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1952-03-12 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年三月十二日(水曜日)     午後一時四十五分開議  出席委員    委員長代理 理事 池見 茂隆君    理事 若林 義孝君 理事 受田 新吉君       飯塚 定輔君    稻田 直道君       川端 佳夫君    玉置 信一君       玉置  實君    福田 喜東君       松永 佛骨君    丸山 直友君       亘  四郎君    清藤 唯七君       堤 ツルヨ君    苅田アサノ君       中野 四郎君  出席政府委員         外務政務次官  石原幹市郎君  委員外出席者         外務事務官         (大臣官房審議         室勤務)    三宅喜一郎君         参  考  人         (日比協会設立         準備委員長)  神保 信彦君     ————————————— 本日の会議に付した事件  参考人招致に関する件  フイリツピン地区残留胞引揚促進に関する件     —————————————
  2. 池見茂隆

    池見委員長代理 これより会議を開きます。  本日は委員長が不在でありますので、私がかわりまして委員長の職務を行います。海外胞引揚促進に関する件について議事を進めます。  この際お諮りいたします。本件に関しては、今なおフィリピンルバング島等の島に残存しておる元日本軍将兵收容並びに引揚げについて心を痛めておるものでありますが、先般フィリピン当局の好意もあり、これら残留兵の収容のためフィリピンにおもむいた神保信彦君が先月二十九日に帰国いたしましたので、その事情を伺うことに予定しておりました。本日ここに神保信彦君が御出席くださいましたので、神保信彦君を本委員会参考人として事情を聴取することに御異議はありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 池見茂隆

    池見委員長代理 御異議なければさよう決定いたします。  それではこれより神保信彦参考人よりお話を承ることにいたしますが、その前に一言ごあいさつを申し上げます。神保参考人には、御多忙中のところ特に御出席を煩わしまして、まことに恐縮に存じます。厚く御礼を申し上げます。神保参考人
  4. 神保信彦

