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成田参考人 成田でございます。私お話いたします前に、私の在籍しております
学校について申し上げておきたいと思います。私は
東京都立のただいま
小石川高等学校と申しておりますが、昔府立五中と申しました
学校の
教員でございます。私
たちの
仲間の一部の者が、
全国の
高等学校教職員組合というふうな名前を打ちまして、いろいろ
皆様方の方にも
申立てをしておるということも聞いておるわけでありますが、当然私
どもの
仲間に入
つて来てくれる
諸君として、他日その機会があることを信じております。その問題がいろいろ
皆様方を悩ましておる点については、私まことに申訳なく思
つておる次第でございます。私
ども高等学校の
教職員でございますので、
高等学校の
教員の
給与について、特に高くしてほしいという
要望等について、私
自身が否定するというふうな理由はないのであります。この点に関しまして、一応私、
見解を述べさせていただきたいと思うのでございます。
これは
皆様方もよくお聞きだと思いますが、
終戦前の
教員の
給与の
段階というようなことが、絶えず言われるわけでございます。しかし私
どもの今日の
状態というのが、まだ残念ながら
生活給ということを強く要望せざるを得ない
段階にある。この点は十分に御認識いただけることと思うのでございます。それは、まだ私
どもが
ベースアップの
要求をしておる。これが具体的に
職能給とかその他の問題が出て来るのは、
ベースアップの
要求をしないで済む
段階まで、私
どもが一応の
安定度を保
つて行けたときに、初めてそういうふうな問題も出て来ると思うのであります。これは
昭和九年から十年ごろの、いわゆる
エンゲル係数という言葉で申しますならば、大体四〇%以下、三七—八%
程度が、まあ大体日本人の
生活水準であつたわけでありますが、今日はまだ残念ながら六〇%以上にあるのでありまして、私
どもは
高等学校の
教員の
理性に立
つて考えてみましても、やはりこの際は
生活給ということを強く
考えて、そうして
お互いが一定のレベルにまで達しなければならないのじやないか。その場合に
高等学校の
教員であろうが、
大学の
教授であろうが、やはり一応の
生活の
最低基準は十分に守るようにしなければならぬ。この点については、
日教組傘下の
高等学校の
諸君は、一応全部了承しておるのでございます。ここに
大学の問題が、一応職階級的なものを含めて
考えられているというふうな
見解も成り立つわけでございますが、これはすでに
皆様方も御了解くださいまするように、
大学の
教授自身が、現在の
給与体系の中においてはまだ十分な
生活すらできない。
従つて当然
自分たちが食わなければならないもの、着なければならないもの、そういうふうなものをさいて、どうやら
研究費の一部に充てているというふうな
状態にあるのでありまして、これはまつたく
生活給というものが十分に今日実現されておらないで、そのうちにただそういつたふうな形が
ちよつと見えているというだけのことでございまして、私
どもとしては当然
生活給をより強く叫んで、この点早く
皆様方の御努力によ
つて解決していただきたい、この点をまず根本として
考えていただきたいと思うのであります。全
高教の関係の
諸君も、この
生活給の点については、はつきり了承しておるのでありまして、ただその
生活給の
考え方について、まだ分析の十分でない点があるので、形式的に
生活給ということを論じておると思うのでございますが、私
どもは、
ベースアップの
要求をしておる
段階において、
生活給というものが当然強く叫ばれなければならないということは、御了解いただけるものと存ずるのでございます。
第二点として私
どもが
考えなければならないことは、
お互いの
教員の
職場は、
相互に尊重し、敬愛し合わなければならないと思うのでございます。私、先般
高教の方の書かれたものを見て、これはまことに
教育者としては嘆かわしいことだと思いました。というのは、最も劣等なる者が
