○永井純一郎君 私は
日本社会党を代表いたしまして、本二十六年度予算案に対しまして
反対の
意見を述べるものであります。(
拍手)
先ず私が最初に申上げたいことは、私どもがこの予算案を
審議するに当りまして、国
会議員といたしまして責任の重大なることを痛感してお
つたのであります。それはなぜかと申しますと、この予算の大綱が決定した後におきまして国際情勢並びに国際経済に激変が起きておると思われるからであります。そこで我々予算
委員が当然求めるところのものは、この予算を組むに当
つて、
政府は如何に国際情勢の見通しを付け、又国際経済の変化を予定したかということであります。従
つてこの大前提となるこの問題に対する我々の特に総理に対する答弁の要求は、切実なる而うしてまじめなるものがあ
つたのでありまするが、総理は何らこれに対しては見識も思慮もなく、又誠意さえも認めることができなか
つたのであります。(「そうだ」「その通り」と呼ぶ者あり)というよりも、むしろ
政府はこの
根本の問題につきまして重大なる誤謬を犯しておるがために、答えることができなかつたということが言えるとも思うのであります。(「そうだ」「その通り」と呼ぶ者あり)即ち私は先ずここに本予算案が殆んど
審議の対象となる価値さえもないものであるということを遺憾ながら指摘したいのであります。即ち
政府は去る第九臨時
国会に補正予算を提出いたしたのでありまするが、その際この二十六年度予算はいわゆる十五カ月予算として組んでおつたと見られるのであります。而してそのときの編成
方針といたしまして、即ち本予算編成の前提條件となる国民経済の見通しといたしまして、
政府は、国民所得は大体一割程度増すであろう、物価は而して大体横這いを続けるであろう、従
つて朝鮮動乱の予算面への
影響は外為特別会計以外には直接的にはないであろうといつたようなことを前提として想定いたしまして、そして、この基礎の下に、米価は六千一百円程度、給與は千円上げ、而して価格差補給金は
食糧等に限
つて、できるだけ少くするといつたようなことを本二十六年度予算の
内容とし、この米価と給與を骨格といたしておるのであります。即ちこれらを通ずる
政府の見通しは、朝鮮動乱はあつたけれども、内外の物価の動向は大体動乱前の趨勢をそのまま辿りながら
生産力は増大して行くであろう、従
つて物価水準の不変にもかかわらず国民所得は相当程度増して行くという考えを持
つておつたと思われるのであります。ところが、ここに最も重大なるポイント、物価は大体横這いするであろうという前提が
根本から崩れているのであります。即ち朝鮮事変直後を一〇〇とすれば、予算の大綱が大体きまつた十月が一二四、二月初旬で一四四、今日はすでに一六〇を突破しておるという暴騰振りであるのであります。又予算編成の基本をなしまするところの米価にいたしましても、本予算案ではそのバリテイ指数を一九五として計算をいたしておるのでありまするが、今日すでに二〇〇を遙かに突破いたしまして二三〇にも達しようとしておるのであります。即ち
政府は十五カ月予算編成当時において国連協力予算といつたようなことを言いながら、朝鮮動乱が示唆するところの国際的客観情勢の変化を非常に甘く見過ぎた感が深いのであります。(
拍手)即ち輸入の困難、世界的な軍拡インフレ、中共貿易の杜絶等々、内外情勢のこういう激変に伴いまして、遂にこの十五カ月予算はこの根抵から今やなだれを打
つて崩れつつあると言わなければならないと思います。(「そうだ」と呼ぶ者あり、
拍手)
以上のごとく、
根本的の問題といたしまして、すでに本予算案が
審議の対象となる価値さえもないものと申さなければならないと思うのでありまするけれども、(「ノーノー」と呼ぶ者あり)更に組まれたところの
内容について仔細に
検討いたして見ますると、多くの矛盾と虚偽をさえ含むのであります。私どもの到底賛意を表することのできないものであるのであります。即ち
政府は本年度予算案の特色と称しまして、中心点、重点という四つほどのものを出しておるのであります。その
一つは均衡予算と財政規模の縮小であり、二つは減税と資本の蓄積の点であります。
三つは民生の安定と文教の刷新であり、四つは国内自給度を高めるための
生産の増大、特に
食糧の増産の点であります。(「その通り」と呼ぶ者あり)
第一のこの均衡予算と財政規模の縮小並びに減税の問題は一連の
関係を持つと思われるので、これを一括して
検討をして見ますると、先ず
