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世耕弘一君 先ほど御答弁申し上げたのに追加して、もう少し
説明を
中野さんに申し上げたいと思います。それは
日本銀行の
金庫の中にあ
つたダイヤモンドを、私がどういう径路で
摘発をかけたかという当時の実情を申し上げることが、必要ではなか
つたかと思うのであります。
昭和二十二年の三月十七日に、
ダイヤモンドが五升ほど
日本銀行の
地下室の
交易営団の
倉庫の中に入
つている、
摘発してくれという要求が、
池山さんほか数名のものからあ
つたのであります。しかもこの
地下室の大きな
金庫にあるというのは、自分自身でこの目で見て来たのだ、こういう関係者の
証言であります。そこでなお
昭和二十一年の十一月十五日までその問題の
金庫のかぎを預か
つてお
つたという本人からの
証言も、同時に証明を添えて私のところへ
摘発の要求をして来たのであります。戰後の事情並びに戰時中の
国家の予算等を総合しますと、しかも終戰まぎわのときにタイヤが多く集められたこと、戰時中に外に多数持ち出されてなか
つたという一つの実情等を考えまして、これはうそじやない、私はかように確認したのであります。この際なおつけ加えて申しますが、
装飾用の
ダイヤは非常に高価なものとして取扱われますが、世間でいう
工業用の
ダイヤというのは、実は
装飾用の悪い
ダイヤの値段の十分の一にも当らなか
つたのでありますから、
工業用のタイヤの
摘発は、言うて来ても採用しなか
つたくらいであります。静岡からも大分出ました。東京都内の関係から、
工業用ダイヤ、五千カラットの供出がありましても、これはMPとの連絡でつかま
つて、横浜の加賀町署に引致された例もありますが、しかしこれは私が
摘発はかけたのじやございません。むしろ
司令部側が活動した結果であります。とにかく私は
工業用なんというものは目をつけていなか
つたのであります。さような関係で、
日本銀行の
地下室の大
金庫の中にある
金庫には、
装飾用の高価な
ダイヤがあるということの
証言のもとに、
摘発をかける決意をいたしたのであります。そこで二十二年の三月十八日に、当時の
大蔵省政務次官をしてお
つた上塚司君を通じまして、
日銀のその問題の
倉庫をば封鎖するように頼んだのであります。ところが、
ちようど議会中でもありましたので都合よく連絡がつきましたので、すぐその後で封鎖したから安心せよという
報告を受けたのであります。当時私は、国内における米の不足から米騒動が起るというような問題があ
つたので、京都、
大阪方面における綿布の隠退蔵を
摘発して、それを農村に振り向けて五百万石の米の供出を成功させる
ために、下阪する途中でありましたから、封鎖をしたという
報告を受けたので、安心して
大阪に立
つたのであります。ところが帰
つて参りまして、
ダイヤモンドの事件が
新聞に出て、たまたま本議会において当時社会党の稻村君だと思いましたが、
ダイヤモンドの
摘発問題について私に決算
委員会で
質問がありました。三月三十八日と記録には残
つておりますが、その前後のいきさつを話しましたところ、翌々日でありましたか、いよいよその
ダイヤの
摘発に差手したのであります。結局
司令部、
日銀の関係者等によ
つて摘発をしたけれども、問題の大
金庫には
ダイヤモンドが入
つてなくて、紙くずが入
つていた。そうして私はラジオ、
新聞等で気違い扱いにされたのが当時の話題の中心である。しかしながらどういう風の吹きまわしか、
司令部が数回にわた
つてCPCの今の
日本橋の国分ビルの四階へ私が呼び出されて、克明に
ダイヤモンドのあり方、
調査方法等について
資料を要求されたのであります。そうして得心の行くまで
説明して帰
つたのでありますが、その後沓として返事がなか
つた。ところがその後外国電報において、
日本の
ダイヤモンドトをめぐ
つて、アメリカの某大佐が
サンフランシスコで逮捕されて、
日本に送還されて、横浜で軍事裁判の結果、重労働十年の
懲役を決定されたということを、実は
報告を聞いたのであります。しかもその大佐が重労働を十年も科せられた裁判には、その大佐が持
