○田中参考人 去る八日の日に深夜早大校庭におきまして不詳事件が発生いたしまして、まことに遺憾にたえない次第であります。本件につきましてはすでに新聞紙等において相当報道されておりましたので、大体の経過につきましては御了承と存じまするが、なお詳しいことにつきまして、私から報告を申し上げたいと思います。
当日神樂坂
警察署勤務の公安係荻野巡査が、すでに逮捕令状の出ている早大生某の住所につきまして予備調査の必要上、五月六日電話で学生課並びに文学部の某事務官に神樂坂
警察署の荻野であることを名乗りまして、問い合せをしたのでありまするが、用務の都合上、むしろ学校に
行つて要談をした方がよいということになりまして、訪問を約束したのであります。八日午後四時十分ころ、山本巡査とともに早大正門前に到着いたしまして、山本巡査は正門を入
つてすぐ左側の松の木のところに待たせて、單身文学部事務室に入りまして、その事務官に面会をいたしまして、姓名を名乗り、
警察手帳を出して身分を明らかにした上要談の後――この間約十分間であります、校門を出ようといたしましたところ、広場で二百名ばかりの学生が輪をつく
つて、わいわい騒いでいたのであります。山本巡査があるいは捕えられたのではないかと心配して、その付近まで確かめに行く際、このやろう、つかまえろとののしりながら、これらの五、六十名の学生が追跡して参りまして、正門より鶴巻町方面に約三百メートルほど逃げまして、ある民家に隠れて、その民家の妻女の好意によりまして、百十番並びに神樂坂
警察署に急報してもらい、戸塚
警察署員数名がかけつけてこれを救援いたしたのであります。しこうして荻野巡査の行動は、すでに逮捕令状の出ている犯罪容疑者の逮捕令状執行のいわゆる予備調査のために学校を訪問いたしたもので、いわゆる次官通牒に示す集会等の取締りには全然
関係なく、当然学校の了解なくとも学校に訪問できるのであります。犯罪の捜査令状執行等に
関係ある事項で、学校の了解がなくては一歩も校門内に入れぬといたしましたならば、学校内はま
つたく治外法権の地域となりまして、犯罪の捜査に多大の支障を来すことになるのであります。従
つてかかる場合は学校の承認は必要なきものと認めているのであります。本件に関しましては、荻野巡査は念のために事前に一応電話で身分を明らかにし、連絡の上、訪問をいたしております。学生らは荻野巡査が学校にその承認なくして行
つたことについてわび状をしたためろと、強く主張しているのでありまするが、荻野巡査は犯罪捜査の必要上行
つたので、次官通達には全然
関係なく、従
つて次官通達に違反したからというわび状は、書く必要がないのであります。
また一方山本巡査は、荻野巡査が單身文学部事務室におもむくので、君はこの辺で待
つておれと言われまして、図書館わきでベンチに腰をかけて待
つておりますると、洋服を着た二人連れの男がや
つて参りまして、その中の一人の口のあたりに最近直
つたと思われる擦過傷のあとのある二十五、六才の者が、社会部はどこですかと尋ねましたので、わからないと答えると、いきなり開き直
つて、君は外部の者だろう
メーデー事件を知
つているはずだ、またわれわれの仲間をつかまえに来たのか、お前の顔には見覚えがある、と言
つている間に、ほかから五六人の学生が集
つて来たので、そのうち一番大きな男がこのことを連絡して来るから、お前たちは見張りをしておれと言
つて走り去
つたのであります。間もなく二百名ぐらいの学生が山本巡査のところに参りまして、地下室に連れて行こうと一人
の学生が山本巡査の腕をとり、あとの四、五人の学生があとから押して、地下室に入れようとしたのであります。山本巡査は必死にこれを拒否して、何のために不当に地下室に入れられるか、
自分は行く必要はないと抵抗したのであ
つたのであります。この文学部の地下室は、早大細胞活動の本源地であ
つて、ソ連研究会等の事務室があり、共産党員とおぼしい人々が常に出入しており、しかしてその辺はピケラインが常に張られている所であります。山本巡査は