    神保参考人 私先般フイリピンに参りましたが、日本人として個人として、初めて行つたような関係であります。そこで今日の議題にありますフィリピン在留日本人状況お話します前に、御理解になる前提としましてフィリピン情勢簡單に申し上げたいと思います。  私が行きました目的は、ロハス大統領夫人並びにキリ大統領の招請で、お墓参りということと、それともう一つは、ロハス氏の物語りを書くので、資料編纂というのが目的でありまして、その間に皆さんとお会いして旧情をあたためるという人道的な目的であつたのであります。ところが御承知のようにフイリピンに入国するということは、今非常にむつかしいのであります。これはあとで説明申し上げますが、何といいますか、一種の鎖国政策のようなものではないかと思うのです。それで嚴密な委員会がありまして、資格を吟味いたしまして、やはりなかなか入れないようです。そうして閣議で決定するようです。そういう関係ですから、よくフイリピン情勢がわからずにわれわれおつたのですが、行くようになりまして、一月の中ころにルパング島に日本兵が四、五名残つておるということが確認されたわけです。それからミンドロ島ミンダナオ島及びルソン島にも残つておるという情報がだんだんと私の心によみがえりまして、残留日本人様子を調べて来たわけであります。  フィリピンに行きまして気のつきますことが二つあります。それはフィリピンの対日感情が予想以上に悪いということです。これは端的に言つていいか悪いかわかりませんが、実際に悪いです。われわれは非常に甘く考えまして、政治家のある程度の政策土の問題だろうと思いましたが、実際に悪いです。たとえばパーティをやつたり、あるいはレストランなんかに行きましてボーイや何か、日本人だとわかれば必ず言います。私のおやじが殺されたの、兄弟が殺されたの、家が焼かれた。これは戦争日本人がやつた日本人ジヤツプジャツプと今でも言います。それからたとえば自動車に乗つて日本人だとわかれば、運転手が言いますし、宴会などで女、ばあさんは、まだなかなか敵愾心が残つております。この民族感情が、このように熾烈にずつと根強くありますので、フィリピン政治家としましても、この民族感情の上に外交、政治をとらざるを得ないのだろうと思います。決して日本だけに排日をやるというわけでもないと思います。これはまた歴史的に考えましても、ちようどフィリピン建国早々日が浅いのでありまして、完全に独立しましてから五年か六年です。そうすると明治維新のようなものです。日本建国早々尊皇攘夷から発達しまして、それが世界情勢によつてだんだん開国、進取、経済、貿易と進んで行つたわけでありまして、初めはやはりどの国家においても、民族内部団結をはかるために、どうしても対外強硬政策をとるのだろうと思います。私はそういうように大まかに同情して見て来ましたが、確かに一般に悪いということは、前提にしなければならぬと思います。そこで現在の日比関係におきましては、やはり賠償問題が懸案になつておりますので、向うではやはりはつきり非常に不安を持つておるようです。そうしてまた一面に、日本が強く出れば、フィリピンも強く出ようというような考えがあるのではないかと思います。私は政治の問題はよくわかりませんが、そこでこれはどうしても対日感情が悪いということを前提に置いて、海外胞引揚げといういろいろの政策も、交渉も進めて行かねばならぬと思います。  それからフィリピンで気つきますことは、たとえばマニラの町のまん中にフオート・サンチャゴという要塞があります。昔スペイン時代要塞です。そこなどにガイド、歩哨が案内してくれますが、そうするとやはり日本が占領当時——終戦のときだと思いますが、昭和二十年ごろ、憲兵隊に留置した者を拷問をやつた部屋とか、虐殺をやつた部屋をそのまま歴然と残しておぐのです。そうして五百メートルぐらいの広い牢屋ですが、穴が掘つてありまして、ここでつるし上げて、日本人フイリピン人を殺してそうしてここへ死骸を積んでここに埋めた。そのお墓はここなんだとよく説明します。そうしてやはり昔の残虐的なところを日本人理解させようとするわけです。また半面に、山の中におつたゲリラも、これもやはりフィリピンでは抗日の英雄というようなぐあいになつておりますので、やはり初めは抗目的政策をとつたのだろうと思います。その薬があまりきき過ぎて、現在のようになつたのではないかと思います。そこで日比関係が、われわれが考えるように、いくさが終つてお互い理解の手を差延べておるという状況でないということを前提にして研究されることを希望いたします。  それからそういう対日感情と、もう一つの問題は、フイリピンのあちこちをまわりまして気づくことは、治安が非常にいいということです。これは復員省あたりでも調べておりましようが、フクバラハップの共産党がありまして、それが中共と手を握つてはおりますけれども、それも昨年の初めごろから国防軍討伐が徹底しましたので、逐次山の中に追いやりまして、一般農村治安がいいようです。いろいろの家庭産業的なものも復興しましたし、それから元来平和愛好国民ですから、のんきに日を暮すというような関係で、そういろいろ犯罪もないし、また軍隊も少いながら近代装備軍隊が配置してありまして、討伐なんかも熱心にやつておりますので、ぼくは治安が非常にいいのだということに気づきました。従つてフィリピンが共産化して行くというようなことはまあないということも、私は自信を持つて考えて来ました。その反面に、今の排日感情が強いということです。  そこで、モーンテンルパ牢屋に半日ほど二へん行きまして、皆さん会つてよく懇談しました。また国防軍マグサイサイ大臣首脳部一緒にあつちこつち見まして、それからまた飛行機ルバングの上なんかも偵察しましたが、日本人状況を、私の知つている範囲を申し上げようと思います。フィリピン残つておる日本人がどういうものかということは、これは大東亜戦争日本海外に何百万という将兵をばらまいて、その跡始末ですから、各地に日本将兵日本人残つておるわけです。その一つの、何といいますか無形的な意味でフィリピン日本人を研究したいと思うのです。その数ですが、数は、大体においてフイリピンでなくなつた英霊は大きく四十七万と押えております。これはマッカーサーの方でもまた日本復員省の方でもそのようです。この四十七万の英霊が海没し、あるいは飢餓で死んだわけなのですから、その家族の数が、その五倍としましても三百万や五百万おるわけなんですから、これがまた大きなもので、フィリピンについての関心というものは日本人に未来永劫に残るものだろうと思います。そこで、残つておる人ですが、これをいろいろ調査してみますと、ルバングあたりにせいぜい五名くらいだと思います。それからミンドロ島というのがありますが、ここはジャングルのひどい山の中で、マラリアの多い所で、ちよつと住めない。住めないということは、何といいますか、町のない所ですが、その付近で軍艦武蔵が沈没して、その海軍の将兵もその島にのがれ込んでいますし、ルソン島からも逃げてミンドロ島に隠れております。またミンドロ島内に約二箇中隊の兵が警備しておりましたが、それも憲兵や何かの様子を調べますと、やはり残つておるようです。そこでミンドロ島に大体私は約三百名ぐらいおるのではないかと思います。これは百名ないし三百名とお考え願えばいいのです。それからセブ島、レイテ、その辺にも合せまして五十名ぐらいおるようです。セブ島が十名ぐらい、レイテ島が三十名ぐらいではないかと思います。それから南の方にミンダナオ島という、ちようど日本の北海道と同じぐらいの大きさの島がありまして、昔日本ダバオ麻を開拓したなごりの場所があるのですが、このミンダナオ島には敵が上陸しなかつたので、ここにおつた者は一中豫とか一中隊とか団体を組んで、士族の酋長などを連れて、アボ山という山の中にどんどん入つて行つたというのです。いろいろ私のところに情報を持つて来る者は、千名おつたとか、二千名おつたと言いますが、現在はせいぜい二、三百名ぐらいではないかと思います。それがアボ山という山のふもとにいるというようになつております。これからパラワン島という島がずつと西南方にありますが、そこにも十二名ほどいる。そのパラワン島の十二名が、何か別の島に上陸して来て土人とぶつかつたとか、殺されたという話がありましたが、そのようなことで、大体大きく押えまして、フィリピンには四百名か五百名ぐらいが確実なところいるだろうと思つておりました。想像といいますか、生存し得る数としては千名も二千名もおつたのでありますが、確実なところでは四、五百名と大きく押えております。そこでこれの発表ですが、フィリピン国防軍の方ではせいぜい百名ぐらいに発表しておるようです。これも理由のあることでありまして、フィリピン軍の面目にも関しますし、またソ連の引揚げに関するいろいろの言質を與える関係もありますので、最小限になります。またフィリピン軍隊が山の中に入つて討伐いたしましても、日本の敗残したゲリラ人々をつかまえることはできないだろうと思います。これはわれわれが昔戦闘をやつておりましても、ゲリラをつかまえること、討伐ということは非常に苦労が多くて、むだの多いものであります。片方では鬼熊のように山の中をかけまわつて逃げて行くのですから、なかなかむずかしいものです。この間行きまして、国防軍の将校に会つて聞きましても、やはり各守備隊が、あすこに日本兵が現われたとか、この部落日本人が来て殺戮したからというので討伐に行くらしいのです。また情報を集めまして、この部落日本兵が三十名おつて、今何か食事をしておるからというようなニュースがあるので、至急出動するらしいのですが、行つてみるといつでも日本兵はいないと言つておりました。片一方は命がけで逃げておるのですから、それが実際だろうと思うのです。それで大体の数は、フィリピンに五百名ぐらいがおるというのは間違いないと思つております。そこでルパング島の日本の人が帰つて来ましたり、また戦犯でおつた人の話を聞きますと、戰犯でおつた人は、やはりゲリラ残つてつて戰犯になつた人ですが、そういう人の話を聞きますと、どういう気持で残るかというと、やはり終戰のこんとんたる時代に山に入つた人は、依然として日本は戦いに負けないのだ。山下大将が迎えに来るという考えを持つておる人がいるのです。これはまことにけなげなものですが、それでがんばつておるのです。その次は、大体どうも負けたらしいが、これから山の中から部落行つて警察隊に投ずれば、もちろん戦犯ひつぱられるだろうし、殺されるだろう。それよりは講和條約締結まで待つてつた方がよいではないかという、生命の安全というようなことから残つておる人もあるようです。それからその次はタゴボ族とか、ビサや族などと一緒に山の中の部落に入つておる人は、終戦後約十年近くたつておりますから、ある程度家庭生活を営んで安定しておるのではないかと思います。これは想像ですが、いろいろ情報を調べますと、子供とか女を連れて山の中におるとフィリピン人が言いますから、そうすると、人間至るところ青山ありで、やはりジャングルの中もよい、そういう間に平和な国民になるのではないかとも思われます。  そこで大体五百名の日本人をどうするかという問題ですが、出発前に私のところにも、いろいろ手紙なり、慰問品医療品のようなもの、それから投降するものを託されまして、荷物になりましたので船で送つておいたのですが、そうしてモーンテンルパとか、そういうところに届けるものは届け終つてしまつたのです。たとえば、私の夫がレイテ島でなくなつたから、レイテ島行つて手紙を埋めてくれとか、あるいは北部ルソンで戦死しておるから、そこにある土を持つて来てくれとか、あるいはミンダナオのどこでなくなつたはずであるから、その死骸を探して来てくれとか、それから室中から紙をまいてくれ、水をまいてくれ、そういうことを依頼されるのですが、これはまことに情においては切々たるもので、人間のとうとい感情でありますが、これは冒頭に申し上げましたように、フィリピンの対日感情と、治安状況をまだ御理解にならぬからだろうと思います。大体においてマニラの町も、日本人であるということがわかつたならばめんどうです。いわんや、そこから外に出るということは、日本人としてはきわめて危険で、だれも行つた者はない。いわんやレイテ島北部ルソン島なんかの古職場にはとても行けません。それからまた日本人無名戰士の墓というものもありません。山下、本間さんのお墓も掘られて内地に運ばれておるという話です。曹洞宗の管長さんからも、日本の仏教徒のために、経文のりつぱなのを届けられて、これをマニラの町に埋めて、そうして四十七万の英霊のかわりにマニラの土を持つて来てくれという話もありましたが、それをいろいろ外務軍マニラ市長と相談してみますと、やはり感情としては、まるで受付けないのです。まだそういうことをやるほどに目比空気が溶け合つておりません。もしそういうことを作為的にやつた場合には、フィリピン人は墓を掘り返したり、墓地をこわしたりするという危険があるから、それはしばらく時期を待つてくれというのであります。今その問題につきまして、マニラ市長交渉しております。そういう戰死者の遺骨の問題、お墓の問題、あるいはお経文を埋めるとか、そういうことは、まだ日本がそれをやり得るまでに、日比関係というものは溶け合つておらないと私は思います。これはこれからの政治空気ができ上つてからできることでありますので、今そういういろいろの行事を催すことはかえつて逆効果が起ると思います。たとえばせつかくお人形を送つてつても、向うでは受付けない。ことに女の人が受付けないようでした。それからいろいろの誠意も、自分だけのひとりよがりでありますと、向うの方はその空気になつておりませんから、そこがまあ交渉の大切な点だと思います。  そこで五百名くらいの日本の残存しておる人々をどうするかという問題ですが、これを皆さんにお聞きしたいというので、一応帰つて来たのであります。これはどうしても私らのような個人の力、あるいは家族の力ではとてもできないものであります。第一そういう空気が今、日比の間にでき上つておりませんから、そこでまず第一の問題は、日比の間に敗残日本兵を返す空気をつくることです。そうしますととどうしても起つて来ますことは、日比空気を好転させることです。賠償の問題が現在のようでありますと、まだまだ敵、味方様子になつておりますし、それからまたフィリピン民族感情を直すために、そうよい近道があるというわけでもないだろうと思います。これはどうしても相当の時間をかけ、日本が堅忍持久してフィリピン人を啓発的に指導して行く、世界情勢を教えて行くという非常な大局的な立場をとつてフィリピンに臨まなければいけないと思います。それにはまず政府の問題が主になると思います。しかし政府の問題は、民主国家ですから、どうしても議会人々の力というものがフィリピン人に作用が大きいようです。御承知のようにフィリピン議会が第一義ですから、日本議会でも引揚委員会人々が、日本戰犯引揚げ、それから敗残兵引揚げや、懇願のことについて非常に努力しておられるということはよく皆さん御了解になつております。ちよつと話はわきにそれますが、モーンテンルパに行きましたときは、みんな議会人々家族人々、それから愛の運動というようなことにつきまして、現在において最大の努力をわれわれ祖国から受けておるというように感謝しておりました。そこで議会が第一線に立つてやはりこの引揚げ運動をやつてもらわなければならぬのではないかと思います。そこでどうするかとなると、私それからあとはわからなくなるのですが、やはり委員長やあるいは衆議院の議長さんあたりからフィリピンの国防大臣なり、キリ大統領などに、形式を離れた実情の手紙個人としてお出しになるのがよいのではないかと思います。そうするとこれは人種敵味方を離れて、人間の愛情というものが通じますから、個人立場ですと議会の法規にも関係ないと思うのです。そういうのでまずメッセージなり嘆願をする、その次には今からだんだん準備をしまして、引揚げ同胞委員のようなものをおつくりになつて、これを政府指導のもとにフィリピンに送られたらよいのではないかと思います。それには援護庁あたりが主になりますが、そうして呼びかける、それには三月くらい正確なところを調査研究された方が私はよいと思います。その間にだんだん日比情勢も進みますから、三月くらいの余裕を置いて準備しまして、とりあえず帰順工作班というようなものをお出しになるのがよいのではないかと思います。そうして結局こうなればもう山の下におりて来る、フィリピン治安がよくなつて日本の人も殺されない、また生命も安全に日本に帰れるということが保障されればおりて来ると思います。日比関係が、貿易でもよくなつて日本人があつちこつちに現われると、自然に山の中の人はおりて来るようになりますから、やはり国交をよくして空気を直し、その間三月、四月そういう準備をして、それから帰順工作班というようなものを援護庁あたりがお出しになればよいのではないかと思います。それから、そういうことをだんだん進めます場合に、フィリピン政府の対日感情ですが、これは民衆の感情ちよつと違いまして、政府指導者は、世界情勢を十分理解しておりますので協力します。私がエリサルデ外相とかキリ大統領などと会つて残存日本兵のことをお願いしたときにも、はつきり言つて大統領はまだ五百名もおるというようなことは信じませんでした。これはやはりフィリピン指導者としては、ちよつと考えられないのでしよう。まあ百名ぐらいおるのではないかと言つておりましたが、表向きはフィリピンには一人もいないことになつておるのです。それで今フィリピンの中にいる人々は、生命なり何なりは保障するから武器を捨てておりて来い、そういうぐあいに指導してくれ、フィリピン政府はそれを保障しますと言う。それからおりて来たならば日本に返しますと言つておりましたし、また山の中に残つて平和な人種となつておるならば、そういうのは移民としてわれわれも将来認めるようになりましようということをはつきり言つておりましたし、それから国防軍人々も、忙しいときにも、ただ四名か五名の兵隊のために飛行機とか自動車出してくれましたり、またいろいろのことにより協力してくれます。それですから日本に対する世話といいますか、盡力をしましようという向う受入れ態勢は十分ありますので、それは非常に感謝していいだろうと思うのです。そういう受入れ態勢ですから、こちらの方が意思表示をしまして、そうして向うにだんだん手を伸ばして行くことがいいのではないかと思います。最後にちよつとモーンテンルパ戦犯人々についてですが、よく行つて確めたり懇談しましてわかることは、現在の段階では牢屋にいる人も、日本政府の人も、家族の人も非常に盡力してくれておることはみなわかつておるようでした。それで横山中将とか川口少将なんかと会つて話してみましても、もう打つ手はありません、議会の人もいろいろやつてくれおりますし、それからフィリピン人日本に来た人も、よく議会の人や皆に頼まれて非常に盡力してくれているということで皆感謝しています。貿易業者でも何であつても、よくわかつてつて来ているし、非常にありがたい、ただできますならば早く日本服役することだけをやつてもらいたいと言つています。そこで日本での服役ということになりますと、全部服役になるだろうと思います。これは時期の問題で、議会でおやりになるでしようから、早く日本に来て服役する。これはこの間メレンシオ大使にも出しているということですから、議会あたりからそういうことをキリ大統領に直接お手紙を出せばよいだろうと思う。やはりああいうところは、何といいますか、個人的な政府というような感覚も起るのでありまして、キリ大統領に直接お手紙を出すと、そのまま大統領は見るようです。そこで内地服役ということがただ一つの今残された目標でありまして、そのほかはみな感謝しているという状況だと思います。ちよつと概括的に申し上げましたが、とりあえずこれで終ります。
  5. 池見茂隆

