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神戸政府委員 地方行政調査委員会議におきましては、昨年の十二月二十二日に、国、
地方を通じましての
事務の再
配分に関する報告を提出いたしました。それにおきましてほぼ尽したわけでありますが、なお
特例といたしまして残しておきました問題があります。それは
大都市と
東京都と
北海道との三つの
地方団体に関する
特例であります。関連いたしまして
地方団体の
規模、組織、運営、あるいは国と
地方との
関係等につきましても、関連問題として残しておいたのであります。さらにそれらと関連し、それらの締めくくりといたしまして、
地方の
財政制度に関する
勧告をいたす予定にいたしてお
つたのであります。これを今回まとめまして
国会と
政府とに提出いたした次第であります。一通りこれらの
勧告につきましての御説明を申し上げます。
まず三つの
地方団体についての
特例でありますが、第一は
大都市の問題であります。
大都市につきましてはその
行財政能力に応じまして、他の
一般の
市町村よりもより多くの
事務を担当することが適当であるというふうに
考えまして、さきに提出いたしました報告におきましても、若干の
特例をすでに設けてお
つたのであります。それは
高等学校、
児童相談所、
卸売市場、並びに
国道管理等であります。これらにつきましては、あまりにはつきりいたしておりましたから、すでに前の
勧告におきましても明記いたしておいたのでありますが、なおその節におきましても、
大都市に適したところの
仕事は、もう少し研究して、附加するであろうということを予測してお
つたのであります。その研究の結果およそ十三ばかりの
仕事を、—それはおもに民生、衛生あるいは
通産省関係等の問題でありますが、それら十三ばかりの新しい
仕事を
大都市に指定いたしたのであります。それは
府県で担当しておりますところのこれらのものについては、
大都市なればやらしてもいいという
立場から、そういうものを指定したのであります。かようにいたしましてもなお
大都市にや
つてもよい、あるいはやりたいというような
考えが起り得る問題は残るのでありますが、ことに、これはやらしてはいけないというふうに
考えました問題がありました。それは何かと申しますと、
地方計画であるとか、あるいは
農地調整であるとか、職業安定であるとか、
自動車運輸といつたようなもので、それらの問題は、
大都市のみでやらすよりは、やはり
府県と連絡をと
つて、より広い地域にわた
つてやる方が適当であると認めまして、そういうものは
大都市に与えなか
つたのであります。しかしながらそういつた若干の例外はありますが、相当にたくさんの
府県の
仕事が
大都市にはまかされておることになります。従いまして、
大都市につきましては、従来二重監督、二重
行政の弊害があ
つて、
人民にと
つても非常に煩雑であるし、
当局者も手数がかかり、能率が上らない、むだであるという非難が、全部でなくてもほとんど解消することができるように
なつたわけであります。それをもちまして、まず
大都市のこれまでの不平というものは、大体において解消することになりましたから、
大都市問題は一応片がついたとみなしてもいいわけであります。しかしながら、これと関連しまして、これまで、
大都市側から要望があり、また現に
地方自治法においても規定しておりますところの特別市という問題があるのであります。これをどうするかという問題は、私
どもといたしましては、それに関連して附帯的にその回答を与えたのであります。これにつきましては、
府県の側からは、そういう規定というものを
地方自治法から削除して、問題を複雑化しないようにしてくれという要求がありまするし、他面
大都市の側からは、
現行の制度でもなお足らないから、むしろもつと進んで
大都市が特別市になるということに都合のいいようにしてもらいたいという希望も出ておるのであります。すなわち
現行におきましては、
大都市を特別市にすることにつきましては、
国会が法規によ
つて指定し、
人民投票によ
つて人民の意見を聞き、そうして最後の決定をするということにな
つております。それにつきましては、
人民投票は全
県民投票でやるということに現在はな
つておりますが、
大都市側といたしましては、むしろ
当該市だけの
人民投票で足るようにしてもらいたい。
国会の御決定があれば、
当該市の
人民投票だけできまるようにしてもらいたいという希望であるのであります。私
どもといたしましては、だんだん研究いたしましたが、これはまず
現行の規定をそのままということに一応きめたのであります。そうしてこの問題には、何といたしましても、いろいろ研究し準備しなければならぬ問題があるということを耳にいたしますので、これはそう簡単に扱うことはできない。それぞれの
