○
参考人(
大浜信泉君)
目下審議の途上にあります
会社更生法案について
意見を述べるようにということでありますが、すでに十五ほど具体的な問題が御指摘にな
つておりますので、それらの点について順次
簡單に申上げたいと思います。
第一は、この
法案に盛られておるような
内容の
法律の制定をする必要があるかないかということであります。
結論を先に申上げますというと、私はその
必要性を認めるものであります。およそ
会社が
資産と
債務との
バランスを失し、或いは当面の
債務を完済すること、
弁済することができないというような
財政資金の行詰り、
窮境に
陷つた場合に、まあ
立法上
考えなければならん点が少くとも三点あるのではないかと、こう
考えるのでありますが、第一点は
債権者の平等ということで、どうせ現在の
資産だけでは全部の
債権者の
満足は得られませんから、これを成行きに任せますと、どうしても早い者勝にな
つて、寛大な正直な
債権者が損をするという不公正が起りますので、そういうことのないように、適当な
措置を講ずるという点であります。まあ
破産法、
和議法は大体この点を
狙つた法律だと理解いたしますが、第二点は、この
会社の
財産を評価し、買却するに当
つても、これを解体してばらばらにして処分するのと、この
企業の
目的に沿
つて有機的に組織された全体として処分するのとでは、まあ格段の相違があるわけでありまするが、どうしても
会社財産を処分して
弁済に充当しなければならんという羽目に
陷つた場合でも、できる限りこの
企業の
継続できる態勢のままで処分する、いわゆるゴーイング、コンサーン・ヴアリニーというものを確保し、その
担保価値を実現するということが必要のように
考えられるのであります。
第三は
企業維持の要請でありますけれども、
企業はそれに対する
投資家並びに
債権者の
利益追求の場であるばかりでなしに、多くの人に職場を與え、生活の資源を供給しておるという点、更に
財政的に有用な機能を果しておるという
観点から見て、やはりでき
上つた企業というものは成るべく潰さぬようにするという社会的の要求があるのではないかと、こう
考えられるのでありまして、そこで今申上げましたこの第二、第三の点を考慮しまして、すでにまあ
和議法、
株式会社につきましては
会社の
整理という点が
法案化されておるのでありますが、併し
和議法にしろ、この
会社の
整理というものにはやはり
一定の限界、枠がありまして、本当に行詰
つた会社を大きな
手術をして建て直しをするという点には、ちよつと不便があるようでありまして、この
会社更生法はそういう場合に思い切
つた手術をして、建て直しができるという途を開くという
意味において、非常にいいところを狙
つておる
法律だと
考えるのであります。これは恐らく
英米のリオガニゼーシヨンの
制度を模倣したものであり、殊に具体的なものは
アメリカの一九三三年の
連邦破産法の第十章、第十一章の
規定を
参考にと
つて立案されたものではないかと、こう思いますので、非常に適切な
立法であろうと
考えるのであります。第二点は
更生手続開始事由でありますが、
本案によりますというと、
二つあるわけでありまして、この
事業の
継続に著しい
支障を来たすことなしに、当面しておる
債務弁済は不可能であるという場合と、
破産の
原因たる事実が生ずる慮れがあもときと、この
二つの場合を挙げておるのであります。なかんずく
更生手続におきましては、
会社が
窮境に
陷つた原因、即ち
失敗の
原因というものを
調査し、それが
更生の
余地、並びに
価値があるかないかということをまあ診断した上で、そうして厚生の策を講ずるというのがその狙いであります。そこでその前提としまして、どういう場合に
財政的な行詰りというものがあるのか、それを診断する
一つの
目安というものが必要になるのでありますが、その
目安といたしましては理論上
二つあるというふうに論ぜられておるようであります。第一は、今当面しておる
債務の
支払に窮した場合、第二は、計算上
資産と負債とが
バランスを失しておる、いわゆる
債務超過に
陷つたこの
二つの場合であろうと思うのであります。この
法案は大体
更生手続開始の
事由として、この
二つの点を狙
つておるように理解できるのでありますが、それをもつと的確にするために、「
事業の
継続に著しい
支障をきたすことなく
弁済期にある
債務を
弁済することができないとき」及び「
破産の
原因たる事実の生ずる虞があるとき」というふうに
