○佐々木良作君 私はこの條約の問題につきまして、
領土の問題、或いは
安全保障の問題等の具体的な問題について種々の疑いを持
つておりますし、不安を持
つておりますために、その具体的な問題について十分にお伺いしたいのでありますけれども、私に許された時間は十五分間であります。この重大なときに私どもには十五分しか與えられないことについて、先ず最初の疑問が私はあるわけであります。(「議運できま
つている」と呼ぶ者あり、
拍手)併しこれは一応別にいたしまして、今のような具体的な問題に触れる時間がありませんために、私は次の三点についてお伺いしたいと思います。第一点は、
講和論議に対する
政府の
態度についてであります。それから第二点は、主権の回復、或いは国の
独立という意味についてであります。第三点は、将来地理的に飽くまでも
日本は東亜の、
アジアの中におりますけれども、将来この
アジアの地域におきまして
日本はどういう
地位になるのか。どういう状態になるのか。この三点につきまして、私はむしろ私の
質問というよりは、私が抱きますところの不安、将来に対する不安につきまして、
総理に
はつきりとお伺いいたしまして、
総理から、むしろ私よりも
国民が持
つている不安に対してお答えを十分願いたい。こういうふうに
考えるのであります。
最初は
講和論議に対する
政府の
態度に対する問題でありますが、先ほど私が申上げましたように、この段階におきましてもなぜ私どもは十五分しかここで許されないのであるか。或いは皆さんは、自由党のかたがたは議運の問題だと言われるかも知れない。それは嘘であります。そういう
形式的のことではなくて、十分に、
講和論議に対して十分に時間を與えられる。これには院の内外を通じてなぜ十分な
講和論議が鬪わされてはならないか。私どもは第二次大戦、大東亜戦争に入る直前のあの状態を私は思い出しました。あのときに満州のどこかの生命線、
日本の生命線というのが感じられる。そうして、この生命線が
云々された場合には、何としても一億起
つて何とかせざるべからず。この
戰争という問題に対して、ちよつとでも
国民の中から
批判の声があれば一言の下に国賊として排斥された。戦争突入の直前におきまして、
戰争に対して
批判するか或いは
戰争を回避しようとする言論が完全に封鎖されたことを私は思い出しました。そうして現在私どもは、この
内容がいいか惡いかは別といたしまして、
講和條約の
内容がいいか悪いかは別といたしまして、そのことを院の内外を通じまして
講和論議が
如何に十分に活溌に行われておりますか。
講和論議を行う場合に、或いはこの
講和條約に対して少しでも
批判的な意見を言う場合には、実際に私自身が、或いは
国民自身がどれだけ恐いような、何だか不安な感じを持たなければ言えないという状態にな
つておる。私はこの状態を除去して、言論を、直面しておる
講和問題に対する言論の自由の獲得、この不安をなくすることが、終戰後與えられたところの
日本の
国民の
民主化、
日本の国の
民主化の最大の目的であ
つたのではなかろうかと思うのであります。(
拍手)従いまして、私どもが、今民主党から自由党からと、いろいろ全権を送るとか送らぬとかの問題がありますが、この送る送らぬの前に、全権の皆さんが行
つて何をするのか、そうして我々は果して本当に全権を送り得る資格をこの五年間のうちに獲得したかどうか。先ずその
批判から始まらなければならないと私は思います。アメリカに行
つて帰
つて来て大きなことを
言つておるというふうに
考えられるかも知れませんけれども、私はロスアンゼルスを立つ直前に、あそこにおりまして、最も痛切に感じたことがあります。それはこの対日
講和の問題が非常に問題とな
つて来て、私どもの頭から去らない状態にあ
つた際に、私は特に向うにおりまして
熱望したところのものは、
日本の国の中から、
日本の
国民の人々からこの
講和條約に対して、ここはいいけれども、ここに将来の不安がある。この将来の不安については、我々はどう
