○
委員外衆議院議員(
尾崎行雄君) せつかく
お呼びを受けましたが、目と耳と両方役に立たないものですから、この資料を読むことができない。少し
ばかり読んでみましたが、みな読むことができませんから、ただ私の
解散について考えていることを述べてみたいと思います。せつかく
お呼びを受けたのに、十分お答えすることができないかと思います。
元来、
解散ということは、
ほんとうの
民主国においてはあるべきことではないと思うのが私の考えの
根本であります。
民主国というのは
人民全体を主人とした国である。その主人が選んだのが
衆議院であり、続いて
参議院である。そうすると、
衆議院というものは
政治上の機関としては、
ほんとうの
民主国においては最上の機関である。その上に立つものはないのである。昔
フランスあたりで三権分立などという、いろんなことを
言つて、
アメリカあたりも多少そのまねをしておるようでありますが、
ほんとうの
民主国においては
人民の選んだ
代表者、
人民にかわるものが
衆議院である。続いて
参議院である。この
人民にかわ
つた一番尊い機関を
解散する。
解散ということは免職する、もしくは放逐するということであるが、そういうことがあるべきはずがない。
人間以上のものがこの国を支配しておるならば、
人民総体が選んだ
最高機関を
解散することもできましようけれども、要は
人間の支配しておる国であるから、
解散などということがあるべきはずのものではない。ただ昔、
奴隷的根性で支配せられた時分にできた
憲法に
解散という
言葉があるものですから、それを今
民主国にな
つても使わないと済まないと
思つて、
憲法制定者がこんな
言葉を使
つたので、しようがない
言葉である。その点、今
民主国としてやや近いのは、
ほんとうの
民主国ではないが、相当の
民主国は
アメリカである。その
アメリカには
解散ということはおそらくないと思う。いわんや、もつと
ほんとうの
民主国になれば、
解散などということがあるわけがない。ただ
憲法学者の
意見を聞くと、
イギリスの頭に支配せられておる
人間が多いようである。あるいは
憲法をつく
つた人たちも、
イギリスの
立憲政治に頭を支配せられて
憲法をつく
つたものと思う。それゆえに新
憲法においては、
天皇の
政治上の
権力を一切取上げたにもかかわらず、やはり
政治上の
権力が大分残
つておる。
イギリス国王と
日本の
天皇と一緒に見て
憲法をつく
つておる。これが
根本の
間違いである。
イギリスは
民主国であるが、
君主国であり、国王の
権力は依然として存している。それをあまりお使いにはなりませんが、
ヴイクトリア女王などけときどき
使つたようである。たとえば
議員の多数を制する政党があ
つても、国王がその中の相当の力のある、気に入
つた人があれば、自分の気に入
つた者をお召しにな
つたことがあると思う。今でもある場合においてはそういうことがあるかもしれない。
イギリスは
君主国である。
日本では
新冠法においては、
天皇というものは
政治上の
権力は全然取上げられておるから、
解散という仕事をする
人間はどこにもあろうはずがない。
それを
憲法は
間違つて、―全体申しますと、
根本を言うと、この文字というものが悪いのです。
ほんとうのことは絶対に書けない。漢字というものがみなうそにつくられておる。何千年かうそに使う癖がついておるから、
ほんとうのことは漢字では書けません。これが私の主張の
根本です。その悪い漢字で、
間違つた頭で書いておるので、
憲法というものを
ほんとうに正しい頭で読むとわからぬところが非常に多い。そうして
ばかげたことが並べてある。たとえば
天皇のお仕事の上に、いろいろ
衆議院を
解散したり、政令を公布したり、―政令の公布ということさえ
大臣では行うことができない。その公布を
天皇がやるというようなことが並べてある。
大小軽重の
根本を誤
つた並べ方をしている。何條だ
つたか、六十八條か九條かに、
衆議院を
解散するという
言葉がある。不信任の決議をしたときに、辞職するか
解散するかしたければならぬという、そんな
ばかなことを書くべきものではない。りくつのわからぬ者が
みな間違つた言葉を使いつけておる。いたずらに
官尊民卑、
政府の役人というものを尊び、
人民を奴隷とした何千年かの習慣ができているので、
日本人が使うと、
政府というものを尊び、
