○
須藤五郎君
朝鮮人の問題につきまして
長谷山委員、
宮城委員、私と三人が
名古屋から
神戸のほうに
調査に参りまして、その結果、
一つの
意見がまとまれば、それに越したことはないと思
つて参りましたが、三人が三様の、三
通りの
意見が出まして、
一つの
意見が出せなか
つたということは非常に残念なことだと思うのです。この
一つの同じ問題をつかまえて
一つの
意見が出なか
つたということが、即ちこの
事件の非常な複雑な点だろうと思います。私は今
同僚長谷山さんの話を伺
つておりまして、
長谷山検事の論告を聞いておるような気がしましたのですが、今度は私が
須藤弁護士のような立場をすることになると思いますが、
一つお聞き願いたいと思うのです。それは
只今長谷山さんのおつしや
つたことに一々私は反駁をして、討論をしようという
意思は毛頭持
つておりませんが、これに関しまして私の所信を述べたいと思います。
従つて長谷山さんの
意見と
大分違つたところは出るとは思いますが、御了承願いたいと思うのです。
今
長谷山さんの話を伺
つておりますと、大体
検察庁側、又
市警側の
調査した
資料によ
つて長谷山さんの
意見が組立てられておると思うのです。その
被告側と言いますか、
朝鮮人側、彈圧を受けた側の
意見が少しも採択されてなか
つたということが、
一つ私は残念に思う点であり、又今
裁判が続行中であり、
検察庁側のはつきりした
意見もまだ確定されていない今日の段階におきまして、
検察庁側の
意見を主として採択されたということに対しましては、私は非常に遺憾に存ずるものなんです。私は今度の
事件を率直に申しますと、
長谷山さんの先ほどの、この
事件の
起りはやはり
朝鮮人の
生活の問題だと、それが
起りのように
長谷山さんもおつしや
つたと思いますが、私は徹頭徹尾、これは
朝鮮人諸君の
生活の問題だと、そういうふうに考えるのです。そうして我々は、この
調査に出ました
目的をいろいろずつと書いて見ますと、今度の
事件が
騒擾罪という
性質のものかどうか、單なる
公務執行妨害か、或いは
騒擾罪とすべきそういう
性質のものであるかどうかということの認定をすること、それから今度のことが
計画的に準備されてやられたものかどうか、突発的に、偶発的に起
つたものかどうかという点、それから今度の
名古屋から
神戸までの、あの
名古屋、
大津、
京都、
神戸と、そこに起
つた四つの
事件が、統一した
組織の指導によ
つてなされたことかどうかという点、それから皆さんが最も
関心を持たれた点は、この
事件が
共産党の指導によ
つてなされたかどうかというこの
四つの点でなか
つたかと思うのです。それで私はこの
四つの点から少し私の
意見を申述べたいと思うのです。
第一の
騒擾罪に適したことがあるかどうかと申しますと、私
たちは、
調査しました
名古屋、
大津、
京都、
神戸の
四つの都市の
検察庁におきましても、
名古屋は單なる
公務執行妨害だと、そういうことを
検事長初め検事正も私
たちに言
つておるのであります。ですから
名古屋の問題は單なる
建物の
接收に始
つたことで、これは
公務執行妨害に過ぎないということを
検察庁でも言
つておりますが、
大津の検事正は、まあ
騒擾罪というような言葉を使
つておるようですが、併しそれも余り強く表現しておらないのです。それから
京都におきましては、これは全然問題にしてない、私
たちが
京都に参りまして、
調査に来たということで行
つて見ますと、
京都には全然
朝鮮人の
事件はありませんよというような返事なんです。何を
調査にいらつしやいましたかと、そういう態度で
京都の
検察庁なり市警は我々に臨んだのであります。この言葉で大体
京都のことは御了解願えると思うのです。ただ
騒擾罪として強く取上げようとしておるのは
神戸だけだ
つたと、そういうふうに私は思います。
それから第二の、これが
計画的に準備されたものであるかどうかという点なのでありますが、その
一つの理由として、
長谷山議員は、同じ形で今度の問題が出て来ておるという点を強く主張をしていらしやるようでありますが、私はそうは思わないのであります。問題は同じ形で現われていた、その最大の
