運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1951-11-13 第12回国会 両院 両院法規委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年十一月十三日(火曜日)     午後一時四十分開議     ―――――――――――――     〔参議院両院法規委員長九鬼紋十郎君が     会長となる〕  出席委員    衆議院法規委員長 高橋 英吉君    理事 角田 幸吉君 理事 松澤 兼人君       尾関 義一君    佐瀬 昌三君       田中不破三君    藤枝 泉介君       眞鍋  勝君    参議院両院法規委員長 九鬼紋十郎君    理事 大野 幸一君 理事 岡部  常君       溝淵 春次君    竹下 豐次君       堀木 鎌三君  委員外出席者         衆議院議員   鍛冶 良作君         衆議院議員   中野 武雄君         衆議院議員   古島 義英君         衆議院議員   尾崎 行雄君         参議院議員   尾崎 行輝君         衆議院法制局長 入江 俊郎君         参議院法制局長 奧野 健一君         参  考  人         (横浜市立大学         学長)     關口  泰君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  衆議院解散に関する問題     ―――――――――――――
  2. 九鬼紋十郎

    会長九鬼紋十郎君) それではただいまより両院法規委員会を開きます。  本日は参議院側会長を勤めることになつておりますので、私が会長の席を汚します。  本日の議題は、衆議院解散権の問題について参考人より意見を徴する件でありますが、参考人として、衆議院議員尾崎行雄君、横浜市立大学学長關口泰君がお見えになつております。  最初に、御多忙中のところを本委員会のためにわざわざ御出席いただきましたことを厚くお礼を申し上げます。  それではただいまから尾崎さんの御意見を承りたいと存じます。尾崎行雄君。
  3. 尾崎行雄

