○
参考人(今中次麿君) 私をお呼び下さいました理由は、政治学
関係からのこの條約に対する見解を述べろ、こういうお
考えだろうと思います。政治学は御
承知のごとくに総合的な見解でございまするし、且つすでに、政治の本場でありまする
皆さんのところで、いろいろ御論議にな
つておる事柄であります。
從つて私の申上げますることがどれだけ御参考になりますか、非常に疑問に思
つておるわけでありますが、とにかく多少違
つておるところがございますれば結構だと思
つて申さして頂きます。
最初に
ちよつとお断り申しておきますが、只今加納さんからお話がございましたように、
日本人は非常に礼節を尊びまする
関係か、物事を慎重に申す癖がございまして、私どもまあ外から眺めておりますると、外交の問題についても余りフランクにお話をなさるということが非常に少いのじやないか、こういうことを感じておるわけでございますが、事、
日本国家の立場という問題に対しましては、もう少しフランクに言
つていいのじやないか、特に
アメリカとの交渉に関しましては、相手方は元來フランクに物を言う癖があるのでして、相当フランクに物を言
つても余り誤解をされないという傾向がありはしないかと思うのでございますが、そういう点を
一つ関係してお
考えを願いたいと思います。併し
日本の
国内においては、余りに物をフランクに申しまするとしばしば問題を起すのでございまして、私も満洲事変以來フランクにものを申しまして大分迷惑をして來ております。今日もフランクに私はものを申上げたいと思います。特に私の立場は自由党のかたがたその他それと同調なさいまするかたがたとは立場が余り違いますので、フランクに申上げますることが大分お差障りになると思うのでございまするからして、ただ私は御参考になるように申すのですから、フランクに言わなければ何らの価値がないということをあらかじめ御
承知おきを願いたい。こういうわけでございます。太平洋條約でありまするから問題もフランクに取扱う必要がある。又、
日本ではそういうことが非常にむずかしいのでありますが、ここにお集りのかたがたはそういうことはよくおわかりだと思いますので、私が申しますフランクな
内容をフランクにお酌みとり願います。
前置はそれくらいにいたしまして、私が申上げたいと思いますることは、この憲法を
中心といたしましてこの條約を
考えまするに、先ずそこに三つの問題を最初に挙げておかなければならない。憲法の
原則の中でこれに
関係いたしまする問題は三つあると思います。申すまでもなく平和主義の問題、
戰争放棄、
武力放難、それから民主主義という問題、それから今度の條約は
日本に主権を與える、
国家主権を回復せしめる、こういう三つの立場、これは
日本の憲法の立場において我々が否定することのできない
原則であると思います。この三つの
原則の立場から、果してこの條約なるものが認容して差支えのないものであるかどうかということを、先ず最初に総合的に
考えておく必要がある。そういう立場で問題を取上げて行かなければ本当のこの條約の審議にはならないのじやないか、こう申したいのであります。
そこで先ず平和主義という問題でございまするが、これは要するに
戰争という問題の危機に
関係しておらないかという問題だと思います。それから民主主義という問題につきましては、この條約の運び方及び條約の
内容というものの中に、非常に官僚主義的な傾向というものが含まれていないか、現に官僚主義的な手段においてこれが運ばれて來ていないか、又安保條約等において現われておりまする行政協定のごとき、今官僚主義的
勢力の擡頭へ寄與するような傾向の虞れはないだろうかとい
つたような、官僚主義という問題がここにありはしないか。それが要するに憲法の民主主義という
原則へ
一つ問題が引つかかるのじやないか。
第三の問題は
国家主権、
日本の
国家主権ということは非常な努力の結果、これは今度の條約の中に明記せられることにな
つたと承わ
つておりますが、果して
国家主権が駐兵その他の
関係におきまして果して完全に
日本に回復せられるのであるかどうか、
日本に回復せられまずところのこの自主権なるものが、この條約の下において、果して
日本国家の主権性を復興せしめるものであるか、今まで眠
つておりました、ポツダム宣言以來永眠状態、冬眠状態におりましたこの
日本の主権というものが、冬眠から醒めて本当の主権性を持ち得るのであるか、或る種の自主性というものはもとよりすでに持
つておりまするし、今後拡大されて参りましようが、この條約が
承認せられて
効力が発生した後の
日本に、果して主権ありということが言えるであろうかどうか、こういう問題が関連して参ると思うのです。この三つの観点から総合的にこの條約を眺めて参ることは、これは立憲制という立場において重要なこであろうと思います。そうしてこの條約の
内容の一々について更に次に検討して参りますると、大体におきまして私は六つの疑問点、六つの点というものを御参考までに述べてみたいと、こう思うのでございます。
