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1951-11-20 第12回国会 参議院 文部委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年十一月二十日(火曜日)    午前十時四十分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     堀越 儀郎君    理事            加納 金助君            高田なほ子君    委員            木村 守江君            平岡 市三君            梅原 眞隆君            高良 とみ君            高橋 道男君            荒木正三郎君            和田 博雄君            大野 幸一君            矢嶋 三義君            岩間 正男君   国務大臣    文 部 大 臣 天野 貞祐君   事務局側    常任委員会専門    員       石丸 敬次君    常任委員会専門    員       竹内 敏夫君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○教育及び文化に関する一般調査の件  (国民実践要領に関する件)   —————————————
  2. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) これより委員会を開会いたします。速記をとめて下さい。    午前十時四十一分速記中止    ——————————    午後零時五分速記開始
  3. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 速記を始めて下さい。それで実は文部大臣が情勢を達観されてさようなものを出すという御意見をお持ちのようであります。正式に本委員会に示されたわけではないのでありますが、すでに国民実践要領というものが全文或いは詳細に亘つて報道機関が伝えておるのであります。そうなりますと、大臣自身文部委員会申合せを御存じなかつたと思うのでありますが、そういう申合せがあつたということをお知りになつたならば、当委員会のその申合せを御尊重になる御意思があるかどうか。それを先ずお伺いして、更にこういうような具体的なものがおありであれば当委員会にお示し頂いて、それについて我々の意見参考にされるかどうか。そういう点も併せてお伺いいたしたいと思うのであります。私たちがこの点を非常に重要視いたしますことは、その当時、教育勅語失効宣言をいたしました当時の心境から考えましても、道徳というもの、又国民実践しなければならないということは、これは法律のような権威を以てしてはならない。教育或いは宗教によつて行なつて行かなければならない。つまり教育勅語のようなお上の権力或いは文部省のような権力によつて引ずるべきものでない。つまり今までそれによつて国民道徳というものが指導されていた結果、非常に弱い国民性作つたのではないか。つまり自分がやらなければならないことを、人から指導されなければやらない。すべてその筋の命令によつてというような言葉で表現されなければ実行できないような裏表のある、真実性のない、着実性のない国民を作り上げた欠点がありはしないか。至るところに現在でも進駐軍命令によりこれこれすべからずというようなことが掲示されておるのを恥としない、それが当然のような国民性を作り上げて来ておる。ひどい例を申上げますと、東北地方に参りまして、よく私たちは赤い顔をするのでありますが、公然と停車場あたりに掲示してあるのであります。つまり進駐軍の命により便所に入る前に尻をまくるべからず、こういう掲示まで出している。つまりそれは立小便を禁ずる意味らしいのでありますが、自分のお尻をまくるごとさえも進駐軍の命によらなければできないような弱い国民性というものを誰が作つたか、これは我々非常に反省しなければならない点じやないか、この点について我我がみずから知り、みずから実行して、そうして範を垂れるということでなければならない。学校教育に倫理を復活するという問題についても我々は意見を持つのでありまするが、単に従前のように修身担当教師がそれをやつて、ほかの教師は全然関係しないというようなやり方に対しては異論を持つものでありまするが、いずれにいたしましても、教育基本法というものが制定され、それによつて国民教育根本理念が定められておる上に、更にこれを出す必要があるかどうか、出す内容についても相当お考え頂かなければならんのじやないかということを我々委員会としては慎重に考えるのであります。そういう点について文部大臣から正式に御意思を承わり、その上で各委員からも又質疑もありましようが、十分隔意のない意見の交換を行なつて無理でない、又多数の、できれば全部の支援があるものを大臣がお出しになるならいいのじやないか、それには如何なる方法がいいか、如何なる内容がいいかということまでも考えさせて頂けるならば、我々は非常に幸甚であると考えまして、本日の委員会を開いた次第でございます。それによりまして、なお引続き文部委員会としては、この問題について相当研究をする機会を持ちたいと考えておりまするので、文部大臣隔意のない御意見を承わりたいと思うのであります。