    池見委員長代理 それでは神保参考人に対する質疑を許します。なお外務省当局より外務政務次官石原幹市郎君、外務事務官三宅喜二郎君が出席されておりますから、あわせて本件についての御質問がありましたらこれを許します。質疑は申込み順によつてこれを許します。川端委員
  6. 川端佳夫

    川端委員 ただいまフィリピン事情を伺いましたが、私は数点について簡單に伺います。  われわれも、神保さんのフィリピンからの通信なり新聞ニュース等で伺いまして、まず第一報ではフィリピンに千名から二千名くらいおるらしい、こういう見出し新聞記事を拝見して、非常に注目いたしたわけであります。ただいまは五百名くらいは確かにおるのじやないかというお話を伺つたわけでありますが、あなたがちようどフィリピンに行かれてお着きになつたころだと思いますけれども、十八日の夜の六時に、マニラ放送局からは、日本残存兵ルバング島には十名くらいしかいないらしいが、イロイロとミンダナオとには千名か二千名おるらしい、バタンガスにもおるらしい、国防省でも日本人工作員を使い、いろいろ苦労して調査を進めている、こういう旨の放送があつたというお話でありますが、ここにマニラ放送局フィリピン政府当局の数字、しかも第一報で伺つたあなたの直感的な数字であつたかもわかりませんが、こういう数字の間に食い違いが起つているわけであります。特にマニラ放送局より、こういう千名か二千名、最初のあなたに関するニユースと符合する数字が発表されているわけでありますが、政府は、正式か非公式かわかりませんが、百名くらいだというようなことを言つておられる。こういうお話を伺つて、この間の数字の食い違いについてわれわれは関心を持つわけでありますが、これはわれわれはどういうふうに考えればよいのでしようか。マニラ放送局は、どういう意図でそういうことを言つておるのでありましようか、お考えを伺いたいと思います。
  7. 神保信彦

