○
岩間正男君 時間が余りありませんので、いろいろ詳しいことをお聞きしたいことがあつたのでありますが、以上申しましたように、このほかにも大学の研究費の問題とか、育英資金の問題、この大学の、例えば京大事件が起りますと、文相はこういう問題はやはり生活の問題でもあるから何とか育英資金の充足でこういうものを生徒児童の思想善導について
考えたいということを洩らされておるのでありますけれども、とにかく現在教育は問題が山積みだと思います。その一番大きな問題はどこにあるかというと私は
財政上の問題にあると思う。ここのところに深く楔を打込んで、教育
財政を確立して、そうして
はつきり教育をそういう
経済の面から守る。こういうことの
決意なしには私は実際
日本の教育はこれは守り切れないと思う。戰争前の教育はそうでありましした。やはり戰時費の、軍費の負担によ
つて教育は圧迫を受けた。併し今日の我々と比べるというと、戰争前といえども今日よりはこの教育費のパーセンテージは高かつたのじやないかと思う。今日は非常に大きなしわがここに寄せられて來ております。それを本当に果すことができない。足もとの問題が本当に解決されない。そうしていて
先ほど申しましたように観念的な
精神的な問題を論議して行く。こういう形では私は教育は守り切れない。これをもつと徹底して言いますというと、むしろそういう問題が解決できない、土台の問題が解決できないでそれを何とか覆うために、むしろそれをごまかすために、むしろ
精神的な、
精神主義を以てそれに臨んで行く、こういう形にな
つておるのではないか。私は今日必要な問題は今申しましたところの教育
財政の貧困によ
つて起
つておるもろもろの破壊、混乱、こういうものに対して深く楔を打込むところに文相の本当に
努力すべき中心目標があるのだと私は
考える。ところがそちらのほうは余り文相は御熱心じやない。いや御熱心なのでありましようが、まあお得意じやない。或いはそういうほうに余り
努力の結果も見えない。こういう形で進まれるということは本末顛倒じやないか。天皇の問題が起りますと、京大事件で……。そうしますと、文相はそれに
責任を感じておられると言う。併しながら例えば六・三制のために非常に多くのこれは地方の人たちが泣いておる。或いはそのための
責任を負
つて自殺したところの町村長もある。或いはその関係者の中で多くの人が犠牲にさらされておる。この
責任は
一体どうするのか。天皇の空車を大学の学生が包囲した。そうして何か青春の声を挙げた。こういうことについては戰々兢々として国会に先ず求められざるに先立
つて來て釈明されるところの文相は、何故に私今が言つたような教育
財政の貧困によ
つて起
つておるところのいろいろなもろもろの犠牲に対してこの
責任を負うというそういう
態度をとられないのであるか。私は本末顛倒であると思う。今度の給食問題を取上げてもそうであります。又大学の学生の生活の
現状を見ましても、もう食えないという
現状から今日アルバイトに追い込まれておる。不良化の傾向が起り、いろいろな問題が起
つておる。こういう方向の面についてはどういう
一体文相は
責任を感じておられるか。單に天皇に対する
責任というようなことを話され、それだけで済むのであるか。この点が非常に私は大きいと思うのであります。而も又このたびの実践要綱というようなものをこれは出されようとしておる。いろいろ当
委員会でも問題に
なつたのでありますけれども、こういうようなことが
一体どういうようなあなた
自身の主観的意図は別として、客観的にはどういうような、
日本の現実に対してどういうような意義を持つかということ、こういうことに対して十分
検討されたのであるかどうか、こういう点を私は本当にこれは率直に伺いたいと思う。私はこの前天皇を道徳の中心にする、道徳的中心にするという問題につきまして、文部
委員会で天皇に
一体この点を相談されたか。或いは又天皇の許可を受けたかということについて私は文相にお伺いした。ところが文相はこれに対して相談もしなかつたし、許可も受けられなかつたという、併しこれは本当に笑い事ではないのであります。その後どうされたか知りませんが、というのは今度の憲法の観念におきまして天皇はやはり
一つの人格だ。それは象徴という形でそういう形にはな