大都市につきまして、具体的の情勢に
従つてやらなければならぬ。すなわちその
都市が
国家的の
重要性を多分に持ち、
金国家の影響を受け、また全
国家に影響を及ぼすような
重大性を持
つているかどうか。そうして、そういう
都市を特別市にしても、
大都市としての
性格を十分に伸ばして行けるかどうか。そうしてそういう
都市をつくるということが、
国家的に必要であるかどうか。そういうことをそれぞれの
都市について
国会でも
つて御審議いただいて、それで一応まず
一つの
前提ができますが、さらには、残つたところの、
残存部というものが困
つてはいけない。はたして
残存部が独立して
自治体としてや
つて行けるかどうかということも
考えなければならぬのでありまして、
残存部の
立場も十分考慮して、
残存部が
自治体として十分伸びて行けるような態勢もつくらなければなりません。さらには、かりに
大都市が
府県から独立いたしました後におきましても、共通した
仕事を持つことになるのでありまして、両方に関連した
仕事がありますから、そういうものを協同的に処理するという形式も
考えなければなりませんし、さらには、
一つの
営造物を両方で管理するという問題も出ましようし、いろいろと、
二つのもの連関するところの、
営造物なり
行政事務なりを処理するという方式から、さらにその
責任を分担する、負担する、特に
財政負担をする方式な
ども、十分整えて行かなければならぬのであります。これらにつきましては、ただ独立市になるところの
大都市だけの
考えできめるのではなく、
残存部も納得するような
条件が備わらなければならぬと思うのであります。そういうように十分慎重な態度をと
つて、その
当該都市の
条件なり
あとの始末を十分
考えて、そして
条件がそろえば初めてそれをお取上げいただいて、そうして
現行法規に
従つて、それぞれの順序をふんで特別市をお
つくりになるようになさることが適当であろう。ただ単純に、容易に、軽々しくこういうものを決定するということでなく、慎重にや
つていただく方がよかろうということの意見を添えて提出いたしておる次第であります。
次に
東京都の問題であります。
東京都につきましては、これはまことに単純な
考え方でありますが、
東京都を
二つにわけて、二十三区だけを
大都市、特望市というような形にして、
あとの三
多摩を独立の県にでもすれば、きわめてすつきりした形になるというような
考えがありまして、これは長い問いろいろの
方面から
—学者等の間からも、そういう
考えが出ておるのであります。しかし実際について調べてみますると、そう単純にり
くつ通りに、机の上で
考えるほど簡単な問題ではなく、長い間の沿革といいますか、長い時というものがありまして、
二つのもの、三
多摩と二十三区とは
切つても切れね
関係に立ちまして、二十三区の
立場といたしましても、三
多摩によ
つていろいろリクレーシヨンなり、永利なり、あるいは住宅問題なり、民生、衛生産業いろいろなものに関連して、これに依存することが強くな
つてこれを切り離すことは困るという
考え方が強いようであります。三
多摩の
立場に立ちましても、いろいろこまかい反対はあるかもしれませんが、しかし私
どもの調べたところでは、これも
東京と関連をも
つて発展して行きたい、こういう
意思が強いということを見出しましたので、学者の机上の計画的な
結論をやめた次第であります。従いまして、現在の
東京都すなわち二十三区と三
多摩とを合せた特殊な
地方団体の形を維持することを、まず
前提といたした次第であります。
そういたしまして、さて
東京都というものは、どういうものであるかということになりますと、これは
府県という
性格と、そうして二十三区については、
大都市という
性格、
二つの
性格を持つ。三
多摩に関する限りは、都というものは
府県ということになりまして、その下に
一般の
市町村同様な
市町村というものが存在するという、変態的な形をとるところに持
つて行つたわけであります。しからば二十三区の区というものはどうなるかということでありますが、これはまことにたくさん各
方面からのいろいろな陳情もあり、いろいろな
議論が出て参りますし、相当私
どもとしてはむずかしい問題として、最後まで幾たびも審議して、ようやく
結論に達したような次第でございます。しかしすでにある程度まで二十三区の区というものは、法人区として長い歴史を持
つておるし、
地方自治法ができましてからは、一層自主的な
自治団体としての取扱いを受けることにな
つておりますので、これを全然
自治区でないとすることは、
自治というものの