    神保参考人 フィリピン政府が工作隊を使つてつているということは、こういうことです。一月の十日ごろからリザルドという将軍が——これは日本の教育長官みたいな人なのですが、その人が軍用犬を百五十頭日本から持つて行きまして、フクバラハップの討伐に使つておりました。そこでルバング日本兵がいる、それを捜索するには軍用犬がいるだろうというので、それを伴つて、それで戰犯でおつた佐藤少佐ですか、この人と約二千名ぐらいでルバング島をあまねくずつと工作しておりました。それで佐藤少佐なんかに会つてよく事情を聞いたのでありますが、これはやはりジャングルの中をずつとまわるわけですし、非常に疲労困癒しているわけです。しかし地上の捜索としましては、いろいろ十分な手を打つていると私は思います。これはその付近の警察隊を使つて部落付近に日本から持つて行つた投降帰順の手紙とか掲示をずつとやしの木に張りつけまして、その奥の方には日本文でまた掲示板を出しておる。それから自分でずつと山の中をめぐつているようです。そうしてその掲示板のところに日本の兵隊が来たような、あるいは帯皮があつたとか、あるいはまた日本の手ぬぐいがあつたとか言つております。またその張つてつた投降帰順の物がだんだん消えて、四つ、五つはがれているというようなことも言つておりましたし、また部落民は、日本兵がこつちの方に現われたのだというふうなことも言つておりました。やはりいろいろ工作している。地上の帰順工作をフィリピン政府——フイリピン政府といいましても国防軍の陸軍ですが、それが熱心に日本人を探しているという工作は確かに続けておりました。引続きやはりやるという考えは持つているようでした。  その次に数字の問題ですが、これは予算の立て方と違いまして、何名おるかということは神様でもおわかりにならぬと思います。そこでルバング島には五名ぐらいおるということは、そのうち一人が帰つて来たからわかつた。それからミンドロとかあるいはパナイあたりも、終戰後の状況によつて、あそこには二箇中隊憲兵側は報告していますから、千名ぐらいおるだろうということを考えて、千名ぐらいなら、あの四国よりずつと小さい島だから十分定着ができるだろうという一応の数字は成り立ちます。それからミンダナオ島に二千名いるの、四千名いるのということをよく人は言つておるようですけれども——なぜかなれば、ダバオ付近は日本人がたくさん住んでおつた場所で、その付近は四里四方ぐらい麻畑で、いいところです。そのジャングル内に日本兵がおつたときには、沖繩の人と一緒におれば、まあ千名だか二千名だかおられるわけなのですが、そういうことを、専門に実際に帰順工作をしようという人でない人はいろいろ情報を持つて来たりなんかしますし、それがそのままニュース放送に出るわけでありますが、これは今情報をディスカッシヨンというか、研究調査する時代においては当然起るので、現在は大体五百名ぐらいと押えて行くのがいいのではないかと思います。それからこの数字というものは、おのおの立場々々によつて違うだろうと思うのです。やはり国防軍では百名ぐらいしかいないと言うだろうし、実際にミンダナオにいる日本人に今度行つて聞けば、これはたくさんおりますと皆言うだろうと思う。それですから仕事をやるためにはたいてい目途が必要でありまして、この目途も、国防軍が実際に仕事にかかるということがありましたときも四、五百名と言つておりましたし、それから復員庁で今度帰つて来てよく聞きましても、四、五百名というふうに調査しておりますから、確実なところは四、五百名だろうと思います。
  8. 川端佳夫

    川端委員 マニラ放送局ニュースというものがどういう意味で出たのだろうかと私は感じたのでありました。  次に今のお話で、ルバングあたりでは、放送では十名くらいと言つてつたのが、帰つて来た人がおつて五名ということがわかつた、こういうお話でありましたが、あなたのおつしやるミンドロ島に大体二百名、あるいはセブ、レイテに五十省くらい、ミンダナオに二百あるいは三百名くらい、パラワンに十二名くらい、こういうような先ほどのお話は、ルバングにおけると同じように、あるいは帰つて来た人の話だとか、あるいは工作員の話だとか、こういうものでお集めになつた、いわば失礼でございますけれども、根拠の非常に薄弱な数字であろうと考えるのでありますが、あるいは国防省当局の非公式のお話にもそういうことがあつて感ぜられたのでありましようか、ただあなたがお集めになつたそういう根拠のあると考えられる数字を集約されて五百名という断定をお下しになるのか、この五百名の根拠についてもう一ぺんはつきりと伺いたいと思うのであります。
  9. 神保信彦

    神保参考人 五百名くらいということは、フィリピンの国防省当局も言つておりますし、それから日本の復員局もそう調査しております。それから私も大体そのくらいがほんとうだろうという感じを持つております。
  10. 川端佳夫

    川端委員 それでは国防省は、非公式には五百名くらいを仮定され、公には百名くらい、こういうようなゼスチュアをされておるといういきさつもわかつたわけであります。ここで進みまして、投降勧告の方法でありますが、先ほど生命の保障もする、日本へ送還もいたす、残りたい者は移民として取扱いたい、こういうようなお話キリ大統領からあつたと承つたのでありますが、これはビラその他の方法でもつて、今帰順をしておらない現地にいる日本兵に対して、こういう具体的な方法が実際にとられておるのでありましようか。それからそういう投降勧告の方法について、何か国防省当局とお話合いがございましたか、伺いたいと思うのであります。
  11. 神保信彦

    神保参考人 キリ大統領のそういう意思表示マニラの新聞に大体出ましたし、たいていフィリピン側には伝わつております。その新聞が山の中のゲリラに伝わるかどうかまだわかりませんが、国防省の方でも、各末梢の方にそういう指令を出しておりますから、一応そういうフィリピン政府の気持は伝わつたのでないかと思います。なお投降帰順のビラも、帰つて来るようにという要請の手紙も、国防省の方でわざわざルパングに三百ほど持つてつて、警察隊の方にまわしたりなんかして山の方に持つてつております。ですから大体そういう意思は伝わつておるのだと想像します。
  12. 川端佳夫

    川端委員 フイリピン政府としても、未投降といいますか、山間部に残存しておるかつて日本軍に対する取扱いの方法も考えられておるようでありますが、先ほどのお話で、日比間の国民感情がまだ非常に險悪である、従つて遺骨の引取りについてもなかなかスムーズに行きそうもないということでございましたが、それとあわせまして、私はここで賠償に対する国民感情を伺いたいわけであります。政府当局、インテリ階級は世界事情日本事情がかなりよくわかつておる、しかし国民一般の感情としては、相当対日感情は悪いのだということから、フイリピンの連中も、戰争で相当に被害を受けておるということから、八十億からの賠償の要求が出たのだと思いますが、あなたが向うに行かれまして、国民感情の一端として賠償に対するフイリピン国民考え方として、どうしてもこれはとらざるを得ないというような感じをお聞きになりましたか。そういう点も国民感情の程度の参考にしたいと思つてお伺いするわけであります。
  13. 神保信彦

    神保参考人 賠償の問題に対するフイリピン人の感じは、政府の自由党と在野のナシヨナリスタ党を通じて、やはりともに強硬だと思いました。これは民族感情として強く出るのだろうと思います。それでだんだん交渉した結果八十億というような数字は世界情勢に合わないのだということは、民衆もその後だんだんわかりかけて来たのだろうと思います。そこで今交渉を進行中でないかと思います。
  14. 川端佳夫