    委員外衆議院議員尾崎行雄君) せつかくお呼びを受けましたが、目と耳と両方役に立たないものですから、この資料を読むことができない。少しばかり読んでみましたが、みな読むことができませんから、ただ私の解散について考えていることを述べてみたいと思います。せつかくお呼びを受けたのに、十分お答えすることができないかと思います。  元来、解散ということは、ほんとう民主国においてはあるべきことではないと思うのが私の考えの根本であります。民主国というのは人民全体を主人とした国である。その主人が選んだのが衆議院であり、続いて参議院である。そうすると、衆議院というものは政治上の機関としては、ほんとう民主国においては最上の機関である。その上に立つものはないのである。昔フランスあたりで三権分立などという、いろんなことを言つてアメリカあたりも多少そのまねをしておるようでありますが、ほんとう民主国においては人民の選んだ代表者人民にかわるものが衆議院である。続いて参議院である。この人民にかわつた一番尊い機関を解散する。解散ということは免職する、もしくは放逐するということであるが、そういうことがあるべきはずがない。人間以上のものがこの国を支配しておるならば、人民総体が選んだ最高機関解散することもできましようけれども、要は人間の支配しておる国であるから、解散などということがあるべきはずのものではない。ただ昔、奴隷的根性で支配せられた時分にできた憲法解散という言葉があるものですから、それを今民主国になつても使わないと済まないと思つて憲法制定者がこんな言葉を使つたので、しようがない言葉である。その点、今民主国としてやや近いのは、ほんとう民主国ではないが、相当の民主国アメリカである。そのアメリカには解散ということはおそらくないと思う。いわんや、もつとほんとう民主国になれば、解散などということがあるわけがない。ただ憲法学者意見を聞くと、イギリスの頭に支配せられておる人間が多いようである。あるいは憲法をつくつた人たちも、イギリス立憲政治に頭を支配せられて憲法をつくつたものと思う。それゆえに新憲法においては、天皇政治上の権力を一切取上げたにもかかわらず、やはり政治上の権力が大分残つておる。イギリス国王日本天皇と一緒に見て憲法をつくつておる。これが根本間違いである。イギリス民主国であるが、君主国であり、国王の権力は依然として存している。それをあまりお使いにはなりませんが、ヴイクトリア女王などけときどき使つたようである。たとえば議員の多数を制する政党があつても、国王がその中の相当の力のある、気に入つた人があれば、自分の気に入つた者をお召しになつたことがあると思う。今でもある場合においてはそういうことがあるかもしれない。イギリス君主国である。日本では新冠法においては、天皇というものは政治上の権力は全然取上げられておるから、解散という仕事をする人間はどこにもあろうはずがない。  それを憲法間違つて、―全体申しますと、根本を言うと、この文字というものが悪いのです。ほんとうのことは絶対に書けない。漢字というものがみなうそにつくられておる。何千年かうそに使う癖がついておるから、ほんとうのことは漢字では書けません。これが私の主張の根本です。その悪い漢字で、間違つた頭で書いておるので、憲法というものをほんとうに正しい頭で読むとわからぬところが非常に多い。そうしてばかげたことが並べてある。たとえば天皇のお仕事の上に、いろいろ衆議院解散したり、政令を公布したり、―政令の公布ということさえ大臣では行うことができない。その公布を天皇がやるというようなことが並べてある。大小軽重根本を誤つた並べ方をしている。何條だつたか、六十八條か九條かに、衆議院解散するという言葉がある。不信任の決議をしたときに、辞職するか解散するかしたければならぬという、そんなばかなことを書くべきものではない。りくつのわからぬ者がみな間違つた言葉を使いつけておる。いたずらに官尊民卑政府の役人というものを尊び、人民を奴隷とした何千年かの習慣ができているので、日本人が使うと、政府というものを尊び、人民というものは卑しいものだという頭が支配しておりますから、いつでもその頭に支配せられて間違つた言葉使い方をしておる。  それで総辞職と解散ということを同等にして、いつまでに解散しなければならぬとか、辞職しなければならぬとか、まるで間違つておる。解散などということは、これは人民の選んだ者を、いらなくたつたからやめろということである。解散ということは、人民が選んだ何百人というものをみな免職して選び直すということである。そんなことを言うべき者はいない。憲法を読んでも、解散という言葉はあるが、だれがその権力を握つておるかということは、どこにも書いてない。以前はむろん天皇陛下であるが、事実は天皇陛下ではなく、内閣大臣あるいは元老が寄つて初めてできたものである。今はそんな元老もない。大臣はあるが、大臣というもののかしらは人民全体が選んだものである。人民がこしらえたものであるから、人民を罰するなどということができるわけがない。だれが国の主人であるかということがほんとうにわからぬ頭で、今の憲法はできておる。あなた方がほんとうに頭を清めて読んだならば、憲法というものはまるでわからぬ、間違つた書き方をしておる。字の使い方間違つておる。けれども現在の日本においては、この字を使うよりほかに憲法書き方がない。憲法をつくつた人はよほどすぐれた人で、私の尊敬しておる人たちがおもに関係したようであるがこれらがみな間違つておる。字がないのですから、ほんとうのことが書けない。それと、もう一つ間違つておるのは、憲法をつくる人の頭を一番支配したのがイギリス憲法であつたということである。その次は官尊民卑、役人というものを尊び、人民というものは卑しい、この頭で憲法をつくつたものであるから、その思想がずつと流れて来ておる。これが憲法のたいへん間違つた根本である。イギリスを、ごらんなさい。実際はあまり使いませんけれども、イギリスの国王は大権を持つておるが、日本においては大権というものは取上げて、政治に関係すること相ならぬという憲法である。根本から違うけれども、学者あたりはたいていそれがわかりません。言葉の上でまねをするのですから、日本言葉イギリスのまねをしてもできません。現に政治の上においてイギリスを一番よく学んでおるのはアメリカであり、続いてフランスくらいだと思いますが、アメリカには解散ということはございません。  もし国民の主張を開きたい、今までの選挙のときとは大分社会違つて、民心も違つただろうから、その主張を聞きたいということなら、議員が辞職すればよいのである。ほんとうに国論を確かめるというならば、議員が辞職すればよい。それも全部辞職しなくてもよい。全部辞職するくらいのわけのわかつた人間がいなければ、ほんとう民主国はできませんけれども、そんな人間が急にできようとは思いませんから、半数以上辞職する。半分くらいはいかなるかたわの国でも、国のために辞職するくらいの人間日本でもあるだろう。そうすれば総選挙をして国論を問うことができる。解散などということは、奴隷的国民を役人が支配するときに使う言葉である。解散ということは懲罰です。懲罰はそれ以上の人でなければ與えることができない。人民総体から選ばれた総理大臣、そのつくつた内閣、自分を選んでくれた衆議院解散する、懲罰するなどということは気違いでなければ考えられぬことであるが、今、日本中みな気違いになつておるのである。何千年か悪い文字を使つて、悪い言葉で教育を受けておるから、教育など受ければ受けるほど、ある意味においては、ばかになる。私もずいぶん早くから教育を受けました。一番先に漢字を学んだ。文学というものを大層尊いものだと教えられた。それで日本の学問はこれでよいということを信じておつて、欧米のことはわからなかつた。ところが今度の二度目の戦争のときに、無條件降伏という、建国以来夢にも見たことのない事件に出会つて、初めて迷いがさめて、今まで学んだことは、ことごとく間違いであるということが初めてわかつた。まだほんとうにはわかりませんが夢がさめかかつておる。第一にさめたのは、解散という文字の使い方間違いであるということである。民主国においては解散などという文字を使うべきではない。もしやりたければ、議員を辞職すればよいのである。解散ということは総選挙をし直すということである。議員が半数以上辞職すれば、だれにも迷惑をかけないで総体の意見を聞くことができる。そういうことがわからぬはずはないが、日本人には全部わからぬと見えて、何でも解散しなければ輿論を聞くことができないと思つておる。これが根本である。それゆえに、このせつかくお呼びくださつた委員会の人などのお求めになつたことが、目の見えない、耳が聞えないのを無理に読んでもらつたが、読んでもらつてもあまりわかりません。間違つた文字で書いてある。  私が憲法上のことで近来一番信頼しておるのは、今度の憲法制定にあずかつた、今国会図書館長をしておる金森さんである。あの人は私はよく知らないが、議会における言葉などを見て、憲法上の意見はあの人に私は一番感心しておる。だから新憲法を実施するにあたつて解散論などという問題のときに、私は直接お目にかかつても耳が悪いからいかぬと思つて、子供をやつて解散意見を聞かせた。ところが、私の最も尊敬しておるこの人から変な意見を聞いた。それではほかの学者と同じように、解散などということがわからぬ人間であると思つたが、どうもそうではない、わかつておる人であると思つたものですから、わざわざ衆議院に出て来て私がお目にかかつて話した。ところがどうも説が違いますから、私が道理を述べますと、道理では負けると思つたか、先生のはりくつだと言つて逃げる。りくつがいかぬということでは問題にならぬ。衆議院はりくつを闘わすところである。りくつは根本の、一番わかりやすい数字である。正しいことを言つた率はどつちが多いかということがわかる数字である。その数字日本人にはまだほんとうにわからぬ。大体日本人数字を先祖代代何千年かうそに教えられて来ておる。漢学で一番尊ばれた唐の李白は白髪三千丈とうたつた。大体三尺くらいのものが三千丈など伸びるはずがない。それを白髪三千丈とうたつておる。日本でも漢学などをやつた人は、みなそれで頭の数字が狂つておる。百年も生きることができない人間に、少しめでたいことがあると万歳と言う。万歳などということがあろうわけがない。数字をみなうそに使つておる。