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1951-08-28 第11回国会 参議院 文部・水産連合委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年八月二十八日(火曜日)    午前十一時十三分開会   ―――――――――――――  委員氏名   文部委員    委員長     堀越 儀郎君    理事      加納 金助君    理事      高田なほ子君    理事      若木 勝藏君    理事      木内キヤウ君            川村 松助君            木村 守江君            工藤 鐵男君            平岡 市三君            荒木正三郎君            大野 幸一君            河崎 ナツ君            和田 博雄君            梅原 眞隆君            高良 とみ君            高橋 道男君            山本 勇造君            駒井 藤平君            矢嶋 三義君            岩間 正男君   水産委員    委員長     木下 辰雄君    理事      松浦 清一君    理事      千田  正君            秋山俊一郎君            入交 太藏君            青山 正一君            佐藤 尚武君            櫻内 義雄君            兼岩 傳一君            玉柳  實君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件教育及び文化に関する調査の件  (東京水産大学校舎及び敷地問題に  関する件)  (右件に関し証人証言あり)   ―――――――――――――    〔文部委員会理事高田なほ子委員長席に着く〕
  2. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 大変お待たせいたしました。  只今から文部水産連合委員会を開催いたします。かねて文部委員会において調査しておりました久里浜水産大学校舎及び敷地問題について本日は水産委員会文部委員会は連合いたしまして、それぞれの関係かたがた証人或いは説明員として御出席を願いまして開会することにいたしました。この事件内容については、もう皆さんすでに御承知のことと思いますので、ここに改めて申述べませんので、早速証人のかたから証言をして頂くことといたしますが、宣誓に入る前に証人かたがたに御注意を申上げます。証言する場合に若し虚偽の証言を陳述されたときには、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律第六条によりまして、三カ月以上十年以下の懲役に処する罰則がございます。又正当の理由もなく、宣誓若くは証言を拒んだときは同法の第七条によりまして、一年以下の禁錮又は一万円以下の罰金に処せられることになつておりますから、この点を御注意申上げます。但し民事訴訟法第二百八十条第三号の場合を除いて、及び第二百八十一条の規定に該当する場合に限り、宣誓又は証言、若くは書類の提出を拒むことができます。念のために先ず民事訴訟法第二百八十条の該当部分を朗読いたします。  第二百八十条 証言カ証人ハ左ニ掲クル者ノ刑事上ノ訴追又ハ処罰招ク虞アル事項ニ関スルトキハ証人ハ証言拒ムコトヲ得証言ヵ此等ノ者ノ恥辱ニ帰スヘキ事項ニ関スルトキ亦同シ  一 証人配偶者、四親等内ノ血族若ハ三親等内ノ姻族又ハ証人ト比等親族関係アリタル者  二 証人ノ後見人又ハ証人ノ後見ヲ受クル者  次に民事訴訟法第二百八十一条の該当部分を朗読いたします。  第二百八十一条  「左ノ場合ニ於テハ証人ハ証言拒ムコトヲ得  一 第二百七十二条乃至第二百七十四条ノ場合  二 医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人・宗教又ハ祷祀ノ職ニル者ハ此等職ニリタル者カ職務知リタル事実ニシテ黙秘スヘキモノニ付訊問受クルトキ  三 技術又ハ職業秘密ニ関スル事項ニ付訊問受クルトキ前項規定ハ証人カ黙秘ノ義務ヲ免セラレタル場合ニハ之ヲ適用セスでございます。  証人として御出席を求めた増原長官と、久保田管理局長はそれぞれ理由書を附して出頭できない旨を申出ると共に、御両人とも代人を出頭せしめておるのでありますが、法規の上では証人代理については代人は認められておりませんので、これらのものを本日説明員として御発言を願うことにしたいと思いますので、この点如何でございましようか。一応お諮りいたします。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) それではさよう決定いたします。  これから宣誓を願いますから、全昌の御起立をお願いいたします。それでは棚橋証人にお願いいたします。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕     宣誓書  良心従つて真実を述べ、何事もへくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。        証人棚橋鐘一郎    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕     宣誓書  良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。        証人 岡田郁之助    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕     宣誓書  良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。        証人 鍋島 態道    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕     宣誓書  良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。        証人 内田 常雄
  4. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 証言時間でございますが、いろいろお話の多い点もあられることと思いますが、時間の都合上もございますので、大体一人十分くらいずつにお願いいたしたいと思います。質疑は証人及び説明員発言が全部終つてからお願いいたします。では棚橋さんからどうぞ。
  5. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) それでは私から水産大学敷地並びに建物の件について、並びにこれらの接収されてから教育上にどういう影響を及ぼしたかということの内容を申上げます。  水産大学明治二十二年の創設にかかりまする水産伝習所に端を発して芝三円四国町に校舎を初め持つていたのでありますが、深川の越中島校舎を移しましたのは明治三十五年のことであります。爾来約四十五年に亘つて、ここで水産の専門の教育機関として大発展を遂げて幾多の有為の人材を出していたのであります。その敷地は大体二万一千坪ございまして、建物延べ約四千七百五十数坪ございます。本館初め図書館標本館などもすべて鉄筋コンクリート造り耐震耐火のものでございます。然るに昭和二十年の十二月末に米軍の騎兵第八連隊の接収するところとなりまして、それ以後校舎を失いまして非常に苦しんでいるものでございます。当時の学校当局は百方手を尽しまして接収取止め方の懇願をしたのでありますが、遂に聞き入れるところとなりませんでした。取りあえず隣接商船学校寄宿舎を仮校舎といたしまして、極めて不満足な教育を行なつていたのであります。この窮状の打開のためと、もう一つには戦後我が国水産業重要性の増大に適応するために、水産講習所の拡充ということを大いに考慮いたしまして校舎を求めていたのであります。丁度この頃に我が政府におきましては久里浜一大漁港といたしまして、その一帯を水産都市とする方針をきめまして、久里浜の元の軍の施設漁業関係施設に転用する方針を定めたのであります。そして昭和二十一年の次官会議におきましては、直ちに実施し得る施設からだんだんに転用することといたしまして、横須賀市に久里浜地帯の一部施設の仮使用を直ちに許可しまして、その促進を図ることに決定したのであります。ここにおきまして横須賀市は我々の学校を旧海軍通信学校に招致したいという申入れをして参つたのであります。当時の水産講習所といたしましては、旧海軍通信学校の全施設を用いますると、学校の再建は勿論のこと、将来大学として発展するのに適当だと認めまして、関係の各省に懇願いたしまして、将来その施設が全部進駐軍から日本政府に返還された場合には、その全施設水産講習所で以て使用するようにお願いいたしまして、ついにその承認を得たのでございます。こういう承認を得ましてから、早速これは昭和二十三年の五月でございますが、第八軍にその建物のうちの一部の使用許可申請したのであります。そうしてそれが許可になりまして早速移転したのであります。当時といたしましては、この旧海軍通信学校の全施設使用するということはできなかつたのでございます。それがと申しますのは、お手許に差上げてありまするいろいろの書類を集めましたもののうちの十二ページのところに図がございますが、この施設の重要な部分は第一号兵舎、第二号兵舎、それから第二、三講堂としてありますもの、それと第一講堂それから庁舎としてあるこの五つの部分が最も重要な建物なのでありますが、これらのものはいずれもそれぞれの官庁によつて使用されていたのであります。第一には米軍の第八軍によつて使われております。これが一番重要な庁舎に駐屯しておりました。それから第一兵舎、それから第二兵舎と申します部分横須賀米海軍がこれを使つております。それから第一講堂に当る部分復員局使つております。それから第二、第三講堂に当る部分、これが当時は海上保安庁管船部使用しております。こういうわけで全施設は当時申請することができませんので一部の申請をいたしまして、そうしてそれが許可になつたのであります。その許可になつた部分は、そこに赤く区画してございますが、この部分だけが許可になりまして、これを使用することになつたのでございます。これが延べ約五千百坪でございます。これらの建物はいずれもその当時から非常に老朽建物でございまして学校校舎としては非常に不満足なものであつたのであります。けれども将来この復員局海上保安庁、或いは米海軍建物が近い将来に空くということを期待いたしまして、あえてここに引越したのでございます。で大体その五千百坪の中に当時学生約千名、それから教職員三百二十二人、それから十万冊の図書、それから一万一千余点の標本、五千八百余点の機械器具を収容しなければならないのでございまして、非常にそれは困難なことでございましたので、右のほうの所に別に赤く区画されております二棟の建物を仮に倉庫といたしまして、そうしてそこに主として標本であるとか、機械器具、そういうようなものの大部分をここに格納いたしたのであります。  こういうわけで、その当時からこれらのものは、教育一つ使用することができなかつたのでございます。それから又図書もただ教室を限りまして、そうしてそこに図書を保存しておくだけで、閲覧室なんかを設けるなんかということは全然できませんので、折角の十万冊の図書も死蔵せざるを得ないのであります。ここに移転いたしましてからすぐに又海上保安庁使つていた建物が空いたのでございます。海上保安庁建物が空きますると、我我学校にこれらの建物使用することに大体きまつておりますので、早速大蔵省かたがたが見えまして、そうしてこれを引継ぐようにということで、大蔵省並びに当時の海上保安庁関係官と立会の上でそれを引継いだのであります。そうしてすぐこれを管理使用するということになつたのでございます。そうして大体その面積は約千五百坪ばかりのものでございますけれども、これらのものは大部分は小さい建物でございまして、教室なんかにまだ使用することのできるものは殆んどなかつたのでございます。ただ一つ病室使つてつた建物が割合にすぐ使えるような状態にございましたので、これをこのまま根本的に改造をすることなく教職員の大体宿舎に充てたのでございます。それから又増殖の実験室などをそこに造りました。又越えまして昭和二十四年の十一月には、今度は米海軍横須賀基地使つていた建物が空いたのでありますが、この建物は非常に主要な建物部分でございまして、大体三棟空いたのでございます。鉄筋コンクリートのものが二棟、それから鉄骨木造のものが一棟、延坪は約五千坪でございます。そうして米海軍はこれらの建物水産大学が使うのが最も適当であると認められまして、当時の海軍関係官と、それから大蔵省の方々と、それから学校のものとが引継ぎを行なつたのであります。そうしてすぐに又それと同時に第八軍に対して使用許可申請をしたのでございます。それでもう大体の建物を私どもは使用することができるような状態になつたのでありますが、復員局建物と第八軍が使つている建物だけがまだ使用することができないような状態にあつたのであります。けれどもこれらのものもやがては使えるものと思つて非常に皆期待していたのでございます。大体それらの鉄筋コンクリート建物には倉庫図書館であるとか、或いは標本室であるとか、或いは実験実習室であるとか、或いは倉庫に入れた機械器具などを備え付けてそれぞれ使用したのであります。それから木造建物についてはこれは事務室教室、それから研究室などを作りまして、そうしてこれを使用することになつたのでございます。勿論これらの建物についてはまだ第八軍からの許可が下りておりませんので、根本的な修理はいたしませんでした。ただ雨漏りであるとか或いは窓ガラス修理であるとか、或いは戸締りをよくするというような程度のことで使用しておつたのであります。それで大体そのときの状態でありますというと、我々が使い得た坪数は全体で一万一千六百坪ばかりのものが学校校舎用に使われたのであります。そうしてだんだんこうなつて参りますと、一番最初に引つ越して行つた当時の老朽建物はそれぞれの方面に又別に用途を考えまして、最も貧弱であつた寄宿舎については前に事務室であるとか或いは教官室なんかに当てておつた部分寄宿舎にする予定にいたしまして、後援会からも多分に費用を出して頂いて、これを何とか立派な寄宿舎にする予定でございました。そういうようなふうにして何とか大学教育の一端ができるようになつたので非常に喜んでおりましたところが、昭和二十五年の八月十九日に関東民事部デユーカス中佐が首班になられまして、二人の米軍の将校とそれから大蔵省の方が数名参られまして、大学施設使用状況調査に来られまして、そうしてその際に近い将来にこれが接収されるということを伺つたのであります。我々は非常にびつくりいたしまして、越中島校舎の接収された経緯から、それからこれらの建物大学発展のために是非なければならない建物であることを力説いたしまして、何とか引続き使用できるように懇願いたしたのでありますが、越えて二十一日になりますと、関東民事部ジョーンズ課長から明渡しの命令を受取つたのであります。それでやむなく二十三日の指定期日までの一日間に全部移転を完了したのであります。そうして指定された建物並びに敷地明渡しをしたのでございます。こういう次第で明渡しました結果は、完成使用しておりました建物は六千五百坪、それから一旦許可になりました倉庫として使つておりました約一千二百坪の建物は全部使うことができなくなつたのであります。つまり七千七百坪の建物は全然使用することができなくなつたのであります。一万一千六百坪のうち七千七百坪の建物が全然償うことができなくなりましたので、非常に狭隘を感ずるようになつたのであります。そこで前に倉庫に入れておいたものをこの中に収用しなければならないような状況になりましたので、正規の大学教授をするということは殆んど不可能なような状態に相成つたのでございます。前にも引越した当時から無論大学教育なんかをするのには全く不適当な所であつたのでございますが、主な建物が近い将来に手に入るというのを期待して、あえて我慢していたのでありますが、これらの建物を失いますというと、全く絶望の状況に相成つたのでございます。それで而もこれらの元の建物に帰りましたのでありますが、これらの建物はいずれも先ほど申上げましたように非常に老朽建物でございまして、少し雨が降れば雨漏りがいたしますし、風が吹けばもう雨漏りがするというような始末でございまして、貴重な図書であるとか、標本なんかの保存には全く適しない建物でございます。それから木造でございますから、火気を使用しなければならない実験実習は絶対にできなかつたのであります。こういうようなわけで、現在の建物におきましては我が国のたつた一つ水産單科大学としての使命を果すことは全然不可能のような状況にございます。それで、その後何とか校舎を得たい思つて八方いろいろ候補地なり、或いは候補建物を物色いたしまして、そうして何とかこれを物にしようとしたのでありますが、いずれも初めから非常に困難を伴うものがありましたし、又或いは財政面の上で手に入れることができないようなものがありまして今日に至つておるのでございます。今までの大体の状況は今御説明申上げましたような状況でございます。
  6. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 続いて岡田証人の御発言を……。
  7. 岡田郁之助

