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参考人(矢川徳光君) 私は今まで皆さんの申上げられたことと少し関係の違う方面から申上げでみたい、こういうふうに思います。それでいずれあとで御質問の時間もおありのようでございますので只今は簡単に申上げてみたいと思います。大体申上げたいと思います事柄は大きく三つばかりの項目について
考えてはどうか、こう思つたのであります。それを
考える場合にやはり先ほどからおつしや
つておりまするように、
文部大臣の原文がないのでございますので、
読売新聞で拝見したわけでございます。それを拝見いたしまして次のような三つの部分に分けて
考えたらどうか、こう
考えます。それは一体
道徳教育というような事柄が言われるようになりましたのはどういう事情から言われるように
なつたのかという事柄を
考えてみなければならないのではないか、それについてどう思うかということが第一であります。それから第二番目には
天野さんの案のようなものが
国民に、又特に青少年にどういうふうに受取られるだろうか、こういうことです。それから第三番目には新らしい
道徳はもうすでに教師諸君の中から生まれつつある。例えば先ほど或るかたのお
言葉の中にありましたが、教職員はよるべきところがなくな
つて茫然自失しておる。こういうようなことは全然認識不足なのである。すでに新らしい
道徳は生れつつある。その生れつつある新らしい
道徳を、何がどういうふうに生れないようにするための妨害をしておるか、こういうようなことをやはり
考えてみなければならないのではないか。そういうことを
考えてみました上で
表現がどうだこうだというようなことは第二次的のことであり、
形式的には今のように大臣のお
立場にあるかたがお
出しになるのがどうだというようなことが出て来るのではないかと思います。それで今挙げました三つの
考え方から御
参考までに私の
考えを申上げてみたいと、こういうふうに思います。それは
道徳教育が叫ばれるようにな
つて来ましたのは、若しこれを或る時期に限るといたしまするならば昨年の春頃からだと思
つております。而も又その中で何らかのきつかけを求めるといたしますならば、やはり学生諸君のどうも最近の動きが思想上面白くない、こういうようなふうに
考えられるように
なつたところから来ているのではないかと思います。そのことは具体的に申上げますとイールズ事件を前後といたしまして
道徳教育ということがいろいろな形で言われるように
なつた。明瞭な
はつきりとした事実は覚えていませんし、実はこの御報告をするようなことのお知らせを受けました後にもなお忙しかつたものでありますから調べて来ていませんが、大体その頃に吉田首相が
教育憲章といつたようなものを
出したらどうかといつたようなこともお
考えに
なつたようであります。それから又
文部大臣のほうでも修身科を復活したらどうかというような事柄をお
考えにな
つておつたと伝えられておりまして、それがそうこうしておりますうちに朝鮮事変が六月の下旬に起きまして、いろいろ朝鮮の戦況も変
つて行つた。その戦況が変
つて行きますうちに八月に参りまして次のような事情に
なつた。と申しますのは釜山が第二のダンケルクになるかも知れない、こういうような形勢にな
つて来た、これが八月の事情でございますが、その八月にアメリカから第二次
教育使節団の学者たちが五名お見えになりました。そして
日本の学校をお調べになり、大学から小学校に至るまでをお調べになりまして九月に報告書をお作りになりました。その報告書が実は今日の
日本に
道徳教育が必要だという声の、言い換えるならば外部的な
裏付けとな
つているものであります。その点につきましては一、二特徴的な事柄を申上げますと、その報告書には例えばこういうふうなことも書いてある。それはあの報告書の中の高等
教育機関のことについて述べられているところでありますが、高等
教育機関の中では大学の教授会の
権能を制限するほうがいい、こういうようなことが書いてあります。それから学生の自治的活動をもう少し制限するほうがいい、こういうことが書いてあります。
日本。高等
教育機関というものを本当に
教育のあり方として望まれるような形にするのにはそういつたような方面の手段をとることが必要であると思うと、こういうふうに書かれているわけであります。こういうことは、イールズ事件、その後発展していましたところの学生諸君の運動でありますとか、それから又学問の自由を守るという学者的な、そうして又
憲法によ
つて約束されたところの人権を守られますところの教授会等の中にも或る動きがあつたわけであります。そういうものを考慮されたものに違いないと私は
