○北條
参考人 ただいま
委員長から御紹介い
ただきました北條であります。私は今回この公館等
借入金の問題につきまして、衆議院の
大蔵委員会及び引揚
特別委員会におきまして、特にこうして私
ども当面の
関係者の
意見を参考としてお聞きい
ただきますことに対しまして衷心より感謝いたす次第であります。この直接の
関係者は、皆さんすでに
外務省の報告によ
つて御了承でありましようが、二十万人そこそこでありますけれ
ども、実は二十万だけでなしに、全
引揚者三百四十万人の関心の中心であります。
従つて私はおこがましいことでありますが、三百四十万人の
引揚者の衷心よりの感謝の言葉を、皆様に対して呈したいと存ずるのであります。しかも皆さんが今回
政府から提出されました法案に対して、一面これを批判するという点から、もう
一つは
国民の権利をあくまでも守らなければならぬという強い御信念から、こうした
参考人の
意見を聴取してい
ただきますことについて、重ねてお礼を申し上げるのであります。
この問題は先ほど来長時間にわた
つて、私
どもの同僚が申し述べましたように、権利とは申しますけれ
ども、実は権利上の尊いものであることを、特に私は皆さんに御了解を得たいのであります。
第一に私は公館等の
借入金の性質について申し上げたいのであります。このことにつきましては、すでに
法律がありますし、先ほど塚田先生の御質問に対して、岡崎
参考人から御答弁申し上げて、十分に皆さん御承知のところでありますが、
ただ私の一言申し上げたいことは、この公館等
借入金の性質を、私
どもの立場から申しますと、これは貸した、借りたという金以上に、あの敗戦後の絶対境に私
どもが追い込まれまして、三百四十万の
外地居住者の生命を守るために、絶対的な要請に基いて、しかも
政府に懇請をし、
政府の指令によ
つて措置をしたのであります。従いましてこの公館等
借入金につきましては、今日
政府がいよいよこれを
返済するという法案を出されたのでありますが、これはむしろ私の方から言いますれば、
政府としてはまことにありがたか
つた、
政府がなすべきことを皆さんにかわ
つてや
つてもら
つたので、これは非常な感謝をも
つて、醵出者に返してやるべき性質のものであるということを私は特に申し上げたいので、今のようなことを申し上げたのであります。それが種々の
事情によ
つて、今日まで六年もた
つたのでありますけれ
ども、六年間た
つた今日におきまして、この問題がいよいよ解決される、
返済されるという段取りになりまして、いよいよ今回
法律案が出ましたが、その
政府の御方針を拝見いたしますと、どうしても私
どもの納得できない点があります。この点につきましては、午前中来、るる申し上げましたので、私は
ただ、この法案を出すに至
つた政府の考え方についてはなはだ遺憾である。すなわち
政府は感謝をして返さなければならぬ金を、どつちかといえばそれにけちをつけて、なるべく出し渋
つておるというふうな態度に対して、はなはだ遺憾であるということを、まず最初に申し上げたいのであります。
第二に、私は立法に至
つた経緯と
民間側におきますところの運動について、特に諸先生御了解をい
ただきたいのであります。この立法に至る経緯などと申しますと、まことにこなまいきなことを言うようでありますが、先生方私の
事情を御承知でありますので、あえて申し上げませんが、本件につきましては、二十二年の十一月二十八日に参議院の本
会議におきまして、非常にたくさんな陳情が出まして、その陳情に対して本
会議に報告され、それが採択されております。でありますので、この本
会議で採択されたときの速記録を諸先生に御検討願いますならば、まず最初の
事情はおわかり願えると思うのであります。
その次に当時GHQとの折衡が非常に難航をきわめておりました。当時GHQとしましては、この問題については
返済は無理だ、いけないというふうな御方針でありました。その
理由とするところは、第一にインフレになる。第二は不正
送金である。第三は三百四十万人の
引揚者の間で、二十万人だけに金を
返済するということは不公平だ、こういうふうな三つの条件でありました。ところがこれに対しまして、
政府筋もわれわれもGHQに大いに陳情いたしました。その陳情を繰返しております間に、二十三年の八月十七日でありますが、関東州の大連の市長をしておりました別宮秀夫君が、本件の解決が荏苒日を送
つておりまして、しかもその間に彼は非常にたくさんの関東州からの
引揚者よりその
責任を追究されまして、遂に彼は
政府が思