一般会計の歳出六千五百七十四億円という数字は前年度と殆んど同じ数字であり、何ら財政規模の縮小をしたとは別に言えないと思うのであります。このことは何を意味するかと言えば、今日の情勢下、すでに歳出面において、公共
事業費を初め、財政資金による投資や出資によりまして産業の育成
合理化或いは経済基盤の充実等を図らなければならないのであるし、更には公務員の給與改善或いは社会保障制度
審議会の勧告に基く社会政策費の増加等、必要不可欠のものが多数あることを意味するのであります。従
つて、財政規模の縮小はせずに置いて、一方におきましては減税という公約を果すために減税を相当しなければならないという弱目に
政府は陷つたと見られるのであります。即ちこの二つが両立するはずはないのであります。その証拠には、ここにもおいでになるところの農林、建設、大蔵、安本の四大臣は、この予算編成当時におきまして長い間論争をや
つております。何について論争をやつたかといえば、公共事業か減税かという題を掲げて長い間論争をせられていたようであります。併し
政府は遂にこの問題を解決したと見えまして、この議会に予算案を提出して来ておるのであります。ところが、この解決の内幕を覗いて見ますると他愛もないことでありまして、次のようなごまかしにもひとしいものであつたと思われるのであります。即ち
政府は七百四十億円以上の大幅減税と言
つておるのでありまするが、これには意地悪くも但書を付けております。即ち税法上の減税であります。尤もこのことにつきましては
一般世間のほうがよく承知しておるのでありまして、世間ではこれを水増し政策と称しております。米の供出以来
政府の奥の手といたしまして国民が広く承知しておるところであります。即ち
政府が最初九月に発表いたしました歳出総額は五千九百八十億であ
つたのであります。ところがその後一挙に五百九十四億を増加いたして参りまして、
国会に提出して来ておる額は六千五百七十四億とな
つておるのは御承知のところであります。而うしてその増加の
内容は御承知の通り外為特別会計初め貴金属特別会計等へのいわゆるインベントリー・フアイナンスがその大部分であります。ここでいわゆる均衡予算は一挙にして破れ去りまして、遂に我々の言うところのいわめる超均衡予算となりおおせてしま
つておるのであります。而も一方では右のごとく一挙に約六百億近いところの
経費増を組み込みながら、他方では、地方
選挙が近付いたためかどうかは知りませんが、公約の減税をしなければならぬという羽目に陷
つておるのであります。そこで
政府は遂に歳入に、税金に手を付けたと見られるのであります。即ち当初発表した租税收入よりも約五百六十億円も大きく税收を机の上で見込んだと思われるのであります。即ち五百六十億円を増加して、本
国会に出しました税收は四千四百四十五億という数字を
国会に提出して来るに至
つておるのであります。即ちこれだけ余分に租税收入を増すため、国民所得を水増ししまして辻褄を合せたというに過ぎないのであります。こういう内幕を知りますと、大幅減税も誠に頼りのない單なる水増しであつたと言わなければならないのであります。要するに本年度の予算というものは、財政規模の縮小はなくて他面公約の減税のためにむりやりに国民所得に水増しをやつただけの、全く
事務上の計数いじりに終
つておると言わざるを得ないのであります。(
拍手、「縮小されておる」と呼ぶ者あり)
次に第二の点であるところの資本の蓄積と民生の安定の問題について見てみまするに、蔵相は財政演説においても資本の蓄積について力説しておられるのである。それはそれでよろしいといたしまして、問題は、
政府の意図している資本の蓄積は單に法人企業等の大きな資本企業を大体の目標として考えておるに過ぎないと思われるのであります。(
拍手)即ち法人企業の資本蓄積の促進につきましては、積立金課税の
廃止を初め、種々至れり尽せりの厚遇をいたしておるのでありまするが、これに関して
政府は、産業の復興、経済再建のため、国民は徒らに租税の公平理論にのみ囚われるなということを殊更におつかぶせて言
つておるのであります。私どもの考えでは、一方国民
一般の民間資本の蓄積を図ることこそ重要であり、経済
民主化の線にそれこそが沿うものであると考えるのでありますが、(「その通り」と呼ぶ者あり)本予算には僅かばかりの中小企業融資なり農林
漁業への特別融資等の財政資金の供給以外には、何ら中小企業、
農業等に対するその資本蓄積を促進する施策はなく、全く等閑に付されているのであります。(「わからないのだろう」と呼ぶ者あり)これらの大衆企業者の
経営の