原因は何かと言いますと、
名古屋から
京都、恐らくこれは
日本にいる
朝鮮人諸君全般の
生活の実態が同じであるという点にあると思うのです。どこでも貧しい
人たちが若しも
要求するとなれば、年末闘争はどこでも
起ります。これは
日本の労働組合でも、年末になればどこの組合でも
生活擁護の立場から越冬資金を
要求する
運動は起
つて来るのであります。
朝鮮人の
生活は、戰後からだんだん苦しくな
つて、今はもう非常な苦しい立場に置かれておるのであります。その
朝鮮人の
生活が如何に苦しいかという例はたくさん我々のところに訴えられて来ておりますし、又
調査に参りました私
たちが、直接向うで話も聞いております。それはこの
調査報告書の中にちやんと收められておりますから、私が今短い時間でくどくどと申上げる必要はないと思いますから、御覧を願いたいと思うのでありますが、
一つの例をとりますと、戰前、戰争中から戰後三百五十ほどのゴムの工場が
神戸にはあ
つたのです。これは
朝鮮人はゴム工業を主としてや
つていたのでありますが、最近は大きな資本に圧倒されて、ゴムの値上りやいろいろのことで、だんだんと工場が潰れて、現在は約三十ほどしか残
つていない。失業者はどんどんと殖えている。それでまだ写真の材料もありますから、
朝鮮人の
生活の悲惨な写真なども持
つて来ておりますから、どうぞあとで御覧下さいましたら、よくわか
つて頂けると思うのでありますが、
日本人は終戰後ちやんと工場に入
つて働くことができたのでありますが、戰争中強制労働を強いられて、
朝鮮から否応なしに
日本に引張
つて来られた
朝鮮人が、終戰と同時に工場から放つぽり出されてしま
つた。そうして
朝鮮人であるがために工場で働くことができなくな
つた。そうしてしようことなしにかつぎ屋をや
つたり、又密造酒を作
つたり、ああいう心にもないことをや
つて、細々として皆
生活を立てていたのでありますが、これもなかなか困難にな
つて来た。それから昨年までは朝連というような大きな
組織がありまして、その
組織の方によりまして相互扶助的なことがなされていたのでありまするが、これも解散をさせられてしま
つたためにそういうことが困難にな
つた。あらゆる点から
日本人以上に
朝鮮人は今
生活が苦しくな
つておるのです。その苦しくな
つておる、
生活の苦しい
朝鮮人諸君が、
日本各地で同じような年末的な
要求をするということは、これは当然だと思うのです。又
生活保護法の適用を求めて、各都市で
朝鮮人が官庁を訪問するということも、これも当然のことだと思うのです。そういうことが結局スムースに官庁側から受入れられないためにそこで軋轢が起
つて来た、それが同じ形で現われて来た。そういうふうに私は考えるのであります。同一形態で現われたという根拠は、私はそこにあると思うのであります。昭和年代に
日本に曾て米騒動が起
つたと思うのであります。あれは一挙に一升の米が五十銭にな
つた、そういうことで
日本各地に米騒動が起
つた。富山に起
つて、東京に起
つて、大阪、
兵庫と、ずつと燎原の火のごとく
日本全国にそれが拡ま
つてしま
つた。あれは何も統一した
組織の下にああいうことが起
つたのではない。而もあの当時は、
共産党はまだ
日本にはありませんでした。
共産党がなくても、そういう状態が国民の中に、
生活として起
つて来れば、人民というものは皆立上
つて来るものなのです。そうしてその立上り
かたは、
生活状態が同じならば同じ形を以て起
つて来るのが、これが人民の姿なんです。その姿を忘れて、同じ形が来たから、これは
一つの統一した指導の下に、又
組織の下に起
つたというふうに断ずることは、私は賛成できないのであります。それから
共産党の指導ということがよく言われておるのでありますが、衆議院の
調査団は、東京を出発するときに、もうすでに何か結論を持
つて調査に出られたような感じがしたのでありますが、
共産党は決して今度の
朝鮮人の問題に対しまして指導はしていないのであります。私は
共産党員でありますが、まだ