  4. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 私は只今委員長の申されたように、従来こういう何か政府からして一つ道徳的な徳目を示すようなやり方はよくないという考えを持つてつて、第一次教育使節団が来たときに、それに対して日本側委員で以て、現在の天皇からして新勅語をもらおうということを文部省に建議したことがございますが、そのとき反対したのは私以外三人くらいだと思つております。私はその委員には加わりませんでした。その後文教審議会でもこういうことが出たときにも、私はこういうことはよくないという考えを抱いて来たものでございますけれども、私がこの文部大臣という職を受けてから、この社会事情を見、又社会から私に対してさまざまな要求を見るに及んで、何かそういう上からものを言うというような形でなくして、ただ国民参考になるようなものを作るということは必ずしも悪くないのではないかというように私の考えが変つて来たということを私は告白せざるを得ません。それには一体どうしたらよいかということを私は文部事務当局に対して何か工夫はないものか、教育基本法といつて見ても、あれで以て足るとは私は思わない、何かああいう精神に基いた国民参考になる、生活の指針というようなものを示す工夫はないものか、それにはどうしたらよいのかということは、私が文部大臣になつて暫らくしてから私はいつも考えておつたことでございます。勿論天皇をその主体とすべきものでないことは論を要しません。又内閣総理大臣ということでも困るのではないか、或いは国会とかすべてそういう権威を持つということは工合が悪いが、どうしたらよいものだろうと言つたのに対して、文部事務当局では、それは文部大臣が出したらどうか、併しこれは訓令とか、政令とか、そういうふうなものじやなくして、ただ文部大臣国民に向つて一般に向つてこれを参考にして欲しい、こういう意味ならばよいのではなかろうか、例えば何かの機会に際して、私がこの社会に向つて自分意見を述べることはしばしばあるのですから、惑いは又頼まれて講演をすることもあるのですから、その内容がただ組織的になつておるというだけのことであるから差支えないのではないか、その政令でも訓令でもない、何日もそこに権威を持たせまいということを、うまい日本語がありませんから、それで個人的とか言つただけであります。私は少しもそういう権威を持つたものを出そうというような考えは持つておらない、何かそういう国民参考になるものを出そう、文部省からエチケットの本を出したり、いろいろなものも出しておりますが、そういうような極く軽い考えで出すことはどうだろうか、こういう考えを抱いたわけでございます。それから又その時期とか、内容とかということには今以て私は決定いたしておらないのでありまして、時期もいつにしたらよいか、或いはどういう形がよいか、文部事務当局に今以て研究してもらつておることでございます。たまたま数日前私の原稿と称するものが読売新聞に出たのでございますが、私は一体どういう手続を以てあの原稿新聞社に行つたか知りません。又その原稿が一体私の考えており、又未定稿であつて、今後研究しようとして、この総務課長に見せてありますが、総務課長の見ておるものとどうだと言つて私は総務課長に尋ねたところが、非常に違つておる。言い廻しでも何でも非常に違つておる。決して私の持つていたものをそのまま写したものじやなくして、そのうちをどういう手続か知りませんけれども引抜いて、ほうぼうから引抜いて、そうしていろいろして書いたものだということでございます。私はこれについては十分慎重を期さなければなりませんから、まだまだ十分手も入れ、又私らの尊敬するかたがたの御意見伺つて、そうしてやろうという考えを持つておる次第でございます。或いはこの国会委員会になぜ見せないかと言いますが、そういうことをしたらますますそれが何か権威を持つて来て、何にも権威を持たないものを示そうという趣意に反することになるのではないかという私は考えも抱いております。要するにこれは私は現在の日本の実情において、外国とは違つて宗教というようなものが全面的に徹底しておるという国柄でない、この現実の日本社会においては何らかそういつたものが必要だという社会の声にも理由があるのではないかという考えを持つて今日に至つておるわけでございます。
