○
証人(
浜野規矩雄君) 私は今般
証人としてお招きにあずかりました者の中で
学者にあらざる者の一人であります。私に対しまする
証言は、先ほど
委員長からお話のありましたように、
BCGが
予防接種法に載りましたときのいきさつその他をお話申上げ、
あと只今ありましたような私の
意見を述べて見たいと思うのであります。
私が
結核に関係をいたしましたのは
昭和七年であります。二カ年間の国際連盟の交換留学生で欧米に行
つておりまして、つぶさに
結核を調べて参りました。この期間におきましては、有名なリユーベツクの
ツベルクリンのあの事件を真近に見てお
つた一人でありますが、日本に帰りまして、図らずも
結核のほうの担当主任を命ぜられまして日本の
結核の実情を見ておるときに、全く暗夜に灯を見るがごとき実情であ
つたのであります。これに対しましては、何とかして
結核を治さなければならんということで、国際連盟が、
国民一人に対して一円の
結核予防費用が必要だという実情におきまして、にほんでは僅かに
国民一人に対して
使つてお
つた費用が五銭三厘九毛、これは私の頭から死んでも抜けない数字であります。この金で
結核が如何にして防げるかということでありますが、そのときにおきまして、日本で早くと
つた結核の
予防治療というものは、石油を飲むと
結核が治る、この石油が実に猛烈に出まして、石油の株が上
つたくらい石油を飲んだものであります。私のおりましたときに、或る会社から石油をすでに一石飲んだ、まだ飲んで差支えないか、衛生当局の
意見を問う。これがその時分の
結核の実情であります。
昭和十年に初めて
結核の
予防宣伝をいたしまして、津々浦々に
結核予防の教育をしたのでありますが、なかなか今の実情とは違
つたものであります。その頃
昭和十二年
長興先生が
結核の
予防のために
BCGをや
つたという話がありまして、そのときの
予防課長高野六郎先生がそれに
出席されましたので、私は若き内務省の衛生技官といたしましてこれに列席いたしました。あちこちの国で
BCGが失敗しておるときに、ましてリユーベツク事件のあ
つた後に
BCGを再び取上げられることは困るというので、反対
意見をすつかりいろいろな方面からまとめまして、若さの至り、これに臨んだのであります。そのときは早速反対を述べましたときに、
長興先生がちよつと待て、この会は
BCGをどうこうでなくて、何とかして、これらの立派な菌をどうかして立派にして、日本の
結核予防に役立たせたいんだ。これがこの会の趣旨であるというお話をいたされましたので、若気の至り、非常に恥ずかしく思いまして、引下
つたものであります。その後、
学術振興会が鋭意
研究されておりますが、これを傍らでときどき
出席し、又
委員各位のお話を聞いておりますと、
本当に
結核に取組んで、今
戸田証人からお話のありましたように、
ツベルクリンの見方、やり方、それから始められまして、みんなが
結核に取組んで
研究されたものであります。こういう
研究をして、私は若き衛生技術官の中におきまして、未だ曾
つて見ざる真剣なる
研究でありまして。えて
学者の一人の人が何かすると、片方でけちを付けたがるのが常であるとジヤーナリストその他の人から聞くのでありますが、この
研究の全部が集められまして、お互いに
研究を持ち寄り、お互いの議論を戦わし、そうして一歩々々みんなが同じ顔になり、結局伝染病
研究所の
ツベルクリンをスタンダードにして、この
研究がみんなで行われたのであります。その結果が、この
厚生委員会の書類に書いてあります報告とな
つて出たものであります。その頃私は、
結核の主任技師から軍事保護院の医療課長になりまして、傷痍軍人の
結核患者の
治療に当
つてお
つたものであります。ここには若き女性が
看護婦として傷痍軍人のためにたくさん出ておりました。これが殆んど
ツベルクリン陰性であります。この
看護婦さんたちをどうかして
結核から護りたいというのが私たちの一番の念願でありますが、たまたま
長興先生と雑談をしておりましたときに、先生は如何にも言いにくい顔をして、希望する病人には
BCGをさし、余り乘気でない者には黙
つて見送
つて、君、調べて見てくれないか、こういうことで私も黙
つて調べて見た。その数字はやはりワクチンで取上げられまして、発病を二分の一に抑制し、死亡を八分の一にした、その数字はぴ
