○
説明員(
上田克郎君)
外債課長でございます。先頃の
臨時国会でぎりぎりの日に
司令部のOKが参りまして、
在外公館等借入金の返済の準備に関する
法律案を提出いたしたのでありますが、
審議未了になりまして、この
法律案を作りますまでの経過をお話申上げたいと存じます。この
法律案の扱いでございますが、八月から現在まで
相当時日が経
つておりますし、附則の技術的な部面で幾らかの修正が加えられまして今度の国会に正式に又提出される、そういう扱いになる予定でございます。この
法律案ができますまでには御承知のように、その前の国会で
借入金の返済の準備に関する
法律案というものが出まして、それによりまして
借入金の
現地通貨の
本邦通貨への
評価基準をきめる
評価審議会というものが設けられたのであります。この
法律案の、主たる内容はその
交換比率を法律で定めることと、それから具体的な支払に当
つてどの程度までの支払をするか、予算の範囲内においてと前の
法律案に書いてございまするので、予算の範囲内においてどのような支払をするかということが骨子にな
つております。で第一の骨子で
ざごいます比率をきめることにつきましては、
大蔵大臣からこの
評価審議会に諮問いたしまして、その答申に基いてその
評価基準というものが定められたわけでございます。
答申の内容を御説明申上げます。
大蔵大臣から
審議会に
諮問事項の第一として提出されましたものは、「終戦後における
現地の
通貨制度の変遷について」、これは一般的な問題として
専門委員にお願いして提出して頂きました。これは直接関係がございませんで、そのバツク・グラウンドにな
つておるものでございます。それから、
諮問事項の第二は「
借入金を表示する
現地通貨を
本邦通貨に
評価する方法について」ということを諮問いたしました。これに対しまして
委員会の答申といたしましては、
大要次のような答申が出ておるのであります。
異種の
通貨の
価値の比較は、
購買力の比較として
物価指数、特に
卸売物価指数を
基準とするのが本則であるが、終戦後の混乱時にあ
つて当該現地における的確な資料が得られないので、
本件借入金の円に対する
評価に当
つては、先ず
借入金を表示する
現地通貨の
流通地域の区分に
従つて、
朝鮮、
満州、関東州、華北、華中、華南、タイ及び仏印の区分により
地域区分を設け、
当該現地通貨の円に対する
評価は、原則として各
借入通貨ごとに
借入の最盛時における
当該現地通貨の流通していた
地域の
主要都市と東京との米価の比較によるものとし、なお実情に応じ、
(1) 華北における
法幣については
中国連合準備銀行券の
評価基準から終戦に伴い
中国国民政府が法定した
比率、
法幣対
中国連合準備銀行券一対五により裁定し、
(2)
中国中央儲備銀行券については、華中、華南における
法幣の
評価基準から終戦に伴い
中国国民政府が法定した
比率、
法幣対
中国中央儲備銀行券一対二〇〇により裁定し、
(3)
関金券については、華北及び華中、華南における
法幣の
評価基準から、
中国国民政府が法定した
比率、
法幣対
関金券二〇対一により華北及び華中、華南の
地域ごとに裁定し、
(4) 華中における
米ドル及び海南島における昭和十二年
円表示軍票については、
借入の最盛時におけるそれぞれの対
法幣実際相場の実勢を勘案し、
(5)
ピアストル、
バートについては、
借入の最盛時における
為替相場の実勢を勘案して
評価するものとする。
これで大体
評価基準につきましての一応の
プリンシプルが示されております。これを少し御説明いたして見ますと、先ず
現地通貨というものはそれぞれ
通貨の
流通地域というものを持
つておるわけでございますが、歴史的に見まして、例えば
朝鮮銀行券は
朝鮮に主たる
流通地域を持つと同時に関東州にも持
つておつたわけであります。
満州中央銀行券は
満州国が主たる
流通地域であると同時に関東州にも流入しておつた、そういう状態がございます。併しながら終戦後の政治的な変動に基きまして、
朝鮮と関東州とでは全然
経済圏も
政治圏も異な
つて来たわけであります。従いまして同種の
現地通貨でありましても、必ずしも一
通貨について一
評価ということが妥当でないという場合があるわけであります。従いまして先ず政治的、経済的な