    証人岡田郁之助君) 私から主といたしまして、教官研究活動並びに学生実験実習等につきまして御説明申上げたいと思います。水産大学は明、治二十二年に創立されまして、現在の越中島におきましては、水産教育といたしまして非常に完備した設備を持つておつたのであります。それが昭和二十年の十二月に進駐軍に接収いたされまして、その際期限を切られまして、二日間の期限で全部片付けろとこう言われまして、当時十二月の終りでありましたので、学生休暇中でありまして、学生に荷物を片付ける手伝いをしてもらうことができませんで、それで進駐軍のほうで日本への人夫を五百人か、六百人入れまして、その人夫が片付けました。その際実験台が約六十ありまして、化学実験台でありまして、これは水道電気並びにガス、こういうものが固定して付けてあつた実験台でありますが、これをパイプは鋸で切りまして、実験台はそのまま外の運動場に放り出された。そういう人夫たちが片付けたものでありますから、実験に要する機械器具並びに研究用精密機械等は非常に乱暴な取扱を受けまして、破損をいたしましたり並びに紡失いたしました。当時非常にいろいろ物のない時代でありますから、このメーター類モーター類というようなものは忽ちのうちに紛失をしたのであります。で進駐されまして以来商船学校寄宿舎に一時立退きました。ここにおきましては何ら設備がないので、学生の講義のほうはできましたが、学生実験実習は一切できませんでした。なお教官研究活動は全然中止されたような状態であります。次に久里浜移転いたしまして、久里浜におきましては、先日御覧になつたようなあのコンクリート本館のほうにおいて十分なる設備をすれば非常に完備したものができるというので、実験実習等設備は完全にいたしませんでした。併しながら学生実験実習は一日もゆるがせにすることができないのでありますので、便所等を改造いたしまして、ここにおきまして非常に不完全ではありますが、学生実験実習等を一部行なつていました。次にコンクリート建物が空きましたので、そちらのほうへ実験設備をいたしましたところ、約一月にしまして又追い出されて、折角設備をしたところを又追い出されまして、この追い出される場合もやはり期限を切られまして、二日間に立も退け、こういうような状態でありまして、又この追い出された時期が八月でありまして、当時やはり学生休暇中でありまして、この学生の協力を得ることができず、結局応急に人夫を雇いまして、この折魯設備したものを壊しまして、又元のバラックのほうへ逆戻りしたわけであります。たびたびこういう移転をするものでありますから、精密機械等はそのたびごとに破損いたしますし、又紛失する場合もあります。殊に化学実験等におきまするガラス器具類は殆んど使用に堪えないような状態になつたのであります。で、この間も御覧になつたような現在の場所におきまして、便所等の改造した場所学生実験実習、こういうものを行いまして、曲りなりにも多少の教育を施しておりしますが、完備した実験実習等教育を施すことができないのであります。なお教官等研究におきましては、先ず学生実験から先に始めましたので、教官研究等はあとにいたしました。そり間教官は各大学とか或いは水産試験場とかへ行きまして、そこの設備を利用させて頂きまして研究をいたしまして、終戦後におきましても教官研究活動は相当活発でありまして、ここに持つて参りましたが四冊の研究報告が出ております。でありますから完備した実験設備を持つておりますれば、学生実験実習は勿論、教官研究活動におきましても事欠くことなく、なおこれ以上立派な研究ができたことと思うのであります。現在の状況におきましては学生実験は不完全でありまして、学生に対しましては甚だ申訳ない状況であります。更に来年になりますと、大学最終学年であります四年の学年ができますが、これに対しましての設備は全然できておらないのであります。それでそれを収容する場所もありませんし、又その四年生に対しましての実験実習、こういうものに関する設備をいたすところの場所も全然ないような状態であります。  なお我々の教官研究活動としまして非常に重要な図書でありますが、この図書にいたしましても、越中島で進駐された当時やはり進駐軍人夫が片付けましたために、一部紛失並びに焼かれたものもありました。これを久里浜に運びまして、コンクリート建物の中に一時納めまして非常に我々は安心したのであります。と申しますのは、水産大学は六十年以上の歴史を持つておりますので、水産に関する文献図書等は非常にたくさん持つておりまして、なお殊に海藻等におきます図書は世界でも有数な図書があるのであります。でこれらのものがコンクリート建物に入つたので、火災の危険はないと思いまして非常に安心したのでありますが、昨年又追出されまして、又今の焚きつけみたいなバラックの中にごの図書を保管しておくということは非常に憂慮に堪えない次第であります。なおたびたび図書等におきましても、移転したためにこれを利用するための十分の整理も行届いておらない。これも場所狭隘のためにこんな状態でありまして、研究活動上からも非常に不便を来しておる次第であります。越中島におきましてはコンクリートの立派な書庫がありまして、この書庫に入れておけば非常に安心であつたのであります。なお越中島設備におきましては冷蔵庫がありまして、これはマイナス六十度まで冷却することができます非常に優秀な冷蔵庫であります。これもコンクリートで造つてありますので移転することもできず、現在そのまま置いてあるのでありますが、この冷蔵庫も我々が利用すれば非常に立派な研究ができるのでありますが、ただそのまま越中島へ置いておくということは非常に勿体ないことであると思うのであります。  なお冷棟研究に麗しましては、こういうふうに非常に不便を来しておるのでありますが、やはり水産研究所等において研究をいたしまして、私のほうの田中助教授に、この冷凍研究につきましてロンドン冷凍国際会議がありまして、それからインヴィテーションが来まして、この研究論文に対して非常に認められまして、この研究に対して日本から十九人の論文が出たのでありますが、水産大学田中助教授のみにインヴイテーションが来まして、現在ロンドンへ行つておるような状態であります。でありますからこういう研究設備が完備しておれば、水産大学研究というものは一層進みまして、我が国水産陣に対しまして非常に貢献することができるものと思うのであります。なお越中島におきましては、我々の実験台を取外しましただけでありますから、その床下にはガスだとか電気だとか水道だとか排水だとかこういう配管がすべてできておるのでございますから、いつでも越中島のほうは入れば直ぐに研究活動並びに学生実験実習等にこと欠くことなくできるような状態にできておるのであります。  なお又漁業のほうの実習にいたしましても、現在のところにおきましては、海へ出る出口があそこの川が非常に浅くて海との連絡に非常に不便であります。又漁具だとか漁網であるとか、その他の漁撈物理或いは漁撈化学、こういうものに対します研究に非常に不便を来しておるのであります。これで現在までにおきます私たちの研究活動並びに学生実験実習等に関しましての御説明を終ります。
  8. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 鍋島証人
  9. 鍋島態道