つたり合
つておるのであります。丁度現在の報告は十八年の報告であります。戦争がますます盛んにな
つたのであります。終戦後私は図らずも
予防局長の重責に就いたのでありますが、その時分の日本の衛生状態というものは何とも言えない状態でありました。小さな部屋の中にたくさん住み込んでおります。また急性伝染病、特に日本では私はその時分まで大正十三年から
昭和二十年までかれこれ二十何年になりましようが、この間一遍でも日本国内で発疹チフスなんかを見たことがないのであります。コレラとペストは私
自身手がけたことはありませんし、発疹チフスは日本で手がけたことがないのであります。これが国内に蔓延をいたしまして、如何にしてこれを防いだらいいか、このときに発疹チフスのワクチンによりまして、戦後はDDTによ
つて風を退治しまして、現在においては極めて少数の流行があるだけにな
つたのであります。同時にチフスその他のワクチンをいたしまして、伝染病は急激に減りました。日本始ま
つて以来一番少ない時代になりましたことは、お手許に差上げました表を御覧頂きましても如何に減少したか、明治始ま
つて以来の伝染病をこの
予防接種によ
つて防ぎ得たのであります。一方、
結核は依然として蔓延をいたします。ただこのほうは唯一の
予防方策を講ずるよりほか構ずべき
方法がなか
つたのでございます。同時に各家庭におかれましても御推察になればわかるのでありますけれ
ども、小さな部屋に五・六人、七・八人乃至は十何人、何家族というものが、その家の中に入りまして、そうしてこの伝染の機会が実に憂うべきものがあ
つたのであります。かたわら
結核予防会におきましては、その後
学術振興会におかれましてもどしどし
BCGに対する
研究をいたして、これによ
つて日本の
結核を何とかして
予防し、国の療養に関する資料を整備して努力したい。これが
学者の務めであるという
意味におきまして、極力これにつきましては日夜を分かたず
研究されました成果が、お手許に配られてあることと私は確信するものであります。そのような関係で、私たちは急性伝染病にとつ組むかたわら、
結核にもとつ組んでお
つたのでありますが、急性伝染病の
予防接種法を立案いたしております最中におきまして、議員方面、国会方面より
結核の対策にはこの
予防接種、
BCG以外に
方法はないじやないかという
意味の、たびたびの御注意を非公式に頂戴をいたしまして、そうして私たちはこれに対してより以上又
研究をいたしまして、
予防接種法として提出いたしまして、御可決を願
つたのであります。その項の
結核と申しますものは、お手許に上げましたように日本始
つて以来の猛烈なものでありまして、人口一万に対して二八・三という推定数を
出しております。私たちが一番
考えましたのは、衛生技術官として国家のために一番
考えるのは
国民一人といえ
ども病気にかけないで、それをお治しすることであります。お手許に配りました各国の
結核の表がありますが、第一次欧洲戦争のときにおいてドイツが要するに
国民のこの力が欠けまして屈服したときの、ドイツの
結核の死亡というものと、その時分におきます日本の
結核死亡を比べてみますと、日本のほうが遥かに多い。ところがドイツは僅か五年足らずして
結核を撲滅し得ております。ドイツ人は偉大な
国民であるということを、私たち衛生関係者並びに各国人はこれを認めるのであります。今度日本が第二次欧洲戦争におきまして各国から注目され、加うるに日本の
結核は世界に冠たるものがあるのでありますが、これが数年足らずして
結核を防ぎ得るならば、
結核の
死亡率を減少させ得るならば、日本の復興に寄與すること極めて大なるものがあるのであります。日本人に対する信頼感、日本人に対するいろいろなものに対しましては、極めてこれを
考え得られるのであります。こういう
意味におきまして、衛生秘術官は、
結核に対しましては、血みどろにな
つて、これに向
つておるわけです。これは御
承知の
通りぐんぐん減りまして、日本始ま
つて以来、人口一万に十の数字を割ることになりました。この十の数を割
つたというのは、僅か五年乃至六年に割
つたものである。これは何が原因したか。これを静かに
