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黒田委員 ただいまの大橋国務
大臣の御
説明では、私の疑問が氷解したとは言えませんけれども、これはこの
程度にしておきまして、少し
質問を進めて行きたいと思います。
政府が警察予備隊は
軍隊ではないということの
説明をいたされます場合の他のいま一つの
説明の
方法は、ただいま法務総裁の申されましたように、現在の警察予備隊の装備の
程度では、近代戰に耐え得るだけのものではないから、かくのごときものをも
つて戰力ということはできない、こういう
説明であります。しかし私どもはこの
説明にも承服することができません。一体軍備の量というものにつきましては、私どもは、いろいろな観点からこれを考察することができると思います。たとえば絶対的な所要量というような見地から、量を
考えることもできますし、それから他国の軍備との
関係的な所要量という観点から
考えることもできます。それからさらに自国の国力に相応した所要量、必要量、こういう点からも
考えられると思う。たとえば、先ほど申しましたような絶対的所要量、
日本ではこれだけのものがほしい。他国の軍備がどんなに多かろうと少かろうと、そのことには
関係なく、このような比較を超越しまして、とにかく
日本の状態ではこの
程度の軍備がいるだろう、こういう方面から見た軍備の量というものも
考えられます。けれどもこれは今日
日本においては問題になり得ないと思う。
従つてこの場合に当らないから
軍隊でないというようなことは、私は言えないと
考えます。
それから他国の軍備との
関係的な面における所要量でありますが、たとえば
アメリカは非常に厖大なる軍備を持
つておる。ソ連も厖大な軍備をも
つておる。そういうものとの比較におきまして一体
日本はどの
程度の量を持
つておるかというような
意味での量も
考えられます。こういう点から比較的に
考えまして、
アメリカのような軍備の厖大な国に比べて、
日本国の軍備の量があまりに少いからとい
つて、この
関係において、すなわち
日本の持
つておる一定の裝備が他国に比較して問題にならぬから、だからそれは軍備とは言えぬ、こういうことも私は言うことができないと思います。どうも
政府は、私どもが今申しましたような
意味において、すなわち予備隊の裝備は他国の軍備に比較して問題にならぬという面をとらえて、現在の警察予備隊の裝備の点から、それを戰力とは言えない、こういうふうに御
説明にな
つているように思われます。しかしながら自国の国力に相応した軍備の量というものも
考えられる。今
日本でジエツト機まで持とうなどと
考えましたところが、
わが国の財政がこれを許すものではありません。
従つてそういうことを
考えるのはナンセンスであります。また
日本の国力でこれこれの量がほしいと
考えましても、独力で外国の侵略を防ぎ得るだけの量の軍備を持つということは、これも不可能なことでありまして、これは
日本だけでなく、おそらくソ連あるいは
アメリカを除けば、どこの国でもそういう状態であろうと思います。そこで私はそこまでのものにな
つていなくても、自国の国力に大体において相応した
程度のものであれば、それが外国の侵略に対抗するというような意図の
もとで設けられておる限り、やはりそれは軍備である、こういうふうに解釈すべきであると
考えます。そこで私は單に予備隊の裝備は非常に貧弱であるから
軍隊でない、こういう
説明は私どもの納得できぬところであると思います。
そこで次に、ただいま法務総裁の
お話になりました
程度の具体性を持つ警察予備隊が、われわれの観念から見て
軍隊の域に達しておるかどうかという点を、研究してみる
段階に来ました。この点についても私は多少研究してみたのであります。先ほど申しました
国際連盟の軍縮
委員会で、非常に興味のある問題が取扱われたと思いますのでこれを御紹介申し上げてみたいと思います。
国際連盟の軍縮
会議準備
委員会のA小
委員会という
委員会で、こういう問題が出されております。それは国の国土を防衛するためにのみ使用する軍備があるかという問題として提出せられておるものでありまして、それに対しまして、かくのごとき軍備あり、という結論に到達しております。なおこれをもう少しこまかく分析しますと、「一定の