地域を一つきめまして、それでその
地域の
使用通貨について
評価をきめよう、そういう
プリンシプルがとられたわけであります。で、地続きであります
満州と関東州は、
満州については当初国府、次にソ連と
共産系、そういうものが入りまして、関東州は初めからソ連が参りまして、全然政治的に分断され、あの国境と申しますか、関東州と
満州とのあれには政治的な柵が設けられたという実情であ
つたのであります。従いましてここに今申上げましたように、
朝鮮と
満州と関東州、それから華北、華中、華南、華中と華南は大体
儲備券が一緒に戦時中からな
つておりましたので、華中、華南は一本これにも広東と上海と違えたらとか、漢口をどうするかという議論もございましたが、改正において
儲備券の華中、華南は一本でよろしかろうということに大多数の意見が一致したわけでございます。タイと仏印はそれぞれ
通貨も違いますし、これには異存はない、そういうようなわけであります。
朝鮮、
満州、関東州、華北、華中、華南、タイ及び仏印というのがお手許にございます。この
在外公館等借入金換算率表の
借入金提供地域という
地域別が一番左に出ておりますのはその趣旨でございます。この
地域の区分はそのような趣旨でできております。
それから次の欄に
現地通貨と書いてありますのは、従来外務省から確認を受けまして、
確認証書が出ております券種でございます。従いまして
朝鮮では
朝鮮銀行券と
日本銀行券とが確認されておりまして、
北鮮或いは一
部分南鮮に参りました
ソ連軍票、
朝鮮における
ソ連軍票はまだ確認されておりませんので、その
答申案からは抜けております。これは法律的に確認の済んだものだけの
通貨について答申するということにな
つておりますので抜けております。従いましてあとで申上げますが、
審議会は将来そういう
通貨が確認されますと、再びこの別表の
改正法律案として
レートが提案されるという段取りにな
つております。そのほか例えば華北における
連銀券と
法幣と
関金券とありますが、蒙疆地区における蒙
疆銀行券、そういうものについての確認がまだ得られておりませんし、或いは
南方地域における
南発券というものがまだ確認を受けておりませんので、この表からは抜けております。フイリピンにおける
ピアストル軍票も同様であります。
それからその次の
プリンシプルといたしましては、
借入というものは決して一時に行われたものでないことは御承知の通りでありまして、終戦の年の九月から
借入が行われまして、各地区によ
つて異なりますが、遅いのは二年、或いは二年半と
満州なんかにおいては続いておりまして
通貨価値が極端に申せば一日々々変動しておつたような時期に、
満州につきましては、例えば昭和二十年の九月から始ま
つて二十三年の七月までも
借入の件数があつた。
朝鮮につきましては八月から始ま
つて翌年の十二月まで
借入があつた。華北についてはややその期間が短うございまして、終戦の十月から翌年の六月まで
借入があつた。そういうふうに
借入の期間というものはそれぞれ
違つております。そういたしますと、その提供されました
通貨の
価値というものは、終戦直後の世界的な政治の混乱、特にこの日本の占領いたしました
地域の
政治的混乱は、その
通貨価値を特に日本が尻押ししておりました
通貨についておる
価値の変動というものは極めて激しくございまして、時期によ
つて、例えば半年も違えば異常な相違を示すというのが通常であつたようでございます。このような事態に対処いたしまして、
現地通貨の円との比較をどういうふうにするかというためには、先ずいつの時期の
価値をとらえるかということが方法論的に問題にな
つて来るわけであります。これに対しまして、
委員会の結論といたしましては、結局
借入の件数の最も多かつた時期ということが最も公平に近いであろうということになりまして、先ほど申上げました
借入の最盛時における
現地通貨の
価値というものと、その当時における円とを結び付ける、そういうことにな
つたのであります。それから大きく先ほど
地域を分けましたが、同じ
満州国でも、例えば錦州と奉天と長春と吉林、或いは更に北のほうに
行つてチチハルという所では、いわゆる
通貨の
価値というものは平時にありましても或る程度の変動はあるものでありますが、こういう
