○大山郁夫君(続) ただ街頭だの或いは田園、工場における平凡な大衆が、
講和條約と
安保條約に対してどういう
考えを持
つているのであるかということを
諸君にお伝えしたいのであります。(「そうだ」と呼ぶ者あり)こういう
立場から私は
安保條約(「共産党に入れ」と呼ぶ者あり)並びに
講和條約というものを見て参
つて疑問百出であります。さて、僅かの間にそれを述べることはできないが、併しながら私はそのうちで極く大切な最も根本的なものを十幾つかを選んでこういうメモに書いて来たのであ
つて、私は先ずこのメモがこんな長いものにな
つてしまつたので、時間のあるうちにメモを読み上げて、勿論多少の補足的の
説明をしながらこのメモを読み上げまして、そうして余つた時間において、私の結論の形において私の
立場を述べるし、又
質問の
理由を述べたい。こういうふうに
考えているのであります。それで、この
質問の要点だけ読むことにいたします。中におりおり補足的
説明を加えるので多少お聞き苦しいかも知れないけれども、その点は
諸君の御容赦を願いたい。(「わかりました」と呼ぶ者あり)
それで、この
質問の要項の第一は、
講和條約及び
安保條約に対する我々の批判は、
日本がその受諾を通じて降伏した
ポツダム宣言の
條項を基準として行われるべきではないかという当然のことを私は申しました。
日本は勿論この
ポツダム宣言を受諾して降伏したのである。この無
條件降伏と言われるが、併しながらあの
ポツダム宣言というのは
日本に対して降伏の
條件を示している。我らの
條件左のことしというようなことを以て
條件を示しているのでありますが、それを受諾して
日本は降伏をした。そうして、いつまでもそれを守るということを言
つているし、又
降伏文書にもそういうことを書いてある。即ち
ポツダム宣言は一九四五年七月二十六日に発せられたものであり、初めは合衆国、それからイギリス及び
中国の三国によ
つて発せられ、のちに参加した
ソ連、そういうこの四カ国に対して
日本はこの
ポツダム宣言の受諾を
はつきりと言うのであるというようなことを
降伏文書にも書いてあるのでありまして、ともかく、この四カ国に対して
日本は降伏を申入れたわけなのでありまして、そうして又この
ポツダム宣言こそは、勿論この戰勝者が戰敗者に対して或る
條件を課したということにはな
つているけれども、それを読んでみると、実に
日本の
国民から
考えれば非常に歓迎すべき福音であるとも私は
考えているのであります。当時私はアメリカにおりました、
亡命生活をしておつた。そのときにアメリカから
日本のことを
考えると、もう
日本は亡国に瀕しているように
考えた。それで私は、若し
日本の国が亡びるものならば我々は
日本の国に殉じて永久に歴史から掻き消されることは厭わないという決心を固めておつたときに
ポツダム宣言が出た。よく見るというと、
日本に滅亡を與えよというのではない。自由を與えよというのであります。
日本の
軍国主義を徹底的に打倒するということは書いてある。これは当然のことである。が、同時に
日本を民主化する。又
日本の
軍事的施設、或いはこの
日本の戰闘力というものを根本的に破壞するが、併し基本的人権というものを尊重した。この民主主義を
日本に植え付け、これを育てて行くということが書いてある。又
日本が将来経済自立をするためには産業を持たなければならないだろう。だから
日本に或る程度の産業を認める。又
日本が産業自立をするために、又公正なる
賠償に応ずることができるために、
日本にこの産業を認めるほか、原料の入手の自由も與えるし、又国際貿易に参加させることも許すというような、こういうようなことが書いてあるのであります。殊に私、当時あの
ポツダム宣言を初めて読んだときに、私を打つたその
一つの文句は、あの第十項にある「我々
連合国というものは、
日本を人種として、或いは種族——レイスということが書いてある——種族として隷従せしめようとしておるのではない。奴隷化しようとしておるのではない。
日本を滅亡しようとしておるのではない」ということが
はつきり書いてある。即ち
日本の再生、
日本が気づか
つておつた民族の
独立、これをこの