規定してあるわけで、大体その狙い化しては正確であります。或いは他に表現の工夫があるかと思います。大体においては実質的においてはこれでいいのではないかと思います。それから第三は、この
更生手続は
本案によりますというと、
株式会社だけを対象としておるけれども、他の
会社にもこれを適用する必要はないであろうかということが提示されておるのでありますが、
結論としまして
原案通りでいいというふうに
考えるのでありますが、先ほど申上げましたようにまあ
更生手続が
失敗した
会社について
失敗の
原因を探究し、それの
更生の途を講ずる必要なり
余地があるかということを確かめた上で
更生の
措置を講ずるわけでありますが、これは
相当まあ複雑な
手続を経ますので、又そういう
手続を経ても
更生の途を講じ得る
余地があるということでなければやはり実益がないわけであります。その
観点から
考えますというと、
合名会社、
合資会社のごとき、いわゆる
人的会社は元素は
社員が極く
少数でありますし、又
社債の
発行ということをいたしませんから、
債権者というものも大体において取引上の
債権者に限定される、
利害関係者の
範囲というものが極めて
少数であり、且つ固定的にな
つて絶えず流動するということとは違うのであります。なお他面
考えなければならんことは、
更生計画をいよいよ立てるということになりますと、資本の減少だとか、或いは負担しておる
債務についてはそれを削減するとか、据置するとか、或いは出資に振り向けをするというような
措置を講ずる必要が起ると同時に、更に堅実な基礎の上に建て直して、更に活溌に
企業活動ができるという見通しをしなければならんのでありますが、そのためにはどうしても新らしい
資金獲得の途というものを講ずる必要があるわけであります。併しそういう
観点から見ますというと、どうも
合名会社、
合資会社のようなものは
利害関係者というものが極く
少数でありますから、
更生の案というものは
法律で強制しなくても、或いは面倒な型のきま
つた手続というものを設けなくても
関係者の
話合いでできると
考えられますし、更にそういう
会社について新らしい
金融の途を講ずるということも、これもなかなか困難なことであるので、どうもそういう
会社は
更生手続には適当でないというような感じがいたします。
株式会社でありますと、御
承知のように
株主の数が非常に多いし、
社債を
発行することが多いのでありますから、
関係者が非常に多くて、而も
株式社債権という
むのが流動性があるものでありますから非常に流動的である。であるからそういう錯綜した複雑な
権利関係を調整しようとなると、どうしても
法律上或る程度の
強制手続が必要になりますし、なお建て直しをするには新らしい
資金獲得の面から見ましても、
株式会社でありますというと、
更生した
会社が新らしく
株式を
発行するとか
社債を
発行するとかいうようなふうで、その途が開けるのと、法規的の経理の取締が
株式会社は非常に厳重でありますから、
金融機関においても比較的
金融的に援助をなし得る
法律上の途があるので、
更生手続というものが適当なものになると
考えるのであります。
有限会社はまあ組織の技術は大体において
株式会社と揆を一にしておるのでありますけれども、これも
社員の数というものは五十人に限定されて、小
範囲である、而も持ち分の量というものは自由でありますが固定的であるということ、
社債の
発行というものを
法律上禁止されておりますから
利害関係者の
範囲は非常に小
範囲である、だから実質において
合名会社、
合資会社に近いものでありまするから、こういう
大掛り右更生手続というようなものは
有限会社についても
差当りは必要はないんじやないかというふうに
考えるのであります。
それから第四は、
更生手続の
申立権者の
範囲でありますが、
法案によりますというと、大口の
債権者とそれから
少数株主権者と、この
二つが挙げてあるので、これでいいであろうかというのが提起された問題でありました。ただこれにつきましては、この
債権者につきましては百万円以上の
債権を有するもの若しくは資本の十分の一に当る
債権を有するもの、というふうにな
つておるのでありますが、
相当この
手続が
債権者によ
つて濫用さるる危険が予想されるんではないかと思いますので、
債権者の
申立の要件でありますが、百万円以上というのは、ちよつと
債権としては小さ過ぎるんではないか、これをもつと大きくして、小さな
債権者によ
つてこの
手続が濫用されぬようにするのが好ましいのではないかというふうに
考えておるのであります。一遍この
