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証人(里吉澄君)
武蔵野市
特飲街撤廃期成連盟副会長をいたしております里吉澄でございます。
只今問題にな
つて取上げられております
八丁特飲街の問題、軽
飲食の食品衛生法によ
つて軽
飲食の
許可しか受けていない業態であ
つて、而もそれと違
つておる業態でしておりますことは、
当局である
武蔵野市及び市議会、それから公安
委員長、警察署長と常
業者自身も認めておりますところで、且つ又七月二十一日にこの
委員会の
矢嶋、高田、
岩間の三人の議員さんが
おいで下さいまして、実際を御視察になりましても十分にこれを認めてお帰りになりました。又理研の文化ニュースの二百三十一号と申しますニュース映画の場面の中にも、これの業態がはつきりと印されておりますから、今私がここで以てあの業態が
法律で許されておる仕事以外の仕事でありますことは、ここに
証言することはないと思いますので、それを一歩先じまして、それほどはつきりした
事項がなぜ武歳野市に
おいて延々として一年有半許されておるかということを一言申上げたいと思います。
それで私
どもが最初に、
昭和二十四年の十月頃だと思いますが、その頃に今
特飲街のあります一角に遊廓ができる、はつきり遊廓という言葉で宣伝されました。遊廓ができるということを聞きまして非常に憂慮いたしまして、皆が何とかしてそれができるまでにあれしたいものだ思
つて、よりより集
つていろいろ相談をいたしまして、或る地域ではそのときすでに署名運動も起されようとしたらしいのでございます。それで私はそのときの署名運動には
関係しておりませんので、できるということを私が耳にしたのが遅か
つたものですから、これはできるだけ早く解決したいと思
つて大衆運動を起すよりも先ず
当局の
中心部に向
つて働きかけたほうがいいと思
つてPTAの会長、副会長、或いは学校長というかたに話をいたしまして、何とかあなたの力で市
当局に頼んでこれをできないようにして頂けないかという話をしたのであります。これを
武蔵野市にありますPTA連合会にかけてこれを問題にして頂きたいということを要請したのです。併しそれは問題になりませんで、その後
昭和二十四年十一月三日に市の二十年の祝賀式がございました。その席上でも
つて榎本よし代と申します
日本赤十字奉仕団の
委員長をしております人が婦人団体を代表いたしまして祝辞を述べました。その言葉の中に当市にそういういかがわしいものができようとしているそうでありますけれ
ども、どうぞ皆さんがたはこういうものをお作りにならないで頂きたいという
発言をいたしまして満場の拍手を浴びましたので、私
ども婦人は、あれだけの拍手があ
つた以上はさぞできないことだろうと楽観していたわけなんでございます。そうすると間もなく十一月の十七日に、その日赤奉仕団に対して、これは私確かに確かめることができなか
つたのですけれ
ども、奉仕団のほうから申込んだのですか、或るかたは奉仕団のほうから申込んだと言い、或るかたは警察のほうから申込まれたと申しますけれ
ども、とにかく奉仕団の役員が、二十四年の十一月の十七日の日に、警察でも
つて公安
委員会の組織を見学するということが行われたのですが、そのときの席上でも
つて、その十名あまりの幹部のかたに警察署長が、そういうものが現在できることに対して、あなたがたが心配していらつしやることに対して、
只今は建築
許可の面からい
つても、営業
許可の面から見ても、我々市の者にはちつとも手を出すことができないのですから、営業を開始した曉には若しも遊廓というようなものができるのであ
つたならば厳重にこれを取締
つて、そうしてそれを除去することができるから御心配にならなくてもいいだろうという
発言をいたしたそうでございます。それからそのことは私個人としても中村署長から日は覚えておりませんが、その前後いずれかに私は個人としてそれを聞いておりますし、もう一人小塩トヨという婦人民生
委員が、やはりこれを個人として聞いているそうでございます。それで私