人民というものは卑しいものだという頭が支配しておりますから、いつでもその頭に支配せられて
間違つた言葉の
使い方をしておる。
それで総辞職と
解散ということを同等にして、いつまでに
解散しなければならぬとか、辞職しなければならぬとか、まるで
間違つておる。
解散などということは、これは
人民の選んだ者を、いらなくた
つたからやめろということである。
解散ということは、
人民が選んだ何百人というものをみな免職して選び直すということである。そんなことを言うべき者はいない。
憲法を読んでも、
解散という
言葉はあるが、だれがその
権力を握
つておるかということは、どこにも書いてない。以前はむろん
天皇陛下であるが、事実は
天皇陛下ではなく、
内閣大臣あるいは元老が
寄つて初めてできたものである。今はそんな元老もない。
大臣はあるが、
大臣というもののかしらは
人民全体が選んだものである。
人民がこしらえたものであるから、
人民を罰するなどということができるわけがない。だれが国の主人であるかということが
ほんとうにわからぬ頭で、今の
憲法はできておる。あなた方が
ほんとうに頭を清めて読んだならば、
憲法というものはまるでわからぬ、
間違つた書き方をしておる。字の
使い方が
間違つておる。けれども現在の
日本においては、この字を使うよりほかに
憲法の
書き方がない。
憲法をつく
つた人はよほどすぐれた人で、私の尊敬しておる
人たちがおもに関係したようであるがこれらがみな
間違つておる。字がないのですから、
ほんとうのことが書けない。それと、もう一つ
間違つておるのは、
憲法をつくる人の頭を一番支配したのが
イギリスの
憲法であ
つたということである。その次は
官尊民卑、役人というものを尊び、
人民というものは卑しい、この頭で
憲法をつく
つたものであるから、その思想がずつと流れて来ておる。これが
憲法のたいへん
間違つた根本である。
イギリスを、ごらんなさい。実際はあまり使いませんけれども、
イギリスの国王は大権を持
つておるが、
日本においては大権というものは取上げて、
政治に関係すること相ならぬという
憲法である。
根本から違うけれども、
学者あたりはたいていそれがわかりません。
言葉の上でまねをするのですから、
日本の
言葉で
イギリスのまねをしてもできません。現に
政治の上において
イギリスを一番よく学んでおるのは
アメリカであり、続いて
フランスくらいだと思いますが、
アメリカには
解散ということはございません。
もし国民の主張を開きたい、今までの
選挙のときとは
大分社会も
違つて、民心も
違つただろうから、その主張を聞きたいということなら、
議員が辞職すればよいのである。
ほんとうに国論を確かめるというならば、
議員が辞職すればよい。それも全部辞職しなくてもよい。全部辞職するくらいのわけのわか
つた人間がいなければ、
ほんとうの
民主国はできませんけれども、そんな
人間が急にできようとは思いませんから、半数以上辞職する。半分くらいはいかなるかたわの国でも、国のために辞職するくらいの
人間は
日本でもあるだろう。そうすれば総
選挙をして国論を問うことができる。
解散などということは、
奴隷的国民を役人が支配するときに使う
言葉である。
解散ということは懲罰です。懲罰はそれ以上の人でなければ與えることができない。
人民総体から選ばれた
総理大臣、そのつく
つた内閣、自分を選んでくれた
衆議院を
解散する、懲罰するなどということは
気違いでなければ考えられぬことであるが、今、
日本中みな気違いにな
つておるのである。何千年か悪い文字を
使つて、悪い
言葉で教育を受けておるから、教育など受ければ受けるほど、ある意味においては、
ばかになる。私もずいぶん早くから教育を受けました。一番先に漢字を学んだ。文学というものを大層尊いものだと教えられた。それで
日本の学問はこれでよいということを信じてお
つて、欧米のことはわからなか
つた。ところが今度の二度目の戦争のときに、無
條件降伏という、建国以来夢にも見たことのない事件に
出会つて、初めて迷いがさめて、今まで学んだことは、ことごとく
間違いであるということが初めてわか
つた。まだ
ほんとうにはわかりませんが夢がさめかか
つておる。第一にさめたのは、
解散という文字の
使い方の
間違いであるということである。
民主国においては
解散などという文字を使うべきではない。もしやりたければ、
議員を辞職すればよいのである。