その先ず第一の点は、條約が交渉されて今日に至りまして、調印に至りました手続の過程、
日本の側の手続過程がそういう三つの
原則、特に民主主義、憲法が要求しておりまする民主主義に副うてこの條約調印過程というものが進められて來たかどうか、こういう問題が第一の問題、先ずこれを、時間が非常に少うございまして私の問題は一時間くらい要るのでございますが、只今承わりますと三十分ということでありますから、十分意を盡すわけには参りませんが、概略申上げたいと思います。で、その手続過程が民主的であるかどうか、こういう問題につきまして第一に挙げなければならない問題は、この交渉というものが常に言われておりまするようにダレス・吉田さんの線において進められて來たという、こういう交渉過程でございます。この交渉過程というものがどういうところへ非民主的なものを表現して來ておるかと申しまするに、例の駐兵の問題に早速これが関連をしているのじやないか。何となれば、駐兵ということは、
アメリカ側では
日本の
国民の希望であると、こういうことが声明せられておる。これは今春以來そういうことがしばしば声明せられまして、そうしてこれが條約を作る
内容にな
つておる。で、
国民の一般の要求も又
アメリカの駐兵を希望する。こういうことについては、承わるところによれば吉田さんのほうから、当時そういう一札を入れたといる議会での御答弁もあ
つたように新聞で拜承しておりますが、ダレスさん及び
アメリカ側のほうで申しておりまする駐兵の希望ということは、政府の希望ではなくして、私の
承知いたしておりまするところによればそれは
国民の希望、こういうことでございます。そこでダレスさんのほうでは、どういう態度をと
つてこの
国民の意向を検討されたかと申しますると、各
方面の
中心的な団体、人々等にしばしば面接せられまして、可能な限り広く面接せられまして、どこに
国民の希望があるかということを研究せられたように新聞を通して拜承しておるのですが、ところが、そういう手続を果して
日本の吉田さんがなさ
つたであろうか、どうであろうか。そうしてそういうことを若しもなさらずに
国民の希望であるということを表明なさ
つたといたしまするならば、そこに多少の独断のそしりが出て來ないか。こういう問題が先ず早速官僚主義的、非民主主義的、こういうところに関連を持
つて現われて果ておるのだと思うのであります。もとより條約
締結権は七十三條の三号によりまして、これは内閣の所管事項でございまするからして、この交渉過程において吉田さんがなされるのに一向差支はないだろうと思いまするが、併し広く国際的な
各国の憲法の今日の組立というものも
考えて見まするというと、宣戰と講和というものは議会の持
つておりまする立法権と同じ手続でやるとすれば、ワイマール憲法の四十五條、ああいうようなふうに一般に民主的な建前でこれは取扱
つて、それが要するに
戰争防止の
一つの
方法であり、こういう国際的な
一つの傾向とな
つておるわけである。でありますからして、軍国主義を否定し、
戰争放棄をした
日本としては、成るべくこの宣戰、講和、特に講和の問題につきましては、これは
国民の意図を十分に斟酌いたしまして、政府の行為による
戰争が行われないようにと、こう我が憲法が前文の中で声明しておりまする趣旨を十分に実現せらるる必要がこれはあ
つたと存ずるのであります。そういう点において、果して、このダレスさんは非常に十分の行為を盡されたと思うのでありまするけれども、
日本の内閣側においてそれだけの親切な行動を取られたかどうか。これは單にそれが違法だ、法律違反であるとか、憲法に反するとか、こういう問題よりも、広く民主義的な政治をやる、官僚主義的な方針を取らない、こういう内閣の当然あるべき方針の上から見まして、この條約交渉の手続の中でそれが
一つ私は遺憾なように感じているわけです。もう
一つのこれに関連した問題は、甚だ遺憾にも亡くなられました例の幣原さんですね。幣原さんが御存命のうちにおいて超党派外交というものを進めた。私は幣原さんは対支政策としての幣原外交以來非常に尊敬申上げておるわけであります。さすがに長く外交界に活躍せられました幣原さんだけありまして、今度の重要な外交折衝においても、成るべく広く
国民の意向を反映するという
意味において超党派外交を主張せられたその先見の明を、今日に至
つてますます私は感心しておるわけなんでございまするが、この超党派外交に対して、もとより社会党その他野党の
方面においていろいろの難色はあ
つたにいたしましても、果して現内閣のほうでどういうふうな御処置をとられましたか。そこに全く無視されたわけではなか
つたようでございまするが、若しも
国民と一緒に広く各党を交えてこの問題を審議して行こう、こういう御誠意が……、と言うと余り政治的になりますが、そういう点におきまして超党派外交なるものは非常によい企画だ
