○舘林
証人 まず私、この土木
事件につきまして、就任いたしましていろいろ調査いたしまして感じましたことは、戦後における一般的な綱紀弛緩ということが、やはり
佐賀県におきましても反映しておるのではないか、かように感じておるわけであります。いろいろ具体的実例等はあとで御質問等ありましたら申し上げたいと存じます。とにかく全般として私
たちか
つて官吏として経験あ
つたものから申しますと、非常にその点について感じの違いがある。いわば私
たちのように長く官界で勤めたものから申しますと、ちよつと理解できないような感じがいたしました。従いましていかにこれをはつきり打開して綱紀を粛正するかということは、私参りまして最も関心を強くし、また要求せられた点であります。結局一番感じますことは、かような
事件の起りました原因といたしましては、もとよりま
つたく
佐賀県の財政が極度に逼迫していた、この点に置かるべきだと思います。ことにこの逼迫を打開するためには、ほとんど県の財政の大半というものが
中央に依存している。
佐賀県におきましては、本年の
予算におきましても七九%は
中央依存であります。わずかに県の歳入といたしましては、三十五億近くの
予算の中で県税が六億近くでございまして、六億と申しましたら、私いつも東京をうらやましいと思いますけれども、入場税におきまして、東京では、たとえば歌舞伎座一軒で一年間に三億の収入がある。もしも歌舞伎座のようなものが、かりに
佐賀県にありましたら、二箇所の歌舞伎座の収入で、それが県税をまかない得るというような状態でありまして、しかも県税六億の金を得るには、御承知の通り
地方税法が改正になりまして、現在
佐賀県のように、五三%は農民が占めているようなところでは、農民からま
つたく
税金をとるような財源もなく、従いまして中小工業者を、何と申しますか、痛めつけるようなものであるとか、あるいは入場税とか、遊興飲食税という、小さい県においてはほとんど徴収が困難であり、また寡少であるというようなものに県の財源があ
つて、ほとんど他の平衡交付金であるとか、あるいは起債であるとか、国庫補助金であるというようなものは、すべて
中央に依存しておるような状態で、従いましてかような
中央依存の状態、さらに申しますと、行政的にもま
つたく
中央依存の状態でありまして、たとえばいろいろの許可、認可などにつきましても、やはり県を初めとして、市町村自身も上京して陳情しなければならないというような状態であります。また
予算そのものが、
中央の
予算の各
地方に対する配付等も、ま
つたく一年に数回ばらばらと来ますし、また
中央におきましての数々の補正
予算等によりまして、ま
つたく県の計画的な
予算編成というものができないという感じで、
地方の財政、行政ともに計画性を持たないし、ま
つたくばらばらで、しかも窮乏の底にあえいでいる。従いましてどうしてもしばしば東京に行かなければならぬ。また
地方自治というもので知事公選を与えられましたけれども、文字通り
地方自治というものは名目だけにすぎないという言葉で極論することができると思うのであります。従いまして、さようなことがこの
事件の根本的な原因の
一つではないかということが、まず第一に申し上げたい点であります。そのためには、なるべく東京に出張することをなくするように、県といたしましても、また市町村といたしましても、出張を少くして効果を上げるようにするために、東京事務所の拡充、強化というようなことは、県としては実につらいのでありますけれども、これをやらざるを得ない。さような
意味で今年の六月から東京事務所を強化してや
つておるわけであります。
それから先ほど申しました全般的な綱紀の弛緩でありますが、終戦後の
一つの特徴と申しますか、どうしても私
たちが理解できないような数々の問題がある。これに対しましては、いかにして吏道を振粛するか――古い言葉でありますが、私はこれ以外にはないと思います。戦争前におきましては、官界におきまして一種の観念的な精神の過剰があ
つた。しかしまたその逆に終戦後におきましては、公務員の社会におきまして、ま
つたく精神というものを過小に評価するという、私
たちの割切れない問題がありまして、そんな
立場から申しますと、
中央におかれましても吏道精神の高揚をぜひや
つていただきたい思いますし、またわれわれ
佐賀におきましても、しばしばさような講習会等をこの五、六月から開いて、いわば吏道の精神と申しますか、公僕精神と申しますか、さような
意味の修練ということに非常な力を注いで来ておるわけであります。