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青木正君 私が前回申し述べましたことにつきまして、
自分の
記憶違いの点を発見いたしましたので、その翌日
委員長に
自分の
記憶違いの点を直す
機会を与えていただきたい、ということを申し述べたのであります。さらに一昨日またお願いいたしまして、本日
委員会があるから、そのときに出て希望するようにということでありましたので、許可を得てお願いした次第であります。
私は当時、あの問題がはなはだ世上にいろいろと流布されまして、
自分自身としては
俯仰天地に恥じない、ほんとうに
終戰時の
混乱にあたりまして、
国家のためにやらなければいかぬということでやりましたのに、いろいろの
うわさがありましたので、いささか憤慨にもたえず、
冷靜を欠いてお
つた点もあると思うのであります。さらにまた何分七年前のことでもありましたので、
自分の
記憶に若干の不確かな点があ
つたことを、
大蔵省の
発言等によ
つて、
自分で、あるいは
自分が思い違いがあ
つたのじやないかということもそのときに考えつきまして、それから帰りまして、その当時から、また現在も
清算人としてもつ
ばら戰時物資活用協会で、金、
白金あるいは
ダイヤの
回收の仕事に当
つております
中田氏に電話いたしました。私は、私が預りましたものは、
日本銀行から預か
つて来たから、これは当然
政府の
所管のものである、
政府の
所有のものである、かように考えて、そういう
記憶のもとにいろいろと申し述べたのであります。ところが
中田氏に電話で私の申し上げたことを伝えますと、それはお前とんでもない考え違いだ、あれは
日本銀行に預けてあ
つたけれ
ども、まだ
代金の決済も済んでいないので、
従つて所有権は完全に
協会にあるものであるというようなことが、明らかにな
つたのであります。そこで私はなお
——大分前のことではありますし、
自分だけの
記憶では
記憶違いな点が出てもと存じましたので、
中田氏に聞き、さらにまた当時
馬力を頼んで運搬いたしましたので、その
馬力を何とかして見つけ出して、その
馬力の
記憶等も確かめる必要があるのじやないかということから、いろいろ
関係の
方面に
連絡をとりまして、私の
記憶の
整理をいたしたのであります。
記憶の
整理をいたしましてわかりましたることは、この前申し上げた
通り、当時
大蔵省に参りまして、
大蔵省の役員の
方々——ここに
おいでになる
櫻井さんあるいは
局長もお
つたと存じております。それに私
どもの
戰時物資活用協会の
松原久人氏、また私、
中田氏等が集まりまして、そのときに
大蔵省の方から、お前の方で集めておいた金、銀、
白金、
ダイヤとい
つたようなものについて、この
終戰の
混乱にあたり万々一のことがあ
つてはたいへんだから、安全な場所に完全に保管するようにという
お話があ
つたつのであります。先日申し上げたときは、そういう話があ
つたので、
政府からそういう命令があ
つたというふうに感違いしたのもありますが、
大蔵省側からは、大事ない所に保管するようにという注意と申しますか、干渉と申しますか、話がありまして、そこで
協会側といたしましても何とかせぬければいかぬということで、
松原氏と私と
中田氏寺がいろいろ相談した結果、とにかくお前のところに預かれということで私が預けさせられたのであります。それを引受けさせられたのであります。そこで、あのときはいろいろの
うわさも立てられ私も若干
冷靜を欠いてお
つたので、
記憶違いもあ
つたかと思うのでありますが、だんだん
自分の
記憶を思い出し、さらにまた
関係者の
話等も総合し、
馬力の
話等も聞いて思い出しましたることはそういうふうなことで、結局だれかしら
国家のためにそれを完全に守り通さなければいかぬということで、私は、これはもうどうしてもやらなければいかぬことだと思い、だれかしらやらぬければいかぬことである以上、私が、極端な
言葉で言えば命を的にしても、どうしても守り通すというような決意を持
つたのであります。そうしてこれもその後思い出したのでありますが、
馬力を
頼むにしてもうつかりした人には頼めませんので、当時
戰時物資活用協会で金の
精錬を委託しておりました
石福金属興業と申しますか、
石福会社の方で
——これは
精錬の
関係でその日もたしか
大蔵省に来てお
つたと思うのでありますが、
貴金属をしばしば扱
つている。そういう
馬力がおる。これは非常に確かな人間だということで、
石福の
馬力を頼みまして、そうしてまず
日銀に
行つて日銀から箱を預か
つたのであります。この箱が、私は最初申し上げましたときは
政府のものとばかり
思つてお
つたのでありますが、
中田氏の話、あるいはその後思い出したところによると、それはまだ
政府の方に引渡しが済んだものではないのでありまして、私
ども代金をいただいていないのでありますから、これはま
つたく
協会の
所有のもので、これを引受けまして、それから
石福へ参りまして
——これは金の
地金と申しますか、
素地金であ
つたということをあとで私
中田氏から聞いたのでありまして、
金塊というか、金あるいは鉛等いろいろのものが一緒に溶け合