共産党があれを指導したということを聞いておりません。ただ
共産党は常に社会の現象に対しましては深甚の注意を拂
つておるのであります。そうして常に人民の立場に立
つて、弱い者の立場に立
つて戰うのが、これが
共産党の使命だと思
つております。ですからどういう場合にも、どういう所にでも人民の
鬪争が起れば、
共産党はそこへ参りまして、その闘争を援助し、激励するということはあり得ることと思いますが、決してこの社会に現われて来るすべての
鬪争が、
共産党の指導によ
つてなされているというふうに考えられることも、これも早計だと存じます。私が今まで述べましたことで、大体今度の
事件の起
つた原因なり、その背後
関係ということに関しましては御了解が願えると思うのであります。
それから
朝鮮人諸君の立場に立
つて皆さんに一応考えて頂きたいと思いますことは、これは曾て
日本の植民地であ
つた朝鮮の諸君も、今日におきましては立派な独立国として、彼
たちは誇を持
つているという点であります。ところがその
朝鮮人諸君に対しまして、今日我々がやはり戰前のごとく、戰争中のごとく、相も変らず植民地
朝鮮としての気持がまだ我々の心の中から完全に抜け切
つていないということであります。ですから我々は、
朝鮮人諸君のやることなすことに対しまして、
朝鮮人という、やはり人種的な、民族的な偏見を以て眺めることがあるのではないだろうか。その点も我々はよく反省して、
朝鮮人諸君のやることを見てや
つて上げて頂きたいと思うのであります。この
朝鮮人が独立国にな
つて、そうして民族的な誇を持
つたときに、今度の学校問題などは非常に大きな問題とな
つて出て来るわけなのであります。独立国の人民であれば、必らず自分の国の国語で、そうして自分
たちの自主性の下に子弟の教育、即ち将来の
朝鮮を背負
つて立つ国民を教育したいという気持を持つことは、これは私は独立国民としては当然のことではなかろうかと思うのであります。
日本人が今ブラジルに行
つて、サンパウロに三十万の
日本人がいる。そのサンパウロにおきまして、
日本人がやはり
日本人の学校を持つことを主張しているのであります。
日本語の新聞を発行し、
日本語で教育する学校を持ちたいと言
つて主張しております。ところがそれがあちらでは許されないために軋轢がよく起るのであります。我々が遠くここに離れておりまして、ブラジルにいる
日本人諸君が、そういう気持を持つことが間違
つているかどうか、やはりブラジルにおる
日本人が、自分
たちの子供を将来又
日本に帰したいと思うときに、
日本語で、
日本人としての文化を教育する学校を持ちたいということは、私は無理のないことではなかろうかと思うのであります。ですからブラジルにおる、又サンラランシスコなりカリフオルニア州にいる我々の同胞のことを考えて、この
朝鮮の学校問題も皆さんの良識に訴えたいと思うのであります。
朝鮮語で
朝鮮の文化を教育する学校を持ちたいと、これは当然のことだと思うのです。ところがそれが許されないというところに
朝鮮人の学校問題の常に起る
原因だと思うのであります。
神戸では一昨年そのために大きな問題が
起りました。その後
神戸の学校は、便宜的にやはりあの東神、西神という
二つの学校が認められて、そうして
神戸市の保護によ
つてその学校が経営されて来た。それが学校の敷地の問題、受継ぎ問題、又それに対する弁償の問題や、いろいろなことが未解決のまま今日までこんがらか
つて来て、そうしてそのために
朝鮮人の学校の先生
たちが非常に
生活に困
つている。一人の先生が七、八万円も月給の未拂が残
つてしまう。そうして先生
たちは
生活に困
つて、子供
たちが家から一握りずつ米を持
つて来て、その米を炊いて喰べることによ
つて学校の教育を続けているという、こういう悲惨なことが続いていたわけなんです。そこに今度の
神戸の学校問題を主とした今度の
神戸の問題が起
つておる。ですから
神戸の問題は、
生活保護法の適用を受けに来た、それが素直にうまくや
つてもらえないためにあそこまで大きく発展した。それから今申した学校の問題、この
二つが
原因とな
つて今度の
事件が起