考えるわけであります。
それからその次には同じ報告書の中で
社会教育に関する項目がございますが、この
社会教育に関する項目では非常に注意しなければならないことが言われている。それは
日本の
教育ででき上る
人間は、例えて言えば極東で朝鮮事変といつたようなものが起きているので、そういう事変のために対処するところの
一つの武器となるべきものである、こういうふうにおつしや
つております。これは私
どもとしては大変困るのでありまして、
日本の
教育が何かしらそういう事変の場合に使われる武器をこしらえるところである、こういうような事柄を外国のかたから申されますと、これは実は私
ども国民としては大いに警戒しなければならないことではないかと、そういうふうに思うのであります。第一番に
考えてみましても我々は
憲法で戦争は放棄している、こういうわけでございますし、
教育基本法の中でも平和的な
国家及び
社会の形成者を育成するのだと、
日本の
教育の根本精神が書いてありまするのに、そういう事変の場合の武器となるところの
日本国民を作るのが
日本の
教育の
一つの重要な働きなのだと、こう言われると、これは
憲法及び
教育基本法の関係から申上げまして大変おかしいと、こういうふうに思います。それから又
教育使節団の
かたがたのおつしや
つていることそれ自体の矛盾していることがある。と申しますのは
教育使節団が
自分たちの確信するところによれば、
日本は平和愛好国の
一つになるようにしなければならない、こういうふうにおつしや
つているところとも矛盾して来るのであります。そういう関係で報告書が出まして、これは
文部省でも御存じのように「文部時報」の特集号を今年の一月でございますか出されましてそれにつけてございます。それには又文郡省が終戦後例えば第一次
教育使節団の
かたがたの教えに
従つて教育をや
つて来た、その後如何に
日本の
教育が進展してきたかということを
文部省の側からおつしや
つている報告書も同時に編集してあるわけであります。その一番初めに持
つて行きまして
天野文部大臣が次のようにお書きにな
つている。第二次米国
教育使節団の
日本教育に対する評価は我々としてはやや好意に過ぎると思われるほどである。こう大臣みずからお書きにな
つておられますが、
日本の特に
社会教育の部面のことでございますけれ
ども、
日本の
教育によ
つてでき上るところの
人間を或る場合には武器とするのであると、こういうふうにおつしや
つておることを、私
どもはやや好意に過ぎると思われるというふうには
考えられないのであります。そういたしまして、一番しまいに参りまして、
道徳的精神的
教育、こういうような項目を設けておりまして、その中で単に
社会科だけでなくていろいろの方面で
道徳教育をおやりになるほうがよろしいと、こういうふうな教えが示されております。特にその中においては宗教的な儀式に列席することが一番いいことであると我々は思うというようなお諭しもそこに出ているようなわけであります。そういう関係から
考えまして、私は
日本の最近の
道徳教育の重視、こういうふうな事柄は、どうも
日本人だけとして問題を取上げたのではなくて、内外呼応いたしまして
道徳教育が必要であるというようなことがやはり言われるようにな
つておると思うのであります。まあその証拠が
文部省みずから「
教育時報」に編集してお
出しにな
つておるものの中にあるわけでございます。そういう背景を経まして今日までや
つて参りましたその
一つの現われ方といたしまして
天野さんの今度の案が出ておるとこういうふうに思います。
ところでもう
一つ、
日本で修身科という名義を避けるといたしましても、とにかく
道徳教育の何か要綱を出すことがよいであろうというようなことが言われて参りました。その結果今日出ておりますものを
天野さん御
自身のものと見るといたしましても、とにかくこれは
天皇を
道徳的中心にしようとお
考えにな
つておるわけでありますが、先ほどから皆さんもその点については疑問をお持ちであるわけであります。私も大変これは疑問を持つどころではなくてこれは絶対にいけないと、こういうふうに
考えます。それは
日本国内の問題といたしましても、外国の文献を見てみましてもこれは大いに私
どもが警戒しなければならない
考え方であると、こういうふうに思います。と申しますのは例えて申上げますと、外国の官庁のものではございませんけれ
ども、御存じのニユーズ・ウイークというものがあります、ニユーズ・ウイークの今年の一月二十二日号を見ますと次のようなことが書いてある。それはいろいろなことを書いてありますが、四つばかり項目を並べて書いてある。その第四番目の項目の中に
