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柄澤委員 これは
中村局というのですから、愛知だと思うのでございますが、ここでは六、七月ごろなのですけれ
ども、実際にあるわけなのです。これは若い人ではないのですけれ
ども、募集の
割当ができるかできないか、できる自信のある者は手を上げろとい
つて忠誠を誓わせて、とてもこんな無理な
割当はできないから、
郵政の部長さんによく頼んでみたいというふうにある
従業員がこぼしたところが、それを陰で耳にしていた課長がかんかんにな
つて怒
つて、すぐ呼びつけて、君はこの局には用のない人間だから、すぐ辞表を出してやめろとい
つて、
局長を出し拔いて、課長が脅迫して辞表を出すことを迫つた。課長の名前もわか
つております。そのことが
職場全体に伝わ
つて、
職場の人々は、自分の問題だというので、稻垣課長の横暴を、全体の
職場の人の力で、そんなばかなことはないというので、取消さしたということが来ております。これは幸いにして
職場がみんな同情して、支持されたからそうな
つたのでございますが、そうでない
ような、実際に弱くて、自分も言つたらにらまれるというので、首に
なつた場合に
——これ船橋ですけれ
ども、関口友次さんという人が、
現実に警察署に嘆願書を出しているわけです。本採用になりたくて無理をした。私の保険の募集目標は二十五年度は一月より十二月上旬まで百四十八万円であつた。九月に入
つてやつと五割強の八十万円程度しか達していないので、残額の八十八万円を九、十、十一の三月間で面目にかけても果そうという意気込みのときであ
つたので、自分は入
つて間もなく三日目で
保険募集の責任額を一箇月一万二千円、しかも十日目、ことに締切
つて、四千円ずつを十日目ごとに集めろとい
つて割当てられた。しかしとてもできないというので、当惑したけれ
ども、連日保険課長から成績を上げろと言われて、成績の悪い場合は解雇すると言われた。はつきり言
つております。私はやつと就職して、再度失業しては家庭を暗くすると思
つて、一日の勤務を終えて、夜間も知人宅を訪問し、深夜に至るまで努力して、毎日募集に精励し、九月分は
割当を上まわる一万二千三百四十円の成績を上げました。十月分は九月分よりも上まわつた一万二千八百九十五円の成績を上げ、一時は四十六名中のトップをリードしました。ところが、先輩
たちの反感を受け、妨害行為を受けた日もあつた。仲間からはきらわれたというのです。十一月分も両月分をはるかに上まわる一万六千七百八十五円の成績を上げ、十二月五日には全目標を達成した。七箇月間一、二位の成績を上げた人が、今度とうとう二十六年度分の
保険募集の
割当は、成績を上げたことによ
つて一箇月百十五万円に
なつた。ところが、昨年よりは経済状況は全体に悪くな
つているために非常に成績が上らなかつた。ところが連日保險課長はきげんが悪くて毎日みんなをどなり散らした。私の成績は一月は四十万円、二月は百五十九万五千円というふうに、とても無理が重な
つて、とうとう
職場で倒れる
ようにな
つて卒倒した。午後四時半ごろ卒倒し、あとでうちに寝ていて妻や子供から聞いて知
つたのですが、
郵便局で倒れて頭が狂つたとか、大分へんなことをど
なつたという。 七日間意識不明だつた。とうとう倒れて二日目に首を切られているわけです。二十二日に初めて保険課の外務主事が私宅へ見舞がてらに来まして、私の妻に相談したいから局へ来てもらいたいと言われて、妻が局へ
行つて面会したところ、卒倒して無意識のうちに保険課長の悪口を言つたというのです。その保険課長の悪口を言つたということで、ぷんぷん立腹して、即座に解雇を申し渡された。そういう
状態で、もうあとはとりつく島もなかつたというのです。首を切りながら、離職票もくれないというので職安にも行けない。
一家心中をし
ようと思
つても、子供がかわいそうで、一家七人がどうにもできないから、相手が強くて泣寝入りしている
状態なので、何とかひ
とつ私の死地を徘徊している
状態を警察署でお救い願いたいということが来ているわけです。その後の経過につきまして、
ようやく失業保険をもらうことに
なつたというのでありますが、これがただ單なる
一つの例であればまだだと思います。しかし
行政整理が常にこういうふうに
職場の中でおどされながら、不安定な
状態でやられる今の
全逓の
従業員の
状態を物語
つている
一つのモデルとして皆様に
考えていただきたいと思います。