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1951-08-28 第11回国会 参議院 文部・水産連合委員会 閉会後第1号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
二十六年八月二十八日(火曜日) 午前十一時十三分開会 ――
―――――――――――
委員氏名
文部委員
委員長
堀越
儀郎
君
理事
加納 金助君
理事
高田なほ子
君
理事
若木 勝藏君
理事
木内キヤウ
君 川村 松助君 木村 守江君 工藤 鐵男君 平岡 市三君
荒木正三郎
君 大野 幸一君 河崎 ナツ君 和田 博雄君 梅原
眞隆
君
高良
とみ君 高橋 道男君 山本 勇造君 駒井 藤平君 矢嶋 三義君 岩間 正男君
水産委員
委員長
木下 辰雄君
理事
松浦 清一君
理事
千田 正君
秋山俊一郎
君 入交 太藏君 青山 正一君 佐藤 尚武君 櫻内 義雄君 兼岩 傳一君
玉柳
實君 ――
―――――――――――
本日の
会議
に付した
事件
○
教育
及び文化に関する
調査
の件 (
東京水産大学校舎
及び
敷地
問題に 関する件) (右件に関し
証人
の
証言
あり) ――
―――――――――――
〔
文部委員会理事高田なほ子
君
委員長席
に着く〕
高田なほ子
1
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 大変お待たせいたしました。 只今から
文部
・
水産連合委員会
を開催いたします。かねて
文部委員会
において
調査
しておりました
久里浜
の
水産大学
の
校舎
及び
敷地
問題について本日は
水産委員会
と
文部委員会
は連合いたしまして、それぞれの
関係
の
かたがた
に
証人
或いは
説明員
として御
出席
を願いまして開会することにいたしました。この
事件
の
内容
については、もう皆さんすでに御承知のことと思いますので、ここに改めて申述べませんので、早速
証人
のかたから
証言
をして頂くことといたしますが、
宣誓
に入る前に
証人
の
かたがた
に御注意を申上げます。
証言
する場合に若し虚偽の
証言
を陳述されたときには、議院における
証人
の
宣誓
及び
証言等
に関する法律第六条によりまして、三カ月以上十年以下の懲役に処する罰則がございます。又正当の
理由
もなく、
宣誓
若くは
証言
を拒んだときは同法の第七条によりまして、一年以下の禁錮又は一万円以下の罰金に処せられることに
なつ
ておりますから、この点を御注意申上げます。但し
民事訴訟法
第二百八十条第三号の場合を除いて、及び第二百八十一条の
規定
に該当する場合に限り、
宣誓
又は
証言
、若くは
書類
の提出を拒むことができます。念のために先ず
民事訴訟法
第二百八十条の
該当部分
を朗読いたします。 第二百八十条
証言カ証人
又
ハ左ニ掲クル者
ノ刑事上ノ訴追又
ハ処罰
ヲ
招ク虞アル事項ニ関スルトキハ証人ハ証言
ヲ
拒ムコトヲ得証言ヵ此等
ノ者ノ
恥辱ニ帰スヘキ事項ニ関スルトキ
亦同シ 一
証人
ノ
配偶者
、四親等内ノ血族若ハ三親等内ノ姻族又
ハ証人ト比等
ノ
親族関係アリタル者
二
証人
ノ後見人又
ハ証人
ノ後見ヲ
受クル者
次に
民事訴訟法
第二百八十一条の
該当部分
を朗読いたします。 第二百八十一条 「左ノ場合
ニ於テハ証人ハ証言
ヲ
拒ムコトヲ得
一 第二百七十二条乃至第二百七十四条ノ場合 二
医師
、
歯科医師
、薬剤師、
薬種商
、産婆、弁護士、
弁理士
、
弁護人
・
公証人
・宗教又ハ祷祀ノ
職ニ
在
ル者
又
ハ此等
ノ
職ニ
在
リタル者カ職務
上
知リタル
事実
ニシテ黙秘スヘキモノニ付訊問
ヲ
受クルトキ
三 技術又
ハ職業
ノ
秘密ニ関スル事項ニ付訊問
ヲ
受クルトキ前項
ノ
規定ハ証人カ黙秘
ノ義務ヲ
免セラレタル
場合ニハ之
ヲ適用セス
でございます。
証人
として御
出席
を求めた
増原長官
と、
久保田管理局長
はそれぞれ
理由書
を附して出頭できない旨を申出ると共に、御両人とも
代人
を出頭せしめておるのでありますが、法規の上では
証人
の
代理
については
代人
は認められておりませんので、これらのものを本日
説明員
として御
発言
を願うことにしたいと思いますので、この点如何でございましようか。一応お諮りいたします。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
高田なほ子
2
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) それではさよう決定いたします。 これから
宣誓
を願いますから、
全昌
の御
起立
をお願いいたします。それでは
棚橋証人
にお願いいたします。 〔
総員起立
、
証人
は次のように
宣誓
を行な
つた
〕
宣誓書
良心
に
従つて真実
を述べ、
何事
もへくさず、又、
何事
もつけ加えないことを誓います。
証人棚橋鐘一郎
〔
総員起立
、
証人
は次のように
宣誓
を行な
つた
〕
宣誓書
良心
に
従つて真実
を述べ、
何事
もかくさず、又、
何事
もつけ加えないことを誓います。
証人
岡田郁
之助 〔
総員起立
、
証人
は次のように
宣誓
を行な
つた
〕
宣誓書
良心
に
従つて真実
を述べ、
何事
もかくさず、又、
何事
もつけ加えないことを誓います。
証人
鍋島
態道
〔
総員起立
、
証人
は次のように
宣誓
を行な
つた
〕
宣誓書
良心
に
従つて真実
を述べ、
何事
もかくさず、又、
何事
もつけ加えないことを誓います。
証人
内田 常雄
高田なほ子
3
○
委員長代理
(
高田なほ子
君)
証言
時間でございますが、いろいろお話の多い点もあられることと思いますが、時間の都合上もございますので、大体一人十分くらいずつにお願いいたしたいと思います。質疑は
証人
及び
説明員
の
発言
が全部
終つて
からお願いいたします。では
棚橋
さんからどうぞ。
棚橋鐘一郎
4
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) それでは私から
水産大学
の
敷地
並びに
建物
の件について、並びにこれらの接収されてから
教育
上にどういう影響を及ぼしたかということの
内容
を申上げます。
水産大学
は
明治
二十二年の創設にかかりまする
水産伝習所
に端を発して芝三円四国町に
校舎
を初め持つていたのでありますが、深川の
越中島
に
校舎
を移しましたのは
明治
三十五年のことであります。爾来約四十五年に
亘つて
、ここで
水産
の専門の
教育機関
として大
発展
を遂げて幾多の有為の人材を出していたのであります。その
敷地
は大体二万一千坪ございまして、
建物
は
延べ
約四千七百五十数坪ございます。
本館
初め
図書館
、
標本館
などもすべて
鉄筋コンクリート造り
の
耐震耐火
のものでございます。然るに
昭和
二十年の十二月末に
米軍
の騎兵第八連隊の接収するところとなりまして、それ以後
校舎
を失いまして非常に苦しんでいるものでございます。当時の
学校当局
は百方手を尽しまして接収取止め方の懇願をしたのでありますが、遂に聞き入れるところとなりませんでした。
取りあえず隣接
の
商船学校
の
寄宿舎
を仮
校舎
といたしまして、極めて不満足な
教育
を行
なつ
ていたのであります。この窮状の打開のためと、もう
一つ
には戦後
我が国
の
水産業
の
重要性
の増大に適応するために、
水産講習所
の拡充ということを大いに考慮いたしまして
校舎
を求めていたのであります。丁度この頃に我が
政府
におきましては
久里浜
を
一大漁港
といたしまして、その一帯を
水産都市
とする
方針
をきめまして、
久里浜
の元の軍の
施設
を
漁業関係施設
に転用する
方針
を定めたのであります。そして
昭和
二十一年の
次官会議
におきましては、直ちに実施し得る
施設
からだんだんに転用することといたしまして、
横須賀
市に
久里浜地帯
の一部
施設
の仮
使用
を直ちに
許可
しまして、その促進を図ることに決定したのであります。ここにおきまして
横須賀
市は我々の
学校
を旧
海軍通信学校
に招致したいという申入れをして参
つたの
であります。当時の
水産講習所
といたしましては、旧
海軍通信学校
の全
施設
を用いますると、
学校
の再建は勿論のこと、将来
大学
として
発展
するのに適当だと認めまして、
関係
の各省に懇願いたしまして、将来その
施設
が全部
進駐軍
から
日本政府
に返還された場合には、その全
施設
を
水産講習所
で以て
使用
するようにお願いいたしまして、ついにその
承認
を得たのでございます。こういう
承認
を得ましてから、早速これは
昭和
二十三年の五月でございますが、第八軍にその
建物
のうちの一部の
使用許可
を
申請
したのであります。そうしてそれが
許可
になりまして早速
移転
したのであります。当時といたしましては、この旧
海軍
の
通信学校
の全
施設
を
使用
するということはできなか
つたの
でございます。それがと申しますのは、お手許に差上げてありまするいろいろの
書類
を集めましたもののうちの十二ページのところに図がございますが、この
施設
の重要な
部分
は第一
号兵舎
、第二
号兵舎
、それから第二、三
講堂
としてありますもの、それと第一
講堂
それから
庁舎
としてあるこの五つの
部分
が最も重要な
建物
なのでありますが、これらのものはいずれもそれぞれの官庁によつて
使用
されていたのであります。第一には
米軍
の第八軍によつて使われております。これが一番重要な
庁舎
に駐屯しておりました。それから第一
兵舎
、それから第二
兵舎
と申します
部分
は
横須賀
の
米海軍
がこれを
使つて
おります。それから第一
講堂
に当る
部分
は
復員局
が
使つて
おります。それから第二、第三
講堂
に当る
部分
、これが当時は
海上保安庁
の
管船部
が
使用
しております。こういうわけで全
施設
は当時
申請
することができませんので一部の
申請
をいたしまして、そうしてそれが
許可
にな
つたの
であります。その
許可
にな
つた部分
は、そこに赤く区画してございますが、この
部分
だけが
許可
になりまして、これを
使用
することにな
つたの
でございます。これが
延べ
約五千百坪でございます。これらの
建物
はいずれもその当時から非常に
老朽
な
建物
でございまして
学校
の
校舎
としては非常に不満足なものであ
つたの
であります。けれども将来この
復員局
、
海上保安庁
、或いは
米海軍
の
建物
が近い将来に空くということを期待いたしまして、あえてここに引越したのでございます。で大体その五千百坪の中に当時
学生
約千名、それから
教職員
三百二十二人、それから十万冊の
図書
、それから一万一千余点の
標本
、五千八百余点の
機械器具
を収容しなければならないのでございまして、非常にそれは困難なことでございましたので、右のほうの所に別に赤く区画されております二棟の
建物
を仮に
倉庫
といたしまして、そうしてそこに主として
標本
であるとか、
機械器具
、そういうようなものの大
部分
をここに格納いたしたのであります。 こういうわけで、その当時からこれらのものは、
教育
上
一つ
も
使用
することができなか
つたの
でございます。それから又
図書
もただ
教室
を限りまして、そうしてそこに
図書
を保存しておくだけで、
閲覧室
なんかを設けるなんかということは全然できませんので、折角の十万冊の
図書
も死蔵せざるを得ないのであります。ここに
移転
いたしましてからすぐに又
海上保安庁
が
使つて
いた
建物
が空いたのでございます。
海上保安庁
の
建物
が空きますると、
我我
の
学校
にこれらの
建物
を
使用
することに大体きまつておりますので、早速
大蔵省
の
かたがた
が見えまして、そうしてこれを引継ぐようにということで、
大蔵省並び
に当時の
海上保安庁
の
関係官
と立会の上でそれを引継いだのであります。そうしてすぐこれを管理
使用
するということにな
つたの
でございます。そうして大体その面積は約千五百坪ばかりのものでございますけれども、これらのものは大
部分
は小さい
建物
でございまして、
教室
なんかにまだ