それが頭にこびりついておる。  私がびつくりしたのは今の吉田総理大臣選挙のときの数字である。今しつかり覚えておりませんが、あのとき出席した衆議院議員は四百人と覚えておるが、この四百人のうち吉田君に投票したのが百八十五票、あとの二百十五票は白票が多い。これがわからぬ。あなた方もおわかりにならなかつたと思う。私はあのとき病気で寝ておりましたが、新聞で見てびつくりした。どうも四百人全部出席して、百八十五人しか投票がないものを当選したなどという、これはあり得べからざることである。いわんや白票が二百何十ある。白票は確かに吉田に反対であるから白票を入れたので、吉田賛成白票を入れた者は一人もないと思う。ところが吉田反対二百十五票、賛成が百八十五票、これがわからぬ。あなた方にもおわかりにならなかつたと思う。それを平気で認めておる。私はそのとき、自分は発狂したと思つた。どう考えてみても、四百人出席して百八十五人しか投票がないものを当選したものときめるなどということは、人間世界にあり得べからざることであるが、新聞にはそう書いてある。私が老衰して発狂したのでなければ、こんなことが起るはずはないと思つたものですから、残念でたまらたい。気違いになつて死んだと言われても恥ずるほどの値打もないとあきらめればよいが、これまで生きておつて、頭が狂つて死んだというのはで、祖先に対してはなはだ申訳がないというばかげた考えになつて、三日三晩寝ずに考えた。どう考えても、四百人の出席のうち百八十五票の投票では落選である。病気が少しよくなりましたから、さつそく衆議院に来てまず議長に会つた。このときの議長は松岡さんであつたが、あの議長には前から感心しております。無学のようであるが、おそろしく頭がいい。今まで議長になつた人で、あのくらい頭のいい人は少いと思う。私は歴代の議長はみな知つておるが、幣原君も頭のいい人である。幣原君がやはりあの議長と似て頭がよかつたが、今まであれほど頭のいい人はない。ところが私が、これでは当選者ではないじやないかと言うと、返事をしないで事務総長を呼んで来た。そこで事務総長に会つた事務総長もかなり学問もあり、頭もいいはずであるが、何と説明したか。出席数が三分の一以上だからそれで有効でおる。三分の一以上出席しておればそれで成り立つのである。そんなことでけ説明にならぬ。三文の値打もない議論である。事務総長の言うのはわけがわからぬ。ただ欠席者が多いものですから、三分の一以上でも有効になるという法律がつくつてあるので、無効な集会ではない、有効な集会であるということはわかつた。しかしながらそこで出席した者が半数以上白票を入れたというのでは何にもならぬ。すなわち事務総長は、白票を入れた者を欠席と見ろと言うが、出席しておる、欠席ではない。欠席して棄権した者と、出席して棄権した者とは根本が違う。それがわからぬ人間説明など聞く必要はないから、私は事務総長説明はいらないといつて聞かない。そんなものは聞いても三文の値打もない。吉田第一の子分でも、病気で欠席しておれば、棄権ということになる。ところが出席して棄権した者は、一人残らず吉田がいやだから棄権したのだが、それがわからない。こんな当然な数字ですら、わからない議員なんです。これは議員ばかりではない。日本全国みなわからぬのです。それで、私はその説明にかかつたのです。しかし私の説明が悪いのか、どこでもわからぬようなことを日本人は言う。それで新聞記者説明するのが一番いいかと思つて、詳しく書いて邊つたが、一言も出しません。みな頭が狂つている。  こんな本会議の際における数字のことがわからぬのだから、もつとむずかしい字で書いた憲法などが、ほんとうにわかるはずがないのです。これはどうしても世界の態勢を見、純粋に、過程を通つてみて、解釈するほかはない。そうでないと、今の法律なども、みな狂つた頭で解釈しておる。民主国日本に、解散という言葉を使われておる。六十何條かに行つて、議会の解散ということが書いてあるということは、こんな間違つたことはない。進駐軍の中には、さすがアメリカに育つた者がいるから、彼らにはわかつた者が多かつたと見えて、解散論が問題になつたときに、アメリカの大学で学んだ人で、植原君と同年輩の人、名前は忘れてしまいました、この間死んだ人ですが、その人が、やはり解散のことを世間の人と同じような頭になつて解釈しておつて、それで司令部行つて、尋ねてみた。そうすると司令部の者が、お前の言うように解散を解釈すれば、元の日本憲法よりも悪くなるのじやないかと言つたそうだ。元は天皇陛下解散をした。もちろん天皇陛下は、自分一人ではなさらぬ。内閣、大臣元老院、すべての承諾を得なければ、解散ができない。今お前の言うように解釈すれば、総理大臣がかつて解散できることになる。それすれば、元よりか悪くなるだろうという説明を聞いて、その人はびつくりして帰つて来て、私に意見を求めた。アメリカに学んだ人ですらも、それくらいの頭でしかない。これは大層頭のいい人だつたが、こういう人でもそうだから、日本人にはよくわからない。アメリカ人にはわかつております。ただそんなことについて、しいて言う必要もないと思つてばかばかなりに扱つた方がいいというところから、放つておいただけです。少し学んだアメリカ人には、解散などということは、日本の国にはあり得ないと思つている。内閣が解散つてにやるというようなことは、日本民主国でないことになる。これはだれでもわかる。そんな問題をアメリカ人に話すと、ばかにされるから、あまり言いませんが、あるアメリカ大学教授に会つたときに、私が言つたら、それは日本人間違つておるが、言うと日本人が怒るから、遠慮しておると言う。日本占領下ですから、いばつておると日本人に思われるのもなんだから、向うの少し頭のいいやつは、たいてい日本人が怒るだろうと考えて、言わないだけです。日本人の感情を害するということは、おもしろくないということから、向うは言わない。それが日本人にはわからない。アメリカ人としては、天皇を尊敬すべき理由を知らないが、ただ日本人を扱うために、その方がいいということで言つておる。日本人が非常に尊敬をしている、ありがたいと思つている天皇だから、アメリカ人天皇に非常に尊敬を払つておるので、これもあなた方は心得なければならぬ。降伏した人間をあまり怒らせぬために、いろいろなことを言つておるのです。昔の、ばかばかなりに扱えということで、日本人を尊敬しておると思つてつていると思つたら、たいへんなことであります。これからもアメリカにたくさん日本人が行くでしようが、こういうことは、ちよつと行つたつてわかるものじやない。私はアメリカに四、五度行きましたが、九十になるまでは、ほんとうにわからなかつた。このごろ初めてわかり出した。今まで大分行つておりますが、たいていの人はわかつておりません。これは間違つた学問をしておるものですから、わからない。  根本は、新憲法においては解散などという言葉を使うべきではない。総選挙をしたければ、辞職さえすればいい。半数以上辞職すれば、すぐ総選挙になる。解散などという権利を総理大臣が持つことはあり得ない。国王ですら持たない権力を、総理大臣が持つことになるのは、民主国ではない。私はこのことについて詳しく吉田に質問しておる。それは速記録がありますから、ごらんを願いたい。憲法ではそういうことが書いてあつても、吉田のようなおとなしい総理大臣が続いておる以上はいいが、法上そうなつておるから、総理大臣解散できるのだということになるのは実に危険である。日本歴史の中でも、ことに悪いことである。私は天下の基幹となるべき憲法根本義というものを説いて、総理に質問をした。吉田という人は、前にイタリア公使をしておる時分から知つておるが、かれは頭のいい人である。あのおやじさんはよく知つております。今の吉田はあまり知らないが、一瞥するところ、頭のいい人である。これが何と答えるかと思つて質問した。おそらく答えができないだろうと思つて、その質問をした。さすがに吉田、一言にして答えた、よく考えて答えますと言つた。これは速記録にそう書いてある。そのかわり三年たつた今日、まだ答えません。答えができないのです。(笑声)こんな事実もお考え願いたい。私の言い方が悪くて、私の言う意味がよくおわかりになるまいと思いますが、今まで話したところでは、たいていの人がわかりません。ほんとうを言うと、芦田という人は頭の大層いい人である。これはわかるに違いないと思つたが、この人が白票を入れた。驚くべきことである。日本人はみなこのぐらいのもので、総理大臣の指名に白票を入れるということは、総理大臣はいらないという投票なんです。ところが今の日本憲法では、役人は総理大臣が選任することになつておる。従つて総理大臣がいらないという投票をすることは、政府がいらないという投票である。政府がいらないという投票は、国会がいらないという意味で、非国民投票である。芦田もそれがわからぬで、白票を入れた。何百人というものが、政府はいらないということは――非国民という言葉を使うと怒るでしようが、あの投票非国民投票である。政府はいらぬ、国会もいらぬという投票になる。それを議員の中の二百何人が入れても、点検人もとがめる人がない。国会の解散というような不都合なことをして、自由党は大層ふえた。現在の国民がどのくらい間違つておるかということが、これでもわかると思います。どんなばかでも、あのときに解散をすれば、自由党が減らなければならぬということがわかる。それがふえたことは、全国民が間違つておるということの証拠で、全国民が間違つておるということがわかれば、私の言うことは気違いの言うようにお聞きになるかもしれないが、これが正しいということはわかるはずです。そのときの議長にこの問題について言つたが、議長は言わない。あとの人はたいていわからぬのです。アメリカで育つた相当な議員ですらも、わからぬ。アメリカに行けば、それでは旧憲法より悪くなると言われる。英文で書いたものを読みながら、心配して私に相談するぐらいのものです。日本におる人はみなこのくらい狂つてしまつておる。朝から晩まで、うそのものを扱つておるから、狂つておる。そこをどうぞ御承知を願いたい。  なおほんとうにお聞きになりたいことがあれば、何どきでもお伺いいたします。ただ私は耳が聞えませんから、書いておいてくださるならば、お答えできると思います。日によつて耳が聞えることもございましようから、そのときには、よくお目にかかつて説明をいたします。(拍手)
  4. 九鬼紋十郎