ポツダム宣言が
日本に保障したのであります。私はいろいろの国際的文書を見たが、特
に
日本というものに対して民族
独立を承諾するというようなことが書いてある文書というものは、
ポツダム宣言以外に断じてないと思うのであります。だから
日本がこの
講和條約を作るときには、勿論これによらなきやならない。これを基準にするのは当然であるのみならず、
日本はあの
ポツダム宣言を
日本に與えた四カ国に対して、
ポツダム宣言の諸
條項を守りますということを、嚴守したのであるが、この四カ国を通じて全
世界にそういう誓約をしたようなものであるから、若しこの
講和條約を作るときに、
ポツダム宣言というものをその基準にしなければ、実に
日本というものは
世界に対して信義を失う、国際信義の問題ではないかと思うのであります。そういうわけで、私は飽くまでこの
ポツダム宣言を出発点にして、ものを見たいと思うのであります。
即ち第二にこう書いてある。両條約は
ポツダム宣言の諸
條項に正面衝突する諸
規定を多量に包合しているが、それを受諾することは、
日本の民主
国家としての存立及びその経済自立並びに極東及び
世界の平和への脅威を意味することになり
云々と、そうして更に
日本としてはそういう條約を鵜呑みにすることは、
日本の、これはさつき言つた……。そういう條約というものは、こういう意味で鵜呑みにすることはできない。これは
日本の国際的信義の問題になる、国際政治道徳を蹂躪するということになるというようなことを第二は書いておるのでありますが、ともかく今の吉田内閣は頻りに道徳々々ということを盛んに言われるようであるが、併しながらこの
ポツダム宣言に違反した
條項をたくさん持
つておる條約を受諾するということは、この国際正義と特に違反するものではないか。こういう点において特に首相のお
考えを聞きたいのであります。勿論、首相はあの
講和儉約の中には
ポツダム宣言に違反したことは少しもないと言われるかも知れませんが、若し首相がそういうことを言われたならば、人類の真理ということを軽侮せられるものであると
考えるのであります。(「共産党だけだ、賛成するのは」と呼ぶ者あり)
第三には、両條約は復讐よりはむしろ和解の條約だということが言われておりますが、果してそうでありましようか。又
日本の
政府も同じような趣旨を反響しておるが、どういう意味でこれが復讐より和解の條約であるということが言えるのであるか。勿論復讐の條約でないかも知れないけれども、和解の條約であるということを私はどうして言い得るのであるかということを、この点を伺いたい。
如何にも両條約は、
日本の両條約を批准する
諸国との間の戰争状態を終結することを目的としておるということは事実であるが、併しながらこの両條約を
日本が受入れるときには、この両條約が
規定から除外した
ソ連とそれから
中国と
日本との溝というものを一層深くするものではないか。こういう点が和解というのであるか。アメリカのほうから言えば、連合
諸国のほうから言えば、或る意味においてこれは和解の條約であるかも知れないけれども、
日本の側から言えば、これは断じて和解の條約ではなくて、明らかにこの
両国、少くともこの二つの国を向うに廻して敵国とすることを意味する條約であると我々は思うのでありますが、併しこういう和解の條約というようなことは、これはどうして言えるのであるかということを、この点をお聞きいたしたいと思うのであります。
それから第四には、
講和條約は
日本に完全なる主権を承認すると言
つておるが、それは
如何なる意味において
解釈できるのであるか。
日本に完全なる主権を與えると、こう言
つておるが、私は條約を見ましたけれども、どうもそう思えないのであります。この疑問は、特に両條約によ
つて日本の主権の発動が地域的にも又事項別にも非常に狹い
範囲にまで制限せられておることを見るときに、一層深まるのである。いろいろの制限、即ち
日本の主権が発動するまでに、
日本の主権はこの
範囲までは発動できない、こつちも発動できないということを、ちやんと、きめておい
て、そうしてこの