使用
することのできるものは殆んどなか
つたの
でございます。ただ
一つ病室
に
使つて
お
つた建物
が割合にすぐ使えるような
状態
にございましたので、これをこのまま根本的に改造をすることなく
教職員
の大体宿舎に充てたのでございます。それから又増殖の
実験室
などをそこに造りました。又越えまして
昭和
二十四年の十一月には、今度は
米海軍
の
横須賀基地
の
使つて
いた
建物
が空いたのでありますが、この
建物
は非常に主要な
建物
の
部分
でございまして、大体三棟空いたのでございます。
鉄筋コンクリート
のものが二棟、それから
鉄骨木造
のものが一棟、延坪は約五千坪でございます。そうして
米海軍
はこれらの
建物
は
水産大学
が使うのが最も適当であると認められまして、当時の
海軍
の
関係官
と、それから
大蔵省
の方々と、それから
学校
のものとが引継ぎを行な
つたの
であります。そうしてすぐに又それと同時に第八軍に対して
使用許可
の
申請
をしたのでございます。それでもう大体の
建物
を私どもは
使用
することができるような
状態
にな
つたの
でありますが、
復員局
の
建物
と第八軍が
使つて
いる
建物
だけがまだ
使用
することができないような
状態
にあ
つたの
であります。けれどもこれらのものもやがては使えるものと
思つて
非常に皆期待していたのでございます。大体それらの
鉄筋コンクリート
の
建物
には
倉庫
、
図書館
であるとか、或いは
標本室
であるとか、或いは
実験実習室
であるとか、或いは
倉庫
に入れた
機械器具
などを備え付けてそれぞれ
使用
したのであります。それから
木造
の
建物
についてはこれは
事務室
・
教室
、それから
研究室
などを作りまして、そうしてこれを
使用
することにな
つたの
でございます。勿論これらの
建物
についてはまだ第八軍からの
許可
が下りておりませんので、根本的な
修理
はいたしませんでした。ただ
雨漏り
であるとか或いは
窓ガラス
の
修理
であるとか、或いは戸締りをよくするというような程度のことで
使用
してお
つたの
であります。それで大体そのときの
状態
でありますというと、我々が使い得た坪数は全体で一万一千六百坪ばかりのものが
学校
の
校舎用
に使われたのであります。そうしてだんだんこう
なつ
て参りますと、一番最初に引つ越して
行つた
当時の
老朽
の
建物
はそれぞれの方面に又別に用途を考えまして、最も貧弱であ
つた寄宿舎
については前に
事務室
であるとか或いは
教官室
なんかに当ててお
つた部分
を
寄宿舎
にする
予定
にいたしまして、
後援会
からも多分に費用を出して頂いて、これを何とか立派な
寄宿舎
にする
予定
でございました。そういうようなふうにして何とか
大学教育
の一端ができるようにな
つたの
で非常に喜んでおりましたところが、
昭和
二十五年の八月十九日に
関東民事部
の
デユーカス中佐
が首班になられまして、二人の
米軍
の将校とそれから
大蔵省
の方が数名参られまして、
大学
の
施設使用
の
状況
の
調査
に来られまして、そうしてその際に近い将来にこれが接収されるということを
伺つたの
であります。我々は非常にびつくりいたしまして、
越中島
の
校舎
の接収された経緯から、それからこれらの
建物
が
大学
の
発展
のために是非なければならない
建物
であることを力説いたしまして、何とか引続き
使用
できるように懇願いたしたのでありますが、越えて二十一日になりますと、
関東民事部
の
ジョーンズ課長
から
明渡し
の命令を
受取つたの
であります。それでやむなく二十三日の
指定期日
までの一日間に全部
移転
を完了したのであります。そうして指定された
建物
並びに
敷地
の
明渡し
をしたのでございます。こういう次第で
明渡し
ました結果は、完成
使用
しておりました
建物
は六千五百坪、それから一旦
許可
になりました
倉庫
として
使つて
おりました約一千二百坪の
建物
は全部使うことができなくな
つたの
であります。つまり七千七百坪の
建物
は全然
使用
することができなくな
つたの
であります。一万一千六百坪のうち七千七百坪の
建物
が全然償うことができなくなりましたので、非常に
狭隘
を感ずるようにな
つたの
であります。そこで前に
倉庫
に入れておいたものをこの中に収用しなければならないような
状況
になりましたので、正規の
大学教授
をするということは殆んど不可能なような
状態
に相成
つたの
でございます。前にも引越した当時から無論
大学教育
なんかをするのには全く不適当な所であ
つたの
でございますが、主な
建物
が近い将来に手に入るというのを期待して、あえて我慢していたのでありますが、これらの
建物
を失いますというと、全く絶望の
状況
に相成
つたの
でございます。それで而もこれらの元の
建物
に帰りましたのでありますが、これらの
建物
はいずれも先ほど申上げましたように非常に
老朽
な
建物
でございまして、少し雨が降れば
雨漏り
がいたしますし、風が吹けばもう
雨漏り
がするというような始末でございまして、貴重な
図書
であるとか、
標本
なんかの保存には全く適しない
建物
でございます。それから
木造
でございますから、火気を
使用
しなければならない
実験
、
実習
は絶対にできなか
つたの
であります。こういうようなわけで、現在の
建物
におきましては
我が国
のた
つた
一つ
の
水産單科大学
としての使命を果すことは全然不可能のような
状況
にございます。それで、その後何とか
校舎
を得たい
思つて
八方いろいろ
候補地
なり、或いは
候補
の
建物
を物色いたしまして、そうして何とかこれを物にしようとしたのでありますが、いずれも初めから非常に困難を伴うものがありましたし、又或いは
財政面
の上で手に入れることができないようなものがありまして今日に至つておるのでございます。今までの大体の
状況
は今御説明申上げましたような
状況
でございます。
高田なほ子
5
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 続いて
岡田証人
の御
発言
を……。
岡田郁之助
6
○
証人
(
岡田郁
之助君) 私から主といたしまして、
教官
の
研究活動
並びに
学生
の
実験
、
実習等
につきまして御説明申上げたいと思います。
水産大学
は明、治二十二年に創立されまして、現在の
越中島
におきましては、
水産教育
といたしまして非常に完備した
設備
を持つてお
つたの
であります。それが
昭和
二十年の十二月に
進駐軍
に接収いたされまして、その際
期限
を切られまして、二日間の
期限
で全部片付けろとこう言われまして、当時十二月の終りでありましたので、
学生
は
休暇
中でありまして、
学生
に荷物を片付ける手伝いをしてもらうことができませんで、それで
進駐軍
のほうで
日本
への
人夫
を五百人か、六百人入れまして、その
人夫
が片付けました。その際
実験台
が約六十ありまして、
化学
の
実験台
でありまして、これは
水道
、
電気
並びに
ガス
、こういうものが固定して付けてあ
つた
実験台
でありますが、これをパイプは鋸で切りまして、
実験台
はそのまま外の
運動場
に放り出された。そういう
人夫たち
が片付けたものでありますから、
実験
に要する
機械器具
並びに
研究用
の
精密機械等
は非常に乱暴な取扱を受けまして、破損をいたしましたり並びに紡失いたしました。当時非常に
いろいろ物
のない時代でありますから、この
メーター類
、
モーター類
というようなものは忽ちのうちに
紛失
をしたのであります。で進駐されまして以来
商船学校
の
寄宿舎
に一時立退きました。ここにおきましては何ら
設備
がないので、
学生
の講義のほうはできましたが、
学生
の
実験実習
は一切できませんでした。なお
教官
の
研究活動
は全然中止されたような
状態
であります。次に
久里浜
に
移転
いたしまして、
久里浜
におきましては、先日
御覧
にな
つた
ようなあの
コンクリート
の
本館
のほうにおいて十分なる
設備
をすれば非常に完備したものができるというので、
実験実習等
の
設備
は完全にいたしませんでした。併しながら
学生
の
実験実習
は一日もゆるがせにすることができないのでありますので、
便所等
を改造いたしまして、ここにおきまして非常に不完全ではありますが、
学生
の
実験実習等
を一部行
なつ
ていました。次に
コンクリート
の
建物
が空きましたので、そちらのほうへ
実験
の
設備
をいたしましたところ、約一月にしまして又追い出されて、折角
設備
をしたところを又追い出されまして、この追い出される場合もやはり
期限
を切られまして、二日間に立も退け、こういうような
状態
でありまして、又この追い出された時期が八月でありまして、当時やはり
学生
が
休暇
中でありまして、この
学生
の協力を得ることができず、結局応急に
人夫
を雇いまして、この折魯
設備
したものを壊しまして、又元の
バラック
のほうへ逆戻りしたわけであります。たびたびこういう
移転
をするものでありますから、
精密機械等
はその
たびごと
に破損いたしますし、又
紛失
する場合もあります。殊に
化学実験等
におきまする
ガラス器具類
は殆んど
使用
に堪えないような
状態
にな
つたの
であります。で、この間も
御覧
にな
つた
ような現在の
場所
におきまして、
便所等
の改造した
場所
で
学生
の
実験
、
実習
、こういうものを行いまして、曲りなりにも多少の
教育
を施しておりしますが、完備した
実験
、
実習等
の
教育
を施すことができないのであります。なお
教官等
の
研究
におきましては、先ず
学生
の
実験
から先に始めましたので、
教官
の
研究等
はあとにいたしました。
そり間教官
は各
大学
とか或いは
水産試験場
とかへ行きまして、そこの
設備
を利用させて頂きまして
研究
をいたしまして、終戦後におきましても
教官
の
研究活動
は相当活発でありまして、ここに持つて参りましたが四冊の
研究報告
が出ております。でありますから完備した
実験設備
を持つておりますれば、
学生
の
実験
、
実習
は勿論、
教官
の
研究活動
におきましても事欠くことなく、なおこれ以上立派な
研究
ができたことと思うのであります。現在の
状況
におきましては
学生
の
実験
は不完全でありまして、
学生
に対しましては甚だ申訳ない
状況
であります。更に来年になりますと、
大学
の
最終学年
であります四年の
学年
ができますが、これに対しましての
設備
は全然できておらないのであります。それでそれを収容する
場所
もありませんし、又その四年生に対しましての
実験
、
実習
、こういうものに関する
設備
をいたすところの
場所
も全然ないような
状態
であります。 なお我々の
教官
の
研究活動
としまして非常に重要な
図書
でありますが、この
図書
にいたしましても、
越中島
で進駐された当時やはり
進駐軍
の
人夫
が片付けましたために、一部
紛失並び
に焼かれたものもありました。これを
久里浜
に運びまして、
コンクリート
の
建物
の中に一時納めまして非常に我々は安心したのであります。と申しますのは、
水産大学
は六十年以上の歴史を持つておりますので、
水産
に関する
文献図書等
は非常にたくさん持つておりまして、なお殊に
海藻等
におきます
図書
は世界でも有数な
図書
があるのであります。でこれらのものが
コンクリート
の
建物
に入
つたの
で、火災の危険はないと思いまして非常に安心したのでありますが、昨年又追出されまして、又今の焚きつけみたいな
バラック
の中にごの
図書
を保管しておくということは非常に憂慮に堪えない次第であります。なおたびたび
図書等
におきましても、
移転
したためにこれを利用するための十分の整理も行届いておらない。これも
場所
が
狭隘
のためにこんな
状態
でありまして、
研究活動
上からも非常に不便を来しておる次第であります。
越中島
におきましては
コンクリート
の立派な
書庫
がありまして、この
書庫
に入れておけば非常に安心であ
つたの
であります。なお
越中島
の
設備
におきましては
冷蔵庫
がありまして、これはマイナス六十度まで冷却することができます非常に優秀な