警察手帳を危うく奪取されようとしたのでありますが、頑としてこれを守り続けたのであるが、遂に抗し得ず、手帳の官職氏名欄のところを写眞にとられまして、写眞は正面左右から山本巡査そのものも撮影をせられたのであります。紙と鉛筆を出して学園に不法侵入のわび状を書けと言
つたが、なかなか書きませんので、さらに両方の手を両方の学生の肩にかけられ、あとから押されながら、文学部の事務室に連れて行かれました。そのとき学生らが今一人いたが逃がしてしま
つたと言うことを聞いて荻野巡査が逃げたということを、山本巡査は了承したのであります。やがて二階の教室に連れて行かれまして、このときは、彼は腕時計を見ましたところが、ちようど午後四時二十分であ
つたのであります。百名ぐらいの学生に取巻かれて教壇に立たされて、この
警察官は拳銃を持
つているはずである、
会議をする前に拳銃身処分すべきであると言
つて、教務主任という人が両内ポケツトに手を入れて中のハンケチ、手帳を出しでみなに呈示してまた中に入れ、外側のポケツト等を検索いたしました。そこで不法侵入したことに対して謝罪文を書けと多数の威力によ
つて強要せられ、朝鮮なまりの言葉で、われわれの同僚が
メーデーにやられたのも、この連中にやられたのだ、お前も同僚を殺した一人だろう、あだをと
つてたたき殺してやれ、命はほしくないのか、またある者は、例の方法でやつつけてしまえ、またある者は、三分以内で聞かないと手帳を取上げてしまうぞ、こういうような怒号がありました。この間こずきまわされ、わび状を書かなければまさに危険な暴行を受けんとする緊迫した状態に立ち至
つたのであります。なほ彼は便所に行きたいと申しまして、便所に行くときも隣の便所から監視いたしまして、あと三分で出て来ないと、このとびらをこじあけるぞとおどかされたのであります。山本巡査も身に非常な危険を感じたので、やむを得ずわび状をまさに書かんといたしたところに、神楽坂署の藤原警部補が、山本巡査がとりこにな
つておるということを聞きまして、早大の川原田学生課員に案内されて入
つて来たのであります。藤原警部補が入室をいたしますと、ここでは狭いから広場につれて
行つてけりをつけようと言われて、両手をうしろ手にねじ上げられて、藤原警部補もあとからついて参りました。そうして二人とも広場につれ出されたのであります。ちようど二人がねじ上げられてつれ出されたその瞬間に、十六ミリの映画をと
つた者があ
つたのでありまするが、学生らは後日の証拠にな
つては困るから取上げろと盛んにわめいていた。しばらくしてから、ニュース映画を取上げたから安心しろと大きな声で発表しておりました。やがて両名のつるし上げが数百名の学生のわめき声の中で始められたのであります。現場には川原田学生課員、荻野文学部教養主任がおられました。荻野氏が、諸君さあここで大衆討議で解決をつけることにしようと、あたかも学生につるし上げを承認したような形であ
つたのであります。やがて二十五、六才ぐらいのノーネクタイの男が、議長は
自分が勤める、発言は
自分を通じてや
つてくれとどな
つておりました。了解を得ないで入構したからわび状を書け、書かなければ手帳々出せと、数百名の学生の喧々囂々、怒号喚声が起
つて参りました。そのうちに、ある商業新聞が写眞をと
つたが、不利だから取返しをするために話をつけた、みんな安心してくれ、諸君、一人七、八百円ぐらい出してもらうかもしれぬというようなことを言
つてお
つたようであります。やがて議長は、二人はわび状も書かぬ、また手帳も渡さぬ、どうべきかと大衆に諮
つたところ、こいつらは不法侵入の現行犯だから、われわれの力によ
つて奪
つてしまえと両名のからだに手をかけ、け飛ばしたりなぐ
つたりいたしたのであります。両名は、死んでも離すものかとしつかり前に腕組みをしました。暴行を受けましたので、苦痛に耐えかねてしやがんでしまうと、立て立てと引立てられ、何回か繰返されました。外はすつかり暮れてしま
つて、薄やみの中に、このつるし上げ行為が、怒号喚声の中になお続けられんとしたのであります。ちようど七時四十分ころとおぼしいころ、第四方面予備隊が正門に到着待機の姿勢をと