小学校に行き、そのうち少しましな者が
中学に行き、おれ
たちは
高等学校にいて、
ちよつとおれ
たちよりプラスの者が
大学に行くのだ、こういつたふうな
考え方が、
一つの基盤にな
つておるようでございます。私は、この点については、やはり
教育全般の立場から申しまして、大きな問題があるのではないかというふうに
考えられるのであります。
お互いに、
教員の
職場は尊敬し合
つて行かなければならない。これは、失礼でございますが、
お互いの
子供を
学校に託します場合にも、もし
小学校の
教師がすべて
女学校卒業程度、助
教程度の者がや
つて、まことにあぶ
なつかしい授業をしている、こういうことは
ほんとうに親の心持としても、何とかあそこにいい
先生がいてもらいたいという気持を持つのは当然であります。それぞれの
パートにそれぞれの十分な有能の士がおるように
考えられ、そして
お互いの
職場のそれぞれの人間が、
お互いに尊敬し合えるような
状態に置くことが、最も必要であろうと思うのであります。これは私
自身、
自分の同級生が、ある者は
小学校におりますし、おる者は先般
中学校ができましたときに
中学校におり、それから
自分たち高等学校におる者もおりますれば、今、
大学の助
教授をしておる者で、私
どもの
大学の同期の者もおるわけであります。そういう者が
お互いに話し合つたときに、
相互に尊敬し合う、その間にあ
つて、
大学に残
つている者が
ほんとうに優秀であるというようには、私は
考えておりま
せん。これはたまたま家庭の事情や、あるいは
教授との
結びつきのチャンスの問題で、そういうような問題は決定しておるのでありまして、決してこれが本質的なものの差によ
つてきま
つておるものではないのであります。この場合に、よく
大学を小型にしたものが
高等学校であり、
高等学校をもう
一つ下等にしたものが
中学校で、
小学校に
至つては、それのまた下である、こういうふうな
考え方によ
つて学校を
考えるということは、私は根本的に間違いであろうと思う。これは、たとえば
一つの品物、お
手元にあります灰皿のようなものをつくるにいたしましても、一番
基礎の
原型をつくる
職人と
上絵づくりの
職人と、これらがそれぞれ
段階を持
つて分業作業をしておるわけでございます。その場合に、
上絵づくりの
職人のみを重視して、
原型をつくる
職人を無視するならば、これはどんなに
りつぱな上絵づくりでも、どうにもならない。それは
資本を投ずる
資本主にしても、それぞれの
パート、それぞれの
職人に同じような敬意を払い、そこに同じような
重要性を感じて
仕事をすべきものだというふうに私は
考えます。そういう点に立ちまして、私は無理に
学校の間に軽重の差別をつけよというふうな
考え方に対しましては、
高等学校の
教員の一部の者にそういう印象を与えるような言辞があるにいたしましても、
高等学校の
教員の全
理性は、そういうものを承認いたさないのでございます。
次に私が申し上げたいのは、お
手元に差上げた一枚のまことに粗雑なプリントでございますが、この表を見ていただきたいと思うのでございます。まん中に大きく出ておりますのは、
文部省の統計によりますところの
小学校、
中学校、
高等学綬の各
学校種別の
出身者の表をつくりましたものでございます。次に小さく書いてございますのは、
日教組がか
つて教育白書で、
全国の各
学校にわた
つて全部調査をいたしました
教員の
出身学校別を統計いたしましたものでございます。それを一応見ました場合に、現在の
中学校の
職員の状況がどういうふうにな
つているかということを申し上げたいと思うのでございます。
中段の一番左の上にございます
東京の例をひとつ見ていただきたいと思うのでございます。
東京の
新制中学校におきましては、六〇%が専三以上、つまり
専門学校三年以上の資格を持
つている者でございます。そうして専二が一三%、
旧制中学校が五五%、
大学が一二%、専四が一〇・五%でありまして、
東京都におきまする
新制中学校は、ほとんど全部が
専門学校卒業以上の者をも
