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参考人(
山崎佐君)
山崎でございます。
弁護士全体の
反対の
理由は今
奥山会長から申上げたので、ただこれについて重複しないように敷衍したいと思います。
先ず第一に申上げたいのは、この
法案を立法し提出しました主な
理由は、
英米法にこういうものがあるからということがかなりこれは重きをなしているように思うのであります。現に最近頻々と
法務府、
最高裁判所その他から
米国へ
視察留学に行かれました
かたがたの話に、向うへ行くと、
日本には
裁判所侮辱制裁の
制度がない、よくそれでや
つて行けるものだとい
つて驚かれるというようなことを
説明して、どうもこれを置かなきやならんと、こういうのであります。それを私は聞きますと、成るほど
英米法ではそういうものがあるということの紹介にはなるが、何故
米国でそういうものを置かなければならなか
つたかということの
説明は遺憾ながら研究して来ないのであります。丁度
米国へ参りますと、百階、二百階の
建物があるということで驚いて報告しますが、何故百階、二百階の
建物があるかということの
理由を視察して究めて来ないのと同じ感がある。私は
英米法のほうは専攻しませんがいささか私の知り得る
ところでは、
英国のほうは
暫らくおきまして、
米国で
裁判所侮辱というものが起りましたのはこうではないかと考えるのであります。御
承知の
通りに、一六二〇年に
英国からオランダに逃げた連中が、初めて新らしい
大陸、即ちアメリカに
メイフラワー号で移
つて行きました。そのときにはこれはよその団体が他へ移る場合にはおのずから
統率者というのが、親分がいて、そうして大勢のものを引率して行くのでありますが、これは全く同じ平等の人が、同じ宗教の下に
米国大陸に行く。その間に何らの
階級の差等も何もないのであります。そこでいよいよ、新
大陸へ移る前に
メイフラワー号の甲板で、上陸したらばこういうことをやろう、ああいうことをやろう、ああいうことをしてはならんといういろいろな、お
互同志の
約束宅まして、そうしてマサチユーセツツへ上陸した。無論その間に
指揮者も何にもない平等なものなのであります。本来が平等なもので建国されたのでありますが、併し誰か
指揮者がなければならんというので、お互に推薦し
合つて、ジヨン・カービツツかが
知事、のちに言えば
知事ですが、
知事という形にな
つて、
指導者にな
つて主権を持
つたのであります。
ところが忽ちにして前に、
約束に厳重ないろいろな条件を
作つて守つたんですけれども、この移民の中にこれに違反する者が出て来る。それでこれをお互に
制裁しなければならん。即ち罰しなければならんということで、これを罰することになりました。即ち
裁判することになるのですけれども、元来が
仲間で同じでありますから、ややもするとこれに反したものがなかなか服しない。丁度同じクラスで誰かが
制裁するのと同じでありまして「何、生意気言うな」「お前何を言うんだ」ということで、これに
制裁を加えなければならんというような
意味合いからして、この
仲間の平安を維持するという
意味合いからして、これに
制裁法というものが考えられた。御
承知の
通り、そのためにかなり
有力者を追放する、或いは忽ちにして二名に死刑を宣告するというような……、
裁判をするには何かお
互同志が静かにこれに服するという
制裁法というものが考えられるのは当然であります。
かくて発達して来たものが、この
米国ではその
裁判の
威信を保つには
侮辱に対する
制裁ということが考えられたので、これは当然である芝思うのであります。
ところが
日本では全くこの
裁判の行き方が違うのであります。建国以来違うのでありまして、
制度といたしましては、
文武天皇のときに制定されました大
宝律、
元正天皇のときに制定されました
養老律にすでに不
応為の罪、即ち、まさになすべから
ざるの罪ということが
規定されてありまして、どういうことを罰するかということは具体的に書いておらない。いわゆる
普通共同生活をするにや
つてはならんものということをやると、不
応為の罪としてこれを罰するという
規定がある。これは
武家政治ができるまで行われました。
武家政治ができてから杜絶えて、明治維新になりまして又不
応為の罪は回復して、御
承知の
通りに新
律綱領にやはりそれが載りました。当時、一例を申しますと、
堕胎がありました。
堕胎はまだ
刑罰に載
つておりませんので、これを罰するか罰しないか
といつう問合せに対しまして、それは不
応為の罪、親が
子供を下すということはまさになすべから
ざるの罪とい
つて、罰しろという太政官の
訓令が出ていろいろらいで、そういうように非常に広く不
応為の罪として出した。これは
改訂律令によ
つて、こういうような法外に拡げた、何を罪するかわからないことを
権力者がや
つてはならんということで、人民が罰せられ
ちやいかんという
意味合いからして、明治六年の
改訂律令ではこれを廃止してしま
つた。それで
王朝時代におきまして、
裁判というものがいわゆる
終戦前の、正月五日の事始め、いわゆる
