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1951-03-09 第10回国会 参議院 法務委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年三月九日(金曜日)    午後二時三十分開会   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件派遣議員報告犯罪者予防更生法の一部を改正する  法律案内閣送付)   ―――――――――――――
  2. 鈴木安孝

    委員長(鈴木安孝君) 只今より委員会を開きます。  本日は先般行いました議員派遣中、朝鮮人騒擾事件に関する件につき、派遣議員報告をお願いいたします。
  3. 長谷山行毅

    長谷山行毅君 神戸その他の地におきまする朝鮮人集団暴動事件調査の結果を私から御報告を申上げたいと存じます。  昨年の十一月から十二月にかけまして、神戸その他関西地方朝鮮人集団暴動事件が頻発いたしまして、多数の検挙者を見たのでありまするが、ときあたかも朝鮮におきましては、北鮮軍中共軍の後援を得まして、頽勢を挽回しまして、韓国軍を南方に圧迫して来たときでありますし、而もこれらの事犯は、財産接收反対とか、或いは公務署不法侵入、或いは公務執行妨害等、反権闘争的反抗でありますので、時局下かような事犯の実態を調査いたしまして、事件の真相並びにその原因を明らかにし、且つこれに対しましての検察の当否、並びにその警察制度のありかた等を研究し、同時にこの種の事犯に対する予防鎮圧の政策、資料を見出すことは、極めて緊要なことであり、かような調査によつて今後の治安維持の確保に資せんとするのが、本調査目的であつたのであります。  そこで当法務委員会におきましては、昨年十二月上旬に本国会の劈頭、この朝鮮人騒擾事件を、先に調査承認を得てあります検察、裁判の運営等に関する調査の一環として取上げることの決定を見まして、又院議によつて宮城委員須藤委員、それに私の三議員が実地調査のために現地に派遣さるることになつたのであります。以下派遣議員といたしまして、現地において調査いたしましたところを御報告を申上げたいと思います。  調査地名古屋大津京都神戸の四市で、この四カ所を中心といたしまして、十一月中旬から十二月中旬に発生いたしました朝鮮人暴動事件の真相並びにその原因、及びこれが予防鎮圧検挙のためにとられました地方警察及び検察陣行動調査の主眼として調査いたしたのであります。  先ずこの事件の概要を申上げたいと思いまするが、これは時間の関係もありますので、このお手許に差上げてありまする神戸京都大津名古屋における朝鮮人騒擾事件調査報告書摘録、これをお読み願いまして、これが我々の調査した事実関係でありまするが、更にここに附加えて申上げたいのは、この調査報告に対しまして、私どもが調査したその結果について何か結論的なものをもまとめまして御報告申上げたいと思つたのでありまするが、それに対しまする見解が、委員間に異なるものがありましたので、この摘録には事実だけを書いて御報告した次第でありまして、これに対する見解につきましては、調査委員の各自から申上げて、この委員会において御決定を得たいというふうに相成つた次第であります。  そこで私の、この調査についての結論的な見解を申上げたいと存じまするが、先ず本件の実質的な内容であります。これは各事件の形は、大要これに書いてあるような通りでありまして、そのいずれもが或る行政上の措置を求めようとする陳情とか要求をなすための集団示威行為が阻止せられたために混乱状態を釀し出したごとき外貌を呈しているのでありまするが、これを現地において收集、見聞いたしました諸般の資料に基いて質的に検討いたしますと、以上の各地事件は、いずれも先ず第一に、大部分は北朝鮮政府支持派に属する、いわゆる北鮮系朝鮮人からなるところの集団有機的行動であると思うのであります。即ち団体としての意思と機能とを持つているかのごとくに思われるのであります。  更に第二は、同時再発的と申しますか、則ち十一月中旬から約一カ月の間に、この事件を総括的に御覧になるに便利なようにこういう表をお手許に差上げてありまするが、この一覧表にありますように、各地において殆んど形を同じくするような暴動事件が頻発した点であります。事件の起つたときは十一月中旬から十二月中旬にかけて、即ち朝鮮北鮮軍が勢いを盛り返して、南鮮軍朝鮮の南方に圧迫進攻して来たときでありまして、南鮮に接近するところの日本の重大な関心を呼んだ当時であつたことが明らかであつたのであります。  又第三には、これらの集団行動の態様と申しますか、騒乱の行きかたが、各地事件の動きに極めて多くの類似点共通点が見出せる点であります。即ちその共通性の第一は、多数の者の集団公務署、又は接收建物におきまして、公務員にいろいろな要求を持ち出し、一応の答弁があつても、なお執拗に同一の要求を繰返し、公務員から退去を求められても退去せず、警察官の鎭撫にも耳をかさず、その退去強制に遭うと、怒号したり怒罵、投石、或いは擲る、蹴るというような方法を以て抵抗するというようなやりかたでありまして、これは集団の威力を利用して相手を威迫し、一般の靜謐秩序の破壊は勿論それが犯罪を構成をすることも顧みなかつた様子が、殆んど各事件に共通して見らるるところであるのであります。更に共通点の第二といたしましては、かかる行動の始終は各行動者が初めから予期し、不退去の罪とか、公務執行妨害する罪、これを集団で敢行したのでありまして、これはまさしく現在の制度に対する暴力革命的色彩を持つておる行為であることが窺えるのであります。更に第三といたしましては、本事件を起した集団中には、教師に引率された小学生或いは中学生等学童等を含み、学校教育問題外の、例えば十一月二十日の神戸長田区役所における生活保護法適用、或いは市民税免除要求、或いは同月の二十四日長田警察署における全相福の釈放要求などの集団行為においても、それぞれスクラムを組んで、警察自動車の発進を妨害するのだと激しい行動をなしておる有様でありまして、この学童の参加ということも、これは神戸京都大津名古屋の各事件に共通するところであります。而もその学童の行為は、いずれも非常に果敢でありまして、又相当訓練を受けたと思われるような行動に出ておるのであります。第四といたしましては、この異色ある共通点といたしまして、集団行動に参加した者は、大部分が国際共産主義政治北鮮政府を支持する朝鮮人でありまして、その中には日本共産党員も含まれておつて、これらの者が集団行動指導的地位にあつた事実であります。  次にこれらの集団行動目的でありまするが、何を目的としてなされたものであるかという考察でありまするが、この点につきましては、私の見るところでは、本件朝鮮人集団行動は、いずれも南鮮、北鮮を共産世界政府の傘下に統一しようとするところの北鮮軍暴力革命運動に呼応しまして、民主日本における反共勢力を破砕、撹乱しようとする、いわば北鮮軍尖兵的役割を演ずることにあつたのではないかと思われるのであります。尤もこの点につきましては、各事件はいずれも生活に困窮しておる朝鮮人が、その生活権擁護のために職安鬪争或いは反税闘争等の挙に出たまでのことであつて参加者の中から不退去その他の反則者を、或いは非合法行為者を出すに至つたことも、計画的のものではなくて、或いは警察官の不当な圧迫によつて挑発された、或いは陳情要求に熱中した余りに、少々行過ぎて合法の線を逸脱した者もあつたが、これは決して行動本来の目的じやなかつたのであるというような見解を、私ども派遣議員に陳情する者もあつたのであります。併しながら、例えば名古屋守山事件のごとく、接收建物内に多数の接收反対者が、”我々の会館を死守せよ”というスローガンの下に、或いはマイクを具えていろいろ接收反対アジ演説をしたり、門を閉ざして中に立籠り、接收に対する実力抗争を事前から準備し、又神戸長田区役所事件或いは名古屋県庁事件において見るように、砂利とか目潰し用唐がらし、これは砂をまぜた唐がらしでありまするが、或いは手ごろの梶棍棒を携行して警察官実力行使に備えたというような一、二の例から見ましても、この騒乱事件の結果は、予見された事柄、則ち実力による接收、又は退去強制に対しては砂利とか石、煉瓦等、或いは目潰し用唐がらしを投げたり棍棒で毆つたりしてこれに抵抗しようという計画を以て、その通り実行したものであつて騒乱の結果は決して偶発的なものではなくて、当初からの計画に基いておつたことは明らかに見らるるのであります。又更にこれらのことを裏付けるものとしましては、各騒乱のこの参加者は、地元以外の他の地域から動員された者が極めて多いのであります。十一月二十七日の神戸事件では、検挙者が百九十三名あるのでありまするが、そのうち神戸在住者というのは三十四名に過ぎないので、他の百五十九名という者は他の地区から参じた者で、遠く岡山県からも来ておるのがあるのであります。又十二月一日の大津事件検挙者は四十二名でありまするが、そのうち地元の者は十六名で、他は県下各地から来た者である。かような点等を考察する場合に、これは当初からの計画に基いた暴動行為でなかつたか。そしてかかる暴動行為の非合法の行為目的が、單に生活権擁護のためにする運動にあつたと見ることは、到底理解できないのであります。  次にこれらの事件指導系統と申しますか、さような点についての私の見解を申上げたいと思うのであります。結局本件集団行為の態様がすべて反権闘争的である。組成分子の多くが、世界共産主義北朝鮮政府支持者乃至その同調者である旧朝鮮連盟派の者である。又その高唱放吟するところの革命歌があり、或いは「資本主義の犬奴三年後には人民裁判にかけて殺してやる」などと、警備の警察官等に怒鳴つておるのでありまして、又神戸において九月十五日には地下工作隊の一齊検挙があつたのでありまするが、この地下工作隊革命運動方法等についてはいろいろの点があるのでありまして、この点を申上げたいと思いますが、これはこの特別工作隊というのは、一昨年の九月に民主青年同盟が解散せられまして、左翼系朝鮮青年たち活動が一時停頓の状態に陷つておりましたが、これに代るべきところの組織の急速の改変強化を急いでおつたのであります。