つたものを、インゴツトにしたものだそうでありますが、これを預かりまして、そうしてその
馬力が私の
自宅に運んだのであります。そのときに、私
ども馬力の話を聞いてわか
つたのでありますが、渡すときに、その
数量個数等も
はつきり認めまして、
馬力が非常にかたい
馬力でありまして、
万々一つのことがあ
つてはいかぬということで
馬力の方から進んで求めて、そうした
数量、
個数等を明確にしるした
書類を私からとりまして、私も受取
つたものをそのまま書きまして、
馬力に渡した。これによ
つて私のうちへ運び、私のところでその
書類と対照して
品物を確認して預か
つたのであります。それが前回申し上げましたように、
終戰後アメリカ軍の進駐して来る
ちよつと前のことであります。日取りが私まだ
はつきりしない点があるのでありますが、預かりましてから幾日ぐらいた
つたか、なおよく
調べればわか
つて来ると思うのでありますが、若干の時日がたちましたときに、
大蔵省の方から
連絡があ
つた。これは
大蔵省の方にお尋ねになればおわかりになると思いますが、
大蔵省の方に対し、
進駐軍からおそらく
大蔵省関係の
外郭団体の
所有の
貴金属類についての
照会があ
つたと思うのであります。その
照会に対して、私
どもの
協会から、どこに何が幾らあるという
書類を出したと思うのでありますが、
大蔵省の方から埼玉県の北埼玉郡共和村の
青木というところにこれだけのものがあるという
書類が、
進駐軍の方に提出されまして、そうしてそれによ
つて進駐軍が私のうちへ参りまして、私が案内いたしまして、私の前回申し上げました預かり
書——これは
櫻井さんに渡したのではなくて、なるほど言われてみると
協会側に
——私は
協会のものを預か
つたのでありますから、
協会に保管を依頼したのであります。その
書類によ
つて対照して
協会に持ち帰り、そうして
協会におきましては、
アメリカの兵隊が幾日かこれを保管して、それから
日本銀行に持ち去
つたのであります。そのときにも私の方から、預かりました
戰時物資活用協会で
所有しておりました
品物を
進駐軍に引渡しましたときの
書類は、
中田氏にいろいろ尋ねましたときの
書類が出ておるのであります。これによりまして、そのものは
進駐軍側に引渡され、
戰時物資活用協会から
日本銀行側に持ち去られたのだということが、明らかにな
つておるのであります。
以上が前回申し上げました点に関連いたしまして、
記憶違いの点を私
訂正いたしたいと
思つた点であります。前回申し上げまして、
記憶違いの点をここでこうして
訂正するということは、まことに恐縮でございますが、何分
大分前のことでありましたので、
お許しをいただきたいと思うのであります。私はそのときも申し上げましたが、いずれ
行政監察委員会等でお
調べがあると思いますので、そのときになお詳しい点は申し上げてみたいと思うのでありますが、私
自身といたしましては、どうも選挙を前にしてこうしたいろいろな説が出るということに対しまして、非常に不可解に存じ、そこで非常に
冷靜も欠いてお
つたと思うのであります。しかしながら私
個人としてはま
つたく
俯仰天地に恥じず
——極端な
言葉でそういうことを言うとはなはだ失礼になりますが、でき得るならばそれは
国家のあらゆる機関を動員いたしまして、私から
白金なりあるいは
ダイヤなりをもらいあるいは
買つた者があるならば、どうぞどこまでも
調べて申し出てもらいたいのであります。さらにまた私のうちならうちを全部焼いて、灰にして
調べてもらうなり、あるいは土を全部掘り返して
調べてもらいたい、こう言いたいのであります。
なお重ねてつけ足らぬ点を申し上げますが、私が預かりました箱及び
金庫につきましては、
内容は私知りませんので、そのときに何が入
つてお
つたかということを、
はつきり申し上げかねるわけでありますが、
中田氏の話によりますれば、お前のところに預けたものには、おそらく
ダイヤは入
つていなか
つたろう、大体金の
地金、これはいろいろなものと焼け
集まつたものでありますが、それと
白金であ
つて、
ダイヤは入
つていなか
つたはずだ。どうして入
つてなか
つたかと私反問いたしましたところが、
ダイヤは
中田氏の保管しておりました
金庫の中にあ
つて、まだ未
整理のために当時
鑑定人を呼んで毎日
鑑定をしてお
つた、
従つて鑑定の途中で疎開するということはできなか
つたので、
ダイヤの方は疎開せずに
中田氏の保管してお
つた金庫の中にあ
つたはずだ、
従つてお前のところへ
行つたのは金と
白金であ
つた、かように申しております。私はその点
内容は
調べて持
つて帰つたのではありませんので、私としては何とも
はつきりいたさないのでありますが、
中田氏の話によりますと、さようにな
つております。
以上が、私本日特に
お許しを得て
訂正いたしたい点であります。いずれ
行政監察委員会でなおお
調べがありましたらば、もつと詳しく申し上げたいと思うのでありますが、あまり長く時間を
ちようだいしても恐縮でありますし、本法案と
関係のないことをあまりくだくだしく申し上げるのも恐縮でありますから、以上の点だけを申し上げておきます。なお御
質問がありましたらば、お答えをいたしたいと思います。