考えてみればいいのでありますが、こういう数字をもたらします。私たちは何とかして早く
結核を少くし、そうしてこの各家庭から、混み合
つていて、とても家なんかできないのでありますからして、そういうところから防ぎたい。これには長年の
学術振興会のあの真摯なる態度においておやりにな
つた接種、並びに私
自身が体験をいたしましたこの
接種等を相顧みまして、これを議会に提
出し、これを縷々皆さんがたの御質問に応じましてお答え申上げたのであります。そうして御可決を願
つたものであります。この間の
BCGに対します反対は、私のところにはどこからも
一つもございませんでした。公式には
一つもございません。ときどき二三、
学者にあらざる人のいやがらせ式と申しますか、取るに足らないとい
つては失礼でありますが、そのかたは熱心にや
つておられるのでありましようが、
学者としては
一つも私のところにおきましてはございませんでした。私は、一昨日、そのときの
予防課長でありました金井埼玉県衛生部長に特に来て頂きまして、君のところはどうかとい
つて私は聞きましたが、金井部長も同様に、こういう
BCGに対しての反対の
意見はなか
つたということを確言しております。こういうような関係で皆様方によく御説明を申上げ、又議会の答弁書にもございますように、
予防接種をいたしますと、これを以て
結核を
予防し得ること、同時にそれに対しては細心の注意をする、並びに心配はないということを申上げまして、これを可決いたして今日に
至つたものであります。私はその
予防接種法の中に制定せられましてジフテリヤの
予防接種のため、京都で八十有三人の尊い
子供さんを亡くしましたことに対しまして責任を
感じ、職を退きましたが、退くや同時に、私は
自分が作りました法律その他に対しましては絶対の責任を未だに
感じます。かるが故に直ちに
臨床家の群に入りまして、極力その行方を見てお
つたものでございます。私が奇異に
感じましたものは、
自分で聴診器をと
つて一人一人来る
結核患者に向
つて、町の隅で見て参りますというと、驚くべきことには、これら来ます青年が実に
結核に対する知識の非常に豊富なことであります。同時に私の口からは言いにくいのでございますが、開業医のほうがどつちかというと、時代に遅れておるのじやないかというような
感じを持
つたのであります。同時にこの頃になりましてストレプトマイシンというものが盛んに使えるようになりまして、
ツベルクリン反応をせずして、熱があれば直ちにストレプトマイシンを注射するような時代であります。
結核に対しまする正しき観念というものが、この
BCGをするための
ツベルクリンのこの注射によりまして、小さな連中が
本当に
結核を理解した。いわゆる衛生思想に目覚めた
子供であり、青年であり、大人にな
つてくれつつあるのであります。この
意味におきまして、私たちが
予防接種法を制定し、
ツベルクリンを以て
結核の有無を調べ、そうしてその人に向
つてBCGをや
つて来たことにおいては、私は何ら今日までこれに対して皆さんに頭を下げてお詫びしなければならないというようなことを
一つも
感じないのもであります。それで
BCGの
効果におきましては、逐次これが伸びておるということも、死亡数の減少においてはつきりと見るものであります。伝染病を取上げて言うならば、お手許に配りましたように、
予防接種した者はすべて皆下り坂であります。
予防接種していない者が常態においては上へ上が
つております。そういうような関係でありますが、この伝染病もまあ世間から言うならば、隠蔽があるのじやないかというようなことが
考えられますが、私
自身患者をみまして、チフスの
減つたことは物すごいものであります。この話を私が或る日、ずつと前から……進駐軍関係者と
本当に何年振りかで会いまして、全く安心したということを申しましたときに、進駐軍関係者は私に手を伸べて、
本当にそんなに減
つていますかと言う。減
つておりますよと申しましたが、まだまだ何か隠しておるのじやないかというような
感じを持
つてお
つたのじやないかと……、このこと自体、私は非常に不愉快に
思つてお
つたのでございます。我々が公明正大に伝染病と闘い、そうして私たち衛生技術官はこれに向
つて血みどろに取組んで今日までや
つて来たのであります。その結果何ものにありや。
