○佐伯
公述人 私は神奈川県の民生
委員の
佐伯藤之助でございます。今日民生
委員として、この貴重な
公聴会にお招きをいただきまして、非常に感激をいたしております。また社会
保護者としての責任の非常に重大なることを痛感する次第であります。
意見を申し上げる前に御礼を申し上げたいと思います。
この
法案につきましての細部にわたりましては、いろわれ
議論のあることも承知をいたしております。先刻各
公述人の
方々からの御
意見も拝聴いたしておりますが、私はもともと学者でも知識人でもないのでございまして、大正十一年から三十年間民生
委員をや
つております。さ
ようなことで平素扱
つておる者としての
立場から、
意見を申し上げたいと思いますが、御清聴をいただきますれば非常に光栄に存じます。従いまして総括的に申し上げます。
先刻
公述人の神奈川県の
世話課長の中川さんから、この法律の施行につきまして、市町村長が全然関係のない
立場に置かれている、ぜひ市町村長にも行政の
義務をつけてすることがいいという
お話がありましたが、この点は私も同感でございます。何となれば、児童福祉法における児童福祉司が各都道府県の知事に直結をいたしておりまして、市町村との関連が非常に稀薄なために、活動が思う
ように行かない実情は、
皆様方御案内と思うのであります。今日におきましても、
遺家族の
方々、
傷痍軍人の方方の実際の数は、なかなかつかみにくい、日に日に異動しておる実情でありまして、かくのごとくに流動いたしておる状態を把握するのは、府県だけではできないのでありまして、その地元の市町村がこれに加わる、そうすれば、調査も完全に行きますし、また法の運営の上からも完璧が期せられる、こう
考えますので、ぜひこの点は市町村長にも
義務づけて、この仕事の密接なる関係をお持ち願いたいということを先に申し上げます。
まず、この
法案でありますが、
傷痍者の方の問題もありますが、これにつきましては私はしろうとでありまして、
専門の方がどつさりおありになるのですから、その
方々からひとつお願いしたいと思います。ただいろいろな施策があげてございますが、羊頭狗肉にならない
ように、これを十分具現していただいて、より以上のことをや
つていただきたい。従来ややともすれば法律は
幾多出ておりますが、なかなか実効がない。かくのごときことは、はなはだ困るのであります。どうぞこれら
傷痍者の
方々のため、十分なる施策を実現していただきたいということを
希望いたします。
次に
遺家族の問題でありますが、この御
遺族の
方々の問題について、私の力点を申し上げたいと思います。この
法案は、私、まことに浅学であ
つてよくわからないのですが、どうも
国家補償を
意味するものであるのか、
援護を
目的としておるものか、私にはわからない点がある。戦没
軍人及び
軍属の方方に対する
国家の賠償的な
補償としての一時金の五万円というものは、はなはだ過少であると私は
考えます。何となれば、まずこれを米に換算してみたいと思います。満州事変勃発の前年である昭和五年八月の米の二等米を
考えてみたのですが、横浜では一升が三十銭九厘に相な
つております。ところが昭和二十六年八月の配給米の価格は、九十円八十銭と相な
つております。まさに二百九十四倍の違いであります。そういたしますと、一時金の五万円を全部金にいたしましても、これを逆算すると百七十円にな
つてしまう。総理府の統計局のCPS及び私
どもの実態の調査によりますと、昨年十二月には五千円ぐらい一人がかか
つている、これが六大都市のCPSに相な
つておる
ように承知しております。昨年十月から物価が上
つております。八月、九月、十月を平均しますと約四千円
程度どうしても一人でかかる。五人暮しならば二万円かかる。ということが、一般の世帯の
ように承知もし、CPSからも、そういう
ような数字が出ております。そうしますと、五人で二万円ということは、結局今の五万円もらいましても、これは二箇月半ぐらいしかささえられないところの生計費にな
つておるという計算を立てましてございます。そこで先刻
公述をなさいました藤村
先生に伺つたのですが、藤村
先生の
お話によりますと、満州事変の当時は、死没なさつた方の特別賜金という一時的な
恩給が、
恩給のほかにあつたそうであります。それによると、大体上等兵ぐらいでも
つて千六百円もらつたという
お話を、ただいま伺つたのです。この千六百円を今の
ように二百九十四倍すると、何と七十四万円にな
つてしまう。えらい違いがここに出て来る。上等兵さんが七十四万円、現在の金でもらう。しかるに