発展の上においていかがであろうかということになりまして、まず
自治区たる
性格も完全ではないが、制限された
自治区として、あるいは完全なる
自治団体に準ずるものとして認めようということに
なつたわけで、決して単に五
大都市のごとく
行政区とはしなか
つたのであります。
行政区ではない、しかしながら不完全な制限された
自治団体ということに持
つて行つたのであります。従いまして、それによ
つて区というものが一応
行政区となり下つたわけではなく、特別な
地方団体であるが、
地方団体としての資格は持つ、しかしながら二十三区におきましては、都というものが
大都市の
行政というものを一体的に行うことによりまして、能率的に行うことが、非常に市民のために便利であるという
立場を尊重いたしまして、この二十三区というものは、既存の制限された
自治権を持つ
場ところの
団体と認めたのであります。かようにまずきめました。そうして
事務の
配分の上におきましては、
仕事がこれまでのように、はつきりしない点がありましたから、これこれの
仕事は
行政区の
仕事、ただ都知事がか
つてに当てがうのでなく、
法律でも
つて法定化して、
一定の
仕事は
自治区の
仕事というふうに保証する。単なる
行政区でありますれば、市長というものが区長に上からおろすというのでありますけれ
ども、そうでなく
法律の力でも
つて、これこれの
仕事は
自治区の
仕事とする、その
仕事というものは結局市民の身近にあるところの
仕事、つまり身近に感ずるような
仕事をできるだけ区にまかして、そうして身近の
仕事であ
つても、市あるいは都が全体として肯定し計画したということにおきまして、非常に意義のあるものはおそらくそれはまかされない、そうしてその中間的の
仕事におきましては、ある程度まかしてよいものは委任をする、都の
仕事であ
つても、都の
仕事の
一定の
部分は区に委任するという道を開きました。しかしともかく区というものの
仕事といたしまして、
法律の力でも
つて、はつきりと
仕事が指定されまして、これまでのように
年々歳々都区協議会とか何とかというものをつく
つて仕事のとり合いをするということはなく伸したい。
法律の力でも
つてはつきりしたい、こういうふうにきめた次第であります。
それから次に
北海道でありますが、
北海道につきましては、これは御承知の
通り北海道というものは人口稀薄な広漠な地域を擁しておりますし、それから
国家的総合開発の
重要性を持つたところでありますから、従いましていろいろな行整におきまして、ことに道路とか、河川とか、山林とか、港湾とかいつたような面におきまして、国の
責任を
一般の
府県よりは多く持たせ、国のやる
部分を多くいたしたという点に特徴があります。一々のことは申しませんが、そういう意味をもちまして国の
責任の
仕事を
一般の
府県よりも多くしたのであります。これに関連いたしまして、
ついでにいたしましたことは、最近に
政府が
北海道の
開発局というものをお
つくりにな
つて、そうして国の
責任のあるものは全部やるのだという御方針でお始めに
なつたようでありますが、しかし何もかも
政府が
出先機関をしてやらしめるということは、
地方民の
意思というものを反映する上においていかがかと存ずる次第でありますから、たとい国の
責任に属する
仕事でも、軽い
仕事、小さい
仕事、比較的
重要性のないものは、むしろ
北海道にまかして
地方民の
意思を反映せしめてやるようにして、そうして国といたしましては、せつかくできたところの
北海道の
開発局というものに、大きな
仕事であるとか、むずかしい
仕事、技術的に、
財政的に、
地方では力に余るような比較的大きな
仕事というものを、もつ
ぱら国の力でも
つておやりになる。たとい国の
責任であ
つても、まあなるべく
地方にやらすということに持
つて行
つていただきたい、こういうことを私
どもとしては
結論したのであります。それが
事務の
特例の問題であります。
次に
地方団体の
規模の問題でありますが、
規模につきましては、
市町村の中の
町村はすでに前の
勧告でも触れております。実際におきましても、あまり多くは言いませんが、ある程度進捗いたしまして、そうして
町村というものが相当力強いものになりましたし、またこれからなろうとしつつあるものと思いますし、これにつきましては、さらに助成の方法でも講じていただいてもつと
町村が力強いものになることを、
地方自治の
発展のために希望する次第であります。
市につきましては、市というものはだんだんふえます。
町村を合併するとか、現在ある市が附近の
町村を併合するとかいう形で、どんどん新しい市ができますが、
考えてみますと、市というものは
一般の
町村よりも、たとえば警察、消防のような特別の