つたのであります。武装警官が到着した報告があ
つたので、学生らはにわかに総立ちにな
つて、いろめき、あわて出しました。そのとき議長は、諸君、ただいま武装警官が来た。このままの状態でつつ込んだら、この二人の生命は保障できぬが、諸君はどう思うかと言うと、大衆は一段と喚声をあげたのであります。そのうちやがてある部長が学生の前で、ぼくは二階から諸君の行動を見ていたが、諸君の態度は実にりつぱだ
つた、実に涙が出るほどうれしか
つたと言われたのでありますが、こうした一部の尖鋭過激な学生に使嗾されな統制あるつるし上げ行為というものが激賞せられるということは、私どもとしましては、何とも納得のできない点があるのであります。藤原、山本両
警察官に、なおも暴力行為が続けられんとしている際、滝口という学生部長が、荻野巡査が文学部事務室に来て
警察手帳身示さなか
つたのだから、手続をあやま
つて学園に入
つたのだからわび状を出しなさい。武装
警察官が今外に来ている、
事態は急変した、個人の資格でいいからぜひ書きなさい、不利に
なつたらいかようにも弁護してあげる。両者がぶつか
つたら君の責任だぞというように、藤原警部補に攻めて来たのでありますが、藤原警部補は責任上書きませんと申しましたら、ようしわか
つたというような態度をとられたのであります。一方伊藤神樂坂署長は事件勃発とともに七時ごろ戸塚署におもむき荻野巡査とともに早大におもむきましたところ、二号館と本館との間、で学生が盛んに気勢をあげておりました。一同交渉のために学生
生活課に行
つたが、とびらが締
つてお
つて入室ができませんので、再び門のところに帰
つて来ました。ちようどそのとき川原田学生課員が来たので、どうか二人を返してもらいたいということを要望いたしました。七時三十五分ごろにな
つて、午後八時三十分までに二人を返さないときは、やむを得ず実力行使をするであろうと川原田氏に伝えたのであります。川原田氏はこの旨学生に伝えましたが、
警察官が構内に入ることは次官通達の違反であるから、わび状を書けと言
つていました。次官通達の問題ではないと署長がこれを詰問したのでありますが、何回説明しても次官通達の線に違反しているということで了解できませんでした。第四方面本部長衛藤警視正の命により
事態をなるべく平和裡に收拾するために、実力行使については現場の
意見にまかしたのであります。そうして九時ごろ再び現場の署長や予備隊長等が協議の結果、九時三十分までに二人を釈放しないときは実力行使を行うことあるべき旨を申し送
つたのですが、このとき佐々木部長から、今実力行使をしたら二人の生命は学校としては保障できません。二人は手績上過誤のあることを認めているのだから、二人にあやまちがあ
つたことを、署長さん認めてや
つてくれとの申入れがあ
つたが、署長としては応じがたいという旨を申しました。九時四十五分ころ――広場のつるし上げは夜中続いたのでありましたが、そのころ佐々木、滝口両部長が正門におりました伊藤署長の前に現れて、署長の申しますには、こんな状態では交渉はできません、別の所で学校、学生、
警察の三者で会談をしたらどうでしよう。交渉中は学生はいらないから、学生連中は全部帰してもらいたい。また二人を別室に移したらどうかと
提案いたしましたところ、両部長は、学生と相談して来るからと言
つて引返して、学生のところに
行つて、佐々木部長が、神楽坂署長と会見の結果、署長と学校側と、学生の中から十名の代表者を出して別室で交渉すること、また署長も陳謝すべき点は陳謝して始末書を書く、そうして解決と同時に学生も予備隊も一緒にぱつと引揚げることにまとめて来たが、諸君どうだと言
つたので、学生の中から拍手が起
つて参りました。これは署長の意思を推量して言
つたのでありましようが、署長の意思とは大分かけ離れてお
つたようであります。そこで、
一般の学生群から見えるところがよいというので、法学部の一階の室を会見場ときめて、
関係者が全部一室に入
つたのであります。これが九時五十五分でありまして、つるし上げが始ま