つた通りに処置をしてくれないということで、憤死をいたしたのであります。これは容易ならぬことでありますが、私はさつそく別宮秀夫君の憤死したことを無にしてはいけない。無にすることによ
つて日本政府が信を失い、
占領軍が信を失うということに相
なつてはならぬと思いまして、
ただちに文書をもちましてGHQに強く申入れをいたしました。その結果二十三年十二月十一日になりまして、GHQから本件についてはオー・ケーだという通知が参
つたのであります。
以上のような経過をたど
つたのでありますが、一面私
どもは三百四十万の
引揚者を各県ごとに組織いたしまして、その総本部であります。
ただいま御紹介にあずかりました、
引揚者団体全国連合会をつくり、そこでこのとうとい何ものにもかえがたい役割を果しました
在外公館借入金の解決について、あらゆる努力をいたして参
つたのであります。しかもこれはその金を提出した側もそれによ
つて救済を受けた側も、ま
つたく
一つに
なつてこの運動を続けて参りました。GHQが当時指摘されましたように、貸した方と救われた方とが不公平を起すのではないかという御懸念があ
つたのでありますけれ
ども、そういうふうな懸念はなしに、ま
つたく
一つに
なつてどうしてもこのとうとい
仕事をなした公館
借入金を解決しなければならぬと言
つて、今日までや
つて参りました。
従つてその間に種々諸先生方に資料を差上げましたり、あるいはまた私
どものところで出しております大同新聞を差上げたりいたしました。特に大同新聞の第六号には、本件に対する
引揚者側の要望を詳細に提出しております。ことに全国の
引揚者のうち、特にこの
関係者から三万数千人が、私のところに白紙委任状を出しております。しかし私
どもは、この白紙委任状につきまして特に注意いたしておりますのは、金銭の授受に関しましては、ともしますと間違いを起しやすいので、金銭の授受を除きました他の一切の、
政府あるいは国会に対する要望、陳情、その他のあらゆる運動をまかしてい
ただくという白紙委任状を、現に持
つておる立場を特に御了解願えれば幸いだろうと考えるのであります。
第三に私は本件の
返済について、端的に皆様に申し上げたいのであります。今回の
政府の提出いたしました法案によりますと、法案は皆様の先刻御承知のところでありますが、どうも私
どもにはこの法案の陰にひそむ
一つのわくがあるのじやないかと考えられるのでありまして、そのわくとは、
政府は本件によ
つて支払う総額を大体十億円にしておるというふうに、これは私
どもの偏見かもしれませんが、どうもそういうふうに考えられる節が強いのであります。先ほど申しました昭和二十二年十一月二十八日の参議院本
会議において採択いたしました請願案の
説明の中で、当時この金について
政府が推定いたしました
金額が九億一千七百万円だということを申しておるのでありますが、どうも
政府はそれを
根拠にしてすべてのものを逆算しておるように、私
どもには考えられるのであります。でありますから、その点は私
どもは
あとでも申し上げますが、そういう考え方では絶対に困る。それでは
国民の
政府に対する信頼を失う、
国民をだんだん
政府のもとから離すことになると考えるのであります。
そこで私は、この
返済について、国会において採択してい
ただきたい点を、以下端的に申し上げたいのであります。第一は
換算率の問題でありますがこれも同僚
参考人の諸君が申し上げましたので簡単に申し上げますが、その
一つは
借入金を行
つた時期を
基準として、
換算率をきめるべきであるということであります。先ほど
参考人の中から
換算率を設定することはいけないということでございましたがこれは私
どもの立場からいえばまことにその
通りであります。
換算率をきめずに当時の法定レートで
政府としてはやるべきだという主張を私たちはいたしたいのでありますが、当時の
外務大臣、今の総理大臣であります吉田さんの訓電によりますと
あとで
政府がこれについて善処するというふうに
なつておりまして、
政府としては善処の内容は当初から
換算率等を考えなくちやならぬということであ
つたのでありましようがら、私は
換算率をつくるということについては、絶対的な
反対を述べるものではありません。そこで借り入れた時期を
基準として
換算率を決定すべきである。具体的に申しますと、昭和二七年の九月から二十一年七月、この時期は、
終戦後のどさくさでありましたけれ
ども、
一つの大きな時期であるということを私は考えます。先ほど塚田先生から特に現地におけるところの生活
條件はどうであ
つたかというふうなお話がありましたので申し上げますと、私は奉天にお