    証人(鍋島態道君) 私は大日本水産会の会長を勤めておるもので、東京水産大学とは直接の関係はありませんでございます。併し今日証人として呼ばれましたのは、大日本水産会と東京水産大学との深い関連あるためにお呼出しになつたと心得ております。  先ず第一に東京水産大学敷地及び校舎の問題につきまして、今日この委員会をお開き下すつたことを学校関係者及び水産業者の一員といたしまして厚く御礼を申上げます。有難うございました。只今申上げましたような大日本水産会と東京水産大学の関連でございますが、今事務局長からもお話がありましたが、実は現在の東京水産大学の前々身、即ち平たくいえばお爺さんというかお婆さんといいますかは、この大日本水産会が明治二十二年に創立したものでございます。そして三十一年まで私立の水産伝習所でございました。三十一年に官立となりまして水産講習所と改称されたわけでございます。爾来蔭になり日向になり、大日本水産会の前会長、前々会長、歴代の会長はいろいろ御協力をして参りましたのでございますが、二十二年のたしか五日でございましたか、越中島校舎進駐軍によつて接収されまして、止むを得ず久里浜移転しなくてはならないことになりました。それで地の利その他につきまして、遠い将来はともかくも差当つていろんな不便不利が多大であるから、大日本水産会の会長として一つ後援会を組織してくれんか、こういう交渉が学校当事者からありまして、あえて不肖私その任に当りまして、できるだけの後援をいたしたいと思つて及ばずながら今日まで多少の後援はして参りましたのでございます。ただたしか前々国会と記憶しておりますが、当時の水産大学教育施設は到底これではできないから、何とか火急に教育施設を改善するようにして下さいというて請願を出しまして、前々国会のときと記憶しておりますが、この委員会で御採択を願つております。衆議院の文部委員会でも御採択を願つております。ただその後文部省といろいろ御相談を申上げまして、先刻ちよつと棚橋事務局長からも話のありましたように、一、二の候補地も物色いたしまして、交渉をして参りましたが、不幸にして予算関係その他のために今日まだ実現に至らないのでございます。私はどうしろこうしろと勿論言うべき立場でもありませんのでございますが、文部当局といたしまして成るべく、成るべくじやない火急に一つこの施設を改善するように御配慮をお願いいたしたいと思います。さもなくば約六十年以上の伝統のこの水産教育、現在の水産、とにかく水産教育につきましてはおこがましい話でございますが、東京水産大学の右に出ずるものは世界国中ないと信じております。これを維持発展さすということが日本水産業界のための基礎の仕事と思いますので、この委員会においても御採択を願つておりますし、委員会も一つ責任者を御鞭撻を願いまして、一日も早く実現するように御配慮をお願い申上げます。証言となりますかどうか、希望を申上げますのは甚だ申訳ありませんですが、私のお話はこれで終ります。
  10. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 内田証人の御発言をお願いいたします。
  11. 内田常雄

    証人(内田常雄君) 私は本年の四月中旬に現職に就任したものでありますから、勿論東京水産大学、或いは予備隊の敷地の移動がありましたことにつきましては直接存じておりません。なお又私が就任以後この問題について文部省当局或いは大学の当局、或いは予備隊の当局等から希望なり、陳情なり、事情なりを直接接受したこともございません。お呼び出しによりまして全く何のことかわかりませんから、只今部下の職員に問題の所在を聞いて参りましたので、これは私が身を以て体験したことでもないし、従つて証言内容をなさないかも知れませんが、私は職務上間接に知り得たことを御参考までに申上げたいと存じます。各証人からお話があつたことでも知り得ますように、この東京水産大学昭和二十二年の六月二十日に久里浜の元海軍通信学校の一部に移転したそうであります。この元海軍通信学校というのは旧軍用施設でありますから、占領軍の進駐に伴つて当然占領の対象物件として軍事占領をされたものでありまして、元は海軍省所管の国有財産でありますけれども、軍事占領の目的になつているために大蔵省としてはこれを国有財産法等に準拠して自由に動かすことができないものであります。これが軍事占領を解除されまして、日本政府に返還されまして、完全な国有財産の婆を取戻したのは今年の三月十二日だそうであります。従つてこの久里浜地帯水産大学が入つたことも、更に又警察予備隊が入つたことも、この両者の間で使用地が移動したこともすべて日本政府許可、つまり国有財産法上における大蔵大臣の総轄権とか、或いは各省大臣の間における所管替え等の国内法に準拠したものではなしに、全くこれを占領しているところの進駐軍当局の事実上の許可を得て行なわれた事項であると思われます。水産大学はかようにして占領軍の事実上の許可を得て旧海軍通信学校の一部を使用した後におきまして、更に米軍許可を得て、その当時米軍の駐留部隊が使つている部分を除いて旧海電通信学校の大部分のほうを更に使わしてもらうようになりまして、最初のときよりもその使用地帯は拡まつたそうであります。ところが昭和二十五年の九月におきまして、即ちまだ日本政府に対してこの地帯が軍事返還が済まない間にこれも進駐軍の指図として警察予備隊が今まで水産学校使つてつた地帯に入れられることになりまして、その結果として水産大学は再び最初に使わしてもらつた地帯、或いはそれよりもやや狭いくらいの地帯に追い込まれ来たということであるそうであります。従つて水産大学としては先ほど他の証人からお話がありましたように、行く行くは久里浜通信学校の全部又は大部分学校施設として軍事返還後に学校に使わせるだろうという期待が失われて、現状においては当初の見込みと甚だ違つた状態にあるということは窺われると思います。先ほども申しましたように、その後におきまして、即ち本年の三月に入りまして、これが軍事返還になつた。つまり大蔵省の所管の財産に返還されたということでありますから、大蔵省としては今後の事態に応じてこの地帯を文部省に所管替えをするか、或いは警察予備隊を所管する内閣総理大臣に所管替えをするかという問題になるだろうと思いますが、現実においては、今両方が狭いなり広いなりとして使われておりますから、この事態が片付かない限り大蔵省としては国有財産に関する総轄的の職責として、他の一方をどこかに押出して、他の一方を満足せしめるということもにわかにはできないものだろうと存じます。  なお本日部下の職員から聞いて参つたところによりますと、水産学校としては今の地域をできるだけ欲しい、その場合警察予備隊のほうでは、若し現在警察予備隊の本隊ですかが使用しているところの元の商船学校ですか、或いは何か海軍の経理部かなんかの所でしようか、警察予備隊の本隊がいる所が本隊がどこかに移るというようなことがあれば、つまり占領軍の占領が終つて東京都内、或いは各府県において多くの軍用財産が日本側に完全に帰つて来るというような事態において、警察予備隊がどこかに移る地帯があつた場合には、警察予備隊も東京附近において余裕ができるから、水産学校との間に使用調整ができるだろうというような気構えでおられる。従つてそれらの問題が解決するまでは、大蔵省としては現状直ちに手は出ない、こういうことであるそうであります。  以上が私が間接に聞いて参つた全部でございます。
  12. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 次に江口説明員の御説明を……
  13. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) 私は警察予備隊の本部の次長でございますが、久里浜水産学校の問題につきまして、いろいろ他の皆さんから話を承わりましたが、その通りだろうと存じます。水産学校の現状につきましては、部外者としても非常に御同情申上げておる次第であります。大体予備隊の関係におきますることにつきましては、皆さんの御説明で尽きておると存じます。私どもから進んでどういう点を御説明申上げていいのか迷つておりますから、のちほど質疑の時間もあるそうでありますので、その際どの点を詳しく説明しろとおつしやいますならば、その点に従いまして御説明申上げたいと思います。只今のところ、皆さんのお説に附加することはないと思います。
  14. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) では次に田中説明員にお願いします。
  15. 田中徳治

    説明員(田中徳治君) 現在の水産大学としての施設は、先ほど棚橋証人の言われました通り、非常に貧弱な状態にあります。このことは学校の当事者からもすでに陳情がありまして如何に新制大学といたしまして現在の施設が不備であるかということは我々もかねがね承知いたしまして何とかこの整備につきましては十分学校の意思に副うようにいたしたいというように実は考えておりました。ところが新制大学といたしまして、現在の水産大学施設を一応の基準によりしまして算出いたしますと、約五千六百坪の校舎並びに約一千坪の寄宿舎を要するのでございまして、その敷地といたしましては三万乃至四万の敷地を必要といたします。なお水産大学といたしまして、立地的な条件といたしまして水辺になくてはならんというような厄介な条件が附いております。従いましてこれを新たに設けるということになりますと、敷地の確保なり或いは他の建設の面から考えまして、相当額の厖大な予算を必要といたすのでございまして、現在七十一の新制大学を持ちながら、僅かに十億程度の予算といたしましては、その完成を期することはなかなか困難の事情にあります。久里浜の地区を一応将来の水産大学の永久的な施設として考慮いたしましたことは、昨年の四月頃の予定でございました。従いましてあすこを恒久的に、鉄筋の校舎を補修いたしまして、学校の御要望に副いたいというようなことからいたしまして、一応あそこの補修工事も入札いたしました。ところがその後、先ほど棚橋証人からも言われました通り、建物明渡し指令が参りまして、この工事も中止のやむなきに至つたのであります。あそこの施設といたしまして、全部の施設水産大学のために使用するのでなければ、将来の水産大学の一貫した施設は期待できません。最近残されている施設は、僅か一万五千坪の敷地と四千坪足らずの建物面積、而もその中には約千坪の寄宿舎を包含しておりますが、建物そのものが学校本来の用途のためでなし、そのために非常に利用効率が減つております。非常に腐朽した状態ですし、結局この施設をこのまま大学としての施設としては不完全なもので、これを将来の水産大学施設の一環として考えるわけには参りません。そのためにどうしても新たに敷地の物色なり、新たに建物を見付けまして、そうしてこれを将来の水産大学施設として接収する以外に手はないのでございまして特に今考慮されているのは越中島の元水産講習所でありますが、この施設は約二万坪の敷地と、なお鉄筋の建物といたしまして約四千七百坪、更にこれを拡張いたしまして、新制大学として適当な施設にいたすためには約千坪の増築によつて完全な校舎ができるのでございまして、文部省といたしましては、この従来の施設を利用いたしまして立派な校舎を作りたいというふうに考えております。現在におきます水産大学施設に関する文部省の考え方は以上の通りであります。
  16. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) なお附加えますが、水産庁長官の藤田さんが見えておられますので、特に御説明になることがあれば御説明頂きますし、又御質疑の点がありました節にお答え頂いても結構でございますが、如何いたしましようか。御説明願いますか…。じや簡単に御説明下さい。
  17. 藤田厳

