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参考人(高辻武邦君)
只今委員長と松永委員との間におかせられまして電力の需給のバランスの問題、それに引続きまして成田発電所の帰属の問題について御質疑、御応答があ
つたのでありますが、これに関連いたしましてこの際私はこの電源の帰属ということについての私の所見を申上げて見たいと思います。延いてはこれは成田の発電所の帰属ということにも勿論
関係する問題でございますからして、さようにお聞きとりをお願いしたいと思います。
今回の電力の再
編成というものは、ポツダム政令によ
つてきめておるわけでございますが、併しながら未開発電力、及び目下着工中の電力の帰属は、今後きめられることでありますし、或いは又すでに帰属の
決定いたしました電源につきましても、
電気事業再
編成令の附属別表第三の前書によ
つて、近く
公益事業委員会としては再検討をせられることにな
つておりますので、そういう際におきまして是非御考慮願いたい点があるのであります。この今回の電源の所属というものをよく調べて見ますというと、これは主としてこの電気というものの問題から御考慮にな
つておる色彩が非常に濃厚だと思うのであります。本来水力電気は申すまでもなく水から起る力でありまして、水は川と不可分のものであり、川はその地域と全然不可分のものであります。そうして水は申すまでもなく飲料にもなるものでありますし、工業用水にもなりますし、或いは灌漑用水にもなりますし、観光上もこれ又肝要な施設であります。それから時期の面から申しますというと、一旦洪水を発生いたしました場合には非常な水害をも及ぼすものでございまして、つまり水というものは非常に多角的な性格を持
つておるものだと私は思うのであります。即ち河川は多角的の性格を持
つておる。然るにこの川と即ち水と不可分の水力電気というものを
考えるときに、單に電気政策という問題だけから御
決定になるということが、果して妥当であるかどうかという点であります。
私の
考えております結論を先に申上げますというと、電源の所属はやはり地域を標準にして御
決定になるのが妥当ではないかと思うのであります。その地域に供給いたし、地域に存在いたしておりますところの電気
会社をしてその発電所、電源を所有せしむることの方が一番自然に適することであり、妥当な
考え方でないかと存じます。勿論電気の分量の過不足を
地域ごとに調整する規定は、勿論これは公共
事業令の中に規定いたしてあるのでありまして、公益
事業の
委員会の御権限によ
つていわゆる融通契約というものを権力を以て締結せしめ得るわけでありますからして、これによ
つて十分の調整ができるのでないかと存ずるのであります。勿論この地域主義というものを
考えますというと
一つの大きな疑問に遭遇いたします。それは曾て然らば各県知事が水利権の認可をする場合において、必ずしもその地域におる企業者にのみ水利権の認可をしておらないのではないかという疑問であります。私のお預りしております富山県におきましても、私の前任者の各府県知事は、必ずしも富山県におる者だけに認可いたしておりません。広く関西の
かたであろうとも、大阪の
かたであろうとも、東京の
かたであろうとも、どなたでもその企業の能力あり、電源の開発の能力のある方には、どなたにも認可をいたしております。これは併し自由主義時代の
原則でありまして、若しこれを九つの地域に分割をして、分断をして電源の所属をきめるということに相成りますれば、その統制組織をとるということになりますれば、電源の所属は、当然私は地域というものを基礎にして考慮すべきものではないかと存じます。
公益事業委員会におかせられましては、いろいろ深い御考慮の下に御
決定にな
つたことと存じますが、私
どもは電気そのものを電源地の者が余計に使おうという
考えは持
つておりません。日本国に食糧が足りないということでありますれば、誰しも二合七勺でありまするならば、私の県におります百姓も、大阪におられます方も、東京におられます方も二合七分を以て満足すべきものと思います。併しながらそのために電源の配置を均等にするということを
考えますというと、田地、田畑の所有を各府県ごとに均等にしなければならんことに相成ります。私はその必要はないと
考えるのであります。十分にこの公共
事業令の規定に従
つて御融通の御命令になりますれば、如何ようとも電力の過不足は調整し得ることでございますから、電源の所属は地域主義によるのが適当ではないかと
考えるのであります。
但しここで
公益事業委員会でお
考えにな
つておると思われておるいわゆる潮流主義というものがあるのであります。それはどういうことかと申しますと、その当該発電所を調べて見て、その発電所の送電線の構造がその地域でなく、例えば関西なら関西に送るのに適当な構造にな