日本人は
天皇の下に高度に
社会的な団結力を有し世界中で最高度に訓練された
国民である、こういうふうに書いてあるわけであります。つまりもう一回申上げますと、
日本人は
天皇の下に高度の
社会的団結力を有し世界中で最高度に訓練された
国民である、このようにほめてもら
つているわけであります。それは第四番目の箇条書でありますが、その第一番目の箇条書は
日本人というものは戦
つて死なんとする
意思を持
つておる者である、そのようなふうに書いてあるわけであります。こういうものはただばらばらに並べてあるわけではないのでありまして、第二番目、第三番目の項目を見ますと
日本人は大陸軍、大海軍、大空軍を十分に操縦するだけの力を持
つておる、安い労働力を提供してくれる、こういうふうに第二、第三の項目には書いてございまして、その両端を飾るものが第一項目といたしましては、
日本人は戦
つて死なんとする
意思を持
つておる、こういうふうに言われ、第四項目は先ほど御紹介いたしましたような項目にな
つておるわけであります。そういう背景がやはりある。そうしてその場合に、不幸にして向うでも
天皇ということに着目しておられる、こういうことであります。尤もニユーズ・ウイークは一雑誌にしか過ぎませんけれ
ども、併しニユーズ・ウイークのようなたくさんな部数のものを
出します力の奥には、やはりそれだけの資本を動かすところの人々があるということを
考えなければならないと思います。それからいろいろ申上げたいことがございますが、そのように
日本の青年と申しますか、第一番目の戦
つて死なんとする
意思というのは、直訳しておるような
言葉にな
つておりますので、いわゆる青年層が
考えられております。そうするとその青年層に最近非常に明瞭に期待をかけられた方がある。これは朝日
新聞であつたと思いますが写真を掲げてその記事が載せてございましたが、先般お見えになりましたローゼンバーグ女史がたしかお帰りになる前の日、内外記者団をお集めになりましてお話に
なつた中に、我々は
予備隊を人的資源として大いに期待すると、こういうふうに書いてございます。そういうことを見ますと、片方は一商売の雑誌であり片方はああいうかたでございますけれ
ども、やはり全体として
考えますと、
日本の青年に何を求められておるのかということを我々はよほど注意しなければならないと思います。時間の都合もございますので、少し途中うまく論理的には繋がらないところが出て来るかと思いまするがお許し頂かなければなりません。その際にです、特に
予備隊の場合を
考えてみますと、
予備隊の選出されておるところはどこかと申しますと、例えば東北のような特に単作地帯あたりから出て来ておるところのパーセンテージが非常に多い。そういうことを
考えますと、これはやはり
天野さんがここに
一つ案文を出された、こういうことでなくて、もつと広く問題を
考えて
日本の青少年たちにどういう心がまえを持つことを望まれておるのか、こういう事柄を
考えてみなければならない。つまり
日本の国の
政治情勢、経済情勢というものと結び合わせて
考えまして、その中で今度のような
国民実践要領というものが出たことにつきましての私
どもの
考えかたを整理しなければならないのではないかとそういうふうに思います。それから第二番目の項目といたしまして、先ほど申上げましたように
文部省案のようなものが
国民に、特に青少年にどういうふうに受取られるかという点につきましては、実は
天野さんの案文につきましても、
読売新聞に出ました案文につきましても大変疑問を持
つておるわけであります。一々は申上げることを省きますが特徴的な一、二を申上げますと、
天野さんは先般有名な「山びこ学校」にお出かけになりまして、激励又はお褒めの挨拶をされて帰られたそうであります。あすこの学校の江口一という青年は
文部大臣賞をもらうような立派な綴方を書いた人でおりますが、あの全体に收められております「山びこ学校」という書物の中に次のようなのが一ヵ所ある。これは今日「山びこ学校」なるものをこちらに持
つて参
つておりますけれ
ども、今は要点だけ申上げてみたいと思います。それは父の思出ということです。江口俊一という青年が書いているのでありまして次のように書いてある。つまり
自分のお父さんは戦争中
自分は好まなかつたのに青年学校の
先生にされた、そうしてむりやりに送り出された、その場合に
天皇陛下万歳ということで送り出されたのであつた。これはたしか十九年だつたと思いますが、そうして次に一年たつかたたないで終戦に
なつた。お父さんはいつ還
つて来るかと思
つておつたらなかなか還
