○飯田
公述人 私は與えられました四つの
税制の一部改正の中で有価証券の譲渡利得税の問題、それから同じく有価証券の配当の源泉徴收の問題、それから法人
課税が今度増加した問題、この三点につきまして問題の点だけを拾い上げまして、
意見を申し述べてみたいと思うのであります。
第一に有価証券の譲渡利得税でありますが、これは大分廃止されるような
傾向にあるということを聞いているのでありますが、最近のところでは結局十万円の
控除をも
つて、一部
内容が修正されたのみで、今後継続するということにな
つているらしいのであります。その点につきまして
意見を申し述べてみたいと思うのであります。この有価証券の譲渡利得税は、根本において廃止されるべきものだというのが私の
意見であります。なぜかと申しますと、有価証券を買う、株式を買うとい
つた場合の大きな問題は、それが心理的に非常に左右されるという点であります。証券を買うということ、つまり証券の形において蓄積するということは、これは米を買
つたりしようゆ、みそを買
つたりする
生活必需品関係のものではない。その人の処理作用によ
つて影響されることはもちろんでありますが、しかもその心理作用というものは、資本の臆病という言葉が昔から申されております
通りに、相当デリケートなものであります。かような
税金がありまして、しかもこの
税金が実際問題としましては、株式を買うと幾らの利得があ
つたかというだけの問題ではなく、いかように買
つたか、あるいはまたその買
つた資金がどこから出て来ているかというようなことを、税務署の方で一々調べられるというようなことになりますと、だれも好んで株式なんか買うというような気持になれない。それ以外に蓄積の形態は銀行預金にしろ何にしろたくさんあるのですから、結局株式なんか買おうという意欲を、これですつかり追つ払
つてしまうということになる。株式
制度というものがあり証券市場というものがあ
つて、その役割を果さなくちやならぬというからには、この
税制というものは現実に株式の形で蓄積しようという意欲を、非常に阻害して行く、これが一等根本の問題であります。それから株式でボロもうけをしたというようなことがよく世間で言われますが、それはごく短期のブームの間のことであ
つて、長い目で見ますと、株式というものは一定の間を往来して振幅する。一人の人について見ましても、あるときはもうか
つたがあるときは損する。また大勢を見ますと、ある人は損してある人は得するというわけでありますが、大体において個人の投資家というものは、まず総じてですが、十中八九損すると見てさしつかえない。これは
日本だけではない。
アメリカあたりも
統計をと
つておりますが、大体九五%ぐらい損するだろうという
数字が、これは実際の裏づけはどうかと思いますが、言われているくらいなんです。そうしまして結局やはり保險会社とかあるいはそのほかの金融機関の大きなところで、その
利益というものはとられている形があるのであります。でありますから、そうした
課税対象に向
つて税金をとろうということになりますと、大体の人は損しているから、むしろほかの
所得から引いてもらえるとい
つたようなことにな
つて、実際の税收の成果としては幾らも上るまいということが、想像しやすいのであります。ただしかし、まれにもうか
つた人があり、
負担の公平という点からそういうことを見のがすわけに行かぬということであれば、これはまたりくつとしては当然でありますが、しかしなおその他の一面に徴税技術の上で相当めんどうな手数をかけなくては、この
税金は正確に徴收されない。これは御承知の
通り、今日東京だけの取引所でも五百万株、場合によりますとこの前なんか一千万株以上という取引ができておりますが、單位当りは大分上
つておりますけれども、これを一々洗い上げるということは容易ならざるわけであります。しかも甲の店から買
つて乙の店に売
つている。あるいは東京で買
つて大阪で売
つているというようなものが合わなくては、その株の利ざやというものがはつきりしない。そうなりますと現に証券業に従事している者が、今日大体四、五万もありましようか。それくらいの事務員の手数が徴税のためにまた極端にいえば必要である。しかも毎日々々の取引というものを追究して、一箇月前に売
