○
政府委員(
松本烝治君)
霊力事業の
再編成案作成につきましては、すでにたびたび中間に
お話を申上げております。去る一月の八日に各
配電会社及び
日発に対しまして再
編成の案を
作つて、二月八日までに出してもらうことに指令をいたしました。これによ
つて二月八日にすべての
会社からの案が出て参りまして、これに対して
最初の
予定では、二月の二十三日までに我々のほうの
調停及び必要ならば
裁定によ
つて案をきめたいということであ
つたのでありますが、その間殆んど晝夜の別なくと
言つてもよろしいほどに勉強はいたしました。いろいろ研究いたしました。且つ殆んど連日いろいろの
会議を開いて
相談をいたしました。その結果として大
部分の点についてはすべての
会社の間の案が
一致いたしまして、
最初出たものが訂正されるようなことになりましてでき
上つたのであります。
主な点から申すと、二つの点において、いわば
配電側の
意見と
自発側の
意見との
一致を見ることができなか
つたその二点は、即ち
一つは
人事であります。他の
一つは
日発の
清算費用及び
自発株主に対する割増の
分配金、この額について
意見の
一致を遂に見ることができませんでした。止むを得ず去る二十八日の晩方に時間がなくなりましたために
協定ができませんで、その
部分については
裁定をいたしまして、三月一日にこれを
役所に掲示をしたということになりました。
最初の
予定は二十三日までに仕上がるつもりでありましたが、いろいろの行き違いその他でどうしてもできませんので二十八に日締め切
つたのであります。これはこの二十八日が
最後の日でありました。二十八日以後に延ばすことは、五月一日に新
会社を発足さするという前提の下から申すと、一日も延ばすことのできない
最後の日であ
つたのであります。御
承知のように再
編成の
確定案ができました後一カ月の
期間は、
内閣総理大臣に対する異議の申立のために與えなければならん。即ち四月の一カ月は、これをその
期間に取らなければならん。それから
聴聞会を開かなければなりません。
聽聞会を開くにつきましてはその前十四日、即ち間二十四日の日の前に
再編成案を
役所に公示しなければならんということにな
つております。而して
聽聞会が終りましてから、如何に急ぎましても約一週間近くはこの聽聞の結果について十分な
調査をし、或いは変更すべきことがあれば変更するというようなことのために必要なので、そこで三月一日にこの
再編成案を公示しまして、それから三月十六日から二十一百までの
間聽聞会を開きました。これは日曜なども休まずにやるということに、もう仕方がなしに決意をいたしたのであります。而してその後三月中に
確定案を作成する、二十二日から末日までの間に
確定案を作成するというので、日取がもう一ぱいでありました。一日も延べることができない、二十八日まで遂に止むを得ず延べて成るべく
各社間の
協定のできることを望んだのでありまするが、遂に二十八日の午後四時に
至つてなお
協定ができませんので、止むを得ず一部
裁定をするということになりました。
只今すでに述べましたように、
裁定いたしました点の主な点は、
人事の点とそれから
日発の
清算費用等に関する点と、二点であります。
先ず
人事の点について
お話を申しまするが、
人事につきましては、
各社から
人事に関する案を出してもらうのは当然でありまするが、
人事に関して書面中にこれを出されまして、それが
協定等の結果でいろいろ変るようなことでありますることは、その人に対しても面白くないこともありますので、
人事に関する点だけは
別紙によるというようなことにしまして、
別紙で密封をして出してもらうということにいたしました。その
別紙の提出されましたのは、各
配電会社は二月の九日に
別紙を持
つて来られまして、そうして私に手渡しをされたのであります。これに反して
日発側は
人事に関する
書類を出してくれなか
つた。それで数回
催促をいたしましてやつと十六日に
至つて初めて十五日附の
書類が出て参
つた。これが
人事に関する
協定をすることに非常に邪魔に
なつたことは勿論言うまでもないのであります。
日発側の
人事に関する
書類が遅れましたことについては、いろいろ
会社側の
理由があることと
考えまするが、併し二十三日までに再
編成の案を作成してこれを公示したいと
考えてお
つた我々にとりましては、十六日までその
書類が全く出ない、如何に
催促をしても持
つて来ることができなか
つたということは非常に邪魔をしました。これはまあ言うまでもないと思います。我々としては止むを得ませんからその間にすでに
配電側の