冷蔵庫
であります。これも
コンクリート
で造つてありますので
移転
することもできず、現在そのまま置いてあるのでありますが、この
冷蔵庫
も我々が利用すれば非常に立派な
研究
ができるのでありますが、ただそのまま
越中島
へ置いておくということは非常に勿体ないことであると思うのであります。 なお
冷棟
の
研究
に麗しましては、こういうふうに非常に不便を来しておるのでありますが、やはり
水産研究所等
において
研究
をいたしまして、私のほうの
田中助教授
に、この
冷凍
の
研究
につきまして
ロンドン
の
冷凍国際会議
がありまして、それからインヴィテーションが来まして、この
研究論文
に対して非常に認められまして、この
研究
に対して
日本
から十九人の
論文
が出たのでありますが、
水産大学
の
田中助教授
のみにインヴイテーションが来まして、現在
ロンドン
へ行つておるような
状態
であります。でありますからこういう
研究設備
が完備しておれば、
水産大学
の
研究
というものは一層進みまして、
我が国
の
水産陣
に対しまして非常に貢献することができるものと思うのであります。なお
越中島
におきましては、我々の
実験台
を取外しましただけでありますから、その床下には
ガス
だとか
電気
だとか
水道
だとか排水だとかこういう配管がすべてできておるのでございますから、いつでも
越中島
のほうは入れば直ぐに
研究活動
並びに
学生
の
実験実習等
にこと欠くことなくできるような
状態
にできておるのであります。 なお又漁業のほうの
実習
にいたしましても、現在のところにおきましては、海へ出る出口があそこの川が非常に浅くて海との連絡に非常に不便であります。又漁具だとか漁網であるとか、その他の漁撈物理或いは漁撈
化学
、こういうものに対します
研究
に非常に不便を来しておるのであります。これで現在までにおきます私たちの
研究活動
並びに
学生
の
実験実習等
に関しましての御説明を終ります。
高田なほ子
7
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 鍋島
証人
。
鍋島態道
8
○
証人
(鍋島
態道
君) 私は大
日本
水産
会の会長を勤めておるもので、東京
水産大学
とは直接の
関係
はありませんでございます。併し今日
証人
として呼ばれましたのは、大
日本
水産
会と東京
水産大学
との深い関連あるためにお呼出しにな
つた
と心得ております。 先ず第一に東京
水産大学
の
敷地
及び
校舎
の問題につきまして、今日この委員会をお開き下す
つた
ことを
学校
の
関係
者及び
水産業
者の一員といたしまして厚く御礼を申上げます。有難うございました。只今申上げましたような大
日本
水産
会と東京
水産大学
の関連でございますが、今事務局長からもお話がありましたが、実は現在の東京
水産大学
の前々身、即ち平たくいえばお爺さんというかお婆さんといいますかは、この大
日本
水産
会が
明治
二十二年に創立したものでございます。そして三十一年まで私立の
水産伝習所
でございました。三十一年に官立となりまして
水産講習所
と改称されたわけでございます。爾来蔭になり日向になり、大
日本
水産
会の前会長、前々会長、歴代の会長はいろいろ御協力をして参りましたのでございますが、二十二年のたしか五日でございましたか、
越中島
の
校舎
が
進駐軍
によつて接収されまして、止むを得ず
久里浜
へ
移転
しなくてはならないことになりました。それで地の利その他につきまして、遠い将来はともかくも差当つていろんな不便不利が多大であるから、大
日本
水産
会の会長として
一つ
後援会
を組織してくれんか、こういう交渉が
学校
当事者からありまして、あえて不肖私その任に当りまして、できるだけの後援をいたしたいと
思つて
及ばずながら今日まで多少の後援はして参りましたのでございます。ただたしか前々国会と記憶しておりますが、当時の
水産大学
の
教育
施設
は到底これではできないから、何とか火急に
教育
施設
を改善するようにして下さいというて請願を出しまして、前々国会のときと記憶しておりますが、この委員会で御採択を願つております。衆議院の
文部委員会
でも御採択を願つております。ただその後
文部
省といろいろ御相談を申上げまして、先刻ちよつと
棚橋
事務局長からも話のありましたように、一、二の
候補地
も物色いたしまして、交渉をして参りましたが、不幸にして予算
関係
その他のために今日まだ実現に至らないのでございます。私はどうしろこうしろと勿論言うべき立場でもありませんのでございますが、
文部
当局といたしまして成るべく、成るべくじやない火急に
一つ
この
施設
を改善するように御配慮をお願いいたしたいと思います。さもなくば約六十年以上の伝統のこの
水産教育
、現在の
水産
、とにかく
水産教育
につきましてはおこがましい話でございますが、東京
水産大学
の右に出ずるものは世界国中ないと信じております。これを維持
発展
さすということが
日本
水産業
界のための基礎の仕事と思いますので、この委員会においても御採択を願つておりますし、委員会も
一つ
責任者を御鞭撻を願いまして、一日も早く実現するように御配慮をお願い申上げます。
証言
となりますかどうか、希望を申上げますのは甚だ申訳ありませんですが、私のお話はこれで終ります。
高田なほ子
9
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 内田
証人
の御
発言
をお願いいたします。
内田常雄
10
○
証人
(内田常雄君) 私は本年の四月中旬に現職に就任したものでありますから、勿論東京
水産大学
、或いは予備隊の
敷地
の移動がありましたことにつきましては直接存じておりません。なお又私が就任以後この問題について
文部
省当局或いは
大学
の当局、或いは予備隊の当局等から希望なり、陳情なり、事情なりを直接接受したこともございません。お呼び出しによりまして全く何のことかわかりませんから、只今部下の職員に問題の所在を聞いて参りましたので、これは私が身を以て体験したことでもないし、従つて
証言
内容
をなさないかも知れませんが、私は職務上間接に知り得たことを御参考までに申上げたいと存じます。各
証人
からお話があ
つた
ことでも知り得ますように、この東京
水産大学
は
昭和
二十二年の六月二十日に
久里浜
の元
海軍通信学校
の一部に
移転
したそうであります。この元
海軍通信学校
というのは旧軍用
施設
でありますから、占領軍の進駐に伴つて当然占領の対象物件として軍事占領をされたものでありまして、元は
海軍
省所管の国有財産でありますけれども、軍事占領の目的に
なつ
ているために
大蔵省
としてはこれを国有財産法等に準拠して自由に動かすことができないものであります。これが軍事占領を解除されまして、
日本政府
に返還されまして、完全な国有財産の婆を取戻したのは今年の三月十二日だそうであります。従つてこの
久里浜地帯
に
水産大学
が入
つた
ことも、更に又警察予備隊が入
つた
ことも、この両者の間で
使用
地が移動したこともすべて
日本政府
の
許可
、つまり国有財産法上における大蔵大臣の総轄権とか、或いは各省大臣の間における所管替え等の国内法に準拠したものではなしに、全くこれを占領しているところの
進駐軍
当局の事実上の
許可
を得て行なわれた事項であると思われます。
水産大学
はかようにして占領軍の事実上の
許可
を得て旧
海軍通信学校
の一部を
使用
した後におきまして、更に
米軍
の
許可
を得て、その当時
米軍
の駐留部隊が
使つて
いる
部分
を除いて旧海電
通信学校
の大
部分
のほうを更に使わしてもらうようになりまして、最初のときよりもその
使用
地帯は拡ま
つた
そうであります。ところが
昭和
二十五年の九月におきまして、即ちまだ
日本政府
に対してこの地帯が軍事返還が済まない間にこれも
進駐軍
の指図として警察予備隊が今まで
水産
学校
が
使つて
お
つた
地帯に入れられることになりまして、その結果として
水産大学
は再び最初に使わしてもら
つた
地帯、或いはそれよりもやや狭いくらいの地帯に追い込まれ来たということであるそうであります。従つて
水産大学
としては先ほど他の
証人
からお話がありましたように、行く行くは
久里浜
通信学校
の全部又は大
部分
を
学校
の
施設
として軍事返還後に
学校
に使わせるだろうという期待が失われて、現状においては当初の見込みと甚だ違
つた
状態
にあるということは窺われると思います。先ほども申しましたように、その後におきまして、即ち本年の三月に入りまして、これが軍事返還にな
つた
。つまり
大蔵省
の所管の財産に返還されたということでありますから、
大蔵省
としては今後の事態に応じてこの地帯を
文部
省に所管替えをするか、或いは警察予備隊を所管する内閣総理大臣に所管替えをするかという問題になるだろうと思いますが、現実においては、今両方が狭いなり広いなりとして使われておりますから、この事態が片付かない限り
大蔵省
としては国有財産に関する総轄的の職責として、他の一方をどこかに押出して、他の一方を満足せしめるということもにわかにはできないものだろうと存じます。 なお本日部下の職員から聞いて参
つた
ところによりますと、
水産
学校
としては今の地域をできるだけ欲しい、その場合警察予備隊のほうでは、若し現在警察予備隊の本隊ですかが
使用
しているところの元の
商船学校
ですか、或いは何か
海軍
の経理部かなんかの所でしようか、警察予備隊の本隊がいる所が本隊がどこかに移るというようなことがあれば、つまり占領軍の占領が
終つて
東京都内、或いは各府県において多くの軍用財産が
日本
側に完全に帰つて来るというような事態において、警察予備隊がどこかに移る地帯があ
つた
場合には、警察予備隊も東京附近において余裕ができるから、
水産
学校
との間に
使用
調整ができるだろうというような気構えでおられる。従つてそれらの問題が解決するまでは、
大蔵省
としては現状直ちに手は出ない、こういうことであるそうであります。 以上が私が間接に聞いて参
つた
全部でございます。
高田なほ子
11
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 次に江口
説明員
の御説明を……
江口見登留
12
○
説明員
(江口見登留君) 私は警察予備隊の本部の次長でございますが、
久里浜
の
水産
学校
の問題につきまして、いろいろ他の皆さんから話を承わりましたが、その通りだろうと存じます。
水産
学校
の現状につきましては、部外者としても非常に御同情申上げておる次第であります。大体予備隊の
関係
におきますることにつきましては、皆さんの御説明で尽きておると存じます。私どもから進んでどういう点を御説明申上げていいのか迷つておりますから、のちほど質疑の時間もあるそうでありますので、その際どの点を詳しく説明しろとおつしやいますならば、その点に従いまして御説明申上げたいと思います。只今のところ、皆さんのお説に附加することはないと思います。
高田なほ子
13
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) では次に田中
説明員
にお願いします。
田中徳治
14
○
説明員
(田中徳治君) 現在の
水産大学
としての
施設
は、先ほど
棚橋証人
の言われました通り、非常に貧弱な
状態
にあります。このことは
学校
の当事者からもすでに陳情がありまして如何に新制
大学
といたしまして現在の
施設
が不備であるかということは我々もかねがね承知いたしまして何とかこの整備につきましては十分
学校
の意思に副うようにいたしたいというように実は考えておりました。ところが新制
大学
といたしまして、現在の
水産大学
の
施設
を一応の基準によりしまして算出いたしますと、約五千六百坪の
校舎
並びに約一千坪の
寄宿舎
を要するのでございまして、その
敷地
といたしましては三万乃至四万の
敷地
を必要といたします。なお
水産大学
といたしまして、立地的な条件といたしまして水辺になくてはならんというような厄介な条件が附いております。従いましてこれを新たに設けるということになりますと、
敷地