つたものを今買いもどしたとか、あるいは今買
つたのがいつ何どき買いもどされるかというようなことになりますと、実際問題としてこの徴税技術というものは非常にむずかしいので、売買の経過を一々たど
つて行くということは不可能に近い。よし一定の量以上だけに限定しようとしましても、たとえば一千株以上だけの利ざやだけを求めようとするとあるいは五百株にする、五百株にするというと今度は三百株にするというようなことで、どうしても
税金を回避することが行われますので、そうい
つた点から見ましても、取引の上に非常に不明朗な暗影を與えるという点からどうもおもしろくない。今申し上げる
通り徴税の上に実際の効果がないのみならず、取引の上では非常におもしろくない影響を與えるというわけであります。なお十万円の限度ということでありますが、きよう日の十万円と申しますと、戰前のまあ三百倍としますと、かれこれ三百三十円くらいの値打きりない。かりに今日の価格にいたしましても、株式市場あたりに打
つて出る
連中はみなうぬぼれの強いもので、十万どころか三十万、四十万もうかるつもりでいるのです。その実実際は先ほど言う
通りかえ
つて損して帰るのですが、その結果として十万円というように考えましても、年にこれだけの
控除くらいでは問題にならない。これは大体
控除でかれこれ言うべき筋合いのものでなしに、根本において廃止さるべき性質のものだ、かように考えます。
こまかい点はいろいろありますが、ごく大筋だけ申し上げますと、次に配当の源泉
課税でありますが、シヤウプ・ミツシヨンでの規定では、長年配当の源泉
課税があ
つたものが全部解放されまして、銀行預金が
税金をとられているにかかわらず、配当
所得というものは源泉なしで来た。今度伺いますと、二割だけ一応徴税しまして、あとでまあ返されることにはな
つておりますが、とにかくここに源泉
課税というものが、もう一ぺん出て来たということにな
つております。これは徴税技術上、やはり返してもらえるとは言いながら、実際問題としてはそうは行かないというようなことは、一般に言われている
通りでありますが、この源泉
課税の影響としまして投資家の受ける感じというものは、やはり二割は天引きされるんだとい
つたような感じが強いと思います。
税制の実質はそうではないのでありますが、どうしても実際上そうなりがちだということであります。そうしますと、今日の株主の
所得に二割方の減額を来すことになる。現にこの一月からすでにそういうことが行われている。最近の株式は御承知の
通りに、利潤証券としましてかなり利回りのことをやかましく
言つている。ちようど今有配会社、つまり配当しています会社の平均利回りというものは、年末まで一割二分くらいのものが平均利まわりにな
つている。つまり有配会社の平均の配当率は二割六分くらいのものでありますが、今の市価でそれを割りつけますと、一割二分くらいであ
つた。それが年が明けまして最近では、市価の方が高くな
つているものですから、それでその配当率を割りつけますと、まあ一割一分を割
つたというようなところにな
つています。これが非常に問題にな
つている。また外人の投資については、利回りということは御承知の
通り非常にやかましくいわれている。これが結局株をある程度まで買うか買わないかの、
一つの
標準にな
つているわけであります。またそうあるのが当然であります。でありますから、二割方利回りが少くなるとどういうことになるかと申しますと、二割配当をしている会社があ
つて、一割の利回りなら百円まで買える。それが二割
控除ということになりますと、百円の時価のものが八十円に低下することになるわけであります。利回り採算という点から申しますと、二割方信用の收縮になる。今日東京証券取引所で上場されている株の時価は大体三千億円であります。その二割方と申しますと、かれこれ六百億円というものが、この
税制のために信用收縮を来す、かように見ていいのであります。この信用收縮から来るいろいろな影響がこの際考えられなければならない。そうしますと、さしむき大きな問題は、今日の企業は御承知の