解散ということは総
選挙をし直すということである。
議員が半数以上辞職すれば、だれにも迷惑をかけないで総体の
意見を聞くことができる。そういうことがわからぬはずはないが、
日本人には全部わからぬと見えて、何でも
解散しなければ輿論を聞くことができないと
思つておる。これが
根本である。それゆえに、このせつかく
お呼びくださ
つた委員会の人などのお求めにな
つたことが、目の見えない、耳が聞えないのを無理に読んでもら
つたが、読んでもら
つてもあまりわかりません。
間違つた文字で書いてある。
私が
憲法上のことで近来一番信頼しておるのは、今度の
憲法制定にあずか
つた、今
国会図書館長をしておる金森さんである。あの人は私はよく知らないが、議会における
言葉などを見て、
憲法上の
意見はあの人に私は一番感心しておる。だから新
憲法を実施するにあた
つて、
解散論などという問題のときに、私は直接お目にかか
つても耳が悪いからいかぬと
思つて、子供をや
つて解散の
意見を聞かせた。ところが、私の最も尊敬しておるこの人から変な
意見を聞いた。それではほかの学者と同じように、
解散などということがわからぬ
人間であると思
つたが、どうもそうではない、わか
つておる人であると思
つたものですから、わざわざ
衆議院に出て来て私がお目にかか
つて話した。ところがどうも説が違いますから、私が道理を述べますと、道理では負けると思
つたか、先生の
はりくつだと
言つて逃げる。りくつがいかぬということでは問題にならぬ。
衆議院はりくつを闘わすところである。りくつは
根本の、一番わかりやすい
数字である。正しいことを
言つた率はどつちが多いかということがわかる
数字である。その
数字が
日本人にはまだ
ほんとうにわからぬ。大体
日本人は
数字を先祖代代何千年かうそに教えられて来ておる。漢学で一番尊ばれた唐の李白は白髪三千丈とうた
つた。大体三尺くらいのものが三千丈など伸びるはずがない。それを白髪三千丈とうた
つておる。
日本でも漢学などをや
つた人は、みなそれで頭の
数字が狂
つておる。百年も生きることができない
人間に、少しめでたいことがあると万歳と言う。万歳などということがあろうわけがない。
数字をみなうそに
使つておる。それが頭にこびりついておる。
私がびつくりしたのは今の
吉田総理大臣の
選挙のときの
数字である。今しつかり覚えておりませんが、あのとき出席した
衆議院議員は四百人と覚えておるが、この四百人のうち
吉田君に
投票したのが百八十五票、あとの二百十五票は
白票が多い。これがわからぬ。あなた方もおわかりにならなか
つたと思う。私はあのとき病気で寝ておりましたが、新聞で見てびつくりした。どうも四百人全部出席して、百八十五人しか
投票がないものを当選したなどという、これはあり得べからざることである。いわんや
白票が二百何十ある。
白票は確かに
吉田に反対であるから
白票を入れたので、
吉田賛成で
白票を入れた者は一人もないと思う。ところが
吉田反対二百十五票、賛成が百八十五票、これがわからぬ。あなた方にもおわかりにならなか
つたと思う。それを平気で認めておる。私はそのとき、自分は発狂したと思
つた。どう考えてみても、四百人出席して百八十五人しか
投票がないものを当選したものときめるなどということは、
人間世界にあり得べからざることであるが、新聞にはそう書いてある。私が老衰して発狂したのでなければ、こんなことが起るはずはないと思
つたものですから、残念でたまらたい。
気違いにな
つて死んだと言われても恥ずるほどの値打もないとあきらめればよいが、これまで生きてお
つて、頭が狂
つて死んだというのはで、祖先に対してはなはだ申訳がないという
ばかげた考えにな
つて、三日三晩寝ずに考えた。どう考えても、四百人の出席のうち百八十五票の
投票では落選である。病気が少しよくなりましたから、さつ
そく衆議院に来てまず
議長に会
つた。このときの
議長は松岡さんであ
つたが、あの
議長には前から感心しております。無学のようであるが、おそろしく頭がいい。今まで
議長にな
つた人で、あのくらい頭のいい人は少いと思う。私は歴代の
議長はみな知
つておるが、幣原君も頭のいい人である。幣原君がやはりあの
議長と似て頭がよか
つたが、今まであれほど頭のいい人はない。ところが私が、これでは
当選者ではないじやないかと言うと、返事をしないで
事務総長を呼んで来た。そこで