仕事もありますし、
教育委員会というような
仕事、あるいはその他若干の
仕事を
町村よりよけい負担すべきことにな
つておりますから、あまり小さい市ができるということは好ましくないと
考えます。これは別に確固たる標準があるわけではありませんが、現在の人口三万という標準などは幾らか
引上げたらよかろう。どのくらいと言われるとむずかしいですが、五万とか七万とか、幾らか
引上げてそうして市としての名目の立つような形をなして行く。人口ばかりでなく、市街的な形をなしておるというようなものに市というものを認めてそうしてただ
むちやくちやに町村を一緒にして、ばらばらな、市と言えないような形のものを市にするようなことは
考えなければならぬというふうに思うのであります。
それから次には
府県でありますが、
府県の
規模につきましては、これもいろいろの
議論がありまして、まことにむずかしい問題でありますが、大体におきまして
府県の
規模というものは治山、治水、
交通等の
関係から申しますと、できるだけ大きい方が望ましい。しかしながら、また他面におきまして
市町村の調整をするとか、
市町村の
仕事がうまく行かぬものにつきまして、それを補完するとか、調整とか、
市町村のめんどうを見るとか、いろいろ連絡をとるとかいうことになりますと、大きいよりは小さい方がいいのだという、
二つの
違つた要求があります。そこでこれにつきましては、私
どもといたしましては
結論を出しませんで、現状のままでもできぬことはないが、しかし能率的にいろいろな政策を行うのには、もう少し大きくした方がよかろうという程度のことを
勧告いたしておる次第であります。どうしろということは申しませんので、できるだけ大きい方がよかろうというだけで、それより進んでかれこれは申し上げないことにいたしたのであります。
次にそれと関連して道州の問題でありますが、道州制をつくろうという相当有力な
議論がかねてからありまして、いろいろな
方面からそう持
つて行けと
言つて、いろいろ説得をれた場合もあります。しかし
考えてみますと、道州というものを、かりに
府県の上につくるとすれば、それは
屋上屋を架することで、非能率的であり、まことに金のよけいかかることで、
人民にとりまして迷惑なことになりはしないかと憂えるのであります。しからば
府県を廃して道州をつくつたらどうかということでありますが、なるほどそうすれば、
一つの
考え方としてはおもしろい
考え方であります。
市町村というものが有力にな
つて、
自治能力が進んで来れば、そうな
つてもいいと思います。あるいは理想から言うと、
府県と
市町村の二段の
自治団体があることはおもしろくない。徹底して
市町村というものを力強くして、
府県をなくした方がいい、そこまで行けという
議論が、学者的な
議論としては相当強くあるのでありますが、おそらく将来
市町村が力強くなりまして、自力でや
つて行けるのだ、
国家のやつかいにならぬでも、
国家の知識的の援助を受けなくても、
財政的な援助を受けなくても、たいていのことは自分でできるのだというように、
自治団体というものが強く進んで来ますれば、おそらく
地方団体というものは、
府県というものを必要とすることは少くな
つて来るでありましよう。しかしそこまでは行
つておらないので、現段階の
市町村におきましては、力がなくて国にたよる、あるいは
府県にたよる。
府県によ
つていろいろお世話を受けるという場合があるようであります。そう理想的に一足飛びに
市町村だけで
自治体をつく
つて、
府県をやめてしまうということもいけないのでありますから、
府県というものは、まず残すものとして
考えたのであります。そういたしまして道州というものをつくるといたしますと、さて
府県というものが残る、
市町村のほかに
府県を残すことを
前提としますと、道州だけにするという
議論は成り立たぬわけであります。どうしても道州というものはよけいなものにな
つて来ます。従いまして現段階では道州というものは、
市町村から遠いところにおるということになりますと、その道州というものは、国の
出先機関ということにな
つて、
地方自治からいうと、
地方自治の
発展に逆行するようなことになりますので、そういつた道州という、
国家の
出先機関のような形になりそうなものはやめて、むしろ
府県というものをしばらく温存することに持
つて行つた方がよかろうという、少くとも現実に即したところの
結論を出した次第であります。
それから
組織運営でありますが、これはその後
政府におきましても各
方面でいろいろお
考えにな
つて、
地方自治庁あたりでも、あるいは
政令諮問委員会というようなものでもお
考えにな