つた。これは野党の責任ばかりでなくして、やはりそういう
意味において民主的にこの條約の交渉を進めて行く、こういう趣旨においてこの超党派外交というものが政府に取上げられて進められましたならば、もつとこれは野党をも納得せしめて可能にな
つていたのではないか。そして今日のこの重要な局面に当
つて、與党、野党の分裂、こういう甚だ遺憾な
情勢を作らずに済んだのではないのであろうか。こういう点、ここにやはり官僚主義と民主主義、こういう問題が
一つ反映しておると思うのであります。
第三のやはりこの交渉手続の問題に関しまして申上げたいことは自主性のない対外依存的な外交というものは
国家滅亡の端緒である。これは
ちよつと強い言葉を申し過ぎたかも知れませんけれども、すべて
一つの政権にいたしましても、
一つの
国家にいたしましても、それが衰頽して行く兆候として、我々は歴史上しばしば見受けますることは、
日本においてもそうでありまするが、幕末維新の過程においてその事実を見るのでありまするが、対外依存の外交政策というものはしばしば
国家滅亡の危機を招く。むしろその
国家権力というものが衰頽して行きまして、それ自身において
国家を統制することができないような
情勢に陷
つて、自然
外国の或るものと結合いたしまして、自己の権力の基礎を確立しようとする、こういう対外依存の政策というものが現われて來る。これは
国家として非常に憂うべき方向でございます。そこで成るべく対外依存ということはできるならばやめて、そして飽くまで自主的な外交をや
つて頂かなければならん。これが
将來の
日本にと
つて非常に必要なことである、
将來の
日本の発展のために必要な
一つの
前提である、こういうことを我々は歴史の中で学んで來ておるわけでございます。それならば、どうしてこの敗戰
日本がそういう対外依存を避けて、追随外交を避けることができるか、自主性外交をとることができるかと申しますれば、これは近代の政治の歴史が我々にしばしば物語
つておりまするように、
勢力の弱い国際的な
国家の外交政策の要締はどこにあるかと申しますれば、国際的ないろいろの
勢力関係をその国のために上手に乘切
つて行く。
ちよつと言葉は語弊がございまするが、諸
勢力を上手に利用する、
一つの
勢力にくつつくのではなくして、いろいろの
勢力の間を上手に乘切
つて行く。むしろ一国に依存せずして諸
勢力の間に上手な巧妙な外交を運んで行くということが、実にこの弱
小国家の外交の要諦であるということを、我々は政治の経験の上から、歴史の経験の上から学んで來ておる。その
一つの最もいい実例はイタリーの
独立でございます。
ドイツ、フランス、イギリスとこの三つの
勢力の支配下にありましたイタリーというものが、近代の
独立を完成いたしましたのは、実にこの三つの
勢力をうまく乘切
つて行
つた。これが
一つの国に一辺倒の外交を傾けまするような場合においては、却
つてその
独立は阻害される、こういうことになるのじやないか。そういう
意味におきまして、今日或る一部においてとられておりまするところの対米外交、対米依存外交やむなしということ、或いは他方において対ソ外交、対ソ依存外交やむなし、こういうことは共に
日本のような立場の国の外交としては正しくない。よろしくない。こう
考えるのでありまして、
二つの大きな
勢力の間に介在しておりまする
日本の立場としては、その間に最も巧妙な外交的手腕を運営するところの
一つの外交官が出現しなく
ちやならんのであるということを非常に我々は感ずるのであります。
戰争の過程において、松岡外交であるとか、或いは枢軸外交であるとかいうことがございまして、私は現実にこれに反対をして参りまして非常な圧迫を受けたのでございます。そういう一辺倒の外交というものが如何に
国家の政治の危機であるかということは、
日本がすでに近き過去において身を以て経験しておるのでございます。そうしてこういうところへ我々は落ち込んでおる。これは実に外交がなさ過ぎる、自主的な外交がなさ過ぎる、なさ過ぎた、こういうことであ
つたと思う。それを私どもはもう少し
考えなければならん。これがこの條約交渉手続の間において感ずる第三の点でございます。
それから、それとやはり関連いたしまして、
日本自身の要求するところの外交政策というものと、
アメリカ自身の要求いたしまする外交政策というものとは、おのずから相違がある、これは申すまでもないことであります。で、
アメリカの中にもいろいろの立場がある。特に孤立政策であるとか、又アジア政策であるとか、対ヨーロツパ政策であるとかい
つたような方向があるわけであります、路線があるわけであります。その場合において
日本として
考えなければならんことは、
アメリカのアジア政策というものがこのままで一体いつまでも続けられて行くであろうか、どうであろうかということについての遠大な
将來への見通しというものの下でこの
平和條約というものが