  5. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 この問題については、先般私本委員会大臣にお伺いしたわけでございますが、大臣の今の発言されたお気持は、言葉意味する範囲内においては了承したわけでございますが、その中で一番大事な点は、大臣権威を持つものは危ない。従つて政令でも訓令でも出すのでなくて、天野個人の意向として出すんだ、こういうことを言われておりますが、現在の我が国の民主過程ですね、国民民主主義理念の把握とか、或いは民主主義実践というような角度から、いわば文部大臣天野という名前で出すことは随分私は大きな権威だと考えるのですが、大臣権威を持たして出したくないとあれば、やはり野人天野立場になつた場合に行えば然るべきものでありますが、文部大臣天野として出したならば国民に対して私は大きな権威を持つと思うのですが、これを一つと、それから更に随分とあちこちで社会要求を聞いたので、それで従来の考えを変えて、政界に乗り出した天野として出す決意をしたと、こう言われますが、いわゆる実践要領が巷間に伝えられてから、もうあらゆる階層において相当厳正な批判がされておると思う。中央における大新聞でも、論説に再三再四取上げてこれを問題にしているようでありますが、これこそは大臣社会要求云々と、社会の声を聞くという、そういう角度からは更に大臣は再検討されなければならんのではないかと思うのですが、こういういわゆる論調に対して大臣はどういうふうにお考えになつているか、それによつて、又新たな社会の声によつてこれに再検討、再考慮をされるような心境になつておられないかどうか、その二点を先ずお伺いいたします。
  6. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 私は勿論野人でいいんです。が併し、文部大臣としてそういうことに対してやはり無関心ではおられないという、そういう気持は諸君の諒として下さるごとじやないかと思うのです。現在の日本社会を見て、この事情において、インテリ階級に対してではないのです。一般庶民ですね、一般人たちがそういうものを便宜とするのではないかと、私はそう思つておるのです。だから私がやめてから出すというのも、それでもよいかも知れませんが、文部大臣として出しても何ら差支えないのではないか、そういうことを言われる人たちもあるのです。言論界にもあるのです。でありますから、私はその点はよくなお自分で考慮しようと思つております。私は何も自分一個の考え社会に押し付けようなどという考え一つも持つておるのではない。日本の国の現状に対して何か少しでもよいことをしたいという考えでありますから、若しそういうことが社会に対して悪いということであれば、何もやる考えは持つておりません。それについては言論界のことを聞かなければならないではないかというお話でございますが、勿論言論界の説は私はよく聞く考えでおりますが、併しこれは参考に伺うのであつて、よく自分考えて見たいと思つております。
  7. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 先ほど文部省から、或いは政府から出されているエチケツト集というような、そういう例も一つ出たのでございますが、それとこれとはまあ大臣は正面切つて比較しようというお考えは勿論ないと存じますが、この問題は余りにも基本的であるだけに私は事柄は重大だ、それは先ほど委員長から示された通りだと思うのです。或る論説あたりを読みますというと、これは結局国民には天野勅語として受取られるであろうというふうなことを言つておられますが、大臣如何善意を以てこれを出されようとも、国民大衆にこれが如何に受取られるかということが私は問題だと思うのです。如何影響し、如何に受取られるかという角度から私は考えなくちやならん問題だと、こういうふうに思うわけです。確かに文部大臣天野個人としての現世代に対する心配とか、それに対する対策としてお考えになる、その善意は私は諒とするのでありますが、この影響性というものを考えるときに、私はこれは極めて重大な問題であると、こういうふうに考えるわけです。ちよつと角度を変えてお伺いしますが、先ほど大臣より教育基本法とか、或いは学校教育法とか、社会教育法とか、そういうものでは物足りないという発言がございましたが、私は読売新聞のこれを見て、これとは内容ちよつと違うという御発言でございますが、大体これは筋は現わしておるのではないかと思いますが、このあたかも教育基本法学校教育法社会教育法の敷衍と申しますか、指導要領というような感じがするわけです。もう少し具体的に言えば、教育基本法解説書といつたような感じがするわけですね。それだけに私は、而もそれが文部大臣名前で出されるというところに重大性があると思うのです。若しも文教責任者である天野文部大臣学校教育立場社会教育立場において心配されるとあらば、私はあらゆる階層の有識者によつて構成された一つ委員会あたりで今学校に軽く受取られておるところの学習指導要領、例えば社会科学習指導要領というような立場において出さるべきが最も妥当ではないかと、こういうふうに私は考えるのでありますが、その点大臣はどうお考えになりますか。
  8. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 私も文部省を預かつておる者として、ただ善意でさえあればいいとは思つておりません。その影響がどういうように及ぶかということを深く考えるわけでございますから、何かの意味でよい影響が及ぼうということを考えて、こういうものも苦労をいたしたわけでございます。委員会ということも決して考えないわけではございませんのです。委員会作つて委員会で作るというのもいいかも知れませんが、併し又委員会で作るということについては考えがまとまらんようなところもありはしないかそういう点も考えて来たわけでございます。併しお説は私も十分考慮しなければならないことと考えております。