    川端委員 先ほど神保参考人から、今後の帰順の工作の問題について、国会の議長あたり個人的に嘆願書を出す方がいいというお話もありましたし、国民使節を向うに送ることが有効であるというようなお話もあつたわけでありますが、外務当局は現在までフイリピン政府に向つて残留日本人に対する引揚げ促進という面から交渉なさつたことがございますか、また国民使節というようなものをお考えになつて向うに派遣する計画をお立てになりますか、こういう点を伺つて私の質問を終ります。
  15. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 この問題は、過般の委員会でもちよつと申し上げたかと思うのでありますが、今までもたびたびフイリピンの公館にこちらの外務省の首脳部が出向きまして、残留者の引揚げ問題その他についていろいろ懇願をしておるのであります。それから先般津島賠償使節団長が向うに参りました際にもその意向を通じまして、それらの問題についての懇請もしておりまするし、さらにその当時向うからヴエラノという代議士の方が見えておられたのでありますが、その人が津島団長とともに向うへ帰られたのであります。その時も同氏を通じまして、残留者の引揚げといいますか、あるいはまた討伐等を行わないように、無事に帰れまするようにということをいろいろ申し入れまして、いずれも好意ある回答を得ておるのであります。ただ今後の国民使節という問題につきましては、先ほど神保さんからもいろいろお話がありましたように、向うの対日感情というようなものもありまするので、それらの情勢をよく見きわめまして、今後適当な機会をつかまえまして、できることならば、そういうことを考えて行きたいと思います。
  16. 亘四郎

    ○亘委員 私のお尋ねしたいと思つたことを、川端委員からほとんど全部お話があつたのでございますが、ただ一点お伺いしたい。  賠償の問題に関連いたしまして、向うの方もやはり強い決意を持つておるように承るのでありますが、一つはやはりフイリピン自体の復興ということに相当関係があるのじやないかと思われるのでありまして、参考人ちよつとお聞きしたいのでありまするが、おいでになつてフイリピンの状態を見られた際に、以前と比較いたしまして、産業の復興を初めといたしまして、その他建築物あるいは道路、こういうような一応の国内の安定を導く上からいつて、いろいろな復興というような点についてはどの程度の状態まで進捗しておるかという点、おわかりでしたらお伺いしたいと思います。
  17. 神保信彦

    神保参考人 経済問題になると、本質の問題でありますからわかりませんが、ちよつと見ただけでは、マニラ近郊は大体復興して、これは案外にいいという感じを持つたのです。またあちこちに爆撃のあとのビルや役所はあることはありますが、私の目算では、七分通りぐらいは復興しておるのだなということを感じました。ただマニラ湾に船がたくさんありましたが、それは米軍がずつとまとめて来たから、目に立つのだというだけの話であります。その船は外国のサルベージの力がありませんから、そのままになつているのです。それから一般の農村あたりは家庭農村経済ですから、戰争当時と比べて回復しているだろうと思います。また御承知のように、フイリピンには重工業がまずないといつてもいいくらいです。ミンダナオ方面に重工業をつくりつつあり、製鉄やいろいろ大きな工場をつくろうとしたところで戰争になつたものですから、重工業がない。だから中工業、家庭工業というようなものですから、案外その程度までの復興は早くできたのじやないかと思います。ただフイリピンが賠償を強く要求するのは、戰争中のいろいろの被害と対日感情というものではないじやないかと思いますが、そういう賠償の問題なんかについては、私どもよくわかりません。
  18. 受田新吉

    ○受田委員 先ほどのお話ちよつと触れていらつしやたのですが、戰犯に問われて目下服役中の各位が、特に死刑囚として服役している各位が、どのような気持でおるかということについて、神保さんの直接お話になつた印象からの御感想をお聞きしたいのであります。
  19. 神保信彦

    神保参考人 私も死刑の関係の方にちよつと会つたんですが、マニラの死刑囚はこうなると思うのです。御承知のように、フイリピンでは今まで大統領は死刑はなかなかしないのです。それからカトリツクの国ですから、死刑反対という考え方がある。それからフイリピンでは戰犯の半分ぐらいが死刑囚です。百二十名のうち七十名くらい死刑囚がいる。だからそういう理由によつて終戰後そんなにたくさん死刑にしないだろうと思つておりました。ところが去年の初め、一月の二日に大統領が十四名の死刑囚にサインしまして、その通知が日本に来ました。それで愕然としまして、議会皆さんにお願いしたり、政府にお願いしたわけなんです。それでもとうとうその十四名は一月の二十日ころに死刑をされたわけであります。それから私はゆだんならないと思つておりましたが、議会皆さん方や家族の人や慶応大学の人や、みんなが国民運動を展開してくれまして、それでその気持がフイリピンの方に反映して、一時死刑はとまつた。しかし五月、六月、七月の講和條約前後がまたあぶないというので、いろいろ国民運動を起しまして、現状に来てしまつたわけであります。ですから現在の段階にあつては、私は死刑はしないだろうと思つております。そこで死刑囚の人は、そういう日本議会家族の人の御盡力には非常に感謝感激しておるわけであります。  ただここで死刑囚の悩みといいますか、判決された人のだれもが持つ悩みでありますが、賠償でも悪くなつて、そのためにやられるかもしれぬという万が一のことがありますから、やはり不安であります。それから死刑囚としては奇蹟が起るということも考えるものでして、万が一奇蹟が起つて助かるだろうというような複雑な気持を起すものであります。それでモーンテンルパにおる人もいろいろ考えてはおりますけれども、大体皆さん安定しているように見受けます。これ以上はわれわれは默つておりますから、日本に帰れるように日本の人にお願いしてくださいというのが、死刑囚のお願いです。
  20. 受田新吉

    ○受田委員 この講和発効を機会に、諸外国において服役中のこれら戰争犯罪人の各位に内地服役転換をしていただけるように、国民運動を起されておるし、また政府当局も努力を傾注しておられると思いますが、この問題については、今の神保さんのお話によつて、死刑囚の各位が非常におちついた気持で祖国の将来に光あれと念願しており、また御本人たちも一つの諦観をして、人生を見詰めておるということであります。この死刑囚を絶対死刑にしていただかないように、刑の執行だけは停止してもらつて、すでに戰い終つて七年もたつて、人心がようやくおちついておるときですから、いかに復讐心が強いにしても、フイリピンの現に死が直前に追つておるこれらの死刑囚の諸君をその死から救うということを、何とか嘆願してもらえるように、努力が必要だと思います。この点国民運動を通じての一つの大きな力と、もう一つは、政府が外交折衝において成果を上げるという点が必要だと思います。これらの家族たちの身の上を思い、また死刑囚並びに服役者の心情を思うときに、何とか、人道上の最後の努力を盡してあげたいと考えるのでありますが、この問題について外務当局として、外国におけるこれらの服役者の内地服役転換の問題と、死刑囚に対しての刑の執行について、外交上の努力の傾注の状況を御報告いただきたいのであります。
  21. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 御案内のごとく、外地に服役者が残つておりますのはフイリピンと濠州との二箇所でございます。それぞれその当局に対しまして、一日も早く帰れますようにこちらからもいろいろの機会をつかみ——ただこの機会をつかむことも、たびたびここで申し上げましたように、いろいろ向う感情があるのでありますから、その都合のいいときをつかまえて申入れをしているようなわけであります。ことに最近も、外務当局の首脳部フイリピンの大使等に面接いたしまして、一日も早く帰還できますように申入れもしているような現状でございます。御案内のごとくこの戰犯囚につきましても、さらに向うでもいろいろ再審等もやつております。これらの進行状況との見合いも考え合さなければならぬと思いますが、講和発効を契機といたしまして、この問題はさらに一層都合よく進展するのではないかと、ただいまのところでは推測されつつあるのでありますが、今後とも一層の努力を続けたいと思います。
  22. 受田新吉

