○
参考人(
宮崎松記君) これは具体的に
お話をしませんと、ただ抽象的な話をしましても御理解が行かないと思いますから、例を挙げて
お話しましたほうが却
つてはつきり御理解が行
つていいと思います。
癩患者の
収容の如何に困難なものであるかという例を一、二申上げます。これは最近
熊本県下の某村において起りました事件でありまして、本園野
医官が参りまして癩という診断をいたしまして、県衛生部から
収容の通知をいたしたのであります。ところがこの
患者がたまたま村長の甥であつたというために、衛生主任の報告によ
つてその村長の甥である
患者が
収容されたのであるということになりまして、衛生主任は村長から職を罷免されたというようなことがあるのであります。こういうことでありまして、現実の問題としまして、癩の
事業に携わる者は職を賭す覚悟がなければ、徹底的な仕事ができないというふうな実情であります。それからもう一例は、これも
熊本県下某村において起つた事件でありまして、
収容の通知を受けました
患者が、自分が癩であるということがわかつたのは、衛生主任がこれを県に報告したからだということを逆恨みいたしまして、一家謀殺を企てて、ダイナマイトをその衛生主任の家にぶち込んだのであります。幸い傷害で済みまして、死亡には至りませんでした。これは検事が直ちに起訴をいたしまして、現に私の所で
収容いたしております。第一回の公判を九月の末にやりました。第二回の公判をこの十日にやることにな
つております。こういうことでありまして、いわゆる癩のフイールド・ワークというものは、なかなか普通の事務的な仕事ではできませんで、これに当る者はへなへなのへつぴり腰ではなかなかできませんので、
相当強い信念と熱意を持
つていなければできないのであります。それからこの
収容の責任を持
つております県の
職員は、場合によりますといろいろな圧迫に会うのであります。
収容しては困るということで、政治的な圧迫を加えて参ることがあります。それで
熊本県ではこの
保健所とか地方の衛生当局にはやらせませんで、直接県当局が癩問題に限
つては末端機構にやらさないで、県自体がやるということにいたしておるくらいであります。こういつた非常な苦心と努力を払いまして、
患者を
療養所に送
つて参ります。折角これだけの苦心と多額の経費とを使いまして送
つて來た
患者が、十人が十人とも
療養所に落ち着けばいいのでありますが、ときには十人に一人、二十人に一人脱走して郷里に帰
つてしまうようなことがあるのであります。そういたしますと県当局としては、四囲に
感染の危険ありとして
収容命令を出して
収容した
患者でありますので、
国立癩療養所から勝手に出てしまつたということで、
収容所当局は県並びに
関係の向きから非常に責任を追究されて参ります。これは尤もなことであります。併し
癩療養所は刑務所ではありませんので、
職員も僅かでありますし、そういつた拘束の
設備を持
つておりません。飽くまで病院でありますので、この逃走を積極的に防止するということは、現実の問題としては絶対的に私
ども保証できない事情にあります。なおこの
癩予防法によりまする懲戒検束野規定が、最高検察庁ではや
つてもいい、憲法違反ではないという方針はお示し頂いたのですが、施設における現場におきましてはいろいろな問題が
考えられまして、思うように
癩予防法に規定してありまする懲戒検束規定を適用ができない事情にあります。それと一方
患者のいわゆる自由主義のはき違えで、
癩患者といえ
ども拘束を受けるいわれはない、自由に出歩いた
つて何ら咎むべきでない、
結核患者を見ろ、同じ
伝染病で、
結核患者は自由に出歩くことができるのに、
癩患者が出歩いてはいけないというようなことはないというようなことを申しますような
状態であります。これにつきましては
一つ国のほうで十分お
考え下さ
つて、如何にしたらこの
療養所がこれを完全に断行し得るかどうか、これは十分お
考え願いたいと思います。
それから
癩療養所の問題でありますが、これは
