○上田
説明員 先般の国会で審議未了になりました在外公館等借入金の返済の実施に関する
法律案につきまして、その要点を
お話申し上げたいと存じます。御承知のようにその前の国会で在外公館の借入金の経済をいたすにつきまして、現地通貨で借入れました借入金を、日本の円に直すのにどういうふうな方法で直すかというための技術的な審議をいたすために、現在通貨の評価基準に関する審議会がつくられたのであります。審議会の答申によりまして、この
法律にいわゆる在外公館等借入金の換算率表というものを別表としてつけてございます。たとえば朝鮮における借入金の提供者の方につきましては、現地通貨といたしまして朝鮮銀行券と、日本銀行券とがございますが、いずれも現地通貨一円五十銭に対して日本通貨一円をやることが妥当である。そういうような審議会の答申を得まして、それをまず換算率の表といたしまして、この
法律案に提示してございます。
借入れの行われました時期は各地区によりまして異な
つておりますが、特に満州地区は終戰後、二十二年から二十三年まで続いておりまして、いつの貨幣価値をそのような形で円に結びつけるかということは、理論的にい
つても
一つの大きな問題であるのでございますが、これはたさんの人が
政府に貸し上げをや
つた、そういう時期をとろう、いわゆる貸し上げの最盛時をとろうということにな
つたのであります。
各地区のわけ方でございますが、これは原則といたしましてその通貨の流通しておる地域が
一つの地域としての経済単位をなすことは原則でございますが、その地区の特殊性にかんがみまして、たとえば同じ朝鮮銀行券でありましても、関東州にある朝鮮銀行券と、朝鮮にある朝鮮銀行券というものは、終戰後は少くともそれぞれの経済単位が分離されている、それぞれ違う経済圏の中にあるという
意味で、地域を別にいたしまして、同様なことが関東州と満州という同じ陸続きでありながら、ソ連の占領した地区と、それから、国民
政府が占領した地区とに政治的に分断されておりましたので、満州中央銀行券の流通する両方の満州と関東州におきましても、なお地域的に別にいたしたわけであります。それから北支における連銀券は、これは異存のないところと存じますが、中支と北支との境は経済的にはなかなかつきがたいのであります。しかし幸いに、行政的に区別が中支
とついておりますので、黄河流域をどつちにつけるかということさえきめれば、大体の地域別はできております。従いまして徐海道地区あるいは蘇准地区を中支に加えることによりまして北支とわける。中支と南支とございますが、同じ儲備券の一本ということで
一つの地域にする。
それから海南島は中南支にもちろん含まれるわけでございます。それからタイ、仏印、そういうような地区が従来のいわゆる借入金の
審査会できめられました通貨の確認証の出ました通貨の流通しておりました地域なんでございます。
法律では、外務省でや
つておられますが、
審査会で認められました借入金の確認証をおもらいにな
つた方に対して一人当りごとに今の換算率で計算いたしまして、それに三割を加算する。いわゆる最盛時をとりますと、それから、現在までに必ずしも六箇年はた
つておりませんけれども、終戰から現在までおおよそ六箇年という
期間の間借入金の返済をや
つておらなか
つたわけであります。たとえばその際に国債に応募なす
つたと考えますと、表面上三分五厘、その他の利子が国債にはつくわけでございます。預金いたしておきましても同様でございますので、利子というわけでもございませんが、現在まで支拂いが遅延しておりますことに対して何らかの考慮を加えてほしい、そういうような審議会の答申も、ございましたので、それを勘案いたしまして、百分の百三十、三割の加算をするということに、第四條に案として提出してございます。従いまして確認証を各人に名寄せいたしまして、一人当りの
金額をこの別表の換算率表で計算いたしまして、それに百分の百三十をかけて、それでその
金額がそのままもらえないで、
同一人について五万円を最高限度にする、そういう案が第四條で
規定されております。これは内地におきまして戰災あるいは未
復員者等のいろいろ
戰争犠牲者の負担の公平というものを考えまして、この
程度が妥当であるということでこういう提案がなされております。拂い方の技術的な点でございますが、今度の補正
予算に私
たちの要求といたしましては、約八億だけの補正
予算を要求してございますが、将来のことも考えまして、八億からあるいは少し出るよう
予算になるかもしれません。八億
程度の
予算が今度の補正
予算で組まれます。ただ確認事務の進行が、これは
あとで外務省の方から
お話になると存じますが、本年度中、来年の三月までに全額が必ずしも済みそうでございません。一部分残るような様子でございます。しかし
予算といたしましては全部
——これは約十三万三千件ということが今の件数で予定されておりますが、未確認を含めて十三万三千件という全体に対しての
予算約八億というものが組まれる予定にな
つております。従いまして本年度の三月までに抑えないときは、それが繰り越されるという形になると存じます。
一つ落しましたが、審議会が現在通貨と内地通貨を結びつけます際のソートのつくり方につきましては、いろいろと困難を感じられたようでありますが、原則を申し上げますと、一応
救済費が使われました食糧費、なかんずく米を基準にと
つて、それで現地はもちろん自由価格でございますので、内地の自由価格をしんしやくいたしまして、両方の比率をと
つた。そのしんしやくの仕方は、終戰後の、二十一年ごろにつきましては、御承知のように日本は米を全部食
つていたわけでは、ございませんので、公定価格で配給されます米が全体の四分、それから
あとの六はやみと申しますか、自由価格と申しますか、何らかの方法で調達したものといたしまして、日本の米の自由価格のウエートを六として、公定価格を四にして計算をいたしてございます。借入れの最盛時の例を申し上げますと、たとえば旧満州国では
昭和二十一年の六月がまず最初の借入れの最盛時にな
つておりますが、その翌年の十一月ころにもう
一つピークがございますので、二つのピークをとることにいたしました。ただ二つのピークをとることにいたしますと、その区切りをどこにつけるかということがたいへん困難な問題であります。幸い旧満州国につきましては、二十二年の三月が一件も件数が、ございませんで、ずつとそこが谷間にな
つておりますから、三月までとそれ以後というふうに区別いたした次第でございます。関東州につきましては、終戰の直後二十年の十月、十一月に借入れがありまして、一時切れて、翌年にな
つて再び始ま
つておりまして、大体十月の終りから十一月にかけて借入れのピークが、ありましたので、原則として翌二十一年の十一月、十二月ごろの関東洲における通貨の円との比較をいたしました。二十年のは満州とほとんど価値は同じであるという答申でございましたので、二十年いつばいとその翌年というふうに、二つの時期に区分した次第でございます。
以上簡単でございますが、この
法律案ができますまでの経過並びに計数につきまして、どういうような方法で考えられたかということを
お話申し上げた次第でございます。