    会長九鬼紋十郎君) どうもありがとうございました。  続いて(君の御意見を聞きたいと思います。關口泰君。
  5. 關口泰

    参考人關口泰君) 私關口泰と申します。尾崎先生の高遠なる理想論立法論あとで、卑近な解釈論を申し上げるのは、非常におもはゆいわけでございますけれども、しばらく第六十九條を中心として、意見を述べさしていただきます。  私は、申し上げるまでもなく憲法学者でもなんでもありません。ただ一番中心は、この憲法を読んでみると、どういうふうに読めるかということについて、申し上げたいと思います。憲法第六十九條には、御承知通り内閣辞職の規定があるのであります。不信任案が可決されるならば、内閣は総辞職しなければならぬという規定で、それが書たり目標でありますから、これによつて解散の場合を限定するかどうかというような結論を導き出すのには無理だと思うのであります。すなわち第六十七條の国会総理大臣の指名、第六十八條の国務大臣の任免に関する規定を受けて、第六十九條で、衆議院の不信任がなされたならば、内閣は総辞職をしなければならないとしたのであります。ただいまお話がありましたように、主権在国民の代表であるところの衆議院が不信任をしたにかかわらず、衆議院解散をあえてするというのは、不都合であるという議論も十分成り立ち得ると思うのであります。ただこの場合に、たとえば第三党が総理大臣の指名について、第一党とともに第一党の党首を指名した。それなのに、その後の政治情勢の変化によつて、今度は第二党の不信任案に賛成したというときに、この衆議院の多数というものは、すなわち国民の多数と認むべきかどうかということを国民に問うために解散して、総選挙を行う。総選挙によつて、新しい衆議院が成り立つた上で総辞職して、新たな国会によつて総理大臣の指名が行われる。その不信任案が、国民の意思であるかどうかを明らかにするということは、決して不当ではないと思うのであります。尾崎先生のお話のように、解散ということが懲罰的な意味には解釈されていないということは、今日では認められておるのではないかと思います。こういう場合に、不信任ですぐ総辞職をしないで、十日以内に解散行つて、七十日後に総辞職を延ばす。新しい国会ができますと、総辞職をしなければいけないという規定があります。ですから、七十日後には必ず総辞職をするのであります。そうしてこれによつて内閣の不信任が、国民の意思であるかないかということを明らかにすることができるのであります。それが第六十九條の意味だと思うのであります。  しからばこの解散は、第六十九條の場合に限られるかどうか、衆議院内閣を仁任しておる以上は、解散ができないかどうか、それが問題と思うのであります。これは内閣の総辞職が、第六十九條の場合だけに限られていないように、第六十九條の規定から、解散の場合を限定するわけには行きません。つまり内閣辞職はどういう場合にするのか、衆議院の不信任があつたときだけしかできないかというと、決してそうでないように、解散の場合にもそうではないかと思うのであります。内閣の不信任がなされたときだけでなければ、解散ができないことになりますと、先ほどのお話にもあり、また実際近年行われたように、多数党が解散しようとする場合には、わざわざ少数党をつくつて、不信任決議を成立さした上でなければ、解散ができないというような、非常に不自然なことができるのであります。しかしながら、実際衆議院の多数を制しておる内閣が、衆議院解散しなければならないような政治情勢に置かれることは、イギリス労働党の場合と同様であると思われるのであります。たとえば、衆議院は現内閣を支持するけれども、参議院は現内閣反対が多数であつて、條約案の承諾を與えないというようなことがあるといたします。その場合に、政府参議院には手を触れられませんが、衆議院解散して、総選挙によつて、民意に問うことができるのであります。すなわち衆議院の三分の二を制すれば、第五十九條二項によりまして、参議院反対にかかわらず、国会の條約承認が成り立つのでありますし、そうでなくて、三分の二を制し得ないとしても、その選挙の結果を見て、たとえば五年前の選出議員を含む参議院は、今日の民意とは隔たりがあるというようなことを感じて、反省することもあり得るのであります。特に憲法改正の場合を考えてみますると、改正の発議は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成がなければなりません。そういたしますと、衆議院の三分の二を確保するということは、絶対に必要であります。ただいまといたしましても、憲法を改正する必要が起つて来るという場合に、現在の多数では不足であります。過半数を制して、信任案が可決され、不信任案が否決されたといたしましても、これに満足することはできない。解散して、総選挙によつて憲法改正を可能にするだけの新国会の情勢をつくり出す必要があるのであります。このためには、第六十九條の場合のほかに、解散ができるように解釈しなければならないのであります。そうして第六十九條には、この場合のほかは解散ができないというふうに、逆に規定はされていないのでありますから、こういうような実際の必要情勢の上から、解散ということは、第六十九條の不信任案の成立という條件を持たないでできると解釈するのが至当かと思うのであります。  しからば憲法第七條によつて解散ができるか。これに條件もついていないから、前の明治憲法天皇大権のように、解散が無條件、無制限に行われ得るのだというふうに、憲法第七條をその根拠にすることは誤りではないかと思います。解散は、憲法の規定で、たとえば国会の章の中にちやんときめてあればいいかもしれませんが、そこに明文がないといたしましても、憲法の全体の規定、あるいは何といいましようか、一々その定義をあげないでも、解散がどういうものであるかということはわかつておりますので、全体から解釈してよいと思うのであります。第七條は、解散する場合、天皇の名をもつてするけれども、それは内閣の助言と承認によつて国民のためにする国事であるということを規定しているので、つまりこれによつて、実質的に解散権天皇にあるとか、どこにあるということは、これを根拠としては言えないのではないかと思います。天皇解散権は名目的、形式的で、実質的には内閣に浸る。それを、行政権は憲法第六十五條によつて内閣にある、解散は立法でも司法でもないから、行政だというようなことを言つて、これを説明する学者もあるようであります。その辺は、私わざわざそう言わなければならないかどうかという点に疑問を持つておるのでおりまするが、それはまた学者の解釈にまかせてよいのではないかと思います。内閣がその判断により、その政治的責任において解散するので、この場合條理に従つてする。どういう場合にするかということは、将来おのずから憲法的慣行ができるではありましようけれども、今憲法の上においてどこにも明記してはおりません。憲法六十九條も、この場合に限定するとは善いてありませんから、これは先ほども申し上げました通り、憲法全体の精神から解すべきものだと思うのであります。先ほどお話もありましたように、これをアメリカ憲法的に解すると、解散はなるべくできないようにしようというために、この六十九條に限られるというように解釈をしますが、イギリス流の議院内閣制をとつている日本の場合には、やはりイギリス風に解釈するという方が多数説ではないかと思うのであります。  非常に不完全なお話でありましたが、以上をもつて一通り私の意見を申し上げました。
  6. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) ちよつとお伺いいたしますが今先生のお話では、無制限、無條件で解散もできないというふうにとつてもいいわけですね。六十九條に限定はしないけれども、無制限、無條件で第七條で解散ができるとも解釈できないという御意見つたのですか。
  7. 關口泰

    参考人關口泰君) それはそうでございますね。條理に従つて、責任を持つてやる。それは自由に言えますが、かつて気ままにできるわけじやない。條理に従わなければならないということを申し上げた程度でございます。
  8. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) そうすると。條理に従うというのは、具体的に言うとどういうことになりましようか。
  9. 關口泰

    参考人關口泰君) たとえば、今言うように、多数を制していても、三分の二でなければ施策を実行することができない。そのために解散するというのは、不條理ではないと思います。つまり懲罰的な意味解散とか、そういうふうな意味ではいかぬ。
  10. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) そうすると、そういう目的だと、一つの政略的な目的ということになつて内閣自分の施策を実行して行く上において、多数を獲得しなければならないから、それで解散をして、多数獲得の手段にする。明治時代で言えば、非常に政治干渉とか、その他のことがあつて、実際上においては、歴史的な現実から言いますれば、不純な多数が獲得できるわけです。そういう場合には必ず政府党が勝つというような日本の慣習だつたんですが、今のところはそこまで干渉はできますまいから、現在のところではよいけれども、将来はやはりそういうふうな目的、すなわち政略的な目的で、多数を獲得するために解散するということしなると、政府権力で、ありとあらゆる方法を講じて多数を獲得するという弊害が起りやすいというふうにも思われますし、もう一つ、こういうことを大分学者が言われておるようですが、国会国民の意思を代表していないというふうに思われる場合に、国民の意思を聞くために、解散する必要があるとかいうふうな場合ですね。重要な事項とか、重大な情勢の変化が起つたとかなんとかいう場合に解散ができるというふうなのは、先生の言われる條理上解散の必要が生じたときという中に入ると思うのですが、そういうふうな判断をだれがするかということは、結局政府がしなければいかぬことになる。そうすると、やはり無制限、無條件でやれると同じようなことにはなるわけなんですね。政府が條理上必要だと信じたということになれば、それでやれるわけで、最高裁判所に訴えればよいわけだけれども……。
  11. 關口泰