つておりますけれども、やはり一個の人格だ。そうすればこの天皇の人格を勝手に独断で天皇にも相談しないで以て、いつの間にか道徳の中心に押し上げるやいうことは、これは殷鑑遠からずなんです。戰争前にも天皇を中心にして天皇を担いで、そうしてあの太平洋戰争に捲き込んだ。天皇は知らなかつた。詔書を出してもこれについては余り
責任を感じていられないという形で、あたりの取巻きが利用し、軍部が利用し、財閥がこれを利用し、天皇を担ぎ上げて、そうしていわば戰犯的な地位にまでこれを落した。この事例を
考えて見ますときに、今日この実践綱領というようなものの中で又再び天皇に無断で以てそういうようなことをなされようとしておる。少くとも一人格として天皇を認めるなら、本当の憲法の
精神というものを、徹底的に、民主的なこの
精神を文相が把握しておられるならば、少くとも一人格としての天皇に無断で以て、この問題を解決することはできない。天皇
自身承諾するかどうかということは、道徳的中心になるかどうかの大切な
一つの要素ではありますけれども、全部の要素ではない。この問題は、むしろ
国民大衆がきめるべき問題である。道徳の中心は、
はつきり
日本国憲法によれば、私は
国民の中にある、民主的な
国民の中にあるのだ。これが民主憲法の私は
精神だと思うのであります。いつの間にか文相はそれを独断的に天皇を道徳の中心に祭り上げ、そうしてそれは
一つの人格というものをこれによ
つて壟断するという結果になるのだ、天皇を尊重するように見せかけて実は天皇を利用するという結果になる。これは文相
自身の個人的な、主観的な意図から、言われるということは、ここでは問題ではない。客観的に
日本の置かれておる現実の中でどういう役割を果すかということに問題があるのであります。とういう点について
一体文相は真剣に
考えられたことがあるのかどうか。少くとも文部省や大学というものは、私は
日本の憲法というものの
精神というものを徹底的に、これは正しく解釈して、これを本当に人民に徹底させるところの
責任を有するものだと思う。その
責任の中心だとさえ
考えられるわけであります。然るに、例えば京大に天皇が今度行かれるのだということになりますと、私はあの問題を起した事務官から聞いたのでありますけれども、平素の気持で以て、当方前の気持で、すなおな気持で天皇をお迎えする気持を大学の職員諸君はとることができたかどうか、或いはしやちほこば
つて何か改ま
つて、そうして戰々兢々として迎えたか。大学の中でこの二
通りの
考えがあつたそうでありますけれども、結局事なかれ主義であるから、ものものしくここに装いをして迎えたところのかたがた……、京都のほうは相当多くの
費用を使いまして、こういうような形で以て迎えられて、そうして必要以上の緊張をして天皇を迎えた。そういう
事態が、学生の、やはり民主的な
精神から見ますときに、やはり反感を買うのであります。その反感がああいうような形にも、
一つの表現されたところの理由になる。文相がはしなくも
責任をとりまして、
自分から何か
責任を感じておられるのでありますけれども、私は先ず
国民に対しますところの
責任を先にすべきである。天皇に対する
責任は、いつでも、とられるということが
考えられますけれども、これは旧憲法時代の観念じやないか。そういう観念に支配されておるものが残存するから、文相はいつでもそういう方向をとられるのである。むしろ
先ほどから申しましたように、これは文部行政の不完全によ
つて行われておるところの、いろいろなそういう
責任というものを、先ず
国民の前に率直に文相は披瀝さるべきである、とられるべきだ。本末顛倒も私は甚だしいと思う。それでそういうような緊張感が、
先ほどから申しましたように、結局京大事件のような問題を生み、そうして
責任にならないような
責任を、文相は感じておられる。憲法からい
つて責任に余りならないような
責任を感じておられる。その
考え方にこそ、私は文相の
責任を追及しなければならないものがあると思う。その
考え方そのものはどうなんでありますか。憲法との
関連におきまして、私は天皇の位置並びにこの実践道徳要領なるものに対して、文相はどういう見解をとられるか。ここで
はつきり承わ
つておきたいと思うのであります。