予防接種そのものによ
つてできたものと、私は確信し得ると思うのであります。同時に
BCGによりまして、
結核がぐんぐん下りました。日本初ま
つて以来下りました。ドイツの下り方よりもまだ日本のほうが下
つておる。ドイツは賠償金の中から
結核のために費用を割いてもら
つた。日本は割いてもら
つておりません。日本独自の金でこの
BCGを取上げようということは国会方面から出た声であります。又そうして、それを見事に
国民が遵奉してくれました。そうしてこれがよい
成績を挙げておるのであります。これに対しましては、
国民は信頼して
BCGをされ、そうして一日も早く国から
結核をなくすことは、即ちそれは日本の
国民が衛生に目覚め、優秀なる民族となるということを裏書きする大きなものであると、私は確信するものであります。石油で
結核が治ると言われていた
昭和七、八年頃と、現在の日本の状態を見ますと、うたた感慨無量なるものがあります。それだけ科学的にな
つた。でありますからして
本当に科学に立脈して作られた
BCGである。それに向
つて本当に真剣に取組んでおる日本
学術振興会のお歴々に私は深く感謝するのでございます。そういう
意味におきまして
BCGの
効果につきましては、あらゆるものを見ましても、私はこれに対して何ら疑いの余地を持たぬ。又法律を制定いたしました責任者としまして、私は未だに心安らかに思うものであります。これが私が法律制定に当りましたときの気持であり、現在になりましての気持であります。各項目について二三申上げて見たいと存じますが、
BCGの
効果については只今申上げました
通りであ
つて、何ら私は疑いを持ちません。ただ巷間伝えられますところによりますれば、
BCGがきいたのでなく……金沢でありますとか、札幌でありますとか、栃木でありますとかというものの資料を議会に
出しまして、そこの青壮年に
減つたことを私たちが申上げましたが、それは工場が閉鎖されたり、あらゆるもの、みんなが疎開したから減
つたのであるという
言葉をよく聞くのでありますが、日本全体が決して疎開したものではありません。まして小さな家の中にうようよ住んでお
つたことは、それはよく体験しておることでありますが、こういう
意味におきまして、青壮年の山がぐんぐん
減つた。そうして欧米の
結核を減らした国と同じようなカーヴになりつつあるということは、この図面を見ただけで日本が一歩一歩復興しつつあるのであります。この復興に一番貢献したものは
BCGであり、同時にそれを作られた
学者並びに衛生技術官に敬意を表するものであります。
BCGの
副作用については、
昭和十三年
本当に始められましてから、いろいろ聞かされましたし、又私が在官中にもいろいろ人から話されましたが、私の在官中に大半それを調べさせました。又現在も公衆衛生局や何かでお調べになりつつあると思うのでありますが、これに対しましては、何らいわゆる世間の言うような誘発されるとか何とかという問題は、一人もないことを、私ははつきり申上げておきます。これは
専門の医者が
本当に行
つて見ますれば、その疑いは
一つもない、要するに
研究中でありますので、そういう事例がありますれば、必ず
専門家に行
つてもらうのでありますが、それは言われている
言葉と大変な隔たりがあるのであります。いずれ各
専門家をお呼びでありましようが、そういう事例にお触れになるかも知れませんが、私が机の上で事務をとり、そういう
専門家にお願いしたものには、そういうものは一人もありません。まして誘発されるということについては一人もないことをはつきり申上げておきます。
BCGが
身体に及ぼす影響、
障害の有無については、今の
潰瘍でありますとか、或いは膿瘍という以外にはございません。
BCGの
強制接種に対する
意見でありますが、私は先ほど申上げましたが、ジフテリア
予防接種で大変な間違
つたことをいたしまして、お詫びをいたしまして、その後、退いて現在も謹愼しておるものでございますが、昨年アメリカに病院の視察に派遣せられました。そこで初めて医学の神髄なるものを見たのであります。十何年前に行
つたときには、アメリカに対して何ら敬意を表さなか
つた。併し今度行
つて見たときに、医学の神髄に触れた気がしたのです。それはシカゴ市は人口三百五十万ですが、衛生当局者に会