    参考人關口泰君) 最高裁判所に訴えるということじやないんじやございませんでしようか。これは国民選挙干渉とか買収とかいうことで左右されないということを前提としないと、総選挙によつて民意を向うというようなことは、全体が無意味になるし、民主政治そのものの根本が信用できないということになるので、それは前提としてよいのではないでしようか。
  12. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) それから、先ほど一例をあげられた重大な條約なんかの場合に、国会が承認しないというふうな場合に困るというお話ですが、これはアメリカ式で言えば、国際連盟なんかの問題でも、ウィルソンは御承知のように国会の承認を得ることができずに、国際連盟に加入できなかつたわけです。しかしあれでも、アメリカには解散の制度がないから、解散せずに、両院の国会の意思と大統領の意思とが調節ができて、アメリカの国政が運営されて行つたということになりますが……。
  13. 關口泰

    参考人關口泰君) ああいう場合に、たとえば解散ができまして、の意思、か国際連盟を支持するというような結果が出ることがあり得るわけではないでしようか。
  14. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) それはあり得るでありましようけれども、一応アメリカの建前としては、尾崎先生が言われたように、の総代として選ばれた者に対して、最高の権威を認めるというふうなことで、それは円民の意思を代表しておるというふうに一応考える。それからまた、それがよほどずれがあるということになれば、民主政治は輿論の政治ですから、その輿論がおのずから国会の意思をかえて行くというふうなことにもなつたりして、アメリカ政治がうまく行つておるのではないかと思います。私どももこの憲法の制定のときに関係したのですが、大体私どものあのときの考えとしては、今先生が言われたようなイギリス式の純然たる議院内閣制というよりも、アメリカイギリスとの中間をとつた憲法忠だというふうに考えて私は審議したわけだつたのですが……。
  15. 關口泰

    参考人關口泰君) そこで問題になるわけですね。中間だから、解散の場合どつちに解釈しようかということでございましようが、任期一ぱい、つまり国権の最高機関であるところの皆様の任期というものは、大統領と同じに、もう動かさない。その方が政治的安定があるという考え方と、イギリス流の、そのときどきと言いますか、四年前の民意と今の民意とは違う、あるいは三年前と違うかどうかを選挙によつて国民に聞いてみる。日本としてはどつちをとるべきか、私たちはその場合にイギリス風のやり方の方が、日本のほかの選手制度と照し合せても、いいんじやないかというふうな解釈をしているわけでございます。
  16. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) それで、たとえばイギリスアメリカとの違いは、イギリス民主国であるけれども、君主制ということになつてつて、歴史的に君主的な権力があるというようなことになつておるので、歴史から考えてみると、解散の中に、尾崎先生が言われたような懲罰的な意味が含まれている場合があるわけだと思うのですが、そこに君主制の歴史的なものがあるので、はないかと思うのです。
  17. 關口泰

    参考人關口泰君) イギリスの今度の労働党の解散なんかを考えても、何ら懲罰的というようなことは感ぜられないのでございますが……。
  18. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) むろん、そういうふうな意味でなしに、国民の総意を聞くというふうな正しい意味解散もありましようけれども、歴史的に考察すると、解散というものが、国会に対する一つの懲罰的な意味も君主制のもとには考えられる場合があつた。それで日本においても、明治時代はことに懲罰解散があつた。政党内閣制がほぼ確立して後には御承知のように政略的解散、多数を獲得するための解散があつて選挙干渉なんかで必ず政府党が勝つというとうなことで、そういう意味でやつたのですが、アメリカ式だと、いわゆる民主制度の国であつて国民から選ばれた国会が最高の機関であるから、解散すべきものではない。国民の意思と代表との間に実質上のずれがあつたとしても、それは一応公式的な国民の意思の代表者だというふうにとつて解散すべきではないというふうにとるのが民主的な制度じやないかと思われるのですが、その中間をとつて、今の六十九條の不信任案が通過した場合、信任案を否決した場合に解散を認めるのだ、イギリス式でもない、アメリカ式でもない、その中間をとつたのだというふうには解釈できませんでしようか。
  19. 關口泰

    参考人關口泰君) 先ほどもちよつと申し上げましたように、そういう場合に、不信任案が可決されなければ解散ができないというふうなことで、今まで吉田内閣のときも白票の問題なんかがあつたし、少数党が一ぺん内閣をとつて、不信任があつて解散というようなかつこうをとるのは、今でもおかしくはないでしようか。たとえば今吉田内閣がやめて、選挙管理内閣というものをこしらえて、それによつて解剖さして、それで自由党が多数になりますか何ですか、そういうふうなことを期待して、一ぺんやめなくては解散ができないということになると、何かそこに―わざわざれそう解釈しないでもよさそうに思うのでございますね。
  20. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) たとえば、昔政友会が少数党で内閣を組織した場合でも、必ずしも解散しなくてもよいのであつて政府の一つの政策々々で是非を問い、しかも重大な政策の遂行ができない場合に初めて解散する。通例は一月二十二日に不信任案が提出されてから解散するというふうなことになつてつたようですけれども、アメリカ式で行けば、大統領は民主党で、あるいはウィルソンが大統領であり、上院なり下院なりは共和党が多数だというふうなことであつても、政策の一つ一つで、国民の輿論を背景にして、それぞれ正しい政治の運営ができるということも考えられはするのですが、しかし日本はまだそこまで行かないから、おつしやるようないろいろな弊害が起るとすれば、一応この憲法の解釈は解釈として、そういう弊害については、両院法規委員会か何かにおいて、憲法の改正案なり、勧告はできるわけです。それでお話を伺つているわけです。だから、これは二つ別の観点から考えてもよいと思うのです。
  21. 關口泰

    参考人關口泰君) ただいまお話の、憲法を改正して、解散の場合なんかを限定しようか、あるいは第六十九條のほかでも解散ができるというようなことを明文につくるように、憲法改正をなさるような御意向があるのでございますか。
  22. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) それは御意向を聞いて、ここでまたみんなが協議して、そういう結論にでもなれば、そういうふうにでもしなければならないと思いますし、そのほか何か一般投票的なもので、重大なことについては国民の総意を聞く方法を考えられれば考えてもよいかと、いろんな場合が考えられるのです。
  23. 關口泰

    参考人關口泰君) その憲法を改正なさる場合に、すでに国会の発議が必要ですね。その国会の発議には、両院議員の三分の二を必要とするというようなことで、それを改正するのに、今では三分の二は得られないというような場合、やはり解散をしてもいいんじやないかと思うのです。
  24. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) 理論上から行くと、三分の二の賛成を得ないようなものは、国民の三分の二が賛成していないのだという理論づけはできるのですけれども、現実の政治の運営の面としては、いろいろ不都合なことがあるから、いろいろ研究さしてもらいたいと思つております。私の質問はこれで終ります。
  25. 佐瀬昌三

    ○委員(佐瀬昌三君) ただいまの現行憲法の改正についての御意見、よくわかつたのですが、今ちよつと話が出た、将来の改正論、立法論はそれとしても、現在はそういう解散論がやはり妥当であるというふうにお考えになつていらつしやいますか。
  26. 關口泰

    参考人關口泰君) 理想論をいろいろ考えてみたらあるかもしれませんが、私は今の程度の解釈で不都合ないと思いますがね。
  27. 佐瀬昌三

    ○委員(佐瀬昌三君) 基本的にはイギリス流の憲法としてですね。
  28. 關口泰

    参考人關口泰君) ただいまのような、議員半数辞職すればいいじやないかというふうなこと、あるいは国会の決議によつて解散するというふうなことも考えられないじやないでございましようけれども、そういうようなことは、私系統的に、組織的に考えたことはありませんから、何も申し上げられませんが……。
  29. 九鬼紋十郎