癩予防法制定当時は、先刻申しましたように、浮浪徘徊の
患者を
収容いたしておりまして、極端に申しますれば、病院じやなくて
収容所だと、
光田先生などはその当時御
経験にな
つておりまして、どうお
考えに
なつたか知りませんが、私
どもから申しますれば、その当時は病院でなくて
一つの
収容所に過ぎなかつたという感じを持
つております。そういう伝統と申しますか、歴史と申しますかが禍いいたしまして、現在の
癩療養所もまだ十分病院の形を整えませんので、むしろ一部
収容所の感があるのであります。でそれと申しますのは、今
癩療養所の運営の実情を申しますと、運営の大部分を
患者の精神的並びに肉体的の労力に依存しておるような現状でありまして、結局実力を持
つておりますので、実際の運営面に
患者が大部分干与いたしておりますので、遺憾ながら運営の実権を
患者に握られておるような結果にな
つておりまして、施設の運営上この点が致命的な欠陷とな
つております。さつき
光田先生からも
お話のありましたように、
患者の対立抗争、延いては園の施設上の非常な支障になることが往々にしてあるのであります。で
癩患者も現在におきましては、私
ども結核と同じように取扱いまして、
癩療養所も病院的な性格をこれから十分持つようにいたすべきであると
考えております。
患者の看護や
治療の介抱などは、当然この際
職員の手でやるようにして頂きたいのでありまして、現在の
全国療養所の実情は看護や
治療の介抱或いは付添、そういうようなところまで
患者の手を借りなければ
国立癩療養所は運営して行けない実情にあるのであります。実に情けない
状態でありまして、私はこの
委員会の席上、
委員の皆さんが十分この実情を御認識して頂きたいのであります。時間がありますれば、具体的なことを詳しく御
説明申上げたいと
思つております。
職員の定員に一例を挙げて見ましても、丁度道を
一つ隔てまして隣りに
国立結核療養所の再春莊がございます。この
患者収容定員は七百七十名でございまして、惠楓園の
患者収容定員は千七百名でございます。その
職員の数を比較して見ますると、七百七十名の
結核の
療養所には二百五十七名の
職員がいます。千七百名の
収容癩患者に対しましては百七十三名でありまして、これでや
つて行けということであります。医師一人が百七名の
患者の
治療に当らなければなりませんし、看護婦は一人当り三十四名の看護を受持たなければならないという実情にあります。この癩の隔離の問題で十分
根本的に
考えて頂かなければならない問題でありまして、私
ども今までただ癩は隔離するということでよ
つてまいりましたが、
只今患者の自覚と申しますか、そういうことから同じ
伝染病である
結核は、私の所には丁度道を隔てて隣りに
国立の
結核療養所があります。そこの
患者はまあ出て歩く。併し事
癩患者になると一歩この境界を出てもつかま
つて懲戒検束をやるとか、周囲からやかましく抗議をされるというのはなぜかということをたびたび質問を受けるのであります。何故に
癩患者は隔離しなければならないか、隔離を以て臨まなければならないかという、
結核患者はなぜ隔離しなくてもいいかということの
根本問題を
一つはつきりして、私
どもは隔離の
根本理念を確立して頂きまして、
患者が如何ように申し参りましても、こういう方針だと私
ども確信を以て
患者の隔離を断行できるような理論的な裏付けをして頂きたいと思います。
癩の
治療医学は最近非常に進歩して参りまして、林
園長も
お話になりましたように、私
ども今までにない画期的な希望を持
つております。併し何んと申しましても癩の特異性がございまして、癩のこの病変は体表面に主として病変が起りまして、このために癩が或る
程度進みますれば、物資欠損が起
つて参りますし、又畸形を生じて参ります。それから強度の瘢痕が出て参りまして、如何に特効的な
治療薬ができましても、すでに欠損した身体の一部分は再生して参りませんし、畸形に