非常時に際してはなかなか変動があつたものと予想されるのであります。併しながら同じ
地域におきましては、
満州中央銀行券について錦州における
価値が幾ら、奉天における
価値が幾らというふうな
レートをきめることは煩に堪えませんし技術的にも殆んど不可能であります。従いまして比較する場合には大体その地区の代表的の都市というものを一つ一原則としてとる。ただ
満州につきましては奉火と長春と新京とをとる。そういうようなことはいたしましたが、原則としては例えば中支につきましては上海、北支につきましては北京というものと東京との比較をいたしたのであります。
次に問題になりますのはその比較の
基準でございますが、普通の場合でもいわゆる
購買力平価というものはなかなか算定がむずかしいことは御承知の通りでありますが、この
非常時にありましては頼るべき
卸売物価指数、或いは
生活費指数、そういうような指数は完璧なものは殆んど見つかりません。
地域によ
つては断片的にあるものもございましたけれども、原則としては
平時状態にあ
つてすらむずかしい
購買力の比較をやるということはなかなか困難であるということは
委員皆さんがお認めにな
つてお
つたのでありますが、結局これらの
借入金が引揚の経費として使われます場合に、主たる用途は何と申しましても
食糧品である。
食糧品を
価値の
基準にとるということについては
経済学の
一般法則といたしましてそれほど無理なことではないと存じます。それで結論といたしまして各地区に妥当するものとして米の値段をとろう、米の値段できめようということに意見が一致したわけでございます。これは
生産地もありますし、
消費地もありますし、成る
地域にはブロックされている
地域もありますので、不公平ではないか、理論的に妥当でないのではないかという議論も勿論ございましたが、結局それ以外に余り頼るべきものもないということで、米の値段できめて行こう、そうして他のいろんな係数はこれに対する補助的な要素として勘案して行こう、そういうことになつたわけであります。それで米の値段をとります場合に先ず第一に問題になりますのは、では東京の米の値段というものは一体何でとるのかという問題であります。
現地が
自由価格下であるということは大体各
地域に共通でありますが、東京は米の統制をや
つておりまして、
公定価格での配給というものをや
つておりましたために、配給の米ということ、たけで
価値の比較をいたすことといたしますと、円の
購買力が、余りにも強く表示されてしまう。現に或る筋によりますと、昭和二十二年にな
つてもなお
東京市民のいわゆる
自由市場で求める米というものと、配給によるものとの割合は、二十二年でありましてもなお約五割五分を公定、あとの四割五分は
自由価格、そういうもので苦労して求めておられたような実情のようでありますので、そこに何らか
自由価格と
公定価格との間の調整をしなければいけないということで、それを類推いたしまして、二十一年の例えば
最盛期がそれぞれ
違つておりますが、
朝鮮、
満州につきましては、二十一年六月が旧
最盛期になりますし、華北、華中におきましては、大体三十一年三月、三月というのがピークにな
つておりますので、その頃の東京では
一体米は
公定価格と闇とでどのような比較であつたろうかということを推定いたしまして、公定で配給を受けるものは全体の四で残りの六は何らかの方法によ
つて調達しておつたという推定をいたしました。ウエイトを公定四、
自由価格六というような形で円の
価値を不当に高く
評価するようなことがないように配慮をいたしたのであります。それから各地区について申上げますと、資料がなかなか不備であることは全体について言えることでありますが、華北における米の値段或いはその他の一般の物価というものは、
連銀券表示で資料がございます。従いまして直接
連銀券との
購買力の比較をいたしまして、
法幣に対しては
国民政府がきめました一対五というので裁定いたしまして、
法幣の値段をきめたわけであります。それから
中南支につきましては、
法幣建のものの値段しか資料がなか
つたのであります。従いまして先ず
法幣と円との
購買力の比較をいたしまして、それに
儲備券を出す場合には、政府が作りました一対二〇〇というオフイシアルの