人等に集ま
つてもらいましていろいろ
評議を始めてお
つたのであります。その
時分に我々が
考えましたことは、
人事に関することはどうしても和を以て貴しとすで、たとえ如何に偉い人がたくさん入りましても、その間に
和衷協同の精神ができないような
人事をただ無理にこしらえましたんでは、
会社は到底健全に
事業をや
つて参れませんから、それで先ずまあ
会社の首脳となるべき人を大体自をつけましてこの人を
中心として
人事の
相談をしたいという
考えでおりました。即ちその人については、大体この
委員会においては、商法の改正も先ず順調に参れば本年七月一日から行われるわけであります。仮にそれが何かの
理由で延びるようなことがありましても、
改正法のいわゆる
取締役会及び
取締役会会長の
制度というものは、これは必ず日本で採られることになるということを予期しなければならんのでありまするから、私の
考えとしては、
会長が
会社の
首長である、
会長が
会社の全部の
人事その他のことを
中心とな
つて決定する
首長にならなければならんというように
考えまして、この
会長制度を予想して大体
会長になるべき人という人を物色した次第であります。この
会長になるべき人の物色につきましては、十六日に
日発側から
書類の出ます前にしばしば
小坂日発総裁とも
相談をいたしまして、大体
意見の
一致を見てお
つたのであります。ただその際には
会長制度にするか或いは今日のような
社長制度にするかということに関して、まだどちらということについてはつきりした決定的の
考えはどちらにもなか
つたのであります。ただ大
会社のまあ
会長にでも頼みたいという人については、すでに
日発総裁とも
相談をし又
配電側の人とも
相談をしまして、これを大体の目途をつけましてそういう人を
中心にして
人事を
相談をしてお
つたのであります。併しながら先ほど申したように
日発側のほうの
人事の申出は遅れまして十六日まで全然出て来ずに、その間荏苒日を延ばしておくわけに参りません。我々のほうで
配電側の人その他の人を集めまして
人事の
打合せをやりまして、十六日の後といえどもずつと
人事の打合をしました。殊にたしか十九日からは到底この
委員会の
役所では狭くもありますし人がたくさん来るのでできませんので、
通産大臣官邸を借りましてそこでこの
再編成案の
作成事務を
相談をしたのであります。大体十九日頃からあとは連日
配電側の人は殆んど全部そこに集ま
つてくれまして、連日
自発側に対して参加を求めたのでありますが遂に参加されない。そのために時間を大変空費いたしました。或る
委員の秘書の人の
計算によるとその全部の人の時間の空費した数は千何百時間とかになるという話でありました。私なども何か三十時間以上空費してお
つたという
計算が出ております、よくは私は存じませんが。どうか来て欲しいと、来るというような話があ
つて来られない、そのためにとうとう二十六日の
晩がたまで
日発側の人は
人事の
相談については全くあずか
つてくれられませんでした。即ち二十三日は勿論空費してしま
つたんです。その後
小坂総裁と二十六日の午後に私が会いまして
相談をいたしました。そうして初めて
人事のほうのことのために
日発側から人を出すということに
なつた。その時の
申合せについては新同紙上等にすでに出ておりまするが、我々は先ほど申したように新
会社の
中心となるべき人を物色して、そうしてその人の
考えによ
つて会長或いは
社長というような人を大体きめて、そうして
相談をして参るということにしたのでありまするが、更に飜
つて法律的に
考えて見ますると
会長とか
社長とか、或いは副
社長、
常務取締役というようなことをきめますのは、これは
定款の
規定によりまして、
取締役会の互選によ
つてきめることにしてあるのです。これは
各社から出ておる
定款は皆そうな
つております。そうな
つておりますれば
会長とか
社長ということをあらかじめ
委員会においてきめること自体が間違いであろう。大体の目当をつけてそれを
中心として
人事の
相談をすることは、これは
技術士絶対に必要と思いましたけれども、併し誰が
会長になる誰が
社長になるというようなことは、これは
定款の
規定によ
つて各
会社の
取締役会で
会社成立後にきまることでありますから、その点を確定的にすることは間違いであることを発見いたしましたので、その点について二十五日に
小坂総裁と
相談をしまして、そうして二十六日に私と
小坂総裁と会見をしまして、
会長とか
社長とか、というような役名までをきめるということはしない、ただ
何びとが
取締役となり、
何びとが
