○大野幸一君 私の
質問しようとする大半は
和田委員によ
つてされたのですが、特に
講和ができた
機会を捉えてというような、こういう偶然の形にな
つて来ておる。
天野文部大臣が学者自体と政治家にな
つてからとの
心境の変化については、まだ私
たちはその全部をあなたからお伺いすることはできないのであります。そこでやはり
講和ができると、何だか元の
日本に戻るのではないかということを本当に心配しておる。私はこの点は、この前の党代表
質問においてもや
つたのです。それは私は心から
国民はそう
考えると思う。特に
天皇の点をあなたが挙げられた、而もこれが大きくアツピールされた。
天皇はもう
国家の象徴だということで尽きておる。それ以上論じてはいけないのである。我々はそう
考える。「長い歴史を通じて
天皇があ
つたところにわが国の特徴がある。」、これは何ですか、昔の
天皇統治権の
国家であ
つたほうがいいという印象を受けるでしよう。あなたはそういうお
考えでしようか。私はもう
天皇は
国家の象徴である、それだけ申上げて、それで十分である。それ以上
天皇制を論じ合うと却
つてよくない。ひいきの引き倒しですよ。私はどうしてもそう思う。
天皇は戦犯である、それは常識人としてはみんなそう思いますよ。
天皇陛下が戦争の詔勅を下されまして、そうして戦争を開始したのではありませんか。これは誰でも否むことはできません。併し
天皇という人が
自分の
意思によ
つてやられたのではない、
自分の
意思によ
つてやられたというのではないというところに
国民は、外国もでしよう、連合国も妥協したのでしよう。象徴という
言葉に尽きておけばそれでよいと、こうな
つたのだと思う。ところがこれは「
天皇の地位は
国家の象徴として
道徳的中心たる性格を持
つている。」、
天皇のお
言葉は即ち
道徳観の中心だと
言つて、これから進んで行
つてよいのですか。こういうようなことを
考えると、実はあなたの御思想自身が、もう
民主主義……、これからの発展に役立つかどうかということは疑問です。(「その
通り」と呼ぶ者あり)而も「
国家の倫理」ということ、これも仮定ですからわかりませんが、あなたは「
国家は道義を生命とする、
国家の本質は政治的、経済的な性格よりも深く倫理的性格に基礎をおいている、」、それならばあなたに問いたい。近頃の
文部省に関する不祥事件は何ですか。
文部大臣として第一に、本当に倫理的の
道徳観があ
つたら潔よくやめたらどうです。私はこの前の
委員会において、あなたは弁護士であるから、
文部省の大豆事件を
一つや
つたらどうかと、こういうことを言われたのですけれども、私は弁護士は人の罪をあばくものではなくて、弁護するものだと思
つておる。どうも私は今の
社会から来る、犯罪のよ
つて来るところは、あながち政治的、経済的の関係からのみ犯罪というものが起るのではない。それをただ倫理的にこうだというなら、むしろ私はあなたの性格に従
つて……
文部省自身の不詳事件についてはあなたは何らの弁解もされず、責任もとられない。それであなた自身倫理観念、
道徳観念を説いてや
つたつて何にもならない。あなたが潔よくやめてから、そうしてこの要領か何かを発表されるならいいけれども、あなた自身が独断の見解に私は陥
つておると思います。この間衆議院の人も参議院の人もいらつしやる或る
委員会の理事会がありましたが、たまたまこのことが問題になりまして、自由党の人でありましたが、甚だ軽率であると言われたから、
文部委員会でそういうことを取上げることにな
つておるから、
天野文部大臣もそうわからない人じやない、恐らくやめられるであろうと言うと、そうじやない、
天野文部大臣はこれを発表して、今世間の輿論の反響を見ておられるのであろう、こう言われた。この反響によ
つてやめられるだろうと私は
考えておる。こういうことは本当にやめて頂きたいということを私は
一つ念願します。今日はあなたも大変お忙しいようでありますし、そうして又他からも
発言者の
要求がなされておりますから、私は一応これで終りますけれども、これについては更に細かくあなたとの間に御論争を交したいと思う。問題を保留しつつ私の
質問を終ります。