レートを適用したわけであります。このことは現に
現地で
借入が行われました際に、
法幣で提供した人も北支で一対五の割合で
連銀券で提供したような表示にな
つておりますし、中支においては
法幣で提供したかたも、
儲備券の表示の場合には一対二〇〇で換算してあるという実情も考えまして、華北における一対五、華中、華南における一対二〇〇という数字をとることは実情に即しておつたことと思います。併しながら今申上げましたように、華北においては先ず
連銀券から
法幣をとり、華中、華南におきましては
法幣から
儲備券をとりましたために、同じ
法幣につきまして
価値の差等ができて来たのであります。これにつきましては、
地域を分けたことで一応別とは申しましても、同じ
法幣で
違つているではないかという議論があると思いますが、これに対する
考え方といたしましては、お米をとりましたことで、一つは華中と華北とは、華北は御承知のように食糧はお米などは中支から入れております関係もありまして幾らか高いということはいたし方ない問題であろうということが一つと、それから
専門委員のお話によりますと、又委員のお話に上りますと、中支における一対二〇〇という
儲備券に対するオフイシァルの
レート、
交換比率はどちらかと言えば懲罰的な意図がひどくあ
つた由であります。それに対しまして、不評判であつたために華北においては
連銀券に対して相当好意的な
比率をきめた。従いまして
連銀券を
儲備券と比較いたしますと、五対二〇〇、即ち一対四〇というケースは余りにも
連銀券によ過ぎると申しますか、
儲備券にひど過ぎると申しますか、そういう華中、華北の振合の関係というものがある由でございまして、ここに出ております程度の割合ならば、まあまあというところの御意見がございまして、恰好は同じ
法幣でも
レートが違うておりますけれども、
地域が違うということで一応我慢して頂き、而も実際問題としては、それぞれの地区でその
レートを
扱つて、
法幣と
連銀券並びに
儲備券の換算をや
つているという実状にも即するというようなことから、こういう答申になつたわけであります。それで
関金券と
法幣との関係は、これは政府のきめました二〇対一という
レートをそれぞれの
地域別に
法幣から裁定したわけであります。海南島だけが終戦後十一月くらいまで軍票が流通してお
つた由であります。従いまして海南島につきましては、軍票の
レートを作らなければいけないことになりまして、このような
レートが表示されております。
ピアストル、
バートにつきましては、終戦直後
米ドルなどとの
為替比率もありましたし、
借入が大体終戦直後行われましたものが多うございます。
為替相場の
自主性を勘案してその程度が最も妥当であり、当時の
人たちの用にも合うということで、タイとビルマの
ピアストル、
バートはパーできめられております。
それで更に
審議会の答申は、この問題につきまして次のようなことを申しておるのであります。而して
評価の一方法として
借入金の表示する
現地通貨(現在流通していないものについては、
通貨改革の変遷を辿
つて、現在流通している
現地通貨表示に換算する)その
現地通貨の弁済時の
為替相場によ
つて本邦通貨に換算する方法が考えられる。現在
通貨がないものにつきましては、ずつと
通貨交換の跡を辿
つて現在の円との
為替相場を考えてきめるという方法もある。併しその方法は
評価の方法としては、より合理的な方法ではあるが、実行上の問題として、現在流通していない
現地通貨を現在流通している
現地通貨に換算した場合、極めて不合理な結果となり、実情に合わないので、これらの現在流通していないものと現在流通しているものとの衡平のためにもこの
評価方法をとらず、実際に
借入れた最盛時における米価の比較による方法によることを原則とした。と申しますのは、一応
考え方といたしまして、
現地通貨表示で
借入を行な
つておりますので、
外国通貨の
借入ということが一応考えられるわけであります。いわゆる
借入ということに対しては、問題は法理論的にはございますが、一応
現地通貨による
借入ということに考えまして、その
借入表示通貨を現在返すとすれば幾らの円を提供すべきであるか、為替はどうであつたかということを考えた場合に、例えば
儲備券から
