○諸井
参考人 私が諸井でございます。ただいま
森田君の申されました通り、ラジオあるいはニュースで世界的に報導されるような不祥事ができましたということに対しましては、私どもほんとうに何と申し上げてよろしいかおわびのしようもありませんが、どうか皆さん御容赦をお願いいたします。
第一の本
分村問題に対する意見並びに採
つた態度、こういう御
質問でございますが、私はすでに
分村は絶対法に触れておるからいかぬということを申して参りました。その理由は、今
森田君が一千二百万円という納税額を保有しておるというようなお話でございますが、私が申し上げますならば、実際にそれは空論であります。現在二十五年度に
飯能に納税いたしました額は、七百五十八万六千七百三十九円でございまして、今
森田君が主張いたしましたようなこととは、五百万も食い違いができておるのでございます。それはなぜかと申しますればいわゆる首謀者になられた
方々は、残念ながら一回も
町村自治をやられたことのない方でございまして、あまりにも申されることが厖大である。これが根本問題でありまして、区民を籠絡したと私は信じております。とにかく二十六年度現在、本年度の納税額が七百二十三万一千三百十円でございます。それを見ましても、とうてい独立して行けないことがわかると私は思います。なお自分の村の恥を皆さんの前で申し上げなければなりませんが、十二月三十一日までもう幾日もございません現在、二十五年度と二十六年度を対照いたしまして、百四十四万五千百七十円という滞納があるのでございます。これで独立して行けるかと私は心中ま
つたくおそれておる者でございます。それですから、皆さんにどうか理解をしていただいて、こういうことでなく、実際にこの元
加治村を見直してくれ。今元
加治は歴史がどうだとかいうようなことを言いましたが、実際元
加治というもの仏子、野田という二字からできておりますが、仏子と
合併いたしましたのは二十三年の九月十七日で、やはり議会で
町村が
一緒になるという法令ができたので、
合併したのですが、仏子と私どもの方の村とは、非常に質朴な村である野田と、非常にはでやかな村の仏子とが寄り集ま
つたのでございますから、いつも純朴な私の方の野田は、仏子の
方々に引きずられておるまうな形でございます。とにかく昔から仏子は、いつも堰場につきましても、無法な行為をいたす。自分の方の水田に水を入れるために、杭の高さを、きま
つておるにもかかわらず、高いのを打つ。打てば、元
加治村の方はやはり水田が低いものでございますから、私の方に弊害が来る。そういうようなことで明治七年にも大げんかができたのでございます。そのときは私どもの方は水室連合と申しまして、野田と笹井と根岸と広瀬とが組んでおり、仏子は岩沢という連合に組んでお
つたのでございます。何百年の歴史ということはただ形容的に
飯島謙輔氏が文章をこしらえたにすぎません。そういうふうに人心におきましても、思想におきましても、違
つておるものが統合したのでございますから、元
加治村は神社仏閣のお話がございましたが、神社を見ていただいても、野田の方は充実してつくります。仏子の方はとにかく工業地でございまして、大きい方もたくさんございましようが、とにかく貧富の差が非常にあるのでございまして、それはつくりましたものを見ていただけば、すぐに立証できることと思います。そういうようなわけで、絶対に分離をしてもこれはだめなんだ。それよりか
飯能に
合併してお
つて飯能はとにかく大都市計画途上にあるのだから、これを大都市にして、市の電車もつく
つてもらう。現在は武蔵野線という電車があ
つて、同じ村で二箇所停車場がございます。仏子にもございますし、私の方の野田にも停車場がございます。ですから東
飯能まで電車で通わせてみたところで、これは大したことはない。
飯能町の地図を見ましたならば、ほんとうに交通の便利だという所は、元
加治ほど恵まれているところはないのでございます。ましてこれより先、御承知のように、
税金も軽減されるなんということは、もちろんないはずでございますから、お互いに神様の寄り集まりではないので、人のやることだから、
飯能に欠点があ
つたならば、元
加治の方で要望して、できるだけ向うからもしてもら
つたらいいじやないかということを、私は常々申しておりました。ですから
選挙にも、
反対を標榜して立
つたのでございますが、圧迫干渉やいろいろのことで落選いたしたのでございます。とにかく落選するのは無理もないのでございます。
選挙前に、区民に対して何の話もなく、一戸一名印鑑を持参して集まれという触れで、みんな出ました。ところがこれは分離するので署名をするのだからと、こういうことで、区民は九割九分まで分離に賛成だというお話でございますが、これはも
つてのほかのことだと私は思います。これはほとんど圧迫的行為によ
つて無意識の区民を引きず
つて行つたのだと思います。そうしてごの分離
運動も、
選挙に五町議が当選すると同時に、だんだん薄らぎまして、六月の中旬にはほとんど立ち消えのようになりまして、区民全体は何だ、これは
町会議員に出るために
分村を旗じるしにしたのだというような声まであ
つたのでございます。ところが八月の四日に、
飯能の町有財産が名案にございますが、その町有財産の
調査委員として、新井徳二氏と平岡千代吉君が参りまして、それを見ましたところが、これは相当の財産だ、わかれさえすれば、この財産を分配できるのだというのが、これが今度の分離の熱烈に
なつた起因と私は想像しております。三千万や三千五百万はとれるのだ、一千万ぐらい使
つても何でもないということが主体で、
議員を
買収しろ。そのために八月五日から青年層を動員しまして、自動車やラジオカーで呼びかけて、分離熱がひどくな
つたのでございます。そうしてもうそうなる以上は、先ほど駐長さん、
署長さん、県の方からもお話がありましたように、手段を選ばなくな