  9. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 もう少し掘り下げますと、終戦教育三法が出て、教育勅語は無効を宣言した、それに代るべきものは慎重な態度で臨まなければならないという先輩の決定に基いて、そういう線によつて、いわゆる新憲法に即応したところの新教育というものが学校教育の面において、社会教育の面において展開されて参つたわけでございますが、大臣がよく言われるところの経済的な、更に政治的ないろいろの欠陥から確かに世相というものは混乱して来ておるし、国民の向うところというものは混沌としておる。それをまあ打開するために学校教育の面においては、具体的になりますが、各クラスとか、或いは学年、更に学校とか、それぞれの自治会において、お互い個人としてはどうしなければならんか、或いは社会人としてはどうしなければならんか、家庭人としてはどうしなければならんかということを彼らはデイスカツシヨンして、クラスクラスなりに、学校学校なりに、そういうものができ上りつつあります。社会教育の面におきましても、青年団において、婦人会において、敗戦直後というものは非常に混乱しておりましたけれども、最近ものも非常に落着いて来て、そうして青年会においても、婦人会においても、主婦として、国民として如何になければならんかということは、お互いにデイスカツシヨンして、そこにそういう守るべき道というものは形成されつつあるのであります。そういうものをずつと盛り上げて来たものが、私は真に最も国民によく実践もされるし価値あるものではないかと、そういう芽生えのある現在ですね。而も二條約が発効すると、それに伴つて、まあいろいろ見方があるでしようが、民主化の逆転とか、更に日本のあらゆる体制の元へ還る復古調というものが滔々として流れておるこの時期にですね。そういう芽生えを顧みずに文部大臣天野さんという立場において出されるということは、私は時期的に考えても、又民主主義というものを育てて行くという立場からも、どうしても納得できないと思うのですが、(「それは意見の相違だと呼ぶ者あり)各学校教育社会教育の面に育ちつつあるそういうものについて、大臣は御存じになつていらつしやるかどうか、それと天野文部大臣として出されるこの実践要領との関連性というものをどういうようにお考えになつておられるか承わりたいと思います。
  10. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 先ほど矢嶋さんがおつしやつたように、教育基本法とか、学校教育法とかというものの解説とか、註釈とかいうものだということでございましたが、私もそういう考えでございます。何かここに解説とか、註釈とかいう役をするのではないか。一般に形成されて来るのを待てばよいというお考えでございますが、勿論私も戦後そういうものが形成されつつあることはよく存じておりますが、併しそういうものを形成するのに何かの参考になりはしないか、そういう指導要領というように、文部省が上から訓令的に出すものじやなくて、ただ何かの参考にするということであつて、それでもいけないものであろうか、私はよくその点も考慮いたして見る考えでございます。
  11. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 最後に一つ。その点大臣の私は見解を諒とするのでありますが、終戦後の学校教育社会教育の面においても、これは単なる一つの試案である、参考だという立場において、まあ学習指導要領というものが出ているわけなんですね、その指導要領を書くに当つては、いろいろな人の意見というものが盛られているわけでございますが、先ほど大臣はそういう委員会を構成するというと、意見がまとまらないような場合も考えられるので、自分個人として参考に出したのだ、こう言われますけれども、そこはやはり民主主義という立場から言うと、少しはまとまりにくくても、やはり若し出されるとするならば、委員会の形式をとつて、そうして今の学習指導要領の軽い意味において出されることが、私は学校教育の面においても、社会教育の面においても、最も適当なことじやないか、こういうふうに考えておりますので、大臣においても、この問題については更に慎重検討、再考慮して頂くように要望いたしておきます。
  12. 和田博雄

    和田博雄君 今日は余り時間がありませんので、詳しいことは御質問ができませんが、事柄が非常に重要な事柄でありますので、ただ二、三私はお聞きしておいて、又今度の機会に譲る次第でありますが、特に最近になつて急にこういうものを大臣が出さなければならないような心境になられた、その理由は一体どこにあつたのでございましようか。私は非常にこれは唐突な感じがいたしたのでありますが、その点は如何でありましようか。