    会長九鬼紋十郎君) 委員外の方に御発言を許可してさしつかえありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  30. 九鬼紋十郎

    会長九鬼紋十郎君) さよう決します。鍛冶さん、どうぞ御発言を願います。
  31. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) ただいまのお説を承つておりますると、前提として、内閣解散権ありということが認められなければ出ぬ議論じやないかと思われるのです。これは申し上げるまでもなく、第七條によつて内閣の助言と承認によつてというので、助言と承認をする以上は、内閣自身がやつたと同一の行為になりますから、そういうことができるということで内閣解散権がある、こういうことだと思われるのですが、その考え方と、今お述べになりました第六十五條との関係です。行政権は内閣にある。そのほか、内閣でやれるものはこれこれといつて、七十三條に規定してあります。この関係から、内閣にあるところの立法機関に対する行為というものは、よほど狭められなければいかぬものじやないかと思われるのですが、この点はいかがでしようか。
  32. 關口泰

    参考人關口泰君) 先ほどもちよつと申し上げましたが、解散権が実質的には内閣にある。それの根拠は、六十五條の行政権は内閣に属するという、これに求めるのだという金森さんや入江さんの御説、それについては私判断する能力がないのでございますが、ここべ持つて来るほか方法がないのかもしれないと思うのです。
  33. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) そうすると、解散自体が行政行為だということになりますか。
  34. 關口泰

    参考人關口泰君) 司法行為でもない、立法行為でもないから、これは行政権だということを言つておられるようですね。その辺のことは、私は学者でないから、どういう説明をしたのが正しいのわからぬが、そう言つておられる。どこへその根拠を持つて行かれるかわからぬが、天皇が国事を行うという中に解散もあるけれども、明治憲法天皇大権というようなものじやないだろう。この点は、私学者でないから、はつきりしたことは申し上げられないということを、先ほど申し上げたのでございます。
  35. 鍛冶良作

    委員外衆議醸議員(鍛冶良作君) 先生と議論をしたつて、しようがございませんが、私は解散は行政行為とは思わないのです。これが第一です。それともう一つ、従つて行政行為でもないのに、特に内閣にそういうことができるというからには、どこかに法律に明定せられたるものがなかつたら、できないものじやないか、こう考えられるのですが、この点はいかがでしよう。
  36. 關口泰

    参考人關口泰君) 私も、国会の章に解散についての何か規定がある方かしいんじやないかと思いますけれども、なくても、できないとも解釈できないんじやないか……。
  37. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) その根本は、解散をやるという行為を、行政行為と見るかどうかということではまるのじやございませんかしら。
  38. 關口泰

    参考人關口泰君) そうでございますかしら。
  39. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) 行政行為でないというのなら―特別の権利を第七條によつて與えたと、こう言われる。しからば、そういうものをどこでやれるかというと、法律に明文のないものはやれない、われわれはこう解釈するのです。
  40. 關口泰

    参考人關口泰君) そうでございましようね。それでやはり行政権だということを、金森さんや入江さんが言われるのではないかと察するのです。
  41. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) 行政ではないが、特に法律で定めた場合に内閣でやれるのだ、こう解釈すべきではないかと思うのです。行政だということになれば、これはずつどやつて行けるのでありますから……。
  42. 關口泰

    参考人關口泰君) その辺わかりません。どつちの意見も立つように思うのですが、ただ解散が行政権というのは、ちよつとおかしいなと思いながら読んでいたのですけれども……。
  43. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) もう一つは、あなたの今おつしやつたような、そういう場合を予想すれば、なるほど解散すればよいではないかという考えは持ちまするが、法律に明定しなくとも内閣解散権があるんだということになりますと、あなたの言う偏理ということも、これが條理にかなつているかいなかということは、内閣の独断にまかすことになる。それは憲法を守る上において非常に危険じやありませんか。
  44. 關口泰

    参考人關口泰君) しかし、そのほかやりようがない。そのうちにだんだんと憲法慣行ができて行く。それが、ある場合にはいけないのではないかという反対党の考えもありましようし、世論の批判もありましようから、やるうちに慣行というものが育つて行くのではないでしようか。危険だといつても、方法がないでしよう。
  45. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) いい慣行が行われて来ればよいが、悪い慣行が行われて来ると、先ほど尾崎さんが言われたように、北條、足利みたいなことになる。
  46. 關口泰

    参考人關口泰君) それは国民なり政治家なりの責任で、憲法でどうということはできないんじやないですか。
  47. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) そういうことがあつてはたいへんだから、憲法の條文というものを非常に厳格に解釈しなければならぬ、われわれはこう思うのです。そこにあなたとわれわれと、今のところ考えが違うと思います。しかしこれ以上は議論になりますから、やめます。
  48. 溝淵春次

    ○委員(溝淵春次君) 今の最後の質問と表裏をするようなことになると思いますが、結局先生のお話の、解散権というものに対する今いろいろお話願つたことを考えてみますと―この委員会先生方においでを願つて、今までお聞きして教えていただいておるゆえんは、現実の政治先生方の御意見をいかに適用するかということで、今の日本の政情にこれを入れてみまして、結局衆議院において政府党である自由党が、二百八十四名持つておれば過半数でありますから、不信任案が出ても否決になる、信任案が出れば可決ということで、六十九條に該当する解散の條件が出て来ることはないわけです。結局六十九條の條件にあてはまるべき解散事由が出て来ないとすれば、解散の場合が想像されるのは、憲法九條の軍備をするかどうかという憲法改正の問題が起る以外に―先生のお話を要約すれば、第九條の軍備をするかどうかということについて憲法改正をする、そのための解散を行うような場合でない限り、現実の問題として解散はできない。今の日本の国情なり状態から推して、九條等の特別な事由があつて、それに基く解散をやる場合でなければ、解散という現実の問題にはぶつつからぬ、こういうことになるようにも思われますが、いかがですか。
  49. 關口泰

    参考人關口泰君) 私は例として、憲法改正の場合などは特にそうじやないかと申し上げたので、そのほか参議院の政党と反対の場合、そういう場合も考えられる。しかしそれで全部を盡したつもりではないので、ほかにもあるかもしれません、今頭に浮かんで来ないのですが、それをただ不信任の場合だけに限るという解釈をとると、先ほども申し上げたように、わざわざ多数党内閣辞職をして少数党内閣をつくつて、それの不信任をして解散してもらうというような手数をとらなくちやならぬ。それは非常におかしいじやないか、そんな不自然なことをしなくても、格別六十九條に、これ以外にはできないとは書いてないのだから、そう解釈しておいたらいいじやないかというように申し上げたわけです。
  50. 溝淵春次

    ○委員(溝淵春次君) もう一つ、私は自由党所属議員で、こういうことを言うと自由党の先輩からしかられるかもしれませんが、こういう議論がまた一部にあると思われますから、お教えを願いたいと思います。現行憲法というものは、日本が独立国家になるまでの憲法であつて、講和條約が締結され、批准が行われて独立国家ということになつて、国の性格がかわつて来れば、それを解散理由にできるというような意見が成り立つのじやないかという意見もあるのです。そういうことに対する先生の御意見はどうですか。
  51. 關口泰

    参考人關口泰君) 六十九條についてGHQの方にでも意見を聞けば、アメリカ流にこれを解釈して、これだけに限るというように言われておるから、占領下にあつてはこれに従う、しかし占領が過ぎたら独自の解釈でやつて行くという意味で、ございましようが、しかしやはり憲法は、独立するまでの占領下憲法だというようなことは言えないのじやないでしようか。
  52. 溝淵春次

