○中出
説明員 御
説明申し上げます。この工事は
昭和二十三年の五月の入札で、明楽工業株式
会社に落札いたしまして、同年の六月に
産業復興公団との間に新たに正式に請負
契約を締結いたしまして、工事に着手いたしたのでございます。
工事
代金の支拂い
状況について申し上げますと、この
契約の第十九條に定めている
通りでありまして、それによりますと、工事完成前に業者から
契約金額の内拂いの請求があ
つたときは、
公団は
契約金額に工事進捗率を乗じて得られた
金額の九割までを支拂うということにな
つておりますので、この規定によりまして、
昭和二十二年法律第百七十一号に基きますところの所定の請求書を受けまして、これを精査いたしまして、
昭和二十三年の八月末に二百七十二万二千円、同年十一月に二百十六万六千円、翌二十四年二月に百七十八万六千円、合計六百六十七万四千円の支拂いをなしたのでございます。この支拂いのうちの最後の分は、すでに工事が中絶
状態にな
つてからでございますが、これは
昭和二十三年の十一月二十五日に、当日までの進捗度に基いて
会社から内拂いの請求がありまして、
公団におきましては、翌十二月二十五日、
職員をして右進捗度の現場
確認をなさしめました。その
報告に基きまして、翌年一月二十一日支出決定の上、二月中に支拂
つたものでございます。
次に、今申しました六百六十七万四千円の支拂額中、三百三十八万三千三百五十六円が過拂いであるかのように
なつた、その
事情について申し上げます。本工事は前に申しました
通り、
昭和二十三年の十二月ごろから事実上中絶
状態とな
つたのでございますが、工事中止につきましては、
関係官庁の指示を要すべき次第でもございますし、また
公団としては、
責任上、当時あくまでこの工事を完成せしめる方針でおりまして、爾来、
昭和二十四年の十月に至るまで十数回にわたりまして工事の続行とその完成の促進方につきまして、
会社側と嚴重なる交渉を重ねたのでございます。しかるに
会社は経営がますます苦境に陷りまして、工事の再開と完遂の能力がま
つたくないと認められるに至りますとともに、
昭和二十四年の十月二十二日、経済安定本部生産局長からの指示もございましたので、遂に工事を中止することに決定いたしまして、同年十一月七日
契約を解除いたしたのでございます。そこで
公団はただちに
契約の第二十一條の第二項、すなわち、
公団が
契約を解除した場合には、工事の出来形部分で
検査に合格したものは
公団の有所とし、
会社は遅滞なくこれを
公団に引渡すものとすというその條項に基きまして、
昭和二十四年の十一月十四日、資材を含めます出来形を引取
つたのでございます。しかしてその価額は三百二十九万六百四十四円と見積られたのでございます。ここで前に支拂いました
金額との差三百三十八万三千三百五十六円が過拂いというようなことにな
つたのでございます。そこでこのような差額がなぜ生じたかということについて
調査いたしたのでありますが、その
原因は、
契約金の一部を支拂いまして明楽工業がその現場に搬入した資材を、
会社が不要になりまして、残りの
代金を拂いませんので、その資材を入れた者がそれを持ち去
つて行
つた。それからその現場に
会社の駐在員がお
つたわけでございますが、本社からその給與その他の経費を送りませんので、自活上その資材を持ち出して売
つた。それからこの工事の資材として持ち込まれたものが、他の工事のやりくりのために、ほかに持ち出して行
つたということがわか
つたのでございます。実は
公団におきましては、当初
監督員を五名現場に駐在せしめてお
つたのでありますが、長らく工事が中絶の形とな
つておりますし、また一面
監督経費もなくな
つてしまいましたので、漸次減員しまして、二十四年七月限り全員の引揚げをいたしたのであります。その後解約までの約四箇月の間に主として持ち出された標様でございます。
ただここで一言申し上げたいのは、資材は先ほど申しました
通り、解約して初めて
公団として引取ることができるのでございまして、解約までは
公団として有効にその打出しをさしとめることが困難であ
つたという
事情もあ
つたのであります。たとえば、
昭和二十四年の十一月解約後に、同