つてから、実に五時間三十分以上も時間が経過しておりました。こうしたつるし上げ行為は、多いときは一千名の学生群の中に包囲されて、多数の威力を背景として、あらゆる罵詈讒謗、暴行脅迫が行われたのでありました。ほとんど身体の自由が失われているこういう場合には精神的威圧を受けることが、すこぶる大きいものであります。この状態はまさに不法監禁に該当すると認められます。そこで交渉する部屋は電燈がともされ、窓が全部あけられました。外部の学生群と中の学生群とが相互に連絡ができるように、窓をあけたのであります。最初学生代表十名くらいが中に入
つておりましたが、逐次その数を増加して、おそらく二十名以上も学生が周囲を取巻いてお
つたと思います。会談は比較的冷静に行われたと思われますが、ただ内外の学生が相呼応して喚声をあげて、喧噪をきわめました。この交渉の状況は、外部とほとんど連絡がとれぬ、また自由に出入ができない状態でありました。すべて相互の交渉は自由に連絡すべきところには連絡し、指揮を受けるべきときには、指揮を受ける状態で交渉すべきであると思います。この三者会談は
警察側にと
つては不法監禁または不法軟禁の状態での会談であ
つたと思います。少くとも山本巡査、藤原警部補、伊藤署長は絶対に足どめをされました。そのほかに三人の
警察官が護衛連絡のために随行いたしましたが、十一時ごろまでは外部に一、二回辛うじて連絡したが、あとは学生らに妨げられ、また遮断されて連絡の方法がま
つたく断たれました。どのように連絡が遮断されたか、どの
程度に制限されたかを実例について申し上げますると、藤原警部補は議長の許しを受けて、第一回に外へ出たのでありまするが、その際学生代表二名が監視として随行、そのとき入口のドアーにおりました学生らは、連絡の
内容を発表しろとどな
つておりましたが、この随行の学生によ
つてそれは制せられました。第二回目に連絡のために外に出ようといたしましたときは、正門のところまで二、三名の学生がつき添
つて時間も五分間だけ許されました。もし五分間以内に帰られぬときには、その都度許可を受けろ、こういうことでありました。第三回目に連絡のために出ようといたしまして出口まで行
つたが、外とは学生らのために遮断されて連絡不能に降りました。交渉の最後の段階で、伊藤署長が滝口議長の許しを得て、広場を距てた本館の部屋の電話をかけに行
つたときも、前に一名、あとに四名ぐらいの学生の見張りがついて、電話口のそばに学生がついていて、全然通話の自由はありませんでした。しかのみならず外には八、九百名ぐらいの学生群がさきに申しましたように内外相呼応して喚声をあげておりました。ま
つたくこの平和交渉というものは、決して自由な交渉ではない、多数の威力によ
つて脅迫された会談であ
つたのであります。前に広場でつるし上げが行われたが、ただ場所が部屋の中に
なつたというだけで、ほとんどこの状況
はつるし上げ行為と同じような状態であ
つたのであります。しこうしてこの会談の
内容は、結局わび状をしたためろ、したためないの一点に集中いたされております。
警察署長は早く二人を帰したいので、
自分らは徹夜してもいいからどうか二人を帰してくれと要望いたしましたが、二人を帰すことは許されなか
つたのであります。だんだん話が進んで、学生らも山本巡査は通達違反ではないことが若干了解されたようでありまするが、荻野巡査の学園立入りは、彼が文学部事務室に来て最初話をしたとき、
警察手帳を見せず身分を明らかにしなか
つたから手続上過誤がある。だから学園に無許可で入
つたのであるから、わび状を書くべきだというのが学生の主張であ
つたのであります。しかしながらさきに申し上げましたように、荻野巡査は名前を名乗り、また
警察手帳も
はつきり示しておるのであります。そこで山本巡査の方は学生も了解をいたされましたので、連絡のためについておりました一
警察官が、さあ山本君立とうと、彼の腕を持
つて立ち上らせようとしたときに、学生一同は総立ちにな
つて、口々にそいつを帰すなとわめいてお
つたようであります。山本巡査を救い出そうとしても、ただちに数百の学生がいきり立つ状態でおります。こうな