の確保なり或いは他の建設の面から考えまして、相当額の厖大な予算を必要といたすのでございまして、現在七十一の新制
大学
を持ちながら、僅かに十億程度の予算といたしましては、その完成を期することはなかなか困難の事情にあります。
久里浜
の地区を一応将来の
水産大学
の永久的な
施設
として考慮いたしましたことは、昨年の四月頃の
予定
でございました。従いましてあすこを恒久的に、鉄筋の
校舎
を補修いたしまして、
学校
の御要望に副いたいというようなことからいたしまして、一応あそこの補修工事も入札いたしました。ところがその後、先ほど
棚橋証人
からも言われました通り、
建物
の
明渡し
指令が参りまして、この工事も中止のやむなきに至
つたの
であります。あそこの
施設
といたしまして、全部の
施設
を
水産大学
のために
使用
するのでなければ、将来の
水産大学
の一貫した
施設
は期待できません。最近残されている
施設
は、僅か一万五千坪の
敷地
と四千坪足らずの
建物
面積、而もその中には約千坪の
寄宿舎
を包含しておりますが、
建物
そのものが
学校
本来の用途のためでなし、そのために非常に利用効率が減つております。非常に腐朽した
状態
ですし、結局この
施設
をこのまま
大学
としての
施設
としては不完全なもので、これを将来の
水産大学
施設
の一環として考えるわけには参りません。そのためにどうしても新たに
敷地
の物色なり、新たに
建物
を見付けまして、そうしてこれを将来の
水産大学
の
施設
として接収する以外に手はないのでございまして特に今考慮されているのは
越中島
の元
水産講習所
でありますが、この
施設
は約二万坪の
敷地
と、なお鉄筋の
建物
といたしまして約四千七百坪、更にこれを拡張いたしまして、新制
大学
として適当な
施設
にいたすためには約千坪の増築によつて完全な
校舎
ができるのでございまして、
文部
省といたしましては、この従来の
施設
を利用いたしまして立派な
校舎
を作りたいというふうに考えております。現在におきます
水産大学
の
施設
に関する
文部
省の考え方は以上の通りであります。
高田なほ子
15
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) なお附加えますが、
水産
庁長官の藤田さんが見えておられますので、特に御説明になることがあれば御説明頂きますし、又御質疑の点がありました節にお答え頂いても結構でございますが、如何いたしましようか。御説明願いますか…。じや簡単に御説明下さい。
藤田厳
16
○
説明員
(藤田厳君) 実は説明をするというふうなことも格別ございませんので、ただ
水産大学
の問題については、
水産
庁としても深い関心を持つておりますわけであります。ただ一言従来のいきさつと、それから希望を申上げたいと考えております。 実は
水産講習所
が
文部
省に移ります当時は、私は丁度
水産
庁にはおりませんわけでして、
水産
庁に私が次長としておりました当時にこの問題はすでに出ておりましたわけであります。解決をいたしましたのは私が
水産
庁を去りましたあとでございます。その直接のことは存じませんが、ただ私が次長をいたしておりましたときにたまたまこの問題が起
つたの
であります。そのとき私どもは単に
水産教育
というものを、或いは
水産
庁がやるとか或いは
文部
省がやるとか、単なる縄張り争いというふうな考え方でなくて、今後どうすればいいか、どうすれば
水産教育
というものがもつと伸びるか、そういうふうな大きな見地からこれを解決したい。
文部
省当局といたされましても、やはり同じような見地で、どちらの所管に移
つた
ほうがこの
水産教育
というものがよりよく伸びるかということで考えようじやないかということで折衝をいたしましたことを覚えております。私どもといたしましては、結論としてこれは新らしい学制の変更もあることでありますからして、それによつてむしろ
文部
当局に所管を移しまして、それによつて
水産教育
がより拡充されて徹底化されるということが望ましいということで、いわばむしろかわいい子供をその子の将来のために
文部
省のほうにお預けして、よく育てて下さいというふうな意味合いでや
つた
ことを記憶しております。昨日
水産委員会
の
委員長
初め各委員、或いは
文部委員
の
かたがた
に
庁舎
を
御覧
頂きまする機会に私もお供をいたしまして見たのでございます。丁度私は二回目でございますが、たしか
昭和
二十三年に見ましたときもやはり同じような模様ではあ
つたの
でありますが、そのときは現在警察予備隊に使われております所があれがやがては
水産大学
の
庁舎
に充てられるのだということで非常に希望があ
つた
ように考えてお
つた
。ところが昨日見ましたところでは、すでにそこらは予備隊が入つておられますし、いろいろ窮屈な所で、従来よりも更に窮屈な
状態
であられるように考えております。私どものお願いといたしましては、どうぞ現在はもう所管はございませんが、併し
水産教育
については非常に深い関心を持つておるわけであります。何とか
水産教育
が本当に徹底し、将来
水産
の中堅人物というものが養われる貴重な時代であります。あの純真な
学生
の気持をそこなわないように、それがすくすくと伸びて行くような
教育
のできますように、これは
文部
御当局なりその他
大蔵省
関係
、或いは
水産委員会
、或いは
文部委員会
、そのほか国会
関係
各方面の
かたがた
の御努力によつてそういうふうなことが実現できますように、特に私のほうとしてはお願いをいたしておきたいと思います。
高田なほ子
17
○
委員長代理
(
高田なほ子
君)
証人
、
説明員
の
かたがた
にはこまごまと御説明頂きまして有難うございました。大変時間も過ぎておりますが、これから質疑に入りたいと思います。御質問のあられるかたから順次お願いいたします。
青山正一
18
○青山正一君 非常に細かい点ですが、
一つ
承わりたいと思いますが、これは
棚橋証人
に承わりたいと思いますが、予備隊は
水産大学
の構内に、この図面を見ますとはつきりこの
敷地
というものは区別されてありますが、どうですか、この
水産大学
の構内に自由に出入りしておるかどうか、そうい
つた
ような問題についてお聞きしたいと思います。
棚橋鐘一郎
19
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) 私のほうの職員並びに
学生
は予備隊のほうの区画の中には一歩も入ることができないのでございます。けれども予備隊の
かたがた
は教練する
場所
が足りないということから、私のほうに二三度幹部のかたが見えまして、
学校
が使わないときは何とか
運動場
を使わしてくれということでありましたので、私のほうが使わないときには始終訓練を実施することを私どもは認めておるのであります。ただ実際の問題として困りますのは、授業時間中に下で号令の練習をされることでございます。それがためにそうでなくても
教室
が非常に不完全な
教室
で、隣りの講義が耳に邪魔に
なつ
て完全に聞えないというような
状況
の下にありまして、下のほうで以て号令の練習や何かされると講義はめちやくちやになる、それでそのことでは私ども抗議を申込んだことがございます。それから又この構内をこれは極く最近でございまするけれども、予備隊のほうで規則を作られましてそうして不完全な裏門から自由に出ることを
許可
されておるのでございます。これは無論全部の隊員ではございませんで、士官の数名の人たちだけに
許可
をされたのでございます。けれども私どものほうには全然その通告がないものですから、この中を通り抜けて他の
場所
に出られたり何かすると、我々のほうとしては非常に取締上迷惑をするものですから、一部の職員がこれを見付けてとがめたそうであります。ところが自分のほうでは規則で出られるようにな
つた
から一向差支えないということで、とがめた職員が却つてあべこべにやつつけられるという
状態
で一々悶着を起して困つておるのであります。それで又最近に私のほうで絶対にそういうことのないように、あなたのほうの門でそれから出るのは一向差支えないかもわからないけれども、私のほうの構内を勝手に通られては困るからということで、一応それを差控えて頂きたいというように申入れてございます。けれどもそれでもやはり昨日も聞きましたら、昨日の朝もそれから一昨日の晩も門衛がいて注意しても、俺は士官だからということでどんどん通行されたということで実は困つておるのであります。そういうことがあります。
青山正一
20
○青山正一君 そういうことで生徒との間に或いはいろいろ摩擦があるかないか。それから思想上の問題はどうであるか、その点について承わりたい。
棚橋鐘一郎
21
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) 最近は
学生
も大体我々のほうがここに果して長くおるかどうかわからないというようなことを
思つて
おりますので、できるだけの我慢をしております。けれども初めのうちはお互いに若いものですから、いろいろのことで摩擦があ
つた
ように聞いております。一度はそのために腕力沙汰に訴えたことがあ
つた
ようなことも私耳にいたしておりますが、その後は多少の摩擦は或いはあるのかもわかりませんけれども、私の耳にまではその後は入らないのでございます。それから
学生
の思想上に及ぼす影響という御質問でございますが、私のほうの
学生
は割合にこういう
水産
というものに興味を持つておりますし、それからこういう実務的なものに非常に興味を持つておりますので、思想は非常に堅実でございます。このために特に思想が変るというようなことはちよつと考えられないと思います。ただこの
施設
が非常に不十分なものですから、それに対しての不平は非常にございます。けれども私どもいつも今にどこかいい
施設
に移れるんだから、而もこれは国会初め
文部
省その他の
関係
のお役所の
かたがた
にお願いしておるのであるから、いつか完全な
施設
に入れるからということで、それを今は皆期待しておりまして、特別な動きはないように思われます。
青山正一
22
○青山正一君 有難うございました。次に岡田さんにお伺いしたいのですが、先ほどのお話の際に便所を改造して
実験室
に
使用
しておる、こうい
つた
問題があるのですが、一体便所というものは一ヵ所ですか、数ヵ所ですか、どうなんですか、何ヵ所くらいの便所をその
実験室
として改造しているのですか。
棚橋鐘一郎
23
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君)
学生
の
実験室
に
使つて
おりますものは一ヵ所であります。それから
教官
の
実験室
としております
場所
が二ヵ所ございます。
青山正一
24
○青山正一君 全部三ヵ所の便所を
実験室
に改造しちやつて
使つて
おる、こういうわけですね。
棚橋鐘一郎
25
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) はあ。
青山正一
26
○青山正一君 それから現在この
水産大学
は寄宿しながら学業を習得して行くというような建前にあるわけですが、現在の
寄宿舎
は完備しておるかどうか、そうい
つた
模様について承わりたいと思うのですが。
棚橋鐘一郎
27
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) 現在の
寄宿舎
につきましては、実に不完全極まるものでありますが、あれでもできました当時はガラスが全然ありませんし、荒れておりまして、ひどいものでありました。又当時雨も漏りますし、又暴風雨のためにあの屋根が飛ばされまして、それも修繕したあとであります。各
教室
におきましても非常に狭くて、又実に汚いところであつて、
学生
に対して非常に能率が悪い所でありますし、気の毒な
状態
であ
つた
と
思つて
おります。あそこを我々がそのまま見捨てておるのではなくて、これも現在の
校舎
並びに
実験室
その他が
コンクリート
の
建物
のほうへ移
つた
場合、今いる
庁舎
並びに
教室
、そこを
学生
の
寄宿舎
に充てるつもりでお
つたの
でありまして、そうすれば現在の
寄宿舎
よりも非常に数等上等なものができる、その場合におきまして、現在の所に金をかけてもしようがない、で我々の移つて入