会社の従業員組合が未拂い俸給確保のために、現存の資材を差押えられたのでございますが、所有権移転後でありましたので、この差押えを解くことができたのでございます。以上申し述べましたような経緯によりまして、結局
公団は三百三十八万三千三百五十六円の過拂いを生じたことにな
つております。
そこで
昭和二十五年一月の十二日に、同社専務取締役の明楽治雄を連帯保証人に加えまして、
公正証書による右過拂い金返還に関する債務弁済計画を作成した次第でございます。この
公正証書によりまして確保された過拂い金の
回収状況並びに違約金について申し上げますと、まず右
公正証書作成の翌十三日、右債務弁償の催告をいたしますとともに、解約に伴います違約金二百九十九万余円の請求を行
つたのでございます。しかし期限の同月二十二日までには弁済が得られなか
つたのでございます。そこで
会社財産の
調査をいたしたのでございますが、
会社が仙台の特別調達局に対しまして未収
代金が百五十万円ほど残
つておるということを探知いたしましたので、さつそく裁判所に申請して、二十五年二月十八日その転付命令を受けたのでありますが、そのときはすでにその二日前に国税滞納処分によ
つて仙台税務局から差押えられておりましたので、実効をあげられなか
つたのであります。さらに
会社の財産を厳密に
調査いたしましたが、ほかに何ら
回収に資するような財産を発見し得なか
つたのであります。一方この間、
会社並びに連帶保証人に対して、厳重督促をいたしてお
つたのでありますが、その結果三月二日に
会社が出頭して参りまして、次のような條件で支拂う旨の申出があ
つて、
公団といたしましては、やむを得ないので、これを承認いたしたのであります。すなわち第一回は三月二十日、百三十万円、第二回は五月二日、百万円、第三回六月三十日残り全部というのであります。そうして第一回の支拂い分につきましては、期日に間違いなく支拂いを受けたのでございますが、第二回分は期日に至りましても支拂いがありません。そこで
公団といたしましては、伊達弁護士に
残額の厳重な取立てを委任したのであります。しかし
会社は二十五年八月に至りまして、この工事を初めといたしまして、他の数々の請負工事が不履行になりましたために、建設省から業者登録を取消されまして、その
関係で営業が不能となり、
解散向様とな
つてしまいまして、右の
債権の
回収はほとんど不可能に近くな
つたのでございます。爾来
会社の財産の
調査を続けてお
つたことはもちろんでございますが、
昭和二十六年の三月末
産業復興公団も
解散となりまして、いよいよ
債権の
処置をつけなければならなくなりましたので、
調査の遺漏なきを期したいと思いまして、同年の五月、東京商工興信所に依頼して信用の
調査をいたしたのであります。しかし差押え
回収できますような財産は、
会社並びに連帶保証人ともにございません。しかも巨額の債務が現存するとの
報告を受けたのでございます。さらに
公団におきましては、租税
関係がどうな
つておるかということについて
調査をいたしてみましたところ、国税の滞納額が、全国を通じまして千九百五十万円に上
つております。全差押え物件の処分をいたしましても、約五百万円程度の収入にしかならないだろうというようなことの見解がわか
つたのでございます。なお
会社のその他の債務は約一億円に上
つておる標様で、最も優先権のある国税についてさえ、今申し上げましたような
事情でありますから、その他の
債権の
回収は、
担保権を特に有していない限り、ほとんど不可能に近いと
考えられるのでございます。
以上のような次第で、この
債権は最初百三十万円の収入を得ましたほか、今日まで何ら
回収できませんでした。また右の
事情でありますので、今後におきましても、おそらく
回収は不可能と存じておる次第であります。国家に損害を及ぼしました点につきまして、まことに遺憾に存じておる次第でございます。なお違約金につきましては、前にも申し上げました
通り、解約後ただちに
内容証明郵便をもちまして郵送したのでありますが、過拂い金と同じように、今日まで何らの支拂いを受けていないのであります。
以上をもちまして
説明を終ります。