ところが昨年六月二十五日を境といたしまして、あの朝鮮事変が勃発いたしましてから、在日の朝鮮青年の反帝鬪争にも大きな影響を與えまして、運動方針尖鋭化に拍車をかけたことは、従来のこれらの青年行動から見て明らかに認めらるるところであります。特に”武器の輸送拒否”或いは”帝国主義者の内戰干渉に絶対反対する”等の闘争スローガンは、これは共産党の提唱と相待つて共同闘争の好機を釀成した観があるのであります。そして神戸兵庫県下におきましては、昨年の七月に宝塚、或いは明石、有馬、加印等に、この地方に四つの支部を結成して、兵庫県朝鮮青年戰線委員会と称するものを作り上げ、引続いて各地区の組織拡張に努めた結果、九月十五日に工作隊の一齊検挙に至るまでには、東神戸西神戸を中心とする県下各地に十八カ所の支部結成に成功しておつたのであります。そうしてこの工作隊訓練が、この各支部組織を活用しまして、指令を迅速に徹底せしめ、工作活動の基本的な基盤となつてつたということは、最も注目を要する点であるのであります。  更にこの工作隊目的でありまするが、これは従来の宣伝啓蒙運動の域を脱しなかつた活動方針を急転回いたしまして、祖国の危機に直結する在日鮮人緊急任務を遂行しなければならないという檄を全国に発しまして、その一つとしては、各地域的に拠点を明確に定め、その拠点を中心にして集中的、執拗な工作宣伝を続行すること、二として、各拠点、これは重要工場、鉄道、船舶等でありまするが、これらの経営を中心に、これに対する特別対策委員等を設置いたしまして、特別工作隊活動を容易ならしめること、三として、これらの活動は広く日本人大衆及び日本人労働組合組織員に滲透せしめ、協力を得ること。四といたしまして、以上の工作を主観的な満足で足ることなく、各労組の日常闘争に結びつけて、経済闘争を通じた政治的闘争に高めることに留意すること等の基本方針の下に、当面の任務を遂行するためには全国的な工作活動を展開するよう意図していたことは、これは工作隊齊検挙の際に押收された、祖国解放戰争在日朝鮮青年の当面する緊急任務と題する証拠書類によつて明らかにされているのであります。  更にこの工作隊の形態でありますが、この工作隊基本的構成形態としては、一つとして既存の青年大衆団体、例えば青年会朝鮮青年戰線等組織を活用して、地方の状況に応じ、県、地域別に当面の工作拠点を目標として、工作実習を通じ訓練を行うこととし、訓練生訓練終了と共に後続訓練生を入所せしむるよう努力し、大衆組織に対する訓練必要性を徹底せしむることにより、年齢三十歳未満の青年は、進んで参加することを義務とするまでに向上せしむる。三として、右訓練を続行することによつて大衆組織員工作隊訓練を一通り完了し、事態に即応して随所に工作活動を展開でき得る対策を講ずることを究極の目的とすること等の指導方針を決定いたしまして、兵庫県におきましては八月十日より訓練に着手したのであります。そうして八月十日から十日間を第一期と定めて、これを西神戸朝鮮人小学校で行い、八月二十日から二十七日までを第二期として東神戸朝鮮人小学校で行い、又二十八日から九月の三日まで第三期生の訓練期間として、その訓練を実施したのでありまするが、第一期生が十名、第二期生が十五名、第三期生が二十二名、計四十七名の訓練を終了して、更に第四期の訓練に着手しておつたのであります。そうしてこれらの工作実習中及び訓練終了後に反戰ビラを撒布して、神戸市内だけでも八カ所に約一万五、六千のさようなビラを撒布した。現行犯として検挙せられた者が二十八名に上つておるのであります。更にこの構成を見ますると、一齊検挙の際に、工作隊員名簿並びにその編成表というものが押收されておりますが、これによりますれば、姫路、明石、赤穂、尼崎、伊丹等県下各地から訓練に参集しておりまして、第三期生の訓練終了と同時に、前から終了しておる者を合しまして中隊を編成し、更に今度は中隊を分けまして小隊、班等を編成して、各班二名乃至三名を基準単位として、八月の中旬頃から連日のごとく各所にビラ活動或いは家庭訪問等を行なつていた模様のごとくでありまして、県下工作拠点は、神戸港湾労働者川崎造船神戸製鋼をはじめ、阪神の重要工場に至る各施設を網羅しておつたのであります。而うしてこれらの工作隊員のうち九名の者は、十一月二十七日の神戸事件検挙されておるのでありまして、これらの点を見ましても、彼らがこの種の暴動事件指導的役割を演じておつたことが推測され得るのであります。  更にこの工作隊と関連した問題として、昨年の九月九日に東神戸小学校の一齊検索を実施した際に、共産党の四百十五号という指令が押收されておるが、これは党の中央指導部よりの府県委宛の指令でありまするが、これには朝鮮問題は日本革命の主要な一環であるから、本件を繞る朝鮮人活動には、各組織においてあらゆる協力をせねばならないと同時に、朝鮮人自身独善的鬪争に陷ることなく、日共の指導下活動する基本線を速かに決定して、一致した鬪争に起ち上らねばならないという内容のことが記載されてあるのであります。これらによつても推測されるように、朝鮮人急進分子焦燥感による破壊行動が、この日共の指導部と合体いたしまして、明石、神戸、或いは尼崎等の各所に転々と移動して、秘密裡訓練を続行しておつたような模様でありまして、これらの工作隊員という者は、今回の集団陳情騒擾等にはいろいろのところに、時と更に所の如何を問わず、目標に向つて参集して、常に戰端を発しておつたことが推測されるのであります。かような事情と当時の社会情勢を考え合わせますとき、これらの集団行動のあつた昨年の十一月、十二月の頃は、民主主義国家群共産主義国家群との冷戰の酣であり、その国際外交もしばしば危局に立つて、いつ砲火の戰に突入するかも知れないという情勢の下に、国際共産主義北朝鮮政府軍が、反共民主主義の大韓国をその治下に統一するため、中共軍の援けを得て、武力によつて再び三十八度線を越えて南鮮に侵攻していたときでもあり、又日本共産党幹部員の八氏が地下に潜入、長きに亘つて消息が明らかにされないために、いろいろの何らかの牽連がないか、何か政治的な変革を企図する策謀があつたのじやないかというような不安が流れており、又他面におきましては警察予備隊は、まだ幹部員の任命もなく、隊員の訓練も緒につかないという有様で、これらに敗戰下窮乏生活から来るところの不安感とか焦燥感手伝つて、端的に申上げますれば、人心がかなり動揺しておつた時期でありまするが、かような情勢下に多数の北鮮系朝鮮人集団行動が行われたこと、並びに各事件共産党党員、又はその同調者も参加しており、殊に集団行動を使嗾し、卒先助勢したものとして検挙せられた者にこれらが多かつたことなどを総合して考える場合に、本件において調査の対象といたしました事件は、暴力革命の前哨戰としての権力鬪争的目的を持つたものではなかつたかと見られる点が極めて濃厚なのであります。これを單に生活権擁護目的でやつた集団示威運動に過ぎないものと見ることは、実情に沿わぬ無理な見解ではないかと思われるのであります。これらの事件を通じて、その性格に対する私の見解を結論的に申上げますれば、本件集団行動が以上申上げました通りの実質内容を持つておることから推しまして、本件事件の性格は、要するに民主資本主義政治に反対してこれを共産主義化せんとする暴力革命鬪争の色彩が極めて濃厚であると断ぜざるを得ないのであります。而もこれら一連の暴動事件は、朝鮮動乱における戰況の推移と相呼応する様相を果しておつたと言わざるを得ないと思うのであります。  本件の結論は今後当委員会の決するところに待つわけでありますが、最後に私は現地において見聞したところから感じましたところを申上げますと、共産主義政治は、民主主義国である日本におきましては、性質上実施することを得ないのでありますが、本件事件においては、行動に参加した者の大部分は朝鮮人であるとはいいながら、相当の同調者を得て、政治鬪争を展開し得た事実に対しましては、各種の考察がなされるものと思われるのであります。ただ私はここでは一、二の項目を指摘して御参考に供したいと思うのであります。その第一は、この種の政治鬪争は、二つの思想の世界的な対立抗争の一環でありますから、これが対策は、二つの思想の調和の上にこれを求めるか、或いは共産政治を否定する方向に求めなければならん必然にあるのではないかという点であります。第二は、本件朝鮮人によつてなされたことであるが故に、特に朝鮮人対策が考えられなければならんことであります。現在日本在住朝鮮人は約六十万おるのでありまするが、その大部分は、国内の平和と秩序ある生活を希望して、日本にとどまつた人たちであろうと思われるのでありますが、一部の不良分子破壊行動は、日本の治安に有害であるのみならず、朝鮮人一般に対する日本人の感情を悪化して、善良なる朝鮮人に非常に大きな迷惑を及ぼしておると思われるのであります。かような点から考えましても、これに対する適切な対策を立てる必要があろうと考えられるのであります。  本件のような集団行為を今後防遏する方法は、法の許容する範囲におきまして、第三国人の権益を害することなき行政措置を講じて、いやしくも不当な待遇をなすことのないように留意すべきは言うまでもないことではありまするが、政治革命の手段として非合法の行動をなす者に備えるためには、治安維持のためにする警察の制度、施設の整備、充実が喫緊事であり、又特別の行政措置として、外国人登録令による本国送還の手続を、時期を失うことなく励行することが有効適切であるのではないかと思われます。この本国送還の措置は、日本人の人口、資源、政治、経済上の現状から見ましても、又騒擾事件のごとく、少数の指導者の煽動、指令によつて釀し出される集団の反法行為は、これらの指導者を去れば、発生の源がなくなるという見地からいたしましても、得るところの効果が極めて大きいものと思われるのであります。なお思想の自由を名として、その宣伝のためにする手段の非合法を正当化しようとする考え方は、国法上許されんところでありますから、違法の行為をなす者に対しましては警察検察の職にある人々の、法の運営は飽くまでも嚴正なることを要し、その意味では第三国人と区別すべきではないのでありまするが、事情に慣れぬ人々に対しましては、特に事理の理解を容易ならしめるために、細心な注意と誠実な応接態度が必要であり、誤解や無理解から生ずる紛争を避けることを特に心掛けるべきであると思うのであります。以上を以て私の報告並びにこの事件に関する私の見解を申上げた次第であります。
  4. 須藤五郎