日本に主権の完全なる自由を與える。こういうふうに言われておるように、そういうトリツク、トリツクという言葉は或いは不適当かも知れないが、そういうようなふうにできておると思うのであります。殊に我々が、あの
信託統治の下に置かれるところの地域における
日本の主権というものはなくな
つておるのでなくて、眠
つておるのだ、それは眠れる主権であるというような、こういう
説明がされておるのである。一体、眠れる主権というものにはどういう意味があり、どういう力があるのか。それを聞きたい。西洋の諺に、「眠れる獅子は醒めておる鼠より劣る」ということが言われておりますが、(笑声)この眠
つておる主権というものは醒めておる何よりも劣
つておるか何か知らんが、併しともかくそういうことが言われておるのであります。殊にこの
講和條約と一体を成しておるところの
安保條約が
発効するようにな
つて来ると、外国の
軍隊が
駐留するようになる。駐在とか
駐留とかいうふうなことは書いてありますが、ともかく
駐留するようになるというと、それからいろいろな問題が起
つて来る。さつき司法権の問題も言われておつたように思うけれども、それだけでなく、あらゆる方面において
日本の主権が制限せられる。主権が制限せられるだけではなくて、
日本が
日本の非常に大切な地域を経済的に利用しようとするときにも、それができないようなこともあると思うのであります。私は外国から帰
つて参りまするときに、
日本に非
軍事化が行われるということを、
軍事的な施設がすつかり破壞されたということをうんと聞かされたので、
日本に帰れば、戰前は要塞地帶とか何とかいうふうな名で自分が使うことができなかつた、自分の本国でありながら我々が足を踏み入れることができなかつた、そういう地域に自由に足を踏み入れることができるのかと思
つて私は喜んで帰
つて参りますると、そうでない。自分の家の近所の所に
日本人立入禁止という札が立
つておつたのでありますが、これは
安保條約
発効後の
日本の主権というものが
如何なる状態になるかということを
はつきり示しておるのではないかと思うのであります。そういう地域的にも事項別にも非常に制限されることになる。殊にこういうことを
考えるときに最も非常に重大な問題は、
日本が、将来
日本の立ち行く道は恐らく日華貿易或いは日華経済
協定という以外にはない。それが中心になるのじやないかと我々は
考えておる。そうでない
考えも述べられておりますが、併し私たちはそう
考えておるのだが、併しこの
講和條約が批准されれば、
中国はやはり敵国として残るのだ。戰争状態が
日本とそれから
中国との間に残る。そうなれば、そのこと自身、
日本の貿易における
日本の主権の発動をすつかり阻害しておるのではないかというふうに
考えるのであ
つて、即ち
日本の生存問題に
関係する点にまで
日本の主権が制限せられるということにな
つて来ておる。そう
考えるというと、あの條約に
日本に完全なる主権を承認するということが書いてあるが、一体これはどういうことを意味するのであるかということを吉田首相にお伺いいたしたいのであります。
第五に、さつき申しました日華貿易のことを、吉田首相は日華貿易の重要性が過大視されておるとの
意見を吐かれておるように新聞紙上で
承知するが、そう了解していいのか。そういう
意見を持
つておられるならば、その根拠を示して頂きたい。日華貿易の重要性が過大視されておる。こう吉田首相が言われたと新聞に書いてあるのだが、実際そうか。若しそうならば、そういう
意見の出る根拠を示して頂きたい。これは非常に重大な問題で、勿論これは私が言うまでもない。今日一般の民衆と言つたらば漠然としておりますが、併し工場におる労働者、特に鉄鋼業における労働者にせよ、或いは又水産業そのほかのいろいろな業務に属しておるところのこの労働者の勤労大衆にせよ、それどころか、産業資本家、大阪方面、殊に大阪方面、名古屋方面、或いはそれら産業資本家、中小企業家、そういうような、もう
国民の非常に広汎なる階層が、中共貿易によ
つて今日のこの行き詰りを打開し、活路を求めようとしておることは事実であります。そうして、そういう人から言えば、
日本の経済自立も、経済的生存ということも、中共、日華貿易ということをほかにしてないというふうに