事務総長に会
つた。
事務総長もかなり学問もあり、頭もいいはずであるが、何と
説明したか。
出席数が三分の一以上だからそれで有効でおる。三分の一以上出席しておればそれで成り立つのである。そんなことでけ
説明にならぬ。三文の値打もない議論である。
事務総長の言うのはわけがわからぬ。ただ
欠席者が多いものですから、三分の一以上でも有効になるという法律がつく
つてあるので、無効な集会ではない、有効な集会であるということはわか
つた。しかしながらそこで出席した者が半数以上
白票を入れたというのでは何にもならぬ。すなわち
事務総長は、
白票を入れた者を欠席と見ろと言うが、出席しておる、欠席ではない。欠席して棄権した者と、出席して棄権した者とは
根本が違う。それがわからぬ
人間の
説明など聞く必要はないから、私は
事務総長の
説明はいらないとい
つて聞かない。そんなものは聞いても三文の値打もない。
吉田第一の子分でも、病気で欠席しておれば、棄権ということになる。ところが出席して棄権した者は、一人残らず
吉田がいやだから棄権したのだが、それがわからない。こんな当然な
数字ですら、わからない
議員なんです。これは
議員ばかりではない。
日本全国みなわからぬのです。それで、私はその
説明にかか
つたのです。しかし私の
説明が悪いのか、どこでもわからぬようなことを
日本人は言う。それで
新聞記者に
説明するのが一番いいかと
思つて、詳しく書いて邊
つたが、一言も出しません。みな頭が狂
つている。
こんな本会議の際における
数字のことがわからぬのだから、もつとむずかしい字で書いた
憲法などが、
ほんとうにわかるはずがないのです。これはどうしても世界の態勢を見、純粋に、過程を通
つてみて、解釈するほかはない。そうでないと、今の法律なども、
みな狂つた頭で解釈しておる。
民主国日本に、
解散という
言葉を使われておる。六十何條かに
行つて、議会の
解散ということが書いてあるということは、こんな間
違つたことはない。進駐軍の中には、さすが
アメリカに育
つた者がいるから、彼らにはわか
つた者が多か
つたと見えて、
解散論が問題にな
つたときに、
アメリカの大学で学んだ人で、植原君と同年輩の人、名前は忘れてしまいました、この間死んだ人ですが、その人が、やはり
解散のことを世間の人と同じような頭にな
つて解釈してお
つて、それで
司令部に
行つて、尋ねてみた。そうすると
司令部の者が、お前の言うように
解散を解釈すれば、元の
日本の
憲法よりも悪くなるのじやないかと
言つたそうだ。元は
天皇陛下が
解散をした。もちろん
天皇陛下は、自分一人ではなさらぬ。内閣、
大臣、
元老院、すべての承諾を得なければ、
解散ができない。今お前の言うように解釈すれば、
総理大臣がか
つてに
解散できることになる。それすれば、元よりか悪くなるだろうという
説明を聞いて、その人はびつくりして帰
つて来て、私に
意見を求めた。
アメリカに学んだ人ですらも、それくらいの頭でしかない。これは大層頭のいい人だ
つたが、こういう人でもそうだから、
日本人にはよくわからない。
アメリカ人にはわか
つております。ただそんなことについて、しいて言う必要もないと
思つて、
ばかは
ばかなりに
扱つた方がいいというところから、放
つておいただけです。少し学んだ
アメリカ人には、
解散などということは、
日本の国にはあり得ないと
思つている。内閣が
解散か
つてにやるというようなことは、
日本が
民主国でないことになる。これはだれでもわかる。そんな問題を
アメリカ人に話すと、
ばかにされるから、あまり言いませんが、ある
アメリカの
大学教授に会
つたときに、私が
言つたら、それは
日本人が
間違つておるが、言うと
日本人が怒るから、遠慮しておると言う。
日本は
占領下ですから、いば
つておると
日本人に思われるのもなんだから、向うの少し頭のいいやつは、たいてい
日本人が怒るだろうと考えて、言わないだけです。
日本人の感情を害するということは、おもしろくないということから、向うは言わない。それが
日本人にはわからない。
アメリカ人としては、
天皇を尊敬すべき理由を知らないが、ただ
日本人を扱うために、その方がいいということで
言つておる。
日本人が非常に尊敬をしている、ありがたいと
思つている
天皇だから、
アメリカ人が
天皇に非常に尊敬を払
つておるので、これもあなた方は心得なければならぬ。降伏した