手続の
申立があれば、その
会社にと
つては結局致命的になるのでありますから、これはよほど厳重な
制限の下に置かないというと、むやみに
申立てるということが多いという
考えであります。なおこのほかに社
債権者の
申立が問題でありますが、
法案によりますと、普通の
債権者と同じような扱いをされておるようでありますけれども、やはり社
債権者というものは集団的な性質を帶びておるものだから、やはり
申立権者の
規定の中に、担保の付かない
社債の場合には社
債権者集会の
代表者が
申立て得るというふうにし、担保附
社債につきましては、必ず受託
会社があるのでありますから、受託
会社が
申立がなし得るという
規定が必要ではないかと
考えるのであります。どつかの部分に、百六十二條でありますか、社
債権者の
更生手続に関する
権利が書いてあ
つて、受託
会社が或る種の行為をなし得るという
規定があるのでありますけれども、どうもその
規定を読んで見ますと、
更生手続を開始した後なのです。
申立権が受託
会社にあるかないかということが明白でないのでありますが、これは入れるべきではないか。
アメリカの例を引きますと、インデンチユア・トラステイ、
社債を
発行した場合には受託
会社が
申立をするのが普通でありますので、この点は一考の
余地があるのではないかと
考えるのであります。
それから第五点は
管財人の資格に関してであります。
法案を読みますと、当該
会社と利害
関係のない第三者でなければならんというのを原則にとりまして、但し数人の
管財人を置く場合にはそのうちの一人は
利害関係者の中から選任することができるということにな
つております。その点がそれでいいだろうかという問題が指摘されておるのでありますが、この当該
会社と利害
関係を有しない公平の立場にある者でなければならんということが
管財人の職務の性質上、これは当然のことでありますが、併し他面から
考えますと、利害
関係がないということは公平の保証にはなるけれども、併し他方その
会社の実情に通暁しないというやはり憾みが免れんということになるのであります。そういうことを考慮されたと見えまして、この
法案では
管財人を数人置きまして、そのうちの一人は
利害関係者から選ぶということにして、そのギヤツプを埋め合せるという
建前にな
つておるようで、これも恐らく
アメリカの
連邦破産法によるアデイシヨナル・トラステイの
制度を真似たものじやないかと
考えますので、大体において原案は大いに妙を得たものだと
考えるのであります。なお
管財人について今
一つの問題は、原則として自然人に限られるわけで、ただ法人の場合には信託
会社と銀行を
管財人にすることができるということにな
つておるのであります。先ず私はそれでいいと思いますが、ただ法人の場合に銀行又は信託
会社の以外に
管財人になり得るものを挙げられるかということが御
質問の要点にな
つておるのじやないかと思うのですが、
管財人の職務は二面ありまして、一面は
更生手続中
会社の
事業の
経営に当り、且つ
財産の管理の衝に当るということと、一面においては
更生計画案の
立案とその遂行という積極的な面、この両面の任務になるわけであります。どうもそう
考えて見ますと信託
会社と銀行ならば、成るほど他の
会社の
事業の世話を実際にするということができると同時に、
更生計画案なるものの大部分というものは
会社の経理面の建て直しが主眼じやないかというので、これはやはり
金融機関でないとそういう世話はできないし、又貢献を期待することができないということが
考えられますので、信託
会社、銀行が挙げられたということが適当であるけれども、それ以外にそういうものが、そういう機能のある法人が挙げられるかというと、ちよつと思いつかないので、
原案通りでいいと
考えるのであります。
それから第六は
管財人の権限に関連したもので、余りに
裁判所の許可を要する
範囲というものが広過ぎてこれでは
管財人が動きがとれないじやないか、もう少しフリー・ハンドを與えるのが適当じやなかろうかという問題でありますが、これはその前にこの
法案を読みますと、
裁判所の許可を要する行為につきまして
管財人が置かれた場合と、
管財人を置かずに当該
会社みずから、具体的には当該
会社の取締役がそのまま居坐
つて更生手続を担当する場合と一緒にして
規定してあるのであります。そこにちよつと無理があるのじやないかというような感じがするのであります。
会社が
更生手続にかからなければならんという
事態を引き起した
原因には、これはさまざまあ