通り外部負債が多過ぎる。自己資本が少な過ぎる。このアンバランスを直すことが、今の企業界では立て直しの最も基本的な対策にな
つているのでありますが、信用收縮の結果、増資払込みがそれだけ困難になるわけでありますから、必要な企業資本の是正という点が、よほどこれで後退、抑圧されるということは考慮すべき点だと思うのであります。
さらに、これは利害関係になりますが、今日株主の
所得は
——大体戦後の例としまして、企業の内部に蓄積することが非常に奨励される。これはけつこうなことでありますが、しかしおのずからそこにはバランスがあり、大体の程度というものがある。われわれの見るところによりますと、今日の企業の分配状態は、少し社内保留に片寄
つている
傾向がなくはないかと思うのであります。戦前におきましては、事業会社の
利益は約半分ぐらいを外部の株主、つまり配当として社外に分配いたしまして、あと半分くらいを内部に
——重役の賞與とかあるいは償却そのほかに分配するというのが普通でありました。電鉄とか電気事業のような経費のきま
つたところでは、償却の多少遅れている点もありますが、七、八割までは外部に分配して二、三割方を内部保留とい
つたことで済ましていた。ところが今日はどうかと申しますと、配当にまわすものが、戦前の約半分あるいは七、八割に対しまして、全收益額の大体一割見当と見ていいと思いますが、最近少しよくな
つて、あるいは一割一、三分というところへ来ているかもしれません。あとの八割何ぼ、九割そこそこは内部に保留している。もつともこの大きな違いは、あとに出て来る法人税の問題がありますが、戦前の
税金はそう大してかからなか
つた。今日では三割五分、今度四割二分になるそうですが、三割五分はまずも
つて税金でとられる。でありますから、戦前と比較するためには、今日の
利益分配はその三割り五分の
税金を
控除したあとの六割五分のうちで、どれだけ社外に分配をし、どれだけ社内に保留するかということが問題になるのでありますが、その六割五分のうち一割というのでありますから、六割五分を百とすれば、二割足らずのものが社外に分配される。そうしますと二割足らずというのが、戰前の半分ないし七、八割と同列に比較できるのですが、戦前よりか半分以下の分配しか株主には與えられておらないことになる。もつとも今日は資本家経営の時代、つまり株主が権力を振
つてお
つた時代とは違いまして、社会的に経営者時代とでも申しますか、よほど時代が違
つて来ておりますので、分配がそれに応じて違うのは大きな目から見て必要でもあるし、また戦後の経済復興という点から、社内保留に重点を置く必要もあ
つたと思うのですが、しかし戦前から見て二割足らず程度の分配率で甘んじておる株主に対して、はたしてこれでいいかどうかという点になると、そこには相当大きな問題があると思う。大体社内保留さえしておけは、これが生産の大きな資力になる、外部負債の返済その他にもなるというふうに、きわめて有効に使われることのみを考えておるのですが、しかし今日社用族がどうのこうのといわれておる時代に、とかく寄合い世帯の多い企業内部で、はたして社内保留がしかしか効果的に、能率的に使われておるかどうか。株主に與えられた資金は、これはやはり個人の責任においてそれ相応に使われるわけでありますから、一概に社内保留を絶対的に支持し、株主に分配する資金を非能率あるいは非経済的だとのみいえない点がある。これからの経済の民主化の時代には、この点はひとつ御考慮願いたいと思うのであります。
第三は、法人税であります。これは四割二分になりまして、そのかわり償却を十分させてやろうとい
つた税制改革なんでありますが、これにつきまして第一にどうして三割五分で一応おちついてお
つたものを、四割二分にしなければならないかということが、われわれには
一つの大きな疑問なんであります。これはおそらくここ二、三年の間企業の收益がどこでも非常に上
つておる、企業利用が多いとい
つた一般の新聞雑誌あたりの輿論とでも申しますか、そういうことから法人税を高率にして、そのかわりほかの方で多少緩和するとい
つた調節の必要を感ぜられたゆえんではないかと思うのであります。しかし、はたして