法幣に変り、
法幣から
金円券に変り、
金円券から更に現在の何と申しますか、
毛政権の下の
通貨に変
つて来た、そういうような
通貨の変遷を辿りまして現在払えばどうなるかといつた計算でいいと思います。ところがこの政治的な一対二〇〇だとか、
一対一五だとか、或いは又今度は
鮮銀券を
人民券に変える場合の
レートだとか、そういつたようないわゆる政権が変ることによる政治的な
レートということも作用したのもありましようし、或いはそれ本来のインフレーションもありましようし、現在のいわゆるカレント・
レートで結び付けますと、ひどく非常識な
レートと申しますか、ものになつたわけであります。例えば
儲備券で百億元以上の
借入があるにもかかわらず、現在の円にこれを直しますと、千何百円にしかならないと、そういうような余りにも非常識な結果が出て参りますので、この方法はとらないということになつたわけであります。
それからこの問題が一番諮問の重要なポイントになりますので、これに対しましては
委員会からこのような
少数意見があつたことを附記されております。その第一は、
朝鮮地区における
日本銀行券を
現地通貨として取扱い、
本邦通貨と差等を設けることには賛成しがたい。なお
朝鮮銀行券の
評価基哨については、
南鮮占領軍によ
つて設けれらた
米ドル軍票と
鮮銀券との
交換率と同一時期における日本円と
米ドル軍票との
交換比率から裁定して
一対一とすることを希望する。それから
満州地区については、米価を
基準とすることなく、主食を
基準とする
評価基準によることを希望する。こういうような
少数意見があ
つたのでありますが、改正の意見としてはここに表示されましたような形で一応落着いたわけであります。それで
朝鮮地区における
日本銀行券の問題は、
委員会の多数の
考え方といたしましては、終戦直後経済的な関係が切断されまして、いわゆる独立した
経済圏となつた。そうして
現地でバーで流通しておりました
日本銀行券と
鮮銀券とはお互いに
代替関係にある。
従つて隔離されました
日本銀行券は
鮮銀券とはパーの関係にあるが、
日銀券とは
通貨価値においては違う形において存在するものである。言わば
現地通貨であるというような結論というような結論に多数意見ではなつたわけであります。それから
朝鮮銀行券につきましては、これは政治的にも
独立地域でございまして、本来終戦まで日本の領土であり、それで条約が批准されるまではその政治的な立場は勿論明確にならないわけでありますが、一応事実の問題としては、
曾つて日本のものであつたものが日本の手から離れているというような関係にございますし、特に中国などと
違つて、今まで
朝鮮銀行券と
日銀券とはパーであつたということを一番強く主張されておりまして、その一つの論拠としては、終戦後も米軍が軍票を出す場合の、米軍の内部の
交換比率に過ぎませんけれども、その
比率から考えてやつ
ぱりパーがよくないかというような意見が出たのであります。これはこの
比率そのものがだた
米軍内部の
比率であ
つて、いわゆる当時の
朝鮮銀行券の
価値を表明するものではないという理由で、これも多数はこの案に賛成なさらなかつたわけであります。それから
満州地区につきましては主食によることを希望するということは、これ米を全部各
地区ごとにとつたという関係で、
満州地区でも米をとつた場合と、それから高梁その他のことを勘案した場合、それは主食を
基準とする
評価基準というのは高梁その他を勘案すると、それによることを希望するということを言
つております。これについては理論的に考えまして、同じ一キロのものを食べる場合に、米を
食つた場合と高菜を主として
食つた場合に、勿論主食による
評価の
基準の場合には、単純にこれは米ばかりでなくて、米の割合、甘藷の割合、
小麦粉の割合というものを勘案したものと高梁とを比べたわけではございますが、そういう異質的なもので比べて、而も
生活水準が例えば高梁を食うのと
小麦粉、米、藷を食うのとではそこにおのずから差もあると思いまするので、やはり米で統一するということのほうが比較の場合よかろうと、勿論細かいモデイフイケーションのことを言
つておりますと切りのないものでございますので、これも多数説はこれで我慢してもらおうということで、米価を
基準にすることに