つてお
つたダイヤモンドが、
日本の所有に属する
ダイヤモンドであるかどうかという鑑定を、
日本人の專門家においてさせたような事実もあるのであります。その前、紙くずに
なつたというような話のあ
つたあとでありますが、川越に
ダイヤモンドが多量乘用車によ
つて移動したという
情報が入り、さらに川越を追いまわしているうちに、今度は飯能へ移
つた、さらにその後保谷の方へまわ
つたという
情報がひんぴんとして現われて来たのであります。こういういろいろな話題があ
つて、あるいは
日本銀行の中から、あるいは外部から、あるいは專門家の口から、私の方へ
情報が伝えられたのでありますが、その後
ダイヤモンドに関してはさらに一回、
司令部からの要求で私は
調査を協力するように求められたのであります。私の
摘発に対して結果の
報告もないような不熱心な当局に対して私は協力せぬ、私は酔狂でや
つているのじやないとい
つて怒
つたところ、今度はマッカーサー元帥の命令だから協力しろ、こういうようなことを特に言われたので、最後に協力をしたようなわけでありますが、とにかく
ダイヤモンドをめぐ
つていろいろな脅迫があり、あるいは話題が投げられたということをこの際申し上げておきます。なお金塊の問題については、私はこの機会に多くを申し上げようとは思いませんが、先ほどの大蔵当局の
説明によりますと、あまり金塊、
ダイヤモンドのことはわからないらしい。しいて言えば、
大蔵省はこの問題を熱心に知ろうと努力していないのじやないかと私は言いたい。もしこの問題を
国家国民の
ために得心の行くように処理しようという熱意があるなれば、
ダイヤモンドに関する限り、あるいは金塊に関する限り、
大蔵省よりも私が一番よく知
つている。もうそろそろ私のところへ、あれはどう
なつたかと相談に来ていいはずだ。そうしたらこういう問題もスムースに片づくのじやないかと私は思う。知ろうとしない。知ろうとしないところに何だかおつかないものにさわるような臆病な態度が、われわれは
国民の一人としてはなはだ気に食わぬと申し上げたい。先ほども申し上げましたごとく大ざつぱに見積
つてまだ九十トンばかり金塊が不足している、帳簿の上で明瞭を欠いているということを申し上げることができる。
ダイヤモンドも五分の一しか現われていない。その五分の一もガラス玉か石ころか何かわからぬ。こんな不都合なことがあるか。もしかような問答が
国民の供出した人に聞かれたら、何と奇怪に考えられるのじやないかと私は思うのであります。なおよけいなことですが、私が一言申し上げたいのは、隠退蔵を
摘発するにあたりまして私は憲兵総司令官にも会いました。そうしてこの隠退蔵
摘発をめぐ
つて、おそらくいろいろな忌まわしい事件が発生すると思う。またさような事件の渦中に私が飛び込むのだから、私もまた悪評を立てられると思うが、評判だけで私の仕事を妨害されては困る。もしこの
摘発中に私の不正な行為が事実として確認されたら、軍事裁判なんてめんどうくさいことをしないで、私をつかまえてすぐ銃殺してください。しかし私のやり方がもし正しい線に乘
つて動いているということが、総司令官において確認されたらどうぞ協力してほしい、こういうことを申し上げると同時に、この事件には
日本人ばかりじやない、第三国人も関係していることが私には大よそ想像がつく。アメリカさんも関係するでしようということも私には考えられる。私はいずれの国の人を問わず、いやしくも私の良心に
従つて摘発する以上、遠慮会釈なくこれを興行するがさしつかえないかということを念を押したところ、当時の憲兵総司令官は、君のことは
報告を受けてよく知
つている。全面的に協力する。もちろんアメリカ人といえども、不正なことがあれば徹底的に糾弾する。なお、おれの部下には五千人のMPがおるから、必要ならばこれをいつでも貸すから使え、こういうような激励を受けてこの
摘発にかか
つたような次第であります。
摘発する当時
日本の国内の一部の人たちは、なるべくなら講和が済むまで、独立まで、
金属なんというのは隠しておいた方がいいじやないかというような話をして、私のやること自体が非