軍隊が純粹に防禦的精神をも
つて組織せられておるか、はたまた攻撃的精神をも
つて組織せられておるかを確認する
方法があるか」という問題でありまして、そこでは、「あり」という答えが出た。そして、そこで、一体そういうものはどういう
軍隊であるか、ということを具体的に示しておるのであります。これを見ると、
日本の警察予備隊というものと非常によく似ておる。それは第一は新式材料及び改良型材料の取得数量の僅少なること、平たくいえば、新しい軍備をすることができないような貧弱なものであること。第二にはただちに使用し得る兵力がきわめて僅少であるか、または減少する傾向にあること、要するに
軍隊の兵力が非常に少いということ。第三は現役年限が短期間か、または短縮する傾向にあること。それから第四は、訓練の
程度が比較的低いこと。第五は、国防費が比較的僅少であるか、または減額の傾向を示すこと。こういう
條件の
もとで維持せられておる
軍隊は、攻撃的精神を持
つておる
軍隊ではなくて、防禦的精神をも
つて組織されておるものである。しかしとにかくそれは
軍隊だ、こういうことにな
つておるのである。なお、非常に興味があると思いますのは、やはりその
委員会に
関連することでありますが、一九二六年の八月の軍縮
会議の準備
委員会において、ドイツの
委員がどういうことを言うたか。それは非常に興味があるのであります。ドイツの
委員はこういうことを申しました。これは、ドイツが第一次世界戰争で猛烈に攻撃的精神を発揮して、諸外国からその罪責を指摘せられたそのあとのことであります。そのときの
委員会で、ドイツの
委員は、決してドイツは侵略的な
軍隊を持つのではない、ドイツの持つ
軍隊は單に防衛のためのものにすぎないということを
説明して、次のように申しております。第一は、
国民の一小部分のみ兵役に服し、隣国に比し戰鬪力が非常に劣
つておること、ドイツは外国に比べて戰鬪力が比較にならぬほど弱いものだ、そういう
軍隊である。第二に、重砲、タンク、飛行機のごとき攻撃用兵器を、ごうもドイツの
軍隊は持
つていないということ、第三には、何ら動員
措置をなさぬこと、ただ今あるだけのものであ
つて、その他に動員
措置を持
つてはいないのだ、第四は、軍需材料の貯蔵量がきわめて不足しておる、こういう事実をあげまして、だからドイツの
軍隊は決して攻撃的
軍隊ではなくて、防禦的精神を持つ
軍隊にすぎない、こういう
説明をしておる、私どもはこういう、いわゆる防衛的
軍隊と称せられるものの内容を見ると、どうも
日本の警察予備隊がそういう
條件に当てはまるようなものであ
つて、名称上は警察予備隊と言
つておりますけれども、結局一種の
軍隊ではないか、こう感ぜられるのであります。繰返していえば、こういう過去の例を見まして、どうも警察予備隊が、
前述の、小
委員会において
説明されましたような内容に近い一種の、実質上の軍備である、こう私どもは解釈をしたいのであります。
この点についてはしかし私はこれだけ申し上げておくことにしまして、
最後に、大橋国務
大臣にお尋ねしてみたいと思うことがあります。それは、以上のように予備隊をその
軍隊化という観点から
考えて参りまして、さてその後で、
日本の警察予備隊のことをあらためて別の角度から
考え直してみるとき、結局、それは戰力ではないかといういま一つの重要な問題が起る。それについてであります。そこで、戰力とは何かということが問題になると思います。これについては私自身がかれこれと申し上げますよりも、学者の
意見を聞いてみた方が適当であると
考えます。たとえば
佐々木惣一博士にいたしましても、あるいは東京大学の公法学
関係の教授諸君にいたしましても、戰力とはどういうものであるかという問題に対しまして、
政府も十分に御承知のこととは思いますが、こういうふうに
考えております。
佐々木博士は、「陸海空軍その他の戰力」という場合の戰力は、陸海空軍のごとく戰争をなすの力を供給する
任務を有するものではない。陸海空軍は戰争をなすの力を供給する
任務を有するものであるが、その他の戰力というものは、必ずしもそういうものではないが、戰争をなす力を供給する可能性を有するものを言うのである。それは人たると物たるとはこれを問わない。たとえば何らかの体制を有する人の集団をつくり、必要に応じて軍事行動をなさしめるよう、計画的に訓練しておくというようなものは、これは憲法第九條第二項に言う戰力であ