    説明員(藤田厳君) 実は説明をするというふうなことも格別ございませんので、ただ水産大学の問題については、水産庁としても深い関心を持つておりますわけであります。ただ一言従来のいきさつと、それから希望を申上げたいと考えております。  実は水産講習所文部省に移ります当時は、私は丁度水産庁にはおりませんわけでして、水産庁に私が次長としておりました当時にこの問題はすでに出ておりましたわけであります。解決をいたしましたのは私が水産庁を去りましたあとでございます。その直接のことは存じませんが、ただ私が次長をいたしておりましたときにたまたまこの問題が起つたのであります。そのとき私どもは単に水産教育というものを、或いは水産庁がやるとか或いは文部省がやるとか、単なる縄張り争いというふうな考え方でなくて、今後どうすればいいか、どうすれば水産教育というものがもつと伸びるか、そういうふうな大きな見地からこれを解決したい。文部省当局といたされましても、やはり同じような見地で、どちらの所管に移つたほうがこの水産教育というものがよりよく伸びるかということで考えようじやないかということで折衝をいたしましたことを覚えております。私どもといたしましては、結論としてこれは新らしい学制の変更もあることでありますからして、それによつてむしろ文部当局に所管を移しまして、それによつて水産教育がより拡充されて徹底化されるということが望ましいということで、いわばむしろかわいい子供をその子の将来のために文部省のほうにお預けして、よく育てて下さいというふうな意味合いでやつたことを記憶しております。昨日水産委員会委員長初め各委員、或いは文部委員かたがた庁舎御覧頂きまする機会に私もお供をいたしまして見たのでございます。丁度私は二回目でございますが、たしか昭和二十三年に見ましたときもやはり同じような模様ではあつたのでありますが、そのときは現在警察予備隊に使われております所があれがやがては水産大学庁舎に充てられるのだということで非常に希望があつたように考えておつた。ところが昨日見ましたところでは、すでにそこらは予備隊が入つておられますし、いろいろ窮屈な所で、従来よりも更に窮屈な状態であられるように考えております。私どものお願いといたしましては、どうぞ現在はもう所管はございませんが、併し水産教育については非常に深い関心を持つておるわけであります。何とか水産教育が本当に徹底し、将来水産の中堅人物というものが養われる貴重な時代であります。あの純真な学生の気持をそこなわないように、それがすくすくと伸びて行くような教育のできますように、これは文部御当局なりその他大蔵省関係、或いは水産委員会、或いは文部委員会、そのほか国会関係各方面のかたがたの御努力によつてそういうふうなことが実現できますように、特に私のほうとしてはお願いをいたしておきたいと思います。
  18. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 証人説明員かたがたにはこまごまと御説明頂きまして有難うございました。大変時間も過ぎておりますが、これから質疑に入りたいと思います。御質問のあられるかたから順次お願いいたします。
  19. 青山正一

    ○青山正一君 非常に細かい点ですが、一つ承わりたいと思いますが、これは棚橋証人に承わりたいと思いますが、予備隊は水産大学の構内に、この図面を見ますとはつきりこの敷地というものは区別されてありますが、どうですか、この水産大学の構内に自由に出入りしておるかどうか、そういつたような問題についてお聞きしたいと思います。
  20. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) 私のほうの職員並びに学生は予備隊のほうの区画の中には一歩も入ることができないのでございます。けれども予備隊のかたがたは教練する場所が足りないということから、私のほうに二三度幹部のかたが見えまして、学校が使わないときは何とか運動場を使わしてくれということでありましたので、私のほうが使わないときには始終訓練を実施することを私どもは認めておるのであります。ただ実際の問題として困りますのは、授業時間中に下で号令の練習をされることでございます。それがためにそうでなくても教室が非常に不完全な教室で、隣りの講義が耳に邪魔になつて完全に聞えないというような状況の下にありまして、下のほうで以て号令の練習や何かされると講義はめちやくちやになる、それでそのことでは私ども抗議を申込んだことがございます。それから又この構内をこれは極く最近でございまするけれども、予備隊のほうで規則を作られましてそうして不完全な裏門から自由に出ることを許可されておるのでございます。これは無論全部の隊員ではございませんで、士官の数名の人たちだけに許可をされたのでございます。けれども私どものほうには全然その通告がないものですから、この中を通り抜けて他の場所に出られたり何かすると、我々のほうとしては非常に取締上迷惑をするものですから、一部の職員がこれを見付けてとがめたそうであります。ところが自分のほうでは規則で出られるようになつたから一向差支えないということで、とがめた職員が却つてあべこべにやつつけられるという状態で一々悶着を起して困つておるのであります。それで又最近に私のほうで絶対にそういうことのないように、あなたのほうの門でそれから出るのは一向差支えないかもわからないけれども、私のほうの構内を勝手に通られては困るからということで、一応それを差控えて頂きたいというように申入れてございます。けれどもそれでもやはり昨日も聞きましたら、昨日の朝もそれから一昨日の晩も門衛がいて注意しても、俺は士官だからということでどんどん通行されたということで実は困つておるのであります。そういうことがあります。
  21. 青山正一

    ○青山正一君 そういうことで生徒との間に或いはいろいろ摩擦があるかないか。それから思想上の問題はどうであるか、その点について承わりたい。
  22. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) 最近は学生も大体我々のほうがここに果して長くおるかどうかわからないというようなことを思つておりますので、できるだけの我慢をしております。けれども初めのうちはお互いに若いものですから、いろいろのことで摩擦があつたように聞いております。一度はそのために腕力沙汰に訴えたことがあつたようなことも私耳にいたしておりますが、その後は多少の摩擦は或いはあるのかもわかりませんけれども、私の耳にまではその後は入らないのでございます。それから学生の思想上に及ぼす影響という御質問でございますが、私のほうの学生は割合にこういう水産というものに興味を持つておりますし、それからこういう実務的なものに非常に興味を持つておりますので、思想は非常に堅実でございます。このために特に思想が変るというようなことはちよつと考えられないと思います。ただこの施設が非常に不十分なものですから、それに対しての不平は非常にございます。けれども私どもいつも今にどこかいい施設に移れるんだから、而もこれは国会初め文部省その他の関係のお役所のかたがたにお願いしておるのであるから、いつか完全な施設に入れるからということで、それを今は皆期待しておりまして、特別な動きはないように思われます。
  23. 青山正一

    ○青山正一君 有難うございました。次に岡田さんにお伺いしたいのですが、先ほどのお話の際に便所を改造して実験室使用しておる、こういつた問題があるのですが、一体便所というものは一ヵ所ですか、数ヵ所ですか、どうなんですか、何ヵ所くらいの便所をその実験室として改造しているのですか。
  24. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) 学生実験室使つておりますものは一ヵ所であります。それから教官実験室としております場所が二ヵ所ございます。
  25. 青山正一

    ○青山正一君 全部三ヵ所の便所を実験室に改造しちやつて使つておる、こういうわけですね。
  26. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) はあ。
  27. 青山正一

    ○青山正一君 それから現在この水産大学は寄宿しながら学業を習得して行くというような建前にあるわけですが、現在の寄宿舎は完備しておるかどうか、そういつた模様について承わりたいと思うのですが。
  28. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) 現在の寄宿舎につきましては、実に不完全極まるものでありますが、あれでもできました当時はガラスが全然ありませんし、荒れておりまして、ひどいものでありました。又当時雨も漏りますし、又暴風雨のためにあの屋根が飛ばされまして、それも修繕したあとであります。各教室におきましても非常に狭くて、又実に汚いところであつて、学生に対して非常に能率が悪い所でありますし、気の毒な状態であつた思つております。あそこを我々がそのまま見捨てておるのではなくて、これも現在の校舎並びに実験室その他がコンクリート建物のほうへ移つた場合、今いる庁舎並びに教室、そこを学生寄宿舎に充てるつもりでおつたのでありまして、そうすれば現在の寄宿舎よりも非常に数等上等なものができる、その場合におきまして、現在の所に金をかけてもしようがない、で我々の移つて入つた場合におきましては、後援会のほうでできるだけの施設をして、学生の満足するような状態にしたい、そういう希望であつたのであります。それにつきましては、後援会の鍋島さんに御質問願いたいと思います。
  29. 青山正一

    ○青山正一君 そのやはり寄宿舎というのは何か畳でも敷いているのですか。ハンモックですか、寝台なんですか、どつちですか。
  30. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) それはやはり板敷でありまして、寝室も又実習する部屋も一緒でありまして、その寝る場所は板敷であります。板敷も一人別々ではなくて雑居するような板敷であります。
  31. 青山正一

    ○青山正一君 何か板の上に……。
  32. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) 板の上にござを敷いて寝るというような非常に哀れな状態であります。
  33. 青山正一

    ○青山正一君 それから設備機械器具とか、そういうものはこちらに移転する際において相当数紛失したとか、それから先ほどのお話に一部焼かれたというようなお話もありますが、そういつた明細書とか何とかというものはあるわけなんですか。
  34. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) 明細書はこの備品につきましては、なくなつたものは備品台帳からすべて削つております。それは備品台帳を御覧になればその当時なくなつたものは全部控えてあります。
  35. 青山正一

