○
青木参考人 同
学会委員長の
青木宏です。同
学会と申しまするのは、先ほど
田代補導部長から申されました通り
京都大学の全学
自治会であります。先ほど
永田京都市警本部長及び
田代補導部長から申されました一部の
左翼的な者の行
つた行動及び計画的
行動というふうなことを言われまして、しかもその一部
左翼学生というのは同
学会であり、しかも私たちであるという
理由で、同
学会が解散せられ、私たちが処分されたのであります。しかしながら私たちは一まず私のことを申しますと、私は十二日まで国に帰
つておりまておりませんでした。同
学会の畠
委員長もそうです。また同
学会の
幹部の中で、あすこの処分された者の中で五名の者がそれに参加していない、こういう事実がはつきりしております。で計画的
行動であるがどうか。同
学会がはたしてあの
事件を計画したかどうかについては、そうであるかどうかを述べさしていただきたいと思うわけです。
まず
天皇行幸に対して同
学会のと
つた態度を申しますと、同
学会は人間
天皇がわれわれの
大学に来るのを特別歓迎もしないけれども拒否はしない。しかしながらほんとうに
天皇がわれわれの象徴もてわれわれの
大学を見ていたたくならば、われわれの荒廃した研究室及びわれわれの破壊した
学生生活そのものを見ていただくこと、これこそが私たち民衆の幸福と平和を願われるわれわれの象徴として当然の義務であると考えたからであります。そのために同
学会は、
学生一般の
状態をお話したい、だから
天皇とお話したいということを申し入れました。そしてさつき
永田市警本部長が、私たちが
文化祭を故意に
天皇の
行幸のときに持
つて来たと言われましたが、私たちの準備不足で準備ができなか
つたために、十日から十四日までに延ばした
文化祭を拒否される
理由に、
天皇行幸が一つの
理由にな
つているということを聞いて、どうしても
文化祭を開かしてほしい、ありのままの
大学の姿を見せるならばわれわれの
文化祭も開かしてほしい。また私たちのほんとうの平和と自由の意思を伝えるために、私たちは
公開質問状を
天皇にささげて、それによ
つてその回答をいただきたい。もし
天皇がほんとうに人類の幸福と平和を願
つておられるわれわれの象徴であるならば、われわれに対してこの回答をいただけるであろう。もしそういうことに関心を持たれていないならば、われわれ
国民にとつは非常な悲劇であるということを感じたからであります。
次に同
学会は
警官を
学内に入れることを拒否いたしました。と申しますのは、こういう
天皇行幸ということを口実に、たびたび
学内に
警官が計画発に入られると困る。それは昨年、前進座を囲む座談会において
補導部が
許可していながら、
警官が直接
学内に入
つて来て、そのために非常に不幸な
状態を
大学に引起した。またこういう
事態を引起さないためにはどうしても
警官を入れないでほしいということを私たちは申入れました。そこで
大学当局は、十数名の制服
警官を
交通整理のため入れるということを、同
学会と申合せをしたわけです。ところが私服
警官がその当日たくさん入
つてお
つたので、ますます
学生の神経を高ぶらしたわけなのであります。次に、われわれが平和の歌を歌
つて天皇を迎えたということでありますが、これに対しては、私たちは君が代を歌
つて天皇を迎える、あるいは平和の歌を歌
つて天皇を迎えるということについては、全然拘束されない。しかも私たちは知
つております。君が代を歌
つて天皇陛下のために異国の山野に死かばねをさらした友達を私たちは知
つております。私たちはどうして君が代を歌えましようか。むろんだれかが歌い出したに違いません、自然
発生的に起
つた歌声、これはだれか一人あるいは二人が歌い出したのでしよう。しかしながらこの歌はみるみる大きく擴大して行
つた。時計台にこだまするくらい擴大して行
つたという事実、これはみなひとしく平和を守るという現在の
学生の共感、現在の
学生が特に切実に希望している平和への欲求というものが発露されたのであるということを断言することができます。
それからいわゆるデモの問題についてです。これは
大学当局が非常に誤解あるいは曲解されておるわけです。と申しますのは、この奉迎について
大学当局は
学生に対して全然
指示を与えていない。どこが
奉迎線であ
つて、こういうふうに整列しなければいけないということを、前も
つて全然
指示していない。しかも
天皇の車が
西側から入るということがわか
つたために、東側の
前列にお
つた職員が、スクラムをはずしてどつと
西側の方に寄
つて来た。これを
機会に東側の
学生諸君がどつと寄