考えておるようにさえ私は思うのであります。だが併し吉田首相は、これは日華貿易の重要性が過大視されておるというように新聞に書いてある。本当に言われたかどうか知らんが、新聞に書いてあるが、こういうことに対し勿論我々は
異議がある。
異議があるが、その
理由を言えば何時間もかかる。併し簡單にこう言えるのじやないかと、私は書いて参りました。ただ
日本の経済的自立のために、
中国との貿易は欠くことはできない。これは、これまでの
日本の貿易の
幾多の統計がこれを示しておる。それを戰前一九三四年乃至三六年の平均で見ると、
中国、朝鮮、
樺太、香港との貿易の輸出において四四%、輸入において三七%を占めておるが、この
事情は根本的に言えば戰後においても余り変
つているところがないものである。いや、そうではない。それどころか、この二、三年間のイギリス、香港、マレー等の
中国との貿易を見るというと、毎年倍に近い激増振りを示しておる。毎年、年々倍近い激増振りを示しておる。
インドと
中国との貿易も昨年から今年に入
つて輸出入共に発展しておる。これらの事実は、
中国が主権を北京
政府の下に統一を達成し、又農業人口は、三倍の土地改革を完了したことによ
つて、輸出能力においても戰前の水準を超えて発展しつつあることを示しておる。従
つてこの新らしい
中国との全面的な経済交流をなすことは、
日本経済の自立と発展にと
つて不可欠の
條件である。又
中国から鉄鉱石、粘結性石炭等の重要原料が輸入できなければ、
日本の機械製品は国際価格を上廻ることにな
つて、
如何に東南アジアとの貿易を向上しても、それすら不可能なことにな
つてしまう。東南アジア、東南アジアとの貿易を頻りに言われておりますが、
中国からの鉄鉱石、粘結性石炭、こういうものがなければ、
日本の機械製品というものは国際価格を上廻ることにな
つて、單に東南アジアとの貿易を向上してもそれすら不可能になる。こういうようなわけで、いろいろな
理由が……時間が非常に迫
つておるので省きますが、次に飛びます。これからメモにな
つておるのをずつと読み上げます。
第六、将来、
中国と
講和條約を結ぶとき、その相手方として人民
政府を選ぶか
国民政府を選ぶかについては、その選択権が連合
諸国の側にあるとか、
日本の側にあるとか、こういう議論が盛んに鬪わされておつたのであり、吉田首相は連合
諸国側にあるというような
意見を漏らしておるように私は了解しておりますが、そう了解していいのであるか。ここにも
日本の主権の問題が含まれておるが、
日本がそれを選ぶのじやなくて
連合国が選ぶ。ここにも
日本の主権の問題が含まれておるが、それはともかくとして、一体、
中国の
政府を選ぶ
権利は
中国人民自身の手にあるのではないか。そして
中国人民は二年も前から人民
政府を自己の
政府として選んでおるのではないか。それを、はたからとやかく言
つておることは、これこそ内政不干渉の
方針に背くものであり、延いて民主主義、平和主義に背くものであると言わなければならない。
第七、
講和條約と
安保條約との可分、不可分が鬪わされているが、我々が両條約を読むと、
講和條約の第三章を通じて
安保條約と前者とが一体をなしていて、そこに可分論や不可分論の起る余地がないと思うが、
政府の見解
如何。
八、
安全保障條約は果して
日本の安全を保障し得るか。該條約は、
共産主義諸国、少くとも
ソ連、朝鮮人民民主共和国、中華人民共和国を直接の潜在敵と
規定し、それらの国々が
日本に
侵略を加えようとする意図を持
つていることを確定的事実とし、その前提の上に構成されているが、そうした構想に基礎づけられた施策は、直ちに極東平和を、従
つて世界平和を撹乱する危険性を包蔵するものではないか。又
ソ連や、朝鮮人民民主共和国や、中華人民共和国が
日本に
侵略を加えようとする意図を持
つているとする
主張の根拠とされている具体的事実は何であるか。これを示して頂きたいのであります。吉田首相は、先日の施政
方針演説において、今日一部で行われている
日本の中立嚴守の
主張に触れた際に、こう言われておる。「又仮に中立尊重の約束をなしても、その約束に信を置き得ない性格の国があることをも忘れてはなりません。」こう言われておる。(「その