つた
場合におきましては、
後援会
のほうでできるだけの
施設
をして、
学生
の満足するような
状態
にしたい、そういう希望であ
つたの
であります。それにつきましては、
後援会
の鍋島さんに御質問願いたいと思います。
青山正一
28
○青山正一君 そのやはり
寄宿舎
というのは何か畳でも敷いているのですか。ハンモックですか、寝台なんですか、どつちですか。
棚橋鐘一郎
29
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) それはやはり板敷でありまして、寝室も又
実習
する部屋も一緒でありまして、その寝る
場所
は板敷であります。板敷も一人別々ではなくて雑居するような板敷であります。
青山正一
30
○青山正一君 何か板の上に……。
棚橋鐘一郎
31
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) 板の上にござを敷いて寝るというような非常に哀れな
状態
であります。
青山正一
32
○青山正一君 それから
設備
、
機械器具
とか、そういうものはこちらに
移転
する際において相当数
紛失
したとか、それから先ほどのお話に一部焼かれたというようなお話もありますが、そうい
つた
明細書とか何とかというものはあるわけなんですか。
棚橋鐘一郎
33
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) 明細書はこの備品につきましては、なくな
つた
ものは備品台帳からすべて削つております。それは備品台帳を
御覧
になればその当時なくな
つた
ものは全部控えてあります。
青山正一
34
○青山正一君 そういう機械、器具とか或いはそういうようなもので当初なくな
つた
ものとか、或いは焼かれたというようなことをやはり予備隊のほうへ申入れたのですか、どうなんですか、或いは
文部
省のほうに申入れたのですか。
棚橋鐘一郎
35
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) 初め焼かれた場合におきましては、
越中島
から追出される場合に焼かれたのでありまして、予備隊が入られるときに移
つた
場合は、機械、器具をやはり大急ぎで出したものですから、その際に壊したり
紛失
したものはございます。予備隊が入られる時期は八月だ
つた
ものですから、焚火なんかすることはないのですから、焼くことはなか
つた
。
越中島
から出されるときは丁度冬でして、寒い時期だ
つた
ものですから、
人夫
が非常に焚火をしまして、そのためにいろいろ焼いてしま
つた
ものがあります。
青山正一
36
○青山正一君 現在舟が、この前僕らが
行つた
ときは、
学校
から川へ下つて行くあそこへ繁留してあ
つたの
ですが、今度繋留してあるのはどこなのですか。やはり
学校
から全然かけ離れた所に繁留してあるのですか。
棚橋鐘一郎
37
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君)
学校
から直接の道路はないのでありまして、舟を使う場合は、あすこの門を開けてもらつて、そうして
学生
があすこからいろいろオールだとかそのほか皆運び出しまして、そうして舟へ積んで、あの川を下つて行くのであります。
青山正一
38
○青山正一君 予備隊の
許可
を得て……。
棚橋鐘一郎
39
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) はあ。予備隊の
許可
を得て門を開けてもらつて、
許可
と言つても正式の
許可
ではないのでありまして、あそこは門があつて、門番がおりまして、それをこつちが行けば、そういう場合には門を開けてもらうことに
なつ
ております。
高田なほ子
40
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) ちよつと皆さんに御注意申上げますが、御
発言
に際して自由に御質問をなさらないで、
発言
を求めてから御
発言
下さるように御注意申上げます。
秋山俊一郎
41
○
秋山俊一郎
君
文部
御当局にお尋ねをいたしますが、この
水産大学
といたしまして、
大学
の
施設
並びに教授につきまして、
施設
が例えば
建物
であるとか或いは
敷地
であるとかというようなものをどの程度必要としておるか、勿論
大学
によりましていろいろ違うとは存じますが、この
水産大学
、即ち東京
水産大学
として、
大学
の教授をやつて行く上にどれだけの
施設
が必要であるか。
敷地
はどれだけのものを用意しなければならないか。或いは
建物
はどれだけのものが必要であるか。この
大学
は御承知のように各種の
実験
、
実習
を併せて行わなければならぬ
学校
でございますので、あれは商科
大学
或いは文科の各系統の
学校
というものとは
敷地
その他において大分趣きを異にすると思いますが、その点は学務当局といたしまして如何ように考えておりますか。
田中徳治
42
○
説明員
(田中徳治君)
文部
省といたしましては、新制
大学
七十一校ございますが、この新制
大学
はもともと三百近くの総合
大学
、つまり専門
学校
、師範
学校
、青年
学校
等が総合されましてできました
大学
であります。各
大学
とも従来の
施設
をそのまま寄せ集めて
大学
を造り上げたのでございまして、
施設
の面からいたしましても、或いは
教育
実施上非常に不完全な形態に現在
なつ
ております。従いましてこれが建設計画をどうするかということにつきまして、設置委員会の中に特別委員会を作りまして、一応現在におきましてこの
建物
の整備
方針
が確定いたしました。これに基きまして現在予算措置を講じておる次第でありますが、この
施設
の
内容
につきまして一応基準を作りまして、各
学校
ごとに理学部なり或いは法学部、
水産
学部或いは文科系統というように、各学部別ごとの規模に応じまして基準を作りまして、その基準によりますと、現在の
水産大学
の規模は先ほども申上げましたのでありますが、定員約八百八十名といたしまして、
建物
は約五千六百坪、なおそのほかに
寄宿舎
といたしましてこれは約千坪と考えておりますが、これに要する
敷地
は三万乃至四万、これが大体
水産
学部の
施設
の基準であります。
秋山俊一郎
43
○
秋山俊一郎
君 田中
施設
部長は、現在の
久里浜
の
水産大学
の
施設
並びに
校舎
を
御覧
にな
つた
ことがございますか。
田中徳治
44
○
説明員
(田中徳治君) 現在の
状況
は私見ておりません。終戦当時ちよつと見たことがありますが、これは
水産講習所
の問題として私参
つたの
ではありませんで、最近の
状況
は私見ておりません。併し担当室課長、或いは担当事務官は詳細に見まして、その報告は十分聞いております。
秋山俊一郎
45
○
秋山俊一郎
君 その御報告の要旨を承わりたい。
田中徳治
46
○
説明員
(田中徳治君) 要旨といたしましては、あの
施設
は現在といたしましては、将来の
水産大学
の
施設
として不適当であるという結論であります。
秋山俊一郎
47
○
秋山俊一郎
君 極めて簡単でありまして、私どもも不適当であるということには同感であります。勿論
文部
当局は
御覧
に
なつ
ておるとは思いますが、私は昨日初めて現地を見せてもらいましたが、他の委員からもいろいろ質問があ
つたの
でありますが、今日いろいろな事情があるとはいえ、
大学
の
施設
といたしましてお話にならない
状態
にあるということは、御報告を受けておることと存じます。殊に私の驚きましたことは、
学生
の寝泊りをする
寄宿舎
の
設備
、これが何と申しますか、私はこの夏網走の監獄を見せてもらいましたが、監獄の寝床よりも悪い。かような
状態
がこの東京近くに置かれておるということに私は非常な奇異な感じがいたしました。而もこれが官立
大学
であります。かような問題がこのままに放置さるべきものでないということはどなたも納得の行くことと思いますが、これは正しく人道の問題であります。のみならず、この奇宿舎に対しまして家賃を取つておるそうであります。是非
施設
部長は一度あの
状態
を見て頂きたい。この
建物
、
寄宿舎
に対して一ヵ月一人から百円ずつの料金を取つておるというのは、何に対してそれを取つておるのか、私は実に不思議でかなわないのでありますが、大蔵当局もそれを何かの財源にでもしておられるのか。あの
状態
は誠に惨憺たるものであるので、十分
一つ
調査
を願つて善処をお願いしたいと思います。 次に
大学
当局の岡田教授にお伺いしたいと思います。先ほどいろいろ御説明、
証言
の中に、各種の
施設
が
紛失
したり、或いは取り付けができないのでそのまま格納してあるという
状態
におきまして
実習
実験
が極めて不完全な
状態
にある。殊に只今もお話がありました便所を改造して
研究
をしておるというような所がどこにあるでありましよう。そういうような
状態
下におきまして終戦後六年間の
教育
をいたしましたその
学生
の修得技術の
状態
、或いは学力の
状態
におきまして、果してどうお考えに
なつ
ておられるか。六年間のうちには卒業生も出ておる。これは
大学
としてではなく講習所として出ておる者もあると思いますが、又今後この
状態
が続けば技術或いは学力、教養の面におきまして果してどういう影響があるかということをお伺いいたしたい。
岡田郁之助
48
○
証人
(
岡田郁
之助君) 只今御質問がありました点につきましてちよつと申上げます。
学生
の
実験
につきまして非常に不完全だと、
越中島
の
校舎
を追い出されまして
商船学校
の
寄宿舎
に入
つた
当時、その間約一年間ぐらいでありましたが、この問は終戦直後でもありまして非常にごたごたしておりまして、
学生
の
実験
並びに
研究等
は全然ストップしております。
久里浜
に移りまして、不完全ながら便所を改造いたしました。便所というのは、水洗便所でございますから水が出る、
水道
の便がある。そういうために便所を
使用
したわけでありまして、又
海軍
が
使つて
お
つた
当時非常にたくさんの人間があそこにお
つた
ものですから、便所が非常に広いのであります。でありますから、
実験室
としてまあ利用すればできたわけでありまして、現在のような
状態
でやつておるわけであります。で
越中島
の
商船学校
にお
つた
当時は全然
実験
ができなか
つた
。これをなお全然
実験
をさせずに卒業させるということは非常に申訳ない。それでまあ幸いなことに、沼津に
実習
場があり、又館山にも
実習
場があり、或いは小湊にも
実習
場がありまして、そこに
実験設備
が多少残つておりました。多勢の
実験
はできませんが、一部の
実験
はできますので、全然できなか
つた
クラスはその
実習
場におきまして
実験
をやらせました。それでもまだ足りないので、
学生
も分散させまして各
研究
所なり、或いは
水産試験場
、或いは民間の工場の
研究
所、こういうところへお願いいたしまして、
学生
を分散させて、そこで
実験実習
の補いをつけておりました。でありますから、過去六年間に卒業生は出ておりますけれども、完全ではありませんが、一通りのことは習得させておるわけであります。
秋山俊一郎
49
○
秋山俊一郎
君
学校当局
として、生徒の素質が落ちておりますということを御説明になることは甚だお苦しいことだと存じますから、只今のお答えで打切ります。 大蔵当局の内田さんにお尋ねいたしますが、現在の
久里浜
の
施設
が本年の三月に完全に返還にな
つた
ということでございますが、
越中島
の
設備
はどう
なつ
ておりましようか。
内田常雄
50
○
証人
(内田常雄君) 只今私は存じておりません。
秋山俊一郎
51
○
秋山俊一郎
君 現在は
越中島
は
進駐軍
はいないはずであります。警察予備隊が
使つて
おられるそうでありますが、そういう場合にはもう
進駐軍
がいないとすれば、大体国庫に返還されたものと見ていいのでありますか。
内田常雄
52
○
証人
(内田常雄君) あそこは私行つて見たことございませんが、
商船学校
があ
つた
はずであります。
商船学校
は無論
学校
でありますけれども、戦争中恐らく
海軍
の士官を養成してお
つた
というようなことで、軍事
