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岩間正男君 今の
意見については改めて私は又やるつもりでありますからこれはやめますが、併し昨日もここに
参考人が見えまして今お話としましたように、例の
金森氏とか尾高氏、こういうような有識者の
意見を聞きますと、全然今の
意見というものには否定的です。これは明らかです。私はそういうことを楯に申しておるのではありません。併しこれによ
つて例えば
天皇を
道徳的中心にして、
天皇は無私である、こういう点について例えば尾高氏が触れたのですが、
天皇は神性を持つものでなければ絶対にそういうことは言い切れない。具体的には、例えば明治
天皇を明治神宮として祀るということは
国民はしたけれども、大正
天皇についてはしなか
つた。ここに差別がある。そのようにやはり実質的には差別がある。そういうような、
天皇を持
つて来て、そうして道徳の
一つの
中心に置く、
一つの抽象的な概念の代名詞みたいにしてそこに置くということは、これは現実には合わないということをこれは述べております。こういう言葉というものは、私は非常に
一つの鋭い言葉じやないかというふうに聞いたのでありますけれども、そういう点から、
文相はそう主張されるのは、それは自由でございますけれども、私は今ここに論議を持
つて行こうとは思わいのでありますけれども、ただ
文相のなされていることは、
戦争前から私はそういう
天皇を
神格化する、手段化するということに反対して来た、然るにその時代に
岩間君たちは何も声を上げなか
つただろうと言われますが、上げようとして上げ得ないところに我々は
学校の下積みの教員で押し込められてお
つたのであります。これについては今までも、これは繰返したことであります。併し我々が弱か
つたからこそあの馬鹿げたことを繰返したのでありますから、再びしないということを私は命にかけても誓
つている。そうして我我はこれを再びしないために、平和を本当に求めるために今日闘
つている。
文相はあの過去のそういうような問題を持
つて来て、そうして、だから君たちはどうなんだ、これはおかしいことであります。我々は
一つのそういうような反省から生れた堅い決意というものを尊重せられていいと思う。そういう点で、我々は今むしろその地点に立
つて考えるとき、これは
文相自身は或いは異同されない、少しも変らないと思
つているのでありますが、残念ながら時代の差では転換するのだ。地球は
廻つているのであります。そうして昨日
文相が書かれたところは進歩的であ
つたかも知れない。併し今日から見ると遥かに時代から取残されていないと誰が言うことができましようか。こういう点について
天野哲学は反省すべきだ。
天野哲学の位地というものを
考えて御覧なさい。これについていろいろ
文相お怒りでありましようけれども、私はあえて申上げたい。
天野哲学の果した任務、そうして今日的な意義、今日の、この現実の中で果す形、そういうものについて私は再思索をされることが今日必要ではないか。そうしてこれが、道徳
実践要領というものが、一体どういう時代的
意味を持
つているか。
予算委員会においても私はこれを指摘した。
天野個人の
意思なんかは問題ではない。この激しい世界の混乱、こういう対立、こういう中、現実の激しい中において
天野個人の
意思はどうあれ、それがどのように最後の力、或いは政治的な力によ
つて現実的な役割を果されつつあるかということについて深い反省の工作を今日なされなければならないということをこの前
予算委員会において指摘したのであります。そういう点から
考えまして、私は問題は
はつきり
憲法を守る、その
精神を本当に守るかどうかということに帰着する。
文部省とか
大学というものは、先ず誰よりも率先して、学に
関係している
人たちとしては、良心的にこのことを先ず第一に守るべき……やはり徹すべきだと思う。それがまるで反対の方向に行
つております。而も又
国務大臣としての、これは
天野文相の場合はもつとこれは
憲法的な拘束があります。
憲法の九十九条に「
天皇又は摂政及び
国務大臣、
国会議員、裁判官その他の公務員は、この
憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」。この
憲法を擁護尊重の義務を最大に持つところの
文相は、今日
憲法について、例えば
憲法を起草し、そうしてこの最大
責任者であ
つたところの
金森館長が今日これを
はつきり否定するような行動をされておるのであります。虚心坦懐と言われますが、私は
文相に対してこういう点で一体どういうふうにお
考えか。もつと虚心坦懐に、今日やはり再検討されるところに発展を見る、この
立場に立たない限り今度の
京大問題ということの本質を私は明らかにすることはできない。単に生徒を八人切る、
無期停学にしたということでは、どうも口を拭
つて済むというようなことは……こういうことをやるよりも前に、先ず元を糺して、現在の一体内閣の
教育は何だ、この
中心の最も大切なこの
憲法の
精神を徹底的にこれを学び、単に学ぶだけでなくて実践する、こういう方向に行くこと、こういうような悲願にも似た
一つの気高いそういう実践があ
つてこそ私は初めてこの
文部省並びに
大学というものの任務が当然果されるのだ、こういうように思うのでありますが、こういうことを反対に逆なことを
言つておるのであります。反対に逆のことを
言つておる。そうして時代の滔々とした反動勢力の中につまり
天野さんは躍らされておるのである、こういうことを私は
考える。こういう点でどうでありますか、私の見解に対して御
意見を伺いたい。