日本の企業が今伝えられておるがごとく、高收益を上げておるかと申しますと、これは非常に大きな見当違いをしておるのではなかろうか。この点はよくいわれておる点でありますけれども、この
税制の改革される基本情勢の分析として、よくお考えおきを願いたいと思う。たとえば今日企業資本がどれだけもうか
つておるかと申しますと、使用総資本という点から、外部から借りたものとか、何もかも自分で使
つておる企業資本全体から見ますと、最近の
数字はまず三、四分からせいぜい六分と行かない、五分程度のものだと私は思うのであります。この程度の企業收益から申しますと、過去における
昭和四、五年の
世界恐慌のときとか、あるいは
日本のこれまでの不景気のときから、ちよつと出たくらいの企業收益を上げておるにすぎない。お金は資本にたくさん使
つておるが、收益はそう上
つていない。ところが自己資本、つまり外部から借りた負債は一切のけまして、自分の資本金あるいは積立金、内部保留というものから見ました
利益はどうな
つておるかと申しますと、まず四、五分、七、八分というのが普通であります。たとえば三越なんか、これは一年くらい前の
数字でありますが、資本金は九千万円であ
つて、五割の配当をしておるようなところは、あの内部保留というものは、二十四、五億の再評価積立金を持
つている。そういう点からしますと、自己資本に対する收益というものは、五割配当が多いの、あるいは收益が非常に多いのと申しますが、わずか一分六厘だ
つたと私は記憶しておりますが、その程度のものです。あれを時価に引直してあの率をと
つたら、おそらく一分にもならぬでしよう。再評価積立金と、時価よりはるかに低いところのあの自己資本を基礎として、そうしてあげた收益の
割合を見ますと、一分六厘そこそこのものにすぎない。そういうふうに自己資本に対する率も非常に少い。ただ多いのは配当金が多い。今日三割配当、四割配当というものは至るところにある。昔の配当というものは、一割二分も配当すれば非常にいい方で、普通は一割とか八分の配当であ
つたものが、それが三割とか四割の配当にな
つているということは、これは言うまでもなく資本金が昔の帳簿価格のままとは申しませんが、それから幾らも増加していない。十倍、二十倍、三十倍ぐらいは増加しておりましよう。しかし
物価はあるいは二百倍とか三百倍とか増加しているというような点から見ますと、ほとんどその十分の一というようなところにあるのでありますから、極端にいえば、
貨幣価値という点からすれば、今日三割の配当とい
つても、三分の配当、十分の一くらいに、資本と対照しまして、見てもさしつかえないくらいなものなのです。こういうふうに資本金が寡少
——配当率というものは株主の払い込んだ資本金に当てるのでありますから、これが
標準になる。従いまして三割配当の四割配当のというと、いかにもあの会社は景気がいいというようなことにな
つておるのでありますが、これは資本金が小さ過ぎるからそうな
つておる。その会社が使
つておる資本全体の額、使用総資本からいえば、せいぜい四、五分、自己資本から見れば大体七、八分、資本金だけから言えば、半年の間に資本金くらいもうかる会社は幾らもある。これは資本が小さいからで、相対的なものであ
つて、配当が多いのではない。この点がいかにも誤解を生んで、四割二分への法人税の引上げというようなものが、やすやすと行
つたのじやないかというような感じがするのであります。むろんそんなことは先刻わか
つているというふうに、専門の方は
皆さんお考えにな
つているに違いないのでありますが、しかし大、衆を
背景としては必ずしもそうとのみは言えない。それから法人税を今度三割五分から四割二分に上げます場合に考慮しなければならぬ点は、
世界的なインフレがだんだん発展して、
日本再軍備の線が強く押し出されて、経済情勢全体が膨脹するというような観点からしては、あるいは四割二分くらいの
税金は何でもないじやないかというふうに、一応大ざつぱに考えられるのでありますが、もう
一つ内容を、今の経済をめく
つてみますと、情勢はもつとじみなものなんです。特に最近の企業收益で見のがすことのできないのは、米が
上つたり電気料金が
上つたり、そのほか通信費とか運賃の値上りというもので、コストが非常に高くな