どもは警察署長がそれだけ大鼓判を押してくれて、現在どうにもならないということであるならば、お互いに忙しいのだからがたがた騒ぐのはよそうじやないかという気持にな
つて、そのまま手を控えてしま
つたのでございます。そうすると
昭和二十五年の二月になりまして、この
特飲街は、軽
飲食の
許可を得て商売を始めまして、それから私
どもはいつ一体や
つてもらえるのか、あれがなくなるのかと便々として待
つていたわけなんです。そして二十五年の十月頃になりましても一向何の音沙汰もないので、早々私
どもが痺れを切らしてこの運動を起そうとしたときに、市民の大半はもうできてしま
つたものだから除くことはできないだろうという諦めの心境になりつつあ
つたのであります。この諦めようとしている気持をかき立ててこの運動を起すためには、必ずなくすことができるという確信を得なければならないので、その確信を得るためにいろいろ
調査を始めまして、そうしてその
調査をした結果、確実にこれは違法を行な
つているのであるからなくすことができるという自信を得たのが十二月の初めでした。それで
日本の習慣でございまして、十二月、一月という時には、皆なかなかこういう
社会運動に何か
関心を持
つておらないで、個人的な生活の忙しさに追われてしまいますので、暫くこの問題を手控えまして、そうして一月の十五日過ぎて初めてこれを武歳野市で公式に問題にいたしました。それは一月の十八日には
武蔵野市の青少年問題協議会というものがありまして、それの
理事会の席上で以て問題を初めて取上げまして、その時には私は協議会の副会長をいたしております、会長であります市長がその席に同席をいたしまして、そうしてこの問題を取上げて、そうしてこれはなくさなければならない、撤去しなきやならないということをはつきりその線を出しまして、そうしてこれを一月の二十六日の全員
委員会にかけてそうしてその
委員会の席上でも満場一致で以てこれはなくすべきである、
武蔵野市にこういうものを置くことは不適当であるということが確認され、同時になくそうということが決議されたわけであります。ところが以後この青少年問題協議会はそれ以後何ともこれに対する運動をしなくな
つて、そうして二月の二十五日に私
どもそういう運動を始めましたものが連合いたしまして、市民公聴会というものを開きましたときに、そのとき私は青少年問題協議会の副会長をいたしておりましたものですから、このまま市民大会をしてしま
つたのでは
如何にも青少年問題協議会に人なきがごとしという感じがいたしましたものですから、これをもう一人の副会長であります小美濃直藏氏に諮
つて、こういうだらしのないことを青少年問題協議会がしてはみつともないから、今度の大会には参画して頂きたい、それで二人で以て相談いたしまして、それではこの問題を
委員会にかけようというので、それで二月の二十二日に
委員会を開きまして、その場で以てこの大会に何とかして参画をする、主催者団体になる、或いは費用を出すということを協議して頂いたのです。そのときに午前中に
委員会をいたしまして午後に全体の
委員会をすることになりまして、その午前中の
委員会の席上でいろいろ話合いましていろんな議論が出ましたけれ
ども、とどのつまりとにかくこれは主催者団体に加わ
つて、そうしてお金が五千円かかるそうだからその費用を出してやるのが至当ではなかろうかという方向にほぼ落ち着こうとしたときに、
ちようど市長が来客が帰られたとか言
つて御出席になりまして、そうして
只今まで議長をいたしておりました小美濃直藏氏が経過を小声で耳打して報告なす
つたらしい。そのときに市長は会長の
立場に立
つてはつきりと俺は絶対に主催者団体として青少年問題協議会が入ることは反対である、金なんか一銭も出すことはできないと
発言したので、つい私もかつといたしまして、そうして市長と相当激論をいたしまして、それでそのときに君は大衆運動なんかした
つてなんにもならないじやないか、私は市長として十分にこの問題を
良心的に考えておるから何とか解決をしたいと思
つておる。結局君たちわいわい大衆運動を起して騒いだところで決定権を持
つているわけではない、最後の決は私のところに持
つてくるだろう、だから黙
つて私に任しておけばよいだろうという