法案は五万円だ。五万円はその当時の百七十円です。当時は、約六十円あれば五人世帯が暮せておつた。CPSを逆算すればすぐ出ます。とにかく二箇月半の金にしかならないということに相なりますので、これは
国家財政としてはたいへんでありますが、少いことだけを申し上げておきまして、これのわくをおふやし
願つたならば、昔の
軍人さんと同じ
ようになりはしないか、こういうことを思いまして申し上げるのです。でありますから、できるなら御増額を願いたいのですが、もし
国家財政からどうしてもできないということであるなら、今後の
措置として、
恩給法をおつくりになるときに、十分なる御考慮をいただきたいということを申し上げます。
次は、
年金の問題でありますが、これは
生活権の保障を
意味するものであるのか、あるいは
生活援護を
意味するものかということに、私は迷うのであります。そこに
一つの疑点を持つのでありますが、私は
年金のお取扱いに対しましては、
結論といたしまして、
生活保護法とは切り離して、この
法案は
恩給法の復活の前提としての、恒久的な立法でなくして暫定的な立法でありたい、どこまでも弔慰を
意味したところのものにしていただきたいということが、私のお願いであります。そうでないと、いわゆる
生活保護法の平等の原則ともぶつか
つて来るし、なかなかむずかしい問題になりますので、ぜひ切り離しまして、弔慰の
意味でお取扱いを願いたいと思う。これにつきまして、いろいろ仄聞するところによりますと、その運営は、しかるべく各府県でや
つてもらいたいという
ようなことも、ほのかに聞いたので、これはうそかほんとうかわかりませんけれ
ども、そういうことは、事務当局が非常にやりにくいし、しかも不公平がそこに生ずることでありますから、どうぞ法律をおつくりになる上において、はつきりと、これは暫定的な立法であ
つて、弔慰を
意味するものであるというふうにお願いをしたいと思うのであります。
その理由とするところを申し上げたいと思いますが、
年金を
遺家族の
生活権の保障といたしますときは、憲法の二十五条に定むるところの
最低生活を保障する現行の
生活保護法からいたしますれば、これは
基準の額をはるかに下まわ
つてしまう。さつきも
お話があつた
通りであります。実例はあとで申し上げます。たとい一時金の六分付の国債をいただきまして、その利子を加算をいたしましても、
最低生活を保障する
程度までのお金に至らないということであります。また
援護と解する場合には、
恩給法に移行して、恒久法としてこれが交付されるときは、当然
生活保護法に優先するところの法律であります。優先法としてその方で扱われますから、どうしても引かなければならないということもできて来ます。
いま
一つは、
生活扶助を受けておるところの御家族の方にありましては、
生活保護法の第四条の
保護の補足性によ
つて、今申し上げました
ように、どうしてもこれは引かなければならぬという
ようなことができて来まして、せつかく今回の、先ほど
委員長の
お話の
ような、
軍人軍属の
方々に対するところの特別な弔慰であるという
国家並びに
国会の御好意というものが、反映しないうらみがありまして、それがもらわないと同じことになるということでは、かくのごとき
法案をお出しになる必要はないと思う。出す以上は、その
気持にな
つてもらいたい。同じことになるならば、出さない方がいい、私はそう思うのです。
それからもう
一つは、控除されますと、更生しなくなる。御案内の
通り、私
ども三十年もや
つておりますが、
保護というものは、
保護が
目的じやない、一日も早く更生したい、しかして
生活保護を受けている
人たちは、何も喜んで受けてはおらぬのであります。今日の憲法によ
つて、それは
国民の権利である、決して慈恵的なものではないということはわか
つておる。しかし、もらう人の身になると、肩身が狭い。だれも喜んで、いば
つてもら
つている人はない、早く
保護からのがれたいと思
つておる。だから、このお金をいただいても、みんな借金していますよ。一体今の
生活保護法の
基準なるものが低いのですから、これでは暮せない。そういう
人たちは、少くとも借金も返し、子供に一枚でも着物を買
つてやれることにおいて、
国会並びに
国家のありがたい恩典に私は泣くだろうと思う。それにおいて初めてこの
法案が生きて来るのだ、こう思われるのであります。そうしてそれが更生して行くことができれば、非常に社会福祉の上からもけつこうなことじやないだろうか、こう私は
考えます。さ
ようなわけで、ぜひひとつ暫定的な
措置として、弔慰の
意味でお出しくださることが妥当だと思うのであります。もし願えるならば、先ほど
遺族の子供衆の問題が出まして、どなたかから御