つてお
つた場合には、その発電所は関西に所属させた方がいいという
考え方が潮流主義という言葉を以て表わされておると私承わ
つております。これは電気というものは発生いたしますれば直ちに消費する、その瞬間に行くものでありますから、かように專門家として
公益事業委員会でお
考えになることも一応御尤もだと思うのであります。併しそれも電気という観点からお
考えにな
つたことであると私は思うのでありまして、その電気の発電所の施設と地方の各種の行政というものが、如何なる関連を持つかということに相成りますというと、これは十分考慮を表する問題でないかと思います。仮に発電所そのものは例えば北陸に所属いたしてお
つて、その需用の
関係上、使用量が全部関西に送られるといたしましても、恐らくは大した支障のあることでないと私は
考えます。たとい幾分の支障が仮にあるといたしましても、一般行政の、国土の保安という
関係から、或いは目下政府で問題にしておられますところの地方の総合開発計画というような問題から
考えてみますと、これは恐らくは私はその利害得失というものにつきましては、愼重な考慮を要するものじやないかと存じます。いわんやこの潮流主義ということが、或いは
只今も御
説明になりました水系主義ということに関連するかと存じますが、
一つの水系を、或る
一つの
会社に支配させるという
考えは、私は
原則的には非常に正しい
考えだと思うのであります。ただその水系というものはやはりその水系の所在する地域の
会社に所有せしめる方が最も好都合ではないかと存じます。
なおこの電源の所属ということにつきまして、その発電所が、沿革に遡
つてみて、どういう
資本系統によ
つてできておるか、例えばそれは関西の
資本によ
つてできたから関西に所属させろ、関東の
資本によ
つたから関東に所属させろという御
意見もあるやに承わ
つておりますが、この
資本系部という問題につきましては、これは如何でありましようか、
資本というものは何もどこに所属しなければならんものではないと私は思いますので、大阪の
資本が全部をも
つて発電所を開発したというわけでもございません。これは電気の
資本でありますから、
資本はどこにでも有利のところに集まるものと思います。潮流主義、水系主義とか、
資本系統主義とかいうことを
考えてみましても、地域主義ということをどうしても否認しなければならんような重要な理由はないのではないかと存ずるのであります。
ただ併し実際問題として
考えてみますと、私の現に所在しております。例えば庄川系統にあります祖山の発電所、或いは小牧の発電所のごときは、関西方面の需用によ
つて生れたことは事実であります。関西の工業が需用が多くしてその需用に応じてできた発電所で、今日までその全量を関西でも
つてお使いにな
つたんでありますから、これらのごときは全量即ち丸買い主義によ
つて全部を関西にお送りいたすことにしまして、発電所そのものは北陸
会社に所属させても一向差支えないと思うのでありますが、如何でありましようか。若し私の述べますことが、若しいけないということになりまして水系主義なるものをと
つて、而もその水系主義が関西に所属するということになりますと、非常な不合理な結果を生ずると私は思う。そもそも関西地方に電気を必要とする工業がどうして起
つたかということを
考えますというと、戰争中に
日発におきましては地域
料金をプールによ
つて一定せられたのであります。関西における
電気料金、北陸における
電気料金も同じにせられたことがあります。戰争中そういう政策をおとりにな
つたがために、本来自然の立地條件において起るべき工業が、逆に大阪に起
つたということがあるのであります。本来工業なるものは今更申すまでもなく、電気の比較的余計に要する工業は電源地帯に起るのが自然であると思います。電気は比較的要らないけれ
どもその他の資材を要するような工業が関西地方に起る、これは自然の状況だと思うにかかわらず、戰争中のプ—ル
計算の結果同じ
料金にせられた。自然の條件を人為によ
つてゆがめられた結果、大阪に今日工業が起
つております。併しその工業は潰すわけにいきませんから、これはあくまで政府の政策としてはこの工業が成立つように十分なる電力、少くとも各地方が苦痛の
程度が同じまでになる
程度にまで関西の工業は育成、維持しなければならんものと私は思います。併しながらこの水系主義をおとりにな
つて、そうしてそれを関西に所属せしむるということになりますと、この不合理を永久に継続することになります。今後もやはり電気の立地傑作に適する工業を、さにあらざる地方に起すような政策を政府がとることになると私は思うのであります。曾て行な
つた不合理を未来永劫に亘