    ○青山正一君 そういう機械、器具とか或いはそういうようなもので当初なくなつたものとか、或いは焼かれたというようなことをやはり予備隊のほうへ申入れたのですか、どうなんですか、或いは文部省のほうに申入れたのですか。
  36. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) 初め焼かれた場合におきましては、越中島から追出される場合に焼かれたのでありまして、予備隊が入られるときに移つた場合は、機械、器具をやはり大急ぎで出したものですから、その際に壊したり紛失したものはございます。予備隊が入られる時期は八月だつたものですから、焚火なんかすることはないのですから、焼くことはなかつた越中島から出されるときは丁度冬でして、寒い時期だつたものですから、人夫が非常に焚火をしまして、そのためにいろいろ焼いてしまつたものがあります。
  37. 青山正一

    ○青山正一君 現在舟が、この前僕らが行つたときは、学校から川へ下つて行くあそこへ繁留してあつたのですが、今度繋留してあるのはどこなのですか。やはり学校から全然かけ離れた所に繁留してあるのですか。
  38. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) 学校から直接の道路はないのでありまして、舟を使う場合は、あすこの門を開けてもらつて、そうして学生があすこからいろいろオールだとかそのほか皆運び出しまして、そうして舟へ積んで、あの川を下つて行くのであります。
  39. 青山正一

    ○青山正一君 予備隊の許可を得て……。
  40. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) はあ。予備隊の許可を得て門を開けてもらつて、許可と言つても正式の許可ではないのでありまして、あそこは門があつて、門番がおりまして、それをこつちが行けば、そういう場合には門を開けてもらうことになつております。
  41. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) ちよつと皆さんに御注意申上げますが、御発言に際して自由に御質問をなさらないで、発言を求めてから御発言下さるように御注意申上げます。
  42. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 文部御当局にお尋ねをいたしますが、この水産大学といたしまして、大学施設並びに教授につきまして、施設が例えば建物であるとか或いは敷地であるとかというようなものをどの程度必要としておるか、勿論大学によりましていろいろ違うとは存じますが、この水産大学、即ち東京水産大学として、大学の教授をやつて行く上にどれだけの施設が必要であるか。敷地はどれだけのものを用意しなければならないか。或いは建物はどれだけのものが必要であるか。この大学は御承知のように各種の実験実習を併せて行わなければならぬ学校でございますので、あれは商科大学或いは文科の各系統の学校というものとは敷地その他において大分趣きを異にすると思いますが、その点は学務当局といたしまして如何ように考えておりますか。
  43. 田中徳治

    説明員(田中徳治君) 文部省といたしましては、新制大学七十一校ございますが、この新制大学はもともと三百近くの総合大学、つまり専門学校、師範学校、青年学校等が総合されましてできました大学であります。各大学とも従来の施設をそのまま寄せ集めて大学を造り上げたのでございまして、施設の面からいたしましても、或いは教育実施上非常に不完全な形態に現在なつております。従いましてこれが建設計画をどうするかということにつきまして、設置委員会の中に特別委員会を作りまして、一応現在におきましてこの建物の整備方針が確定いたしました。これに基きまして現在予算措置を講じておる次第でありますが、この施設内容につきまして一応基準を作りまして、各学校ごとに理学部なり或いは法学部、水産学部或いは文科系統というように、各学部別ごとの規模に応じまして基準を作りまして、その基準によりますと、現在の水産大学の規模は先ほども申上げましたのでありますが、定員約八百八十名といたしまして、建物は約五千六百坪、なおそのほかに寄宿舎といたしましてこれは約千坪と考えておりますが、これに要する敷地は三万乃至四万、これが大体水産学部の施設の基準であります。
  44. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 田中施設部長は、現在の久里浜水産大学施設並びに校舎御覧になつたことがございますか。
  45. 田中徳治

    説明員(田中徳治君) 現在の状況は私見ておりません。終戦当時ちよつと見たことがありますが、これは水産講習所の問題として私参つたのではありませんで、最近の状況は私見ておりません。併し担当室課長、或いは担当事務官は詳細に見まして、その報告は十分聞いております。
  46. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 その御報告の要旨を承わりたい。
  47. 田中徳治

    説明員(田中徳治君) 要旨といたしましては、あの施設は現在といたしましては、将来の水産大学施設として不適当であるという結論であります。
  48. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 極めて簡単でありまして、私どもも不適当であるということには同感であります。勿論文部当局は御覧なつておるとは思いますが、私は昨日初めて現地を見せてもらいましたが、他の委員からもいろいろ質問があつたのでありますが、今日いろいろな事情があるとはいえ、大学施設といたしましてお話にならない状態にあるということは、御報告を受けておることと存じます。殊に私の驚きましたことは、学生の寝泊りをする寄宿舎設備、これが何と申しますか、私はこの夏網走の監獄を見せてもらいましたが、監獄の寝床よりも悪い。かような状態がこの東京近くに置かれておるということに私は非常な奇異な感じがいたしました。而もこれが官立大学であります。かような問題がこのままに放置さるべきものでないということはどなたも納得の行くことと思いますが、これは正しく人道の問題であります。のみならず、この奇宿舎に対しまして家賃を取つておるそうであります。是非施設部長は一度あの状態を見て頂きたい。この建物寄宿舎に対して一ヵ月一人から百円ずつの料金を取つておるというのは、何に対してそれを取つておるのか、私は実に不思議でかなわないのでありますが、大蔵当局もそれを何かの財源にでもしておられるのか。あの状態は誠に惨憺たるものであるので、十分一つ調査を願つて善処をお願いしたいと思います。  次に大学当局の岡田教授にお伺いしたいと思います。先ほどいろいろ御説明、証言の中に、各種の施設紛失したり、或いは取り付けができないのでそのまま格納してあるという状態におきまして実習実験が極めて不完全な状態にある。殊に只今もお話がありました便所を改造して研究をしておるというような所がどこにあるでありましよう。そういうような状態下におきまして終戦後六年間の教育をいたしましたその学生の修得技術の状態、或いは学力の状態におきまして、果してどうお考えになつておられるか。六年間のうちには卒業生も出ておる。これは大学としてではなく講習所として出ておる者もあると思いますが、又今後この状態が続けば技術或いは学力、教養の面におきまして果してどういう影響があるかということをお伺いいたしたい。
  49. 岡田郁之助

    証人岡田郁之助君) 只今御質問がありました点につきましてちよつと申上げます。学生実験につきまして非常に不完全だと、越中島校舎を追い出されまして商船学校寄宿舎に入つた当時、その間約一年間ぐらいでありましたが、この問は終戦直後でもありまして非常にごたごたしておりまして、学生実験並びに研究等は全然ストップしております。久里浜に移りまして、不完全ながら便所を改造いたしました。便所というのは、水洗便所でございますから水が出る、水道の便がある。そういうために便所を使用したわけでありまして、又海軍使つてつた当時非常にたくさんの人間があそこにおつたものですから、便所が非常に広いのであります。でありますから、実験室としてまあ利用すればできたわけでありまして、現在のような状態でやつておるわけであります。で越中島商船学校におつた当時は全然実験ができなかつた。これをなお全然実験をさせずに卒業させるということは非常に申訳ない。それでまあ幸いなことに、沼津に実習場があり、又館山にも実習場があり、或いは小湊にも実習場がありまして、そこに実験設備が多少残つておりました。多勢の実験はできませんが、一部の実験はできますので、全然できなかつたクラスはその実習場におきまして実験をやらせました。それでもまだ足りないので、学生も分散させまして各研究所なり、或いは水産試験場、或いは民間の工場の研究所、こういうところへお願いいたしまして、学生を分散させて、そこで実験実習の補いをつけておりました。でありますから、過去六年間に卒業生は出ておりますけれども、完全ではありませんが、一通りのことは習得させておるわけであります。
  50. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 学校当局として、生徒の素質が落ちておりますということを御説明になることは甚だお苦しいことだと存じますから、只今のお答えで打切ります。  大蔵当局の内田さんにお尋ねいたしますが、現在の久里浜施設が本年の三月に完全に返還になつたということでございますが、越中島設備はどうなつておりましようか。
  51. 内田常雄

    証人(内田常雄君) 只今私は存じておりません。
  52. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 現在は越中島進駐軍はいないはずであります。警察予備隊が使つておられるそうでありますが、そういう場合にはもう進駐軍がいないとすれば、大体国庫に返還されたものと見ていいのでありますか。
  53. 内田常雄