    須藤五郎君 朝鮮人の問題につきまして長谷山委員宮城委員、私と三人が名古屋から神戸のほうに調査に参りまして、その結果、一つ意見がまとまれば、それに越したことはないと思つて参りましたが、三人が三様の、三通り意見が出まして、一つ意見が出せなかつたということは非常に残念なことだと思うのです。この一つの同じ問題をつかまえて一つ意見が出なかつたということが、即ちこの事件の非常な複雑な点だろうと思います。私は今同僚長谷山さんの話を伺つておりまして、長谷山検事の論告を聞いておるような気がしましたのですが、今度は私が須藤弁護士のような立場をすることになると思いますが、一つお聞き願いたいと思うのです。それは只今長谷山さんのおつしやつたことに一々私は反駁をして、討論をしようという意思は毛頭持つておりませんが、これに関しまして私の所信を述べたいと思います。従つて長谷山さんの意見大分違つたところは出るとは思いますが、御了承願いたいと思うのです。  今長谷山さんの話を伺つておりますと、大体検察庁側、又市警側調査した資料によつて長谷山さんの意見が組立てられておると思うのです。その被告側と言いますか、朝鮮人側、彈圧を受けた側の意見が少しも採択されてなかつたということが、一つ私は残念に思う点であり、又今裁判が続行中であり、検察庁側のはつきりした意見もまだ確定されていない今日の段階におきまして、検察庁側意見を主として採択されたということに対しましては、私は非常に遺憾に存ずるものなんです。私は今度の事件を率直に申しますと、長谷山さんの先ほどの、この事件起りはやはり朝鮮人生活の問題だと、それが起りのように長谷山さんもおつしやつたと思いますが、私は徹頭徹尾、これは朝鮮人諸君生活の問題だと、そういうふうに考えるのです。そうして我々は、この調査に出ました目的をいろいろずつと書いて見ますと、今度の事件騒擾罪という性質のものかどうか、單なる公務執行妨害か、或いは騒擾罪とすべきそういう性質のものであるかどうかということの認定をすること、それから今度のことが計画的に準備されてやられたものかどうか、突発的に、偶発的に起つたものかどうかという点、それから今度の名古屋から神戸までの、あの名古屋大津京都神戸と、そこに起つた四つ事件が、統一した組織の指導によつてなされたことかどうかという点、それから皆さんが最も関心を持たれた点は、この事件共産党の指導によつてなされたかどうかというこの四つの点でなかつたかと思うのです。それで私はこの四つの点から少し私の意見を申述べたいと思うのです。  第一の騒擾罪に適したことがあるかどうかと申しますと、私たちは、調査しました名古屋大津京都神戸四つの都市の検察庁におきましても、名古屋は單なる公務執行妨害だと、そういうことを検事長初め検事正も私たちに言つておるのであります。ですから名古屋の問題は單なる建物接收に始つたことで、これは公務執行妨害に過ぎないということを検察庁でも言つておりますが、大津の検事正は、まあ騒擾罪というような言葉を使つておるようですが、併しそれも余り強く表現しておらないのです。それから京都におきましては、これは全然問題にしてない、私たち京都に参りまして、調査に来たということで行つて見ますと、京都には全然朝鮮人事件はありませんよというような返事なんです。何を調査にいらつしやいましたかと、そういう態度で京都検察庁なり市警は我々に臨んだのであります。この言葉で大体京都のことは御了解願えると思うのです。ただ騒擾罪として強く取上げようとしておるのは神戸だけだつたと、そういうふうに私は思います。  それから第二の、これが計画的に準備されたものであるかどうかという点なのでありますが、その一つの理由として、長谷山議員は、同じ形で今度の問題が出て来ておるという点を強く主張をしていらしやるようでありますが、私はそうは思わないのであります。問題は同じ形で現われていた、その最大の原因は何かと言いますと、名古屋から京都、恐らくこれは日本にいる朝鮮人諸君全般の生活の実態が同じであるという点にあると思うのです。どこでも貧しい人たちが若しも要求するとなれば、年末闘争はどこでも起ります。これは日本の労働組合でも、年末になればどこの組合でも生活擁護の立場から越冬資金を要求する運動は起つて来るのであります。朝鮮人生活は、戰後からだんだん苦しくなつて、今はもう非常な苦しい立場に置かれておるのであります。その朝鮮人生活が如何に苦しいかという例はたくさん我々のところに訴えられて来ておりますし、又調査に参りました私たちが、直接向うで話も聞いております。それはこの調査報告書の中にちやんと收められておりますから、私が今短い時間でくどくどと申上げる必要はないと思いますから、御覧を願いたいと思うのでありますが、一つの例をとりますと、戰前、戰争中から戰後三百五十ほどのゴムの工場が神戸にはあつたのです。これは朝鮮人はゴム工業を主としてやつていたのでありますが、最近は大きな資本に圧倒されて、ゴムの値上りやいろいろのことで、だんだんと工場が潰れて、現在は約三十ほどしか残つていない。失業者はどんどんと殖えている。それでまだ写真の材料もありますから、朝鮮人生活の悲惨な写真なども持つて来ておりますから、どうぞあとで御覧下さいましたら、よくわかつて頂けると思うのでありますが、日本人は終戰後ちやんと工場に入つて働くことができたのでありますが、戰争中強制労働を強いられて、朝鮮から否応なしに日本に引張つて来られた朝鮮人が、終戰と同時に工場から放つぽり出されてしまつた。そうして朝鮮人であるがために工場で働くことができなくなつた。そうしてしようことなしにかつぎ屋をやつたり、又密造酒を作つたり、ああいう心にもないことをやつて、細々として皆生活を立てていたのでありますが、これもなかなか困難になつて来た。それから昨年までは朝連というような大きな組織がありまして、その組織の方によりまして相互扶助的なことがなされていたのでありまするが、これも解散をさせられてしまつたためにそういうことが困難になつた。あらゆる点から日本人以上に朝鮮人は今生活が苦しくなつておるのです。その苦しくなつておる、生活の苦しい朝鮮人諸君が、日本各地で同じような年末的な要求をするということは、これは当然だと思うのです。又生活保護法の適用を求めて、各都市で朝鮮人が官庁を訪問するということも、これも当然のことだと思うのです。そういうことが結局スムースに官庁側から受入れられないためにそこで軋轢が起つて来た、それが同じ形で現われて来た。そういうふうに私は考えるのであります。同一形態で現われたという根拠は、私はそこにあると思うのであります。昭和年代に日本に曾て米騒動が起つたと思うのであります。あれは一挙に一升の米が五十銭になつた、そういうことで日本各地に米騒動が起つた。富山に起つて、東京に起つて、大阪、兵庫と、ずつと燎原の火のごとく日本全国にそれが拡まつてしまつた。あれは何も統一した組織の下にああいうことが起つたのではない。而もあの当時は、共産党はまだ日本にはありませんでした。共産党がなくても、そういう状態が国民の中に、生活として起つて来れば、人民というものは皆立上つて来るものなのです。そうしてその立上りかたは、生活状態が同じならば同じ形を以て起つて来るのが、これが人民の姿なんです。その姿を忘れて、同じ形が来たから、これは一つの統一した指導の下に、又組織の下に起つたというふうに断ずることは、私は賛成できないのであります。それから共産党の指導ということがよく言われておるのでありますが、衆議院の調査団は、東京を出発するときに、もうすでに何か結論を持つて調査に出られたような感じがしたのでありますが、共産党は決して今度の朝鮮人の問題に対しまして指導はしていないのであります。私は共産党員でありますが、まだ共産党があれを指導したということを聞いておりません。ただ共産党は常に社会の現象に対しましては深甚の注意を拂つておるのであります。そうして常に人民の立場に立つて、弱い者の立場に立つて戰うのが、これが共産党の使命だと思つております。ですからどういう場合にも、どういう所にでも人民の鬪争が起れば、共産党はそこへ参りまして、その闘争を援助し、激励するということはあり得ることと思いますが、決してこの社会に現われて来るすべての鬪争が、共産党の指導によつてなされているというふうに考えられることも、これも早計だと存じます。私が今まで述べましたことで、大体今度の事件の起つた原因なり、その背後関係ということに関しましては御了解が願えると思うのであります。  それから朝鮮人諸君の立場に立つて皆さんに一応考えて頂きたいと思いますことは、これは曾て日本の植民地であつた朝鮮の諸君も、今日におきましては立派な独立国として、彼たちは誇を持つているという点であります。ところがその朝鮮人諸君に対しまして、今日我々がやはり戰前のごとく、戰争中のごとく、相も変らず植民地朝鮮としての気持がまだ我々の心の中から完全に抜け切つていないということであります。ですから我々は、朝鮮人諸君のやることなすことに対しまして、朝鮮人という、やはり人種的な、民族的な偏見を以て眺めることがあるのではないだろうか。その点も我々はよく反省して、朝鮮人諸君のやることを見てやつて上げて頂きたいと思うのであります。この朝鮮人が独立国になつて、そうして民族的な誇を持つたときに、今度の学校問題などは非常に大きな問題となつて出て来るわけなのであります。独立国の人民であれば、必らず自分の国の国語で、そうして自分たちの自主性の下に子弟の教育、即ち将来の朝鮮を背負つて立つ国民を教育したいという気持を持つことは、これは私は独立国民としては当然のことではなかろうかと思うのであります。日本人が今ブラジルに行つて、サンパウロに三十万の日本人がいる。そのサンパウロにおきまして、日本人がやはり日本人の学校を持つことを主張しているのであります。日本語の新聞を発行し、日本語で教育する学校を持ちたいと言つて主張しております。ところがそれがあちらでは許されないために軋轢がよく起るのであります。我々が遠くここに離れておりまして、ブラジルにいる日本人諸君が、そういう気持を持つことが間違つているかどうか、やはりブラジルにおる日本人が、自分たちの子供を将来又日本に帰したいと思うときに、日本語で、日本人としての文化を教育する学校を持ちたいということは、私は無理のないことではなかろうかと思うのであります。ですからブラジルにおる、又サンラランシスコなりカリフオルニア州にいる我々の同胞のことを考えて、この朝鮮の学校問題も皆さんの良識に訴えたいと思うのであります。朝鮮語で朝鮮の文化を教育する学校を持ちたいと、これは当然のことだと思うのです。ところがそれが許されないというところに朝鮮人の学校問題の常に起る原因だと思うのであります。神戸では一昨年そのために大きな問題が起りました。その後神戸の学校は、便宜的にやはりあの東神、西神という二つの学校が認められて、そうして神戸市の保護によつてその学校が経営されて来た。それが学校の敷地の問題、受継ぎ問題、又それに対する弁償の問題や、いろいろなことが未解決のまま今日までこんがらかつて来て、そうしてそのために朝鮮人の学校の先生たちが非常に生活に困つている。一人の先生が七、八万円も月給の未拂が残つてしまう。そうして先生たち生活に困つて、子供たちが家から一握りずつ米を持つて来て、その米を炊いて喰べることによつて学校の教育を続けているという、こういう悲惨なことが続いていたわけなんです。そこに今度の神戸の学校問題を主とした今度の神戸の問題が起つておる。ですから神戸の問題は、生活保護法の適用を受けに来た、それが素直にうまくやつてもらえないためにあそこまで大きく発展した。それから今申した学校の問題、この二つ原因となつて今度の事件が起つているのであります。生活保護法の問題に関しまして、私は問題の中心であつた長田区の区長さんに実は私は会つて参りました。私たち三人が参りましたときは、区長がいなくて、庶務係のかたに会つたんですが、私はあとから参りまして区長に会いました。私はこの区長の言つたことをそのまま写して参りまして、これを調査報告の中へ実は入れて頂きたいと思いましたが、私一人が参つたために実はこの中に入れられないということで、参考として述べることになりましたので、私はここでその区長との話合いを述べて皆さんに聞いて頂きたいと思うのです。そうして必要があれば一つ区長さんを証人としてここの委員会に喚問して頂きたい。そういうふうに私は希望するものであります。先ず今度の起りは十七日から起つているのであります。十一月の十七日です。そうしてその十七日に朝鮮人諸君が十二、三名、区長は十二、三名来たと言つておりましたが、係の者は二十名ほど来たと言つておりますが、その十二、三名が区長に面会を申込んで参りました。要件は、税金を負けて欲しいということ、それから納税組合を作つてこの税金問題を解決したいから、納税組合を結成したいということ、又生活の実情を調査して欲しい、こういうことを歎願に行つたのであります。そして区長はこれに対しまして同意を與え、調査をしようと言つたところが、それではこれまで溜つているところの延滯料、税金を納めないために溜つた延滯料を負けてもらえないだろうかという話が出ましたので、延滯料の話を今日出されては困る、そういうことを出すならば、この話は白紙にしなければならん、そういうことを返事したと言つておるのであります。併しその前にした申告の再調査をしよう、そして又、その再調査するために必要な資料を出して欲しいということを区長は述べております。それから税務課長のほうへ話をして置くから、そちらで相談をするようにと言つて、その日は穏やかに朝鮮人諸君は帰つておるのであります。それから二十日の日に、今度は十七日に行つた人々と違つた人たちが八十人ほど参つたそうであります。