つて、必ずしも
会社の現理事者の責任だというふうには、一概には言えぬと思
つているのですけれども、併し何と
言つても、これはやはり当面の責任者のわけでありまして、極論すれば、
会社の経理についてその理事者は一応準禁治産者にでも準じて
考えられるべきものて一応その不適格者だと
考えなければならん。そういう
考えで進みますというと、それが
更生手続の衝にみずから居坐
つて当るという場合には、これは
裁判所の監督というものは
相当厳重であることが必要だと
考えるのであります。具体的には第五十四條に列挙せられたような行為について、
裁判所の許可が必要だということは尤もだと思うのでありますが、併し
管財人の場合には、根本的に事情が違うのではなかろうか、
管財人は利害
関係のない者の中から、特に適任者として選任された者でありまするから、これはもつと活動の自由を認めて、個々に当たらせるほうがむしろ
手続を円滑且つ迅速に運ばせるゆえんではないであろうか、こう思うのです。併し何と
言つても
更生手続全体が、
裁判所の監視と庇護の下に推進する
建前でありまするから、全く手放しというわけには行かないので、やはり或る程度の
裁判所の許可
事項がなければならんというふうには
考えるのでありますが、それでは、さて五十四條に列挙せられた行為について、どこで限界線を引くかということになりますると、ちよつとここに並べられた行為の間に、甲乙の差をつけるということは
相当困難でありまするので、
立法技術的にはこういう
考え方も一案じやないかと私は
考えるのであります。
管財人の場合には、五十四條に列挙してあります行為について、
裁判所の許可を要するものというふうにすることができるということなんで、つまり五十四條の原則の例外を逆に引つくり返すやり方がむしろ正しいのじやないか。五十四條は、
会社みずからが当る場合にはそのままでいいけれども、
管財人を置く場合にはむしろ自由を原則にしておいて、五十四條に列挙した行為のあるものを指摘して、これこれについては
裁判所の許可が要るのだというふうに、その場合々々に即応させることのほうが弾力性があるということと、
管財人の地位ともマツチするのじやないかというふうに
考えるのであります。
第七、その次は、
更生手続において、
管財人を置かなくてもいい場合が認められていることであります。これは
会社の
債務が二千万円以下のときには、
管財人を置かなくてもいいということにな
つているのですが、
管財人を置かなければ当該
会社みずから、具体的に言えば、現在の取締役が居坐
つて、
更生手続を担当するということになるわけでありますが、果してそういう行き方で事が円滑に運ぶであろうかというのが提起された問題であります。先ほども申上げましたように、
会社が
更生手続によ
つて改造しなければならんという羽目に
陷つたについては、いろいろの
原因がありますけれども、やはり理事者というものが何と
言つても当面の責任者であるから、その者が
更生手続の衝に当るということは、利害
関係人の側から見れば、やはり一種の
信頼を失
つた者がこれに当るということにな
つて、その面から
更生手続が円滑に運ばないという危険が出て来るというふうにも
考えられるのであります。そういう
考えからすれば、どうしても利害
関係のない、公平な第三者、利害
関係人が
信頼し得る、全面的の
信頼を受け得る者でなければならんというふうなことが、理論的には一応成り立つのであります。併し具体的に言えば、やはり一口に
更生手続と習いましても、いろいろ事情があることでありまするし、又事件の難易なり或いは対象というようなことも入
つて来ますし、
会社の
失敗の
原因は必ずしも理事者の責任にあるのじやない、理事者の不手際から来たのじやないと言われ得る場合もいろいろあるわけでありますが、併しそういう場合も
考えられますので、
簡單に事を運ぶ途も
一つあ
つてもいいというふうに
考えるのであります。そうしてそれを
管財人を置く場合と置かない場合はどこで分けるのかという、その区別の標準の立て方でありますが、
アメリカでは担保
債権があるかないかということでや
つておるようであります。セキユアル、レフトがない場合に、
管財人を置かないで、トラステイを置かないで
会社みずから切り廻わされるというふうか
建前をと
つておりますが、この
法案は
会社の負担しておる
債務の額によ
つて、二千万円以下の場合には置かなくてもいいということにな
つておるのが
一つの独創であろうと思うのであります。なおそういう場合でも
裁判所の認定によ