つておるような問題でありますから、われわれとしては深く立ち入る必要が少いと認めました。しかし一応はやはりわれわれといたしましても、なるべく能率化するとか簡素化することは望ましいということを
言つておりまして、重要な点について若干の点を指摘いたした次第であります。なるべく部制のようなものを少くしたらよかろう、
委員会のようなものもこれまでのように
委員会付の部局をつく
つて、
地方の費用をふやすよりは、
地方の費用をなるべく少くするように、ある程度
委員会の
事務局というようなものは、
一般の
事務の方にや
つてもらうというようなこと等々を
考えたのであります。
なお次に私は申し上げたいと思いますが、議員の数を減らすということをうた
つております。別段に取立てて言わなくてもよろしいことでありますけれ
ども、これもやはり能率とか経費の面とか、有用な人を得るに都合がよいというようなことを考慮いたしまして、そういうような点を
考えた次第であります。
もう
一つ、
名誉職ということを
うたつたのが非常に刺激したように聞いておりますけれ
ども、これは
名誉職ということであ
つて、決して報酬を払わぬとかいうことではないのでありまして、
名誉職というのは、まつたく
専務職に対する
名誉職でありまして、さらに役人のように専務ではない。従いましてこの報酬な
ども月給というようか形でなく、やはり実費的に
仕事に応じて支給するということで行きたい、こういう
立場にあります。専務ではないということにつきましては、いろいろまた
議論がありますけれ
ども、国の場合と
地方の場合は違う。
国会議員は速くから出て来られて、
国家のすべての
仕事の中心として国民の
意思を代表しておやりになる
仕事が年がら年中ありますから、専務的におやりにならなければなりませんが、
地方の方ではまずわれわれ実験したところに吉ますと、
理事者が専務的にや
つておりまして、それを監視するとか指導するとかいうようなことに重きを置くべきものであります。
地方にお
つて地方の
仕事を監視するというのでありますれば、必ずしも専務的にならぬでもよろしいのではないか、こういう
考え方であるのであります。
それから次に
東京都につきまして、ちよつと
ついでに特別の点がありますから申し上げます。
東京都の運営は御承知のように
府県と
大都市の
性格二つを合せたものであるということによりまして、普通の
府県よりは
都市的な
仕事が多いだけ、部局な
ども少し多くな
つております。それから議会にも二十三区という
大都市的なものの
特別委員会をつくれということをうた
つております。さらにもう
一つ重要なことは
財政の面でありますが、
財政の面におきまして、区の
仕事をするにどれだけの費用がかかるかということを調べてみました結果、あまりに小さい
財源では不十分でありまするし、大きな
財源、たとえば普通の
市町村で申しますれば
住民税であるとか、
固定資産税というものでは多過ぎるのであります。従いましてこれは
国会でおきめになるのでありますが、
法律でも
つてきめられた
住民税のようなものにつきまして、
一定の
部分を都に保留して、
あとの
部分、たとえば三割なら三割を住民が保有して七割を還元する、すなわち千代田区なり中央区で
とつたものを都にもどしてもらうというように調整いたしまして、むだを少くするようにいたしました。また一面におきましては、二十三区の間の
仕事あるいは
財政のでこぼこを調整するということもおのずからできるわけであります。貧乏であるから少い
財源でのみやらなくても、ある程度ゆたかなところの
財源がまわ
つて来る
可能性もあります。しかしながらまためいめいの負担したところのものをとりもどすという面もあります。これは前に申しました区というものが完全な
自治体ではなくして制限された
自治体であるという表現が、そこに現われておるのであります。
東京都というものが
大都市の特異性を持
つて仕事をする、区というものが制限された
自治体をも
つて自分の
財源をある程度保有する、還付税というものは御承知のように完全な都税でもありませんし、都税であり、同時に区税である。還付を受けるところの区の税であります。しかし都のものは都が一方でとり、その
とつたものを自分のところにとどめておく
部分と、還付する
部分とわけますから、とにかく不完全ではあるが、区というものも
一つの有力な
財源は持つことになるわけであります。その点が違
つております。
それから
北海道でありますが、
北海道につきましては組織の上では大したことはありません。ただこれまで支庁というものが比較的権限が乏しか
つたのですが、
人民の便宜という面から申しますと、遠い札幌まで出かけなくても、支庁でも
つて間に合うよう、支庁の権限をふやすようにしてもらいたい。あるいは