そのときの要求は、生活保護法を即時適用して欲しい、それから市民税を減免して欲しい、それから今日喰べるパンにも我々は事を欠いておるから、パンを與えて欲しい、そういう要求を持つてつたそうであります。で、区長は、それでは八十人も会うのは困るから、お前たちの中から数名の代表を出したらどうだということを言つたら、我々は皆が殆んど代表者として来ているのだから、我々個々の話を聞いて欲しいという要求があつた、それで交渉のために区長は室に閉じ込められた。併し暴言は吐いたが、その日は何ら暴行はされなかつた。そして係員が、常々必要なときには警察に連絡をするようにと係に言つてつたので、自分は警察に呼ぶように言わなかつたのだが、係員が自分の知らんうちに警官を呼んでいた、それで警官がやつて来た、そこで警官とその朝鮮人諸君との間にごたごたがあつたが、区長はこの問題は自分が解決する、自分の責任において解決するから、警官も朝鮮人諸君も、余り騒がないで靜かにして欲しい、お互いに靜かに話合おうじやないか、そして皆帰つてもらいたいということを区長は言つたそうです。それで区長は、今晩喰べられないという気の毒な人があつたために、二千円のポケツト・マネーを出してそうして朝鮮人に與えた、その日は庁内で一人の検束者を出した。ところが不幸なことに、この日数名の検束者が出たのでありますが、庁内では一人だけの検束、あとは全部庁外で検束された。それで区長は早くその検束された人達を帰してやるようにと思つて、その日五時頃警察へ自身が出かけて、全部帰すように頼んだ、併し不幸にも庁内で検束された人だけが警察に残されて、ほかの者は全部その日のうちに帰されたと、区長は言つております。それから二十四日になるのであります。二十四日にも、三つの要求を持つて尋ねておるのでありますが、二十日に受付けた……ここで一つ拔けましたが、その二十日の日に、生活保護法の適用を十六件受付けたと言つております。十六件受付けて、調査の結果、九件採用したといつております。第一の要求は、生活保護法を自分が受付けたけれども、生活保護法がまだ適用されないために、それを一日も早く即刻やつてもらいたいという要求と、それから市民税の減免をしてもらいたい、それから二十日に検束された一人を早く釈放して欲しいということ、この三つの要求を持つてつたのであります。でこのときは、学校の子供が二百名ほど、それに数十名の、三十名ほどですが、大人がついて、この要求を持つてつたので、代表の三名と話をした。で、三名と話している間に、外では二百名ほどの学生が歌を唱つていた。それから再三外の代表が面会を申込んで来て、最後には三十名ほどが上と下で呼応して騒ぐようになつたので、区長は早く引揚げるようにと言つて注意をしたが、なかなかそれを聞かなかつた状態で、そこへ警官が、やはり区長が呼べと言わなかつたそうですが、やはり係官が連絡して、警官がそういう状態のところへ入つて来た。それで区長の部屋に警官が六、七名入り込んだので、区長は命令を出して、早く皆帰るようにといつて、紙へ書いて貼り出したが、退去しなかつたので検束が始つた。そして二十六、七名この日に検束された。でこの日は結局何ら話がまとまらずに、皆が話をまとめることができないで終つた。そして私は、こういう状態で区長は身の危險を感じられたことがありましたかと言つたら、区長は、絶対そんなことはありません、私は区民と親しくしておりますから、そんな身の危險を感じるようなことは絶対ありませんでしたと、こういう話でありました。それから問題になる二十七日になるのでありますが、二十七日にはほうぼうへ歎願書が出ているようであります。警察には、その二十四日に検束された人を帰して欲しいという歎願、又税務署には、税金を負けてくれ、区役所にも又それが来ておるのであります。区役所にはその日十七名ほどやつて来たそうであります。そして私たちは、朝鮮人一万名の朝鮮人を代表して区長にお願いに来た。それで二十四日に検束された人たちを釈放して欲しいためにお願いに来たのだ。そしてあの日は自分たちが悪かつたということをはつきり区長の前に言つておるのであります。二十四日には自分たちが悪かつたから、二十四日の事件を早く解決して下さい。そういう申出があつたので、区長はその十七名のうち十五名を区役所に残し、二名を連れてそして警察へ行つて、署長に面会し、その意向を述べたところが、署長もこれに対して同意を示しておつた。そういう状態のときに電話がかかつて来て、今区役所が襲撃されているという報告があつたので、自分はあわてて区役所へ帰つた。ところが待たしておつた十五名は区役所で靜かに待つてつた。そしてその十五名の言うには、残しておつた代表は区役所へ襲撃して来たのを見て、こういうことをしなければよいのにという意味のことを言つたそうであります。そして区長は、なお、自分はこういうことがあつても、なおこの朝鮮人諸君をよく世話をしようと思つている。面倒を見ようと思つている。そしてこういうことで国外追放というようなことが、区長、あなたは適当なことと思うかどうかという私の質問に対しまして、こういうことは日本人でもよくやることですから、こんなことで国外追放などということは無理なことではないでしようかということを区長は述べておりました。大体当事者であつた区長はこういうふうに話をしておるのであります。そうしてなお私が最近聞いたところによると、金三億という四十幾つになるのですが、検挙されておる人の釈放運動が起つておるようであります。それも神崎郡福崎町駅前に住んでいる金三億ですが、この釈放を朝連の人たち中心になつて行なつておるのでありますが、それに対しまして、その福崎町の警察署長、町長、助役、班長という人たちまでが、釈放運動の歎願書の署名をして、三十名ほどが賛成をして保釈歎願書を出したそうであります。それから助役は、いつでも自分は証人に出廷するというようなことを言つていると、そういう話であります。こういうふうに、決して今度の事件をひどい騒擾罪、乱暴極まることとのみに考えてない人もあるわけであります。又警察のほうからは、その附近の人たちを一々聞きに歩いて、君たちはこの事件からどういうシヨツクを受けたかということを聞き歩いて、それを書類にして提出しております。併し又私たちの聞いておるところによりますと、その日、神戸の騒擾で傷ついたり、警官に追われたりした朝鮮人諸君が、日本人の家やその近所の家に飛び込んで、隠してくれといつて逃げ込んだときに、そこの人たちはそれを喜んで隠して逃がしてくれたそうであります。そういうことは今言うことができない。証人を、この人が隠してくれたということを言うことができないために残念でありますが、單にあのときのシヨツクを受けて、悪いほうだけでなしに、やはり朝鮮人諸君たちにも同情しておるという市民がたくさんあるということをお知り願いたいと思うのであります、まああの騒擾のあつた二十七日の当日の状況におきましても、ちやんとこういうふうに隠して区役所に歎願している、その代表が交渉に行つている留守中に学校に集つた七百から八百名のその人たちの中に、お前たちの代表が交渉に行つているが、代表は全部検束されているぞというデマを流布して、必要以上にあの朝鮮人諸君を刺戟したということであります。これは一つの挑発、いわゆる警察側の挑発と見ることができると思うのであります。それから朝鮮人諸君から訴えられておりますことはたくさんありますが、ここにも書類で参つておりますから、皆さんに御覧願つたらいいのでありますが、あの日、裏門も表門も全部警官によつて包囲されてしまう、その包囲の中で解散を命ぜられて、それで朝鮮人諸君は、こういう包囲の中で解散されて、一人ずつ出て行けば全部検束されるにきまつておるから、自分たちはその検束を避けるためにここを脱出しようというのが彼らの申合せで、そのために手を組んで門を出たのであります。それを警官は行きすごさせて置いて、あとからそれを襲撃して、投石をしたり又あとのほうに、先頭には若い者が立ち、あとのほうに子供や婦人たちがついて脱出したのでありますが、その後ろのほうから婦人、子供を襲撃した。そのために前のほうを歩いていた若い人たちが憤慨して、引返して来て、そうして石の投げ合いや、撲り合いが、始まつたのでありますが、人民というものは、決してみずから進んで暴力行為に決して出るものではありません。これは私たちが常に見るところであります。人民は弱い者であります。ですから常に防禦的な立場に立つ、これが人民の本当の姿であります。如何なるデモの場合にも、如何なるこういう集会の場合にも、それを強権を発動して、実力を発動して彈圧してかかるのは警察官諸君であります。併し人民は決してその彈圧に黙つて羊のごとく屈服するものではないのであります。自分たちの身を護るために、防禦的な立場からそれに反抗する、これが人民の本当の姿です。それを称して暴力革命というふうにおつしやいますけれども、決してそうではないのです。人民はみずからを護るために、その暴力に対して抵抗すると、これがいわゆる暴力革命として伝わるところだと私は思います。決してみずから進んで暴力を振う、そういうことはないのであります。共産党暴力革命計画しているというようなことをよくおつしやいますけれども、共産党はそういうことは考えてないのです。  それから話が長くなるようでありますが、地元民が非常に、地元以外の人がたくさん参加していたということにつきましてもちよつと私は申上げたいと思うのです。それはあの神戸の東神、西神の学校というものは、中学、高等学校なんです。そうすると朝鮮人の学校というものは、そうほうぼうにはありませんので、兵庫県におきましても大体、伊丹、西宮、尼崎、あの方面からあそこに通う。西のほうは姫路附近、加古川、あの附近から神戸の学校に通うわけなんです。ところが二十四日のときに子供や父兄が検束された、それがずつと全県下に伝わりましたために、朝鮮人諸君が心配をして、相当あの学校へ集まる、ですから県内のほうぼうの人たちが、父兄があそこに集まつたということは、そういうことが原因なんであります。  それから工作隊のことに関しまして長くお述べになつたようでありますが、実のところ、残念ながら私は工作隊に対する知識を持つていないのであります。先ほども述べられたことは、全部検察庁調査によつて述べられたことでありまして、私たち調査団が実際にその工作隊の人に会つてそうして聞いたことでも何でもないのであります。今の話は、検察庁の一方的な見解に過ぎないと私たちつております。何だか話を聞いておると、厖大なる組織で、あたかも赤衛軍が建設されておるような印象を受けるのでありますが、そんなものが今日日本にできておるというようなことは到底私たち考えることができないのであります。  それからもう一つ、私は先ほど申上げるのを落した点があるのでありますが、それではなぜあの日、同じ近い日にちに名古屋から神戸までのああいう一連の動きが朝鮮人諸君の中にあつたかということは、一応疑えば疑えることだと思うのでありますが、私はこういうふうに解釈するのです。あれは若しも統一された、そうして或る一つの指導によつてなされたとすれば、随分まずい現われかただと私は思うのです、私はそういうのじやない、あれは偶発的に起つた、併し神戸における朝鮮人がひどい目に会つておるということが新聞に発表されるならば、恐らくその刺戟は日本全国の朝鮮人諸君が受けると思うのであります。ですから大津朝鮮人も、又名古屋朝鮮人諸君もその刺戟によつて、ああ神戸ではこいうことをされておる。怪しからんというふうに考え、又神戸では生活保護法を今要求しておるそうだ、おれたちも苦しい立場にあるから、おれたち要求しようじやないか、そういうように考えることはあり得るかも知れません。私は直接朝鮮人に、どういうことでやつたのかどうか聞いておりませんから、はつきりは申上げられませんが、そういう刺戟によつて同じ行動がずつと広い範囲において起つたということは、一応言えるかとも思いますが、併しそれが裏面的な一つ組織を持つて一つの指導によつてああいうことがなされておるということは、どうも私たちはそういう解釈はできないと思うのであります。それでこれは私は決して共産党の指導によつてでもなし、又一つの統一した組織の下に準備をして計画してなされたものではない。これは大正時代の米騒動が偶発的に全国的に起つたように、やはり朝鮮人諸君の民族性と、それから生活の実態から同じような形でこの暴動が起つたものだと、そういうふうに私は考えるのであります。  それではこれはどういうふうにしたら今後なしに納まるかと申しますと、これは警察力の増強では決して解決しない問題だと思うのであります。若しも警察力を増強する費用があるならば、その費用で日本の失業者を一人でも多く救うために、朝鮮人諸君生活を少しでも楽になるように、むしろそういう方面に金を使うことによつて解決できる。警察力を何万人殖やすといえども、我々人民の生活が今日のごとくますます苦しくなつて行くような状態ならば、こういう行動は常に人民の中から起つて来る。共産党が晝寢をして、共産党員が一人もいなくなつても、なお大正時代の米騒動のごとく、こういう行動日本全国に起つて来るということが言えると思うのであります。ですからそういうことを起さないためには、どうぞ失業者を一人でも少くなるように考えてもらいたい。そうして朝鮮人諸君といえども、戰時中本当に気の毒な目をかけた朝鮮人諸君に対しまして、贖罪的な気持からでも、朝鮮人諸君生活を護つて、保護して上げて頂きたい。そうすることによつて今後こういう問題は起らない。そうして朝鮮人諸君の独立自尊の気持、独立国としての誇を傷つけないように、朝鮮人諸君には大体朝鮮語で、朝鮮の文化と将来の立派な朝鮮人を教育することのできるような自主的な学校を認める。そういう方向に日本政治を持つて行くならば、私はこの問題は再び起らないように解決のできることだ。又これ以外には解決のできないことと私は皆さんの前に意見を述べさして頂きます。
  5. 宮城タマヨ