つて管財人を置いてもいいことにな
つておりますので、これはやはり
原案通りでいいのじやないかというような感じがするのであります。置かないことを原則としておるが、
裁判所の認定によ
つて置いてもいいという途が開けておりますから、これは
原案通りでいいと
考えられます。
それから第八は、
株主、社
債権者その他の
債権者は、それぞれ集団的に
更生手続に参加する
建前をと
つておるという問題についてであります。
株主、社
債権者その他の
債権者がそれぞれ組に分
つて、
更生手続の或る段階においては集団的の行動が認められておるのであります。或る段階では個別的な行動をしてもいいということにな
つておるので、これをもう少しグループグループで
手続の上において行動をするようにしたらいいだろうかというのが問題の趣旨であろうと思うのでありますが、集団的に参加するということは、それぞれの集団において統一的な意思を形成して、
代表者を通じて統一的に行動をするという
意味であろうかと、こう思うのです。ところでそういう集団的行動をなし得る
手続の段階といえば、
関係人集会、それから
更生計画案の提出及びその承認の
決議というような段階になろうかと、こう思うのでありますが、
法案では、
計画案の採否の
決議についてだけ組別に、集団的な取扱をされて、そのほかは個別的な行動が許されておるようであります。併しそういう
建前でありますけれども、自発的に任意にこの
関係者が共同の代理人というものを設けて、共同の
計画案を提出したり或いは集団的に行動する途が開かれておることでありますから、どうしてもやはり
原案通りで差支えないというような
考えであります
第九は、労働組合なり、組合がない場合には
会社の使用人の
意見をどの程度
手続の上に反映させるかという問題であります。
法案におきましては、具体的に
更生計画案について労働組合又は組合がない場合には使用人の過半数の代理者の
意見を聞かなければならないとされておるだけで、
関係人集会或いは
計画案の提出又はその採否の
決議等には参加権が認められておらないので、その点が
一つの問題だろう。もう少し強力且つ積極的な発言権というものを認めて然るべきじやないかという問題が起
つて来ようと思うのであります。およそ
企業は資本と
経営と労働と三つの要素から成り立つもので、労働の要素というものが非常に重要なものでありますから、その面から労働の提供者である
会社の使用人の立場、利益というものを十分尊重し、発言権を重んじなければならないという要求が出て来るわけでありますが、併し他面現在の
会社制度が元来が資本の組織であ
つて、使用人というものが法人としての
会社組織の構成員ではないわけで、一応
法律的にはそとの人にな
つておるということと、
更生計画も、結局は
会社の建て直しが
目的であ
つて、そこに問題になることは主として経理面のことが中心になることなんで、経理面とか
事業計画もそうでありますが、そういうふうにな
つて参りますと、平素
会社の経理と
経営の上に直接の責任を負わない使用人が、ほかの資本を投入するものと同格に
更生計画に参加するということは現在の
企業組織の
建前から言えば多少筋がずれておるというふうに
考えられるので、やはりこの点もこの
法案にありますように、
更生計画ができ上
つたときにそれについて
意見を徴するという程度でよかろうと思うのです。これは次に出て参ります労働協約との関連を持つ問題で、
会社とその使用人と労働組合との
関係はやはり力と力との、力を背景にした
話合いによ
つて、交渉によ
つてきめるべきもので、どうも
法律で右、左にきちんときめるということは困難な問題のように
考えるものであります。
それから第十は、労働協約というものが、
更生計画を立てる場合にどの程度に尊重されなければならんかという問題でありますが、これは非常に幅の広い且つ非常に抽象的な問題の提起でちよつと
簡單には答えにくいのでありますが、やはり
二つの関連において一応問題になると思います。第一段は、
更生手続中既存の労働協約をどうするかという問題が先ず起
つて来ますが、この点につきましては、
法案の中の第何條かに解除ができない除外例を設けてありますから、
更生手続中は労働協約は手をつけずにそのまま認めるということにな
つておるのであります。これはそれでよいと思います。それから更地
計画がいよいよ効力を生ずる場合に既存の労働協約との
関係がどうなるかということでありますが、この場合にはやはり
二つの形で問題が出て来るのじやないか。労働協約を全面的に実行させるべきものかどうかという問題、実行させないけれども、部分的に