施設
だということで、いわゆる接収じやなしに当然占領財産にな
つた
と思います。従つて
日本政府
にその当時は返還に
なつ
ておらないわけでありまして、
進駐軍
の命令といいますか、措置で予備隊が入
つたの
でございまして、予備隊は
日本
の機関でありますから、今日においては軍事返還がなされて法律上
大蔵省
の完全な普通財産に
なつ
ておるのじやないかと思われますけれども、先ほど申上げましたように私は存じておりません、現状は……。
秋山俊一郎
53
○
秋山俊一郎
君 只今
商船学校
とおつしやいましたが、
商船学校
は元の
水産講習所
に並んでおるのであります。で
水産講習所
は何も軍事用には
使用
されていなか
つた
、従つて
商船学校
が軍事
関係
として占領されましても、
水産講習所
は外しておるんじやないかと私は考えます。そこでこの
施設
が完全に
日本政府
に返還されておるとすれば我々は又他の考え方をしなければならん、かように考えております。今以てアメリカの占領下にあるということであれば、これは
日本政府
が如何ともなすことができない問題であると思いますけれども、今の
状態
から推測をしますと、恐らく
日本
の
政府
に返還に
なつ
ておるのじやないかと思うが、これは
一つ
お調べおきを願いたい。 江口次長にお尋ねいたしますが、現在
久里浜
といい、
越中島
といい、どうも
水産
と予備隊とが非常にいろいろな関連があるように考えますが、これは偶然のことだと勿論考えますけれども、先ほど来お聞きの通り
水産大学
が如何なる
状態
に置かれておるかということは大体おわかりにな
つた
と存じます。勿論
日本
といたしまして警察予備隊を充足しなければならないこともわかりますが、御承知のように
水産
に対する
教育
は立地条件がやかましいのであります。山の中に持つて行つても町の中に持つて行つても間に合わん、どうしても海岸の傍に持つて行かなければならん性質のものであります。どこにでも
敷地
があればいいというような筋合いのものではございませんが、警察予備隊といたしますれば、必ずしも海岸じやなくてもいいのじやないか、多少町中でも或いは郊外で離れておつてもいいのじやないかと私どもは考えております。そこでさような
越中島
でも
久里浜
でも
水産大学
があつちからもこつちからも警察予備隊から追われておるということは誠に在
学生
に対して気の毒であります。予備隊といたしましては、どこか適当な所を物色になりまして、立地条件はさほどむずかしくないと思うのでありますが、この
越中島
の本隊の今後の
移転
と申しますか、何とか他に適当な所を考えるというような御意図がありますかどうか。
江口見登留
54
○
説明員
(江口見登留君)
越中島
の
建物
でございますが、お話の通り前のほうが昔の
商船学校
であります。後ろのほうが
水産講習所
であります。その前のほうの
商船学校
の
建物
はなお占領軍が接収中であります。
進駐軍
の職員がそこに入つて執務しております。我々は同じ
建物
で執務しております。ただ裏の
水産講習所
の
建物
につきましては、先ほどのお話のように私の記憶では去年の暮から今年の初め
日本政府
に返還に
なつ
ておる。但しそれには条件が付いておりまして、予備隊に使わせるのだということが一札入つておるやに聞いております。従いまして今直ちにあそこを予備隊が明渡すということもその
関係
から困難ではないかと考えます。併し我々といたしましては、必ずしも警察予備隊の本部、本部のあるところは
商船学校
でありますが、部隊のあるところは
水産講習所
であります。この本部も小隊長幹部が持つておりますけれども、その部隊の中央機関は必ずしもあそこでは一番適地だとは考えておりません。従いましていい
場所
があれば予備隊は適当なる所に変りたいと
思つて
おります。それがために新設することになると数億の金がかかります。そこで我々の希望としては間もなく方々で接収しておる
建物
が解除になるのではないかと考えております。従いまして東京都内に適当な土地
建物
が見付か
つた
らそちらに
移転
したいと考えております。そうすれば当然
大蔵省
の所管に
なつ
て、然るべき所に
移転
すればいいのでございます。
秋山俊一郎
55
○
秋山俊一郎
君
水産大学
といたしましては、聞くところによりますと、来年三月からもう一学級増加しなければならんということでございますけれども、現在においてもああいうふうな誠に
狭隘
というよりも、殆んどスペースがないくらいの
状態
のところに更に一学級増加することになりますと、その
学生
を収容して行くということは恐らく現在の所じやできないと思うのでありますが、これを来年に差迫
つた
問題を如何に解決するお考えであるか。今警察予備隊のほうといたしましても、将来必ずしも現在の
場所
を固執するものでない、適当な
場所
があれば移つてもいいというお考えでありますけれども、それがいつになるか、いつ頃の時期においてあすこが空くようになるかということははつきりしてないだろうと思いますが、問題は来年の三月に差迫つており、来年の三月に直ちに空家を見付けて入るというわけにも行かないだろう、そういうことに対しまして
文部
御当局はどういうふうに処置をされるお考えでありますか。
田中徳治
56
○
説明員
(田中徳治君) 建設方面につきましては、先ほど申上げましたように、特別委員会の整備計画の線に沿つてこれを
移転
したいと考えております。併し今申されましたように
学年
進行に伴う来年度の問題と
学生
をどうするかということにつきましては、今まだはつきりした計画は持つておりません。併し現実に入ることができないということになりますれば、工事の面から考えましても、あと半年で十分この
施設
を整備することは困難でございまして、或いは臨時的に他に適当な
施設
を見付けまして、その間不自由しながらも
学校
を分散してそれで授業をするというような形をとらなくちやならんというふうに考えております。併し飽くまでも
水産大学
の
施設
としましては将来は一本のまとま
つた
姿のものを考えまして、僅かの予算はできるだけこの整備のほうに廻したいというのが我々の考えであります。
木村守江
57
○木村守江君 ちよつと江口次長にお伺いしますが、先ほど青山委員からの質問に対して
棚橋
事務長が説明したのでありますが、非常に時間中に号令の練習をする、或いは校内の通り抜けをして困るというような話があ
つたの
ですが、この前次長の話を聞きますと、至る所において
学校
の
施設
を
使つて
おるものがある。その他の
施設
も
使つて
おるところがあるが、その
関係
者とは円満なる妥協の下にすべてのことをやつておるというようなお話があ
つたの
ですが、実際問題でこういうことがあるというのは、これをお認めになられますか。
江口見登留
58
○
説明員
(江口見登留君) その話は今日初めて承わ
つたの
であります。事実そういうことがありとしまするならば、本予備隊としても恰好が悪いことだと考えます。早速部長に連絡いたしまして、そういうことがないように注意することにいたします。
木村守江
59
○木村守江君 この前申上げました通りこのことだけでなく、幾多あの
久里浜
においては警察予備隊と
水産大学
との間に
教育
上思わしからざる
関係
があると考えられる。かような点から、これはこの前法務総裁も申されました通り一刻も早く警察予備隊と
水産大学
とああいうような恰好でなく、
水産大学
の本当の
教育
のでき得るところの恰好を作るために御協力あらんことをお願いいたしますが、そのようにとつて今差支えありませんね。
江口見登留
60
○
説明員
(江口見登留君) この前の委員会で
文部
大臣と法務総裁とがお揃いでこの
水産
学校
を視察に行かれるということに
なつ
ておりました。そのときの
予定
ではたしか昨日行かれるはずでありましたが、それが延びまして、来月の三日にな
つたの
であります。私は勿論この前お話しましたように、その際私か或いは適当な責任者を随行させまして、その間の事情をよく
学校
側のほうからも見させて頂きたいと、かように考えております。
木村守江
61
○木村守江君 ちよつと管財局長にお尋ねしますが、管財局長という仕事はどういうことをなさるのですか、ちよつと簡単に説明して下さい。
内田常雄
62
○
証人
(内田常雄君) 国有財産は形式上は大蔵大臣が所管して、私はその補助機関でありますけれども、現物を抑えておりまして、管理したり、或いは外部に接触いたしておりますのは財務局長であります。従つて本件の
施設
につきましては、これを現実に一番
状況
を知つており接触しておりますのは関東財務局長でありまして、なおこの現地そのものの
状態
につきましては、関東財務局のその又下の機関といたしまして、これは神奈川県でありますから、横浜財務部というのがあります。横浜の財務部がその物を持つております。それを関東財務局長がみずからの名前でやつておりまして、私どもは大蔵大臣の補助機関としていろいろな監督行政をやつております。かような仕組みに
なつ
ております。
木村守江
63
○木村守江君 そのような解釈をいたしますと、財務局長はやつぱり横浜の財務局長の監督をするということになるのですね。
内田常雄
64
○
証人
(内田常雄君) 横浜財務部長であります。
木村守江
65
○木村守江君 財務部長の監督をすることになりませんか。
内田常雄
66
○
証人
(内田常雄君) さようでございます。
木村守江
67
○木村守江君 そうしたら私は知らないということをさつきから何遍も申されましたが、私は知らない一点張りじやどうも通らないのじやないかと思いますが、どうも
大蔵省
の答弁というのは、大蔵大臣以下極めて簡単でわからない、知らない、駄目だとこういうような答弁が多いのですが、もう少し親切に、私は国家の財産を管理しておるのは、国家の財産そのものを管理しておるというよりも国家の財産が如何にその特殊性を発揮して国家に有用に活用されておるかということを管理することがこの管財局長じやないかと思うのですがね、その点から……。
内田常雄
68
○
証人
(内田常雄君) お説の通りでありますけれども、私は本日は
証人
として出頭いたしておるのでありまして
証言
にもありますように、自分の知らないことは付け加えないと……。私は現地を見ておりませんし、先ほどから申述べたことも速記にもあると思いますが、私は本年の四月に就任いたしまして、その後私の耳に直接入つておりません。従つて本日申上げましたことは私が知る限りにおいて、部下から報告を受けたことのみでありまして、従つてこうあるべきだとか、こうらしいということは申上げないほうがいいと思いまして差控えております。
木村守江
69
○木村守江君 今のお話は知らないというのが当り前じやなくて、まだ知り得ない、それは結局勉強が足りないということになりますか。
内田常雄
70
○
証人
(内田常雄君) それは何のお話でございますか。
久里浜
の現地は私はその後、私が就任後も行つておりません。それから江田島の現地も行つておらないのであります。で国有財産はたくさんございまして、従つてその個々について私はまだ就任間もありませんし、全部を見ておりませんし、これが果して何日何日に占領軍事返還に
なつ
ておるかどうかということはつまびらかにしていないのが事実でありまして、従つて仮に
証人
としてでなくても間違
つた
ことを申上げないほうがいいと思いまして、その意味において差控えておりますが、御承知の通り国有財産をこういうように運用すべきだという自分の考えとはいろいろ違うのでございます。
木村守江
71
○木村守江君 ちよつと
文部
省の
施設
部長に聞きますが、結局
文部
省の見解としては、現在の
水産大学
で
水産大学
教育
をするに誠に不完全である、これは速かにその本当の
水産大学
の形態に持つて行きたいというような考え方を持つておると解しましてよろしうございますか。間違いありませんか。
田中徳治
72
○
説明員
(田中徳治君) 仰せの通りであります。
木村守江
73
○木村守江君 ちよつと
学校当局
に聞きますまが、現在のあの
久里浜
の
水産大学
の形態では、
水産大学
としては今後
水産教育
をするために非常に支障を来たすというような回答を得たと思いますが、そのように考えてよろしうございますか。
棚橋鐘一郎
74
○
証人
(
棚橋鐘一郎
君) その通りでございます。今の