    ○委員(溝淵春次君) そういう制限をつける必要はありませんね。そういう一部の説がありますから、先生にお伺いしたわけです。
  53. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) もう一つ先生に伺います。これは私の説からお聞きするわけですが、六十九條に限定しなくても解散できるというお説でありますけれども、その裏を言いますと、ほかに解散の事由を載せなくてもいいのだという御議論でしようか。それとも憲法に載つておれば言うことはないのだというのでしようか。どちらでしようか。
  54. 關口泰

    参考人關口泰君) 憲法というのは、実際の政治と非常に関係があるものですから、一々の場合をことごとくあらかじめ書いておくということは無理なんで、それがなくてもいいのだという考えでございます。そうして六十九條に限定したという意味が一つも現われていない。だからそのほかの場合でもできるのだ。そのほかの場合でもできるからといつて、自由かつてにやつていいという意味ではないが、そのほかでもできる場合があるじやないか、こういう場合にはしなくちや都合が悪いじやないかということを申し上げたのです。それが全部だ、たとえば私が言つた場合だけをここに書き上げなくちやならないかというと、そういう必要はないと思うのです。
  55. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) 理論上はそうは考えられますが、内閣の専権にその判断をまかせるということになると危険のおそれがある。われわれ法律を学んでおる者としては、そういうことがないようにきめるのが憲法だ。そこがあなたと違うところです。
  56. 關口泰

    参考人關口泰君) それができましようか。こういう場合とか、何か危険を防ぐような原案がおありになれば、あるいはそれに賛成するかもしれませんが……。
  57. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) 問題は憲法を改正して、そういう場合をあげればいいということになるわけですね。
  58. 關口泰

    参考人關口泰君) その例をあげていただけば、そういうことならそれを入れたらいいだろうということも申し上げられますが、私は今ここで、どういう場合というものを加えたら、その危険が防げるかということまで考えておりません。
  59. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) たとえば今お話のように、憲法を改正したい、ところが今の議会では憲法改正に賛成してくれない、そこで国民に改正するのがよいか悪いかを問う、そういう場合。それからもう一つ私が考えておるのは、六十九條に限ると申しますと、この前のときは反対党が不信任案を出してくれたからよかつたが、出さないで法律案を否決するだけだと、政府がそのままということでもいけないし、やはり解散しなければ困る。確かにそういうことは認められます。そういう場合、はたして国民がこの内閣を信任するかどうかを問うために、こういう場合を明定する。それは憲法の精神からだと言われると、なるほどそうだと思いますが、そういうとき反対党がやつてくれればいいけれども、そうでない場合……。
  60. 關口泰

    参考人關口泰君) そういう場合、国民としては文句が言えるわけでしよう。結局向選挙によつて事がきまるのだから、もつと選挙民を信用していいのじやないですか。
  61. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) 今の解散権を行政権というように回るかどうか、また第七條で万事解決できるということになれば、今鍛冶君が言つたように、いろんな場合を書くということは、かえつて制限的なことになりますね。無制限な解散権もしくは本来的な行政権に基く解散権がある場合、六十九條のごとき、あるいは今言つたようないろいろな場合に限定するということになると、一つの権利の制限のようになる。けれども、ぼくらは逆に、行政権ではないのだから、しかも第七條では完全に解散権の問題は解決していないのだから、従つてここに内閣解散権を持つ、解散ができるということになれば、明定が必要なんだ、明低が必要なんだという議論になる。従つて非常に大きな範囲で解散ができるというふうにやることになれば、たとえば、必要と認めたときは内閣解散することができる、というような大ざつぱな規定もできも。だから問題は、本来的な行政権であれば、何も書かなくてもいいと思う。そうでなければ、第七條で万事完全に明示されば、明示する必要があるのじやないか。今開口先生が言われるように、不都合な場合があれば明示する必要があるのじやないか、明示していなければ、六十九條以外にないのじやないかということも考えられるのです。そこはひとつ将来お考えを願いたいということと、もう一つ最後に、くどいようですが、解散のない制度であるアメリカの国政の運営、これに解散がないために非常に不都合だ、このアメリカの制度を改革しなければならぬというようなことを、お感じになつたことはありますか。
  62. 關口泰

    参考人關口泰君) 私はアメリカイギリス政治事情をよく知りませんから、どういう場合不都合だつた、だから解散はあつた方がいいというような考えを持ち合わせていません。
  63. 大野幸一

    ○委員(大野幸一君) 先ほど開口先生が、アメリカ人に聞けば六十九條以外にはないと答えるだろうとおつしやつたのは、現実にこの前そういうことが、片山内閣のときか何かありましたので、その通りだだと思いますが、これは米国占領治下につくられたのであるけれども、英国の制度をとりいれたものです。占領治下で、GHQの許可を得てやるということになればやむを得なかつたが、今後は日本国会独自の解釈、日本国民自身の解釈で運営すればいいというふうに、私は先ほど尾崎先生の御証言中に感じたのですがけれども、その点について先生はどういうお考えでしようか。尾崎先生自身も、今の総理大臣というか、内閣というものを、昔の天皇陛下の任命による総理大臣のごときに陥つておられるのじやないか。それで総理大臣国会解散するということは非常に越権である、民主主義ではないと言われますが、その総理大臣自身は、今では国会議員でなければならない。それから国会において選任されたものである。選任するときすでにその権限を與えたとも言えるのである。一つは政治をまかせる。また一つには、意見が合わなかつたときには総理大臣解散することができるということを含めて、総理大臣を選任したのじやないか。総理大臣もやはり国民及び国会から選任されたものであるから、昔の官尊民卑の思想とは考えが違う。尾崎さん自身も、今の内閣制度に対して昔のような気持で考えられておるのじやないかと思つたのですが、尾崎先生の御証言中、あなたはどうお考えになりましたでしようか。
  64. 關口泰

    参考人關口泰君) 尾崎先生が錯覚を持たれたかどうかということは、私は判断できませんが、ああいうふうに高遠な理想を持つお話でございますから、お話の中には、あるいは強い言葉言つて、われわれが、言つておることよりも、すぐ受取り得ないようなこともあつたでしようが、全体のお気持はわかつたような気がしたのです。今お話の、総理大臣天皇によつて任命されるのではない、国会の指名でなる。そうすると、先ほどもちよつと申し上げましたのはその点で、国会の指名によつて、しかも衆議院の優先的な立場で指名が行われる。それで内閣ができる。だから今度は衆議院が不信任をすれば、内閣がしりぞくのはあたりまえである。そういうふうにできた内閣の寿命が切れるのが、この場合が唯一でなくても、一つの場合であるということをあそこで示しておるのじやないでしようか。ですから、そのときにすでに解散権を與えていたのだということを言つた方が説明がいいかどうか、にわかにわかりませんけれども、そういう点はあると思いますね。
  65. 九鬼紋十郎

    会長九鬼紋十郎君) 内閣解散権をある程度持つというか、解散ということをやるのは、これは時と場合によつて必要だ。しかしながらその解散する一つの手続として、どの條文によるかというようなことについて考えますと、先生の今のお話は、あながち第七條によることが適当である、あるいは七條によればできるのだという御意見でもないように伺うのですが……。
  66. 關口泰

    参考人關口泰君) 私は七條をそういう根拠にとることは、何か間違いではないかというような気がするのです。あれはただ解散をする場合には、天皇内閣の助言と承認によつて国民のために行うのだということを示しておるので、それによつて授権的な意味はないのじやないかという気がするのです。
  67. 九鬼紋十郎

    会長九鬼紋十郎君) それではどういう條文によつてやるかということです。今も非常に問題になつたと思うのですが、それに非常に苦慮しておるわけです。
  68. 關口泰