更生計画と合致するように変更権を認めるべきかどうかという問題が出て参ろうかと思うのです。まあ抽象論といたしましては、
会社が行詰りを生じて
株主も
債権者も大いに
犠牲を払わなければもはや
企業としての存続ができないという羽目にな
つておるのでありますからして、若し
更生計画というものが労働協約と矛盾した問題にどつちを活かすべきかということになりますと、労働協約のために
会社の建て直しができないということにな
つたのでは、やはり主客顛倒になるわけでありますが、その
意味においてやはり労働協約の変更権を認めてよい。やはり
会社の存続と両立する
範囲内においてしか労働協約というものの効力を認められぬというような議論が一応は成立つと思うのですが、併し労働協約というものは、労働組合というものが主体になり、バツクにた
つて、或る種の争鬪によ
つて闘い取られたものでありますので、これを
裁判所における一遍の
決定によ
つてその効力を失わせる、或いは変更するということは実際問題としては紛糾を来たすことになるので、これはやはり
法案の中に触れないで、実際の当事者間の
話合いによ
つて委ねておくほうがよいのじやないかというような気がいたします。大いに尊重すべきものである。今申上げたように或いは全面的に協約の改訂が必要になるかも知れないし、或いは部分的に変更を生ずることがあるかも知れない。これはどうも
法律の
規定に基いて
裁判所が簡単に手をつけるべきじやないので、実際の
関係当事者との
話合いに委ねておくほうが安全だというような感じを持つのであります。
あとは極く
簡單に申上げますが、第十一の
物上担保権というものが、この
法案によりますと、殆んど
債権的な取扱をされてお
つて、物権的性格というものが全然損われてしま
つた。そのことが結局担保
制度に対する一般の
信頼感というものを稀薄にし、延いては
会社の
金融の途を塞いで、
事業の
経営なり、取引の安全を害するということになりはしないかという問題であります。これはまあ理論的には確かにそういう心配があり得ると思うのですが、ですけれども、
担保権者を担保の
目的物にどこまでも結付けて、そうしてそれだけを優先的に保護するということを余り強調することになりますというと、これはやはり事実上
会社の建て直しということができないことになるので、大体
更生計画というものが横に
バランスをとるという
考え方ではないので、縦に
バランスをと
つて利害関係者を保護するというのに主眼があるわけでありますので、やはり
更生手続のような場合には、物上担保というものは或る程度無視されて止むを得ないのじやないかという
考えであります。もう少し高い次元で見た場合には、担保
制度に対する
信頼感を稀薄にすることから生ずる不利益と、
更生手続によ
つて会社を
更生することから生ずる社会的の利益、これを比較考量、
バランスにかけて見て、どつちが大きいだろうかという問題になるだろうかと思うのですが、私はどうもこれは
担保権を
犠牲にしても
更生を図ることのほうが社会的な見地から望ましいというふうに
考えます。又実際問題として
株式会社について、こういう
更生手続を設けて、
物上担保権を軽んずるような
規定を設けたらば、設けたからとい
つて、果して一般的に
株式会社に対する
金融というものが非常に萎縮してしまうかということになると、どうも必ずしもそういうことにはならないのじやないかと
考えますので、
会社の
更生手続なんか極めて稀な場合があるので、
金融界に及ぼす影響がそれほど大きいものであるというふうにも
考えないのであります。これは併し
事態に対する観測でございまするから、いろいろの見方は成り立つと思うのです。
第十二、第十三、第十四、十五でありますが、これらの点につきましては、この法策について別段違
つた意見を持ち合せておりませんので、大体
原案通りで結構じやないかと、こう
考えておるのであります。全体としまして
アメリカの
破産法の
規定、ああいうような
破産法の、一九三三年ですけれども、その前に永い歴史があるので、
アメリカで永い間経験した集積がああいう精密な
立法にな
つたものでありまして、それを今度
日本でも真似てや
つているので、
法律としましては、先ほど
毛受弁護士から御指摘がありましたように、非常に細かなややこしい、余り窮窟過ぎるようなもので、果して
裁判所がその面倒に堪えるかというような懸念がなきにしもあらずであります。
法律そのものとしては大体において適切であると思います。大体そのくらいであります。