なつた部分は元に復するということは困難であります。結局或る限度を超しますと如何に癩を
治療いたしまして、私
どもが
医学的にこれは治癒したと申しましても社会復帰ができない
状態になります。結局
医学的には治癒することになりましても、社会的復帰ができないということは、不治と同じであります。今まで癩が不治だ不治だと言われましたのは、社会復帰のできないような
状態の
癩患者を持
つて來て、これを治せと言われますと、たとえ私
ども医学的には治つたのだ、
黴菌もいなくなりますし、十数年或いは何十年と病症は停止いたしまして
臨床的には癩そのものは治つたと言
つても社会復帰のできない
状態でありますと、それを
癩療養所から解放することは事実上できない、從
つて不治だという
考えを与えておるのでありまして、やはり癩の初期に、そういつた治りましたならば直ちにこれが社会復帰のできるような国としての措置をと
つて頂きたいと思うのであります。私
どもがまあこれは治つたと、それで私はこれは対社会的治癒と
医学的な治癒と申しておりますが、対社会的な治癒と申しますれば、同時に解放、社会復帰のできる
状態に
なつた治癒を対社会的な治癒と仮にそういうふうに名付けておりますが、これは早期に入れば入るほどそういつた治癒率が高ま
つて参るのであります。癩の自然治癒ということは決して不可能ではないのでありまして、私
どもの
経験からしましても、それほど特効的な治癒をしないでもかなり治
つて参るのであります。戰争中傷痍軍人癩を私
ども取扱いましてこのことがかなり私
どもはつきりしましたと思います。由來傷痍軍人
癩患者は、当時軍隊におりまして、軍の衛生管理下に置かれておりましたために、早期に発見されて強制的に
療養所に後送、送致されて参りましたために非常に、いわゆる治癒率がよかつたのでありまして、私
どもは十七・八%だけ対社会的の治癒をさせて退所せしめた
経験を持
つております。併しどうしてもこれはさつき
光田園長からも
お話がありましたように、癩といえ
ども再発がないのじやないのでありまして、約十五%の復帰がありまして再び入所いたしております。或いはもつと多いかも知れませんが、とにかく再発をいたしまして帰
つて來たのが約十五%であります。
それから
予防効果の問題でありまするが、私は癩は努力すればするほどそれに比例して効果が挙るものだと
思つております。反対に折角やつた
癩予防対策も中途半端なものでありますれば、いつまでも解決いたしませんで長く禍根を残す。癩問題はやるならば徹底的にやるという方針をと
つて頂きたいと思います。いつまでもだらだらや
つているのは禍根をいつまでも残すだけでありまして、この際若しおやりになるならば徹底的にいわゆる完全
収容、
根本的に解決をして頂くということにして頂きたいのでございます。よく隔離の効果についてノルウエーが挙げられますが、ノルウエーは今から百年ばかり前にあの小さい国に三千以上の
癩患者があつたと言われております。併し有名な癩学者のハンゼン以下
関係者の非常なる努力によりまして、漸次減少いたしまして最近ノルウエーのベルゲンの第一病院からの便りによりますと、リーという有名な病院長が歿くなりまして、現在はネルソンという院長でありますが、その院長からの便りによりますと、現在ノルウエーには十二名の
癩患者がおる。そのうち十一名は病院にお
つて、ただ一名が未
収容、在宅だということであります。そしてこの数年間に新患はただ夫婦の
患者一組だけだつたという手紙が参
つております。こういうふうに、努力さえすれば癩問題は解決するのでありまして、私はこういつた手紙を
日本の癩所長から外国の癩の所長に大きな顔をして書くときが來ることを夢に描いております。もう
日本にはすでに十二名の
患者しかない、そうしてそのうちの十一名は病院におるが、ただ未
収容は一名だというような手紙を私は諸外国に出し得る日の
日本にも一日も早く來ることを熱望してやまないのであります。
それから癩の増床計画は、私これは
結核の対策と不可分のものと
