○横田
委員 実におもしろいことを言いましたね。そのおもしろいことを全般に当てはめてみたらどうでし
ようか。
自転車が走るのをただ見てお
つて、
自転車をよくする
ようにできない
ような国民はこれからの国民じやないですよ。百円の金を持
つて、その金がふえるか減るかとい
つて一生懸命
自転車を見ている
ような狭い根性、これがしかも日本の国民のレベルだとおつしやる
ようなお考えでありましたならば、草取りあるいは稻刈りをする人に保険をつけてや
つたらどうでし
よう。もうけを保証してや
つたらどうでし
よう。こういう者には、ほんとうの労働にも
相当しないところの米価を払
つておる。働く人たちに対する二百四十円はどこから割出したのでし
よう。
競輪をやるところの、百円をも
つて損するか得するかわからない
ようなやつに楽しみを与えてお
つて、ほんとうの労働をする人に楽しみを与えないところにあなたのさみしい人生観がある。
競輪というものが
法律によ
つて保障され、自由党の多数によ
つて擁護され、施設が改善される。施設はだれだ
つてきれいな方がいい。これはあたりまえのことだ。だれだ
つてしらみのついている着物よりはしらみのついてない洗濯をした着物がいいことはわか
つておる。しかしここで考えなければならぬことは、
競輪がもうけ過ぎますと、もうけられないところが起る。一方勝てば一方が必ず負けることになる。
競輪がもうけ過ぎますと学校はもうからぬのです。あなたの答弁によりますと、
競輪の設備の改善は
競輪によ
つてもうけた金でやるのだからというのですが、もつと大事なことは学校なんですよ。学校はまるもうけできない。これはりくつから言うと、もうからない学校はほ
つておけということになる。だから、非常に頭の固い反動的な議員が行政監察
委員会で騒いでおるのにかかわらず、警察と
学生とけんかをするのが通常とな
つておるのが現状なんですね。
競輪でもうけたからそれで
競輪場をよくして行くというのであれば、こういう
ような娯楽施設、享楽施設だけがよくな
つて、ほんとうに日本の性根になる
ようなものは少しもよくならないじやないですか、その点を聞いておるのです。その点におきまして、学校とか、健全な方にも、
競輪で五十億の金をもうけられる
ようなもうけ、あるいはそれ以上のもうけを保証して、
競輪場の施設を十五億よくするのであれば、学校の施設も十億から二十億よくする
ような方向に進んで行く
ように、通産行政の内容を切りかえて行くことがいいのじやないか。それさえもできないところに困難がある。その困難を打開する意味合いにおいて、税金はとれないが、百円札を持
つて行
つたら金がもうかるだろうというやつを、さらにもう一回ごまかして、金を
ちよろまかす
ようなばくち打ちの
ようなやつが町全体に出てくれば、国定忠治が出て来るちやんばら映画の
ようなものにな
つてしまうのじやないかということを聞いておるのです。