考えたらいいのだろうか。
講和会議で、これについてどういうふうな問題にされるのであろうかという、この
講和会議に対する悪い面、不安な面の問題が、
国民の中からともかく出て来て、その声が
講和会議を構成するところの平和を愛好する人々、
世界の
関係列国に十分伝わ
つて、その
内容を通して
講和会議が十分になされて欲しいと思
つた。その意味におきまして、私はこの現在行われておる
講和論議が、議会の内外を問わず、ともかくも将来ここに不安があるという点が
国民の中からともかく出て来て、その出たものが、諸外国、平和を愛好するところの諸外国の人々から十分にガラス張りの中で見えるような状態にして欲しいと思
つた。それであるのにもかかわらず、遺憾ながら私どもが向うにお
つて感じましたことは、
国会を開くことにしたとか、開かぬことにしたとか、その会期を一日にしたとかせぬとか、或いは超党派
外交のために全党派から一人々々の代表を出すのだとか出さぬのだとか、そういう、まあ、言い換えて見るならば、飽くまでも民族的な
講和問題が、
一つの国内的な政争の坩堝の中にある、
手段化しておるという以外には何らの印象を受けなか
つた。若し私が……アメリカの人々、或いはこの
講和会議に列席するところの他の人々が、私と似たような感じを若し受けられたならば、
日本は未だ
講和会議に出席するところの資格なしと判断した場合には、我々は何と答える。(「全くその
通りだ」と呼ぶ者あり)その意味でも私は
総理に申上げたいと思います。全権は
一体何をしに、何の相談をしに行くのか。これは私の妙な
質問ではありません。
国民自身がわからぬのだと思います。
はつきりとただ判こを捺して来るのだという話があるかと思えば、意見を述べ得るチヤンスが幸いにも與えられた、こういう話がある。そうして又同時に超党派の
外交の問題を思い起せば、超党派
外交というものは本来民主党の専売特許のものであ
つたのが、突如としてこの
講和会議に臨む態勢のときに、各党の一人々々を出すとか出さぬとかいう問題が出て来た。若しこれが実質的な超党派、或いは実質的に全
国民を代表する全権を作るということではなくて、ただ各党の代表を寄せ集めて、全
国民の代表であるという
形式を持とうとするのであるならば欺瞞である。(「そうだ」と呼ぶ者あり)若し実質的に本格的に全
国民の代表を送ろうとするのであるならば、
講和論議に対するところの
発言が十分に行われなければならない。(「その
通り」と呼ぶ者あり、
拍手)特にこの
国会におきまして、開かれておるこの臨時
国会におきまして、
講和論議が十分に行かれなければならない。この論議を以て、この論議を
背景として、全権は初めて行くことができると私は
考えるのであります。(
拍手)この重大な
講和会議に臨む態勢として、国の中にいろいろな意見がまちまちに出ては困るというような或いはお
考えがあるかも知れない。それは私の
考えでは恐らく間違いだと思います。
一つの意見に全体を統一しなければならない。而もそれを強制的に、ものを言わせずに、強制的に統一しなければならないとするならば、大東亜
戰争に突入するときの、
戰争一本に統一するのと同じであります。(「フアシズムだよ」と呼ぶ者あり意見は必ずまちまちな意見が私はあるはずだと思います。そうして
総理は、それはちつとも
講和論議に対して抑圧をした覚えはない、外でも中でも十分に言わせている、こう答えられるでありましよう。答えられるかも知れませんが、現実に
国民の中に入
つておらんから、今
講和論議を
云々すると叱られる(「武装警官に」と呼ぶ者あり)という気持を
はつきり持
つておる。これでは私は本当の
講和全権として送り或いは
講和会議に臨むところの
日本人の資格について、若し疑われた場合に、答える術がないような気がするわけであります。この臨時
国会を通じて、或いはこの段階におきまして、今の
講和論議に対するところの
政府の
態度について十分に
一つお
考えを願いたい。これに対する