考えられなければならん。
アメリカ内部の
将來の
アメリカの外交を指導すべき
勢力の動き、
考え方の動向というものの基礎の上において、
日本は
日本の外交というものを処理して行かなければならん。こういうことでございます。そういう
意味において、
日本の外交官といたしましては、外務大臣といたしましては、不必要に一方に片寄
つて相手方を誹謗する、相手方に非常な刺戟を與えるというようなことは避けるべきでありまして、さつきから申しますような
意味において円満なる各
方面との折衝ということが非常に必要にな
つて來る。その中に
日本の行くべき独自の方向を発見して來る。発見して來るだけではなくして、国際諸
勢力の中に
日本として進むべき
一つの地歩というものを、弱
小国家ながら徐々に確立して行く。こういうことが最も必要であるのでありますが、果してそれが十分なされておるか否かということをこの條約の交渉過程において感ずるのであります。
第二の問題は、部分講和、全面講和に対する部分講和ということでございまするが、この部分講和というものが果して
日本のために妥当であるかどうかという問題でありますが、これにつきましては、先ず第一の論点といたしまして、国連憲章の精神というものを我々が
考えまする場合に、
武力を放棄した
日本としては、これをどう取上げるべきであるか、こういう問題であります。その場合において、ここに論点になりまする問題は、要するに集団保障ということが問題になる。国連憲章はそれを
規定しておる。
日本でもこれを尊重したいのでございまするが、その集団保障の場合に
考えなければならないことは、この国連の集団保障というものと、その国連憲章の
規定の中で許容されておりまするところの地域的取極と称しまするいわゆる地域的集団保障、個別的、地域的集団保障、これは地域的取極、こう申したほうがよろしいのでありましようが、この地域的取極的な保障、それから国連それ自体としての保障というものを、これは国連憲章の中では
ちやんと分けて
考えております。例えば国連憲章
一條とか、四十三條というようなものは、これは全体の
組織において保障し得る。現に朝鮮動乱へ関與しておる。これに反しまして憲章の五十
一條、五十三條は、地域的取極の
方面に
関係をしたもので、今度の
日本の部分講和の
内容は、この地域的取極の基礎の上に立
つておりまするところの自衛権の保障、こういうことにな
つておるかと
考えるのであります。ところがこれは
武力を持ちまする国連加盟国の自衛権の保障といたしましては、或いは
考え得ることであるかも知れません。現に北
大西洋條約のごときは、そういう形で現われて來ておりますが、これすら北
大西洋條約というものが
ソ連の膨脹を防ぐ、こういう
意味には役立
つておるにいたしましても、
将來ソ連対自由主義諸
国家との
戰争というものの勃発の危機を招きはしないかということを
考えて参りますると、北
大西洋條約のような地域的取極が、
将來世界分裂、数三次
世界戰争の危機への
一つの足場に、基礎になりはしないかという
危惧が持たれる。いわんや
日本のように
武力を持たないで自衛権の平和的手段による保障を必要といたしまする国においては、そういう
戰争の危機を招くかも知れないような地域的取極による保障でなくして、国連の四十
一條、或いは三條等が要求しておりますところの国連全体としての保障の基礎に立つべきであろうと思う。こういう
意味におきまして、
日本の自衛権の保障が、
武力的保障が必要であるといたしまするならば、国連全体の決議に基く
武力の保障の上に立つべきものであ
つて、地域的取極、即ち
アメリカと
日本、或いは
将來太平洋
保障條約、こうい
つたような地域的な保障、これはもとより国連憲章の認めておるところではあるのでありますが、
日本は
武力を持ちませんからして、そういう
関係ではなくして、全体の立場においての保障の基礎の上において、
日本の自衛権というものを守
つて行く、こういうことが必要ではないかと感ずるのであります。これはどういうことを、更にその意義はどこにあるかと申しまするならば、地域的取極は
各国の
武力を結合する、結集することによ
つて侵略攻勢への
防衛力を強める、こういうことになるわけなのでありますが、併し
日本のように
武力を持ちません場合は、それに参加することができません。
從つて地域的取極の上に立
つて日本の自衛権を
防衛しようと、こういたしまする場合においては、自然、地域的取極に参加しておりまする部分的な
国家が
日本の領土を利用する、基地を利用する、或いは
日本に
武力を提供する、こういうことにな
つて、相手側と
戰争する、或いはその他の
防衛工作をやる。そういうことになりまして、自然、
日本というものが国際分裂の渦中に捲き込まれるという虞れが、これは明日にある。すでにこれは事実にな
つておるとも
考えられますが、そういう
意味におきまして、
武力なき
日本といたしましては、地域的取極としての