監査役となるかということについて
相談をしてきめることにしようということになりました。それが二十六日の午後一時半頃から三時頃まで会談をしましてそのことがきまりました。それで直ちに
日発側の人も
人事の
相談に参加してくれるということになりました。その日のたしか六時頃であります。
日発側の人が四人ほど来られましてそうして
人事の
相談に初めてかかり得たのであります。実はその三時に
終つた時には、前日もすでに
打合せをしてお
つたのでありますから、
日発側の人は直ちに来てくれられるつもりで
配電側の
人たちはその午前くらいから集ま
つてお
つたのでありますが、なかなかやはり来られないでやつと六時頃に来られました。それからいろいろ
相談を始めたのですが、我々は具体的の
人事について
各社ごとにどういう
考えを持
つておられるかということを聞きたか
つたのでありまするが、そういう話にどうも入りません。割合がどうなるかというような抽象的の
議論に殆んどその晩は終始して
しまつたのであります。これは甚だ残念で、二十六日の
予定では、二十七日中にすつかりきめて二十八日にその案を公示したいと
考えてお
つたのでありまするから、夜を徹してでもひとつやりたいということを申したのですがそれができません。止むを得ず日を延ばすことにしまして
最後の日法律上もうどうしても延ばすことのできない二十八日まで延ばすということにしまして翌日の二十七日の十時頃から集ま
つて相談をしたいということをきめたのであります。然るに二十七日の十時に集ま
つた人は、我々
委員と
委員側の
事務の
人たちと
配電側の
人たちだけであります。
日発側の人は
約束の十時には来られません。幾面か
電話だのいろいろな手段で
催促をしましてやつと来られたのが一部の人が三時半に来られました。それまでの間全然ただ時間を空費しておりました。それから他の人が全部そろ
つて話を始めたのが四時十五分前に
なつた。とても殆んど
相談をする時間がなくな
つておる時にかように
約束の時間が遅れたことは非常に遺憾であります。併し止むを得ん、それで四時十五分前からいろいろ
相談を始めました。先ず
日発側で新しい
会社へ行きたい人の表につきまして
配電側の人と話合いをいろいろしまして、
大分話は進みましてその人はたしか
晩がたの九時くらいまで話をしまして大分進みました。併しそれ以上は進み得なか
つた。それで二十七日の晩の
最後に私はこういうことを先ず
日発側の来た人に
言つたのであります。
人事の全部について
双方の
意見が全く
一致するということはむずかしいように思われる。よ
つて相談を十分にして頂いて、どうしても決定のできない残
つたところはひとつ
委員会に委して下さらんか
委員会のつまり
調停によ
つてそうしてそれに委してもらえば
委員会で
何とか案を
作つてそれによ
つて初めて
日発側及び
配電側の
意見の
一致を来すことができよう。この以外に各人についてこの人はえらいが酒を飲んであばれる人だから困るというようないろいろなことを一々
議論をしてお
つては、これは到底全部のまとまりを見ることは短い時間にはできんということを十分に話しました。更に
日発側の
委員はその時には勿論即答をして頂こうとは思わん。明日
一つそのことについてお答えを欲しい。どうしても
人事についてまとまらん点の
最後の点は
委員会の
調停に委して、
両方側の
協定を見たいものであるということを
言つて、翌日に
返答をお聞きしたいと、先ず
日発側の人が帰られて然る後に
配電側に対して私は同じことを言いました。そうして翌日
返答するように求めて皆が
帰つたのがもう少し遅い時間になりました。それからその翌日即ち
最後の日であるところの二十八日にはそういう
調停の話もありましたから、十一時から
会議をしたいということにいたしました。この十一時からの時間は初めて
自発側によ
つて守られまして十一時ちよつと前に皆来られました、そうしてどうもまとまらん点を任すということはできない、やはり
自分の方の案について一々論議をしたいという話で、まあ止むを得んのでありますからやはり前と続けて
日発自体の人の進退についていろいろ
評議をいたしました。然るにその
時分に出て参りました
日発側の案では、
日発側及び
配電側の
人々以外の有名な、社会の何と申すか、
社会人と申すか、
経済界の巨頭に近いような人達の名前がたくさんある、
取締役中に、即ち全部で十数人くらい確かあ
つたと思います。そういう案があ
つたのでありまするが、これらの
人々が果して指定された場合にその
取締役になるかどうかということについては全然わからない。その書いてあります人の中の或る人のごときはわざわざその人の