政府の、
総理の御所見を伺いたいと思います。私はその場合に、内閣の
総理であ
つても、自由党の総裁であ
つても、今の場合に十五分しか與えられないということは、或いは会期の運営の問題であると言うかも知れませんが、これは手続の問題、若し
吉田総理がやろうと思えば全部できる範囲の問題であると私は
考えるが故に、
総理のお
考えを質すわけであります。もうすでに五分しかありませんから端折
つて申します。
二番目に、今の主権の回復と
独立の意味について。これは私、結論ではありません。私自身がわからない。それは同様に
国民の不安だと思います。
国民が非常に不安に思
つておること、わからないから不安に思
つているのだろうと思います。その意味でお答えを願いたいと思います。先ほどの応答を聞いておりますと、この
講和條約に防衛
協定が付く、或いはそののちにすぐにも結ばれるかも知れないという話であります。私は現実に、あらゆる
立場を離れまして、現実に
日本がこの占領下から離れた場合に、実質的な真空状態が来て、そうしてその真空状態に対する国防的な不安を決して持たないものではありません。私は同様に非常にその不安を持つものであります。併しながら、
総理は繰返し先ほどの和田君の
質問にもお答えにな
つて、再
軍備はしないと言明され、そうして占領が一時なくな
つて、真空状態ができる間、この真空状態を守るために防衛
協定を結んで、ここで守
つてもらうのだとおつしやる。そうするならば、この防衛
協定は大体いつまで続くのか。その辺の話はまだ十分に話ができていないと言われるかも知れないけれども、それであるならば、できていなくて見通しが付かないのであるならば、そこに問題がある。我々はそこに不安があるということを
国民と共に十分に知らなければならない。そうして、そのための我々は防衛
措置を
考えなければならないと思う。ともかく真空状態ができて、真空状態の間を防衛
協定によ
つて守
つてもら
つて、それはいつまでの期限かわからなくて、そうして、そうすると真空状態の期限の認定は我々
日本人の
国民の決定の範囲内に属しておるのかおらないのか。(
拍手)そうして、我々の
国民の決定の範囲内に属していないとするならば、主権が回復したとなぜ言い得るか。(「あり得ない」と呼ぶ者あり、
拍手)これは決して私だけの不安ではありません。
国民自身それを不安に思
つておる。(「その
通り」と呼ぶ者あり)そうして、これは私は決して防衛
協定が無意味であるとか何とかいう意味ではなくて、実際に私は不安を感じておるのですけれども、不安を感ずれば感じるほど、なぜそんなら一面において、これほどいい條約はない、これほどいい
講和條約はないと
言つて宣伝をする一面、
独立が回復される、
独立が回復されると
言つて、片方において盛んに
宣伝されるのか。実質の面においてはわからん面がある。わからん面があるならば、
はつきり
国民と共に
考えたいと思うのであります。(
拍手)その意味におきまして、この防衛
協定を
中心として、期限の問題と
関連を持つ主権の問題とは
一体何か。そうして真空状態の解消の決定は我々がするのか。
日本人がするのか。
日本人でない者がするのか。その辺の事情を
国民の前に明らかにして頂きたいと私は思います。
第三点、先ほどの和田君の
質問その他にもたくさん入
つておりますが、この條約文そのものではなくて、我々が受ける印象、特に
アジアを取巻く、
日本を取巻く
アジアの
諸国の
国民を見ると、これが或いは
日本の今度の條約の寛大さに対するやきもちであるかも知れません。私はそれに対しても疑問は持
つておりますが、ともかく
日本を取巻く
アジアの
諸国は、ともかく一応これに対して非常な
批判的な
態度をと
つておることは事実であります。
アジアの全
諸国が
批判的な
態度を持
つておる。條約が
日本にと
つて、同じ地理的
條件にある
日本にと
つてのみ最上のものであるとどうして言い得るのであろうか。むしろ私は
日本だけが何だか
アジアの