    ○受田委員 神保さんが個人として初めてフイリピンへ渡られて、非常に努力をされたことに深く敬意を表します。同時に神保さんは先ほどから、これから先われわれの盡すべき道について一つの示唆を與えられたのでありますが、引揚特別委員会としての問題は、ソ連、中共地区の大量の引揚げの問題とあわせて、こうした少数ではあるが、残された同胞のいることが確認されている問題の解決についても、重点を置かなければならぬと思います。そこでわれわれが今非常に心配しているのは、これらの残存者の生命が何とかして確実に保持されるようにありたい。たといジヤングルの中で暮らしておられるにしても、こちらに帰られる日まで元気でいてもらいたいということであります。あの密林の地帶で七年も生命を長らえたということで、順応性は十分できていると思いますが、生存力において不安の点がないかということが一つと、もう一つは先般のパラワン島の十二人の人でしたか、敵前上陸と称して土人に戰いをいどんだようでありますが、これらの残存者はまだ優秀な武器を持つておるかということであります。第三には、今軍犬を百五十匹やら出されたということでしたが、軍犬をかり立ててこの残存者の掃蕩に乘り出しておるということは、よほど考えなければならぬのであつて、そうした勇敢な獰猛な犬をかり立てて人に食いつかすという作戰は、私は人道上許されないことだと思うのであります。こういうやり方をしてまで残存者を掃蕩するというようなことをせぬで、マイクを使うとか何かのもつと親切なやり方で、もう日本は降服しているのだ、平和の日が訪れているのだ、どうか帰つてくれろという道があると思うのであります。この点ゲリラ掃蕩戰で非常な経験と信念を持つておられる神保さんは、先ほど来一人々々をとらえるのはなかなかむずかしいという御説でありましたが、こういうふうに限られた地域であるし、しかももう情勢はつきり平和の日を迎えておるのでありまして、満州や中共のような所のゲリラ掃蕩とは違うのですから、あなたは日比協会設立準備の責任者でもいらつしやるのですが、何とか空へ気球をあげるとか、あるいは何かをばらまいて落すとか、何かの方法を通じて、あちらの政府並びに住民と協力して、これらの人を平和裡に日本へ連れて帰れるような道はありませんか。この軍犬使用に関して私は今非常に不愉快な反撥心がわいているのですが、こういうことをやらないで、平和裡にこちらに帰つていただくような手はないか、打つべき手が十分盡されていないのじやないか。この点フイリピン政府当局と日本政府当局はもつと密接に、日本人の特殊性を十分考慮し、また軍人の立場から軍人精神等いろいろ研究してもらつて日本軍人はこういう場合には必ず帰順するというような道を考えていただいて、わずか数百名ではあつても限られた地域でありますから、最善の手を盡して生存を確保して、日本に連れて帰つて来なければならぬと思いますが、この三点を中心にしての神保さんの御意見。それから政府当局は軍犬百五十匹を向うに連れて行つてかり立てるというやり方をするよりも、もつと平和的な外交上の打つべき手はないかどうかについて御意見を伺いたいのであります。
  23. 神保信彦

    神保参考人 残存した日本人が山の中に安定して暮しているということはほんとうであります。食物は野豚とかその他の動物もありますし、やしだの果物もあります。衣類は、山からちよつと下りてフイリピン部落に来ればあります。また大体土民と同じ程度に生活を落とせば、それで春夏秋冬暮せると思います。満州や北京の方では嚴寒は越すことはできませんが、あすこは常夏の国ですから、何とか暮せるということで生き長らえていたと思います。そして平和な部落民として暮しているということは非常に可能性があることで、これは安定しているのではないかと思います。  次に、彼等は確かに戰争からそのまま引続いた情勢がんばつているのですから、小銃から手を放さないだろうと思う。それから必要なたまは常時持つております。もちろんこれから戰争をするという気持もあつたでありましようから、相当の準備をしたと思いますが、彈薬も五年、六年は続くわけで、消耗して腐つてしまいませんから、あの彈薬がある間は兵器は手放さないと思います。従つてよくフイリピンの要人が、あの山へ行けば日本敗残兵に射たれるから行くなということを言うくらいで、フイリピン人が射たれたとか強盗に入られたということもあり得る。そうすると、そういう犯罪事件は大体日本の兵隊がやつたといううわさがつくのであります。彼等は兵器を持つている、自衛手段を持つているということは当然の現象だと思います。  それから軍用犬は日本敗残兵討伐するために持つて行つたのではなくて、元来フイリピンゲリラ、フクバラハツプを討伐するために、山の中ですから、捜索、連絡及びジヤングルの誘導には日本の軍用犬がいいということにマグサイサイ大臣が気がつきまして、リザルド将軍の所へ試験的に六箇月やつたらしい。そして日本人戰犯を使つてつてみろというのでやつたところ非常によかつたので、フクバラハツプ討伐をやつて成果をあげた。そこでたまたま日本兵を探すのに軍用犬がいいだろうというので犬を連れて行つた。それで、犬をもつて日本兵にけしかけたというわけではないのであります。それからなおここで犬を使つているのは、日本の兵隊が使つておりまして教える場合には、日本で進め、とまれ、右左と教えたものですから、フイリピン人フイリピン語で言つても犬は言うことを聞かない。それでこつけいなことになつて、やむを得ずにフイリピン人日本語を覚えて、軍用犬についてジヤングルの中を歩いてまわつているというわけです。それで帰順討伐などをやりましても、どうせ日本の兵隊の将校が行くのですから、日本人民族的よしみが基礎になつて、すべてそういう工作が進むだろうと思います。ですから、そういう残虐なことは今から起らないという気を持つております。
  24. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 軍用犬のことは、私も実はここで先ほど初めて承つたのですが、先ほどの神保さんの御説明で大体御了解されたことと思うのであります。われわれの方といたしましても、先ほど申しましたように、メレンシオ大使に対しまして、攻撃の中止並びに未投降者の救出方を先般懇請したのでありますが、大使も最善を盡すということを言つておられます。さらにただいま承りましたような話も適当な機会にお伝えいたしまして、今後とも一層の善処をお願いいたしたい、かように思つております。
  25. 受田新吉