安全保障には参加すべきでない。国連の全体的保障の基礎の上において自衛権を飽くまでも平和的手段によ
つて確保する。これが国連憲章に対する
日本の特殊な立場の最も正しい
関係であろうと考察いたします。
それから第二の問題は、この條約がアジアとの分裂、これはさつきからいろいろ問題になりましたが、アジアとの分裂の立場を
日本に持ち來たす。即ち今日アジアはさきから申されましたように、第三
勢力としてだんだん抬頭しつつあります。もとより
日本がすぐこの第三
勢力に参加するか否かは別問題といたしまして、
日本はアジアから離れては、その
国家的立場というものが決して幸福ではない。こう
考える。のみならず
日本が最も今後なさねばならんことは……、なぜ
日本がアジアに対してなさなければならないかと申しまするならば、
日本は過去において余りにもアジアに多くの罪を犯したからであります。即ち今日我々がその罪を贖わなければならないところのものは、
アメリカに対してではなく、ヨーロツパに対してでなく、或いは
ソ連に対してではなくして、実にアジア諸
国家に対してである。中共の、今日は中共でございまするが、中共政府なり或いは南方アジアであるというふうな諸
国家に随分御迷惑をかけた。その御迷惑を今日我々がお償いをすべきだという
方法は飽くまで我々がアジアと行動を共にして、今度は正しい平和な立場においてアジアと共にや
つて、アジアの
経済的復興のために努力し、そうしてできるだけ
日本の力を提供して行きたい、そうしてアジアから
世界平和への
一つの曙光が現われて來るような努力を我々はしなければならない。ただ利害
関係の立場のみならず、そういう
一つの
日本の軍国主義の犯した罪の贖罪、こういう
意味において我々はアジアと分裂すべきではない。いな、アジアと
対立する権利は
日本には少しもない。むしろ我々はアジアと結合しなければならない重大なる責務と
義務とを負わされている。それから第三の問題といたしまして、この部分講和というものがむしろアジアに対する
日本の前哨的な基地、
将來戰争が勃発いたしました場合において、このアジアに対する
戰争の基地化する脅威がある。これは今も申しましたところと非常に残念ながら矛盾することになります。のみならず
日本そのものが、もうこれからは
戰争の惨禍というものは御免だと皆
考えております。その事柄が果たしてこれによ
つて実現できるかどうか、こういう問題。この三つは今部分講和そのものと関連しておりまするが、こういう点から部分講和そのものが
内容的に
一つの遺憾なものな持
つておる、こういうことであります。
そこで然らばどういう
方法をやるのかということでございまするが、私はそこで中立ということが可能であるということを
一つ申さなければならんことにな
つて來ている。それならば、先ず
日本が叫つの
勢力に結び付かんで各
方面に折衝して行く、その可能性が果してあるのかどうか。こういうことでございまするが、それは私はあると
考えるのです。この第一の理由は、
日本の地理的
條件であります。
日本の地理的
條件は丁度こういうところでございまして、どちらにくつついても工合の惡い所におるわけであります。特に
日本のこの軍略的な、戰略的な立場から申しましても、
日本の
防衛というものは
日本だけでは
防衛できない。即ち兵隊さんたちの申しまするように、
戰争のためには縦深、縦の深さというものがいるのでありまして、
日本を
防衛するために大陸が必要にな
つて來る。この
アメリカが
日本を今後
防衛することになりまするというと、太平洋から
アメリカに亘るところの深い縦の深さというものができまして、これで
防衛せられることになるわけでございまするが、この太平洋を中間に挾むところの戰略的縦深線、即ち軍略路線というのは果して
戰争の場合にどれだけ役立つのかということについて私どもは非常に
危惧を持つのであります。即ちここにアジアを
中心としての第三次
戰争が勃発いたしました場合に、太平洋を中に挾んだ
アメリカの
日本防衛というものが、どれだけ役立つのであるかということについて我々は非常に
危惧をする。又これを反対側から
考えた場合に、反対側もその点においては余り違
つたものではない。反対側もここに広い大陸基地を持
つておりまして、むしろ北極を
中心として
アメリカ大隅とヨーロツパ大陸との
戰争が行われるほうがむしろ有利である。
日本というものを確保して、これな前哨線として
戰争をするということになりまするというと、これは
ソ連側にと
つても非常に負担にな
つて來る。シベリアを通して
日本まで軍需品を輸送して來る、そうして
日本にいろいろな物資を與えなく
ちやならん。
日本が十分に軍需生産の基礎を持
つておればいいのでありますが、
日本は人口が多いだけであ
つて、又
技術を持
つているだけであ
つて、資源がないということでありまするからして、
從つて動力もない、
從つてこの
日本を