    ○宮城タマヨ君 もう時間がございませんから、私は端折りますのでございますが、ただ時間がないだけでなく、今度の私は調査団に初めから加わることができませんで、名古屋大津は拔きにいたしまして、漸く京都から加わつたのでございますけれども京都へ参りましたら、先ほどすでに報告がございましたように、京都朝鮮人事件はありませんが、とんでもないというような顔をされましたくらいでございますから、これは円山事件は大層あつたのでございますけれども、私ども調査いたしますその主眼の問題からは外れておりますようでございまして、結局私が加わりましたのは神戸だけでございます。そうして今検事の論告と弁護士の弁護とがございまして、宮城さんは判事の立場だ、判事の立場だと言われまして、私も本当に白紙で何も予備知識なしに参りまして、本当に正しいことを見たいということに努めたのでございます。その結果この一覧表を作つて頂きましたことも、これは皆様がたへの参考にもなりますけれども、大体は私自身の参考にしたいということも随分ございましてこういうものを作つて頂きました。これによつてずつと御覧になりますというと、大抵結論の出ないところ、結論の出るところというところは、おのずからわかつて来ると思つておりますが、起訴されました人々が、円山事件を除きますと、百八十五人ございます。この起訴されましたところの裁判がもう始まつておるようでございますから、おのずとこれは素人の裁判官でなしに、本当の判事が判決されるときに、事柄はやや明瞭になると思つておりますので、私の判決はここに申上げないことでございますし、時間もございませんので省きますけれども、表面に現われましたところは、もうどこまでも朝鮮人生活権の擁護、それから学校問題、教育問題が主になつておりますので、それで問題の指導系統や、全国的の関連というところを御覧になりましても、検察庁も市警の申しておりますことも、非常にはつきりしたことを言つておりません。でございますから正式の裁判によつて、一部分はわかることだと思つておりますが、ただ私が一度も出なかつた問題について一つ附加えて置きたいことは、私の調査団が神戸検察庁でいろいろ調査いたしましたときに、朝鮮人その他日本人も混りまして陳情団がございました。それで二、三十分で二、三人のかたに会おうということになりまして、制限いたしましたところが、時間的にも、人数も、大変長く、大勢参りまして、そうしてもう口々に訴えられましたことなんでございますが、その中で殊に私がとてもびつくりいたしましたことは、市警などの彈圧がひどくて、そうしてその一例を挙げますと、二階から、警察が、二つ三つになるくらいな子供を、窓を破つて二階から放つたということを訴えるのであります。それではその子供はおつこちてどうなつたか、死んだでしようと言うと、いいえ、死なないで生きていると言う。そのほかに警察の暴行の一つといたしまして、子供をおんぶしておる、その背中の子供を棍棒で毆つたというような、実に私ども母の立場に立つております者が、若しこれが本当であつたならば、承知できんというような問題を縷々述べられましたので、どうしてもこの真相を糺さなければならないという思いで、私どもその晩、夜もう日も暮れておりましたけれども、そういう怪我人を扱つたという、あそこは長田区役所朝鮮人町のところの、大橋と申しましたか、大橋診療所に参りましてその真相を聞きましたところが、そういうことは絶対になかつたことがわかつたのでございます。それでそのほかまだ随分あばら骨を棍棒で押されて二、三本折つたというような、哀れな話も訴えておりましたのでございますが、医者の話によりますというと、それらは皆うそだつたのでございます。ところがそういうことから随分針小棒大に朝鮮人がいろいろなことを報告しておるなというふうな感じを受けました。  これは本当に生活に脅やかされており、長い間不遇にあります人たちのこれは常のことでもございますかも知れませんけれども、よほど私は今度の出張でああいう人たち陳情団に会いまして、そうして見ましたことも、私たちのこの心構えに大変役に立つたというようなことを感じたことだつたのでございます。併し今この同じ三人のものを見ましても、成るほど見方によつて、立場によつて、考え方によつて、ものの見方というものは違うものだな、そうしてまあ私たちもものの見かたの違います立場におります一人といたしまて、この一つ一つに反駁したい点もございますけれども、専門の判事さんに任せることにいたしまして私はこれだけにして置きたいと思つております。
  6. 鈴木安孝