    ○受田委員 フイリピンの周辺には、あの猛烈な終盤戰で犠牲となつた日本の艦艇が多数沈んでおります。これらの艦船には、いまなお英霊が白骨となつて残つておられると思います。遺骨をお迎えするという問題にも、そういう島の周辺に沈んでいる艦船の英霊も入れて考えなければならぬと思います。フイリピンの周辺の艦船の引揚げ、これはまた役務賠償とかいうことにも関係して来ると思うのでありますが、この処理の問題は外交上どういうふうになされておるのでありますか。いろいろ聞けば、電気溶切によつて軍艦の解体をやつているとかいうようなことも聞いておりまするが、この沈んだ艦船の引揚げについて、特にフイリピンのように大量の艦船を沈めている所についての外交上の問題として、これらの英霊の処理はどういうふうにされようとしておるのであるか、またその引揚げについての外交上の権利はどうなつておるのかという問題を、外務省の石原さんでも、あるいはほかの方でもいいですが、お答え願いたい。フイリピンの実情から、そういう沈船を引揚げるという可能性を持つておるのか、浅い海などに沈んでいて引揚げの可能性があるならば大いに引揚げて、英霊のお迎えということも考えなければいかぬ。こういう問題も心配しておりまするので、あわせてお尋ねをいたしたいと思います。
  26. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 御案内と思いますが、われわれの承知しておりまする範囲では、日本は沈船引揚げ技術は相当の技術を持つておるようでありまして、ことに今回の賠償の原則といいまするか、方針の最も大きなものの一つに沈船引揚げということが入つておるのでありまして、ことにフイリピンに対する賠償等にも、あの付近にたくさんの沈船があるのでありまして、これは賠償の一番大きな問題になつております。場合によりましては、中間的にも沈船の調査であるとか、あるいはそういう引揚げ準備等をやつてもいいのではないかというくらいまで、沈船引揚げというものは賠償の重要なる部分として研究されているようであります。英霊の問題もただいまお話があつたのでありますが、ごもつともの御意見と思います。沈船の引揚げと関連いたしまして、当然英霊の捜査という問題も起つて参ると思います。
  27. 受田新吉

    ○受田委員 けつこうです。
  28. 苅田アサノ

    ○苅田委員 神保参考人に一言お聞きしたいのです。それは、フイリピンに五百名内外の残存者が戰後おるということは、フイリピン政府におきましては相当以前から、少くとも終戰後二、三年以前からこういうことはわかつていたと思うのでございますが、その点はいかがでしよう。
  29. 神保信彦

    神保参考人 それはその通りわかつていたと思います。御承知のように、フイリピンの作戰というものはこんとんとして終つてしまつたものです。山下さんが見えなくなつてからずつと指揮組織がこわれてしまつて、各部隊が山の中に逃げ、また投降して部落におりて来る。それですから、中国や満州のように、整然と命令一下統一されて日本に復員されたのではないように私は思うのであります。従つてフイリピンの軍司令官や兵団長に聞いてみましても、実際にどのくらいおるかおれにもわからないが、とにかくあつちの方に一中隊、こつちの方に一中隊というところがほんとうだ。また来る途中の海沒が非常に多いらしいのです。調査は今復員局で整理してやつておりますが、事実数の問題はやはりむずかしいのではないかと思います。この三つの方面から調べて、五百名内外がほんとうだろうということであります。
  30. 苅田アサノ

    ○苅田委員 外務省からおいでになつた政府委員にお聞きしたいのです。外務省から連合軍総司令部と連名で発表されました昭和二十五年五月一日の委員会に出ました資料では、これはだれも知つておるように、フイリピンからの引揚げはゼロとなつておるのですが、そういたしますと、これは参考人お話になつた言葉の中にも非常に含みのある言葉があつたわけで、これはソ連との引揚げの問題もあつて、公然とはしなかつただろうという含みもあつたわけであります。私はそういう点をいまさら追究するわけではない。ただそのほかにも十幾つかの南洋の島々等から、全部引揚げは完了したことになつておるのですけれども、やはりこれもそのような含みのある数字であると解するしか方法がないわけですか。それでよろしゆうございますね。
  31. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 昭和二十二年末をもつていわゆる正式な集団引揚げは終了したのでありますが、ただいま残存しておるかどうか、神保さんも神様でなければはつきりした数字はわからぬとおつしやつたのでありますが、これは途中から投降をいたしましたり、あるいは終戰直前に山の中に入つて変名しておつたり、こちらでまつたくつかみ得ないものが山をおりて町に出て来たとかどうとかいうことで初めて判明した、こういう人が若干名あるわけでありまして、これはこの前にもここで申上げたと思いますが、現在までに帰国した者は数十名あるのであります。しかしはたしてどれだけの者が残つておるかということは、これはもうわからないのでありまして、われわれが公式につかみ得ます数字は、一応ゼロということになつております。
  32. 苅田アサノ

    ○苅田委員 そうしますと、ゼロと書いてあるところは大体不明、こういうくらいなところではないかと思うわけなのです。今の御説明でも、一人も全島残つていないという確実な証拠に基いてゼロと言われたのではないということだけは、外務省もお認めにならなければならぬと思うので、さような御答弁と私は解釈するわけですが、そうですか。それとも何か確実な資料に基いて、一人もいないという数字を出しておいでになるのであれば、またそれはお聞きしてもよろしゆうございます。
  33. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 どうも一方的に不明だというようなことで片づけられますと、こちらも非常に困るわけで、終戰面前その他に山の中に逃亡しておつたかどうかという数字は、つかむにもつかみようがないのでありまして、公につかみ得たのは一応全部帰還しておる、こういうことになつておるのであります。これは神保さんも先ほど言われましたように、神様でなければどのくらいおるか、おるかおらぬかもこれはわからないのでありまして、われわれといたしましては、ただいままでの調査資料では一応全部帰還しておる、こういうふうに考えております。
  34. 苅田アサノ

    ○苅田委員 くどいことは申しませんが、ほかの資料に出ております数字も、フイリピンに準じてわれわれは考えていいのだ、フイリピンだけが特別に粗漏な調査でなかつたということは考えられるのですが、これはそれでよろしいわけですね。
  35. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 現実にフイリピン以外の地帶からも、ほんのわずかなものでありまするが、帰つて来た者もあるのであります。フイリピンだけということではないのであります。
  36. 苅田アサノ

    ○苅田委員 この点はこれでけつこうでございます。ただ受田委員もおつしやいましたが、これからの問題は、残存者をできるだけ健康なままで引揚げさせるということが、両院を通じて衆議院だけに残されている引揚げ委員会としては、一番大きな問題となると思いますので、その点につきまして外務当局は、こういう残存者のあるということもすでに御承知になつておるのでありますし、また今神保参考人からいろいろな提案をされておりますが、外務省としてはどういう御見解をとつておいでになりますか、もし対策をお持ちでございましたらお聞かせ願いたいと思います。
  37. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 先ほどフイリピン関係につきましてはここで一応詳しく申し上げましたので、省略いたしまするが、その他の地区につきましても、帰つて来たという者があるような場合には、その在外公館等を通じまして、さらにいろいろ模様等を聞くようにいたしております。
  38. 堤ツルヨ