合理化等は夢にも考えられない。即ちこれらの大衆企業者の
経営の
合理化は殆んど考えることができないという状態が今日の状態であります。(「もう少し勉強しろ」と呼ぶ者あり、
拍手)而もかくのごとき状態に置きながら徒らに租税の公平理論に囚われることなくなどと申すに至りましては、中小企業者に対する
曾つての暴言や、(「それは社会党だ」と呼ぶ者あり)前
国会において、富者は米を食い、貧者は麦を食
つて、食習慣を古来の風習に返せと言つた(
拍手)あの非近代的な政治感覚、お話にならない古い考え方を、地方
選挙があることでもあるし、表現を変えて言つたものと断ぜざるを得ないのであります。(「それが社会党だ」と呼ぶ者あり)即ち
農民や中小企業者にとりましては、資本の自己蓄積どころか、未だ税が生活費を食い込んでおるのであります。農家に例をと
つて見まするならば、蓄積の源泉はいわゆる農家経済の余剰に求められるのでありまするが、この余剰から租税公課が支拂われ、その残余が純蓄積分として順次蓄積されて行きまして、家畜や優良農機具或いは土地
改良等にも投資され、
合理化生産、拡大再
生産へと進むことになるのでありますが、今日の農家経済收支の状況は、
政府のデフレ政策の重圧を受けまして二十四年度から急激に悪化いたしまして、一万四百円の赤字となり、二十五年度はこれを更に大幅に上廻ろうとしておるのであります。このことが、如何に農家の資本蓄積が困難であるかというよりは、むしろ不可能であることを示しておると思うのであります。中小企業者又これと揆を一にしておるのであります。而して
政府は資本の蓄積と民生の安定とを大きな看板として掲げておりますが、この看板には僞わりがあると言わざるを得ないと思うのであります。(
拍手)
政府の施策におきましては、この資本の蓄積と民生の安定、国民生活の確保の二つを両立させることは不可能であります。否むしろ卒直に申し上げて、国民勤労大衆の生活を犠牲にするにあらざれば
政府の意図する資本家の資本の蓄積はできないという結果になると思うのであります。(「その通りだ」と呼ぶ者あり)即ち、すでに、現に国税、地方税を通じてかくのごとき一方的資本の蓄積が強行されつつある今日であります。即ち昨今、町や村に
諸君が行かれて見ましても、税務署や庁県の税務課の差押え用のトラックが走り、
農民や中小企業者の心胆を寒からしめておるのであります。心ある人々をして悪政の世の中かなと歎かせており、他面、徒らに共産主義者の活動を容易ならしめて、総理が如何に力を入れて日米防衛協定を作
つて御覧にな
つても、肝腎の祖国の防衛線は足下からごうこうと言をたてて崩れつつあるということに気付かないとすれば、誠に愚の骨頂と申さなければならないと思うのであります。(
拍手)
次に、第三の特色として掲げられておるものは文教の刷新であります。言うまでもなく今日平和国家建設を願う
我が国によりまして、この教育の問題が最も重大な意義を有するものであることは勿論であります。従
つてこの教職に従事する教職員の待遇の改善、生、活の安定、これを図ることが刻下喫緊の要務である。(「社会党内閣は何をやつた」と呼ぶ者あり)従
つてこれと
関連いたしまして
地方財政平衡交付金が
委員会におきましても最も重要な論議の中心をなしたのであります。(「社会党何をやつた」「木村黙れ」と呼ぶ者あり)即ちこの
地方財政平衡交付金において、教職員初め
地方公務員の給與改善、年未手当
関係費用の見積りにおいて、
政府案と地財委案との間に大きな食い違いがあります。而してこの食い違いの原因には二つあるのであります。それは新規増加人員数の違いと
引上げ單価の算定方法の違いであります。後者の
引上げ單価の算定につきましても、若しこれに誤まりを犯しまするときには、実際上待遇改善ができなくなり、文教刷新上重大なる
支障を来たすこととなるのであります。(「その通り」と呼ぶ者あり)即ち、実際上待遇改善をなさんとすれば、職種別の実支給額を基礎といたしまして、教職員の場合であれば格付基準の改訂による増加分を加え、更にこれを七九八一べースに基く新俸給表に切り替えて、
引上げ單価を出すべきであるのに、
政府はただ旧給與に一律に千円を加えたものを算定の基礎とするといつたような、実に杜撰極まる計算をいたしておるのである。(「余り悲しい声を出すな」と呼ぶ者あり)又五十億も大きく開いておりまするところの年末手当のごときは、全く
政府でこれを見る気持がなく、窮屈な