つております。
物価は
世界的な中だるみ、ないしは
日本は少し割高でありますが、そうそうコストが上るように上げられない。従いまして利ざやがかなり縮小されている。企業それぞれにも非常にむらがあるというようなわけで、一般的に見ましても、利ざやが縮小しているという点から、今後だんだんに收益が上げにくい。従いまして
税金としましては、三割五分程度ならいいが、四割二分もというようなことになりますと、かなり圧力を感じる気持が強くな
つて来るのではなかろうかと思うのであります。この点は経済界がだんだん安定経済になりますと、やはり企業経営者としてはもうけにくくなるたけに、またぞろ過去のような税をのがれようというような弊害が、出て来なければ幸いだというふうに考えるのでありますが、この利ざやの縮小で四割二分の圧力が相当相対的に加わ
つて行くという点を、ひとつ御考慮願いたい、かように思うのであります。
それから最後に一、二ちよつと申し上げて、ぜひひとつ御考慮願いたいと思いまます点は、第一に、
日本の現在は、経済復興というような建前からしましても、また経済自立というような点からしましても、資本蓄積が根本だということは、これはもう一昨年あたりから何人もほとんどお念仏みたいに唱えて来ている。この資本蓄積の必要ということは、お互いが使うものをなるだけ節約する、生産をできるだけ増加して、そうしてそこへ蓄積を多く残すという生産活動、あるいは
消費生活という面からも考えなければなりませんが、資本を尊重するということが、やはり資本蓄積の根本になる。そこへ参りますと、資本とは一体何ぞや、何を尊重するのか。その最も具体的な姿が、これはやはり株式です。銀行預金よりか株式。それは銀行預金はある
意味において貸付資本、株式というものは擬制資本、それぞれ本来の
意味の資本という抽象的な観念からすると、
一つの條件はつきましようが、しかし最も具体的には株式なのです。ところがこの株式市場というものが、資本蓄積のこれだけやかましい時代に、だれが尊重した政策をと
つているか。これはまあ最近
大蔵省あたりがしきりに考えてはおられるようでありますが、しかし相対的に考えると、よほど片手落ちにな
つている。資本の尊重つまり資本そのものとしての株式、あるいはその市場としての資本市場、証券市場というふうな施策というものが、とかく片手落ちにな
つている点は、たとえば
日本開発銀行なら
日本開発銀行というものができておる。れは
日本の資金の足らぬところへ
政府資金を出すとい
つたようなわけですが、そのとき証券市場というものは、民間の資金を動員して産業資金に出す
一つの機関なのです。それがあわせて考えられているかというと、あわせて考えられない。株式市場というものは何か半分は賭博をしておるように考えられている。これは業者の悪い点もおそらく伝統的に多少残
つているのではありましよう。そういう点ではそこにむろん問題があるわけでありますが、しかしこれからの復興に対する
一つの役割としては、
日本開発銀行が必要だ、あるいは長期投資銀行が勧銀、興銀を越えて必要だというなら、なぜそれとあわせて証券市場というものにもう少し考慮を加えないか。これは
税制という観点から多少逸脱した考え方ですが、しかし
税制の上でも、やはりそういうことも考慮のうちに入れながら、行われるべきものではなかろうか。それから資本蓄積という観点からそうであるばかりでなしに、一体
日本経済というものは、大体明治の初めから
国民の蓄積というものが、どつちかというと預金形態に片寄り過ぎているのです。郵便貯金に預ける、あるいは銀行に預けるということを中心にして発達して来ている。直接投資としての株式投資というふうなものは閑却されている。これも株式をや
つたがために、田畑を売
つて一家離散したというような例が災いしている。そこにはそれ相当にやはり施策が必要なのでありましようが、預金中心にここまで来た
日本の経済というものをどう見るかということは、経済民主化というような、
日本経済が再編成される観点から、私は非常に考えなければならぬ問題だと思う。資本蓄積が必要だという観点からしますと、ともかく直接の投資という形態で、そこにできるだけ資金を置かせることが