つたのでございます。何が何でも
分村という理由は、ちつとも私あたりにはわかりません。地形から参りましても、すべての今日の時勢から参りましても、とうていそういうばかげたことはやることじやないと私は思
つています。しかしながら
有力者の
平岡雅雄君が、二言目には、何ぼでも出す、これは憶測、あるいは風評でございますから、よくわかりませんが、これには政党意識も相当あるというようなことも第三者から話を聞いております。
第二に、暴行による被害状況、今
署長さんから皆さんのお手元にお配りしました写真で
実情はごらんのことと思いますが、二十四日の午後七時半、群衆が大挙いたしまして、「あけろ」「諸井を出せ」「ぶつ殺すぞ」こういう掛け声のもとに、玄関のガラス障子、いわゆる表通りのガラス障子、雨戸を百数十人、家の裏表、周囲から寄り添いまして乱入し、石を投げる、ける、昔絵で見ましたようにはち巻姿で、手当り次第丸棒とか、いろいろな所持品を持ちまして、そうして、突きさす、道具を投げる、重い物は大勢でかつぎ出して、築山の石にぶつけてぶちこわす、こういうような乱入をいたしましたことが、どうしてこれが、今
森田氏の言いましたように、幹部が少しも知らないんだということが申せましよう。この立証は、とにかく元
加治小学校に会長名でもちまして、
分村に対する経過報告という題目のもとに、男子は軽装して予定のものを持
つて出ろという触れだ
つたそうであります。私はその当時
飯能に参
つておりましたが、とにかくやることは何でもやれ、どんなことをや
つても、非合法なことであ
つても大丈夫だ、町警は今月一ばいで廃止にな
つてしまう、
あとは国警だから国警は平岡の旦那がついている。
飯島の旦那がついているから、やるだけやれ、こういうように群衆に触れまわしたものだから、まだ日本の国民性の心底にこういうことが潜在してお
つてはたいへんだと思うような殺伐意識が、表面化したことと私は信じております。まことに何と申し上げてよろしいか、これはひとえに私の不徳のいたしたところでもございましよう。しかしながら、今
森田君が申しましたように、とにかく工業地帯として
県下で屈指だというような、人にあがめられるような土地でありながら、何とおわびしていいかわかりませんようなこの暴行ざたをや
つたことは、何と弁解いたしましても、私は幹部の責任であると思います。昔秩交暴動がございました。首謀者二人が背負
つて立
つて、われわれ二人がや
つたのだ、ほかの者は何もしたんじやないと言
つて、死刑に処分された。それと今度のことを考え合せましたならば、何という幹部だと私は思います。下の者にみなやらせて、幹部は知らぬ顔をしている。とにかく群衆が五班にわかれて、出動のときは全部そろ
つておりました。それがとにかく音が始ま
つて引揚げて、そのときにのこのこ家へ帰
つたというようなことで、どうして指示しないとかいうようなことが言えましようか。人にやらせて
——もしやらせたのでないしたところで、その責任を負わないで、どうして今日いられましようか。そういう人だからごそ、こういうことができたのだと思います。
三番目に、
分村運動並びに騒擾
事件の背後関係、こういう御
質問にお答えいたします。初めに、元衆議院
議員の、分家と土地では申しております
平岡良藏氏宅を
分村の首謀者の
宮岡馬之助ほか数名がたずねて、ぜひ
分村に御賛成を願いたい、こう同氏に申し入れたそうであります。そのときに同氏い
わく、現下の国情からしてそんなばかげたことができるか、
反対だ、ということで頑として断わられた。その帰り道に、本家と申しておりますが、これは今の本家で、もつと本家もございますが、
平岡雅雄氏をたずねて、新家へ伺
つたところが
反対されましたというと、それでは自分が賛成する、こう平岡氏が言
つたそうであります。これを総合いたしましたならば、平他のお家騒動ということを、新聞紙上で報道しておりますが、この一事を見ましてもそれが裏づけられたことと私は信じております。そうしてその話に力を得て、
分村期成同盟会を構成、そうして
運動強化となり、
地方町村議会に、いかなる手段でもよろしいというので、新聞紙上で御承知の通り、増収賄その他あらゆる手を尽して、ま
つたく善良なる気持では何とも申し上げられるような行動が数々あるのでございます。こういう時代に、とにかく国家の
法律に従うのが国民であるにもかかわらず、いかなることをしてでも、法の許す限りというようなことを、ただいま
森田君が申されましたが、どうか皆さん、こういうときに法を云々して、とにかく騒擾
事件というようなことにまで立ち至りましたこの責めを、どうぞ十分に御認識くださいまして、
反対のわれわれに対しても、どうぞ御同情をお願いいたします。
それから四は、本問題に対する将来の見通しということでございますが、今後区民が反省して、
指導者が善導したならば、本来の姿に返
つて行つて、必ず私のこの生地も何とか
県下屈指の土地になりはしないか。但し区民は非常に性質が雷同性が強く、熱しやすくさめやすい、まして自制力がない、そうしてよく職人根性と申しますが、人を踏み倒して自分が偉くなる、そうして人をののしる、うらやむ、こういう性格があるのでございます。そうしてもう一つは、貧富の差が非常にある、そうして虚栄心が高過ぎる。それからいいところを申し上げますならば、信じた上はいかなることがあ
つても断行する。その精神が今度の暴行に
なつたと私は思
つております。真に
指導者がよか
つたならば、負けじ魂があろ区民でございますから、事に当れば熱心にやる、そういう長所がございますから、どうぞ皆さんの手で、この私の村を御
指導願いましたならば、それこそ大
飯能都市計画上におきまして、ほんとうにこの汚名をそそぐごとができやしないかということを、心ひそかに存じておるものでございます。
これをもちまして簡単でございますが、終ります。