つているのであります。
生活保護法の問題に関しまして、私は問題の
中心であ
つた長田区の区長さんに実は私は会
つて参りました。私
たち三人が参りましたときは、区長がいなくて、庶務係の
かたに会
つたんですが、私はあとから参りまして区長に会いました。私はこの区長の言
つたことをそのまま写して参りまして、これを
調査報告の中へ実は入れて頂きたいと思いましたが、私一人が参
つたために実はこの中に入れられないということで、参考として述べることになりましたので、私はここでその区長との話合いを述べて皆さんに聞いて頂きたいと思うのです。そうして必要があれば
一つ区長さんを証人としてここの
委員会に喚問して頂きたい。そういうふうに私は希望するものであります。先ず今度の
起りは十七日から起
つているのであります。十一月の十七日です。そうしてその十七日に
朝鮮人諸君が十二、三名、区長は十二、三名来たと言
つておりましたが、係の者は二十名ほど来たと言
つておりますが、その十二、三名が区長に面会を申込んで参りました。要件は、税金を負けて欲しいということ、それから納税組合を作
つてこの税金問題を解決したいから、納税組合を結成したいということ、又
生活の実情を
調査して欲しい、こういうことを歎願に行
つたのであります。そして区長はこれに対しまして同意を與え、
調査をしようと言
つたところが、それではこれまで溜
つているところの延滯料、税金を納めないために溜
つた延滯料を負けてもらえないだろうかという話が出ましたので、延滯料の話を今日出されては困る、そういうことを出すならば、この話は白紙にしなければならん、そういうことを返事したと言
つておるのであります。併しその前にした申告の再
調査をしよう、そして又、その再
調査するために必要な
資料を出して欲しいということを区長は述べております。それから税務課長のほうへ話をして置くから、そちらで相談をするようにと言
つて、その日は穏やかに
朝鮮人諸君は帰
つておるのであります。それから二十日の日に、今度は十七日に行
つた人々と違
つた人たちが八十人ほど参
つたそうであります。そのときの
要求は、
生活保護法を即時適用して欲しい、それから市民税を減免して欲しい、それから今日喰べるパンにも我々は事を欠いておるから、パンを與えて欲しい、そういう
要求を持
つて行
つたそうであります。で、区長は、それでは八十人も会うのは困るから、お前
たちの中から数名の代表を出したらどうだということを言
つたら、我々は皆が殆んど代表者として来ているのだから、我々個々の話を聞いて欲しいという
要求があ
つた、それで交渉のために区長は室に閉じ込められた。併し暴言は吐いたが、その日は何ら暴行はされなか
つた。そして係員が、常々必要なときには
警察に連絡をするようにと係に言
つてあ
つたので、自分は
警察に呼ぶように言わなか
つたのだが、係員が自分の知らんうちに警官を呼んでいた、それで警官がや
つて来た、そこで警官とその
朝鮮人諸君との間にごたごたがあ
つたが、区長はこの問題は自分が解決する、自分の責任において解決するから、警官も
朝鮮人諸君も、余り騒がないで靜かにして欲しい、お互いに靜かに話合おうじやないか、そして皆帰
つてもらいたいということを区長は言
つたそうです。それで区長は、今晩喰べられないという気の毒な人があ
つたために、二千円のポケツト・マネーを出してそうして
朝鮮人に與えた、その日は庁内で一人の検束者を出した。ところが不幸なことに、この日数名の検束者が出たのでありますが、庁内では一人だけの検束、あとは全部庁外で検束された。それで区長は早くその検束された人達を帰してやるようにと思
つて、その日五時頃
警察へ自身が出かけて、全部帰すように頼んだ、併し不幸にも庁内で検束された人だけが
警察に残されて、ほかの者は全部その日のうちに帰されたと、区長は言
つております。それから二十四日になるのであります。二十四日にも、三つの
要求を持
つて尋ねておるのでありますが、二十日に受付けた……ここで
一つ拔けましたが、その二十日の日に、
生活保護法の適用を十六件受付けたと言
つております。十六件受付けて、