つて現在構成されへこの傾向は、昨年と今年を比べますと、一層
専門学校三年以上の者の率がふえて参
つておりまして、旧中、専二の
状態というものは減
つて参つております。これは
中学校の
教育において、非常にそれぞれいい
教員を集めるために努力しておる証左でございまして、私
どもは、この傾向は逐次強くな
つて参るというふうに確信を持
つておるのでございます。なおこれが最も徹底した例といたしましては、御承知の
東京の
教育大学、あるいは奈良の女子
教育大学、広島の
大学、これらにありますところの
附属の
高等学校と
中学校との関係を見ました場合に、これらはまつたくすべて
学歴が専四以上の者をも
つて構成されております。ただ便宜的に
中学と
高等学校とがわけられているのにすぎないのでございまして、日本の六三三の
学制の中で、
皆様方も非常に御心配いただいております
中学校のいわゆる学力低下の問題に関しましては、私
どもとしては一生懸命に、ここにいい
教員が入るようにというふうな
考え方に立
つておるのでございます。この傾向は逐次都会地からいなかに及びつつある。もちろん現在のいなかの
状態においては、まだ残念な部分があるのでございますが、それでも、たとえば三重県の例をごらんくださいますならば、三重県ではやはり専三以上の者が四二・九%と、それだけのパーセンテージを占めて、逐次向上しつつあるのであります。こういう傾向は、当然日本の
教育をプラスする喜ぶべき現象として、私
ども考えているわけでございます。
そこでさらに一番下の方に、たいへんきたなく書いて申訳なく思
つているのでございますが、そこに
大学、高校、
中学、小学として、一番左のすみのところにある表がございます。それを見ていただきますと、現在どういうふうに
教員の構成がバランスをと
つておるか。
大学では、現在約四〇%の旧制中等
学校程度の資格の方がおるわけであります。この方々がいろいろな形で切りかえられておる。それから
高等学校について申しますと、旧制中等
学校程度の資格のある者に、
大学に行ける資格の者が一五%
程度のものは
交流し合
つておる。それから
中学校におきましては、約四〇%
程度の者が、これは旧
中学校程度の資格としてあるのであります。こういうふうに見て参りますと、全
高教の
諸君の御説明になるのでは、
小学校と
中学校とでは、全然
教員構成が1全然ではなく、ほぼという言葉を使
つておられるようでありますが、同じでありまして、これを
小学校と同一な扱いにすればよろしいのだ、こういうふうな
考え方に立
つておられるような次第であります。こういう点は残念ながら、非常ないなかの貧しいところだけ見ておるのでありまして、たとえば
東京の
中学校の人や、その他の人がこのことを聞くならば、私はやはり
中学校の立場に立
つて憤慨するだろうと思うのであります。私
どもの努力も、できるだけこれを全部右の方に引上げて行きたいというふうに
考えておるのでありまして、この傾向は逐次ふえつつある。このことをひとつ十分に御了解いただいて、こういうふうな
段階にありますときに、私
どもは、これにどこで差別をつけるべきであるかという点については、迷うのであります。現に高等師範の
附属の方々は、
給与に対してどういう
要求をしておるかと申しますと、
自分たちの
給与は
大学と同一にしてほしいという要望を出しておるのであります。
大学の
教職員のグレード表と同じものを使
つてほしいと叫んで、いわゆる
中学校、
高等学校の方々が
要求を出しております。この点は
文部省関係の方々も御存じだろうと思うのであります。こういうふうな点は、私
どもの
見解とも一致するのでありまして、
日教組の
高等学校関係のものは、全部こういうふうな見地から、
大学から
高等学校まで、本俸においては当然一本であるべきである。これが
ほんとうに日本の
教育政策の上から言
つてもよろしいことであるという信念に立
つておるのであります。これがただいまの
教員の充足状況から
考えてみました場合に、学芸
大学の卒業生というものが、すべて
高等学校、