北海道の特殊性がありますから、開拓部というようなものをつくつたらよかろうということを示唆したわけで、格別問題はありません。
その次に
財政問題について
勧告いたしております。
財政に関しましては三つの点を、全体についてわれわれは
一つの基準としております。
一つは
行政の
事務の再
配分に伴いまして、いろいろ費用の増減がありますから、それを調整し、そうしてその
地方には自己の
財源、自己のとり得る税というものを持ち得るように持
つて行くということが
一つ。第二は、平衡交付金とか補助金とかいうものであります。とかく税を使
つて地方の
自治に干渉したり、いろいろなことをするような傾向がありますが、平衡交付金、補助金の交付方法とか交付の時期等を適正にしまして、そういつた
自治侵害の弊のないように持
つて行きたいということ。第三には、許可とか認可とかいうことが、従来はとかく多過ぎる傾向がありましたが、そういうものによ
つて地方の自主性をそこなうことがないように持
つて行く。この三つの大きな方針をきめたのであります。
第一は税でありますが、税につきましては実は詳しく書こうと試みましたけれ
ども、これはなかなかめんどうでありまして、ことにせつかくシヤウプ
勧告が出て
地方税制度ができましたさ中に、それに大変革を加えるようなことをするのも穏当でないということも考慮いたしまして、ただ大きな数字だけを出すにとどめました。すなわちいずれ
行政事務の再
配分をした結果は、税によりますと
市町村の分がふえ、国や
府県は若干減ります。減りますと、それだけ
府県の
財源の一部を
市町村に譲
つてもらいたいものもあるし、それからまた国の税源も若干遠慮して、残つた分を
市町村あるいは
府県にまわし得るものもある。たとえば所得税について申しますれば、所得税の全収の一割なら一割を減らせば、減らしただけ
住民税の所得割にまわすということ、あるいは酒の税、タバコの専売益金といつたようなものにつきましても、
政府で一割方減らせば減らしただけ新しい
地方の酒、タバコの消費税にまわす。決してこれは
地方でも
つて国と同様な税法とか取立てによ
つてとるのではない。それでは
地方で不適当でありますが、
地方といたしましても小売価格を基準にして、小売の面でも
つてとる方法を講ずれば、別に
地方として不適当でありません。また生産税というような形でとれば国でなければならぬが、しかし
市町村とか
府県でありましても、そういつた税をその管内の小売の額に応じてとるということになれば、これは可能であります。多少の不公平がありましても、もつと弾力性のある消費税を確保したいという希望はある程度考慮して行くということを幾らかそこにうた
つてありますが、こまかいことは触れておりません。
次に平衡交付金も問題です。平衡交付金につきましては、これまでのような配付税に持
つて行こう、元へもどそうという
考え方も相当有力ですが、それは国の所得税なり法人税なりの
一定の
部分を交付するというようなことにしまして、それを
政府の都合によ
つて上げたり下げたりする。
政府が自分の都合でもう少し減らしたいと思えば、割合を少くするような
法律を出すということに持
つて行かれるきらいもありまして、こういうものは
国家の収入なり
国家の
考えというものに拘束されまして、弾力性がないようであります。あるいは
地方の
立場で
言つての自主的な面が欠けている。国の御都合でも
つてどうにでもなるという欠陥がそこにあ
つて、あまりにも機械的になるので、もう少し
地方の必要に応じてやり得るようなことに持
つて行かなければならぬと思
つています。平衡交付金というものがとかく争いがちになるということは
地方の
仕事には国から義務づけられた義務
事務と、そうではなくて、
地方が自分で切り盛りして行く随意
事務と
二つありますが、随意
事務、つまり
地方の
自治能力及び
財源やいろいろの事情によ
つて、あるいは大きくし、あるいは小くし得る
仕事には、平衡交付金が必要でありません。ところが国がこれだけはやれとい
つて義務づけた
仕事については、あくまで国が裏づけをし、後見をしなければならない義務を持
つている。これとこれをしろと言つた以上は、それはしなければならない。そこで私
どもといたしましては、随意
事務についてははずす。これまでシヤウプ
勧告の中では、随意
事務も義務
事務も一緒に見積つた。ところが義務
事務の方ならば、まだまだ計算ができますけれ
ども、随脅
事務にな
つて来るとこまかくなる。それで見てやつたとか見てやらないとか、見方が大きいとか小さいとか、しよつちゆう中央と
地方との争いがたえぬのであります。そこで私
どもといたしましては、平衡交付金については、
財政需要額と
財政収入額とを見合けて、足らぬところを国が平衡交付金て出すということは、今の平衡交付金の方法と同じでありますが、