考えて頂いてもいいのではないか。癩は努力さえいたしますと漸次なくなりますし、癩がなくなりますれば、この施設は直ちに
結核に転用できると私は思います。惠楓園の隣りにはサナトリウムがありますが、若しこの
患者がなくなりますれば惠楓園の施設は全部を挙げて
結核施設に転用できるのでありまして、その意味でも癩だけだというのでなくて、
結核対策と不可分にお
考え下さればかなり予算的な問題も解決できるのではないかということを
考えております。
それから名称改変の問題でありますが、アメリカではすでにハンゼン氏病というように一般に申しております。癩は
結核と同じように慢性
伝染病であるにかかわりませず、癩に対しましては昔から宗教的、迷信的な偏見が付きまと
つておりまして、天刑病だとか、業病だとか、
遺伝だとか、不治だとかいうような特殊な
考え方が一般に支配的にな
つております。從いまして
患者自身の苦痛は、
病気による肉体的な苦痛だけでございませんで、
患者自身は勿論、その
関係者はこういつたような特殊観念に基きまする対社会的な重荷に苦しんでいるような実情であります。癩に起因いたしますいろいろな悲劇、これは新聞の社会面の深刻な記事として問題になります。いろいろな癩の社会的な悲劇はすべてここに胚胎しておりますので、このような偏見を除去いたしまして、癩を一般に科学的に認識せしめまして、こういつた
癩患者の対社会的な重荷をと
つてやるということも、癩問題解決の大きな私は役割だと
考えております。癩も
結核と同じように慢性
伝染病でありまして、私
どもはさつき
小林所長からも
お話がありましたように、
感染と発病は別個だと
考えております。從いまして戰争にでもなれば
結核が殖える、軍公務に関連して
患者が殖えるだろうということは当然予想しておつたのでありますが、果して日華事変勃発以來、太平洋戰争終結まで、
相当の軍人
癩患者が出まして、私個人の推定では約六千と推定いたしております。戰時中は軍当局並びに恩給局当局も、癩発生の軍務起因性を認めまして、これまで癩は二等症である、癩は軍勤務に
関係がないとして何等恩給法上の恩典に浴していなかつたのでありますが、今次戰争の
経験によりまして、
癩患者の、癩発生の軍務起因性が認められまして、今後
結核と同様に一等症として
癩患者も恩給の恩典に浴するように
なつたのであります。戰争の影響によりまして癩の増加することは
從來の歴史にも見られていますことでありまして、戰争中並びに戰後におきましては当然癩が増加するであろうということが
考えられます。併し戰争
状態の回復に從いまして癩も又当然減少して來るとは
考えますが、この際
癩予防対策の度を決して緩めないように、最後の完全
収容に向
つて努力を傾注して頂きたいのであります。
それから
貞明皇后の
記念事業の運営につきましては、私はこの前の
癩予防協会の
経験からいたしまして、折角募金なさつた多額の貴重な寄付金は、幾ら多額でありましても、これを経常的に使いますと限りがありますから、折角のこの募金は、私は臨時的な費用に充てられまして、これで
根本的な施設をして頂く、そうして経常的なことは社会保障なりその他の費用で出して頂くように御計画なされることが賢明ではないかと、こう
考えております。
国立癩
研究所の
設置につきましては、私
どもも大いにお願いいたしたいのでありまして、是非これが早急実現を図
つて頂きたいとお願いいたします。
それから最後に
癩患者の行刑問題でありますが、
厚生省の努力によりまして、法務府もいよいよこれをやることになりまして、
只今惠楓園に癩刑務所を建設中であります。昭和二十七年度から法務府は癩に関する行刑の業務を開始することにしておりますが、私
どもいろいろなことが予想されるのでありまして、たとえ癩刑務所ができましても、この癩の行刑を徹底させますためには国といたされましてもいろいろな点で十分なる準備と考慮を払
つて頂きたくお願いいたします。
詳細具体的なことは時間がありますれば
懇談の席で申上げたいと思います。以上であります。