つては平和的な交渉とは名ばかりで、ま
つたく監禁の状態であります。いつまで交渉いたしましても、
警察側としましてはわび状を書かぬと主張するし、学生側は書けと主張いたしますので、双方の
意見がま
つたく対立いたしまして、いつまでた
つても解決の徴候さえ見えぬ状態でありました。これ以上の交渉の継続はむだであるという状態にな
つて参りました。佐々木教育学部長に対して連紹の
警察官が怒
つて、一体山本巡査を監禁する理由がどこにありますか、何の権限であなたは監禁するかと詰め寄りましたところが、佐々木堂部長は山本君を監禁する権限はない今署長が連絡している、わび状の返事がすぐ来るからしばらく待
つてくれ、とこう言
つたのであります。このわび状の連絡と申しますのは、署長がとてもこれでは解決ができぬと
考えましたか、もし荻野巡査に手績上の過誤があるといたしますならば、わび状を書こうということを約束いたしたのであります。そこで藤原警部補が外へ出まして、いろいろ調査してみましたところが荻野巡査は決して身分を秘匿していない、身分を明かし、また
警察手帳も示しておる事実がわかりましたので、伊藤署長としては
はつきりわび状を書かないということを言
つたのであります。今署長が連絡しているわび状の返事がすぐ来るからしばらく待
つてくれというのは、藤原警部補が外へ連絡に出ておるから、しばらく待
つてくれという意味であります。そこで伊藤署長としては何とかして山本巡査と荻野巡査の二人を帰したいと
考えまして、さらに佐々木学部長さんどうでしようか、二人を帰してくれたならば、予備隊と学生とが同時に解散して、あと
警察と大学側と徹夜して会談をやりたいと思いますがいかがでしよう、と言
つたのでありますが、これもただちに拒否せられたのであります。
十二時ごろにな
つて、そばに連絡のためにおりました
警察官がふと思い出しまして、山本君、夕飯を食
つたかという問いに対して、山本巡査が首を振
つたのを見まして、佐々木学部長は、そうそう忘れていた、何かあるだろうと学生に命じたあとで、どんぶりを
一つ持
つて來ていただきました。もちろん山本巡査は手をつける気持にならなか
つたようであります。山本巡査が一時ごろにな
つて、疲労困憊その極に達して来たことを、全部の者が認めたのであります。そこで二階の教育学部長室のソファーに寝かして、発熱しておりまするので、水を手ぬぐいに浸して冷やしていただきました。学生が数名つき添
つておりました。ただ学校側とされましてはかように飯を出され、またソファーに寝かしていただいたことほ、私どもといたしましては非常にありがたい措置と
考えておりまするが、しかし飯を出され、またソファーに寝かされましても山本巡査が帰りたいという意思は、ま
つたく束縛されておるのでありまして、やはりこれは監禁の状態であると
考えざるを得ないのであります。
当時の模様は、單に山本巡査のみならず署長もしかり、藤原警部補もまたそのほかの護衛連絡のための
警察官も、今やま
つたく完全に外との連絡が断たれたような状態でありまするので、これらの者全部がちよつと監禁されたという状況にな
つております。これはまさに違法状態であると私は
考えます。山本巡査は実に十時間の監禁であります。藤原警部補にいたしましても、八時間以上も束縛されてお
つたのであります。
遂に一時過ぎ伊藤署長は、会談が決裂の状態で少しも進捗いたしませんので、今までの経過を報告するとともに、緊迫した情勢下にある現在の状況を本部に話し、もはや平和的な手段で解決の方法も見出されない、心中実力行使を本部長に要請するために、また今後の指揮を仰ぐつもりでありますか、瀧口議長の許しを受けて本部長のところへ電話をかけたいということを申し出たのであります。そこで藤原警部補は別館に五、六名の学生に監視されながら電話をかけようといたしたのでありまするがその際に実力行使が行われたのであります。私はこの事件を通じて見まして、教授の方々も学生と同様次官通牒の趣旨というものが、まだ十分におわかりにな