つたのでありますが、奉天の
事情は他の地区とやや趣を異にしてお
つたのであります。しかしながら生活の
條件というものは、大体大同小異であ
つたと思います。奉天の状態を申しますと、御承知のようにソ軍が進駐いたしまして、奉天にありましたあの厖大なるところの産業施設を全部撤去いたしました。この撤去のためにたくさんの
日本人を使
つたのでありますが、その際にソ軍が私
どもに与えた給料は幾らかといいますと、九月、十月、十一月は一日日給十円でありました。正月を越えましてから、私
どもの要請によりましてソ軍は一日二十円の日給を支給するようにな
つたのであります。一方居留民会におきましては、私
ども居留民会の職員の給料は、一箇月三百円でありました。これは昭和二十一年の三月まで三百円でありまして、二十一年の四月から八百円にいたしました。これはそれで打切りでありまして、それ以外には何らの附帯給与をつけておりません。二十一年の正月の元日に五百人の居留民会の諸君が年賀の式をいたしましたときに、私は祝辞を述べました。その際に居留民諸君に申し上げたことは、われわれは永久に満州の地を墳墓の地とするのだ。しかしながら
終戦によ
つてこういう動乱に陥
つたのだから、従来のような生活はできない。だから今後私
どもの生活は切り詰めて、つめの先に火をともすような生活をしなくちやならぬ。しかも就職口はそうあるものではない。だから春からは全部が百姓をするというつもりでや
つてもらいたい。百姓をするには、幸い奉天の市
政府から私
どもに千町歩以上の土地をい
ただきましたので、ここで百姓をしようということを言いました。同時に私は、一箇月の一人の生活費はせいぜい八十円でとめてもらいたい、そういうふうなことをしなくちや、とうていわれわれは満州に永住することはできないということを申し述べたのであります。その年の六月でありましたか、私は一箇月余監獄に投獄されまして、出て参りましたそのときに
一般の職員やあるいは居留民の諸君から、北條、今度は監獄にお
つてずいぶん苦労したろうがどんどん
物価が高く
なつて来るのだから、私らに正月には八十円で生活しろということを言
つたが、多少人生観がかわ
つたかという話でありましたので、かわらぬ、前には八十円と言
つたけれ
ども、今度は六十円で生活できるという確信が私にはあると申しました。なぜかと申しますと、私が一箇月余監獄におりましたときに、私のために監獄当局が費した金は、一日に五十六円だということであります。これは電燈費その他一切を含めております。
従つて私
どもは監獄にあるような生活をすれば五十六円で生活できる。だから六十円なら大丈夫だ。六十円の生活をするならば、われわれは永久に満州に残ることができる。そのうちに世の中もかわ
つて来るであろう、こういう確信を持
つてや
つてお
つたのであります。これはたまたま塚田先生からお話がありましたので、特に申し上げたのでありますが、こういう状態は
朝鮮、満州、関東州といわず、
各地とも大同小異であ
つたと私は考えておるのであります。
換算率につきまして第二点は、
ただいま借り入れた時期を
基準とせよということを申しましたが、そういたしますと
借入れは毎日々々や
つておりますので、毎日毎日を
基準としなければならぬのでありますが、それは容易なことではありませんので、大体大幅に、当時
日本においても同様でありますが、インフレが上昇しておりましたので、そのインフレの上昇の波によ
つて、この時期を画することが必要であろうかと思うのであります。たとえて申しますと、昭和二十年九月から二十一年四月までは
一つにする、あるいは二十一年四月からその暮れまでは
一つにするというようにやるべきであろうと考えております。こういうことを申しますと、すでに諸先生には
はつきりと御了解願えると思うのでありますが、
大蔵省が今回出しました
換算率は、要するに醵出した数の非常に多い時期をと
つて、そうしてそれによ
つて換算率をきめたということなんであります。大勢の人が出したとき、そのときを見はから
つて決定した、こういうことはきわめて合理的でないと私は思う。金の貸し借りの際には、当然貸すその最初に
條件をきめるのは、三才の童子もわか
つたことであります。
従つて貸した方では醵出したときの
條件をあくまで主張いたしましようし、
従つてまた借りた方におきましても、借りたときの
條件を尊重するのが何よりも大切であろうと私は思います。第三点は、
各地の間に公平にや
つてい
ただきたいということであります。
各地と申しましてもそれは満州にも
各地がたくさんあるという意味ではなしに、
朝鮮、満州、関東州あるいは北支、中支、こういうふうに大きい