中学校というようなふうに、もし
給与差をはつきりそこにつけて行く形になるならば、私はやはり希望する者はなくな
つて来て、勢い
小学校には、もうやむを得ず助
教程度の者で絶えず充足しなければならない
段階が来るのではないか。この点は、私が
高等学校の
教員で、こういうことを申すのはおかしいのでありますが、
高等学校の
教員が、
給与が低いからなり手がないという現象については、これはやや問題があろうと思う。
ちようどちつとは
給与が低くても1
大学の助手に無給でもなろうという者があるのと同じような気持で、
東京都の
高等学校の場合などですと、やはり相当殺到して参
つております。こういうふうな現象は、まあ
教員自身が、ある
程度名前が持つ封建性にも引かれておるのだと思うのでありますが、これは国が
教育政策上からい
つて、どこへ行
つても本俸においては一応同一である。
従つて、
教師はみな自信を持
つてそれぞれのハートで授業ができるというようにするのが、私は日本の将来を明るくする
教育政策ではないかというふうに
考えるのであります。
それでは、最後に、
高等学校の
教員が、なぜそんなに不満を起しておるのかというふうな点について、御疑念をお持ちになるであろうと存ずるのであります。これは私
どももか
つて、べースーアツプが次から次へと忙しく、一年に二度も行われていた時代におきましては、ある
程度まずい現象が起つたことがあるのであります。それはあるいは全
高教の方々が、
皆様方にも御説明に
なつたことがあるだろうと存ずるのでありますが、
学歴の長かつた者が、
学歴の短かい者よりも低くなるような現象が起つたことがあるのであります。この点につきましては、
日教組の
高等学校関係の者も、
日教組の中でみなで討議いたしまして、なるほどこれはまずいというので、昨年度、
人事院、
文部省と相談いたしまして、新しい
級別推定表をつく
つていただいたわけであります。しかし、その
級別推定表をつく
つていただいたのでございますが、残念なことに、予算関係から、これを完全に二十三年一月一日までさかのぼ
つて実施するということをしなかつたわけであります。金がないからそういうことをしない。
従つて不合理のままのものを、ただ一号俸かぶせるというような形で
実施しましたために、今日県によりましては、まだ十分な解決を見ておらないところがあるのでございます。この問題を十分に解決していただいて、昨年度
級別推定表を
実施いたしました精神を十分に
実施していただ、く。もう
一つは、これは産業
教育法の問題のときにもいろいろお聞きいただいたと思うのでありますが、
高等学校の
教員が、前歴の問勝ついていろいろ複雑なものがある。それを機械的に取扱つた場合に、やはり非常に計算がまずくな
つて来る。この前歴計算を十分に優位に見てもらう、こうすれば
職業教育関係の方も満足していただける。大体私
どもも
高等学校の方々と相談いたしまして、前歴が十分に見られる、それから
級別推定表の精神を十分に
実施していただける、こういう二点が、今度の
給与準則をつくりますときにも、はつきり確認されて、それが生かされますならば、私はこの
高等学校関係で
給与に関して起
つて参ります問題は、一応解決すると思
つております。
なお先ほど岡
委員長も言われましたように、将来、
研究費というふうな問題につきましては、私
ども生活給の問題を解決し、当然これらの問題については別途
研究して、この点については皆さん方にも十分に御配慮を願うように、私
どもとしてもお願いいたさなければならない
段階にあるのではないかというふうに
考えております。
以上まことに粗雑でございますが、われわれは
生活給の案を持
つて砦ということと、
職場の構成というものは、現在差別をつけにくい状況にな
つておるということと、それから
教員がそれぞれ
相互に敬愛し合う
段階に置くことが必要であるということ、最後にこの
級別推定表の精神を完全に生かすことによ
つて、今一番
高等学校に関して問題にな
つておる問題が生かされる点を申し上げて、
皆様方の御質疑にお答えしたいと存ずる次第であります。