地方財政に全く押し付けているといつた投げやりな大蔵省の態度が見えるのであります。このような結果が結局どういうことになるかと申上げますると、今日各府県の二十六年度当初予算はすでに編成されておるのであるが、それによれば到底給與の改訂などは不可能であ
つて、究極のところ、人員を
整理するか、府県の事業を縮小するか、或いは給與の改善をやらないか、これらのいずれかになる虞れがあるという由々しい事態を引き起しているのであります。すでに一部の府県におきましては、この府県の二十六年度の当初予算をめぐ
つてごたごたを起している実情であります。
更に、文教の刷新、文教政策上重大な問題は義務教育についてでありまするが、憲法はその二十六條に義務教育は無償とするという
規定をしておるのでありまするが、尤も現
政府のごとく、平和憲法の中心をなすところの戰争放棄であるとか非武装といつたようなこういう條項についてもはつきりしないくらいであるから、憲法に義務教育について無償と
規定しておりましても、これを少しも尊重しないのかも知れませんが、少くともこの
規定を尊重するといたしますならば、教科書代であるとか、教材費くらいは国庫が当然全部
負担するとしなければならないと思うのであります。(「社会党は何もや
つてないじやないか」と呼ぶ者あり)ところが僅か一年生の教科書の一部を見るに過ぎないのに、これを蔵相のごとく如何にも手柄顔に吹聴されますのは、むしろ我々には奇異の感に打たれるのであります。(「社会党内閣は何をしたか」「それよりいいじやないか」と呼ぶ者あり)又六三建築費にいたしましても前年より二億の減という始末である。今日の六三制
実施の状況は、二部授業、三部授業、甚だしきは馬小屋教室まである実情であります。ために不就学児童の増加を来たしまして、延いて青少年の不良化を来たしている悲しむべき実情であります。(「社会党は何をした」「黙れ」「うるさいわね」と呼ぶ者あり、その他
発言する者多し)然るに
政府はこの義務教育に対して殆んど熱意を持
つておらないのであります。第四番目の特色として、
政府は国内自給度を高めるための
生産の増大、特に
食糧の増産を語
つておるのであります。即ち終始一貫いたしまして
政府がと
つておるところの
政府は消極政策に陷
つておるのでありますが、この
政府が二十六年度における唯一の積極政策であると言
つて宣伝をしておるのがこの
食糧増産
対策であります。(「そうだ」「
農林大臣はどうした」と呼ぶ者あり)そうして仔細にこれを
検討して見ると、むしろこれも單なる
一つの彌縫策と言わざるを得ないのであります。即ち
食糧増産政策には二つの方法が考えられる。
一つは価格政策によ
つて拡大再
生産を図る方法であり、他の
一つは国やその他のものが資本を直接
生産に投入してやるという方法であります。ところが
政府はこれらの前審の価格政策による方法につきましては全然これを抛擲いたしまして、今日まで終始低米価政策をと
つて来ておるのでありまして、
〔副
議長退席、
議長着席〕
従
つて後者の国等が直接資本を
生産に投入してやるという方法をとるものと考えられるのでありますが、これにつきましても、例えば公共
事業費等は僅かばかり廻しておる。これは
昭和二十一年、二十二年、二十三年、二十四年等において公共
事業費に占めた
農業費の比率を遙かに下廻るという程度に過ぎないのであります。又
一般の増産の
経費にいたしましても、今日増産のためには最も肝腎と思われるところの秋落ち
対策の費用は一文も組んでおらないというような手落ちをいたしておるのであります。又農林
漁業資金特別融通にいたしましても、相当の高い利子で、
農民がこれをどういうふうに受入れるか、もう一歩進めて、
農民がこれに手が届き得る融資の
対策を立てる必要を痛感せざるを得ないのであります。
このように考えて見ますると、
政府が本年度における唯一の積極政策と称する
食糧増産も、どうやらこれは幾ばくかは増しておりますけれども、結局それもまあまあというところの数字でありまして、これは結局のところは自由党
政府の看板娘といいますか、廣川農相の顔を立てなくちやならないという程度の、(笑声)どうしても極く真險味を欠いたところの、全くの彌縫策を見られるのであります。(「何を言
つてるんだ」「時間々々」と呼ぶ者あり)
以上のごとく、本予算案の
内容につきまして最も重点と思われるところの財政規模の縮少の点と減税、資本の蓄積と民生の安定の問額、文教の刷新、
食糧の増産等、そのいずれをつかまえて
検討して見ましても、(「社会党にはできない」と呼ぶ者あり)実質的
