○守島
委員 私は自由党を代表いたしまして、
平和條約及び
日米安全保障條約に対し賛成の
意見を述べます。
終戰後
日本は、きわめて忠実に終戰條件を守りつつ、その民主化と復興に邁進して来たのであります。その結果、
日本が国際社会に再び復帰し得るところの資格はすでに充実して来ておりました。
従つて数年来われわれは、一日も早く
平和條約ができましで、独立国家として世界に復帰し、自由なる活動によ
つて祖国の復興に一段の拍車をかけるとともに、世界の平和と繁栄に直接参与することを願
つて参りました。これは当然の願いでございます。
アメリカも
日本がすでに資格を持
つて来ておるということを認めております。ところが講和
条約がなかなかできなかつたというのは、主として国際的
意見の不一致のためでございます。そこでわれわれはもう講和が待ち切れぬという気持であつた。これはわれわれの偽らざる気持でございます。しかるに最近一年以来、
米国の非常な努力によりまして、本年九月八日サンフランシスコにおいて、自由国家四十八箇国との間に條約
締結の運びに相なりました。のみならず、共産主義国家以外の国々、すなわちインドその他の国は未調印国でございますが、相次いでサンフランシスコ
平和條約の線に
従つて、二箇国間の
平和條約を
締結する機運にございます。まことに喜ばしい状態である。
今次
平和條約の内容は、過去における諸
平和條約に比し、寛大にして公正であり、ことに
日本の将来の活動に対し、政治的にも、経済的にも、その他あらゆる点において、何ら永久的の
制限を加えない自由平等のものである。このことはわれわれが銘記しなければならぬことである。もとよりわれわれは
本條約に百パーセント満足するものではございません。かくあれかし、かくあつたならばよかつたというようなことがございます。しかしながら、われわれが忘れてはならぬ一つのことがある。それはどういうことであるかというと、われわれは戰争をした、そうして負けたという厳然たる事実がある。
本條約は和解と信頼を根本の
精神としそのとりきめは前例のない寛大かつ公正なものではあるが、それとともに、
日本が敗戰国であるという事実を全然度外視しているわけではない。その結果として、われわれの受くる損失と負担は少くありません。しかしながら、われわれは敢然としてこれを甘受しなければならぬ。われわれがもし敗戰の事実を無規して、戰わなかつた、さらに負けなかつたと同じ結果を法外に求めるとしますならば、それはわれわれの未練でございます。いわんやこのわれわれが受くる戰争に負けた結果というものは、従来の例、たとえばヴエルサイユ條約その他敗戰国の受けました負担よりは、はるかに少いのでございます。ここで私は
本條約の各條章につきまして、二、三私の
意見と
希望を述べたいと思います。
私が第一に述べたいことは、領土問題に対するわれわれの
意見である。
日本はポツダム宣言を承諾いたしました。
従つて本條約第二條及び第三條の決定の中には、
日本の歴史、地理、人文的
関係と矛盾し、かつ
日本人の
希望に反するものがありましても、これらの理由によ
つて、
本條約の批准に反対するということは適当ではございません。しかもなお私は領土問題に関し、やはり一言せざるを得ない。それは千島の問題と南西諸島及び南方諸島の問題でございます。千島はだれも知るように、古来
日本の領土である。われわれはこれを戰争でとつたものでも何でもない、そうして長い間平靜にこれを保持して来ておつた。これが今度の講和
条約によ
つてわれわれが離さなければならぬということは、われわれとしては不満を感ぜざるを得ない、ことに歯舞、色丹諸島は千島の一部ではない、明らかに北海道の一部である。これは周知の事実である。こういう島々をソ連が今日占拠しておるということは、これは明らかに不当であり、不法である。われわれは嚴重に抗議をするものである。歯舞、色丹につきましては、ダレス氏も国際司法裁判所に対する提訴をサゼストしております。その方法なきにしもあらず、しかしながらソ連が現在のような態度をとりているときにあた
つて、この国際司法裁判所に対する提訴によ
つてこの問題が解決するということは、これは非常に困難である。また相当の長年月を要するだろうと思います。しかしながら
政府におかれましては、この
日本国民、ことに北海道道民の至情を察せられて、そうして本件については、今後長きにわた
つて適当に善処せられんことを切望いたします。
次に南西諸島及び南方諸島の問題でございますが、これらの島嶼に関しまして、われわれとしては、いろいろ
希望もあり感情もあります。しかしながらすでに條約がそのステータスをきめておる。しかもそれが国際安全保持のためであるという以上は、われわれはこれを受けなければならぬと