地位から切離されて、そうして別な欧米勢力、と
言つては語弊があるかも知れませんが、地理的な、別に、或る力から、それの
一つの防波堤のような恰好に取残されてしまうような危険を感ずるわけであります。(「まさに然り」と呼ぶ者あり)これは間違いならば非常に私は結構だと思いますけれども、それならば
インドだのビルマだのは、ただ
賠償が欲しいということだけだろうか。ただ
賠償が欲しいということだけならばどうも合点が行かん。そうして朝鮮問題を眼の前に見たところの戦争に対する
一つの危険を彼らが感じておるのではなかろうかという不安を禁じ得ないのです。そうして東亜の
諸国の
国民が
戰争に対するそのような危険を感じておるとするならば、我々は
アジアの一州、
アジアの一国でありますから、地理的に同様な
條件にあるわけでありますから、その戰禍を我々は免れることはできない。そうすると
日本も、我々も、同じような不安を感ぜざるを得ないと思うのであります。その辺をどうか明瞭に
一つ国民の前に明らかにして、若し不安があるならば、その不安を
国民全部のものとして、不安の克服に国の人々の全部が邁進できるようにお話を願いたいと思うわけであります。
時間が参りましたのでこれで終りたいと思いますが、ただ最後に一点だけ大蔵大臣にお伺いしておきたいと思います。聞くところによりますと大蔵大臣は、全権の一員としてアメリカに今度
講和会議に行かれるそうでありますが、私はアメリカにおります際に、
日本の
経済を
自立する、
日本の
経済が成立
つためには、自然的な
條件で行くならば、
アジア大陸との
経済の交流なくしてはあり得ないことを言いました。その場合に、大概私の会いましたところのアメリカの人々は、それは当然である。自然的
條件として当然であるという答えが出ました。併しながら、自然的
條件、
経済の自然的流れのままに大陸
経済と
日本経済は食つつかざるを得ない。
東南アジア経済とは食つつかざるを得ない。併しながら、それは特別な
政治的な
理由によ
つて、大陸との間が一時的に若し遮断され、
政治的な
理由によ
つて遮断されるとするならば、その穴埋めは、コンマーシヤル・べースとか、普通
経済的な要請でないところの、
政治的な
理由によ
つてその穴埋めがされなければならない。若し大陸との
経済交流を閉ざして、切
つて、そうして
東南アジア経済、或いはアメリカ大陸
経済との交流を以て、而もコンマーシヤル・ベースでそれは行えるということは
考え得られないと思います。
経済的、自然的な流れで行くならば、当然
アジア大陸との交通、
経済交流が行われなければならない。これを
政治的な
理由で切られるならば、その穴埋めは当然に
政治的に又穴埋めがされなければならない。大蔵大臣が全権でアメリカに行かれるのでありますならば、
講和会議に臨まれるのでありますならば、この
講和会議以前の、占領下にありますところの
日本の場合には、それは特別な突つ張りを私どもも期待することはできないことはなか
つたと思います。併し本当に言われるところの
独立が行われる場合に、実際に切離されて、
日本の
独立が行われる場合に、而も
政治的な要請はそのままにして、大陸との
経済交通を遮断して、而も
政治的なその穴埋めが行われないとするならば、私は
日本の
経済自立はそれだけで不可能にな
つて来ると思う。この全権として行かれる、特に
経済の全権として行かれるところの大蔵大臣が、占領が終
つて後の、
独立国に
なつた後の
日本の
経済自立の途を、特に
貿易、諸外国との
関連の上で、どの地点に求められ、どういう構想を持たれるのか。その
背景をどういう
背景に持
つて講和に臨まれるのか、その点を
一つ明らかにして頂きたいと思います。これは私どもだけでなくて、
日本の
経済界のすべての疑問であり、不安であると思います。そのような意味におきましてこの点を明らかにして頂きたいと思います。
時間が参りましたので、私の
質問を終ります。(
拍手)
〔
国務大臣吉田茂君登壇、
拍手〕