令息を私のところによこしまして、
電話で交渉があ
つた、その際に或いは承諾したかのように誤解されては困るから、若し
取締役にされても決して就任しないということを言いに来たのだということを
令息を遣わして言われた人もおる。又他の人はその数日前に全然新
会社に関係しないということを
言つて遠くへ帰国した人もおる。そういうことでありますから、二十八日に私は
自発側の
人々に対して、そういう人がおるようだが、書いてあるこれらの人は果して就任をしてくれることは確かなのか、内意でもすでに得ておるのかということを聞きましたところが、そういう内諾を得ていないが、頼めば多分なるものと信ずるというようなしまいには話で、併しながら現に絶対にならんということの明瞭な人が少くとも二人あることは
知つてお
つた、他の人に対しても或いは多少
電話で交渉があ
つたかどうか知りませんが、僅かに数時間の二十七日の午前の間にきめられたことのようでありますから、その間に到底遠い人までに行渡
つての内諾は得られておらなか
つたと私は
考えております。そうしてそういう
質問をしたのですが内訓を得ておるとは言えんけれども、併し選定された以上はきつと承諾するだろう、そう信ずるというような
ただ話であります。それでは困る、若しその
人たちが指定をしても就任しなか
つたときには困るじやないかということを言いますと、それに対してそういう人があればそれはブランクにしておくのほかないだろうというような
返答である。それではまあ仕方がない、そういう人はどうも省くのほかはないということで、これは省くということを申出たのであります。それに対してまあ今のように恐らくは承諾するだろうというような話で、そんなことをや
つております間に、遂に
最初からきめておきました二十八日の午後四時にほぼ近付いた。それではもう仕方がない、時間がない、これが
最後の日でもう一日も廻す暇がないのだからよんどころない、どうしても我々にお任せができない、即ち
各社間の
協定ができないということなら止むを得ず
裁定するのほかないということになりまして、甚だ遺憾でありますがそういう次第で止むを得ず
人事について
裁定をするということにな
つたのであります。
次に
日発の
清算費用及び
清算に際して
株主に與える
金額については、初め
配電側の
主張は
清算金額三億、それから各
株主に一株に対して五円ずつの金を與える、即ちそれが三億円という案を出したのであります。これに対して
自発側は
清算費用九億何千万円、それからして各
株主に対して一株に対し二十五円即ち
株金額の半額を與えさすという案でありまして、合せて二十四億何千万円約二十五億に近いものを要求されたのであります。で我々はこの問題は非常に重大な問題で、若し少な過ぎるというものしか與えないということにな
つては非常に不公正であります。と共に多過ぎても困る。殊に
清算の
費用のごとき、
会社に莫大な金を残しておいてそれが余
つてしまうということになりましては自然濫費される慮れもあるのでありますから、この点については十分に
一つ両方の
主張の
理由を聞きたいというので
理由を聞きまして、まあいろいろの
書類を提出されましたが、これらの
書類によ
つて見ると共に、
理由に甚だとしいものとしか思えないので、我々は止むを得ずまあ我我の言葉としては
財務顧問というような言葉を使
つておりますが、別に辞令を出したのでもないし、手紙を上げたのでもないのでありますが、大銀行の
社長二人とそれから日銀の理事一人、それから大
生命保険株式会社の
社長二人と五人の人にこの財務に関していろいろの御
相談をして頂いて、その
人たちを
中心としまして更に
信託会社の人人、及び後には
証券取引委員というふうの
人々、或る場合には十数名以上もそういうほうからも来られました。そういう
人々を集めまして何何となく、何回であるか今しつかり記憶しませんが十数回も
会議を重ねたのでありまして、いろいろの
調査をした結果、我々の見解としては
清費費用は四億、それでその
期間は大体
最大限度三年以内において精算は終る、その
費用が四億、それから各
株主に與える
金額は一株に対して十円、一株五十円に対する十円即ち二割の
金額を與えるということにしよう。而うして一番この再
編成によ
つて困るのは
日発の
端株を持つ小
株主が一番困るのでありますし、小
株主の利益は十分に保護しよう、そのためには小
株主、或る
一定限度の数以下の株を持
つている人からの株は、
取引所に出ている程度の相場で買
つてもらうことを
取引員に頼もうという
最後の案とな
つたのであります。御
承知のように
