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吉田説明員 ただいまの
国債買上げ措置の問題でございますが、これは実に困難な問題でございます。と申しますのは、現在は、御
承知のように
産業資金の面におきましても、また
消費資金の面におきましても、非常に詰ま
つております。
従つて、
公債を
換金すると申しましても、なかなか困難な場合が多うございます。それで
市場ではややもすると相手の弱身につけ込みまして、これを買いたたくという傾向がございます。ことに
消費資金と申しますか、金が詰まつた者がかけつける場合には、
市場の
金利は非常に高くて、月に何分というやみの
金利が横行しておるような状態であります。
従つてそういう金を扱
つておる連中に
公債を持ち込むような場合には、非常に買いたたかれることになります。それで、私
どもといたしましては、なるべくこれは
市場にお売りにならないようにしていただきたいと思います。
これに対して、
政府で買い上げたらどうかということでございますが、これを買い上げるといたしまして、どういう形で買い上げるかということになりますと、非常にむずかしゆうございます。
生活の困難というような問題につきましても、その
程度、
段階等は
考え方によりますし、非常にきめがたい点もございます。
従つて、むしろそういうふうに買い上げて行くという形をとるよりも、これを年々少しずつお返しして行くという形の方が望ましいじやないか。たとえて言えば、
交付公債を、交付した方のうちの一割の方の分を
政府が買い上げて行くという形をとるよりも、一割ずつ年々お返しして行くという行き方の方が、結局は公平に行くのじやなかろうか。さもないと、おれも金がほしいんだというその御
意見は、おそらくこの
公債をもらう方の大部分が、ある
意味からいえば現金がほしい、これは今の
日本の
国民のだれしも、そう余裕のある人はございませんから、おそらく大部分の人は、現金をほしいというお
気持になるだろうと思います。しかし、現在のところ、この全額を現金でお渡しするということは、財政上許さない。それゆえに、また
公債という形に
なつたという点から申しまして、今後の財政問題、いろいろ問題があろうとは思いますが、せめて一割
程度くらいはそういうものを買い上げて行くという形をとりたい。しかし、一割ずつを買い上げるということは、実行上からい
つて、これを公平に行うことはでき得ない。そういう立場に立ちますと、むしろそれよりも、各
公債を毎年、たとえば十年の
公債を一年に一割ずつ償還して行くというような形にする方が合理的ではないかというような
考え方から、この
公債につきまして、一応一年間はすえ置きますが、二年目から年賦償還をいたして参りまして、そうして十年間に年賦で償還をして行く。そういうふうにいたしますと、一応の計算でございますが、たとえば六分の利子でございますが、これでもし半年ずつ利子を拂うときに少しずつ年賦償還的にお返しして行くことにしますと、利子は大体半年で千五百円でございますが、このほかに最初の年は元金を二千五百三十五円半年でお返しする、
従つて大体二年目から十年目まで九年間平均して年賦でお返しするとすると、利子を合せまして、半年三千六百三十五円、一年で計算いたしますと、七千二百七十円余りをお返しすることができる。その場合、最初の年は、一年でいえば利子が三千円で、元金をお返しするのが四千二百七十円というようなふうにいたしまして、利子と元本とを合せて毎年均等な額をもらえるようにお返しすることが、一番合理的ではないか。(「毎年の金額は幾らですか」と呼ぶ者あり)一年間で申しますと、毎年七千二百七十円ぐらい、これが、初めのうちは利子の部分が多くて、元本の方が少うございますが、だんだん元本が出て行きますと、たとえば九年目になりますと、利子をお返しする分はごくわずかで、一番最後の年の半年を考えますと、利子が百五円で、元本が三千五百二十九円――これは半年分でございますが、そういうふうにな
つております。そういふうなお返しの仕方をするのが一番適当ではないか。
しかしこの場合に、さらに非常に
生活の御困難な方は、
子供もだんだん大きくなればいいけれ
ども、まだ
子供も小さいというような方もずい分おありだろうと思います。そういう方にはこの十年をもつと早くお返しするようにしたらどうか。そういたしますと、一年すえ置きまして、二年目からこの年賦金が入るわけでございますが、その場合には、これは五箇年の年賦償還でございますが、一年に一万一千七百二十二円という計算になります。これは元本と利子がいわば早く帰
つて来るわけでございます。これは最初の半年をと
つていえば、千五百円の利子に対して四千三百六十一円の元金を返す。それがだんだん最後に参りますと、半年で利子が百七十円で、元本が五千六百九十円をお返しする、そういうような計算で返還されて行くわけです。大体そういつたような構想で年々お返しして行くということが、遺家族の方が一時の
生活を糊塗するというのではなくて、長く更生するために生き続けられるという
意味において、一時に
公債をお売りにな
つて、それを荒波の中でもまれてとられるよりも、むしろこういう形で長くお使いになれるようにした方がいいのじやないかというふうに考えておる次第でございます。
従いまして、
担保貸付の問題もござ伴いますが、これまた
担保として貸し付けるといいましても、なかなか困難な場合が多いかと存じます。現在といたしましては、ある
程度生業資金というような面について、あるいは府県の
生業資金、あるいは
国民金融公庫の
生業資金という場合に、この
公債が活用される道は開く必要があるとは存じますが、これの譲渡を自由にいたしておきますと、とかくいろいろなものにひつかかりやすい。ことに遺家族の方は、
未亡人や若い
子供たちが多いわけでございますから、そういう危険もあるというような
意味で、むしろ讓渡を禁止して、そうして
政府なりあるいは地方団体なりが、特別な
措置をするというような場合には、譲渡もできるし、
担保にとることもできるというような
制度へ持
つて行つたらどうかと考えておるわけでございます。
なお最後に、
公債の形式、
弔慰金の性質を表わすために、どういう形式を
とつたらいいかということにつきましては、実は私
どもの内部でも、まだ最終決定をいたしておりませんが、大体
公債でございますので、従来と同じ
公債という形で差上げることになります。ただ、これらの性質から申しましても、あまりきらびやかな、いわゆる豪華版の
公債を発行することは、かえ
つて遺族のお
気持に合致しない面もあるのじやないかというような点から、あまり形の大きい
公債にしないで、まあいわばじみな形で
公債を作成いたしまして、お渡しするようにいたしたいというふうに考えるのでございます。