    委員長(鈴木安孝君) 只今の御報告に関して御質疑はございませんか……。御質疑はないようですから次に移ります。ちよつと速記をとめて。    〔速記中止〕
  7. 鈴木安孝

    委員長(鈴木安孝君) 速記を始めて。只今の御三人の御報告に対しまして委員会として如何なる決定をするか、最後の決定をしなければならないと思いますが、これは皆さん書類その他をよく御覧下さいまして、次の機会にこの御報告を用いて決定いたしたいと思います。なおこれに対する質疑も次の機会に続行することにいたします。   ―――――――――――――
  8. 鈴木安孝

    委員長(鈴木安孝君) 次に犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案について政府より詳細の説明をお願いしたいと思います。
  9. 齋藤三郎

    ○政府委員(齋藤三郎君) 犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案につきまして逐條御説明を申上げたいと思います。  この改正法律案は、同法の第十條の地方委員会組織を規定しておりまする法律の一部を改正する案でございます。現行法によりますると、地方少年及び地方成人保護委員会というものは、全国八つの各高等裁判所の所在地にございまして、中央の委員会の監督の下に、その管内の刑務所、少年院等から仮出獄及び仮退院の申請がありました際に、それを審理決定いたし、かようにして保護観察に移りました者の保護観察の監督をいたし、本人の成績が極めて悪いという場合には、又それを審理いたして仮出獄を取消す、こういうような機能を以て運営されております。然るところ、この委員会は、現行法によりますると八つの少年、成人の委員会が全国同じように、三人の委員構成され、三人の会議体で決定するようにいたしておりまするが、昨年の四月から、施行法によりますると、この仮出獄、仮退院の許可をいたしまする際に、書類審理で済むような、出発早々、止むを得ずさようなことをいたしておつたのでありますが、昨年の四月一日からは、委員のうちの一人が必ず本人に面接をいたしまして、本人の申立てをよく聞きまして、その他所要の十分なる調査をいたしてこれを審理決定いたすことになつたのでございます。かように本人に面接するということになりますと、一々その施設からその委員会の所在地に対象者を呼ぶということは、到底できかねますので、委員のほうから各施設に参りまして、現在では單なる刑務所内ばかりではございませんで、刑務所の外にありまする作業場、こういうものにも参りまして、本人によく会つて本人の申立て本人の希望等を十分聞いていたしておるのでございます。ところが関東……関東は一部十県でございます。長野、新潟、靜岡、それにいわゆる関東地方を含めまして、一部十県を管轄いたして、他と同様に三人の委員で少年成人共にこの事務をいたしておるのでございますが、事件の件数から申しますと、全国の二割一分強、平均の約二倍近くの事件を処理いたしておりまするし、新潟長野等非常に遠隔の地にも施設がございますので、三人では非常に事務が繁忙でございまして、辛うじて処理をいたしておるような状況でございます。それで来年の四月からは、この三人の委員を関東に限りまして、少年成人共に五人にいたしまして、そしてこの事務を処理して行きたい、かような趣旨でこの改正案を提案いたしたのでございます。なお五人といたしましたのは、会議体でございまするので、四人ではどうもまずいので、奇数を選びまして現在三人のを五人にいたした次第でございます。なおこの改正と即応した予算的な措置も講じて御審議を頂いておるような状況でございます。
  10. 宮城タマヨ