防衛するということは両側からと
つて非常な負担である。でありますからして、むしろ
日本はどつちからも
戰争せずに、これは緩衝地帶としておいて、そうして
戰争の場合には別の所で以て
戰争する、こういうことについては、これは極めて大きな可能性が私はあると思います。そういう可能性の中に
日本がわざわざ介入して痩腕を振うということは、非常に
日本として不利な役割を演ずるものではないかと思うのであります。それから今日すでに朝鮮動乱が始ま
つておるのでありまするが、この動乱はどうしてもこれは解決せられなきやならんものである。
アメリカも
ソ連もこれを解決しようと努力しておる。これはなかなかむずかしい問題にな
つて來ておるということは、要するにそういう
戰争の問題がこれに関連して來る。マツカーサ元帥がすでに満洲爆撃を要求いたしましたが、満洲爆撃だけでは片付かないのであ
つて、
戰争で以て、
武力で以て、この問題を解決しようとすると、今の矛盾がどうしても現われて來る。これは一体どういうところからそういうことにな
つて來たかというと、
アメリカの……フランクに申上げますが、誤解のないように願いたいのでありますが、
アメリカのアジア政策の矛盾が現われて來たのだと思う。第一に
アメリカは戰後において
国民党を助けて参りました。ところが中共の政権ができて、
アメリカの意図と反する中共がだんだん勃興して來たのであります。そこで
アメリカは自然にここから後退をいたしまして、いわば放棄した形にな
つておる。放任して
将來の出ようを眺めるというところに來ておる。それと同じ
関係において、ここに朝鮮問題が追
つて來ておる。すでにアジアの大陸というものは、
アメリカだけでは処理のできない
一つの
情勢に陥
つて來ておる。これは表現の語弊があるかも知れませんが、
アメリカのアジア外交政策の矛盾がすでにそこに現われて來ておるのでありまして、
アメリカもこの外交政策をどうしても転換しなければならん
一つの時期に到達して來ておるということが言えるのであります。そういう
意味におきまして、我々は
日本の立場としてアジアの平和を主張し、
日本の平和的なアジアにおける使命というものを高く主張いたしまして、
ソ連と
アメリカに呼びかけるということは、これは大いに必要なことであるのみならず、それは可能性を十分に持
つておる。今
アメリカは
ソ連の
軍備に対抗するために
軍備拡張を一生懸命や
つておりますから、甚だそういう声は聞きにくいかも知れませんが、フランク我々は言わなければならん。そうして
アメリカにおける平和主義者、これはすでにこの夏、スイスにおいても、或いはカナダ、
アメリカのクリスト教会においても平和の声明をしておる。
日本の再
軍備及び
日本の駐兵には
アメリカ側でも反対しておる
勢力が
ちやんとあるのでありますからして、そういう
勢力に呼びかけて、
日本を飽くまで平和的な
国家として守り立てるような
アメリカの輿論というものを、
日本の外交官なり
国民なりが喚起して行くこの努力が少しもなされていない。又我々は過去においてそういう努力をなそうとしても、民主的な言論の自由や
国民の自由を許されていなか
つたということを申上げておきたい。
それから第四の問題でありまして、自衛権の問題でございますが、自衛権というのは今日ではいろいろ変遷がございまして、御
承知のように
侵略戰争だけをしない、こういうことはすでに十九世紀から
各国の憲法に明記せられて來ておる。ところがその後の
国際連盟や、或いは不戰條約等におきましてだんだんこの
戰争防止の組立が発展をいたしまして、そうして自衛権という
規定ができて参りました。この自衛権では
侵略戰争を防止するだけではなくして、成るべくその
防衛をするのには平和的な手段で国際
紛争を解決しようという建前にな
つておる。そこで自衛権は非常に制限せられておる。即ち国連に届出をしてまだ十分に処置が講ぜられない間に相手方が
武力的
侵略を犯しました場合に自衛権の発動をして
武力的抗争を許す、こういうことに今日の国連の
規定にはな
つておるわけでありまするが、
日本は
武力を持たない。
武力を持たずに自衛権を
防衛して行こうということは、国連憲章の第
一條及び第
二條に明記されておる。国連憲章の最も理想とするところなんであります。止むを得ず最後の場面において
戰争的な手段を認めておるのでありますけれども、平和的手段が実に国連憲章の理想である。そういう
意味において
日本の
戰争放棄の
規定というものは、最高の国連の理想をここに表現した
唯一の実例でありまして、その
意味におきまして国連を育てて行こうという
前提の下においては、
日本のこの第九條というものは、これは飽くまで守り拔かなければならんものであると思うのであります。のみならず今日現実に
武力を
日本が必要とするところの脅威が、外來の脅威が当面存在しているか否か、こういう問題でありまするが、私はそれは存在していないと