調査の結果、九件採用したとい
つております。第一の
要求は、
生活保護法を自分が受付けたけれども、
生活保護法がまだ適用されないために、それを一日も早く即刻や
つてもらいたいという
要求と、それから市民税の減免をしてもらいたい、それから二十日に検束された一人を早く釈放して欲しいということ、この三つの
要求を持
つて参
つたのであります。でこのときは、学校の子供が二百名ほど、それに数十名の、三十名ほどですが、大人がついて、この
要求を持
つて行
つたので、代表の三名と話をした。で、三名と話している間に、外では二百名ほどの学生が歌を唱
つていた。それから再三外の代表が面会を申込んで来て、最後には三十名ほどが上と下で呼応して騒ぐようにな
つたので、区長は早く引揚げるようにと言
つて注意をしたが、なかなかそれを聞かなか
つた状態で、そこへ警官が、やはり区長が呼べと言わなか
つたそうですが、やはり係官が連絡して、警官がそういう状態のところへ入
つて来た。それで区長の部屋に警官が六、七名入り込んだので、区長は命令を出して、早く皆帰るようにとい
つて、紙へ書いて貼り出したが、
退去しなか
つたので検束が始
つた。そして二十六、七名この日に検束された。でこの日は結局何ら話がまとまらずに、皆が話をまとめることができないで終
つた。そして私は、こういう状態で区長は身の危險を感じられたことがありましたかと言
つたら、区長は、絶対そんなことはありません、私は区民と親しくしておりますから、そんな身の危險を感じるようなことは絶対ありませんでしたと、こういう話でありました。それから問題になる二十七日になるのでありますが、二十七日にはほうぼうへ歎願書が出ているようであります。
警察には、その二十四日に検束された人を帰して欲しいという歎願、又税務署には、税金を負けてくれ、区役所にも又それが来ておるのであります。区役所にはその日十七名ほどや
つて来たそうであります。そして私
たちは、
朝鮮人一万名の
朝鮮人を代表して区長にお願いに来た。それで二十四日に検束された
人たちを釈放して欲しいためにお願いに来たのだ。そしてあの日は自分
たちが悪か
つたということをはつきり区長の前に言
つておるのであります。二十四日には自分
たちが悪か
つたから、二十四日の
事件を早く解決して下さい。そういう申出があ
つたので、区長はその十七名のうち十五名を区役所に残し、二名を連れてそして
警察へ行
つて、署長に面会し、その意向を述べたところが、署長もこれに対して同意を示してお
つた。そういう状態のときに電話がかか
つて来て、今区役所が襲撃されているという
報告があ
つたので、自分はあわてて区役所へ帰
つた。ところが待たしてお
つた十五名は区役所で靜かに待
つてお
つた。そしてその十五名の言うには、残してお
つた代表は区役所へ襲撃して来たのを見て、こういうことをしなければよいのにという意味のことを言
つたそうであります。そして区長は、なお、自分はこういうことがあ
つても、なおこの
朝鮮人諸君をよく世話をしようと思
つている。面倒を見ようと思
つている。そしてこういうことで国外追放というようなことが、区長、あなたは適当なことと思うかどうかという私の質問に対しまして、こういうことは
日本人でもよくやることですから、こんなことで国外追放などということは無理なことではないでしようかということを区長は述べておりました。大体当事者であ
つた区長はこういうふうに話をしておるのであります。そうしてなお私が最近聞いたところによると、金三億という四十幾つになるのですが、
検挙されておる人の釈放
運動が起
つておるようであります。それも神崎郡福崎町駅前に住んでいる金三億ですが、この釈放を朝連の
人たちが
中心にな
つて行な
つておるのでありますが、それに対しまして、その福崎町の
警察署長、町長、助役、班長という
人たちまでが、釈放
運動の歎願書の署名をして、三十名ほどが賛成をして保釈歎願書を出したそうであります。それから助役は、いつでも自分は証人に出廷するというようなことを言
つていると、そういう話であります。こういうふうに、決して今度の
事件をひどい