取引所に出ておる相場は
只今は百株單位であります。百株以下の
端株を持
つて参つても買
つてくれません。又仮にこれを買うということになれば非常に安い値段で
しか買つてくれません。これがこの
日発の
端株主に非常な不利益を與えると
考えまして、そういう
端株を
取引所に出ておる値段で買
つてもらうことを
取引負に頼もうということでほぼそういう依頼をいたしました。まだそれについての確定した案はできません。
従つて取引員のほうからまだ承諾は表されておりません。そういうような案を作りました。そのために生ずる
費用等は、
清算費用のうちから拂うとしてそういうことを入れましていろいろ
考えますと、
清算費用が四億では或いは足りなくなりそうで四億或いは三、四千万円ぐらいになるのではなかろうかという予想もあります。そこで
清算費用を併し殖やしておくことは濫費を生ずる盧れがありますので、足りない
部分は新
会社がこれを分担するという黙契をと
つておいて、そうしてこれによ
つて清算を全部終るということにしたいということでそういうことに大体我々の案は落着きましてそういう案にいたしたのであります。こういう
清算についての案に対しては
日発側から来られた
人々も大なる反対はなか
つたと思います。又
総裁にも
お話した際に
端株主が困るが何とか
端株主をしてもらいたいというぐらいの話でありまして、大体
日発側も恐らくはこれに反対はされておらなか
つたと思いますが、併しすでに
人事について
調停ができません、止むを得す
裁定に至るということになりましたのでありますから、
日発側ではやはりこれも
一つ裁定にしてもらいたいというような話がありまして、そういう
只今述べたような趣意で
裁定をいたしました。
配電側はそのように自己の案を改めてくれまして
自発側はやはり約二十五億円の案をそのまま出しておる。それに対して我々は
只今述べたような趣意に
裁定をいたしました。そういうことが大体の経過であります。
なお細かいことを申しますれば、他の
一つの点だけが異な
つておるのが四国の新らしい
電力会社の
本店所在地であります。これに対しては
日発側はこれを
高松としよう、
配電側は
松山としようということの案にな
つております。この点については
委員会としては随分よくいろいろ検討し又
陳情者の
陳情書或いは口頭で陳情を聞きました。如何なる点から見ても
高松のほうが理想的だと
考えまして
高松に移るほうがいいとは思いましたが、併しながら
高松には何ら社屋として充てるべきものは現在はない。
松山のほうには現在の
配電会社の本社がありましてその他
社宅等もまあある。これは必ずしも非常な完備したものではありませんが、どうやらや
つて行けるだけの設備がある。これに対して
高松には何にもそういうものがありません。これを
松山から
高松に移すということになりますと、相当に莫大な金が要ることは言うまでもない。
配電側の或る人は四億円ぐらい要るというような話もあります。これはどう
考えてもいささか多すぎると思うのですが要するに相当大きな金が要ります。そういう新
会社の発足に当
つて直ちに何千万か或いは何億というような金の要りますことを、
裁定によ
つてきめることは甚だしく不穏当なりと
考えまして、我々は
差当りこれを
只今社屋その他のものの設備のあるところの
松山ということにきめました。併しいろいろの話合もあるようでありますから、或いは
高松その他からの
寄附等もできまして新らしい
四国電力株式会社に殆んど
費用をかけないで
高松に移ることができるようになるかも知れんと
考えております。そういうことが若し
聽聞会の終りますまでの間にきまりましたならば、この点は
高松のほうに変更したほうが相当であろうかと
考えております。こういうことまで申上げるのは少し行過ぎかも知れませんが、地理その他の点からは若し金が要らないで
四国電力の本社を
高松にすることができれば、
高松のほうに
裁定によ
つて確定をするということにしたいというような
考えを持
つております。このことも併せて申上げておきます。その以外においては
配電側及び
日発側のすべての
書類は符合しておるのであります。符号するように提出されておりますから何ら
裁定を要することはないということになります。
大体の経過は
只今お話したようなことでありますが、私も非常に実は疲れまして
自分の家の庭の紅梅の花の咲いていることを三月一日に初めて発見したようなことでありますので、全く日曜も何もなし朝から夜まで働いておりましたために記憶も悪くな
つております。漏れておる点もあろうかと思いますので御
質問に応じて又申上げたいと思います。