施設
によつては単科
大学
としての使命は全く果すことができないと思います。
木村守江
75
○木村守江君 只今各
証人
のお話を拝聴して、これを総合しますと、結局現在の
水産大学
の形態においては単科
大学
としての
水産教育
を遂行することができないというような結論に達したと思うのです。かような観点からこの連合委員会は
水産
庁或いは警察予備隊、或いは
大蔵省
、或いは
文部
省、各官庁協力の下に一刻も速かに
水産大学
としての
教育
を完遂されるような形態を作つて行くように努力されることを希望いたします。この辺で本日の連合委員会を終られんことの動議を提出いたします。
高田なほ子
76
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 只今木村さんから動議がございましたが、まだ御質疑の残つておるかたもあられるやでございますので、この動議は再度諮りたいと思いますが、質問を更に時間もございませんが、折角でありますから、継続して行きたいと思いますが、木村さん御了承願いたいと思います。
木村守江
77
○木村守江君 どうぞ。
松浦清一
78
○松浦清一君 只今、木村委員からおつしやつておられましたように、各
証人
のいろいろ
証言
、説明によりましてて、
久里浜
水産大学
というものは極めて
水産
技術
教育
をするに適当でないということは明らかにな
つたの
でありますが、このことはすでに警察予備隊が
久里浜
の
水産大学
の
校舎
を使われるというようなときからすでにわかつていた。それから又田中
説明員
のお話がありましたように、新制
大学
としての、又
水産大学
としての技能
教育
をするについても適当でないということは極めてその当時から明らかに
なつ
てお
つた
事実でありますが、ただ一点だめを押しておきたいことは、
文部
省当局として、今田は
証人
ですから
政府
当局としての立場でないでしようが、そういうことが明らかに
なつ
て来た当時から、適当な
水産教育
のできるような
施設
を作るための努力をどういうふうに払われたかというこの一点を最後に聞きたい。警察予備隊も、予備隊が
越中島
、それから今の
久里浜
に入つて来たことによつて、
水産大学
に対しては極めて大きな迷惑をかけておるということをお認めに
なつ
ているのですが、若しその通りであれば予備隊だけがよければよいという考えでなくて、
日本
の
水産教育
を完遂せしめるためにどつか適当な、予備隊にふさわしい
場所
をみつけて移つてもよいというような事柄について努力をされたかどうか、こういうことを最後に伺つておきたいと思います。
田中徳治
79
○
説明員
(田中徳治君)
久里浜
の
施設
が
明渡し
を要求されまして、大
部分
が予備隊に
使用
されていたためにあの
施設
としては不完全であるということは、昨年の八月でございますが、そのために
文部
省といたしましては、できるだけ
越中島
の接収解除をいたしまして、これを
学校
施設
として
使つて
行きたい、そのためには特別調達庁を通じまして、接収解除一の願いを出しておりますが、それは実現に至つておりません。その後更に新らしい
施設
、民間であろうが、或いは旧軍事
施設
でも結構でございますが、そうい
つた
ものを一応
施設
としてほうぼう
学校当局
とも連絡をとりながら探して参
つたの
でございますが、これも今日までその実現までには至つておりません。従いまして
施設
に対する予算措置はそのままに
なつ
ておりますが、併し現在の
学校
の窮状に対しましては、今後とも
学校
と十分連絡をとりながら善処したいというふうに考えております。
江口見登留
80
○
説明員
(江口見登留君) 予備隊といたしましても、去年の八月十日に予備隊令が制定されまして、そうして急遽七万五千の隊員を結集しろという強い要望の下に、どこへ
建物
を造るかということについてはいろいろ
研究
したのでありまするが、これは内部の事情を申しますると、八月十日に政令が出まして、八月十四日に長官と私が任命されました。九月に入るまでは予備隊員は一人もいなか
つた
。すべて営繕は建設省に、募集は国警に、財産管理の問題は
大蔵省
にお願いして、できるだけ手つ取り早く、而も安い経費で入れる
建物
を探すということが、警備上の配置というよりも優先したのであります。第一には朝鮮事変が起つておりましたので、そういうような
関係
もある。或いは従来から
進駐軍
が接収しておつて、そのときには
使つて
いなか
つた
、或いは朝鮮に
行つた
ためにあいた営舎というものがあ
つた
。とにかくあいている所に入れという至上命令と申しますか、そういう特別の要求の下に入
つたの
であります。従いまして入手をかけ十分
調査
し、他の
学校
その他の問題で紛糾を生ずるような
場所
は避けるというような慎重なことをする余裕がなか
つたの
であります。従いまして
久里浜
のような、
水産大学
のような問題の残る虞れがその当時あ
つたの
でありますが、とにかく一応入れてしまおうという要求が強か
つた
ために、十分な折衝もし得ないままに今日まで至
つた
わけであります。勿論今後といえども適当な
建物
が若しどつかにあけば、先ほど申しますようにそれをこちらのほうに手に入れて、そつちへ移るということも考えておりますが、新設するのは何分経費もかかりますし、そういう時期の到来するのを待つておる事情もあるのであります。ただ、今の
状態
ではそういうように考えております。
松浦清一
81
○松浦清一君 内田
証人
にちよつと伺いますが、今までお伺いをしたところによりますると、
越中島
の元の
水産講習所
の
建物
というものは
日本政府
に返還されているように伺つているのですが、若しそうであれば、今までの御
証言
の経過、
内容
から見て、そういうことまで申上げられないとおつしやるかも知れませんけれども、今お聞きにな
つた
通りに、警察予備隊もほかに適当な所があれば行つてもいいという御意思であることはわか
つたの
であります。
学校当局
もあれでは困るということが明瞭にな
つた
わけであります。
文部
当局もあれでは
教育
できないということが明瞭にな
つた
。国有財産のうちで、今警察予備隊が行つてもらえば
水産大学
にほぼ満足を与えることがてきるようなことについての御努力を、今日の委員会は希望を述べる委員会じやないかも知れませんが、今まで払つて来られたかどうかといいますと、払つておりませんとおつしやるかも知れませんけれども、その肚構えでやつて頂くようにしておやりになる御意思があるかどうかということを最後に
一つ
伺つておきたいと思います。
内田常雄
82
○
証人
(内田常雄君) 私は、これは
証人
としての
発言
の範囲を逸脱するかも知れませんが、もう暫らく時日をかして頂かないとはつきりいたしませんけれども、東京都内におる
進駐軍
の部隊が相当占領を終ると共に移動があると考えております。ここで殊に具体的にどうということは差控えたいのでありますけれども、それらの事情さえ許せば、予備隊本隊が入るのに恰好だと思われる
場所
が二、三ヵ所ございますので、そういう所へ話合いの結果、予備隊本隊がお移り下さるならば、丁度今の
越中島
は
水産
学校
もあ
つた
し、うまくあけられて、
久里浜
からめでたくお移りになれるのじやないか、その
予定
で、二、三その心構えを以て是非実現するようにと考えております。
松浦清一
83
○松浦清一君 大体了承ができましたが、そういう御意思の具体化ということは、なかなか今日、明日というわけには行かないので、この機会に警察予備隊の江口
証人
にお願いしておきたいのでありますが、今もお話がありましたように、
大学
の生徒と予備隊員との中に、もう暫らく経てば何とかなるという見込があるから、
大学
の生徒のほうは辛抱しておつて、これが長くなれば辛抱しきれないで、感情的な対立が起きて来ないとも限らない。辛抱するということはなかなか危険でありますから、もう少し予備隊が
学校
の
運動場
を
使用
して訓練する場合、或いは校庭の出入りを自由にされるという場合に注意をされるというに、厳に示達して頂きたいということを御希望申上げます。
岩間正男
84
○岩間正男君 私も今まで随分質問して来たので、簡単に一、二点伺います。内田
証人
にお伺いいたしますが、条件附で向うの
建物
の接収の際に、
日本
の国有財産に返還されるという例は今まで何回もあるのですか、この点どうなんですか。
内田常雄
85
○
証人
(内田常雄君) 私は
証人
として申すことでありますが、私の知つておる限りでは、軍事返還になる場合は、書面としては条件はないのであります。ただ軍事返還を私どものほうから司令部側に、即ちJLCという
米軍
の兵站部がありますが、そこに願出をしました際に、ただ軍事返還をしてくれというのではなかなか通らんものでありますから、具体的な目的を以て返還の要求をする場合が多いようであります。ただ警察予備隊があそこに入ります際のことは、私の在職中より前のことでありますから、その点については今確認しておりませんけれども、恐らく江口君がこういう話をされたのでありますから、その通りじやなかろうかと想像されます。それ以外のことについては確認しておりません。
岩間正男
86
○岩間正男君 条件附というのは正式なものじやないのですか、その点はどうですか。江口
証人
の先ほどのお話では、予備隊が使うようにという条件附でこれは返還された、こういうお話ですけれども、これは公式のものではないのですか。
江口見登留
87
○
説明員
(江口見登留君) 先ほど私はそういう条件が附いたように申上げましたが、これは先ほど申上げましたように、紙に書いたものに
なつ
ておるかどうか、私は存じません。話合いの上ではそういう話があ
つたの
ではないかと考えております。急遽解除はするが、併し折角解除してもほかへ使われては困る、予備隊が使うならよかろうけれどもという話合いがあ
つた
ように承知しております。
岩間正男
88
○岩間正男君 どうもまだ少しはつきりしないのですけれども、そこのところがもう少し明細になれば、この問題の解決に一歩を進めることになると思います。予備隊の立場からすると、これは非常に悪い推測の仕方ですけれども、予備隊のほうで使うことを了承して、その条件で返還されたというようなことは、非常にこれは自分の都合のいい説明になるので、こういう点はもう少し、一体附帯事項というものが明確に
なつ
ておるか、この点を明らかにすることが必要じやないかと思います。管財局の立場としても、先ほど木村君からお話があ
つたの
でありますが、返還された国有財産を最も
日本
の現実に即して有効に使うということが、非常に、重要だと思います。ところがこの点が蔵相の補佐官としてなら、そういう点についてもつと
内容
的に検討して、そうすれば今後のこれは処置の上に非常にやはり私は重要だと、こういうふうに考えるのです。これはまあ
証人
としての意見を求めるというわけじやないのですが、そういう点は今後もう少し
内容
的に検討して、先ほどから各
証人
並びに我々同僚委員から話されましたように、もう結論は出ている。こういうものに対して具体的にこれはこの問題を解決するために善処されることを私は重ねて切望したい。 それからもう
一つ
江口
証人
にお伺いしたいのですが、先ほどからこの
水産大学
との間のいろいろな末梢的な問題かも知れませんが、校門の
使用
の問題、それから
学生
との間の紛争の問題、そういうことを聞かされた、この問題についても木村君から先ほどお話がありましたが、これは私もこの前早急にこれを見て、そうしてこの解決は如何に急いでも半年なり一年なり前に、先にこれは持越されている。その間が問題です。而も今聞きますというと、来年の一月から増加されて来る、四年生ができる、こういう事態が起きますと、紛糾した問題が非常にこれは重要な問題である。ところが警察予備隊の現在のやり方を見ますというと、どうも
日本
のこれは人民のためて作られたところの警察予備隊の性格としては甚だどうも不可思議だと思われるような条件が出ておる。実際に勝手に自分たちだけが例えば
水産大学
の裏門
使用
の内規を作つて、その内規ができているのだから、それによつて我々は歩行するのだ、で
水産
大挙のほうのこれは言い分が全然認められない。こういうような横紙破りが至るところに出ておるのであります。そういうことをやれば警察予備隊の性格そのものが非常に問題に