満州地区もなつたわけであります。
諮問事項の第三は、各
同一現地通貨について各地の
地域差を設けることが妥当かどうかについて。これはすでに御説明申上げたこととダブるのでありますが、答申はこういうように出ております。実行上の問題として、同一
通貨については原則として
地域差を設ける必要を認めない。但し、
鮮銀券、満銀券、及び
ソ連軍票については、例外的に、
同一現地通貨であ
つても、
朝鮮、
満州及び関東州の
地域ごとに差等を設けることとし、同一
地域においては互いに等価とするものとする。これは先ほど御説明申上げた趣旨によるものであります。
それから
諮問事項の第四は、次のような諮問でございます。各
同一現地通貨の時期による
価値の差について。それも先ほど申上げましたが、答申は、実行上の問題として、
同一現地通貨については原則として
借入の最盛時一本とし、時期による差を設けないものとする。但し
満州においては、
借入金が長期に亘り、この間の物価の
変動余りにも著しく、又関東州においては
借入の行われた期間に急激な物価の変動があ
つたので、
提供者間の公平を保つために、右の二
地域における
現地通貨については左の期間に区分して
評価基準を定めることが妥当と思われる。なお関東州の時期区分については、昭和二十年十二月三十一日によ
つて区分することについては少数の異論があつたということによりまして、ここに表示されておりますように、別表の
満州と関東州につきましてだけは、
借入金提供時期というところにそれぞれ二つに時期が区分してございます。この趣旨は、この
借入の件数をグラフで書いて見ますと、
満州につきましては、先ほども申上げましたように、時期が昭和二十年の九月から昭和二十三年の七月まででありまして、最初の山が二十一年の六月に来ております。ずつと七月、八月、九月と下
つて行きまして、二十一年の一月に十一件、二月に三十一件、三月零というところで谷底まで来ております。それで四月から八十七件、二百二十五件、百四十三件、九百五十件というような形で、二十二年の七月に又ピークがちよつとありましてあとはずつと減
つております。それで二十三年七月の七件というものを以て最終にな
つておるわけであります。ところがこの二つの山がございます場合に、二つの
レートをどこで切るかということは、理論的にも技術的にも甚だ困難な問題でございます。それでできるだけ
現地の人に有利であるためには、ピークの谷間までは前のほうにくつつけるということのほうが最も公平ではなかろうかという意見になりまして、二十二年の三月に谷間があ
つて而もそこが零であるというところをとりまして、ここに書いてあるような区分になされたわけであります。従いまして、この二十一年六月ではじき出されました
交換比率がその年の十二月になりますと、本当はずつと変
つてもよいはずなのであります。ところがそれは同一
通貨で、例えばそれでは七月で切るか八月で切るかということになりますと、八月と九月との人の差が次のピークの人の差ほどあるかというと、それはなかなか困難であります。どうしても事実上
借入が或るところで途絶えたというところまでは前のほうにくつつけるということのほうが実際的であろうということで、このような時期区分が
満州についてなされたわけであります。
朝鮮につきましては殆んど一つのピークで、四月から八月までにピークがございますので、その中間をとりまして
朝鮮はできております。これには問題がございませんが、問題は関東州であります。関東州につきましては、
借入の行われました時期と申しますと、先ず九月の末頃になりまして約六十四口三百五十万円程度の大連日本人奉仕団というものの
借入が十一月まであることにな
つております。これはそのあと杜絶えまして、十二月と一月は
借入金がございませんで、二月から大連の日本人労働組合とそれから関東州庁とで
借入が始
つております。でそれぞれの金額を申しますと、労働組合の金額は九百二十五万円であり、関東州庁の金額は七百三十四万円でございます。ところが労働組合の
借入はその翌年の二月から五月まで続いておりますが、関東州庁の
借入は二月からその翌年の二月まで一年間続いております。その間に六月になりまして、大連の戦時食糧協議会というところの千三百九十万円の