各地をわけまして、そうしてその間に公平にやる必要があるということであります。
第二の点でありますがこれは五万円打切りの不合理であるという点でであります。これは先ほど来話がありましたので、特につけ加えませんが、満州の
事情を申しますと、満州では五万円以上のものはほとんどないと思います。
ただ最も大きなものは北條秀一名儀の四十九万円であります。これは私が民会の
救済課長をしておりました
関係から、二十一年の八月私が
日本に帰りますので、十三人の分納醵出金を四十九万円にまとめまして、そうしてその四十九万円の北條秀一名儀に対しまして、当時の大蔵大臣及び
外務大臣並びに引揚援護庁長官あてに、この金は
政府の訓電に基いて集めた金なのだ、しかもこれは十三人分だけれ
ども、特に
引揚げ同胞の援護のための活動
資金とするのだから、早急にこれは出してや
つてもらいたいという意味の公文書をつけまして私が持
つて帰りまして、二十一年九月からまつ先に
政府との間に
折衝をいたしたのでありますが、
政府はこれを何とかしなければならぬというふうなお考えでありながら、
関係方面の顧慮もありまして、遂に解決せずに今日に至
つたのであります。
従つてこの五万円打切りの問題につきまして申し上げることはほとんどないのでありますが、
ただ今申し上げましたように、満州では五万円以上の人は非常に少いのであります。でありますから、私
どもが五万円打切り
反対と言いますと、いかにも五万円以上がたくさんあるようにお思いになるかもしれませんが、実は数から言いましても非常に少いパーセンテージから言いましてもおそらく一割に達するか達せぬかの数であろうと思います。でありますから、その少数者の利益を守るために、私
どもは声をからして言
つているわけではありません。問題はこれは信義の問題でありますので、
従つて私
どもはあくまでも信義を立てて行かなければならぬという点から行きますと、どうしても以上申し上げたようなことを言わざるを得ないのであります。また
政府の立場から言いますと、その一割足らずの人のために五万円で打切る、そのために全
引揚者から
政府はけしからぬ、信義を蹂躙するというようなことを言われたのでは、
政府としても立つ瀬がないというふうに私は考えます。その点は政治論であろうと思いますが、全体の信を買うために、この五万円打切りということはどうしてもいけないというふうに私は申し上げたいのであります。この五万円に関連いたしまして、私が特に先生方にお願いいたしたいのは、
政府はこれを百を百三十で返すと言
つております。そこにわずかばかり
政府の誠意が示されているというふうに、私には受取れるのでありますが、一体この金は
政府が一番必要とするときに借りた金であります。私ならば自分が一番必要とするときに人から借りた金でありますから、これを返すときは貸した者が一番金を必要とするときに返すというやり方が、どこからい
つても当然であろうと考える。
引揚者が一番必要なときはいつかと言えば、
日本の佐世保の港に着いたときが一番金を必要としたときでありますから、
政府は当然帰
つたときに返してやるのが私はどこからい
つても正しいことだと思う。それが今日まで返されなか
つた。これは諸種の
事情があるかもしれませんが返されなか
つた。そういう
事情もあるので一〇〇を一三〇にするというふうにお考えになるならば、こういうようなりくつが成り立つ。それならば当然利子という考え以上であります。まず金の貸し借りでありますから、利子ならば
政府は当然正規の利子を払うべきではないか。すなわち民法に規定いたしております日歩四銭の利子を払うべきではないか。そうしますと一箇年で一割四分四一厘になります。それを六年といたしまして八割四分になります。そこで良心的に考えるならば、一三〇でなしに一八四にして
政府としては考えてやるべきではないか。また考えてもらいたいと私は考えるのであります。
引揚者の諸君から言わせますと、
政府は税金を滞納する、あるいは
国民金融公庫の利子を滞納すると、すぐ延滞利子の二十銭ということをや
つておるではないか。
政府は強腰でか
つてなことをや
つておるのだ。それでは困るからどうしても
政府はこれについても延滞利子を払うべきだということで、とかくけんかではありませんが、売り言葉に買い言葉になります。私は今申し上げましたように済まなか
つたというような意味で一〇〇を一三〇にしてお返しになるならば、むしろこれは民法の規定
通りの利子をつけるべきである、私はこういうふうに皆さんに考えてい
ただきたいと思います。
第三の点は先ほ