通りじやないか」と呼ぶ者あり)無論その狙いはどういう所にあるかということは明白であるが、首相が今日かかる言説に耽けるということは、みずから求めて
日本の敵国を作ることであり、将来の
国際情勢の変転
如何によ
つては非常に重大なる結果を生む
可能性のあるものではないか。この点に関しては特に愼重なる御
答弁を願いたいのであります。
それから朝鮮事変との
関連において、
安全保障に関する
国連憲章の
規定が韓国に適用されたものと
考えておるが、これは正しい
解釈でありましようか。若しそうだとすれば、事変勃発以来韓国が蒙むつたようなあの非常な惨害が、
国連による
安全保障、若しくは特定国による
安全保障の下においても、これは起り得る
可能性が
考えられるのであります。(「その
通り」と呼ぶ者あり)のみならず、万一原爆とか或いは類似の武器が用いられるようにな
つている、そういう状態の下においては、あの韓
国民が蒙むつた以上の、更にそれ以上の大惨害が、即ち国土の大部分の破壞とか荒廃といつたような大惨害が起り得るのではないか、
安全保障必ずしも安全を保障するものでないということを
考えるがどうですか。(「その
通り」と呼ぶ者あり)
第十、私の昨年七月十九日の一般
質問中の一点に対して、首相は、今日
軍事基地の問題はあり得ないのであります。こう言われたのでありますが、併しながら先ほどから聞いておるところによると、
安全保障條約の
行政協定の問題が盛んに言われておる今日でも、なお首相は
軍事基地の問題はあり得ないと言うことができるか。この点をお聞きしたいのであります。第十一、
安全保障條約は、アメリカ、オーストラリア、ニユージーランドの三国間の
安全保障條約、それからアメリカと
フイリピンとの問の相互
防衛條約と、お互いに補足し合
つて一つの体系をなすと言われておるが、一方には曾
つて軍国主義活動により
フイリピンやオーストラリアやニユージーランドに大損害を與えた
日本を置いて、他方には
日本の
軍国主義の復活に対する保障を求めておるところのそれらの国を置いて、この太平洋
防衛体系が作られておるのだが、こういう
防衛体系というものがもうその根本において内部的矛盾を包蔵しておるものであるが、こういうものが安定した
安全保障の機構であるということができるかどうか。この点を伺
つておきたいのであります。
第十二、吉田首相はその施政
方針演説において、
サンフランシスコ会議におけるグロムイコ代表の
演説の一点に関し、ソヴイエト全権が
日本における
軍国主義復活
云々と言うがごときは根拠なき妄説であると、こう言われたが、首相は平気でそんなことを
考えておられるのであるか。首相は
軍国主義と
軍事力とか戰争遂行力とかいうものを、これを混同しておられるのではないか。戰争遂行力のない国にも
軍国主義が起り得る。そして、それが他国からの武器
援助のごときものと結び付いて、その国が初めから且大な戰争遂行力を持
つていたかのようにあばれ出す。そうして平和擬乱をするということもあり得るのであります。現に、今、
日本に擡頭しておるところの再
軍備論のごときものは、そういうものではないか。
国民の非常な負担を顧みず、而も又外国の
援助によ
つて大きな
軍隊を作ろうとしている。外国の
援助によ
つて軍隊を作るとすれば、
日本の
軍隊でなくて外国の
軍隊なのである。(「先生、時間になりました」と呼ぶ者あり)こうした意味から、これこそ
軍国主義復活について適切な見本だと思うのであります。
第十三、又これは
中国人民
政府の側から取上げられたことでもあるが、
講和條約は、戰争の
期間中、
日本にあつた諾
国家並びに
国民の財産と権益の処理に関する條文第十五條の中で、その初めと終りの期日を一九四一年十二月七日から一九四七年九月二日までと
規定し、
日本は、その
期間中いずれかのときに
日本国内にあつた連合
諸国家並びに
国民の財産だけを返還すると
規定しておる。かくて
講和條約は、
中国人民
政府の語調によれば、一九四一年十二月七日以前の
中国人民の独力による戰争の時期を完全に抹殺している。こう書いておると思います。