国民の行動のごとく脅迫され非難を受けたのでありますけれども、私はかりに百億のタイヤ、一千億の金塊を、隠しておいて、その
ためにあとでばれ、
日本人の国際的信用を失うことがあ
つては、より大きな宝を失うものであると考え、そうして同時に、アメリカに預けておけばいつか返してもらえる、実はこう考えて、むしろ非難を受けながら、勇敢に、ある場合はアメリカさんの力を借り、あるいは同士の努力によ
つて摘発をかけて来たのであります。私たちの関係した中にアメリカさんの関係した事件もあると思いますが、できたら、こういう事件はこういう機会に明快に御判断
願つて、もしアメリカさんの中に不正な者があ
つて持ち帰
つた者があ
つたとするならば、アメリカの輿論に訴えて返してもら
つていい、こういうふうに私は考えているのであります。それには
政府と民間が協力すべきであ
つて、何か物を隠すようなやり方では、私はせつかくのこの
日本のなけなしの富が現われて来ないのじやないかと、かように考えておるのであります。ただ最後にもう一点ここに申し上げておきたいのは今月号の文芸春秋の臨時増刊号に、元の陸軍大臣、
終戦の当時でありますが、下村定大将の「帝国陸軍の骨を拾ふ」というので、「最後の陸軍大臣の記録」というのが下村大将の
名前で出ております。これを御
参考に読み上げておきたいと思うのであります。前文を抜きまして、「さて、元帥から賞められた復員の成果は、私共の方からいうと迅速静粛な解除と武装解除の面であ
つて、他の半面において軍は、衣糧その他軍需物資の不当処理という重大な失態を演じたのである。このことは実に軍がその最後の段階において拭いがたき汚点を残し、その後数ケ年に亘
つて経済界を混乱せしめる一つの原因を作
つた大痛恨事であ
つた。率直に申すと、軍需物資処理に関する様々の不始末は軍部内だけにあ
つたのではなく、又その根源は終戰間際における
政府当局の一失に存し、東久邇宮内閣および其の後の歴代
政府はそのあと始末をさせられたのだともいえるけれども、当時私共は左様な愚痴がましいことは一切いわず、全力を挙げて善後策を講じたのであるが、遂に力及ばなか
つたことは誠に懺悔の至である。」という記事が載
つております。私は政務次官として内務省にいた当時公文書に基いて
隠退蔵物資の所在を確かめたのでありますか、当時私の手元に集ま
つた公文書によ
つて、軍の持
つていた諸物資は当時の公定
価格で計算して、総額六千億円あ
つたのであります。
昭和二十一年であります。もしこれが十倍に上るとすれば六兆億円であります。大ざつぱに申しますれば、十年間
日本国民は税金を一文も納めなくても、やりくりがつけただけの物資があ
つたということが証明されるのであります。今言う最終の陸軍大臣であ
つた下村大将がここに告白しているのは、この事実を実は指摘するものと私はかように考えます。当時の
政府のでたらめなやり方が、ミズーリ号に呼び出された軍使が元帥からしかられて、大急ぎでその散乱した
品物をかき集めて、あら
ためて雑品の整理のリストを
司令部に出したときに、その数額はどのくらいあ
つたかというと、当時の金に換算して二千五百億円である。その最終に残
つた二千五百億円すら満足に
国民の手に
渡つていない。この六千億に上る軍所有の物資が、これははなはだ私は言いにくい言葉であるかと思いますが、各地において知事が当選して来ておる、代議士が当選して来ておる、あるいは大臣がこの
隠退蔵物資のおかげで当選して来ておるのであります。しかもかようなでたらめな終戰の跡始末が、最後に残
つた一番
調査のしやすい金塊、
ダイヤモンドですら、いまなおまたやみからやみへ葬り去られようとしておるのではないかと、これを憂える。そこで私は行政監察委に、せめて
国民の名において議会がこの結論を追究していただきたい、かように実は考えてお手数を煩わしたような次第であります。実を申しますと、本日初めてお呼出しを得ましたものですから、
資料を全部まとめる機会がございませんのですが、できたら重ねてお呼びを
願つて、徹底的に糾明していただけは、私たちのこれまでの苦労した一端が御了解が願えるかと、かように考える次第であります。