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須藤五郎君 先ほどカントを徹底的に勉強しろ、ヘーゲルを勉強しろ、それを理解することはなかなか短時日ではできないということをおつしやいましたが、それは確かにそうだと思います。
ところがあの
大臣の御
意見ですと、
大学の
学生がすべてヘーゲルに徹し、カントに徹しなければ問題にならぬというような御
意見ですが、私はこれはなかなか容易なことではないと思います。あなたもカント哲学者として有数なかただと
思つておりますが、
日本にたくさん
人間がお
つても、カントに徹するのは
天野文部大臣以下数名だろうと思います。そういうことはなかなか
考えられない、やはり大多数の
大学生はそれに徹することができなくても、一応その
学問の概念を得て、そうしてもうすでにそれが正しいと立証されておる、その現実に
従つて行く。これがいわゆる今日の
大学の
学生の大多数の気持ちではないかと思います。即ち今おつしやいました具体的な方向に行くのがこれが道ではないか、そのために今日の
大学で
学問をしながら、やはり具体的な
行動というものは往々それに附随して来るんじやないだろうか、私はそういうふうに思います。
大学といえ
ども、すでに相当の年齢に達して、そうして政治的な
考えも大体持
つておる青年たちが集ま
つて、そうして一万人の
人間がそこにおれば、
学問だけや
つて政治に目を塞げと申しても、これは無理な注文でありまして、そういうことは絶対にできないことだと思います。若しもそれを
大臣が
学生に強要するならば、これはあなたはできないことを要求するので、これは政治家としての私は要求じやないと、私はそういうふうに理解するわけです。今度
大臣が出されると
言つておる
ところの実践要領ですか、それに対しましても金森さんは、
天皇は愛情の
中心であるのが本当である。道徳的
中心というようなことは
考えられないと
言つておるようですけれ
ども、私も
天皇が愛情の
中心になれば結構だと思いますが、私もこの金森さんの説のほうが正しいと私は
考えるのですが、この間の
学生の
行動も即ちこの愛情の
中心である
天皇に対する気持ちがやや現われて来たのではないか。私はそういうふうにも理解できるのではないかと
思つておるのです。それは私は京大に参りましていろいろ聞いて見ますと、あの当時
天皇を迎えておる
学生の状態は、車庫の屋根の上に登つたり、或いは松の木によじ登
つて天皇の来るのを迎えていたようであります。それは初めて
天皇を傍で見る
学生たちは、
天皇というものに対して好奇心を持
つておる。この好奇心は
天皇に対する
人間同志の愛情の
一つの表現の形だと
考えております。それがたまたまああいう
行動に
なつたということは、私は
大学生が確かに挑発されたというふうに解釈します。それは何に挑発されたかと申しますと、毎日新聞社の放送車が参りまして君が代を大きな声で放送して入
つて行つた。その君が代を聞いて
学生の気持に割り切れないものが生まれて来た。即ち青年たちが君が代に対して決していい感情を持
つていない。
天野文相は君が代を礼讃なされるかも知れないが、君が代を聞いてぞつとする
人間がたくさんある。それは曾
つての戦争で君が代によ
つて送られて、そうしてたくさんな仲間が死んで行つたというその追憶から、君が代に対していい感情を持
つていない。それが如何にも挑発するごとくどんどん放送されて
学校に近付いたから、そのときに
学生たちの
天皇を迎える気持の上に非常な変化を来しておるということを
大臣は認めないのか。その結果ああいう
行動に
なつた。而もそれも
天皇を決して迫害しようとか何とか、そういう気持でなしに、
人間天皇に対して
学生の若い気持をぶちまけて一応聞いてもらいたい、そういう気持であ
つたように私は理解するのであります。それはなぜかというと、
天皇は
象徴だとおつしやる、それは確かに
象徴だということにな
つておりますが、今日の
天皇は政治運動をや
つていらつしやる。
天皇自身の気持ではないかも知れませんが、確かに政治運動に利用されておる。ここで申上げてもいいが、私は名前は申上げませんが、或る我々の同僚かこういうことを
言つております。共産党はなぜ
天皇が地方に巡幸なさるときに随行して行かないのか、俺たちは
天皇の巡幸を利用しているんだ、利用することを
考える。それは
天皇の車について
自分たちが自動車に乗
つてそのあとへついて行くと、その地方の人はあれは大分偉く
なつたなというふうに
考える。だから次の選挙にそれが有効になる。だから我々は選挙運動のためにも
天皇に随行しているんだという、こういうことをはつきり私に
言つております。これはまさに
天皇が政治運動に利用されておる。
天皇の地方巡幸というものが政治運動に利用されておると
言つていい。それからこの前も
委員会で申したのでありますが、
天皇が開院式で参議院の
審議を前にして、
平和条約、安保条約が結ばれたことは喜びに堪えないということを
言つておる。あに図らんや
天皇の意思に反して参議院では三分の一の
反対者があつたじやないか。それは
審議の前において
象徴である
天皇がそういうことを言うということは、私は政治運動と理解しておるわけですから、そこに非常に敏感な青年たちは何とかして平和に生きたい、戦争をなくしたいという気持から
天皇にああいう内容の
質問書を出した。これは
人間と
人間との私は愛情の
一つの現れだ、これに対して
天皇が本当に、青年たち心配するな、僕も君たちと同じ気持だ。決して再び
日本が戦争に入ることは私も好みませんよと、
天皇が一言
言葉で答えられたら、青年たちはどんなに感激するかわからないのです。それがなされなかつたという点が、青年たちを非常に不満な状態に陥れた。私はそういうふうに理解するのですが、
天野文部大臣の御
意見を
伺いたいと思います。