意味のことをはつきりとおつしやいました。これはそのときの
委員会に御出席にな
つておられたがたは皆さんお聞きにな
つていると思います。私もくやしか
つたからそれは随分暴論だ、大衆運動はそんなものじやないということを一くさり大衆運動の基本を話しました。午後の
会議にそれを持越して決を出すことはどうもいけない、そのときに市長がそういう
発言をしましてから急に
委員会の空気が変りまして、今後度は面子の問題だとかいろいろなことがありまして、要するに今まで主催者団体に加わろうとした空気が一変いたしまして、主催者団体から退いて傍観する態度が出てきた。それで議長をつとめておりました副会長の小美濃氏が、これはこのままここで少数で以て
意見を出して行
つてはまずいから、大勢の
委員が出たときに新らしく皆の
意見を徴することにして、
理事会としては決議を出さないで臨もうじやないかということにな
つて午後の
委員会に入りまして、午後も相当揉めたのでありますが、
結論として後援をする、後援団体として二千円の金を補助してやるということに落付きまして、青少年問題協議会は
武蔵野市ではただこれだけの援助をしただけで、この問題に対して曾
つて一度も積極的にしたことがないそういう状態であります。
その後私
どもは約四千名の署名を得まして、市議会
当局に向
つてこれの撤廃を要求する請願書を出したのであります。それは三月の二十六日の市議会本
会議で全員一致で、た
つた一人そのとき席を外した議員がおりまして賛否いずれかわからない。とにかく一人席を外して残
つた全員一致で撤廃を決議いたしました。で、市長自身も公開の席上で、あんなものがいけないということは三歳の子供でもわか
つている、
自分はいつでもなくなしたいと考えているということをいつも
発言いたしておりますから、私
どもといたしましては市はあれをなくするために努力してくれるだろうと考えておりました。そうして進んで参
つたのでありますが、その後いろいろの経過は後ほど皆さんから御
質問がありましたら詳しく申上げることにいたしまして、時間がございませんからずつと端折らして頂きまして、要するに
結論といたしまして、いろいろな場合に市長も公安
委員長も警察署長もあれをなくなしたいと思
つていると言
つておりますし、市議会自身も新らしい四月からの新議会になりましてから特別
調査委員会ができて、そうしてそういうものがいろいろ研究いたしまして、
調査をいたしてくれておりまして、とにかく形の上に
おいてはあれをなくそうとしている努力を見せてくれております。
そうして私
どもが一番
武蔵野市で悩んでおります問題は、市
当局側がこれほど御熱心にこれをなくなそうと努力していらつしやるらしいにもかかわらず、ちつとも運動が展開されていない、決定打が出ていない。それで私
ども連盟のほうといたしましては、その間にいろいろのデマを飛ばされまして、あれは赤い運動であるとか、共産党が指導しておる運動でるあとか、政治的な運動であるとか、いろいろなことを言われておりまして、それで私
どもも一応そういう誤解を一掃いたしたいと思いまして、この七月の八日に新らしく
武蔵野市におきまするあらゆる階級のかたに発起人にな
つて頂きまして、仕事の上でなお
主体になる団体を改組いたしまして、そうして皆さんの御了解を得てどんなかたでも喜んで
良心のあるかたは参加できるように改組いたしました。併しそういうことをいたしましてもなお且つ政治的であるという言葉を吐かれまして、そうして市議会側、市
当局側と我々との間に何か溝があるような恰好で、今のところ一向に進む様子もなく膠着状態にな
つてそのままにな
つております。
それで私は最後に、これほどはつきりとして一種の治外法権かと思われるような状態にな
つておりますものが、これほど皆がはつきりと間違
つておると言いながらどうすることもできないところに、何かわけのわからないもやもやした癌があるだろうと思いますので、今日ここでこの癌が皆さんの御列席のところで皆さんによ
つて摘出されて、その癌が取除くことができれば非常に嬉しいと思
つております。その他詳しいいろいろの
証言は、そのときどきの皆さんの御
質問を頂きまして、その上でお答えいたしたいと思います。