    ○宮城タマヨ君 今まで、去年の一月でございますが、書類審理をしておりましたものを、全部今は面接をなさるとおつしやつたのでございますが、この面接をしておきめ下さるのは一番いいことには違いございませんけれども、非常に煩瑣になりまして、却つて長引く……この処分が長引くというようなことはございませんですかしら。それで伺いたいことは、この受理件数に対して許可率牽はどのくらいになつておりましようか。
  11. 齋藤三郎

    ○政府委員(齋藤三郎君) 面接につきましては、單なる書面審理だけではどうしてもいけない、本人に直接会つて相当の数養のある、又将来出たあとのことを世話なさるかたが直接会つて、十分確信を持つて当る、こういうことが必要であるという理由で、本法において第三十條でございましたか、面接をしなければならないと、こういうようにいたしまして、発足早々手不足の間だけは、昨年の、約半年でありましたか、一昨年の七月から施行になりまして、昨年の三月末までは止むを得ない間だけは面接をしなくてもよろしい、こういう暫定的な措置を講じて、四月からは本法通りにしております。なお地方委員かたが非常に勉強なさいまして、私ども見るところでは、先ず先ずそう遅れているというようなことはないと思つております。又実際の統計の数字からも未済で年末を越しました数が余り多くございませんので、さようなことはないと存じております。なお許可率につきましては、ちよつと統計がございませんので数字は申上げられませんが、極めて少しでございます。又次回に数字のことはよく調べて申上げたいと存じまするが、非常に少うございます。又実際そのやり方につきましては、かようなことをいたしておることを附加えて申上げたいと存じますが、大体法律によりますると、刑期三分の一に達して初めて、仮出獄が許されるという刑法の規定になつております。それをその二月前に刑務所のほうから、あらかじめ本人の成績及び将来の生活設計、その他の所要の事項を書いて地方委員会のほうに提出をしてもらいます。その地方委員会がすぐ本人が帰りたいと言つておるその地方の管轄しております、手足でございますが、保護観察所、そこに廻わしまして、その観察所がその本人の寄留地の近くにあつて、而も適当であると思われる保護施設に依頼しまして、本人の申立てが本当であるかどうか、中には本人が自分の親戚であると申立てても、それを調べて見ると、そうではなくて、先に犯罪を犯したときの仲間であるとか、或いはいかがわしいところであるとかいうこと等もございます。さようなことを十分に観察所から調査をいたしまして、そうして刑期三分の一に到達するまでに観察所のほうからその回答を委員会に提出させる。従いまして、本人が帰りたいということがどの程度まで本当であるか、又元の保護の環境がどの程度になつておるか、どうしても差支えないかということが委員会にわかるわけでございます。それから、更に刑務所のほうから二月前に出しましたもの、二月後の丁度刑期三分の一に達するときまでの、その後の成績、本人の情状、それから本人が仮出獄を希望しているかどうか、及び刑務所長として仮出獄を適当とするかというような書面を出しまして、それを一括いたしまして、即ち委員は所内の成績及び所外の受入態勢がどうなつているかということを十分調査書を以て本人に面接をして本人に十分よく聞いて見る。そうして、そこで一つの心証を得て、それを委員会に帰りまして報告して、それで決定をいたす、かようにいたして、おります。大体仮出獄の数は、この制度が始まるときよりは幾らが少くなつておりまするが、大体同じわけでございます。幾らが少くなつております。この統計でいつておりますと、私はうろおぼえでありますが、感じは間違いございません。なお取消の数はこれは必ずしも、委員会の成績ということだけではないのかも知れないと存じます。それはわかりませんが、併しこの制度が始まります以前の仮出獄の取消数が、約一二、三%でございましたが、昨年末期あたりは七%幾らというような数字になつておりまして、まあ、観察所、地方委員会及び保護司さんのかたがたの非常な御努力によつて何がしが、お役に立つているのではないかと、かように存じております。
  12. 宮城タマヨ

    ○宮城タマヨ君 今のお話はわかりますけれども、それでは引受手がない、仮釈放、仮退院のときにその引受手がないというような、出したいけれども、ないかというような場合でございますね、そのときに委員会は観察所を通して、何かこういうものを引受けてくれる保護司でもないかということをいつも交渉されるわけなんでございますか。調査だけでなしに、そういう場合はどうなつておるのですか。
  13. 齋藤三郎

    ○政府委員(齋藤三郎君) この保護観察の仕事は勿論ただ冷静に客観的に見ているから出すということでなくてむしろ積極的に親が悪くて犯罪を犯したとか、夫婦関係が悪いので、犯罪を犯したというような場合には、積極的にいろいろ御相談に応じて、それをできるだけ改善する、御指摘のような引取手がないという場合にも、できるだけ引取り者を探しまして、そうして、こういう人が出るのだが引受けてもらえるだろうかということで探しまして、そうして、それが成功すれば出したい、又本人が本当にいいのだが、本人はもう大丈夫見込あるのだが、どうしても、家がないという場合には、生活保護の施設を考えるとか、或いはそれも不可能なときは更生緊急保護法が昨年の五月から施行になりました。それによつて更生保護会というものができております。さようなところも考慮いたして、できるだけ本人が更生の道を辿つておる、而も見込があるという者は全部出すようにいたしたい。併し、更生保護の施設が余り十分ではございませんので、まだ遺憾な点がございまするが、それは今後大いに努力いたしたい、かように存じております。
  14. 宮城タマヨ

    ○宮城タマヨ君 実は、この間四国の少年院に参りまして、集団逃走の原因等を調べましたときに、あの初めに四十八人が集団逃走をいたしました一番の首謀者と見られる門田という子が、なぜそういうことを企てたかという原因について委員長の説明するところ及び本人に聞きましたところによりますと、この門田はもう退院できるようになつておりますけれども、引受手がないために、それで本人自身はお赤飯を炊いてもらつて、螢の光を歌つて卒業者として送り出される何回かの子供たちを送つても、自分はその番が来ているのだけれども、ただ引受手がないということで出られないというところに本人が非常に自暴自棄的になつて、どうせ出られないなら飛び出してやろうというような考えを起したというのでございますが、そこで私は委員長に申上げたのでありますけれども、こんなに大勢の保護司が網の目を張つているのに、何かの方法でこの子供をあずかるという人はなかつたのでしようか。その交渉はできたのですかと申したのでございますが、それについては、はつきりした答えを得られなかつたのであります。それは実際問題としたら今おつしやつているようなことが行われていない場合もあるのじやないでございましようか。この点は私は子供の保護の上に大変必要なことじやないか、実際問題といたしまして、と思つております。
  15. 齋藤三郎

    ○政府委員(齋藤三郎君) 只今御指摘の点、誠に大事な点を御指摘頂いたのでございますが、実際私どもも最近地方を廻つて見まして、その間の連絡が十分行つていない。少年院側に言わせますと、観察所はまだ微力であつて頼みに足らんから自分のほうで全部受入先を探しておるというので、確かに長岡の少年院でございましたか、仮退院が二十七名、長岡は最近できた少年院でございますが、二十七名のうちだつた二、三人ぐらいしか観察所の手で行き所を整えられてもらえなかつた。その他は少年院側で自分の力で受入先を探したのだ、さような関係で、受入先がないと少年院のほうからも仮退院なり、退院の申請ができないというようなことを委員長から伺いまして、その点まだ十分連絡が足りない、又観察所の体制も誠にまだ十分でございませんので、手の届かないところもあるということを感じております。今後十分連絡をとつてその点は改善して行きたい。なお陣容の整備面についても十分努力をいたして頂きたいと思つております。
  16. 宮城タマヨ

    ○宮城タマヨ君 保護司が全国にあんなにも、五万人以上も任命されているわけでございますが、それが余り熱がない。本当の意味で今言うようなことを、局長は地方を実際見て廻つていらつしやいますように、本気でないような点がございますということは、結局手当がないということも一つ原因じやないのでございましようか。ほうぼうに参りまして、それは思う存分の働きをして見たいと思うけれども、余り政府も人を馬鹿にしていて、無報酬、無報酬と言つていることは少し受取れないというような声が私どもに聞えて来るのでございますが、如何でございましようか。
  17. 齋藤三郎