つていないのではないかと思うのであります。何ら次官通達に違反していないものにわび状を書けということでありますが、あるいは学生の手前、あるいは学校の
立場から、あるいはまたなるべく事件を早く解決したいという気持から言われたのかも存じませんが、また次官通達の趣旨というものが、学校の先生にもまだ十分おわかりにな
つていないのではないかということも、一応
考えられるのであります。もし学校の先生に次官通達の趣旨がわか
つていないというのならば、学生にもまだわか
つていないのも無理はないのではないかということも、一応
考えられるのであります。私は今後こうした問題が再び繰返されないために、十分に先生みずからが次官通達をまず理解されると同時に、十分に学生にその趣旨の徹底をはか
つて、今後学校、
警察間のトラブルを絶対なくするように、お互いに努力をせねばならぬと
考えております。
それからなお署長が一旦わび状を書くと確約したのであるが、外から書くなという命令があ
つたから、途中で署長は翻意して書かなく
なつたということが宣伝されておりますが、これはそうではないのでありまして、署長としては最初からわび状を書く意思はないのであります。ただ荻野巡査が手続上間違
つてお
つたならば書きましようということを言
つたのであります。ところがこれが間違
つていなか
つたので、これ々書く必要はない、そこで署長としてはわび状を書くことを拒否したのであります。
それから実力行使と交渉打切りの
関係でありますが、現場における交渉は継続されてお
つたのでありまするが、室の内外に学生が充満して、盛んに気勢をあげておりまして、多数の威力によ
つてわび状を書かせようとしていた状況で、ほとんど内外の連絡すら思うようにできない状態であります。しかも
警察側としてわび状は書かぬと主張しているし、片方は書けと主張しているのでありますから、両者の意思はま
つたく対立して、交渉継続の見込みのない状態であります。何とか現場の收拾策といたしまして、島田総長に直接御依頼を申し上げるほかに道はないと
考えまして、午後九時五十分ごろに増井警備第一部長、衛藤第四方面本部長、江間前戸塚署長らは、島田総長の私宅を訪問しまして、一時間余にわたりまして、いろいろ折衝を重ねたのでありまするが、総長は本問題について最も信頼できる佐々木教育学部長、瀧口学生部長、川原田学生課員の三人がいるから、総長が出なくても円満解決ができると信ずる。
自分は自宅で事件解決を指揮する、こう申されまして遂にお出かけにならなか
つたのでありますさらにまた最後に総長はこう申されたのであります。問題の中心はわび状にあるらしい、この点ちよつと見通しが困難である。交渉の経過については川原田学生課員をして連絡させるから、
警察側はこれによ
つて判断せられ爾後適当な措置を願いたい、こう申されて一応会見を終
つたのであります。その後川原田氏から電話がありまして、その
内容は次官通達に反しているから、わび状を書かなくては事件が解決せぬというようなことをまた言い出されたのであります。衛藤本部長は電話であなたは次官通達の
内容をよく御存じなんですか、またかかることを言
つていらつしやいますが、これ以上交渉の余地はありませんから、交渉はこれで打切ります。どうかこの旨を伊藤署長に伝えてくださいませんかとお願い申し上げましたところが、伊藤署長には
自分は伝える義務はない、それではしかたがありませんから、佐々木学部長に交渉打切りの旨をお伝え願いたい、そこで一応交渉打切りのことを川原田学生課員に通達をいたしました。そこで増井部長は最後の断を下すところに到達いたしましたので、島田総長にさらに電話で連絡いたしまして、川原田学生課員からの最後の電話の
内容を伝えたのであります。そうしてさらに現場においては解決の望みは絶無であることを申し述べまして、
警察官は依然監禁の状態であります。釈放の措置がされない限り、実力行使によ
つて救い出すほかに道がありません。この点支障かないかいかがでございましようかと念を押して、そこで島田総長もやむを得ないであろうというようなお答えであ