財政需要額の見積りにおきまして、国が義務づけた
仕事だけに限る。大きなことをいえば、義務教育あるいは民生の保護費というものはこれこれの
法律をもてこうしろ、それだけはどうしてもやれというのでありますから、それだけのものは精密に計算して
財政需要額を目積
つてやれ。しかしながら各
地方自治団体で、自分のところでも
つてどうにもできるよ一うな
仕事は、各
地方の
自治にまかせておく。
地方団体の持つところの
財源によ
つて、
財源と見合せてたくさんあると思えばよけいやる、少いと思えば控えておくということにするが、義務づけた
仕事だけは十分国が
責任をも
つてや
つてやれ。そういたしまして、
財政収入額の方はどうかといいますと、収入の中から
地方の随意
事務に充つべきところの自由
財源というものを引いて、引いた残りを
財政収入額として
財政需要額と見合すという勘定になります。
従つて引く場合におきましては、
地方団体の力によ
つて、財力のゆたかなところは割合いに少い。たとえば全収入額の二割五分でしんぼうする。しかし
財政力の弱いところの貧弱な
市町村あるいは
府県におきましては、七割五分とか、場合によ
つては十割全部見て
財政収入額として見積るところはないということになるかもしれません。そこをどうきめるかということは別の問題にいたしまして、とにかく
財政力に応じて、
財政力の大きいところは割合に少いものでしんぼうするし、
財政力に乏しいところは割合に多くのものを自由
財源にと
つておいて、残りを
財政収入額として、
財政需要額と見合せて足らぬところを平衡交付金として補充する。そうしてその場合においてこういうことが
一つあります。
政府の
財政の都合で、四十億なら四十億出せぬ、八百億出せぬという場合が起
つて参ります。今も起
つておりますが、これからも起りましよう。その場合にはそれだけ
政府の義務づける
仕事を減らすという
条件をつけます。ですから
地方団体としては、
政府に義務づけられた
仕事のために
地方財政が圧迫される、
地方自治が蹂躪されるという非難はあたらなくな
つて来るというようにしたらよかろうということです。なほ平衡交付金につきましては、少くとも年度の始まる前に予定額は
政府からきめて出すべきである。今のように、予算がつくれぬとか、つくつたが
財源がなくて途中で赤字が出るなんていうことのないように、年度の初めまでに予定額を国の方から示すようにしてもらいたい。こういう希望であります。
それから補助金につきましては、とかく補助金を濫用して
地方自治を侵すおそれがありまするので、できるだけそれを減らすという方針で、大体新規の事業であるとか、ことに特別な
仕事をどうするかということは結局立法問題ですが、そういうようなものに限る。第二は主として土木
関係ですが、河川とか道路等々の
方面におきましては、相当に大きな金がい
つて、とうてい
地方の力では背負い切れぬというものについては、
一定の補助をするということもやむを得ぬと思います。その次は災害復旧の費用ですが、日本のような災害の多いところでは、ことに貧弱な
地方団体では背負い切れぬ場合がありますから、これはひ
とつ全国的に分担するという気持で、国が見てやるということであります。この点は私
ども十月の
勧告の中に、ある程度基準を示しております。大体そんなようなものに限
つておりますが、その他交付金といたしましては、国が
地方に委託するとか委任する
事務であります。たとえば国が
地方の試験所に研究を委託するというように、委任
事務というのは非常に多いのですが、こういつたものについては国が賠償をする、補償をするというとは当然でありまして、ことに委任
事務につきましては十分に見てや
つて、委任
事務を
地方にまかせたために
地方が迷惑するようなことのないようにしてもらいたいということを
言つております。その他税にかわるべきところのものを国から
地方に渡す、あるいは予算外の負担に属する債務の支払いといつたようなものもありますが、そんなようなものは当然国が出すべきものであります。補助金という名前があつたとすれば、性質は補助金でなくてそういつたものでありますが、そのことの性質に
従つて交付することにしたらどうかと
考えております。
それから公債につきましては、今日の特殊な情勢、つまりドツジ・ラインといいますか、何か金融統制が強力に行われまして
地方の借金をする資金というものは預金部から出すという方法が立てられたのであります。
議論の余地はありましようが、こういうものが守られておるところの現在におきましては、それをしいてとは言いませんが、少くともわれわれは昨年十月の
勧告に述べました通り、これは需要別の査定ではなく
団体別にして、少くともめんどうな手続というものは少くしてもらいたい。あまりに
