○松永義雄君
只今第七條に融資絶対額の
規定がある。若し損失を生じた場合には、
政府は補償するという
規定があるということでありますが、何かあなたがた御承知ないかも知れないが、あの金融恐慌のときにおいて、最後に安田銀行が取付に会
つて、今日はあすこの銀行、明日はどこの銀行というふうに潰れた。
政府はあとで損失を補償するというが、金融界の問題はもつと大きな問題だ、そんな小さな問題ではない、我々外部からみておつたものですらそういうことが受取れるのであります。それを一片のただ條文で、
政府が補償するから安心だなんて、殊に最近の日本の経済界の進行振りをみますと、ちようど第一次大戰のときのような好景気まさに至る、そうい
つて言いはやして兜町あたりも盛んに煽り立てておるけれども、我々曾
つてそういう経験を新聞なり実際においてみて来た、今にしてこの肚を引締めてや
つて行かないと再びああした現象が来ないとも限らない。終戰後めちやくちやに
なつた日本の財政経済、それを急速に建て直そうという気持は了とする。誰でもしなければならんと思うけれども、それに対して余り大きな欠陥を包蔵して行つたならば、私は恐るべき結果が起きるということをここに予想し得る。我々勤労階級の頼りというものは
郵便貯金である。又簡易保險である。簡易
保險金額が殖えて行くのを喜んでおる。これが伸びて来るならばその
資金は出せるだろう。経済界が金が必要だ、それはわかります。わかるからとい
つてその金をそうした
一つの穴を作
つて向けて行くということは、それは三億や四億は何でもないが、それからそれへと進んで行く。あなたは
法律を作るときにはそういう
考えでお作りにならんだろう。もうそう信じてお作りになる。ところが絶えず組織は変り、人が代
つて行
つて、そうしてその金を
運用する人にな
つてみると、法文があ
つて大丈夫だ。今もおつしやつた通りに、いずれこの
法律が通過することが予想せられるから、まあ金を迴しておるのだということもおつしや
つておる。我々はこの点において、ここで我々のような金に縁の薄い者がそんなことを言
つてもおかしいが、併し我々は大正から
昭和の三、四年頃までの金融恐慌で、大勢の人に頼まれて、銀行に行
つて、そうして預金を返してもらつたときのことを我々は思い出す。最近の経済界なり、或いはここでも問題にな
つておる公団の問題もあり、実際に信用する気持を棄てて行かなければならない。我々にした
つてそうです。
政府、我々自身だけのことを申上げるのではない、政治が何となくわあわあしておるという
状況なんです。世間全体がわあわあしておる。幾分でもこれは引締められるところがあれば引締めて行かなければならん。全体そうやかましく言つたんでは産業は伸びられないだろう。こう言われればその通りですけれども、或る程度まで引締めるところは引締めて行き、守
つて行くべきところは守
つて行かなければならん。それを市中銀行に廻して、市中銀行が更に産業界に流す、私は頭をひねらざるを得ない。殊に今まで簡易保險なり、或いは
郵便貯金が
地方債に廻
つて行
つて、地方費に廻
つて行
つておつた。そうでなくても窮屈にな
つて来ておる今日の地方なり或いは中小商工業者は、ますます金の廻りがもう悪くな
つて困る。一方で大きなものをこしらえて、そうして大きなものに経営さして行くというのは日本の復興のゆえんである。確かに効用はあるけれども、併し大きなものを作るということは、現在日本の幸いかどうかということは又大きな疑いがある。
国民全体が平穏な生活を送
つて、初めてそこで国家というものは守
つて行かれるし、治安が守
つて行かれる。百年先に金持になるか、十年先に金持になるか、私はむしろ今日の日本の情勢としては、私はゆつくりや
つて行つたほうがいい。腰を落ちつけて。今に三年経つたら百億ドルできるとこの間或る元の銀行の総裁がおつしやつた。それに対して水を浴びせるような非難が英国で出て来ておることは御承知の通りであります。少し財界は酔い過ぎている。思い上
つている。勧銀の副総裁の山田さんでさえ、二割、三割の配当をしている会社があるじやないか、ああいう人たちですらそう言
つておる。我々が言うなら、あいつらいつでも言うから言いそうなことだと言うだろうけれども、そういうことを言いそうもないような人が言うようにな
つておる。非常に不健全、気持が不健全だ。二十五割、昨日の新聞を見ると利益が二十五割、二割五分ではない二十五割。そういう
方面に金を廻さなければならん……。尤も地方なんかで勧業銀行ならば信用する人もあるでしよう。併し市中銀行は何でも短い間に金を貸して利息を上げる機関なんだ。だからそんな金貸しに貯金するのはやめて、その金を郵便局に乗変える。すべて利己的な
考えから出発しておる。決して国家及び
国民のためを思
つて彼らは
考えているのじやない。若しそれに諸君が乗
つて行つたら、我々の
郵便貯金というものはどういうふうに使われて行くか。郵便局の連中、全逓の諸君たちは、こんなふうに
なつたら、おれたちは簡易保險なんか山の中を歩いてなんかや
つても馬鹿々々しいということを言
つておる。あんた耳にしておられるかどうか。お前たちならば集めた金を貸してやることもできるのだ、こういうところに初めて簡易保險の生命がある。或いは貯金しなさい、盛んに僕らのところにや
つて来て、今月貯金をしてくれ、貯金をしてくれと言
つてやいやい言
つておる。やらなければ貯金の目標が達せられないから、やいやい言
つておる、まあ
郵便貯金をやらなければ貯金の目標が達せられないから、やいやい言
つて来る。まあ
郵便貯金ならいいよ、私もや
つてやるよ、貯金しよう、貯金しなければ怒られる。併しその気持は、確実だという点が中心なんです。やはり人間は利己的ですから、確実ならそんな利廻りなんかいい。利廻りがどうかこうかということになるならば、兜町へ行
つてスペキユレーシヨンをやればいい。あそこでも間違いないということを言
つております。この言葉はどこでも使われている。問題は具体的に……、我々としてみれば、我々の値人的の
考えとしてみれば、ああした金は社会政策的に使
つてもらいたい。社会政策的に使
つてもら
つて、そのために仮に不回収にな
つても、くやしいけれども又それに慰むるところがあるというくらいに我々は
考えておる。大体
郵政省の大臣をここにお呼びして、少ししつかりしようじやないかと僕は言いたいのだけれども、この頃池田さん、羽振りがいいものだから、金をどんどん集めている。併しそれは
一つの笑いごとじやないので、我々としては……、疊貯金も、箪笥預金も少し置いておかないと危ないです。まあ八割ぐらい戻
つて来るかも知れん。そういうようなことです。まあ、
一つ考えて置いてもらいたい。