なつ
て来るのだ。こういう点から警察予備隊の当局としては、こういうものについて早急にこの問題を解決するということは非常に重要である、当面の問題として私はこの前に特にこれは早急にこの問題について本部のほうからでも現場を早く視察して、これに適応したところの
教育
を尊重する立場、而も警察予備隊の当面の性格というものがそんな疑惑を招かないようにこれはやるべきじやないか、こういうように要望したわけでありますが、その点は如何でございますか。
江口見登留
89
○
説明員
(江口見登留君) この前からいろいろ両方の間にトラブルが起
つた
ということは聞いておりましたが、具体的な問題としてこの前委員会で承わ
つた
点は、入り口の道路の狭いところに守衛がおつて一々失礼な咎め立てをする、それはいけない。それからもう
一つ
は洗濯物があつて恰好が悪いというので早速調べました。それでその衛兵の立ち方ですね、そこに人が来た場合の物の言い方などには十分注意をするようにということはもうすでに示達してありますが、洗濯物が見えるというお話は私まだ直接行つておりませんが、部隊からの報告によりますと、まだ官舎に人が入つていないのでそういうものが、例えば婦人のそういう洗濯物が出ているというはずはないと、こうまあ部隊のほうでは言つているのです。併し私も先ほど申しましたように近日見に行くつもりがあるものですから、大臣のお伴をして……。そのときに確認いたしたい、かように考えております。 それから先ほど裏門を抜けて
水産
大挙の校庭を
使つて
出入りをするということでございますが、それは別に不思議じやございませんが、そのことはこれは直接聞いておりましたが、どういう権限でそういう規則を作つて出入りをしているか、よく調べました上で注意することは注意いたしたいと思います。
岩間正男
90
○岩間正男君 そういういろいろな問題が発生してからそのあとを追つかけているのでは間に合わない、やはり根本的にこの問題の考え方に……、我々も視察したのですが、やはり
水産大学
教育
軽視というような考えが出ているのです。そう出させているものは何だか、そのもとをやはり突きつめて、そうして警察予備隊がこれは持つている役割、それは人民の税負担によつてなされておる、そういう点をもつと徹底的にこれは認識させるようにやつてもらいたい。そうでないとどうもおかしいのですよ。これは非常に予備隊そのものに対してもこれは世論が私はいいとは思えない。こういう点で私ははつきり予備隊としてのこれは何を守
つた
らいいのだと思うのですが、そういうところを逸脱しているのじやないか、そういうことについて僕は根本的に抜本的な方法をやはり早急にとられる必要があるのじやないか、こう思いますが……。
江口見登留
91
○
説明員
(江口見登留君) 勿論
日本
の警察予備隊でありまするので、同じ
日本
へ仲間に非常に迷惑のかかるようなことは我々自身も実はやりたくない。従いましてそういうトラブルがあれば速かにその解決を図るという努力はいたしております。たまたま努力にもかかわらず、そういう問題が次から次に生じて参
つた
ことは遺憾に存じておりまするが、勿論我々はできるだけ自分の許す範囲内において、実質的に
日本
人の立場に立つて
日本
人のことを考えながら予備隊の運営に当つておるつもりでありますから、その点は我々の努力を御了承願いたいと思います。(「了承」と呼ぶ者あり)
木村守江
92
○木村守江君 江口次長にこの前話したのは、腰巻を干すとか、家の中の女の裸姿が見えるから直せと言
つたの
じやない。ああいう所に家を造るからそういう姿が見えるようになる。それでは困るからああいう所に家を造るべきじやない。造つてしま
つたの
ならば、そういうところを見せてから見せないようにするよりも、見せないうちに高い塀でもかけて隠すべきだという話をしたのです。
平岡市三
93
○平岡市三君 もう時間も遅くな
つた
し、御質問も終
つた
ように見えますが……。
兼岩傳一
94
○兼岩傳一君 いやあるのだよ。
高田なほ子
95
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 兼岩さんがまだ…。
兼岩傳一
96
○兼岩傳一君 僕は簡単ですが、一分ぐらいです。旧
水産講習所
の返還はもうされたのですか。誰が一番明快に御存じですか。
江口見登留
97
○
説明員
(江口見登留君) 折衝中に予備隊が入りまして、そうして予備隊が入つてから後に、それも今年の初めでしたか、昨年の暮でしたか私の記憶からはつきりしたことを申上げられないのですが、たしか
日本政府
側に解除にな
つた
ように聞いております。
兼岩傳一
98
○兼岩傳一君 それでその返還に条件附の問題ですが、文書で正確に条件が附いているかどうかということ、それから附いてないとすれば、一体我々は何を以て判断するのかということです。そうだと言われたつてそうでないということも成り立つし、その点を今明確にできなければいつ明快にして頂けますか。
江口見登留
99
○
説明員
(江口見登留君) それは勿
論文
書に
なつ
ていなければ、
日本政府
独自の立場でそういう財産の管理を行う時期がまあ来ましたら、文書に
なつ
ていなければ
日本政府
の考え方で処理するよりほかはないと思います。
兼岩傳一
100
○兼岩傳一君 若し文書に残つているとしても、それは何か特殊な恩恵によつて返還されるのではなくて、ただそういうお願いをして返還して頂く、お願いというようなことで
一つ
の契機をなしておるというようなことは認められますけれども、事態はいろいろ複雑でもあるし、事態は又変化して参りますし、仮に一歩を譲つて文書であるといたしましても……そこになければ勿論あなたの答弁の通りで十分了承いたしますが、あるといたしましても、そういう問題、そういうことが今後その通り、文字通り実行さるべきものと考えられるのですか。その辺は如何なものでしようか。
江口見登留
101
○
説明員
(江口見登留君) 若し文書でそういう財産の返還があります場合に、条件附で
日本政府
が受取
つた
という場合に、その条件をどういうふうにみなすかという点につきましては、私よりは内田君のほうから御答弁申上げるほうがいいのじやないかと思います。
内田常雄
102
○
証人
(内田常雄君) この軍事返還につきましては、私は故意に答弁を避けるのではありませんが、軍事返還の実務は管財局長私みずからでもなければ、財務局長みずからでもなければ、さつき申しましたように財務部長が先方と、さつき申した向うの兵砧部からの通報に基きまして、向うの現地部隊から軍事返還を受けることになる、その軍事返還の文書を従つて私は見たことはありませんから、恐らく文書があつても……、向うも割合に筋は通す国ですから、返還する際に条件は附けまいと思います。あなたのおつしやるように返還を願える際に。これこれに使うから返還してくれ、又お前のほうでこれこれに使うなら返還してやろうというような軍事返還そのものには法律上の条件はないと思います。併し今私は別に予備隊の肩を持つわけじやございませんが、
久里浜
にいたしましても、又
越中島
にいたしましても、今相当の部隊が用意を持つて現実の問題として、又これに江口君からお話のありました通りに、予備隊が入つておりますものは返還して、
大蔵省
も去つて
文部
省へ移管もしていなければ総理府にも移管していないわけですから、それを移管する際には予備隊の他の行く
場所
ももう余りないと思いますけれども、はつきり
大蔵省
から斡旋して
承認
を得ました上で
文部
省へこれは渡すということを
大蔵省
で話しまして、各省に移管したいと思います。あえて申上げても差支えありませんが、私の責任で申上げますが、例えば元の士官
学校
のあと、今或いは
進駐軍
の何か宿舎等に
なつ
ているそうであります。あれを予備隊の何といいますか、本隊があれがあいた場合には是非自分のほうに移管して欲しいという希望の表明も非公式にあ
つた
そうであります。これも私は聞いて参
つた
話であります。又他の点は麻布等に向うの騎兵連隊のようなものが麻布連隊に入つております。従つて元の士官
学校
でなくても麻布の連隊、ああいうものは予備隊におさまつて然るべきものじやなかろうか、水に近いちなみのある所はでき得れば
水産大学
のほうにやりたい。
大蔵省
としてはできるだけそういうふうにしたいと考えておりますが、それはこれからのアメリカの軍隊の移動の問題もありますし、勿論これはよく両官庁とも相談し合わないとその通り行くとは考えられませんが、そういう努力を払いたいと思います。
兼岩傳一
103
○兼岩傳一君 只今の両氏の説明で大体
内容
的には片附いておるらしく又急速に建設的に解決し得る見通しが非常に明瞭であります。従つてただ仮定の、らしいというところが一点問題になるところでございますから、直ちにこれを次の機会に明瞭にされまして、そうして両委員会がそれぞれの立場においてこれを建設的に解決できるようにして頂きたいということを希望いたしまして、私の質疑を終りたいと思います。
岩間正男
104
○岩間正男君 今の兼岩君の提案に附帯しまして、答弁では条件というものがどういうものだかわからない、条件というものを明らかにされていない、もう一回財務部長にこの次出てもらつてもう少し問題を明らかにすることが必要じやないかと思いますので、その点申上げておきます。
高田なほ子
105
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 只今岩間委員からの御提案について御了承頂けませんでしようか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
秋山俊一郎
106
○
秋山俊一郎
君 私はこの問題は今日いろいろと
証人
その他
説明員
のお話を承わりまして、実際の
状態
は我々は大体了承したのでありますが、さてこれを如何にするかという問題につきましては、今日御
出席
のかたは
証人
或いは
説明員
としてお出に
なつ
ておるので、この点我々がまだ決定的な段階に入つていない。従つて次の機会に法務総裁及び
文部
大臣が近々現地を視察になられるそうでありますから、それを
御覧
にな
つた
あとで適当な機会にもう一遍連合委員会を開いてそうして当局の確乎たる決心のほどを伺いたいと思いますが、お諮り願いたいと思います。
高田なほ子
107
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 只今の秋山委員の御提案について御意見ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
高田なほ子
108
○
委員長代理
(
高田なほ子
君) 異議なしの声がございますので、そのように決定いたします。 それでは先ほど木村さんの動議がございましたが、秋山さんからの御提案がここで採択されましたので、そのように御了承頂きまして、先ほどの動議は撤回されるというお話でございますので、御報告いたしておきます。 それでは私も馴れないので大変に議事進行にまずい点がございましたし、又
文部委員
としても重要な質問を私は抱えて来ておるのでありますが、非常に時間も切迫しておりますし、次回に譲りまして、これで連合委員会を終了したいと思うのでございますが、大変に長時間に亘りまして、
水産
日本
の
発展
のためにお互いに非常に誠意を示し合われましたことについて、誠に感謝に堪えません。大変御空腹のなかを長時間に亘りまして、
証人
並びに
説明員
の
かたがた
にもいろいろ御苦労をおかけいたしましたことを、この席より両委員会を代表いたしまして御挨拶を申上げまして、これで会を閉じたいと思います。 午後一時二十五分散会
出席
者は左の通り。
文部委員
理事
高田なほ子
君 委員 木村 守江君 平岡 市三君 山本 勇造君 岩間 正男君
水産委員
理事
松浦 清一君
秋山俊一郎
君 青山 正一君 兼岩 傳一君 事務局側 常任委員会専門 員 竹内 敏夫君 常任委員会専門 員 岡 尊信君 常任委員会専門 員 林 達磨君
説明員
警察予備隊本部 次長 江口見登留君
文部
省管理局教 育
施設
部長 田中 徳治君
水産
庁長官 藤田 厳君
証人
東京
水産大学
事 務局長
棚橋鐘一郎
君 東京
水産大学
教 授
岡田郁
之助君 大
日本
水産
会会 長 鍋島
態道
君
大蔵省
管財局長 内田 常雄君