  13. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 和田さんから御覧になつたら非常に唐突のようかも知れませんけれども、私は少しも唐突どころではないのです。長くこれはもうやつて来ていることなんです。もうずつと前から研究して来ていることなんです。唐突に出してこういうことができるわけはございません。
  14. 和田博雄

    和田博雄君 私は新らしい憲法ができまして、そうしてまあこの憲法の実は精神というものが教育の面でも私は基本をなしておると思つております。その憲法が、平和な憲法が、実際今までその憲法の持つておる意味、それが国民の実際の生活における生活のあり方、そういつた面で今までずつと我々はそういう憲法というものの精神守つて、そうして発展させて行くようにやはりやつて来たと思う。文部省といえども基本的にそういうされ方をして来たと思うのです。その限りにおいては、これは強制でも何でもなしに、我我国民全部が納得ずくで作つたその憲法というものを、その憲法で規定しておる形のものを作るためにやつて来たと思うのです。特に国民実践要領として、私はここに問題があるのです。実践要領として日本自主独立国家になるために、今度講和ができたからと言つて、今度これがあなたの言うように参考という意味で特にこれが出される、その前提に立つて見ても、私はそこがどうも何か割切れないものが非常に残つておるような感じがするのです。私はこれは文部大臣天野でも哲学者天野でもよろしうございますが、今度のこういう講和ができたことについて、あなたが一個人として、とにかく一つ個人として、又文部大臣として国民に訴えて行く、国民自分はこう思うのだと言つてあなたが訴えろという形であるなら、私は成る程度了承できるのです。ところが一つ行政機構の長であるあなたが、国民実践要領という形で、一つの組織にいわば流される形になつて来ると思うのです。どんなうまい方法考えても、フイヒテが国民に訴えるような恰好で国民に訴えない限りは、そうなるのではないかと思う。そこに私は非常に問題が残ると思う。この点は私はもう基本的に政治というものについては、やはりお考え大臣としてどうも私は足らないのじやないかという感じがいたします。その点で私にとつては、あなたの何としては唐突でないかも知れませんけれども、私どもとして見れば、極めてこれは唐突に、こういう形のものが出て来るというふうに考えられる。もう一つお聞きしたいのは、今日僕は読売新聞を見なかつたのですが、この配られたこれと、冒頭における委員長の御質問に対するお答えについて、これは余り異なつておるというお話でありますから、内容自体について議論することはできないわけでありますが、一体どの程度に異なつておるものだか、多少これもあなたがお考えになつて総務課長とか何とかに渡されておるものと似たり寄つたりのものがあるのか、或いはこの間予算委員会において仰せになつた程度事柄なのか、そこのところは一体どういう事柄ですか。これは内容自体についても私もいろいろ意見がありますけれども、その点についてはこれだけ念を押しておきたいと思います。これは違うと言われるのですが、どの程度違うのか、その程度一つお伺いしたい。
  15. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 国民実践要領という名前も私は実は不適当かも知れません。実は新聞界の長老が私に福澤先生修身要領というのを貸して下さつて、こういうものを一つ参考にしたらどうだと私に言われた。この修身要領という言葉に引込まれて、修身要領ではないから、これは実践要領というのはどうかというような考えをしたのですが、その名前は私はどうでもよろしいのであります。一般考え方として、私の考えでは何かこういうものが参考になりはしないかということなんです。その考え方の一番の根本にはこういうことがあるのです。和田さんなどはよく御承知でしようが、戦時中或いは戦前は、国家つて個人世界とを知らないのです、ちつとも人が……。だから私は個人の人格とか、そういうことを主張し、又国家だけではなくして、国家世界国家であるということを主張して来たわけでございます。戦後になるというと、或いは個人世界とを知つて国家は知らないというような傾きがある。新聞社のかたがこの間も私に言われたのですが、もうたくさんの投書が来て、何が自分らは祖国なんだか、ちつともわからない、こういうことを言つておられる。だから私はそれに対して、現在は個人世界だけでなく、やはりそれを媒介する国家というものが必要だ、そういう観念が必要だということを自分考えておるわけなんです。そういう根本考え方で、人がただ国家だけしか知らないときには、個人の尊厳を主張し、又個人世界だけで自国を忘れるという風があるときは、自国を主張するというのは、我々哲学学徒の任務じやないかと自分考えておることがその一番の根本にあるわけであります。又和田さんの御質問の、読書に出たものと私の書いたものとがどうかと言えば、似ておるところも……、勿論その組織似ておるけれども、内容には相違があるということなんでございます。
  16. 和田博雄

