○
石原(圓)
委員 一線を画したことの前例がないとすれば、それは自由平等の
原則に対する
日本の譲歩といわなければならぬと思うのであります。しかしごのことはこれだけを申し上げて次の質問に移ります。
一九四五年九月二十八日にトルーマン大統領は、
アメリカの距岸百五十マイルないし二百マイルの
漁業保警。海区を太平洋に設定するという
宣言をしたことがあります。しかるに列国の反対気勢を考慮して、一九四七年には国務
長官の名において、この
ように特定国が
公海を独占する
ようなことは延期すると、半ば取消しを意味する声明を発表していることは御承知のことと思います。これはわずかに距岸百五十マイルないし二百マイルという、
公海においては
一つの線にも足らないのでありますが、きわめて小さい
公海である。それすらも大統領の
宣言は取消されておる
ような世界的な輿論が起
つたことは御承知のことと思うのであります。しかるに何事でありまし
ようか、太平洋のま
つただ中に線を引いて、これから
アメリカ寄りには出漁をさせぬとは大それた申分ではないか。外交的辞令としては何とでも
説明はできる。
日本国の自発的
漁業の
抑止、満限に達しておる水産資源の
保存措置への協力、いわく何々、いわく何々と、いくらでもあります。ともかく国際間の
公海企業の自由を大幅に
制限をし、しかも太平洋とべーリング海の半分に
日本の
漁業の操業を
制限されたことは、動かすことのできない事実であるといわなければならぬのであります。さきに述べた
ように、トルーマン大統領は、わずか距岸百五十マイルないし二百マイルの
漁業保護海区を、一度
宣言しのたさへも、世論の硬化をはばか
つてこれを取消したではないか。また古くは一八九五年のスコットランド
政府の北海における保護海区の
宣言、一九二六年のワシントン会議の保護海区の提唱等、一ことごとく
公海制限は列国の反対にあ
つて中止、もしくは取消しをされておるのであります。これらの事情なり沿革なり歴史は、
政府当局も十分御承知のことと思うのであります。私は思うに、日、米、加
漁業会議において、いま少し
政府当局が慎重なる研究を重ね、世界の公論に訴え、正々堂々の論陣を張
つて臨んだならば、トルーマン大統領の
宣言同様、西経百七十五度線は米、加側において取消しのやむなきに至
つたであろうと察するのであります。少くとも世界的輿論を喚起することに
日本の
政府は非常に緩慢であ
つた。不行届きであ
つたといわなければならぬと、私は思うのであります。條約の條文に明記することを避けて、
北太平洋漁業国際委員会への付託事項とすることをも
つて最も妥当なりと確信するものであります。
政府は今からでも遅くはない、この
国家百年の大計を誤る條約の修正に善処するの
意思はありませんか、一応承
つておきます。