——その投資したものは自分が投資したんですから、利害関係につながる。その事業が伸びることを期待する。そのかわり悪くなれば自分の責任においてこれを処理しなければならぬ。これほど経済復興に直接の関心を持つ貯蓄の形態はないわけです。銀行あたりの預金として、そして二次的にそれが産業資本になるとい
つたような形では人まかせである。
日本の経済民主化というものは、極言すれば私は自分のためるお金というものが、自分自身が責任を持つという形態のものでなしに、人まかせでやるという形態である限りにおいて、
日本の経済民主化というものはできないのだ、こうい
つたような感じを実は持
つているのであります。この前ドツジさんが参りましたとき、これはある銀行でのちよつとした話でありますが、
日本人ほど銀行の支配を受けているものはない。銀行の期限が来た、不動産なら不動産を抵当に入れてお
つて、それをあすにも売るぞといわれると、これは銀行の言うことだからいたし方がないというふうなことで、抵当権を処理する。そういうふうなことは、これは経済民主化ということから非常におもしろくない。
日本人から見ると、ともかく担保にとられているものを、お前は期限に金を入れないから、これを処分してしまうんたといわれたら、だれもそれはいやだとは言えない。これはそういう契約で最初から金を借りたんだからいたし方ないという。これが常識でありましよう。ところが外人、特に
アメリカ人あたりから見ると、私がちよつと異様に感じたのは、そういうことはもう少し話合いの上で何とかならぬものか。そう銀行のいうことばかり聞かんでもいいじやないか。これがあれだけ検査のやかましい
アメリカ人の考え方です。それが有価証券の形、資本の形で集められておるというなら、これはお互いに出し合
つた資本なんです。その資本を話合いの上でもつと民主的な運営というものができる。だから
日本で最も遅れておるのは資本市場だ、これが前提だということも彼ドツジ氏が
言つていたのでありますが、この点からも私はよく考える必要があると思います。でありますから、その
二つの観点から、証券つまり資本、あるいは資本市場とい
つたようなものに対しての、
税制のみではなく、大体これまでの考え方というものは、非常に閑却されているということを、根本問題としてお考えおきを願いたい。特に株に対する
課税でもそうでしよう。明治以来今日までの経過で配当に
税金をかけないとい
つたのは、シヤウプ・ミツシヨンだけです。その前自由経済時代にはむろんかけておりませんが、その後は大体銀行預金というものに非常に有利にして、株式の配当なんというものは最も圧迫されていた。戦時中なんか子株に対するプレミアムまで
課税するというところまで来ている。そして犠牲を負
つているのはその産業資本なんです。最も奨励しなくちやならぬものが最も犠牲を受けて来ている。人まかせの金だけは最も優遇されている。こうしたような
やり方では、ほんとうの経済民主化はできないと思います。
なお最後に一言申し上げたいことは、今日資本蓄積、資本蓄積といわれる。資本蓄積のためには、本来
税制の角度からいえば、とらなくちやならぬものだけれども、ひとつ緩和しよう、
譲渡所得税でも何でもその議論が行われていますが、しかし問題はその程度なのです。資本蓄積がいかに
日本経済復興のために必要か。これからいよいよ講和のあとで経済を自立して、八千三百万人が食
つて行けるような経済態勢をこさえるのに、どれだけ
税金をとることが必要か。この必要のバランスがまたできていないと思うのです。今日学校の先生でもそうですが、税務当局の方は、全体の経済の動きからすれば、そう
言つては何ですが、井戸の中のかわずみたいな原理論を相かわらず振りまわしている。時代はそうじやない。もう少し時代の要請する点を考える必要があるのだ。それは資本蓄積のためにはどういうふうに
税金が、
税制というものが大きな障害をなしているか。これをもつと具体的に考えてみる必要がある。そうするとおそらく今度の問題なんか、ほとんど八、九十パーセントは解決すべき問題なんだ、私はこういうふうに実は考えている。この点も問題だけ提出して、その
内容は申し上げませんが、ひとつ御考慮おきを願いたいと思うのです。