    ○政府委員(齋藤三郎君) 私当面の責任者としていろいろなところに参りまして、いつでもその面では被告の立場に立つてお叱りを受けているのでございますが、法律が、保護司の仕事につきまして、明文を以て報酬を與えないということを言つております。これは結局この仕事が社会奉仕の仕事である、報酬目当でない仕事である、そういうことから申しておるのでございます。併し実際にかような現在のような経済情勢において、保護司が一週間に一遍、二週間に一遍、何にももらわないで対象者に会つて相談を受ける場合、場合によつては職業紹介所に行つて頼んでやるとか、その結果を保護観察所に報告をして頂くには相当費用を要しますので、それについてはその実費についてはできるだけこちらから差上げたいと存じまして、一昨年は三十五円の毎月予算でございましたのを、一件について昨年は約七十円にして頂きました。来年度は四月からは百三、四十円に、いろいろのものを含めまして百三、四十円の実費を左上げるということが大体きまるわけでございます。なおそのほかに年額平均五百円の、これは何かといろいろ御苦労をかけるという意味合で、報酬という意味ではございませんで、さような金を差上げておる。それについても増額を要求いたしておりますが、その委員制度がいろいろな人権擁護委員、民生委員といろいろございまして、これも全部おしなべて五百円ということになつておりますが、なかなかその増額が認められないと、それで実費のほうでできるだけ御負担を少くしたいと、かように考えて努力いたしております。なお昨日でございましたか、東京の少年保護観察所で保護司の研究会がございまして、幹部のかたがお集まりになり、私のほうからも、又家庭裁判所等からも係官が出ていろいろ御説明もし、御意見も伺つた際にも、只今のような御意見でございましたが、又あとで、我々も政府から金を一文も報酬をもらつておらんから、こういう勝手なことが言えるのだという感慨を漏らしておられましたが、全くこれらのかたがたは報酬目当でないということで働いて頂いております。なお宮城先生からの今の御指摘で、余り熱心ではないのではないかという点御指摘でございましたが、一応私もこの仕事に入りましてまだ日が至極浅いのでございまして、初めはさようなことも聞きましたし、又さようなことになつているのではないかというふうに私も考えておりました。その後、福島の事件であるとか、京都事件でるとか、いろいろな事件がございまして、関係司令部からもいろいろ御注意がございましたので、選考会の規定も嚴重にいたしまして、弁護士会の会長さんであるとか、その地方の有識者のかたがたにも選考会に入つて頂いて、そこで十分に練つて頂いて、その人を保護司に委嘱するということにいたしまして、熱心なかたに人つて頂けるようにいたしたいと考えておりまするし、又最近私は地方を廻つて見まして、非常にそれが想像しておつた以上にこの人々が一生懸命にやつて頂いておるということを実際に見聞いたしまして、やや安心をいたしておりまするが、併し安心という言葉は取消しますが、その点いささか気が軽くなつたと言いますか、喜んでおりまするが、今後ともそういうふうに一つ十分努力いたしたいと、かように存じております。
  18. 宮城タマヨ

    ○宮城タマヨ君 この保護司が一番面倒なのは報告を書くことなんだそうでございます。実際に観察はしておるけれども、私この報告用紙を見ますと、非常に簡單になつて昔とは違つておりますけれども、併しあれさえも書くのがとても面倒だから、それで保護司の一区画ずつに一人の有給保護司を傭つて頂いて、そうしてそのかたがまとめてそれを書いて下さるというようなことにすれば、非常にこの仕事はスムースに行くのではないかというようなことを、私それこそは極く最近に参りました四国の二カ所でも、高松、高知二カ所でもそういう御意見がございまして、これは是非実行して欲しいという御希望でございましたので、ちよつとそのことを附加えまして、この法律案について伺いますが、この保護委員会が受理しておりまする事件は、成るほど関東地区は一番多うございまして、随分大変だと思いますけれども、併しこれを今関東地区だけを三人の委員を五人にするということは、又次にほかのところが増してくれというような場合に、順々に追いかけられるというようなことはないのですか。この点を私は非常に案じております。近畿も随分事件が多いようでございますが、それから場所的に言えば北海道なんというあの広い地域で三人の委員では、その点随分これは御苦労ではないのですか。四国なんかもそのように伺つておりますけれども、この点は一つ関東地方だけ五人にするということを一つ説明して頂きたいのでございます。
  19. 齋藤三郎

    ○政府委員(齋藤三郎君) 私どもこの予算面を離れまして、率直に希望いたしまするのは、現状においては北海道ももう少し人数を殖やして上げる必要があると存じます。併しながら北海道は御承知のように名誉作業班という刑務所から北海道開発のために毎年三千人ばかり、ここ二、三年続けて送つております、さような事務的件数が多くなつていることと、一つ地域の広い、交通機関が発達していないというような点でありまして、この名誉作業班も来年度は規模が大分縮小されるようにも聞いておりますので、まあ本年度はこの審理に当りまする観察官を若干増員いたしまして、委員のほうは今のままでやつて見て頂いて、その結果もう少し落ちついてから増員のことも考えたい、かように存じております。近畿は件数は相当ございまするが、交通機関が非常に発達しておりまして、殆んど日帰りで行つてつて来れるというところでございますので、これはまあ当分の間は我慢できるのじやないか。その他考えられますのは九州でございまするが、これもまあ一応今のままでやつて見て、どうしてもいけなければ又そのときに考えまするが、差当りこれに続いてすぐ増員を考えるということは現在考えておりませんです。
  20. 宮城タマヨ

    ○宮城タマヨ君 併しこれは五十歩、百歩でございますから、殊にここで法律の一部改正をやつて、関東だけ二人殖やすということはどうでございますかね。もつと強い予算上の措置でもどうしてもということがございますれば何でございますけれども、又次に、又次にということにはなりませんでございますか。
  21. 齋藤三郎

    ○政府委員(齋藤三郎君) すぐこれを引続いてすぐに殖やすというところは現在考えておりませんでございます。大体東京が保護司の数から申しまして、五万三千五百のうち一万六千人の保護司を擁しておりまするし、件数から言いましてもほかのところの大体倍くらいはやつておるのでありまして、これは本当に別格官幣社と言つていいのではないか。その他のところは、そこまでは至つていないので、今後の刑務所の施設の設置状況やら收容状況やらが著しい変更をいたしますれば別でありますけれども、現状においては一応関東だけの増員で、暫らく、今後の情勢が特段に変化すれば別でございまするが、現状においてすぐにこれに追つかけて又変更するということは、考えなくてよろしいのではないかと、かように存じております。
  22. 宮城タマヨ

    ○宮城タマヨ君 すべての者に面接するということは、まあ面接は特定の者にしましても、大体において書類審理ということにして、人数を殖やさないということをお考えになれないのでございますか。
  23. 齋藤三郎

    ○政府委員(齋藤三郎君) やはり施設でない、別箇の人が面接する、而も施設ではわからないようないろいろな材料を掴んで、そして行つて直接本人に会うということが、この保護の始まるきつかけでは非常に大事であると思います。そこでそこがうまく行くということが、本人が又それに何と申しまするか、非常に最初の面接がこの仕事には大事な点であると、かように一年余り面接して頂いている全国の各地委員のがたもそういう感想を持つておられますので、やはりこれは非常に大事な点であると、かように存じております。従いまして面接を抜きにして書面審理だけでやるということは考えたくない、まあそういうことはないのでございましようが、刑務所の立場でおやりになれば、やはり刑務所の都合ということも入るのじやないかという工合に、外部から見られることもございますし、やはり本人の将来の更正の途を指導する、面倒を見て上げる、その人が十分の資料を持つて直接本人に会うということがやはり大事な点であると、かように存じております。
  24. 宮城タマヨ

    ○宮城タマヨ君 その点は大変よくわかるのでございますけれども、実際それは面接するということのいいとは、面接して見て専門家であられる委員かたがそこに面接して、ああこの子はこういうところに頼みたいというので、その委員とすぐ連絡をとつて、丁度外国が委員会を持つて……、まあ適切なところにすぐに出すというような、こういつた血の通いがあるというようなやりかたでしたら、私どもはそれは書類審理よりも面接がいいということを言いますけれども、今のようなやりかたですと、まあ或る程度まではその施設の所長なり、委員長なりの内申によつてそれを坂上げるということも私はそう大した、効果が薄いとは思われないのでございます。でそれはまあ勿論面接に越したことはございませんけれども、今ここで委員を増すなんということになつて、たびたびこの法律の一部改正をやつて行かなければならんということになつたら、随分煩雑なことになるのじやないかと考えたから伺つたのです。
  25. 齋藤三郎

    ○政府委員(齋藤三郎君) 現在中央委員会の職員が数が少いので、十分血の通うように第一線のかた委員会かたとの連絡が不十分な点はあると思います。併しやはり仮釈放パロールをやるということについての面接ということはやはり最初の出発点である。それはやはり省略をしないほうがいいのだとこういうように存じております。その場合の連絡の方法について十分血の通うように研究いたしたいと。かように考えております。
  26. 鈴木安孝

    委員長(鈴木安孝君) 本案の質疑は更に次回に継続いたすことにいたしまして、本日はこの程度で閉じたいと思います。次回は十三日午後一時から開会いたします。これにて散会いたします。    午後四時三十八分散会  出席者は左の通り。    委員長     鈴木 安孝君    理事            伊藤  修君            宮城タマヨ君    委員            長谷山行毅君            山田 佐一君            齋  武雄君            一松 定吉君            羽仁 五郎君            須藤 五郎君   政府委員    中央更生保護委    員会事務局長  齋藤 三郎君   事務局側    常任委員会專門    員       長谷川 宏君