検討をして見ますれば、いずれも満足すべきものはないのであります。ただ徒らに目に付くのは、通貨安定の消極的な線が目に付くだけであります。今日の情勢下にある予算としては何といたしましても寸足らずの脆弱さを感ぜざるを得ないのでありまするが、(「寸足らずの演説だ」と呼ぶ者あり)又同時にこれとは
反対の矛盾をも感ずるところの、即ち国民の側から言えば非常な不安を伴つた予算でもあると言わなければならないと思うのであります。即ち
一般会計では超均衡的予算であるのに、総合予算から見てみますると、見返勘定における経済再建費の七百五十四億円を初めとして、資金運用部の余裕金やインベントリー・フアイナンス等々、およそ二千億近いところの予備的な
経費が存在するのであります。これは前年度においては債務償還費がこういう予備的な役割を果して、警察予備隊、海上保安庁等の
経費に移用されたのは御承知の通りでありまするが、本年度も又このような不
生産的支出が行われるのであれば、そこには又相当のインフレ要因が内在するということとなり、我々国民といたしましては予盾と不安を感ぜざるを得ない予算であると言わなければならないのであります。ここにおいて私どもは、かくのごとき予算の組み方には真向から
反対せざるを得ないのであります。即ち私どもは、今日の情勢下においては、平和と国民生活を確保するための積極性ある予算に
根本的に組み替えるべきものであると考えるのであります。(
拍手)
即ち今日の場合、大衆の苦しい血税で賄うインベントリー・フアイナンスは
廃止し、輸入促進の方法は他に求むべきであるし、又農林
漁業特別融資、住宅金融公庫、国鉄車輌増産のための貸付、輸出銀行の出資等々は、見返資金から出せるでありましようし、又予備隊費等は終戰処理費から工面ができるでありましよう。(
拍手)このような工夫をいたしますれば忽ち千億程度の
財源は出て来ると思うのであります。(「時間だ」と呼ぶ者あり)これで六・三制の完全
実施、給與改善、
農業対策、中小企業の振興
対策、
地方財政平衡交付金
対策等、相当今日の情勢に適合した平和と国民生活
維持の合理的且つ積極的な予算の編成ができると考えるものであります。(
拍手)
これを要しまするに、
政府の二十六年度予算案を概括して一口に言うならば、これを貫く
一つの
原則は上に厚く下に薄いものであると言えるのであります。即ち最初に申上げました通り、本予算案の骨格は、労働者
農民を踏み台とするところの低米価であり、低賃金であり、又中小企業者を犠牲とするところの集中
生産方式の採用であります。我々労働者、
農民、中小企業者等、働く勤労大衆が占領下の苦しさに堪えて、忍びがたきも忍んで来たのは、いわゆる経済
民主化を達成しようと思い、且つこれを達成することができると思つたからであります。(「
選挙演説だ」と呼ぶ者あり)即ち講和の曉には、我々のみずからの手によ
つて作り出される
我が国の経済社会は、都市におきましては中小企業者と多くの中小の株主であり、(「街頭でやれ」と呼ぶ者あり)地方におきましては自作の
耕作農民が中心とな
つて経済社会が構成され、従
つて国家の経済諸政策の根幹は、これらの(「時間だ」と呼ぶ者あり)人々を中心として、
我が国の産業経済の発展、貿易の伸張を図ることでなければならないと考えておる次第であります。(「常識がない」と呼ぶ者あり)然るに何ぞ、
政府は経済の復興が順次行われるや、これに便乗いたしまして、全く経済
民主化と逆行して今や進まんとしておるのであります。即ちすでに
農地改革については前年ポ政令で以て
農地の譲渡並びに価格につきまして逆行の線を辿
つております。又昨今は、
政府は独禁法の緩和等について極力努力しつつあるところを見ても明らかでありますと共に、
政府が経済政策の基本として昨今作り上げましたところの経済自立計画のごときは、明らかに独占形態への移行を意図するものであり、更にこれが進んで近き将来具体化するであろうところの日米経済協力の協力の仕方如何が
政府の反経済
民主化の線を決定的なものとするであろうということを、国民は恐れておるのであります。(
拍手)かくのごとく見ますときには、本二十六年度予算案は明らかに反経済
民主化への一途を辿ろうとしておるものであると見られるのであります。我々が断然これに
反対せざるを得ないところであります。
以上の
理由によりまして、私はここに
日本社会党を代表いたしまして、(「わかつた」と呼ぶ者あり)本予算案の
根本的(「落第だ」と呼ぶ者あり)組替えを要求いたしまして、
反対の
討論とする次第であります。(
拍手)