政治始めには、
裁判の形式でや
つて、それについてこれを
侮辱するものについては、まさになすべからさるの罪ということで、これは非常に道義をやかましくいたしました。併しその頃には
裁判官がたまたまこの即ち
刑罰を誤
つたというときには、大納言、中納言というようなのが免職を受けている例があるほど、一方においては
裁判官の
責任というものを重くしてお
つたのであります。
ところが先ほど申しました
武家政治にあ
つてはどうかというと、今度の
裁判所侮辱制裁は、これは無礼討ちの
制度であると私は思うのです。御
承知の
通りに、平安朝の末期から
鎌倉を通して初めて
武士階級ができて、そうして
武士が
鎌倉時代において政権の中心になりましたときは、これに対して
侮辱を与えたということで、
制裁するよりも、みずからが
武士らしくということで非常に厳重に
責任を持ち、それによ
つて初めて
武士が世の中から尊敬を受けるということに仕向けられてお
つた。それで室町、安土、桃山、
江戸までを通して
武士階級というものが尊敬されたのであります。即ち
一つの力が
威信を保ち得たのは、それはみずからがみずからの
責任を十分に自覚してお
つた。それでありますから花は
桜本人は
武士と言
つて通用するように
なつた。
ところが
武士は
江戸の中期からだんだん堕落しまして、そうして無力にな
つて、なかなか
自分の本来の力を発揮し、
自分が十分に世間から尊敬されるような力がなくな
つてから、考えられたのは無礼討ちであります。無礼討ち、即ち
武士に対して無礼を目する、そうすればその無礼を受けたと思
つた士が、みずからの手によ
つてみずからの判断によ
つて、そうして他を殺しても差支えない、
かくて
武士の
威信を保とうとしたのであります。丁度
裁判官が
裁判所を、七十一条から七十七条の
規定が厳存しておるのに、これを殆んど実際に行わない。
昭和二十三年に鳥取で二件あ
つたというだけでありまして、我々が先ほど
提案理由を拝聴いたしました中に、近来目に余る
法廷闘争なんでありまして、これを頬被りして、そして一面においては
裁判の
威信を保持する。
威信保持のために、その
裁判官が主観的に
侮辱を受けたと思えば、無礼討ちをしてもいいという思想であります。ここにおいて私は、単にこの
法案は
反対というよりも、その思想的において、今日の
民主主義においては、到底許すべから
ざる、賛同することのできない思想的の裏付け、即ち無礼討ちの裏付があるということについて私は
反対するのであります。もしこの無礼討ちともいうべき
裁判所侮辱制裁法が必要であるといつうならば、これに対してもつと厳重な
裁判官責任法というものがなければならん。そうすればある力の
威信がおの、すから保たれると思うのであります。即ち
武士が
武士としてのいろいろな
責任、普通の町民なら許されることでも、
武士には二言がない、嘘を言えば切腹しなければならん、町民なら勘弁を願えるというようなことでも、重い
責任が
規定される。従来
裁判官において
侮辱されても仕方がないような
行為が相当あ
つた。そういうことに対する
責任法というものが立派に立案されて、そうしてそれから初めて
威信が保たれると思うのでありますが、
裁判官の
責任の
制度がなくて、そうして、ただこの
自分に対する
侮辱だけを
制裁して、これで
威信を保とうということは、むしろ私は
威信が保てないじやないかと思うのであります。先ほど例を述べました、
武士という
一つの力、社会上の力の
威信を保
つために、無礼討ちを許した当時には、もう最も
威信のないとき、それでそのために却
つて威信を落した時代であります。で非常にいい例として恐縮ですが申上げたいのは、この丁度寛政十年前後に、
江戸町奉行を十八年もやりました根岸肥前守でありますが、白洲で調べておりましたら、ある非常に兇悪な被告が、いきなり肥前守のすきを窺
つて、この白洲から上へ跳び上
つて、側にあ
つた燭台で、
裁判官根岸肥前守を殴りつけた。肥前守体をかわして、先制してそれを押えた。膝ではさんで背中をきゆつと押えているうちにつかまえた。そうすると、皆が実に武道に達した者だ、さすがは根岸肥前守だ。あの瞬間に体をかわして犯人をつかまえるとは立派だとほめた。それを当時の大老の松平定信、即ち楽翁公ですが、に話した
ところが、楽翁公が、いやしくも
裁判官たるものが被告からさような打込みをかけられるようなすきのあるような
裁判官ではいかんということで、痛く譴責された。遂にそれかりら失脚したとかということが甲子夜話に伝
つておるんです。だから
裁判官の
威信というものは、こういうことが考えられるときが、もうすでに、丁度無礼討ちを考えて、何とか或る力の
威信を保とうと心得たときは、もう
威信が保てなか
つたというのです。だから私はこの
裁判所侮辱制裁法というもので、これで、ここにありまするような
威信を保とうと、それから
威信を侵す
行為を
制裁して行こうということは、この今までの
日本式の考え方から行きますると、これはむしろ本末顛倒ではないかと思うのであります。
かたがたも
つてこの
法案には賛同できないと簡単に
意見を申し上げて置きます。