つて来なかつた。併ししばらくたちましてから心配しておりましたところへ戦死したという知らせが来た、そうしてお骨をとりに来いということであつた。そこで雪道の中を秋田まで出かけられないので、どこかしらんがどういう事情かそいつを届けられるようにしてもらいまして、子供がお骨をもらいに行つた。そのお骨の箱を抱きながら滑るといけないので一生懸命抱いておつた。足許が危かつたがなんとその箱は軽かつたであろう、帰りまして開けてみたところ位牌が
一つ入
つていてそれ以外には何も入
つてなかつた。そうしてその次はお葬式であつた日はにぎやかであつた。帰つたあと我々のうちは一しお淋しく
なつた。それからしばらくしたあとでございますが盃が届けられた、それでうちではこういう話をした。お父ちやんをと
つて盃
一つくれるなどというのは、どうも
納得行かないねと、こういうことであります。原文で読めばいいかもしれませんがそういう話でございました。お父さんは
天皇のために死んだのだ、だけど我々に盃
一つくれた
つて我々は有難くない。お父さんを返してもらいたいものだと、こういうふうに子供は書いております。そういう子供がある、而もその学校は文相みずからが訪問された学校であるわけです。そこでその子供たちが今は卒業しておりませんけれ
ども、今度
道徳的中心は
天皇であるというような形で提出されたらこれはどうであろうか。こういうような子供たちは「山びこ学校」だけにあるのではなかろう、こういうふうに
考える次第であります。それから又最近長田さんが編集されておいでになります「原爆の子」を見ますとやはり
天皇の問題が出て参ります。片岡修という当時中学校の一少年であつた人が、やはり
天皇の問題について疑問を提
出しておる。そういうような人々にこのような
国民道徳実践要領、こういつたようなものが読まれる場合を
考えてみますと、私
どもはよほど慎重にしなければいけないのではないか、こういうふうに
考えます。それから若し
天皇が一人格であるといたしますならば、私は一人格としての、つまりこれは
国民と
言つていいのかどうかわかりませんが、一人格という限りにおいては
国民と
考えるのでありますが、そういう一
国民が持
つておるところの性格というものが、
天野さんが
道徳的中心とされておる、その
道徳的中心とされておる中で出て参りましたところの具体的徳目と突き合せて
考えました場合に、大変どうも遺憾な点が多い、こういうふうに私は
考える次第であります。そうしますと、ますます私といたしましては、
天皇が
道徳的中心であるというような事柄は絶対に反対しなければならないと
考えるわけであります。
それから簡単にするために、先ほど
ちよつと申上げましたのでございますが、例えば成るかたのお
言葉に、教職員はよるべきところがなくな
つて呆然自失しておる、こういうふうなことをおつしやいましたけれ
どもこれは違う。具体的に申上げますと最近日光で
日本教職員組合が
教育研究大会を持つたわけでございます。それにつきましてはいろいろ報道が行われておりますので御存じだと思いますが、私も講師団の一人に加えて頂きまして第十一分科会に関係しました。その第十一分科会ではどういうことがあつたかと申しますと問題は平和
教育の問題でございます。平和
教育の問題をすでに
研究され実践されておる
かたがたから報告をして頂いたのでございまして、第二日目にそれにつきましての討議がございました。その討議には次のような五つの大項目を掲げて討議をしたのでございます。第一番目には平和は守れるか、第二番目には国際理解の指導ということ、第三番目には平和のための
歴史教育、第四番目には
道徳教育、第五番目には教師のあり方という五つの項目であります。その五つの項目の中で最後の二つをと
つて考えてみたいと思います。
道徳教育という項目での討議の場合にいろいろなことが申されましたけれ
ども、決してそこに集
つて来たところの
人たちは全然呆然自失なんかしていないのでございます。例えば次のような
意見が述べられておりますから具体的に申上げてみたい、こう思います。それは今日我々は教師という
立場にある、だから我々日教組が努力して学者の協力も受けて
出してくれたところの教師の倫理綱領、尤も現在は草案だそうでございますが、その教師の倫理綱領が我々の
道徳の精神を現わしておるわけであります。倫理観の精神を現わしておるわけなのだ。これは我我が教師として受取る場合であるけれ
ども、
教育一般にこれは当てはまるところの精神であると我々は
考える、これ以外には我々は現在置かれておる状態の中においては
道徳はあり得ない、こういうようなふうに
はつきり言つたのは例えば高知県であります。一、二具体的に申上げてみたいと思います。それから又ばらばらになりますが、新潟県ではしつかりした