つて来た。こういうことはあの場合に参加しておられた事務及長びある教授が私たちに漏らしておられます。
それから
天皇の空車を取囲んだということでありますが、これもあそこは
ちようど平地でありまして、うしろの者が背伸びをして立つと、物理的なあれでどうしても前へ倒れるわけなんです。どつと前へ寄
つたところを、どんどん前に押されて、前にのめりそうにな
つてずつと囲んで行
つた。しかもこういう事実については決して不自然なことではない。戦後
天皇が各地を
行幸された際に、ほんとうに
天皇の車の間近まで行
つても、決して不穏な
状態とか、あるいはそういうふうなことを言われたことは一度もない。しかも今度のときだけなぜそういうふうに言われるのか、われわれは君が代のかわりに平和の歌を歌いました。しかし平和の歌がどこが悪いのでしようか。
それから
プラカードを持
つた学生が煽動したと言
つております。しかし
プラカードを持
つた学生はうしろの方にお
つたことは事実ですが、前の方に出て決して煽動してはおりませんでした。
次に学外者の問題でありますが、ほかの
大学の
左翼学生がたくさん入
つたということを言
つておられます。しかしながらこれについて、
大学はその目すべての門で
学生証及び
職員証を一々点検して
京都大学の
学生証と
職員証を持
つた者以外は入れないことになります。もし入れたとしたら
大学側の大きな
責任だと思います。と申しますのは
京都大学の
学生で一旦外へ出た者が、
学生証を持
つていないために再び中に入れなか
つたという事実すらあるのであります。
次に
警官隊が
学内に入
つて来たことでありますが、これにつきましては、なるほど空車の前でうしろから半円形に集
つてそこで合唱しておりました。そこへ
警官隊が入
つて来た。そうすると今まで傍観者的というよりも、むしろあの
正門の横にガレージがあるのでありますが、そのガレージの上に乗
つていた
学生も、
警官下れ、何しに来たということを盛んにつつ込んだわけです。大体
学生の心理といたしまして、
警察権力が
学内に入るということは本能的に嫌悪を感じ、本能的に反抗を示すということをはつきりしているのであります。このとき同
学会はどうしたかと申しますと、その場に居合せた同
学会の
執行委員は、同
学会はこの
事態を拾放する、
学生諸君下
つてくれ、
警官諸君も待機してくれ、学外に去
つてくれと自主的に
整理を始めました。
学生はそのために下
つたのであります。決して
警察官が来たために下
つたのではありません。
学生は同
学会の
執行委員が
制止したために下りました。ところが
警官隊は下らない。非常にたくさんの
警官隊があとあとから入
つて来る。だからこそ歌声が高くなり罵詈雑言が飛ぶような次第にな
つたのでもります。だからあとで私たちの
学生が三百名ばかり
田代補導部長及び角南
学生課長にいろいろなことを
質問すると、
田代先生は、本日の
混乱を引起した原因は、確かに
警官の導入あ
つたということを私たちの前に明言されたのであります。
次に
服部学長は、
天皇の車が
正門を出た際に、何か事が起るかと思
つたら、事なく済んでよか
つたということを漏らされたということを、私はある学
部長から聞きました。何も起らないのに、一体なぜこういう大きな問題にな
つているのか。この事実こそ、われわれに与えられる大きな問題なんです。なるほど私たちの世代あるいは私たちの先生方の世代あるいはここに集まられておる先生方の世代には、大きな開きがあります。私たちの
天皇に対する態度と、私たちよりも三十年以前に生れた人たちの
天皇に対する態度とに大きな開きがあるということは事実です。しかしその事実ばかりじやありません。たとえば
天皇が青年二十万の血に値するという言葉が有名にな
つている事実。また、ニューヨーク・タイムスは、
天皇は
国民の両條約
反対を押える、あるいは
天皇は、講和によ
つて国民にもたらされる不安を解決するために非常に重要だということも言
つています。こういうことを見ても、再び
天皇は政治の分野に現われて来るのじやないかということを非常におそれているの博す。だからこそ、こういうふうな一連の事実から、私たちは平和の危機、私たちの自由の危機を非常に感じているのです。この動きこそ、私たちを再びまた戦争にかり出すのじやないかという私たちの世代だけが持つ本能的な危機感をひしひしと身に感じているのであります。だから、私たちが平和の声で迎えたというのは、これは私たちのほんとうの実感であ
つて、また全国
学生あるいは全国青年の実感ではないかと思います。具体的な事例については、いろいろなこと申したいと思いますが、御
質問の際お答え申し上げることにいたします。