    和田博雄君 個人つて国家を忘れたかどうか、この点は非常に私は意見が異なつておりますし、今この論争をやつてつたら、なかなか時間がかかりますので、そういうことはやりませんが、その点も私は少くとも独断的な面があるのじやないか、私は非常に独断的な面があると思います。というのは、実際個人があつて国家を知らないと言うけれども、人はやつぱり大きな、我々経験した戦争以後においても、それはどこの国だつて戦争後にはいろいろな思想的な混乱はあります。その混乱の中から各個人はそれなりに自分の道をやつぱり生きて来ておつたし、又生きて行こうとしておるわけであります。それならそのときに国家的なものを全部……、国家というものをあなたがどういう形の国家考えられるかは疑問でありますが、そういうことは別といたしまして、国家的なものを全然無視して、そうして生きて来たとは考えられない。やつぱりみんな生活しておる事実の中には、やはり国家的な意識というものはあるのですよ。お互い社会的な生活をやつているから、国家というものは誰でも考えている。そこの重点の置き方、政治のあり方というものによつて、或る場合にはそういうものが非常に薄くなる場合もあるけれども、併しそれを私はすぐに国家を忘れてしまつちやつて国家的な意識がなくなつたのだと言われることは、これは私は日本が新らしい憲法を持つて、その下にやつて来た我々政治家としては、どうしてもそういうことは肯定できません。併しそういう議論は別にして見ても、この内容自体が私は若しもこれが非常に違わないのだとすると、私はこれは内容自体から言つて見ても出されることが非常に、どう言いますか、我々のこの感覚と言いますか、政治的な感覚と言うか、社会的な感覚と言いますか、そういうものと非常に私は何かギヤツプがあるように感じます。抽象的に見ればここに言われておることは全く立派なことであります。例えば人格の尊重なんかその通り憲法の中にはちやんとその通り書いてあります。憲法に書いてあるにもかかわらず、そのこと自体をすでに権力の地位にあるものがみずから破壊しようとしておる現実のときに、(「その通り」と呼ぶ者あり)これをこういう形だけで書かれることは私は肯けないと思う。そこには私は非常に根本の問題があると思う。ですからこの修身訓というようなものでこれを読んでみましても、形、内容的にはいろいろな疑問もあるししまするので、やはりこの点私は天野さんが最初に教育委員が来たときに、あれを出すというときに反対された立場が、これはやはりその後いろいろ現状は変つておるかも知れませんが、あなたが最初にとられたお立場がやはり私は正しいのではないかということを、今まであなたの説明を聞き、こういうものを読んでみてもいたすのであります。何かこれは実際正直に言つてもう少し慎重にお考えになつて、殊に私は文部省というような役所の系統を通してこういうものを引つ張り出すことは絶対に反対です。これはもう一遍お引つ込めを願つて、新たにお出しになるお気持はございませんかどうか。やはりどうしてもこういうものを文部大臣の地位にあられて出されて行くようなお気持が強いのか。そこのところをよく私は御考慮願いたいと思うのですが、率直に言つて如何ですか。
  17. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) よく和田さんの御意見自分考えてみるつもりであります。
  18. 大野幸一

    ○大野幸一君 私の質問しようとする大半は和田委員によつてされたのですが、特に講和ができた機会を捉えてというような、こういう偶然の形になつて来ておる。天野文部大臣が学者自体と政治家になつてからとの心境の変化については、まだ私たちはその全部をあなたからお伺いすることはできないのであります。そこでやはり講和ができると、何だか元の日本に戻るのではないかということを本当に心配しておる。私はこの点は、この前の党代表質問においてもやつたのです。それは私は心から国民はそう考えると思う。特に天皇の点をあなたが挙げられた、而もこれが大きくアツピールされた。天皇はもう国家の象徴だということで尽きておる。それ以上論じてはいけないのである。我々はそう考える。「長い歴史を通じて天皇があつたところにわが国の特徴がある。」、これは何ですか、昔の天皇統治権の国家であつたほうがいいという印象を受けるでしよう。あなたはそういうお考えでしようか。私はもう天皇国家の象徴である、それだけ申上げて、それで十分である。それ以上天皇制を論じ合うと却つてよくない。ひいきの引き倒しですよ。私はどうしてもそう思う。天皇は戦犯である、それは常識人としてはみんなそう思いますよ。天皇陛下が戦争の詔勅を下されまして、そうして戦争を開始したのではありませんか。これは誰でも否むことはできません。併し天皇という人が自分意思によつてやられたのではない、自分意思によつてやられたというのではないというところに国民は、外国もでしよう、連合国も妥協したのでしよう。象徴という言葉に尽きておけばそれでよいと、こうなつたのだと思う。ところがこれは「天皇の地位は国家の象徴として道徳的中心たる性格を持つている。」、天皇のお言葉は即ち道徳観の中心だと言つて、これから進んで行つてよいのですか。こういうようなことを考えると、実はあなたの御思想自身が、もう民主主義……、これからの発展に役立つかどうかということは疑問です。