    証人(内田常雄君) あそこは私行つて見たことございませんが、商船学校があつたはずであります。商船学校は無論学校でありますけれども、戦争中恐らく海軍の士官を養成しておつたというようなことで、軍事施設だということで、いわゆる接収じやなしに当然占領財産になつたと思います。従つて日本政府にその当時は返還になつておらないわけでありまして、進駐軍の命令といいますか、措置で予備隊が入つたのでございまして、予備隊は日本の機関でありますから、今日においては軍事返還がなされて法律上大蔵省の完全な普通財産になつておるのじやないかと思われますけれども、先ほど申上げましたように私は存じておりません、現状は……。
  54. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 只今商船学校とおつしやいましたが、商船学校は元の水産講習所に並んでおるのであります。で水産講習所は何も軍事用には使用されていなかつた、従つて商船学校が軍事関係として占領されましても、水産講習所は外しておるんじやないかと私は考えます。そこでこの施設が完全に日本政府に返還されておるとすれば我々は又他の考え方をしなければならん、かように考えております。今以てアメリカの占領下にあるということであれば、これは日本政府が如何ともなすことができない問題であると思いますけれども、今の状態から推測をしますと、恐らく日本政府に返還になつておるのじやないかと思うが、これは一つお調べおきを願いたい。  江口次長にお尋ねいたしますが、現在久里浜といい、越中島といい、どうも水産と予備隊とが非常にいろいろな関連があるように考えますが、これは偶然のことだと勿論考えますけれども、先ほど来お聞きの通り水産大学が如何なる状態に置かれておるかということは大体おわかりになつたと存じます。勿論日本といたしまして警察予備隊を充足しなければならないこともわかりますが、御承知のように水産に対する教育は立地条件がやかましいのであります。山の中に持つて行つても町の中に持つて行つても間に合わん、どうしても海岸の傍に持つて行かなければならん性質のものであります。どこにでも敷地があればいいというような筋合いのものではございませんが、警察予備隊といたしますれば、必ずしも海岸じやなくてもいいのじやないか、多少町中でも或いは郊外で離れておつてもいいのじやないかと私どもは考えております。そこでさような越中島でも久里浜でも水産大学があつちからもこつちからも警察予備隊から追われておるということは誠に在学生に対して気の毒であります。予備隊といたしましては、どこか適当な所を物色になりまして、立地条件はさほどむずかしくないと思うのでありますが、この越中島の本隊の今後の移転と申しますか、何とか他に適当な所を考えるというような御意図がありますかどうか。
  55. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) 越中島建物でございますが、お話の通り前のほうが昔の商船学校であります。後ろのほうが水産講習所であります。その前のほうの商船学校建物はなお占領軍が接収中であります。進駐軍の職員がそこに入つて執務しております。我々は同じ建物で執務しております。ただ裏の水産講習所建物につきましては、先ほどのお話のように私の記憶では去年の暮から今年の初め日本政府に返還になつておる。但しそれには条件が付いておりまして、予備隊に使わせるのだということが一札入つておるやに聞いております。従いまして今直ちにあそこを予備隊が明渡すということもその関係から困難ではないかと考えます。併し我々といたしましては、必ずしも警察予備隊の本部、本部のあるところは商船学校でありますが、部隊のあるところは水産講習所であります。この本部も小隊長幹部が持つておりますけれども、その部隊の中央機関は必ずしもあそこでは一番適地だとは考えておりません。従いましていい場所があれば予備隊は適当なる所に変りたいと思つております。それがために新設することになると数億の金がかかります。そこで我々の希望としては間もなく方々で接収しておる建物が解除になるのではないかと考えております。従いまして東京都内に適当な土地建物が見付かつたらそちらに移転したいと考えております。そうすれば当然大蔵省の所管になつて、然るべき所に移転すればいいのでございます。
  56. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 水産大学といたしましては、聞くところによりますと、来年三月からもう一学級増加しなければならんということでございますけれども、現在においてもああいうふうな誠に狭隘というよりも、殆んどスペースがないくらいの状態のところに更に一学級増加することになりますと、その学生を収容して行くということは恐らく現在の所じやできないと思うのでありますが、これを来年に差迫つた問題を如何に解決するお考えであるか。今警察予備隊のほうといたしましても、将来必ずしも現在の場所を固執するものでない、適当な場所があれば移つてもいいというお考えでありますけれども、それがいつになるか、いつ頃の時期においてあすこが空くようになるかということははつきりしてないだろうと思いますが、問題は来年の三月に差迫つており、来年の三月に直ちに空家を見付けて入るというわけにも行かないだろう、そういうことに対しまして文部御当局はどういうふうに処置をされるお考えでありますか。
  57. 田中徳治

    説明員(田中徳治君) 建設方面につきましては、先ほど申上げましたように、特別委員会の整備計画の線に沿つてこれを移転したいと考えております。併し今申されましたように学年進行に伴う来年度の問題と学生をどうするかということにつきましては、今まだはつきりした計画は持つておりません。併し現実に入ることができないということになりますれば、工事の面から考えましても、あと半年で十分この施設を整備することは困難でございまして、或いは臨時的に他に適当な施設を見付けまして、その間不自由しながらも学校を分散してそれで授業をするというような形をとらなくちやならんというふうに考えております。併し飽くまでも水産大学施設としましては将来は一本のまとまつた姿のものを考えまして、僅かの予算はできるだけこの整備のほうに廻したいというのが我々の考えであります。
  58. 木村守江

    ○木村守江君 ちよつと江口次長にお伺いしますが、先ほど青山委員からの質問に対して棚橋事務長が説明したのでありますが、非常に時間中に号令の練習をする、或いは校内の通り抜けをして困るというような話があつたのですが、この前次長の話を聞きますと、至る所において学校施設使つておるものがある。その他の施設使つておるところがあるが、その関係者とは円満なる妥協の下にすべてのことをやつておるというようなお話があつたのですが、実際問題でこういうことがあるというのは、これをお認めになられますか。
  59. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) その話は今日初めて承わつたのであります。事実そういうことがありとしまするならば、本予備隊としても恰好が悪いことだと考えます。早速部長に連絡いたしまして、そういうことがないように注意することにいたします。
  60. 木村守江

    ○木村守江君 この前申上げました通りこのことだけでなく、幾多あの久里浜においては警察予備隊と水産大学との間に教育上思わしからざる関係があると考えられる。かような点から、これはこの前法務総裁も申されました通り一刻も早く警察予備隊と水産大学とああいうような恰好でなく、水産大学の本当の教育のでき得るところの恰好を作るために御協力あらんことをお願いいたしますが、そのようにとつて今差支えありませんね。
  61. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) この前の委員会で文部大臣と法務総裁とがお揃いでこの水産学校を視察に行かれるということになつておりました。そのときの予定ではたしか昨日行かれるはずでありましたが、それが延びまして、来月の三日になつたのであります。私は勿論この前お話しましたように、その際私か或いは適当な責任者を随行させまして、その間の事情をよく学校側のほうからも見させて頂きたいと、かように考えております。
  62. 木村守江

    ○木村守江君 ちよつと管財局長にお尋ねしますが、管財局長という仕事はどういうことをなさるのですか、ちよつと簡単に説明して下さい。
  63. 内田常雄

    証人(内田常雄君) 国有財産は形式上は大蔵大臣が所管して、私はその補助機関でありますけれども、現物を抑えておりまして、管理したり、或いは外部に接触いたしておりますのは財務局長であります。従つて本件の施設につきましては、これを現実に一番状況を知つており接触しておりますのは関東財務局長でありまして、なおこの現地そのものの状態につきましては、関東財務局のその又下の機関といたしまして、これは神奈川県でありますから、横浜財務部というのがあります。横浜の財務部がその物を持つております。それを関東財務局長がみずからの名前でやつておりまして、私どもは大蔵大臣の補助機関としていろいろな監督行政をやつております。かような仕組みになつております。
  64. 木村守江

    ○木村守江君 そのような解釈をいたしますと、財務局長はやつぱり横浜の財務局長の監督をするということになるのですね。
  65. 内田常雄

    証人(内田常雄君) 横浜財務部長であります。
  66. 木村守江

    ○木村守江君 財務部長の監督をすることになりませんか。
  67. 内田常雄

    証人(内田常雄君) さようでございます。
  68. 木村守江

    ○木村守江君 そうしたら私は知らないということをさつきから何遍も申されましたが、私は知らない一点張りじやどうも通らないのじやないかと思いますが、どうも大蔵省の答弁というのは、大蔵大臣以下極めて簡単でわからない、知らない、駄目だとこういうような答弁が多いのですが、もう少し親切に、私は国家の財産を管理しておるのは、国家の財産そのものを管理しておるというよりも国家の財産が如何にその特殊性を発揮して国家に有用に活用されておるかということを管理することがこの管財局長じやないかと思うのですがね、その点から……。
  69. 内田常雄

    証人(内田常雄君) お説の通りでありますけれども、私は本日は証人として出頭いたしておるのでありまして証言にもありますように、自分の知らないことは付け加えないと……。私は現地を見ておりませんし、先ほどから申述べたことも速記にもあると思いますが、私は本年の四月に就任いたしまして、その後私の耳に直接入つておりません。従つて本日申上げましたことは私が知る限りにおいて、部下から報告を受けたことのみでありまして、従つてこうあるべきだとか、こうらしいということは申上げないほうがいいと思いまして差控えております。
  70. 木村守江

    ○木村守江君 今のお話は知らないというのが当り前じやなくて、まだ知り得ない、それは結局勉強が足りないということになりますか。
  71. 内田常雄

    証人(内田常雄君) それは何のお話でございますか。久里浜の現地は私はその後、私が就任後も行つておりません。それから江田島の現地も行つておらないのであります。で国有財産はたくさんございまして、従つてその個々について私はまだ就任間もありませんし、全部を見ておりませんし、これが果して何日何日に占領軍事返還になつておるかどうかということはつまびらかにしていないのが事実でありまして、従つて仮に証人としてでなくても間違つたことを申上げないほうがいいと思いまして、その意味において差控えておりますが、御承知の通り国有財産をこういうように運用すべきだという自分の考えとはいろいろ違うのでございます。
  72. 木村守江

    ○木村守江君 ちよつと文部省の施設部長に聞きますが、結局文部省の見解としては、現在の水産大学水産大学教育をするに誠に不完全である、これは速かにその本当の水産大学の形態に持つて行きたいというような考え方を持つておると解しましてよろしうございますか。間違いありませんか。
  73. 田中徳治

    説明員(田中徳治君) 仰せの通りであります。
  74. 木村守江

    ○木村守江君 ちよつと学校当局に聞きますまが、現在のあの久里浜水産大学の形態では、水産大学としては今後水産教育をするために非常に支障を来たすというような回答を得たと思いますが、そのように考えてよろしうございますか。
  75. 棚橋鐘一郎

    証人棚橋鐘一郎君) その通りでございます。今の施設によつては単科大学としての使命は全く果すことができないと思います。
  76. 木村守江

    ○木村守江君 只今各証人のお話を拝聴して、これを総合しますと、結局現在の水産大学の形態においては単科大学としての水産教育を遂行することができないというような結論に達したと思うのです。かような観点からこの連合委員会は水産庁或いは警察予備隊、或いは大蔵省、或いは文部省、各官庁協力の下に一刻も速かに水産大学としての教育を完遂されるような形態を作つて行くように努力されることを希望いたします。この辺で本日の連合委員会を終られんことの動議を提出いたします。
  77. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 只今木村さんから動議がございましたが、まだ御質疑の残つておるかたもあられるやでございますので、この動議は再度諮りたいと思いますが、質問を更に時間もございませんが、折角でありますから、継続して行きたいと思いますが、木村さん御了承願いたいと思います。
  78. 木村守江

