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本間証人 五月七日の夜十一時半ごろ、
学生と警官二名とが衝突したことはこれは事実であります。それが、
学校の入口から見れば一番奥深いところの東南端のやぶの
そばで起きたことも、これも事実であります。それから
学生が逃げて、しばらくして相当の
学生が集ま
つて来て、今度は警官が逃げ、一人はつかまり、その後
学校の補導部長がそのつかま
つておる際に出かけまして、そういうことをしてはいかぬ、早く帰せということを諭告したがために、
学生はさらにその
巡査を
食堂につれて
行つて、あかりのかんかんした下において相当尋問し、つるし上げをして、
謝罪文を書かせ、ピストル、
手帳を取上げて帰したこと、これも大体その
通りだと思います。そうしてその際に
学生の方では、ある事情のためにそのやぶの
そばにおいて張番をしていたということも、これも事実です。
しかしその張番した事情は、先生の住宅が
ちようど
そばにありまして、一棟の建物の中に約六家族ぐらいの先生が住んでおりました。そこの住宅の一部を見張
つてお
つた、こういう事情だ
つたのであります。なぜ
学生がその
ような張番をしたかということを確かめたところが、それは今年の二月以後三月にかけて、特審局の
名古屋支局の支局員と思われる特審局の役人から、
学校の
学生が手紙でスパイを頼まれて、そうしてスパイをしてお
つた。この事情が、その
学生が自供したために、
自治会のある種の人に、
学生の仲間にわかりました。そこで
学校内において特審局のスパイが横行しているという事情がわか
つたので、
学生は非常にいらいらしておりました。そこへ
事件の起きる十日くらい前から、そこの住宅に住んでいるところの
学校の職員のところに、どうも特審らしい者が連絡に来るといううわさがあ
つたのであります。そのうわさがあ
つたために
学生は、それでは今晩はちやんと張番をしてそれを見届け
よう。いつもそれは夜の十一時ごろ帰るといううわさですから、まず十時半からそこへ三人くらいの者が張
つた、こういうことです。ところが十一時半くらいにな
つても、何も出て来ない。それでは帰ろうかと
思つておるとき、ま
つたく意外な方面から、住宅でないところの、ほかの馬場の方面から
巡査が二名や
つて来た。こういうので、その衝突は両方とも非常に意外だ
つたと思います。
学生の張
つた事情は、そういうわけであります。しかるに
警察側は、その
巡査が来たのは犯人を追行して入
つたのだ、
学生側はそんな犯人を追行して入
つたものではない。それは現にぶつか
つた所は、
学校の門から五町も離れた遠い所であります。その間にはいろいろな人もおりましたが、
巡査が通行したことを認めた人がない。
ちようどその時刻はその門は相当往復があ
つたわけです。それに夜間通行する唯一の門でありますから、非常に通行がはげしか
つた。ことに柔道部は合宿をして練習をしておりました。その結果、十時半まで柔道の練習をして、そうして着物を着かえて、
北門を
通つて外のおふろに行く、こういう事態もあ
つた。また
学校の校庭には、二人くらいの女の人がおりまして、湯上りにそこで涼んで見てお
つた。その際庭を通行した人はない。
学校の側においても、
巡査が
北門から入
つたものではないと考えた。
北門から入
つたものでないとすれば、
学校は全部垣根をも
つて囲まれている、またその他の門は夜は閉鎖して、巡視をして
巡回させている
場所でありますから、
巡査は
不法に侵入したものと認めざるを得ない。従
つてこの点において
警察は謝罪あるいは遺憾の意を表すべきものだ、ということを
事件直後に申し込んでおるという
ような事態でありました。しかるに
検察庁がその点についてどういうふうに考えておるか、私
どもわかりません。ただ衝突した状況、その衝突したというのは、十一時半からして十二時まで約三十分、その間
巡査がけがしたとか傷害ということはあ
つても、それはばんそうこうを三日くらい張
つたくらいでなお
つております。翌日の勤務にもさしつかえない
ような状態であります。大したことはない。そういう
ようなことも、しかし厳重な法規的な意味からいえば、犯罪になるでし
よう。そういう点の
調査に重点を置いておる。
学校側は、むしろどこから入
つたかということについて重点を置いてもらいたい、こう考えておるわけであります。その点に関する注意を
検察庁に申し込んだこともあります。
その後
検察庁の方においては、
検証をしたいということでありますから、なるべく摩擦のない
ようにさせたいと思いまして、