つたように思うのであります。
そこで方面本部長は田原警視、名取警部を現場に派遣いたしまして、西原第四方面予備隊長、石村第五方面予備隊長に、実力行使の命令を授くるとともに、田原警視、名取警部が会見現場に赴いて中にいる署長に、会見打切り実力行使の予告をするために、予備隊員の護衛のもとに、これは予備隊員の護衛がなくては非常に危険でありまするので、予備隊員の護衛のもとに
会議場に行こうとしたところ、たちまち
会議場等の電燈が消され、とびらは嚴重にとざされました。学生らは出入口をふさいで、中に通させないというようなことに
なつたのであります。こうしたときに、中に入ろうとした
警察官と学生との双方の間に乱闘が起り、事実上すでに実力行使の状態とな
つてしま
つたのであります。従いましてこの会見打切りの警告も不可能の状態にな
つてしまいました。
以上の通り交渉はや
つていたが、これはま
つたく軟禁された状態での交渉で、全然解決の見込みなく、また交渉打切りの通報は、大学側には衛藤本部長より、その旨電話にて確実に川原田学生課員に申し伝えましたが、伊藤署長には伝達途中にて乱闘状態となり、伝達不可能の状態にな
つてしまいました。従いまして
警察側としては、一方平和的交渉をや
つているのを無視して、突然横から実力行使をしたではないかというようなことは当らないのであります。また本事件は必ずしも偶発的でなく計画的ではないかという見方も若干あるのでありますが、この点はあまり長くなりますから、省略さしていただきたいと思いますが、そのおもなることを申し上げますと、本事件は一部学内に巣食う尖鋭分子の指導する計画的行為ではないかと思われるのであります。学内には常に過激な不穏ビラがまかれ、また張られ、善良なる多数の学生をアジ
つております。細胞活動は相当活発に行われております。一日の
メーデーの際も、これら過激分子は参加して積極的に活動しております。たとえば
メーデー当日夜、並びに翌日早大校庭でデモを行い、皇居前広場での負傷者の資金カンパを計画して、学校側から拒否せられ、校内でデモを
行つております。おそらくこれらデモを行
つたグループが、その指導権をと
つて活動したのではないかと思われます。多数の学生がおりましたが、あとは附和雷同的に参加した者が相当あ
つたようであります。
なお写真を取上げるときに、商業写真云々とい
つたような言葉より見て、つるし上げの処置がすでに前も
つて決定してお
つたのではないかと思われます。なおつるし上げ中にも、たえず共産党の署名入りのビラがまかれて、学生の中からたしなめられたような事実もあ
つたようであります云々。山本巡査誰何の際は、二人の男が呼びかけたが、外部の者とわか
つて、その瞬間に学生がただちに集ま
つて来ました。また文学部の地下室にまずひつぱり込もうとしたような事実がありました。また写真を取上げたような事実、こうしたようなことは、何か思想的背景を暗示するようなものではないかと
考えられるのであります。
なお本事件が相当平和的交渉のうちに交渉を進められてお
つたのでありますが、実力行使にならざるを得なか
つたということは、
警察側といたしましても、学校側といたしましても、まことに遺憾にたえないのであります。また実力行使の現場におきまして、
警察官並びに学生側にも相当な負傷者を出しましたことも、まことに遺憾にたえません。また当日
警察官の活動状況におきまして、行き過ぎの点があ
つたようにも思われます。この点も私は遺憾にたえないと存じております。
なお相当学生側に負傷者のあるようなこともわかりましたので、戸塚署ではただちに四谷、澁谷の両消防署に救急車の手配をいたしまして、一時四十分ごろ救急車が現場に到着いたしまして、四谷消防署の車で戸山国立病院に男一名、岡崎病院に男三名、女一名、訂五名、澁谷消防署の救急車で戸山国立病院に男五名、計十名を送り、これを收容いたしました。
以上をも
つて早大事件の状況を御報告申し上げたのでありますが、まことにこうした事件の起りましたことは、私どもといたしましても、遺憾にたえないところと思う次第であります。