騒擾罪、乱暴極まることとのみに考えてない人もあるわけであります。又
警察のほうからは、その附近の
人たちを一々聞きに歩いて、君
たちはこの
事件からどういうシヨツクを受けたかということを聞き歩いて、それを書類にして提出しております。併し又私
たちの聞いておるところによりますと、その日、
神戸の騒擾で傷ついたり、警官に追われたりした
朝鮮人諸君が、
日本人の家やその近所の家に飛び込んで、隠してくれとい
つて逃げ込んだときに、そこの
人たちはそれを喜んで隠して逃がしてくれたそうであります。そういうことは今言うことができない。証人を、この人が隠してくれたということを言うことができないために残念でありますが、單にあのときのシヨツクを受けて、悪いほうだけでなしに、やはり
朝鮮人諸君たちにも同情しておるという市民がたくさんあるということをお知り願いたいと思うのであります、まああの騒擾のあ
つた二十七日の当日の状況におきましても、ちやんとこういうふうに隠して区役所に歎願している、その代表が交渉に行
つている留守中に学校に集
つた七百から八百名のその
人たちの中に、お前
たちの代表が交渉に行
つているが、代表は全部検束されているぞというデマを流布して、必要以上にあの
朝鮮人諸君を刺戟したということであります。これは
一つの挑発、いわゆる
警察側の挑発と見ることができると思うのであります。それから
朝鮮人諸君から訴えられておりますことはたくさんありますが、ここにも書類で参
つておりますから、皆さんに御覧願
つたらいいのでありますが、あの日、裏門も表門も全部警官によ
つて包囲されてしまう、その包囲の中で解散を命ぜられて、それで
朝鮮人諸君は、こういう包囲の中で解散されて、一人ずつ出て行けば全部検束されるにきま
つておるから、自分
たちはその検束を避けるためにここを脱出しようというのが彼らの申合せで、そのために手を組んで門を出たのであります。それを警官は行きすごさせて置いて、あとからそれを襲撃して、投石をしたり又あとのほうに、先頭には若い者が立ち、あとのほうに子供や婦
人たちがついて脱出したのでありますが、その後ろのほうから婦人、子供を襲撃した。そのために前のほうを歩いていた若い
人たちが憤慨して、引返して来て、そうして石の投げ合いや、撲り合いが、始ま
つたのでありますが、人民というものは、決してみずから進んで暴力
行為に決して出るものではありません。これは私
たちが常に見るところであります。人民は弱い者であります。ですから常に防禦的な立場に立つ、これが人民の本当の姿であります。如何なるデモの場合にも、如何なるこういう集会の場合にも、それを強権を発動して、
実力を発動して彈圧してかかるのは
警察官諸君であります。併し人民は決してその彈圧に黙
つて羊のごとく屈服するものではないのであります。自分
たちの身を護るために、防禦的な立場からそれに反抗する、これが人民の本当の姿です。それを称して
暴力革命というふうにおつしやいますけれども、決してそうではないのです。人民はみずからを護るために、その暴力に対して抵抗すると、これがいわゆる
暴力革命として伝わるところだと私は思います。決してみずから進んで暴力を振う、そういうことはないのであります。
共産党が
暴力革命を
計画しているというようなことをよくおつしやいますけれども、
共産党はそういうことは考えてないのです。
それから話が長くなるようでありますが、
地元民が非常に、
地元以外の人がたくさん
参加していたということにつきましてもちよつと私は申上げたいと思うのです。それはあの
神戸の東神、西神の学校というものは、中学、高等学校なんです。そうすると
朝鮮人の学校というものは、そうほうぼうにはありませんので、
兵庫県におきましても大体、伊丹、西宮、尼崎、あの方面からあそこに通う。西のほうは姫路附近、加古川、あの附近から
神戸の学校に通うわけなんです。ところが二十四日のときに子供や父兄が検束された、それがずつと全
県下に伝わりましたために、
朝鮮人諸君が心配をして、相当あの学校へ集まる、ですから県内のほうぼうの
人たちが、父兄があそこに集ま
つたということは、そういうことが