考えられます。で、先ず第一、直接
侵略という問題と間接
侵略というものがございますが、先ず直接
侵略というものを
考えて見ますと、直接
侵略の今
危惧の対象とに、疑念の対象にな
つておるのは
共産主義でありますが、
共産主義の綱領の中には民族自決権というものを認めておるだけである。民族自決権を支持する民族主義の中において民族自決主義は飽くまで
武力に訴えてでも支持するということでありますが、民族膨脹主義は飽くまでこれに反対するということが、これが
共産主義の建前であります。でありますから、朝鮮動乱に
ソ連が大いに
援助しておる、中共が
援助しておる、これは当然の、朝鮮の民族自決を支持しておるわけでありまして、これは
共産主義の当然の行動でありますけれども、これが更に進んで、統一して平和にや
つている
日本を突然
侵略して來る、こういうことは、これは
共産主義の建前からあり得ない。若しもそういうことをやりましたならば、これは
共産主義というものはお終いでありまして、
世界から姿を沒して行く端諸になると思うのであります。それにもかかわらず、若しも
日本に駐兵をしてここからその民族自決の
共産主義の
戰争というものを妨害する
勢力が現われて來る、
日本が軍事基地になるということでありますれば、止むを得ず
日本を攻撃しなければならん、
日本を攻撃するのではなくて、そういう
武力を攻撃しなければならんことになるという
意味におきまして、
共産主義の危機というものは、そういう
意味において、今日駐兵において仮定せられまするが、駐兵がなくなれば、
日本が飽くまで平和的手段というものを建前として行きますならば、直接的な
侵略の危機はないと、私はこう判断をするのであります。これに対しまして、間接
侵略と呼ばれておりまするところの内部の共産革命の危機というふうなものは、これは革命に軍隊を用いるということは許すべからざることでありまして、革命を抑えるために軍隊を強化して行くことは、ますます革命
勢力も惡化せしめ、革命を
武力化、暴動化して行くところのものでありまして、且つ若しも革命というものが必然的にな
つたといたしまするならば軍隊があ
つてもそれは役に立たない、又革命は今必然的でないにいたしましても、軍隊がそれを抑圧するという態度をとりまするというと、その
勢力というものはますます
武力化して治安をますます惡くして行く。そこで
共産主義勢力の
国内の勃興を抑えるということでありまするならば、これはできるだけ
経済政策、政治上の問題とか、ブロツク的な工作以外の
方法を以て抑圧せられて行かなければならぬ、ここにも我々が戒愼しなければならん官僚主義的なそういう運動の取締というものは、却
つて国内の治安を惡化せしめて行く民主主義と官僚主義の問題が見出されると思うのであります。こういう
意味におきまして、私は当面には危機は存在しないし、
国内の問題ももつと別な
方法でや
つて頂かなければならん、こういうふうに
考えております。
それからまだあるのでありますが、駐兵、第五の点といたしましては、今申しまするように駐兵は
戰争の危機を招く、こういうポイントでございますが、時間がございませんから
簡單に申しておきますが、若しも
アメリカが
日本の内地に駐兵をするということでありまするならば、琉球の信託統治というものは不必要なんじやないか。最近の軍事家の戰略論によりまするというと、原子、水素爆彈の発達によりまして、沖繩のようなああいう小さい島々はこれは一遍で崩潰してしまい、役に立たない。そこで
日本のような、要するに不沈戰艦を必要として、これを基地とすることが必要にな
つて來ておると言われておりまするし、なお且つ片方は国際的な
防衛の基地であり、
日本には
日本の自衛力の
防衛の基地であるという違
つた要求がもとよりあるにはあるのでありますが、今度の安保條約によりましてはこの
二つの要求を駐兵によ
つて満たそうとしている。即ち琉球に要求されておりまする国際的
侵略の
防衛というものを
国内の治安の
防衛と引つつけて米国の
日本駐兵の中にも織込んで、その目的を安保條約の中で認めておる。そうだといたしまするならば、琉球の信託統治というものはこれは不必要にな
つて來る。
日本全体、琉球も含めて
日本全体を基地としても一向差支えない。何故にあそこだけ特別に信託統治とする必要があるかどうかということを
アメリカ側にお尋ねをしたい点であります。のみならず、この信託統治の制度を御研究にな
つた人は御
承知のように、
国際連盟の規約においては信託統治地域は武裝することができなか
つた。ところが今度の国連の
規定においてはこれに武裝することができる。特別に信託地域という制度を認めたわけです。そこで
平和條約を見まするというと、この琉球の放棄に関する
條項の中にあ
つたかと思いますが、
アメリカが
将來国連に向
つて要求すべき
内容のことについては一切合切これは
日本がこれを了承することを認めている。こういうことが婉曲に書いてあります。即ち琉球は特別な武裝を持