考えます。幸いにしてこれらの島嶼に対する主権は、
日本に残されます。また本
委員会における
政府当局の言明によりますれば、これらの島嶼民は引続き
日本国籍を保持するであろうということでございます。たいへん喜ばしいことである。この上われわれが切望いたしまするところは、
日本国民、ことに現地におる住民の至情ができ得る限り生かされて、それが本土との交通、通信、交易及びこれら島嶼の生存、生活のうちに、できるだけ取入れられることを
希望いたします。この点も切に
政府の善処をお願いいたします。
次に第三章の安全に関する問題でございます。本
委員会における
政府当局の説明によれば、わが国の国際連合加入は、ソ連の反対が予想されますけれ
ども、正式加入はできないとしても、将来何らかの便法が講ぜらるる
希望があるということでございます。これは、はなはだ吉報でございます。しかしながら右便法が講ぜられます前にも、
本條約第五條により、
日本国は国連憲章第二條に基く義務を受諾する一方、連合国は
日本との
関係において、右第二條の
原則を指針とすべきことを約しでおるのであります。
従つて安全に関する限りは、
日本は国連加入前といえ
ども、連合国との
関係においては、国際連合加盟国と実質上同一の立場に立つわけであります。さらにこれが同條c項及び第六條a項但書、並びに
日米安全保障條約との結びつきによ
つて、
日本の安全は一応見通しがつく。たいへんこの点もわれわれは安心するわけであります。
次に賠償問題について一言述べたいと思います。近代の大きな戰争のあと、敗戰国が十分な賠償をする能力のないということは、これは世界だれでも知
つておることである。現在敗戰後
日本の置かれておるステータスも、まつたくさようでございます。昔の例をあげてみますと、あのヴエルサイユ條約によ
つてドイツに課せられた巨大なる賠償義務が、結局においてはきわめて一部分しか実行されなかつた。しかもその部分的履行さえ、欧洲、ひいては世界経済にきわめて不利なる影響を与え、さらに各種の
政府的混乱を来し、結局はあれは世界全体に対する損であつつたということ、これも歴史に明らかでございます。以上の次第でありますから、
本條約の定むるところの、存立可能な経済の
維持その他の條件のもとにおける役務賠償を規定しました今度の條約は、きわめて賢明なる策であると存じます。
政府はできるだけすみやかなる機会に、被災国との間に
交渉を開始して、そうして十分の誠意を示し、相手方にできるだけ満足を与えるように善処せられたい。同時に私は
相手国に対して、そういう国々が卵を生むところの鶏を絞め殺すというような気持にならないで、公正妥当なる態度でわが方に対処せられんことを
希望してやみません。
ここに一言したいことがございます。それは世間で賠償額が八十億ドルだとか六十億ドルだとか、何十億ドルだとか、いろいろなことが伝えられておる。そうするとこの賠償額を漫然と総括して、
平和條約成立のあとには、
日本は数百億ドルの賠償をしなければならぬ。こういうことを言
つておる人がある、また宣伝しておる人がある。しかしながら、これはまつたく事実に反する悪意の宣伝であるか、あるいは事実を認識をしない流言にすぎません。すでに
本條約において
一定のわくがきま
つておる。そのわく内の賠償である。であるがゆえに
日本の経済を根本的に破壊したり、
日本人の生活水準を切り下げるような賠償がとりきめられるわけはない、この点は安心していいと私は思います。
次に在外資産、ことに連合国にある私有財産が、賠償の一部として沒収されることでございますが、これは
日本に対する非常な負担であります。しかしながらこれは第一次世界大戰以来、すべての敗戰国に課せられたものでありまして、
日本だけがその運命からのがれるわけには行きません、ただ中立国にありました財産までが沒収されるということは、前例にございません。初めてのことでございます。しかしながら賠償問題全体としてこれを見まするならば、わが国の受ける負担、第一次世界大戰後の敗戰国及び第二次世界大戰後のほかの敗戰国の場合と、
日本の場合とを比べまするならば、
日本の方が相当負担が軽い、そういうわけでございますから、これまた涙をのんで承諾しなければならぬと思います。ただこの機会に
政府に申し上げたいことは、これに対する補償の問題でございます。これも
日本の現状としては非常に困難なことでございますけれ
ども、しかし最大の好意をも
つてこの点も御考慮願いたい。以上をも
つて本條約各條章に対する
意見を述べました。
最後に申し上げます。戰争の結果、
日本はほとんど領土の半分を失いました。国富の四分の一を失つた。また非常な戰災を受けました。さらに今度は莫大なる在外資産も、賠償のかわりとして出さなければならぬ。将来