学生にも、
裁判所の
令状のもとにおいて
検証する
ような場合においては、抵抗してはいかぬということをよく諭告しておきました。
学生の方はその際には、無抵抗の抵抗である。その意味は、無抵抗というのは物理的には抵抗しない、しかしかくのごとき弾圧的なものに対しては、極力憎むのだ、精神的に抵抗するのだ、こういう意味において無抵抗の抵抗という
言葉を使
つている
ようでした。その
検証も無事に済みましたし、またその次の
逮捕の場合においても、七百人ばかりの警官がまわりを囲んで、宿舎に入
つて来て
逮捕したことはあるけれ
ども、物理的な抵抗、そういうことを受けることなしに、無事に済みました。これは
学校側としては、
最初の晩すでに、国警も動員して、あそこは市警ですが、国警も動員して
学校のまわりを囲み、学内においては歩哨を出すという非常に不穏な形勢でありましたが、私は十二時ころ
学校に行きまして、そういうことはいかぬ、
手帳とピストルは返しなさいということを話して、午前三時ごろ
警察署長に、ピストルと
手帳はあした返させるからということを電話しておきました。その晩は両方とも興奮状態であ
つて、そんなことを詳しく調べ上げる余裕はなか
つた。その後
検察庁の方において
逮捕状の
執行がありまして、
あとは勾留期間内にそれぞれ
調査したと見えて、私はきのう参りましたのですがきのうそのうち五人か四人が起訴されたという話でした。大体の経過から行くと、こんな状態にな
つております。
その後、
学校内及び学外にある先生の住宅を家宅捜索した事実があります。それはおとといでしたかと思います。これは
学校内の住宅も
学校外の住宅も、先生に対しては
学校は住宅を与えておるのであ
つて、
学校が管理しておる寄宿舎とは違う。寄宿舎はわれわれがいつでも
行つて入ることができますが、学内の住宅でも、その人たちに貸してある住宅ですから、いずれもその人たちに
捜査令状を提示して、適法に
捜査したと
思つております。その後のことはあまり聞きません。
私はこの
事件に関して数点、大学と
警察との衝突の問題として新しいケースがあるということを申し上げておきたい。その一つは、
検察庁が犯罪
捜査に関して
協力を申し込まれたことがある。それに対して大学がどの
程度に
協力すべきかということは、問題であると思います。それに関しては正式に書面で返事しておりますから、十分教育界でその問題に関して批判をしていただくだろうと私は考えております。
学校としては、あいつが怪しいだろう、これが怪しいだろうとい
つて、
学生の
名前を指示したり、そういうことをすべきじやない、確たる
証拠もあるわけではないのに、
検察庁や
警察の手先ではないところの
学校は、そういうことに対してどの
程度に
協力をすべきかということは、おのずから教育者の批判かあることと
思つております。
第二の点は、
東京においてしばしば
学校と
警察とが問題を起しておりますが、
検察庁が進んで
捜査の主体にな
つて捜査しておることはないと思います。それは早稲田の
事件でも、犯罪として
捜査するならば、
捜査できるはずです。そういうこともしていない。ただ、いなかにある大学のために、上部機構がはなはだ薄い。そういう結果、暫く冷却期間を置いて、だれか話してくれればいいということが、一つの考え方でもあ
つたろうが、今度の場合は、
検察庁が非常に大
事件の
ように
思つて、
捜査の主体にな
つて捜査しておる。これは司法当局が、そういう
ような
学校と
警察の問題に対して、そういう
態度をとることはどうであるかということも、一つの批判の対象になるのではないかと
思つております。
第三点は、特審局がその
学校の
学生をスパイに使う。こういう問題は、
学校の教育から見ると非常に困
つた問題です。
学生に対してスパイをする
ようなことははずかしいことであるとわれわれは訓育しているのに、国費をも
つて誘惑してそういうものを出す
ようなことは、私は教育の立場にあるものとして非常に困
つておる。のみならず、
学校内において
学生相互に非常に信頼心がなくなる、あれはスパイじやないか、真実を語り、思うところを語
つて論議して、そして研究し合うというのが学園であります。しかるにその中においてスパイがある。ほんとうのことも語れない、こういうことをやろうということも言えない、こういう状態にさせられるということは、
学校として特審局に対してはなはだ不満の意を表さなければならないというふうに
思つております。この三つのことが、今度のケースにおいて各方面の批判を受けなければならない事案ではないか、こう考えております。