○苅田
委員 どこに遺骨がどういうふうに残
つているかというようなことが、終戦後六年も七年もた
つた今ごろにな
つて、まだこれから
調査しなければならぬというようなことでは、実際今までそういう方面に
調査の部課を設けてお
つてどういう
仕事をしてお
つたのか。一体ここでそういう
仕事をや
つていたのか、それともそうでない
仕事が、そういう
建前でやられていたのかというようなことが、非常に疑問にな
つて来るわけです。それから特にあなたがおつしやるように、今後の賠償の取立てに対して参考にしたいということのために、こういう一部課を残して、今後もやはり店開きをしていなければならぬかどうかというふうなことも、私どもは非常に問題になると思うのです。そういう点につきまして、私どもここで、できればもつと実際上の
調査もや
つた上で、そういうふうなものを実際残しておく必要があるかどうかということも検討しなければ、簡単にこれはいい、このまま残しましようということは、ちよつと言い切れないと思うのです。こういうことにつきましては、
総務課長に御
答弁を求めることは、ちよつと無理かと思いますので、やはり私は後刻こういう問題に関しましては、
大臣がおいでになりますれば、直接
大臣からも
お話を聞きたい、あるいは
援護庁の
長官からも聞きたいと思いますけれども、総じて、今まで勅令によ
つてできました
引揚援護庁というふうなところが、近年アメリカのジャーナリストであるマーク・ゲインなんかの
日本滞在日記を見ましてもわかりますように、何とかして旧
軍人軍閥の勢力を温存したいという一つの逃込み場所として、こうした
復員局等に、必要でない、つまり実際は
日本が民主国家として誕生するためには好ましくないようないろいろな根が、ここに温存されてお
つたのじやないかということが、そういう
資料なんかから見ましても、想像できるわけなんです。特に今後こういう勅令が廃止されまして、新しく
日本独自のものとしてここにつくられるという機会に遭遇いたしまして、私どもはこうした世上での、
復員局の
機構を利用いたしまして、旧在郷
軍人等の再組織、地下組織が進められておるというようなうわさをひんぴんとして聞いております際でもございますから、こういう問題につきまして、私どもは、もつと徹底的な
調査究明をいたしませんことには、この
引揚援護庁をそのまま存置するということに対しましては、了承できないと思うのです。こういう点につきまして、後刻
大臣なり
援護庁長官なりの御
出席を得ました上で再度質問したいと思いますので、きようおいでにな
つております
政府委員に対する質問は、このくらいにいたします。