つたときに、シカゴは三百五十万の人口のうち、一九五〇年のジフテリアの
患者は僅かに九名であります。一人も死んでおりません。東京の旧都内と同じものであります。それで僅かに九名で、一人も死んでおりません。それを私がどうして少いのかというと、九六%注射している。それは強制注射か。強制じやない、自発的だ。それで私は病院を視察いたしました。病院をぐるぐる視察いたしましたが、私の癖で細かい所を見るのでありますが、冷蔵庫を片端から見たのであります。実に迷惑だ
つたと思いますが、冷蔵庫の中を見れば大概わたるのであります。開けてもら
つて見ますと、シカゴの病院二十幾つを見たのでありますが、どうもシカゴの衛生
局長はやかまし屋で困る、併しながら我々の衛生はよくな
つているということでした。冷蔵庫の中を開けて見ると、ジフテリアのワクチン、破傷風のワクチン、そのほか若干の血清が大きな冷蔵庫の中に数本だけ入
つている。その冷蔵庫の中にきちんと検定してあるワクチンがある。一方、見ておりますと、お母さん連中が保健所に行
つたり、病院に行
つたりして、みんな
子供を抱えて
予防接種をするのです。それはジフテリアや破傷風の
予防接種であります。強制ではありません。それが徹底して九六%正しき検定をし、正しく保存をして、これを正しく九六%
接種するならば、あの大きなシカゴ市におきましても僅かに九名、これが医学の神髄であると思うのであります。ロスアンゼルスに行
つて見ますと、二百万の人口、これに対して五十数名のジフテリア
患者のうち、八名か九名死んでおりました。何%かと衛生
局長に聞きますと、おれの所で
自分の手でや
つているのは一〇%、開業医で七五・六%、この開業医の冷蔵庫は私は開けて見ませんでしたし、又訪問いたしませんでしたが、要するに、一方は二百万人のうち八、九人、正確にやるならば片方は三百五十万で一名も死んでおらん、これが衛生行政の神髄である。こういう問題に対しましては、保健所その他が真剣に取組んでおる。どうか議会におかれましても、
強制接種という問題につきましては、日本が
強制接種をしなければいけない状態であるというこの実情を、とくとお
考えを願いたいと思うのであります。今日チフスが急激に減
つて、伝染病院が
結核病棟にな
つているという現状であります。これは、この注射を以て初めてできたものであります。私たちは、どうか一日も早く皆さんが挙
つて理解されて、注射をされましたならば、すべての人が救われて行く、これが衛生技術官に課せられた仕事であり、医師会に課せられた仕事であり、あらゆる関係者の仕事と私は思うのであります。かくしてこそ、日本は復興し得たものと思うのであります。
BCG接種の
改善に関する
意見ということでございますが、これは御
承知の
通り若干腫物ができるということは事実であります。私の
子供にも腫物ができております。
子供に腫物ができて「赤チン」をときどき塗
つてやるときに、私はにこにこ笑
つて塗
つてやります。これができておれば、肺病にかからなくなる。私の所にも肺病のことについて相談に来ますが……、私は喜んで月に何回か
子供に塗
つてやる。そのときに思うのに、御医者さんがうまくう
つたならば、こういうものはできなか
つた。要するに
専門家がおうちになりますと、腫物は殆どできません。これはお医者が慣れることであります。これは私が議会の答弁でも申しましたが、速かに慣らしてもらうようにお願いをいたします。ですから法律を作る前に、
日本医師会に参りましてお願いをいたしましたし、そうして又いろいろ御協力を願
つたものであります。この
BCGに対しましては、先般いろいろ波瀾を来たして問題が起きたようでありますが、私若干ブランクの間に何人かの人々が尊き生命を亡くすこともありましたし、又そういうことが原因で死ぬ人ができるのじやないかと思うのですが、
自分が軍事保護院の若干名の
看護婦さんに注射をして亡くした、この人たちの霊を
考えるときに、感慨極めて無量なるものがあるのであります。私たちの仕事は、一番いいものを科学に立脚して、それを取上げて、これを
国民にお願いして、そうして
国民が病魔から救われるということについて、私たちは努力して参りました。現在の衛生関係者全部、私と同様であることを私は確信を持
つて申上げるものであります。
以上であります。