人間をあまり怒らせぬために、いろいろなことを
言つておるのです。昔の、
ばかは
ばかなりに扱えということで、
日本人を尊敬しておると
思つてや
つていると思
つたら、たいへんなことであります。これからも
アメリカにたくさん
日本人が行くでしようが、こういうことは、ちよつと行
つたつてわかるものじやない。私は
アメリカに四、五度行きましたが、九十になるまでは、
ほんとうにわからなか
つた。このごろ初めてわかり出した。今まで大分
行つておりますが、たいていの人はわか
つておりません。これは
間違つた学問をしておるものですから、わからない。
根本は、新
憲法においては
解散などという
言葉を使うべきではない。総
選挙をしたければ、辞職さえすればいい。半数以上辞職すれば、すぐ総
選挙になる。
解散などという権利を
総理大臣が持つことはあり得ない。国王ですら持たない
権力を、
総理大臣が持つことになるのは、
民主国ではない。私はこのことについて詳しく
吉田に質問しておる。それは
速記録がありますから、ごらんを願いたい。
憲法ではそういうことが書いてあ
つても、
吉田のようなおとなしい
総理大臣が続いておる以上はいいが、法上そうな
つておるから、
総理大臣が
解散できるのだということになるのは実に危険である。
日本歴史の中でも、ことに悪いことである。私は天下の基幹となるべき
憲法の
根本義というものを説いて、
総理に質問をした。
吉田という人は、前に
イタリア公使をしておる時分から知
つておるが、かれは頭のいい人である。あのおやじさんはよく知
つております。今の
吉田はあまり知らないが、一瞥するところ、頭のいい人である。これが何と答えるかと
思つて質問した。おそらく答えができないだろうと
思つて、その質問をした。さすがに
吉田、一言にして答えた、よく考えて答えますと
言つた。これは
速記録にそう書いてある。そのかわり三年た
つた今日、まだ答えません。答えができないのです。(笑声)こんな事実もお考え願いたい。私の言い方が悪くて、私の言う意味がよくおわかりになるまいと思いますが、今まで話したところでは、たいていの人がわかりません。
ほんとうを言うと、芦田という人は頭の大層いい人である。これはわかるに違いないと思
つたが、この人が
白票を入れた。驚くべきことである。
日本人はみなこのぐらいのもので、
総理大臣の指名に
白票を入れるということは、
総理大臣はいらないという
投票なんです。ところが今の
日本の
憲法では、役人は
総理大臣が選任することにな
つておる。
従つて総理大臣がいらないという
投票をすることは、
政府がいらないという
投票である。
政府がいらないという
投票は、国会がいらないという意味で、
非国民の
投票である。芦田もそれがわからぬで、
白票を入れた。何百人というものが、
政府はいらないということは――
非国民という
言葉を使うと怒るでしようが、あの
投票は
非国民の
投票である。
政府はいらぬ、国会もいらぬという
投票になる。それを
議員の中の二百何人が入れても、
点検人もとがめる人がない。国会の
解散というような不都合なことをして、
自由党は大層ふえた。現在の国民がどのくらい
間違つておるかということが、これでもわかると思います。どんな
ばかでも、あのときに
解散をすれば、
自由党が減らなければならぬということがわかる。それがふえたことは、全国民が
間違つておるということの証拠で、全国民が
間違つておるということがわかれば、私の言うことは
気違いの言うようにお聞きになるかもしれないが、これが正しいということはわかるはずです。そのときの
議長にこの問題について
言つたが、
議長は言わない。あとの人はたいていわからぬのです。
アメリカで育
つた相当な
議員ですらも、わからぬ。
アメリカに行けば、それでは旧
憲法より悪くなると言われる。英文で書いたものを読みながら、心配して私に相談するぐらいのものです。
日本におる人はみなこのくらい狂
つてしま
つておる。朝から晩まで、うそのものを扱
つておるから、狂
つておる。そこをどうぞ御承知を願いたい。
なお
ほんとうにお聞きになりたいことがあれば、何どきでもお伺いいたします。ただ私は耳が聞えませんから、書いておいてくださるならば、お答えできると思います。日によ
つて耳が聞えることもございましようから、そのときには、よくお目にかか
つて説明をいたします。(拍手)