    ○木村守江君 どうぞ。
  79. 松浦清一

    ○松浦清一君 只今、木村委員からおつしやつておられましたように、各証人のいろいろ証言、説明によりましてて、久里浜水産大学というものは極めて水産技術教育をするに適当でないということは明らかになつたのでありますが、このことはすでに警察予備隊が久里浜水産大学校舎を使われるというようなときからすでにわかつていた。それから又田中説明員のお話がありましたように、新制大学としての、又水産大学としての技能教育をするについても適当でないということは極めてその当時から明らかになつておつた事実でありますが、ただ一点だめを押しておきたいことは、文部省当局として、今田は証人ですから政府当局としての立場でないでしようが、そういうことが明らかになつて来た当時から、適当な水産教育のできるような施設を作るための努力をどういうふうに払われたかというこの一点を最後に聞きたい。警察予備隊も、予備隊が越中島、それから今の久里浜に入つて来たことによつて、水産大学に対しては極めて大きな迷惑をかけておるということをお認めになつているのですが、若しその通りであれば予備隊だけがよければよいという考えでなくて、日本水産教育を完遂せしめるためにどつか適当な、予備隊にふさわしい場所をみつけて移つてもよいというような事柄について努力をされたかどうか、こういうことを最後に伺つておきたいと思います。
  80. 田中徳治

    説明員(田中徳治君) 久里浜施設明渡しを要求されまして、大部分が予備隊に使用されていたためにあの施設としては不完全であるということは、昨年の八月でございますが、そのために文部省といたしましては、できるだけ越中島の接収解除をいたしまして、これを学校施設として使つて行きたい、そのためには特別調達庁を通じまして、接収解除一の願いを出しておりますが、それは実現に至つておりません。その後更に新らしい施設、民間であろうが、或いは旧軍事施設でも結構でございますが、そういつたものを一応施設としてほうぼう学校当局とも連絡をとりながら探して参つたのでございますが、これも今日までその実現までには至つておりません。従いまして施設に対する予算措置はそのままになつておりますが、併し現在の学校の窮状に対しましては、今後とも学校と十分連絡をとりながら善処したいというふうに考えております。
  81. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) 予備隊といたしましても、去年の八月十日に予備隊令が制定されまして、そうして急遽七万五千の隊員を結集しろという強い要望の下に、どこへ建物を造るかということについてはいろいろ研究したのでありまするが、これは内部の事情を申しますると、八月十日に政令が出まして、八月十四日に長官と私が任命されました。九月に入るまでは予備隊員は一人もいなかつた。すべて営繕は建設省に、募集は国警に、財産管理の問題は大蔵省にお願いして、できるだけ手つ取り早く、而も安い経費で入れる建物を探すということが、警備上の配置というよりも優先したのであります。第一には朝鮮事変が起つておりましたので、そういうような関係もある。或いは従来から進駐軍が接収しておつて、そのときには使つていなかつた、或いは朝鮮に行つたためにあいた営舎というものがあつた。とにかくあいている所に入れという至上命令と申しますか、そういう特別の要求の下に入つたのであります。従いまして入手をかけ十分調査し、他の学校その他の問題で紛糾を生ずるような場所は避けるというような慎重なことをする余裕がなかつたのであります。従いまして久里浜のような、水産大学のような問題の残る虞れがその当時あつたのでありますが、とにかく一応入れてしまおうという要求が強かつたために、十分な折衝もし得ないままに今日まで至つたわけであります。勿論今後といえども適当な建物が若しどつかにあけば、先ほど申しますようにそれをこちらのほうに手に入れて、そつちへ移るということも考えておりますが、新設するのは何分経費もかかりますし、そういう時期の到来するのを待つておる事情もあるのであります。ただ、今の状態ではそういうように考えております。
  82. 松浦清一

    ○松浦清一君 内田証人にちよつと伺いますが、今までお伺いをしたところによりますると、越中島の元の水産講習所建物というものは日本政府に返還されているように伺つているのですが、若しそうであれば、今までの御証言の経過、内容から見て、そういうことまで申上げられないとおつしやるかも知れませんけれども、今お聞きになつた通りに、警察予備隊もほかに適当な所があれば行つてもいいという御意思であることはわかつたのであります。学校当局もあれでは困るということが明瞭になつたわけであります。文部当局もあれでは教育できないということが明瞭になつた。国有財産のうちで、今警察予備隊が行つてもらえば水産大学にほぼ満足を与えることがてきるようなことについての御努力を、今日の委員会は希望を述べる委員会じやないかも知れませんが、今まで払つて来られたかどうかといいますと、払つておりませんとおつしやるかも知れませんけれども、その肚構えでやつて頂くようにしておやりになる御意思があるかどうかということを最後に一つ伺つておきたいと思います。
  83. 内田常雄

    証人(内田常雄君) 私は、これは証人としての発言の範囲を逸脱するかも知れませんが、もう暫らく時日をかして頂かないとはつきりいたしませんけれども、東京都内におる進駐軍の部隊が相当占領を終ると共に移動があると考えております。ここで殊に具体的にどうということは差控えたいのでありますけれども、それらの事情さえ許せば、予備隊本隊が入るのに恰好だと思われる場所が二、三ヵ所ございますので、そういう所へ話合いの結果、予備隊本隊がお移り下さるならば、丁度今の越中島水産学校もあつたし、うまくあけられて、久里浜からめでたくお移りになれるのじやないか、その予定で、二、三その心構えを以て是非実現するようにと考えております。
  84. 松浦清一

    ○松浦清一君 大体了承ができましたが、そういう御意思の具体化ということは、なかなか今日、明日というわけには行かないので、この機会に警察予備隊の江口証人にお願いしておきたいのでありますが、今もお話がありましたように、大学の生徒と予備隊員との中に、もう暫らく経てば何とかなるという見込があるから、大学の生徒のほうは辛抱しておつて、これが長くなれば辛抱しきれないで、感情的な対立が起きて来ないとも限らない。辛抱するということはなかなか危険でありますから、もう少し予備隊が学校運動場使用して訓練する場合、或いは校庭の出入りを自由にされるという場合に注意をされるというに、厳に示達して頂きたいということを御希望申上げます。
  85. 岩間正男

    ○岩間正男君 私も今まで随分質問して来たので、簡単に一、二点伺います。内田証人にお伺いいたしますが、条件附で向うの建物の接収の際に、日本の国有財産に返還されるという例は今まで何回もあるのですか、この点どうなんですか。
  86. 内田常雄

    証人(内田常雄君) 私は証人として申すことでありますが、私の知つておる限りでは、軍事返還になる場合は、書面としては条件はないのであります。ただ軍事返還を私どものほうから司令部側に、即ちJLCという米軍の兵站部がありますが、そこに願出をしました際に、ただ軍事返還をしてくれというのではなかなか通らんものでありますから、具体的な目的を以て返還の要求をする場合が多いようであります。ただ警察予備隊があそこに入ります際のことは、私の在職中より前のことでありますから、その点については今確認しておりませんけれども、恐らく江口君がこういう話をされたのでありますから、その通りじやなかろうかと想像されます。それ以外のことについては確認しておりません。
  87. 岩間正男

    ○岩間正男君 条件附というのは正式なものじやないのですか、その点はどうですか。江口証人の先ほどのお話では、予備隊が使うようにという条件附でこれは返還された、こういうお話ですけれども、これは公式のものではないのですか。
  88. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) 先ほど私はそういう条件が附いたように申上げましたが、これは先ほど申上げましたように、紙に書いたものになつておるかどうか、私は存じません。話合いの上ではそういう話があつたのではないかと考えております。急遽解除はするが、併し折角解除してもほかへ使われては困る、予備隊が使うならよかろうけれどもという話合いがあつたように承知しております。
  89. 岩間正男

    ○岩間正男君 どうもまだ少しはつきりしないのですけれども、そこのところがもう少し明細になれば、この問題の解決に一歩を進めることになると思います。予備隊の立場からすると、これは非常に悪い推測の仕方ですけれども、予備隊のほうで使うことを了承して、その条件で返還されたというようなことは、非常にこれは自分の都合のいい説明になるので、こういう点はもう少し、一体附帯事項というものが明確になつておるか、この点を明らかにすることが必要じやないかと思います。管財局の立場としても、先ほど木村君からお話があつたのでありますが、返還された国有財産を最も日本の現実に即して有効に使うということが、非常に、重要だと思います。ところがこの点が蔵相の補佐官としてなら、そういう点についてもつと内容的に検討して、そうすれば今後のこれは処置の上に非常にやはり私は重要だと、こういうふうに考えるのです。これはまあ証人としての意見を求めるというわけじやないのですが、そういう点は今後もう少し内容的に検討して、先ほどから各証人並びに我々同僚委員から話されましたように、もう結論は出ている。こういうものに対して具体的にこれはこの問題を解決するために善処されることを私は重ねて切望したい。  それからもう一つ江口証人にお伺いしたいのですが、先ほどからこの水産大学との間のいろいろな末梢的な問題かも知れませんが、校門の使用の問題、それから学生との間の紛争の問題、そういうことを聞かされた、この問題についても木村君から先ほどお話がありましたが、これは私もこの前早急にこれを見て、そうしてこの解決は如何に急いでも半年なり一年なり前に、先にこれは持越されている。その間が問題です。而も今聞きますというと、来年の一月から増加されて来る、四年生ができる、こういう事態が起きますと、紛糾した問題が非常にこれは重要な問題である。ところが警察予備隊の現在のやり方を見ますというと、どうも日本のこれは人民のためて作られたところの警察予備隊の性格としては甚だどうも不可思議だと思われるような条件が出ておる。実際に勝手に自分たちだけが例えば水産大学の裏門使用の内規を作つて、その内規ができているのだから、それによつて我々は歩行するのだ、で水産大挙のほうのこれは言い分が全然認められない。こういうような横紙破りが至るところに出ておるのであります。そういうことをやれば警察予備隊の性格そのものが非常に問題になつて来るのだ。こういう点から警察予備隊の当局としては、こういうものについて早急にこの問題を解決するということは非常に重要である、当面の問題として私はこの前に特にこれは早急にこの問題について本部のほうからでも現場を早く視察して、これに適応したところの教育を尊重する立場、而も警察予備隊の当面の性格というものがそんな疑惑を招かないようにこれはやるべきじやないか、こういうように要望したわけでありますが、その点は如何でございますか。
  90. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) この前からいろいろ両方の間にトラブルが起つたということは聞いておりましたが、具体的な問題としてこの前委員会で承わつた点は、入り口の道路の狭いところに守衛がおつて一々失礼な咎め立てをする、それはいけない。それからもう一つは洗濯物があつて恰好が悪いというので早速調べました。それでその衛兵の立ち方ですね、そこに人が来た場合の物の言い方などには十分注意をするようにということはもうすでに示達してありますが、洗濯物が見えるというお話は私まだ直接行つておりませんが、部隊からの報告によりますと、まだ官舎に人が入つていないのでそういうものが、例えば婦人のそういう洗濯物が出ているというはずはないと、こうまあ部隊のほうでは言つているのです。併し私も先ほど申しましたように近日見に行くつもりがあるものですから、大臣のお伴をして……。そのときに確認いたしたい、かように考えております。  それから先ほど裏門を抜けて水産大挙の校庭を使つて出入りをするということでございますが、それは別に不思議じやございませんが、そのことはこれは直接聞いておりましたが、どういう権限でそういう規則を作つて出入りをしているか、よく調べました上で注意することは注意いたしたいと思います。
  91. 岩間正男