    ○堤委員 先ほどの政府当局の御答弁を聞いておりますと、私の方の受田委員も申し上げましたが、もののついでにだれに頼んだ、かれに頼んだというふうに私はとれるのです。それであげくの果てに犬で狩られるようなことになつておるのではないか。これでは私は政府の今までの残留者に対する誠意を疑わざるを得ないと思うのであります。これは新しい政務次官に申し上げるとまことに失礼かもしれませんけれども、あの通り外務大臣を兼ねた総理大臣は、この委員会にかつて一度も出ていらつしやつたことがないのです。いつも政務次官が代理でおいでになつて、草葉さんがずつとおやりになつてつたのですが、われわれと同じ日本民族である、しかも今日なお無事に生きておる人たちに対して、なぜ日本政府はもつと積極的な帰すすべをやらなかつたかということを私は非常に残念だと思うのです。今神保さんから、日本人日本人同士で、やわらかい気持のうちに山から下りて来るようにするのが一番賢明じやないかという御意見がちよつとございましたが、対日感情がいかに悪いかということは、私はサンフランシスコの平和会議も傍聽しておりましたが、めちやくちやに悪口を言われたのでして、非常に悪いのです。吉田さんが調印しているときに、私たちがサンフランシスコの街頭に出ましたら、民間放送のテレビジヨンは、日本軍隊の暴虐を三時間も四時間も、二つも三つもの放送会社が放送した。ですからそういうことはよくわかつているのです。その感情の悪いフイリピンの中にいる日本人は、日本政府が何もしないで放つておいたら、これは永久に帰れない。でありますから私は積極的に、この人たちが山から下りて来る方法がとれるような、日本人向うへやるような外交的な手を先に打つて、そうして日本人がこの人たちを誘い出すような具体策を練らなくてはならないのじやないか。少くとも今日までこれがやられておらなかつたということは、私は残つているこの同胞に対する誠意がなかつたと解釈しても決して言い過ぎではないと思います。ことに、あるいは今フイリピンの島のどこかに、私の親や子供が生きているかもしれないという家族にしてみますれば、まことに切ない気持でございます。これは今日といわず、明日といわず、政府は何とかしなければならない緊急の問題だと思いますから、この生きている人たちのためにひとつそうした具体策を積極的に——今までのような誠意のない冷淡な、もののついでに頼むやり方でなしにやつていただきたいということを、私は政務次官にとくとお願いしておきたいと思います。
  39. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 ごもつともなお話と思います。ただ今までは、きわめて残念なことでありましたが、過去数年間はフイリピンといわず各国との間に正常な国交関係等もなく、また在外公館の設置等もなかつたのでございまして、今度講和発効を機会にこれらの機関が整備することによりまして私は御心配のような問題もさらに一段と進展というか、うまく参るのではないかと思いまするし、御意見を体しまして、この問題を外務省全体に伝えまして、一層努力して行きたいと思います。
  40. 池見茂隆

    池見委員長代理 委員長から一点だけ神保参考人にお尋ねいたします。引揚げの問題につきましては、未復員者の引揚げ促進あるいは留守家族の援護、さらに今一番関心を持つているところの硫黄島の遺骨の調査状況、あるいは近く行われるところの沖繩の遺骨の調査、こういつたことに関連して、フイリピンにおいてはさつきからお話のように四十七万程度の戰死者がある。これについては現在鎖国的な状況にあるフイリピンに対しては調査等のごときは非常に困難であると私は思いますが、このいわゆる四十七万という硫黄島の結果から見、あるいは沖繩等のことを想像して、フイリピンにも相当集団的な戰死者というか、あるいは餓死者があるところがありますかどうか。もしそういうふうなものが散在的でなくて、集団的にあるということになれば、この遺骨の調査あるいは收容等については、硫黄島その他とかわらざるところの方法をとらなければならないと考えますが、その点どうでしようか。
  41. 神保信彦

    神保参考人 集団で遺骨のあるところ、これは激戰地はみなそのまま残つておるのじやないかと私は思います。たとえばレイテ島の米軍が上陸した付近とか、あるいはマニラ郊外の激戰地、それからミンダナオの米軍が上陸したダバオ付近、そういうところの遺骨は、米軍がある程度整理したのではないかと思うのであります。これは想像でありますが、やはり復興状況に関連しまして清掃もやつておりますから、そこで残つているものは、やはり山の中の部落なんかには間々風雨にさらされておるのだろうと思います。これも現地をよく調査されたら、多数遺骨がまだ残つている場所が明瞭になると思いますが、私はまだその調査はやつておりません。
  42. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 神保さんに一言お伺いしたいのですが、先ほどのお話の中に、治安が非常に確保されている。フクバラハツプの掃蕩といいますか、これが非常に下火になつた。しかしフク団が抗日戰士というふうに思われておつた時代もあつたというふうなお話がありましたが、これが市街地とか人の目につくところでは、あるいはあまり横行——横行という言葉を使つては、あるいは失礼なことになるかもしれませんが——横行しないかもしれませんが、山間部に逃げておる日本人、百名なり、二百名なり方々に散つておる残留邦人に対して、あるいは政府からは山を降りて来いという呼びかけがあつても、そういう抗日戰士というような気持でおる団体の迫害とか何かそういうものがありはしないか、そういうことを気づかわれるような気がしますが、そういう点はどういう状態でありますか。
  43. 神保信彦

    神保参考人 フク団の政府日本人に対する態度でありますが、これは私フイリピンに行く前は、いろいろ情報を調べまして、たいていフイリピン治安日本より悪いだろうと思つてつたのです。たとえばスターリン大学というようなものが山の中にできている。ソ連の潜水艦で兵器を持つて来て揚陸しているというようなことも聞いておりましたし、それから地下組織ができている。フク団と中共が完全に手を握つて暴力革命をやつているというようなニユースも聞いておりましたので、悪いと思つておりました。ところが行つて目のあたり見まして、非常に治安の面においては、フクバラハツプが弱められておるということを私は信じました。フクバラハツプは大体において戰争中に抗日義勇軍として立つたもので、農民組合の結社です。そうしてルソン島に発足して地下組織をずつと全フイリピンに広め、社会改革のような考えつたのですが、日本軍が敗退したあと、反米になり、それが転じて現政権に対する反抗になつて治安を乱しておつたのであります。それがだんだん中共と手を握るようになりましたので、何といいますか、フイリピンの将来に大きななぞを與えたわけですが、今のマグサイサイという国防大臣が若い人でありますが、非常に有能な人で、ちようど明治維新の志士のような性格を持つており、これが一生懸命東奔西走をやつておりますので、その影響かもしれませんが、軍が非常に整然となり、一意專心治安確保に邁進しておるというので、フク団というものは非常に弱められておると思います。それからフク団と今のナシヨナリスタとの関係も、これは非常に明瞭に縁がないということを信じます。これはラウレル元大統領などに会つてみましても、いろいろ情報考えましても、中共とナシヨナリスタとは縁がない。そこでフク団の中に日本兵が入るということもあり得るのでありますが、それも今の情勢で、敗残の兵隊の百名や五百名の人々ですと、それほど残存日本兵が指揮組織を持つてフク団と連携して行くということも考えられませんし、またそれほど盲目的でもないと思うのです。それからまたフク団が日本人討伐するか、いじめるかという問題ですが、これもやはりフイリピン人日本人ですから、そこに対抗意識がありますし、フク団の発生が抗日義勇軍ですから、日本兵をやはりやつつけるだろうと思うのです。だからその関係においても手を握るということもなく、フク団と縁を切るようにして、山の中におるというのがほんとうだと思います。そうかといつて、フク団が日本の敗残の人々討伐して整理するというようなことは、そういうそろばんのとれない仕事はやらぬだろうと思うのです。やはり彼らも適当にみなお互いにやつておるわけですから、だからこそ、そこで山の中に五年も六年も生きておられるのだろうと思います。  そう旗幟鮮明にして徹底的に討伐とか何とか、昔の日本軍のようにやつているわけでもないのですから、やはり何と申しますか、南方の暑いものうい空気の中で、まあ適当に朝晝暮して行くというようなわけですから、案外われわれが内地でせつぱ詰まつて考えているほど山の中におる人は考えないで、悠々時期を待つてましようという気持も濃厚ではないかと思うのであります。ですから、フク団に討伐されるというようなことは、私はないと思います。
  44. 池見茂隆

    池見委員長代理 それではほかに質疑がないようですから、参考人からの事情聽取を終ります。  神保参考人には長時間にわたりましてフイリピンの残留同胞の事情を詳細にお話くださいましたことは、本委員会としてこの後海外胞引揚げ促進について非常に参考になつた次第であります。厚く御礼申し上げます。  それでは本日はこれにて散会いたします。     午後三時二十九分散会