つた信託統治となることが大体想像せられるような文面がこの條約の中にはある。のみならず現に我々は新聞を通して知りまするところによると、琉球は占領軍基地として武裝を強化しているように聞いている。この
規定の文面からいたしまして、今の点が、
日本とそれから琉球との
関係というものを
二つ違
つた方式で以て基地にする必要がどうしてあるのであるか、こういうことが疑問になる。それから駐兵というものと関連いたしましては、さつき初め申しました主権に当然この問題が触れて参りまして、財政と外交と軍事、この三つのものを持たない
国家は政治的にこれは主権を持つとは言えません。法律上の概念としてはいろいろ抽象的な説明があると思いまするが、政治諭的な説明といたしましては、財政、軍事、外交というものを持たないところの主権
国家というものはあり得ない。もとより
日本は
武力は持ちません。
武力は持ちませんけれども、
外国の
武力によ
つてこの
軍事力を賄うという場合においてはこの主権の問題というものが非常に疑問にな
つて來るのであります。曾
つてのエジプトあたりのような保護国的な存在に
考えられはしないか。この條約は
日本の主権的立場と
アメリカとの対等の立場で
締結せられると言
つておりまするけれども、これは表現だけでありまして、実質的には一向
日本は主権
国家らしくならないということであります。そういう
意味におきまして、この條約は先からたびたび言われましたように軍事同盟ではあり得ない。
武力を持
つておりまする国が
アメリカの基地を認めるというような場合とは非常に違うのであります。その最も大切なる主権的な基礎をなしまする
軍事力そのものを
外国の
武力に依存するということになるのでありまするからして、形式的には対等でありましても、実質的には主権を持たないものと主権を持つものとの間のこれは保護国
関係的な條約であると申さざるを得ない。主権という言葉がここに挿入せられたことを以て我々は満足することはできない。その文句に相応するだけの実質的な主権
国家たることを
日本国民が要求するのに、その
原則が認められた以上は、それに相応する実質を我々が要求するということが必要なことではないかと思う。
それから最後に行政協定の問題について。これは曾
つては大正七年の軍事産業動員法、近くは日華事変中の
国家総動員法の古い帝国憲法の第九條のいわゆる委任命令権、この委任命令とよく似た構成を持
つておりまして、即ち一見戰時事変の場合においてはあらゆることを行政機関が立法することができる、即ちこれを名付けて法律的命令、法律的
効力を持
つている命令と言う。これはヒツトラーの場合においてはグライヒシヤルツング、授権法というものによ
つて行われ、又ムツソリーニもイタリアの独裁法によ
つてそれを獲得いたしまして、このフアツシズムの立法
関係というものはみんなこういう方式によ
つている。これは
皆さんの国会が持
つていらつしやるところの立法権を行政機関に委譲する。
從つて形式は政令になりまするけれども、実質はこれは立法的な
内容、法律的な
内容を持つべき性質のものであります。これについて何らかの説明があるとかないとか、民主党の要求しておりますように説明のあるなしの問題ではなくして、例えばエキセントリツクーアテイチユードであるとか、それから軍需品の輸入
関係であるとかというような問題について、
日本の統治権の国権の及ばない、司法権、行政権の問題が当然起
つて來るのであります。この問題を行政立法に委任するということは立法機関の非常な冒読である。立法機関においてはどういう場合に
アメリカ軍人との
紛争を解決するか、或いは輸入はどういうようにやるか、こういうようなことを
ちやんと明記したものじやなくてはならない。こういうふうな
意味におきまして……。
それで最後に、この
二つの條約というものは、
二つにな
つておるのでありまするが、安保條約というものは、
平和條約の五條、六條を根拠としてできておるのであります。若しも安保條約だけ否定してそうして
平和條約だけ認めようということになりますと、五條、六條の或る部分を削除しなければならんのでありますが、
講和條約というのは修正
承認ということはできないというふうに聞いております。若しもそうであるといたしまするならば、修正のできない
平和條的であるならば、こういうふうなものはやはり私は認められない。そういう
意味におきまして、
平和條約も安保條約も両方これは認めるということは、
日本の……、さつき申しました
意味においてどうであろうかということを極めてフランクに申上げました。私は学者として申上げました、或いは問題が政治でありますから、政治的な批判にな
つたかと思いまするが、或いは特にそれを支持なさ
つていらつしやるかたには甚だフランクに申上げ過ぎた点があるかと思いますが、これは学者の言でありまして、お認めを願いたいと思います。(拍手)