つて行うことになると私は信ずるのであります。その結果、電気というものが起りまして送電線によ
つて送られるわけでありますが、その間に生ずるこの二割乃至二割五分の電気のロスというものは、これは何人も益するものではない、話も益するものでなく、ただ無駄に費やされておるものであります。日本の国の工業の育成、国家の経済の再建という
立場から
考えますと、何とも不合理なことではないかと私は思うのであります。
殊にこの潮流主義ということになりますと、現にその送電線の構造というものを新たに構造することもできます。現に富山にあります発電所でも、関西のほうに流れるような構造にな
つてお
つて、而も同時に北陸地方にも流れ得るような構造にな
つておる発電所も随分あります。それから單に大阪方面にのみ送電線が繋続しておることもありますけれ
ども、この場合でも北陸地方に向
つて新たに送電線を送るということは、距離の
関係から見まして、それほど心配するほどの大きな資金を要するものでないんじやないかと私は
考えるのであります。なお特殊電力、つまり豊水期における特殊電力の問題でありますが、この問題のごときは、当然これは地元に使わして頂かなければならんものと思います。若しこれをも関西に持
つて行かれるということになりますれば、今の送電線を三倍ぐらいの大きさのものにしなければ関西に行かないと思います。而も日本は特殊の豊水期においてのみ利用される送電線を、そんなに太くして置く必要もないのでありますから、この潮流主義というお
考えも絶対のものではないと私は
考えるのであります。
ただ
一つ最後に私は申上げて置きたいのは、私の申しますような地域主義ということの
原則をとりますというと、つまり或る地域に豊富な発電所を所有しておる、而もその発電所に対すると同機の需用がなくて、需用のほうが少い、即ち電力の分量が多くなる。その結果新たなる電源を開発しようという意欲が少くなりはしないかという心配であります。併しこれは
公益事業委員会の権力によりまして、いわゆる融通契約を強制力を以てなさ
つて、そして一定の電力の分量を大阪に送るなら送るということを、毎年強制を以て御命令に相成りますれば、これは過不足の
程度というものは同じに相成りますから、やはり開発の意欲を私は害することはないと
考えるのであります。私は今地域主義ということを申上げてみましたのでありますが、これは私は何らかの例外を必要としはしないか、如何なる
原則にも例外というものがあるのでありますから、例外を必要としはしないかということを
考えてみましたけれ
ども、理論的には私は例外を認める余地はないと思います。ただ事実の問題として御考慮なされなければならんのは、例えば他の地方における需用によ
つて初めてできたような発電所、そういうものについては考慮の余地はあるかも知れませんけれ
ども、
原則として地域主義ということをおとりになることが最も自然であり、最も紛糾を避ける
方法ではないかと
考えるのであります。私はこの電源の帰属に関して私の所見は以上の通りであります。
なお最後に誠に恐縮でございますが、もう一言附加えさして頂きたいのでありますが、午前中この地方自治体の所有しておる
株式の
処理という問題に関しまして私の
意見が少し多岐に亘りましたので、私も実は反省してみておりますが、要するに第一番といたしましては、その地方団体の持
つておる
株式は、或る
会社に集中することに御考慮を願いたいと存じます。これはどういう意味かと申しますと、集中することによ
つてその地方民は安心をいたします。自分の負担によ
つてできた発電所を接收されたのでありますから、その
株式が自分のほうにまとま
つておるということは、
一つの安心感を與えまして、他日公共団体の所有してお
つた財産の御
処理をお願いいたしますまでに、これは恐らく相当の時日を要すると思いますが、それまでの安心感を是非與えてや
つて頂きたいと思います。なお今後適当の
機会において
伊藤委員も先刻お答え頂きましたように、公共団体の持
つておりました財産というものは、これは御返還を願
つたほうがいいのではないかと思います。これは集中排除法の精神から
考えて、これを強制的にどうしてもこの新しい電気
会社に所有さして行かなければならんという理由はないと思います。これは集中排除の精神から見ましても、新しいこの
電気事業再
編成若しくは公共
事業令のどの規定から
考えましても、地方団体が発電所を持つということは許されております。現に大分県においても或いは宮崎県においても、
公益事業委員会の認可によ
つて所有いたしております。然らば過去に遡
つて同様の発電所を持
つてお
つたものに対しては、その御返還を願うことが妥当ではないかと、こういうふうに
考えるのであります。これは一言午前中のことを繰返すようで誠に恐縮でございますが、附加えてお聽きとりを願
つた次第であります。