(「その通り」と呼ぶ者あり)而も「国家の倫理」ということ、これも仮定ですからわかりませんが、あなたは「国家は道義を生命とする、国家の本質は政治的、経済的な性格よりも深く倫理的性格に基礎をおいている、」、それならばあなたに問いたい。近頃の文部省に関する不祥事件は何ですか。文部大臣として第一に、本当に倫理的の道徳観があつたら潔よくやめたらどうです。私はこの前の委員会において、あなたは弁護士であるから、文部省の大豆事件を一つつたらどうかと、こういうことを言われたのですけれども、私は弁護士は人の罪をあばくものではなくて、弁護するものだと思つておる。どうも私は今の社会から来る、犯罪のよつて来るところは、あながち政治的、経済的の関係からのみ犯罪というものが起るのではない。それをただ倫理的にこうだというなら、むしろ私はあなたの性格に従つて……文部省自身の不詳事件についてはあなたは何らの弁解もされず、責任もとられない。それであなた自身倫理観念、道徳観念を説いてやつたつて何にもならない。あなたが潔よくやめてから、そうしてこの要領か何かを発表されるならいいけれども、あなた自身が独断の見解に私は陥つておると思います。この間衆議院の人も参議院の人もいらつしやる或る委員会の理事会がありましたが、たまたまこのことが問題になりまして、自由党の人でありましたが、甚だ軽率であると言われたから、文部委員会でそういうことを取上げることになつておるから、天野文部大臣もそうわからない人じやない、恐らくやめられるであろうと言うと、そうじやない、天野文部大臣はこれを発表して、今世間の輿論の反響を見ておられるのであろう、こう言われた。この反響によつてやめられるだろうと私は考えておる。こういうことは本当にやめて頂きたいということを私は一つ念願します。今日はあなたも大変お忙しいようでありますし、そうして又他からも発言者の要求がなされておりますから、私は一応これで終りますけれども、これについては更に細かくあなたとの間に御論争を交したいと思う。問題を保留しつつ私の質問を終ります。
  19. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) よく御意見は私も考てみる考えでございます。
  20. 高良とみ

    高良とみ君 大臣終戦後の思想に御心配になることは私どもも誠に同感でございますが、そうかといつて、それのよつて来るところは、日本の今までの教育が非常に抽象的、概念的であつて道徳上の考えなど概念に終つてしまつて、骨だらけのごつごつした、そうして実践の伴わないものになつておるところに今日の問題があるのではないかと思うのであります。で、この実践要領或いはこういう御趣旨というものを伺いまして、苦慮なさるところはよくわかりますが、私どもとしてはどうか一つ肉付けのある、そうして生きた国民の本当の栄養になるような、人間天野としての御体験から溢れたものをお書きになつて頂きますと、青年層にいたしましても、婦人層にいたしましても、或いは児童にいたしましても、これは非常に消化しやすいのでありまして、その点をお考えになつておられるかどうか。殊に日本教育や政治或いは経済、文化というものは、みんなばらばらになつて分離状態にありまする中に、更に文部省の系統を通してこういう概念をお並べ頂いたものが若し御発表されるとしますと、これが受入れられる層は大体考えられますが、これを受入れないで、これに反撥して行く青年層或いは一般の経済界、或いは政治家というものを考えますると、誠に惜しいと思うのでございます。フイヒテにしても、カントにいたしましても、みんな肉のある、そうして長く残つて本当に噛みしめれば噛みしめるほど味のあるものを残されておつたところに本当の文化があつたと思うのであります。若し天野さんがお書きになります小さな原稿の中に、ああいうところにああいうふうに言われたというところが、青年団とか、或いは学校の学徒などの中に伝わつておることは、具体的であるということです。非常に肉付けがあつて、ゆとりがあつて、又潤いがあるということであると思いまして、この行き方については文部省としてもこういう概念を流して行くということは、更に古い教育の仕方であるということについてお考えがあつたかどうか、お伺いしたいのであります。
  21. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 私もそれは成るほど概念的と言われればそうでございますが、それだからしてただ徳目のみを並べるのでなくして、幾らかの説明をそこへ付けておく、そして又できればそういうものの解説書を書こう、やめたらば書こうか、それをやることは一つの倫理学体系でございますが、そういうものを書こうと自分は思つてつたのであります。ただ要するに私も文教の位置に立つて、何かもつと今の社会に貢献することはできないかという考えからそれを出して、それが悪いということがどうも私には今までよく呑み込めなかつたのですが、併し皆さんのお考えもあることですから、よく考えてみたいつもりでございます。
  22. 高良とみ