日本の前途というものは決して容易ではございません。しかしながらここで私
どもは過去を顧みたい。明治維新のときに
日本は国を世界に開きました。そのときの
日本の状態、
日本の立場というものは容易ならぬものであつた。経済状態は非常に悪い。加うるに安政條約、あれは
日本に種々さまざまな
制限を加えたものであつた。しかしながらわれわれの先輩は刻苦精励また忍耐、そうして
外国との
関係を非常に親密にし、一歩々々いばらの道を開いて行つた。そうしてこれは皆さん御承知の
通り、あれだけの国をつくつた。これをわれわれは思い出さなければならぬ。しかるに無謀なる戰争の結果、
日本はこの人なる名誉と財産を一朝にして失いました。しかしながらわれわれは、われわれ先祖伝来の強き意思の力と活動力はいまたお持
つておるはずでございます。現にわれわれは終戰以来六年の間に、
米国の絶大なる援助はございましたけれ
ども、根本はわれわれのこの意思の力と活動力によ
つて、とにかく今日まで再建をして来ておる。そういうわけでございまして、今度の
平和條約は、われわれといたしましては個々の問題については不満の点はございまするけれ
ども、しかもなお全体としては前例のない寛大かつ公正なものであり、ことにわれわれ将来の活動に対して、政治的、経済的その他いずれの点についても、何らの永久的
制限を加えないという事実は、われわれがこれから先
日本をりつぱな国に建て直すことに対しての勇気を倍加させるものであると私は思います。私は
日本がみずからを信じつつ、
本條約を基礎といたしまして、一層の努力と勤勉と、さらに忍耐をも
つて進みますならば、必ずや遠からず再びきわめて有意義なる国家として、世界の平和とデモクラシーと繁栄のために寄与し得ることを信じて疑いません。以上の
意味をもちまして、私は
本條約に賛成の意を表します。(拍手)
次に安保條約について申し上げます。一九四五年世界戰争の終結と前後して、連合諸国は国際連合を結成いたしました。また英米等は終戰後約一年半の間に、戰争中の陸海空軍を約十分の一に減らしてしまつた。さらに英米の志とするところは、国連において他の列国と協議して、軍備の一段の縮小をはかる
考えでございました。ところが共産主義国家は、戰時中の巨大なる軍備の大半を今日まで持して来ておる。同時に国連の円満なる運営に対して、あらゆる妨害を加えておる。一方この巨大なる国際共産主義の軍事的勢力は、初めの間は西の方欧洲に向いました。ところがベルリン封鎖が完全に失敗する。さらにイギリス・フランス及びベネルツクス、五箇国の條約、次いで北大西洋同盟條約が結成されますると、今度は共産軍はその主目標を東方に、
極東に向けて来た。そうしてとどのつまりは、皆さんも御承知の、去年の六月の共産軍の韓国侵入でございます。もしあのときに国連軍あるいは英米の
軍隊が出てあれを防がなかつたならば、共産軍は必ず
日本に向
つて進んで来たであろう。これは戰後における国際的常識であります。
そこで、
日米安全保障條約の問題に入りますが、
平和条約ができます。そうすると特別のとりきめがない限りは、進駐軍は
日本から撤退することになります。そうなるとそのあとはどうなるか。前に述べましたような国際情勢から
考えまして、いわゆる真空状態の
日本に対して、共産軍が侵入して来る、または侵入して来る
可能性が非常にふえる。少くとも私は過去における私の経験と私の知識に照らしまして、そういう場合には、共産軍は必ず
日本に侵入して来るということを確信いたしておるわけでございます。(拍手)そういうわけでございますから、
平和條約の成立のあとには、独立後の
日本の安全を守るための何らかの手当をしなければならぬ。そうでなければ、はなはだ危険である。このことは三歳の童児にもわかり切つたことである。そこでその手当というのが、この
日米安全保障條約であると私は解します。ところがこの三歳の童児にもわかり切つたことが、わからぬ人がいる。その一つは
共産党である。
共産党は安保條約に反対しておる。ところが
共産党が反対するのは、私は意といたしません。
日本共産党というものは、これは世界
共産党の支店でございます。そうして国際共産軍が
日本に入
つて来るための第五列であ
つて、共産軍が
日本に入る道を何とかしで開こうというのが
共産党であるがゆえに、
共産党がこれに反対するのは、これはあたりまえであります。ところが
共産党以外の人で、安保條約に反対する人がある。はなはだしきに至
つては、
共産党以外の人が安保條約ばかりじやなく、
平和條約にも反対しておる。これは
共産党ならわかります。しかしながら
共産党以外の、向うから命令を受けてない
日本の人がこの両條約とも反対しようというのは、一体どういうことであるか。私は了解に苦しむ。
〔「インドもビルマもあるじやないか」と呼ぶ者あり〕