人間を作るという
意味において我々は曲つたこと、誤つた事柄にはしつかりと反対するような性格をこしらえるところの
教育をしなければならないということも
言つておる。それから鳥取県でございますならば平和をどこまでも守る
人間を作らなければならない、こう
言つておる。そうしてそれに三つの項目を挙げております。第一といたしましては自我を確立しなければならないということ、第二番目には批判的抵抗的な力を持つた
人間でなければならないということ、第三番目には倫理的に深く生きる
人間を作らなければならない、
良心に忠実であることが必要であるというような事柄を鳥取県では
言つております。静岡県のかた、埼玉県のかたも、抵抗の倫理ということを説いております。千葉県の人は労働者の人権を無視する者はこれすべて悪であるという事柄を、これも子供たちの
納得できるように指導したいということを
言つております。秋田県でございますと、先ほどから問題にな
つておりますところの
道徳実践要領、あれは
方法の面或いは技術の面で
参考になることを提供してくれておるが、一向に今日の青少年たちを育てて行くところの指導の
内容というものを示していないという事柄は、これから出るかも知れませんがその際に秋田県の人は申して残念が
つておりました。そうしてどういつたかと申しますと、聞いたものをここに書いてあるのでありますが、我々は
天野的
道徳教育をやらず人民的
道徳教育をやるというような事柄が盛んに言われました。同じく秋田県の人の
言葉といたしましては人民の
立場に立つ愛国者を育てなければならないというような事柄を
言つておる。又は横須賀市の場合でございますと、我々は
自分たちの生命すら守られていないのである。防空壕はあるけれ
ども我々の入る防空壕はない、
外国人の入る防空壕しかない。そういうような状態の中において一体どういう
道徳教育をしたらいいのであるか、我々は指導に非常に困るのであるということを痛切に訴えておられました。その他いろいろございますが、そういうものは今申上げましたのは断片的なことですけれ
ども、全体として
考えますとやはり五十万を組織している日教組の中の勿論それは全部であるはずはないわけでございますけれ
ども、日光に集まられた人々、特にこういうことを
研究するという理念から集ま
つて来られた
人たちの中には、明瞭に
自分たちみずからの
道徳というものを打立てようとするところの意欲が現われている、具体的な徳目さえ出ているというふうに私は
考えます。そういたしまして今申上げましたようなことを
研究し、大会の最後の日には三千人近くたしか集まりまして討議もしたのでございますが、御紹介したような事柄には皆がこれは賛成しているわけでございます。集まられたかたたち一々がその
通りの
言葉で賛成されたというわけではございませんが、圧倒的にこれは認めているわけでございます。この
人たちが地方に帰
つてそうして
自分たちの
教育を現場で
研究すると共に、新らしい徳目を
自分たちの
教育の
現実の中から生み
出して行ごうとしており、別の
言葉で申上げますならば決して茫然自失しているのでなくて本当にしつかりとやりたい、徳目も明瞭である、方向も明瞭である、だけれ
どもそれをそのように現場の教師たちが生かして行くことについては妨害がある、そういう関係であろうと私は思います。
そこでこの際若し
文部大臣の職におられるようなかたが、何か
道徳というような事柄について
発言なさり又は何かお書きになるとするならば、今私
どもが
読売新聞を通して拝見しているようなものでなくて次のようなふうにして頂いたらいいのではないかと私は思います。つまりものを言うのは
天野さんの同僚として仕事を今日
政府の中でおやりにな
つているかたたちに向
つて実践
道徳を説いて頂きたい。それがカントの精神ではなかろうかと思う。それから又それ以上の力に対して、つまり言い換えまするならば上に向
つて道徳を説いて頂きたい。
天野さんの下のほうにおられるところの教職員は
自分たちみずから徳目を
考え出し、それを子供たちにも又理解させ、そういう性格に子供たちが成長するようなふうに指導して行きたいと思
つておられる。その指導して行きたいと思
つておるのを抑えないで、下に向
つてはものを言わないで、上に向
つてものを言うような
道徳を実践して頂く、そういうような趣旨から何事かをなさるならば大変結構なんではないか、こういうふうに
考えております。
大変長く時間を頂きまして失礼でございましたけれ
ども、今申上げました事柄につきまして何か又御質疑がおありでございますようでしたらわか
つておりますことなら申上げたいと存じます。これで失礼いたします。