自治の
仕事について査定をされるということではやりきれぬから、
団体別にする、
市町村の分は
府県別にしてもらいたいという要望を出しておりますが、それはそれといたしまして、多少恒久的な制度といたしましては、
地方債はできるだけ自由にするということにしてもらいたい、こういう
考え方を持
つております。一面においては制限を緩和する。他面においては助成をするという
二つの面を持
つております。制限を解く意味におきましては、
一つには、公債の発行額において償還費がその当該
団体の歳出の
一定割合を越えない限りはよろしい。ただ
一定の割合、一割なら一割だけ、公債償還費に充てるだけの公債費であれば、それは自由にや
つてよろしいというようなことも、
一つの制限の緩和であります。それからあるいはこういうことが起
つてはいかぬという何か特定の必要があれば、それはやむを得ぬかもしれません。
国家的の
重要性を持つた事項であ
つてそういうことをやられては、
地方団体が立ち行かなくなる。他の
一般の面においても弊害があ
つて困るという例があれば、それは制限してよろしい。
一定の事項について制限をする場合には、制限するのはよろしいが、そういう制限をなるべく少くしようという希望が出されております。
それから助成につきましては、
一つには、これまでのように預金部に依頼するばかりでなく、
一般の金融機関であるとか、あるいは個人から公募し得るようなこと、そういう方に持
つて行
つてもらいたいということ。さらには余裕のある、あるいは富裕な
団体であれば公募もできますが、現在公募ができにくい。しかしながらできないからとい
つてほ
つておいては大事な
仕事ができない。学校ができない、せつかくの橋ができないというようなことでは困るから、やはりできるようにするために、公債を買わせるようにするために、
地方金庫といつたようなものをつく
つて、
国家もそれを助ける。しかし
地方団体の全体が全体でも
つてそれを維持して行く。国によるかよらぬかは第二の問題でありますが、ともかく
地方団体によ
つて一つの
地方金庫をつく
つて、そして弱つた
団体があればそれに貸してやる。安い利子で、よい
条件で貸してやる。余つたものがあればなるべくそつちへ預ける。ほかへ預けないでそこへ預けるというように、全体的な形で、そういう精神を持つたところ、の
地方金庫をつくる。そうして
地方団体の起債を容易にする、助ける、助成するということとか、さらには国とか
府県が、
市町村にある程度債務補償をするということも相当や
つてもらいたい。何でもかんでも補助金、補助金と
言つていますけれ
ども、そうでない。補助金をもらうよりは出すのだ。自分で負担する。今すぐでは出せぬけれ
ども、五年後、十年後、百年後には、そこまで行つたら必ず出しますという確信を持
つてせつかく努力しようというのに、それができぬというのは情ない話であるから、やはりそれは他の補助金よりは補償をしてやる。万に
一つとか、千に
一つそれるのがあ
つても、そこは国が、あるいは
府県が見てやるということが
一つの義務であるというふうに
考えられます。要するにそういうことをきめましてうた
つております。
最後に
北海道でありますが、さきに申しましたように、
北海道につきましては総合開発政策という
国家的の
重要性もありまするし、広大な地面で、人口が稀薄で、
財政力というか、租税力というか、租税の負担力も比較的乏しい
地方でありますから、これは補助金なり平衡交付金なり起債なりという面において、若干特別な扱いをしてもよかろう。こういつたようなことを申し述べた次第であります。
まことに長々しく申しましたが、大体その趣旨で御了承願いたいと思います。まことにまずいものができたと今から思えば
考えられまするが、その間におきましては、いろいろな注文が出て来ましたので取捨選択に困りました。理論的に学者の机の上の
議論として
考えますれば、もつとはつきりした線をも
つてきめたいというふうに
考えましたが、実際問題といたしましては、長い沿革を持ち、また複雑な利害
関係を持ちまして、一方がよければ片方が悪いというのでありまして、その間双方の顔を立て、意見を尊重するという
立場に立ちますと、まことに不完全ながらかような
結論より出なかつた次第でありますから、あしからず御了承を願います。今後におきましても、これらのことが行われますれば、ある程度日本の
地方自治というものは促進され、民主化にも役立つことと信ずるのでありますから、どうか皆さんの御努力によ
つて、たとえ全部とは言わなくても、有力な面が御採用にな
つて立法化されるようになることを期待いたします。またその時期が来たことを信ずるのでありまして、皆さんによろしくお願いいたす次第であります。