借入、そのうち世話人会が四百七十万円程度、口数にいたしまして五百九十口というものが六月に大連では現われておりまして十月に終
つております。
次に住宅調整協議会というものが七月から
借入を始めまして、百三十八万円程度の
借入金を十月まで行な
つております。それから大連日本人引揚対策協議会というものの
借入金がこの大連では最も多い
借入金でありまして、六千二百五十九万円の
借入金がございますが、それはそのうちの約四千万円程度、三千六百三十二口の
借入金は八月から始
つていると言われております。併し
借入の口数の最も多か
つたのは十月乃至十一月、そういうことであります。それから更にこれはまだ確認されておりませんが、申出のありましたものにつきましては、大連市の建設工事日僑引受
委員会というものの三千万円というものがございます。併しこの金額が
借入金として認定されるかどうかにつきましては現在のところ不明であります。従いましてこの三千万円を抜きにして考えましても、大体大連の
借入の最盛時は口数から言いましても金額から言いましても、二十一年の十月から十一月にかけてということになります。従いまして大連につきましては、先ず先ほど御説明申上げましたプンリシプルから申上げますと、ピークはこの十月から十一月までにピークの大きなものが一つあるというだけで、前のほうは実は小山みたいな形にな
つている、そういうことにな
つている。それで主たる作業は、この十月、十一月の
価値の比較ということに集注されたわけでありまして、これが同じ大連と
満州は陸続きでありながら、
満州との比較が余りにひどいという一つの原因になりましたのは、こういう最盛時の違い、約半年
違つております。この間の最盛時の違いということが主たる原因でございます。その次に違います原因は、ソ連軍隊によりまして完璧な封鎖を受けましたために、大連市に多数の日本人が集ま
つておりましたにもかかわらず、その主要食糧については不足を来たした、
従つて主要食糧は他の価格に比較して上
つていた。その点は原則的には認めなければならないのではないかと思います。それで
満州との差はそこにも出て来たということは言えるだろうと思いますが、その資金の使途が主として主要食糧の供給にありました以上、それでとるということは理論的にはそれほど誤りであるということは勿論言えない問題でありまして、全体の
価値の比較の統一から見ましても主食で比較し、これは高梁も米もと
つておりましたが、米のほうがより有利でありますので、それをと
つて、この時期は別表にありますような十という形にな
つたのであります。それで
委員会といたしましては
諮問事項第五で、
通貨別、
地域別、時期別の円
評価基準についてという諮問に対しましては、ここに書いてある、別表に附いてございます
地域別、
通貨別の
答申案が出まして、それをそつくりそのままこの
法律案に取入れられている次第でございます。
最後に
委員会といたされましては、希望事項を申述べておられます。それは、以上の通り
現地通貨を大邦
通貨に
評価するに当りましては、
現地における
借入最盛時を
評価の時期とした関係もあるので、実際の支払に関する法律の制定の際は、当時の
本邦通貨の
価値と支払時におけるその
価値の変動を考慮して支払金額の決定については
借入金提供者の利益のために何らかの斟酌がなされることが望ましい。即ち返済が遅延したことについては少くとも法定利息の程度の割増を加算して返済することを希望するというような希望条項項を付けております。
御承知のようにこの
審議会は飽くまででも政治的考慮なくして純経済的な立場から
現地通貨と
本邦通貨を結びつける適正な
レートを考えるという建前な
つておりますので、例えば中支が二民十一年の二月、三月、それから
満州が二十一年六月というようなときの円との結びつきを考えましたときに、その当時の円で借りたものと考えて見ますと、それから数年間た
つておる。それでその数年間の支払遅延について何らかの斟酌が望ましいというのがその希望事項の趣旨であります。これに対しまして
大蔵大臣としての提案では、三割の加算をするということでこの
法律案の第四条に、「金額に換算した金額の百分の百三十に相当する金額」というもので、この要望には三割の割増ということで応えたのでございます。でこの三割と申しますのは、大体の