    ○岩間正男君 そういういろいろな問題が発生してからそのあとを追つかけているのでは間に合わない、やはり根本的にこの問題の考え方に……、我々も視察したのですが、やはり水産大学教育軽視というような考えが出ているのです。そう出させているものは何だか、そのもとをやはり突きつめて、そうして警察予備隊がこれは持つている役割、それは人民の税負担によつてなされておる、そういう点をもつと徹底的にこれは認識させるようにやつてもらいたい。そうでないとどうもおかしいのですよ。これは非常に予備隊そのものに対してもこれは世論が私はいいとは思えない。こういう点で私ははつきり予備隊としてのこれは何を守つたらいいのだと思うのですが、そういうところを逸脱しているのじやないか、そういうことについて僕は根本的に抜本的な方法をやはり早急にとられる必要があるのじやないか、こう思いますが……。
  92. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) 勿論日本の警察予備隊でありまするので、同じ日本へ仲間に非常に迷惑のかかるようなことは我々自身も実はやりたくない。従いましてそういうトラブルがあれば速かにその解決を図るという努力はいたしております。たまたま努力にもかかわらず、そういう問題が次から次に生じて参つたことは遺憾に存じておりまするが、勿論我々はできるだけ自分の許す範囲内において、実質的に日本人の立場に立つて日本人のことを考えながら予備隊の運営に当つておるつもりでありますから、その点は我々の努力を御了承願いたいと思います。(「了承」と呼ぶ者あり)
  93. 木村守江

    ○木村守江君 江口次長にこの前話したのは、腰巻を干すとか、家の中の女の裸姿が見えるから直せと言つたのじやない。ああいう所に家を造るからそういう姿が見えるようになる。それでは困るからああいう所に家を造るべきじやない。造つてしまつたのならば、そういうところを見せてから見せないようにするよりも、見せないうちに高い塀でもかけて隠すべきだという話をしたのです。
  94. 平岡市三

    ○平岡市三君 もう時間も遅くなつたし、御質問も終つたように見えますが……。
  95. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 いやあるのだよ。
  96. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 兼岩さんがまだ…。
  97. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 僕は簡単ですが、一分ぐらいです。旧水産講習所の返還はもうされたのですか。誰が一番明快に御存じですか。
  98. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) 折衝中に予備隊が入りまして、そうして予備隊が入つてから後に、それも今年の初めでしたか、昨年の暮でしたか私の記憶からはつきりしたことを申上げられないのですが、たしか日本政府側に解除になつたように聞いております。
  99. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 それでその返還に条件附の問題ですが、文書で正確に条件が附いているかどうかということ、それから附いてないとすれば、一体我々は何を以て判断するのかということです。そうだと言われたつてそうでないということも成り立つし、その点を今明確にできなければいつ明快にして頂けますか。
  100. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) それは勿論文書になつていなければ、日本政府独自の立場でそういう財産の管理を行う時期がまあ来ましたら、文書になつていなければ日本政府の考え方で処理するよりほかはないと思います。
  101. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 若し文書に残つているとしても、それは何か特殊な恩恵によつて返還されるのではなくて、ただそういうお願いをして返還して頂く、お願いというようなことで一つの契機をなしておるというようなことは認められますけれども、事態はいろいろ複雑でもあるし、事態は又変化して参りますし、仮に一歩を譲つて文書であるといたしましても……そこになければ勿論あなたの答弁の通りで十分了承いたしますが、あるといたしましても、そういう問題、そういうことが今後その通り、文字通り実行さるべきものと考えられるのですか。その辺は如何なものでしようか。
  102. 江口見登留

    説明員(江口見登留君) 若し文書でそういう財産の返還があります場合に、条件附で日本政府が受取つたという場合に、その条件をどういうふうにみなすかという点につきましては、私よりは内田君のほうから御答弁申上げるほうがいいのじやないかと思います。
  103. 内田常雄

    証人(内田常雄君) この軍事返還につきましては、私は故意に答弁を避けるのではありませんが、軍事返還の実務は管財局長私みずからでもなければ、財務局長みずからでもなければ、さつき申しましたように財務部長が先方と、さつき申した向うの兵砧部からの通報に基きまして、向うの現地部隊から軍事返還を受けることになる、その軍事返還の文書を従つて私は見たことはありませんから、恐らく文書があつても……、向うも割合に筋は通す国ですから、返還する際に条件は附けまいと思います。あなたのおつしやるように返還を願える際に。これこれに使うから返還してくれ、又お前のほうでこれこれに使うなら返還してやろうというような軍事返還そのものには法律上の条件はないと思います。併し今私は別に予備隊の肩を持つわけじやございませんが、久里浜にいたしましても、又越中島にいたしましても、今相当の部隊が用意を持つて現実の問題として、又これに江口君からお話のありました通りに、予備隊が入つておりますものは返還して、大蔵省も去つて文部省へ移管もしていなければ総理府にも移管していないわけですから、それを移管する際には予備隊の他の行く場所ももう余りないと思いますけれども、はつきり大蔵省から斡旋して承認を得ました上で文部省へこれは渡すということを大蔵省で話しまして、各省に移管したいと思います。あえて申上げても差支えありませんが、私の責任で申上げますが、例えば元の士官学校のあと、今或いは進駐軍の何か宿舎等になつているそうであります。あれを予備隊の何といいますか、本隊があれがあいた場合には是非自分のほうに移管して欲しいという希望の表明も非公式にあつたそうであります。これも私は聞いて参つた話であります。又他の点は麻布等に向うの騎兵連隊のようなものが麻布連隊に入つております。従つて元の士官学校でなくても麻布の連隊、ああいうものは予備隊におさまつて然るべきものじやなかろうか、水に近いちなみのある所はでき得れば水産大学のほうにやりたい。大蔵省としてはできるだけそういうふうにしたいと考えておりますが、それはこれからのアメリカの軍隊の移動の問題もありますし、勿論これはよく両官庁とも相談し合わないとその通り行くとは考えられませんが、そういう努力を払いたいと思います。
  104. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 只今の両氏の説明で大体内容的には片附いておるらしく又急速に建設的に解決し得る見通しが非常に明瞭であります。従つてただ仮定の、らしいというところが一点問題になるところでございますから、直ちにこれを次の機会に明瞭にされまして、そうして両委員会がそれぞれの立場においてこれを建設的に解決できるようにして頂きたいということを希望いたしまして、私の質疑を終りたいと思います。
  105. 岩間正男

    ○岩間正男君 今の兼岩君の提案に附帯しまして、答弁では条件というものがどういうものだかわからない、条件というものを明らかにされていない、もう一回財務部長にこの次出てもらつてもう少し問題を明らかにすることが必要じやないかと思いますので、その点申上げておきます。
  106. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 只今岩間委員からの御提案について御了承頂けませんでしようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  107. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 私はこの問題は今日いろいろと証人その他説明員のお話を承わりまして、実際の状態は我々は大体了承したのでありますが、さてこれを如何にするかという問題につきましては、今日御出席のかたは証人或いは説明員としてお出になつておるので、この点我々がまだ決定的な段階に入つていない。従つて次の機会に法務総裁及び文部大臣が近々現地を視察になられるそうでありますから、それを御覧になつたあとで適当な機会にもう一遍連合委員会を開いてそうして当局の確乎たる決心のほどを伺いたいと思いますが、お諮り願いたいと思います。
  108. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 只今の秋山委員の御提案について御意見ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  109. 高田なほ子

    委員長代理高田なほ子君) 異議なしの声がございますので、そのように決定いたします。  それでは先ほど木村さんの動議がございましたが、秋山さんからの御提案がここで採択されましたので、そのように御了承頂きまして、先ほどの動議は撤回されるというお話でございますので、御報告いたしておきます。  それでは私も馴れないので大変に議事進行にまずい点がございましたし、又文部委員としても重要な質問を私は抱えて来ておるのでありますが、非常に時間も切迫しておりますし、次回に譲りまして、これで連合委員会を終了したいと思うのでございますが、大変に長時間に亘りまして、水産日本発展のためにお互いに非常に誠意を示し合われましたことについて、誠に感謝に堪えません。大変御空腹のなかを長時間に亘りまして、証人並びに説明員かたがたにもいろいろ御苦労をおかけいたしましたことを、この席より両委員会を代表いたしまして御挨拶を申上げまして、これで会を閉じたいと思います。    午後一時二十五分散会  出席者は左の通り。   文部委員    理事      高田なほ子君    委員            木村 守江君            平岡 市三君            山本 勇造君            岩間 正男君   水産委員    理事            松浦 清一君            秋山俊一郎君            青山 正一君            兼岩 傳一君   事務局側    常任委員会専門    員       竹内 敏夫君    常任委員会専門    員       岡  尊信君    常任委員会専門    員       林  達磨君   説明員    警察予備隊本部    次長      江口見登留君    文部省管理局教    育施設部長   田中 徳治君    水産庁長官   藤田  厳君   証人    東京水産大学事    務局長     棚橋鐘一郎君    東京水産大学教    授       岡田郁之助君    大日本水産会会    長       鍋島 態道君    大蔵省管財局長 内田 常雄君