質問がございましたが、私は児童福祉法の面からいえば、十八歳までは
国家が
生活権を保障して、引かないことはむろんのことであ
つて、これはめんどうを見てもらいたい。もし
生活保護にかか
つておる
人たちの
保護を引くならば、五十万円、百万円の収入のある人がうんとある。そういう御
遺族もおありになる。
生活保護にかか
つておる御
遺族の方もある。片方は二万円、三万円もら
つても、これはお小づかいです。片方はこれによ
つて質屋の借金も返すことができる、ほんとうに子供さんを喜ばすことができる。そういうことにな
つて来るということは、決して平等じやないと思う。困つた人によくすることが、われわれ最も平等だと
考えるのであります。
その次に
一つ申し上げてみたいことは、この場合実例を
一つ申し上げてみたいと思います。まだ神奈川県全部の実例は掌握しておりませんが、か
ような家庭がどういう状態にあるかということを申し上げてみたい。これは横浜で早急に集めました最近のものでありますが、私の関係しておるところに、子供一人でも
つて残
つておるのがある。父親は昭和二十年に三十五歳で戦没しました。母親は満州から帰
つて来るとき、昭和十九年に、二十八歳で行方不明にな
つて、子供一人残つたのであります。現在十二の子であります。ところが、この子が結核にかか
つておりまして、普通の学校ではや
つて行けませんので、特殊の、そういう弱いからだを持
つておる子供の行く学校にやる
ように手続をと
つております。この子の一箇月の
生活保護の
基準は千九百十一円でありますが、これからわずかやはり引きますから、実際の
支給額は千九百六円であります。ほかにはもちろん収入は全然ありません。ところが、国債の六分付をやりますと、三千円、しかも五千円というものが子供としてもらえますと、ち
ようど八千円になります。これを十二箇月で割
つてみると、月に六百六十円という勘定が出て来ます。この六百六十円を千九百六円から引いてしまつたら、教育も何もできないことになる。しかも
職業も何もない、無収入であ
つて学校へ行
つている。こういう子供はいかにしてこれをやるかということが、私は大きな問題だと思う。かせげる人はよろしゆうございますが、こういう子供は、無収入でありますから、これから引くということは、どうかと思うのであります。
その次の例は、子供を四人持
つておるところの
遺家族であります。これまでの
生活保護の
基準は、これが八千九百四十六円であります。先刻七千円という
お話がございましたが、七千円にまだ学校給食及び教育費を加えて行きますから、その
基準ははるかに上
つて参ります。この中から品物をもらつたりいろいろしますから、これを引きますと、八千六百二十一円というものがこの五人世帯の
軍人、
軍属の
遺家族の
生活扶助の月額に相なります。そのうちで御本人の収入が三千四百三十九円ございますから、
支給額が五千百八十二円になります。この世帯につきまして調べますと、先ほど申し上げた国債の利子が三千円、最高の
年金が二万四千円、これを加えて二万七千円になります。これを十二で割ると二千二百五十円というものを月額いただくことにな
つて、これらを差引いてしまうということになると、これも大きな打撃を与えると思います。更生の道を大いに妨げるであろうと思う。
そのほか老人夫婦の例もございます。そういうふうないろいろな例がございまして、大体私が住ま
つておる神奈川区におきましては、一人世帯の
軍人軍属の
遺家族で
生活扶助にかか
つておるのが二十三世帯、二人世帯が二十七、三人が二十六、四人が十二、五人が十一、六人が三、七人が一という
ような割合であります。横浜市全体の数字を申し上げて、この
ようなお金が引かれましたならば、いかに影響するところが大きいかということをひとつ御参考に申し上げたいと思います。
横浜市の三十七年三月二十日、ついこの間現在でありますが、
軍人、
軍属であられまして
生活扶助を受けておる方の世帯が七百六十三世帯ございます。そのうちに未亡人世帯が五百四十八ございますから、七一・八%は未亡人です。人員は七百六十三世帯の分は二千三百二十七人、未亡人世帯が一千七百八十六人。横浜市の現在
生活扶助を受けているところの総世帯がどのくらいかというと、これは異動いたしますが、約六千四、五百ぐらいにな
つておりますから、約一割一分五厘ぐらいまでが、これらの
軍人軍属の
遺族の方において
生活扶助を受けておる、こういうふうに相なります。これを全国的に見ますと、非常なる影響を持
つており、大きな衝動が起
つて来ると思います。身体
障害者の
軍人軍属の方は割に少いのでありますが、それでも横浜全市を通じますと相当の数に上
つております。