考え方といたしましては終戦後六年、一年間の利息、法定利息五分と考えますと三割になりますが、大体そういつた肚積りでの数字でございます。別に利息というわけではございません、と申しますのは、二十一年の後半期に
借入れをなさつたかたはやつぱり三十もらえますし、初めにお借りなさつたかたも三十もらえるということで利息ということではございませんが、
考え方としてはその心組みで三割の加算をするということになつたわけでございます。で返済の準備に関する法律では御承知の通り第二条に、他の国民負担の公平を勘案して、ということがございまして、それの趣旨がここに書いてあります。一人について五万円で打切る、打切りと申しますか、五万円というふうに提案にあります趣旨はそのようなものでございます。御承知のように性質としてはこの公館
借入金というものは他の在外財産の補償、或いは他の戦災関係の補償とは性質的には違うということは勿論私たちもさように考えておりますが、実際問題といたしましては他の補償事項が未解決であります。現在の国民負担の公平を考えますと、この程度が妥当であろうという政治的な判断で五万円とされたものと私たちは心得ております。で実際問題といたしまして、この表面に五万円と切られましたので表面上はひどく乱暴のように見えますが、実際問題といたしまして、現在ではどれくらいになりますかということを御参考までに申上げたいと存じます。
大体今度の補正予算に組まれます予算額は、私たちの承知いたしておりますところでは八億乃至八億二、三千万円程度になりはしないかと思いますが、その中に五万円までの
借入金の金額は六億八千四百万円でございます。件数にいたしまして十三万五百四件という計算にな
つております。で総件数はどれだけかと申しますと十三万二千八百二件という計算が出て来ております。で殆んど大部分の
人たちはこの三割を加算いたしまして、なお五万円以下である。
従つて五万円で打切られるかたたちというものは、二千二百九十八件、約二千三百件に過ぎないということになるわけであります。それでこの十三万二千八百二件という件数は御承知のように確認が済んだ件数ではございません。確認はまだ正確な数字は手許にございませんが、約六万件程度済んでおります。もう少し済んでいたかと思いますが、そうしまして本年度中に大体確認が済みます件数の予想は全体で十一万程度、約二万程度は来年度に持越されるのじやなかろうかというような情勢でございます。この点につきましてはいずれ外務省のほうからお話があると思いますが、大体幾らかは相当馬力をかけましても残るであろうということにな
つております。併し予算といたしましては、この金額が確認されてもそれに間に合うような予算を一応要求してございます。恐らく予算原案としてはその要求が容れられるものと我々は考えております。
以上のような次第で、我々といたしましては
評価審議会の
答申案に基づいて、それに三割を加算し、五万円を最高限度とするというような方法でこの
法律案の骨子を今度正式に提案されるわけでありますが、先国会では
審議未了になりましたので、今度又改めて提案されるわけでありますが、その際に一つ問題と申しますか、一人当り五万円と切られましたために、何人もが一緒にな
つて一人の名前で確認書を請求している場合にどうなるかということが問題にな
つて来るわけであります。この点につきましては、この
法律案では確認書を一件についてそれを名寄せをいたしましても、一人当り五万円ということにな
つておりますので、確認書が違う人の名前で確認ができる限りにおきましては、それを分解して各人の本当の権利者の名前で確認書が出る限りにおいては当然に払われるのであります。ここに十三万二千八百件と申しました件数が、その場合には一件として計算されておりますので、全体の金額では変りはありませんが、それが細かく分解されてこの二千二百九十八件という五万円を超える部分が幾らか又五万円以下のものに加わ
つて来るということは予想されるのでありますが、予算の点からはそれほどの大きな不足は来たさないであろうという予想であります。それでもし万一それによ
つて不足を来たすような場合は当然法律的の権利がございますので、予算措置はしなければならないのじやないかと私どもは考える次第であります。
以上でかなり長くなりましたが概況の説明を終ります。