原因なんであります。
それから
工作隊のことに関しまして長くお述べにな
つたようでありますが、実のところ、残念ながら私は
工作隊に対する知識を持
つていないのであります。先ほども述べられたことは、全部
検察庁の
調査によ
つて述べられたことでありまして、私
たち調査団が実際にその
工作隊の人に会
つてそうして聞いたことでも何でもないのであります。今の話は、
検察庁の一方的な
見解に過ぎないと私
たち思
つております。何だか話を聞いておると、厖大なる
組織で、あたかも赤衛軍が建設されておるような印象を受けるのでありますが、そんなものが今日
日本にできておるというようなことは到底私
たち考えることができないのであります。
それからもう
一つ、私は先ほど申上げるのを落した点があるのでありますが、それではなぜあの日、同じ近い日にちに
名古屋から
神戸までのああいう一連の動きが
朝鮮人諸君の中にあ
つたかということは、一応疑えば疑えることだと思うのでありますが、私はこういうふうに解釈するのです。あれは若しも統一された、そうして或る
一つの指導によ
つてなされたとすれば、随分まずい現われ
かただと私は思うのです、私はそういうのじやない、あれは偶発的に起
つた、併し
神戸における
朝鮮人がひどい目に会
つておるということが新聞に発表されるならば、恐らくその刺戟は
日本全国の
朝鮮人諸君が受けると思うのであります。ですから
大津の
朝鮮人も、又
名古屋の
朝鮮人諸君もその刺戟によ
つて、ああ
神戸ではこいうことをされておる。怪しからんというふうに考え、又
神戸では
生活保護法を今
要求しておるそうだ、おれ
たちも苦しい立場にあるから、おれ
たちも
要求しようじやないか、そういうように考えることはあり得るかも知れません。私は直接
朝鮮人に、どういうことでや
つたのかどうか聞いておりませんから、はつきりは申上げられませんが、そういう刺戟によ
つて同じ
行動がずつと広い範囲において起
つたということは、一応言えるかとも思いますが、併しそれが裏面的な
一つの
組織を持
つて、
一つの指導によ
つてああいうことがなされておるということは、どうも私
たちはそういう解釈はできないと思うのであります。それでこれは私は決して
共産党の指導によ
つてでもなし、又
一つの統一した
組織の下に準備をして
計画してなされたものではない。これは大正時代の米騒動が偶発的に全国的に起
つたように、やはり
朝鮮人諸君の民族性と、それから
生活の実態から同じような形でこの暴動が起
つたものだと、そういうふうに私は考えるのであります。
それではこれはどういうふうにしたら今後なしに納まるかと申しますと、これは
警察力の増強では決して解決しない問題だと思うのであります。若しも
警察力を増強する費用があるならば、その費用で
日本の失業者を一人でも多く救うために、
朝鮮人諸君の
生活を少しでも楽になるように、むしろそういう方面に金を使うことによ
つて解決できる。
警察力を何万人殖やすといえども、我々人民の
生活が今日のごとくますます苦しくな
つて行くような状態ならば、こういう
行動は常に人民の中から起
つて来る。
共産党が晝寢をして、
共産党員が一人もいなくな
つても、なお大正時代の米騒動のごとく、こういう
行動は
日本全国に起
つて来るということが言えると思うのであります。ですからそういうことを起さないためには、どうぞ失業者を一人でも少くなるように考えてもらいたい。そうして
朝鮮人諸君といえども、戰時中本当に気の毒な目をかけた
朝鮮人諸君に対しまして、贖罪的な気持からでも、
朝鮮人諸君の
生活を護
つて、保護して上げて頂きたい。そうすることによ
つて今後こういう問題は起らない。そうして
朝鮮人諸君の独立自尊の気持、独立国としての誇を傷つけないように、
朝鮮人諸君には大体
朝鮮語で、
朝鮮の文化と将来の立派な
朝鮮人を教育することのできるような自主的な学校を認める。そういう方向に
日本の
政治を持
つて行くならば、私はこの問題は再び起らないように解決のできることだ。又これ以外には解決のできないことと私は皆さんの前に
意見を述べさして頂きます。