    参考人關口泰君) 條文はないわけでございますね。これ全体が、総辞職の場合どうこう、何の場合どうこうということが、みな書いてあるわけでもないのじやないかと思います。大体解散といえば、その言葉にも、ある手続を含んでおる程度のものじやないでございましようか。
  69. 田中不破三

    ○委員(田中不破三君) もう一ぺん念を入れておきたいのですが、開口先生のお考えでは、第七條は単なる手続規定のようなものだということになりますね。これが解散の根拠規定ではないということですね。そうして六十九條には一応あるという……。
  70. 關口泰

    参考人關口泰君) これも場合を限定したものではなく、一つの場合ということですね。
  71. 田中不破三

    ○委員(田中不破三君) そうすると、憲法を通じて六十九條が一つの例としてあげてあるということですか。
  72. 關口泰

    参考人關口泰君) こういう場合総辞職しなければならぬという例が、一つあげてあるということですね。
  73. 田中不破三

    ○委員(田中不破三君) そうして、それ以外に解散というものについては何ら規定がないということでございますね。
  74. 關口泰

    参考人關口泰君) そうです。先ほど申し上げましたのは、総辞職の場合でも六十九條と七十條だけに限定されていない、ほかに総辞職の場合もあるじやないか、解散でもやはりそう解釈していいじやないか、こういうことでございます。
  75. 田中不破三

    ○委員(田中不破三君) それで、今の行政権の小にも含まれていないようたお考えでございますね。
  76. 關口泰

    参考人關口泰君) わざわざそう言わなくちや解釈がつかないかどうか、私にはちよつとわからないのです。
  77. 竹下豐次

    ○委員(竹下豐次君) 第七條に解散という言葉使つてあるが、解散の手続は憲法にはどこにも書いてない。六十九條では、解散するにあらざればということであつて、別にこれに限定したというふうにはどうも考えられないように思われますし、これは立法にも所属しない。司法にも所属しない。そうすると、やはり運営して行くためには、あとに残るのは行政というところだから、どうしてもそこに帰属せざるを得ない。だからやはり解散権政府が持つておるのだ。それを助言と承認によつて陛下が行われるというだけのことであつて、さつきいろいろお話がありましたが、私としては広く解釈して行くべきであると思う。一方、政府に権限を持たした場合の弊害についていろいろ議論が出ましたが、そうでない逆の場合の弊害もあるわけで、持たなかつた場合の弊害についても考えなくちやならぬ。やはり三権分立の趣旨というものは相当尊重して運営して行くのが、少くとも今の日本の現状から考えれば適当のような気がするのです。
  78. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) それに関連するのですが、そうすると解散権すら行政権的なもので、本来政府の権限に属するということになれば、いわんやそれ以下の議会の停会のごときは問題ではない。むろん政府にあるといわなければならぬ。認証規定が七條にあるのは、本来内閣に行政権がある、それを、手続を愼重にするために認証規定を置いたので、かえつて行政権の制限規定というようにとられるのであつて、そういうふうにとる以上、停会のごときは認証規定がないから、自由自在に政府が停会してもいいというようなことになるのですが、大体明治憲法から、解散とか停会とかいうようなものは、われわれ常識的に、国会のある以上、衆議院のある以上、そこに解散とか停会というようなものは、必然的に随伴しておるというように思つておるわけです。しかし明治憲法には停会規定があつたが、今度は停会規定がないから、停会というものはできないことになつておる。ですから、結局停会すら行い得ない政府の権限だから、解散も本来的な権限ではないので、憲法が付與して初めて生ずるものではないかと思われる。繰返して言うようですが、アメリカには解散がない。日本でも府県会にも市町村会にも明治以来ずつと―最近できたが、解散はない。だから団体の会合に必ず解散というものが付随しておるとも言えない。任期が限定してあるのは、やはり三年なり四年なりで国民の信頼に変化があるかないかということをおもんぱかつて、任期がきめられてあるわけです。だから任期がある以上、その団体に対する解散というものは必然的なものではないというように思う。これは慣習的なものであり、歴史的なものであるということになると、アメリカ民主国だから国会に重きを置いて、解散などということは予想せられないというようなことで、ああいう制度になつて来る。イギリス君主国で、君主の言うことを聞かなければ、懲罰的な解散をして、多数を政府が占めるというような行き方、これは先ほど言つた歴史的な一つの行き方です。歴史の裏づけによるそういうことが、ああいう制度になつておるのだというように解釈することになれば、解散権というものは団体に必然的に随伴しておるものでもなければ、行政権的に、本質的に政府に付與されておるものでもないというように解釈されていいのじやないかと思うのです。
  79. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) 結局今あなたが言われるように、行政権と認めるか認めないかできまると私は思うのです。行政権というなら内閣にあるのが当然です。われわれは議会解散するというのは、いわゆる行政とは認めない。そうしてみると、憲法で特に明示した場合でなかつたらやれないのだ。もつと理想的にいえば、尾崎さんのように、そんなことは明示できないのだというところまで行くわけですが、明示したとすればやれると言わざるを得ないでしよう。そこで話がきまると思うのです。だから、どうしても解散があつた方がいいというなら、憲法を改正して、そういう特別な場合を明足しなければならぬのじやないかという議論が出るわけです。
  80. 關口泰

    参考人關口泰君) 憲法解散を認めておることだけは確かなんで、解散があることを前提にしておることは確かですね。
  81. 竹下豐次

    ○委員(竹下豐次君) 明定した場合でなくては解散ができないということに一応解釈しておくと、第六十九條にも明定はしてないのです。
  82. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) そういうことになりますね。
  83. 竹下豐次

    ○委員(竹下豐次君) この場合には、解散しろとか、解散していいという規定はたいのです。解散しない場合には、というだけしか書いてないから、その前に、もう一つ段が落ちているということにたるのですね。あなたの議論ですと、そういうことになる。何も解散できない。第六十九條でも解散できないということになつて参ります。
  84. 田中不破三

    ○委員(田中不破三君) 第六十九條はこういうものを予想しているだけで……。
  85. 竹下豐次

    ○委員(竹下豐次君) だから、やはり關口さんのお話のように非常に常識的に見まして―今のは法律家的か御解釈ですけれども、私はやはりそういう御意見の方が正しいと思いますが、なお勉強さしていただきたいと思います。
  86. 鍛冶良作

    委員外衆議院議員(鍛冶良作君) 私も第六十九條だけ見れば解散ができると思うが、何によつて解散できるかということになると、確かに議論はありますね。
  87. 竹下豐次

    ○委員(竹下豐次君) 厳重な文理解釈から、狭く考えなければならないという議論を根底にすれば、あなたのおつしやるのは少しルーズな解釈になる。そこに矛盾が出て来ると思うのです。これはまたお互いにあとで研究いたしましよう。―それから、きようはお二人おいでくださつたのですが、私はこの前欠席しましたのでわかりませんが、きよう、ほかにおいでくださるのですか。
  88. 九鬼紋十郎

    会長九鬼紋十郎君) きようはお二人だけです。ほかにまだお願いすることになつております。全部で六人でしたか……。
  89. 高橋英吉

    衆議院両院法規委員長(高橋英吉君) もう關口さんはよろしいでしよう。
  90. 九鬼紋十郎

    会長九鬼紋十郎君) どうも長時間ありがとうございました。ちよつと速記をやめて下さい。     〔速記中止〕
  91. 九鬼紋十郎

    会長九鬼紋十郎君) 速記を始めてください。  本日はこれをもつて委員会を散会することといたします。     午後三時二十九分散会