つて、これを保持することは許されないのである、こういうふうに
説明をしておられるのであります。私もこの
説明に賛成をするものであります。また東大の教授諸君も大体同じような解釈をしておると思うのであります。すなわちはつきりと
軍隊という形で現われておるようなものでなくても、一たび戰争が起
つた場合に、ただちに戰争に用いることのできるような潜在的な戰力も、憲法で禁止されておる戰力の中に入るものだという解釈で、たとえばその例の一つとして、警察力というようなものも、それ自身では戰力ではないけれども、一定の
程度を越えれば、戰力に該当するものとして、これを保持することを禁止せられるのである、こういうふうに
説明をしております。そこで私どもはこういうふうに
考えて参りますと、どうも現在の警察予備隊は、固有の
意味の
軍隊というものでは、かりにないといたしましても、少くともその他の戰力という、その戰力に該当するのではないかと思います。時間がございませんが、私はもう少し話を進めて、私の
意見の結論を出しておきたいと思います。
そこで次に問題になりますのは、ある
施設が戰力であるかどうかということの限界をどこできめるかということで、これは非常に微妙な問題であります。この点については、私は木村総務総裁や大橋国務
大臣が今まで仰せられたような
條件をも
つて、戰力であるかいなかの境界線とされるその
考え方には賛成できない。では、前進の学者や教授諸君は、どういうところに基準を置くべきであると言
つておるかと申しますと、結局、
一般的に限界をどこに引くかということを機械的にきめることはむずかしい、それは不可能である、個々の場合に具体的にこれを
決定するほかはない、こう申しておりまして、なおその
決定の基準は、客観的に見て戰力と言えるかどうかにあり、政村が戰力であるとかないとか、どういう
説明をしているとかいないとかは問題ではない、客観的に見て戰力と言えるかどうかということで判断するよりほかはなかろう、こう言
つております。これは私は妥当な説だと思います。そこでこういう妥当な説に
従つて、警察予備隊というものの
現実を見ると、どうであるか。この警察予備隊が、
安全保障條約というようなものと結びつかないで設けられておりますもりであるならば、私は疑問を起さない。けれども
安全保障條約というものとの
関連において設けられておる制度である。このことは、私は客観的に見て、これが
軍隊的なものであるという解釈をなし得る一つの根拠になると思います。
それからいま一つは、先ほど法務総裁の申されましたように、旧軍人を多数に幹部に入れておる。そうして今具体的な方策を
説明することはできないけれども、とにかく将来これを拡大強化する方針である。こう言われておる。こういうふうに
安全保障條約に結びつき、そうして警察予備隊の裝備並びに人的性質並びに配置の現状、さらにこれが将来拡大強化される傾向、そういう諸点をとらえて客観的に判断するとき、
政府がどう仰せられようとも、それは少くとも戰力だ、固有の
意味の
軍隊にまではな
つていないとしても戰力だ、いざという場合にはいつでも戰争に用いられる意図をも
つてつくられておるものである、こう私は思う。これは現に大橋国務
大臣もただいまそう言われました。こうおつしや
つた。本来は間接侵略に対するものであるけれども、万一侵略が起
つた場合にこれを使わないということはないのだ、そう言われた。これを直接侵略に対して使うということを、本来の使命としてこしらえたものではないけれども、侵略が起
つた場合には、この警察予備隊は手をこまねいて見ておるものではない、それに対して戰うのだ、そういう面もあるのだと仰せられた。こういうものは私は戰力だと思う。今固有の
軍隊にな
つていないとしても、戰力だと思う。私どもはこういう
意味で、これは
政府は私の
質問に対しましてどう
お答えになるかわかりませんが、こういう
意味で、私どもは、警察予備隊は戰力の域に達しており、すでに
政府は憲法違反をや
つておる、こう思う。これだけ申し上げまして、大橋国務
大臣の御
意見を承りたいと思います。