    高良とみ君 もう一点。前からこの文部委員会におきましては、文化の中心としての宗教、広い意味での宗教的淵源について随分強調して参つたのであります。宗教教育或いは道義の源泉としての義という面をたびたび御希望申上げたのでありますが、それについて天野さんは哲学の面から、よく実践方法がわからないから、案があつたら出せとおつしやつて下さることについては敬意を表しておるのでありますが、そういう悩みを持ちながら、日本の文化が宗教に対して一抹の敬意を表しながら探つており、或いは迷いを出しておるということで、源に上らないところへ持つて来て、私は道徳要綱というものを天皇の神格或いは道徳的象徴としてのところに逃げて行かれることを非常に淋しく思うのであります。どうぞその点で、やはりどこまでも肉付けのある、又世界の認めておりますところの、文化価値のある、宗教面にも探りを入れた、悩みのままの姿をお出しになつて頂くことを希望したいのでございますが、如何でございましようか。
  23. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) それは総務課長に聞くところによりますと、私が宗教のことをその中に入れてあるのを省いておるということであります。私もよくそのことを考えております。自分はやはり歴史というものの根本に、そういう一つの絶対者と申しましようか、そういつたものが横たわつておるということを常に考えておる人間で、それに対しては敬虔な悩みを抱いているということを自分自身考えておるのであつて、決してそれを拔かしてあるわけではありません。何かそれが拔かしてあるということを総務課長から……。
  24. 岩間正男

    ○岩間正男君 私は簡単にお聞きいたします。あとで詳しく予算委員会で聞きたいと思つております。要点だけお聞きしたいのですが、こういうものがないので、道徳的混乱が一体起つていると考えていられるか。社会道徳的廃頽、そういつたものはこういうものがないということが原因になつているとお考えになつているのか、これが一つ。それから第二の問題は、この前の予算委員会でも、只今の文部委員会でも、どうも独断的にいろいろこういうことをされることについては、これは徹底的に出ておると思いますが、特に大臣がなおこれを出される。こういう立場をとられるとすれば、どうしてもそれをなさなければならないというような何か拘束でもあるのですか。例えば文教審議会なんかへ大臣が出ておられて、そこでこういう問題が常に諮られておるようでありますし、新聞記事なんかでこういうものと関連があつて何か約束でもされたのですか。或いは吉田総理、或いは又その背後の何かそういうものとの関連があるのですか。この二点だけお聞きしたい。詳しくはあとでやります。
  25. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 第一の点については、こういうものがないから、この世の中がこうなつておるという考えは毛頭持つておりません。又こういうものを出せば世の中がそれですぐよくなるという考えは持つておりません。ただ何かの参考になりはせんかということであります。第二点は、私はどこからも何も束縛を受けておりません。
  26. 高田なほ子

    高田なほ子君 私はこれはちよつと三十分や四十分の論議では尽せないと思います。私も前々からいろいろこれを実際に拝見したりして、幾多の疑問があつて、非常に天野さんに聞きたいことがたくさんあります。それから前提になるところは民主主義社会の形態とか、性質とか目標というものがはつきりされた上で、その中でこの国民実践要綱の占める役割の認識ということが私は大きくかかつて来るのではないかと思います。そういうようなものについて、いろいろお伺いしたいのですけれども、とてもそれは三十分や四十分というわけには参りませんから、私は本質的にこれはもう非常に反対の意見を持つのですが、一応天野さんも某新聞によれば、大臣をやめても、何でもかんでもこれを出すという実に確固不拔な精神を吐露されておるのであります。それであればあるほど、やはりもう少し論議の時間を交したいと思いますので、改めて時間をとつて頂く意味において、委員長のほうからお諮りを願います。
  27. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 新聞に出たならば、すぐそれが全部私が言つたのだということでは困るので、私はそういう職をやめるとか、どうするとか、そういうことを言つたことは曾つてございません。又道徳の中心と言つたようなことはございません。そういうようなことが必ずしも新聞紙の伝える通りとは言えませんから、私もゆつくり御懇談を願つて、私の考えを述べて、私が悪いとすれば、私は何もどこからも拘束をされておるのではないので、それは皆様の御了解を頂けると思います。文部行政を引受けた際にどこからも拘束を受けておりません。
  28. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは大臣の退出される時間も参りましたので、本日はこれでやめまして、更にこの問題について続行して質疑を重ねることにいたします。本日はこれを以て散会いたします。    午後零時五十七分散会