どもお話が出ました小額醵出者であります。満州では一口二百円を最低限度といたしまして、二百円以上でありますから、小額醵出者が非常に多いのであります。北支の話を聞きましても小額醵出者——五千円以下の者が五〇%あるということであります。この小額醵出者については
各地とも同様でありますが、特に私
どもといたしまして、小額醵出者のうち千円以下の小額醵出者には、文句なしに額面
通り千円は返してや
つてもらいたい。但し中支におきましては
儲備券が百対十八でありました
関係上百対十八で
換算して千円までは文句を言わずに返してや
つてもらいたい。ですから二百円の人は二百円、三百円の人は三百円、九百円の人は九百円、こういうふうに千円までは文句なしに返してや
つてもらいたい。そういたしませんと今度の公館の
借入れ金問題に関する場合には、なるほど
政府が県を通じて皆さんに宣伝しておられ、そうして用紙等も県がつく
つておられますので、ほとんど出した方は金がかからなか
つたようでありますが、三十円、五十円の金はすぐ吹つ飛ぶのであります。ですから北支の五千円の小額醵出者は今の率で行きますと、た
つた五十円になります。そうすると皆さんがせつかくや
つてい
ただくのでありますが、この
法律でいよいよ
返済を
実施されますとどういうことになるかと申しますと、赤字を出す。足が出るということに
なつて参ります。もちろん昔から宝を大事にするために、足を出しても宝を拾えということがありますが、なおこの点は不合理だと思いますので、どうしてもこの点はぜひ御理解を得て、や
つてい
ただきたいと思うのであります。
最後に一点だけ申し上げたい。それは先ほど二十万人の人が
関係者であると申しましたが、実は約八万人の人がこの申請をいたしておりません。これは
一つは
政府の宣伝が足りなか
つた。
政府といたしましてはラジオを通じ、新聞を通じ、各県とも役場を通じてや
つた。しかも一年間や
つたのだ。それでもなおかつ申請をしなか
つたのは、権利を放棄したので、ないかということを言われやすいのでありますけれ
ども三百円、四百円という少額醵出者はこんなことをや
つても、
政府ははたしてどこまでやるかというふうな危惧を持
つてお
つた部類もありますし、また実際に善意で知らなか
つた者もあると思いますので、これは先の問題で、当面の問題ではありませんが、先の問題として皆さんに考えておいてい
ただきたい。こういうことを特に
参考人の声として申し上げますことは、かえ
つて不利かと思います。今の対
政府との
関係で行きますと、何だ、
政府は今度十億円に押えようとしておるのにまだあるのか。それは容易じやない。それでは全部を入れて十億のわくに押えて行こうということになると、今私の申し上げたことは逆になると思いますので、今言
つたことは、今度のものは今度のもので片づけてくれ、しかし他にこれだけあるのだ。これを何とかしてくれという、これだけの考えではないのでありまして、こうい
つた全体の要請によ
つてや
つた諸君のことを、ぜひ皆さんが今後において考えてい
ただきたいということであります。
もう一言申し上げたい。すでに御承知のように
大蔵省かにあります評価
審議会において検討されました資料は、私は決して公正なものでもなければ、また妥当なものでもなく、結局十億のわくに帰納するために逆算して行
つたような傾向が、非常に強いというふうに考えます。
ぜひ以上申し上げました点を勘考い
ただきまして、妥当な解決をはか
つてい
ただきたい。要するにこれは信義の問題でありまして、
国民の信義を十億で失うか、あるいは十億が十六億に
なつて、わずか六億ぐらいの差でも
つて国民の信を買うか、こういうような問題に——政治論に
なつて来ようかと思うのであります。よけいなことを言うようですが、昔関東大震災のときに、犬養逓信大臣が、当時貯金局が全部焼けまして一切の原簿がなくなり、そうしてまた預金通帳もなくなりましたときに、当時の
政府が郵便貯金預金者は全部申し出ろと言
つて申出をさせられましてその申出を
政府は全額引受けられてお支払いにな
つた。そういう過去の事実を私
どもは聞くのであります。今回特に御好意によりまして、
参考人の
意見をかほどまでに熱心にお聞きとり願う皆さんにおきましては、どうぞ大震災当時そういうふうにおやりにな
つたこともあわせてお考え願いまして、この問題につきましてみんなを納得行かせるような方法でも
つて、——納得が行かないとは私は申しません。わからぬ者はいつまでた
つてもわからのでありますから、納得は行きます。納得の行くように皆さんのお力でや
つてい
ただきたいということをお願い申し上げます。