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説明員(尾之内由紀夫君) 局長や課長の問題でございますが、例をと
つて補足的に申しますと、局長や課長はこれもいろいろな性格がございますが、大体中央官庁におきまして、行政組織法なり、或いは各省設置法によ
つて設けられました局である、課であるというものの性格は、一般的に評価しますときは、やはり国がこれは局に
相当するものである、課に
相当するものであるという
一つの評価をおいて組織を作
つた、こういうふうに
考えられると思います。特に
日本のようにこの法律によ
つて比較的行政組織ががつちりでき上
つておるところにおいては、それが常識であろうと思います。そういうような場合において、若し局長である、或いは課長であるというポジシヨンが、そういう地位が、その専門家でない、専門行政と言いますか、行政、勿論行政でございますが、いわゆるその道の専門家でない、併し行政官としては非常に能力がある、こういうふうな人員配置をや
つておる場合、こういう場合には、その部課の課員、或いは係員以下において優秀なる
技術者がおかれまして、その優秀なる
技術者の能力というものを十分生かし、当然それに
従つてこの優秀なる枝術者をそれ相応に評価するという形がとられなければならんと思います。併しながら一般的に申しますと、
只今申しましたこの局長、課長というのは、むしろ組織上
一つの内部の行政運営の
一つの単位といたしまして、それぞれ成る順序を持
つた評価をされておると見るのが妥当であろうと思います。現在
建設省におきましても、そういうような
意味において局長、或いは課長等に
技術者出身のかたがなられておりますが、そういうような場合においては、大体
只今御指摘になるような優秀なる
技術者というかたは、その多くが課長に、或いは局長に栄進して行かれる道を辿
つておるのです。これは又
一つの常識だろうと思います。併しながらそういう場合にもなお且つ課長補佐である、或いは係長のうちにその課長になれない、或いは局長になれないかたができて来るのは、これは事実だろうと思います。そういうようなかたを十分それ相応に生かすということは、国家行政の立場から言
つても極めて必要なことであるということに対して、私
ども何ら異存はございませんが、ただそういうような場合一体どういう人をそれ相応に見ていいかという問題を具体的にきめることは非常にむずかしいわけであります。例えば或る課長が、
河川なら
河川の
技術を十数年や
つた、それと同じ経験を持
つたものを課長と見ていいかどうかという点は極めて重要な問題だろうと思います。
単に経験が同じであるから同等に見ていいということになりかねない。若しそうだとすれば、課長になる人は又これはその役についただけの余分の責任なり、当然責任が加わ
つて来るわけです。又いろいろ対外折衝の面において困難さが加わ
つて来るのです。具体的に課長補佐の中でどのポジシヨンを課長と同等に、或いは局長と同等に見るかという問題がなかなか実はきめるのにむずかしいわけです。若しそういうかたがあ
つて、これは当然
技術者が我が国において、或いは国際的に見て非常に優秀な
技術者であるという場合には、勿論そういうかたをそこに止めておくために、必要な給与上、勿論職階上の措置をしなければならないと思います。
考え方といたしましては、御指摘に
なつたようなことができないというふうに
職階制を窮屈には
考えておりません。ただ若しこれを何ら枠もなく、制限なくいたしますと、誰でも
只今申しましたように、十年たてば十年た
つたところに、十五年ぶらぶらしてお
つても、十五年た
つたならば、課長にな
つたのと
相当するところの俸給に達し得るということであ
つては、やはりこれは
一つの士気向上のためには却
つてマイナスの効果も生ずるわけであります。でありますから、この問題については、
職階制の立場は決してそういう措置をしてはいけないということではないのでありまして、現にそういうような見方をしておるポジシヨンもあるわけであります。併し
建設省の例につきましては、具体的にこの職員のや
つておる仕事が、これが課長級の仕事である、或いは局長級の仕事であるというふうに判定することが非常にむずかしか
つたというふうにまあ現在認識しておるわけであります。今後そういうものがあれば、これは又いろいろ
建設省の幹部のかたがたと御相談いたしまして、又いろいろ有識者のかたがたの御
意見をも伺いまして、そういう手段、そういう評価をすることが至当であろうと思います。