり、いろいろ
考えておるのでありますが、まつたく各省に分属しているこういう事業が円滑を欠いているということの事例はたくさんあります。そういう意味で、
電力に利用するダムについてさえもいろいろな問題があるのでありますから、特に総合的な地方
開発を目途とした大きな
電源開発をやろうという場合には、
日発のように自称エキスパートだけで
電源開発会社を構成してはならない。今も
福田君が言われた
通り、十分その趣旨に沿つた人選を行い機構を整備するということでありますので、それ以上に私は申し上げたくないのでありますが、
電源開発地点は新しい
観点に立
つてきめなければならないし、この法律案を出す自由党としても、これが成果に対してはわが党そのものの一つの大きな実績であると同時にまた場合によ
つては、後世指弾を受けるおそれが十分あろうと
考えますので、特にこの機構に対してはオーソリテイのごとき、各界の権威者を網羅し、技能者を網羅したところの機構がよいのではないかということを私は
考えておるわけであります。この
法案は私も
提案者でありますので、どうも言いにくいのでありますが、第九條には
開発地点は
審議会でも
つて委員十名をも
つて行うことにな
つておりまして、この
委員十名のうち七人までは大臣であります。これはわが党選出の大臣でありますので、どうにもなると思うのでありますが、大臣の中でもさて地点の選定ということになると、なかなか
意見がまとまらないのが通例であると思うのであります。だからこの
審議会の
委員には、
関係省の大臣を入れておりますが、「
電源開発に関し学識経験を有する者のうちから経済安定本部総裁が任命する者三人」、すなわち内閣総理大臣が任命する三人、これは閣内におらない在野の有識者が選ばれるわけでありますが、私も提案するときにどうも少し感違いしたかと思うのですが、もう少しふやした方がよいと思
つておる。まあ出した手前もありますので、私は十五名、二十五名にふやせとは申し上げません。しかしこの三人の人選は、
日本の
電源というものに対する最高権威者でなければならぬということを私は申し上げたい。建設大臣もこの点に対しては国務大臣としてどういう人を入れなければならない、またその人選はどういうふうにお
考えにな
つておるか、今腹蔵ない御
意見は御発表になれないかもしれませんが、この人選に対しては、私は非常に重大な関心を持
つております。なぜなれば、これは一介の
電源開発のエキスパートであるということをも
つて人選をしていただきたくないと
考えているわけであります。率直に申し上げますと、当りさわりがあるかもしれませんが、率直に議員としての立場から申し上げますと、
日本の
電源開発地点の選定及び
開発の方針等に対しては二つの流れがあります。これははつきりとした流れでありまして、官庁同士のセクシヨナリズムというのではなしに、技術屋同士の対立であります。面子による対立、学閥による対立、
もつと大きくい
つて大陸閥と内地閥という大きな対立があります。これは琵琶湖の問題もしかりであります。熊野川の流域変更の問題に対しても、流域変更を内地側が立案する、大陸側は本流案を支持する。御
承知の
通り、今新潟県案、福島県案などとい
つて小ぜり合いをや
つている只見川でも、
日本に残されたたつた一つの
電源であるということが言われており、現在発電されている全国発電総量の三分の一が発電ざれるであろうという大きな問題に対しても、本流案は内地技術者が支持しておる。また内地の技術者陣が面子にかけてもということを言
つておられる。流域変更案に対しては大陸技術者が支持しておる。こういう問題があ
つて、私は内地技術者が悪いとか、大陸技術者がいいと言うのでありませんが、少くとも今までの商工省の
電力局、今資源庁の方々がおいでになりますが、私は小
委員会当時も
相当つつ込んだ
意見を述べたのでありますが、当時の商工省
電力案は一体何案だ。商工省の
電力案は
日発案だということをはつきりと
委員会で答弁しております。
日発案をどうして
政府案としたのだ。商工省の
電力局にはそれだけのメンバーがおりませんし、また
費用もありません。だからやむを得ず
日発をしてつくらせたものを
政府案としたのですとはつきり答弁しておる。自発の大西総裁を証人として証言を求めた際も、
日発に大陸技術者がおるのですか、ほとんどおりません。下にはいるかもわかりませんが、上にはおりません。そうすると全然いないじやないか、大陸技術者が一人も参与していないいろいろな
方策が、
政府案として
日発によ
つて施行せられて来たことは間違いのない事実であります。私はこういう
観点に立
つて、新しい国家の大きな
資金を投入して、高率の効果をあげなければならぬという重要な問題に対しては、
日本の技術陣をフルに活用しなければならぬ。そして最も公正であり、最も理想的な案によ
つてこの事業が進められなければならない。こう
考えるわけであります。そういう意味において私は多くを申し上げませんが、現在の
政府部内にいる
電力関係者及び旧
日発の首脳部の方々は大体内地技術者であります。大陸技術者はその当時追放令にかか
つておりましたために、終戰後から今までの
政府の
電源開発の地点の選定
方策等に対しては建議ができない
状態にありました。それで批判は別の名前を使
つてしたり、
意見は間接的にいろいろ述べられたでありましようが、大きなウエートをも
つて彼らの
意見が真剣に討議されることがなかつたのは事実であります。今度パージも解除せられましたし――内地における
電源開発は遅々として進まなかつたとはいいながら、
相当の効果を上げております。しかし
日本人が一番大きく思い切
つてや
つてみたのは、大陸における
電源開発であります。これは
日本が世界の一等国であつた当時、占領国であるというような
日本人の優越的な気持をも
つて思い切つた工事ができた。ダムをつくるにも、
日本では五年もかかるのを一年半でや
つてみようというような無理な工事をや
つて、松花江のダムにしろ、水豊のダムにしろできたものであります。なお大きなものは黄河のダムであり、戦時中
アメリカの技師を雇
つて調査をし、支那そのものが全力をあげてつくろうとしたいわゆる揚子江宜昌のダムの問題などに対しても、
日本の技術者は大きく手を染めております。ほとんど陰の力は
日本の技術者であります。この連中がみんな今
日本に帰
つて来ているのに、頭はみんな追放にな
つているというので、今までほとんど
政府案に対してはいれられなかつたし、
政府自体がこの連中の
意見を聞こうとしなかつたということは、私は一つの事実であると指摘をしたいのであります。松永
委員長代理あたりが
公益事業委員会で言
つているのは大体大陸派の線に
沿つて発言をしておられるようであります。技術屋というのは、私も技術屋でありますが、実に偏狭なんです。
自分の書いたものが一番いいのだ、こういうことを言うから技術屋は出世をしない。だから技術屋ほど出世しないものはありません。事務官僚は内務省に属官として入
つて来て、地方まわりをしてもど
つて来ると局長になる。ところが技術官僚は十年た
つても、課長は相かわらず課長である。こういう連中が、こちこちの頭で、しかも内地閥というもののからをかたくとざしながらつく
つているところの――あるいはそのものが最善の案でないとは言えません。しかしこのように大きな問題を実施に移す場合には、当然
日本の
電源開発に対するエキスパートは全部これを登用して、
意見を聴取してもらわなければいけない。私はその意味において少くとも――
政府案というものはいつでも強い、十人の
委員のうち七人までが
政府案の代弁者であると思うので、少くとも三人の技術者は大陸技術者を集めるべきだ、こういうふうに
考えているのです。